お財布携帯アプリは見ず知らずの他人に財布を預けるようなもの

アルハンブラ宮殿

清里の油小路先生です。

何か、渓流斎さんは、スペインにご旅行され、無事帰国されたようで何よりです。最近の欧州は、テロが多く物騒ですからね。

ブログに長々と旅行記を書いていらっしゃいましたが、あれは、長過ぎますね。追河探訪記者は「流し読み」したらしいですが、あんな長ければ誰も読みません(笑)。最後まで読んでくださった方には感謝しなければなりませんよ。

フィンランド航空には大変お世話になりました(行きは7時間もヘルシンキ空港で待機させてもらいました)

あ、さて、先週木曜日でしたか、久しぶりに上京した折、歌舞伎見物にでも行こうかと、ついでに、渓流斎さんの銀座のオフィスに立ち寄ったところ、貴方は随分、吃驚した表情でしたね。「えっ!? 清里におられていたんじゃなかったんですか」と。

まあ、何も事前に連絡なく、突然訪問したこちらも悪かったかもしれませんが、何か、貴方は当日、先約があったらしく、久しぶりに再会して一献を傾けようとした機会を逃してしまいました。残念でしたね。

ヘルシンキ空港のトイレは日本語の説明。多くの日本人が来訪するということでしょうね

久しぶりの東京でしたが、ネクタイを締めている男性がめっきり減りましたね。例の女性議員による「クールビズ」とかいう洗脳で、紳士たるもの、その本分を忘れて、皆、だらしなく胸元を開けて、労務者風情に貶められておりました。

エリート官僚さん、青年実業家といっても、あんなだらしない恰好では、まるで、雲助が登城しているようなものですよ。

あ、少々、差別的感情を煽るような表現でしたら、御寛恕願いたいものです。

きょうび、人権意識の高まりを受けて、表現に関して、世間では大変神経質になっておりますからね。

グラナダのレストラン

しかしながら、ある程度、辛辣な表現を使わないと、真意が伝わらないのです。

東京の電車や地下鉄に乗ると、誰もがみんな、スマホの画面に熱中している人ばかりです。ニュースを読んでいるのか、ゲームをしているのか…。でも、あんな受け身のことばかりしていては、人間の魂は何処に行ってしまったんですかねえ?

はっきり言って、現代人は魂がない、生きているようで死んでいる人間ばかりです。

魂がない、というのは、騙されやすい、どうか、私を騙してください、と言っているようなものなのです。

例えば、ネット広告です。パソコンなどで検索すると、化粧品にしろ、時計にしろ、いつまでたっても、他のサイトを開いても、同じ広告が追っかけてくることでしょう。ネット広告は、地の果てまで追いかけてきます。

あまりにものしつこさに根負けして、ついつい、また、同じ化粧品を買ってしまう。そんな繰り返しです。

ネット広告は「ポン引き」だ、とはっきり言ってやらないと分からないのです(笑)。ポン引きは、客が入店するまでいつまでも追いかけて、地の果てまで付いてきます。

客も魂がないから、ポン引きなのに、親切心でやってもらっていると誤解して、騙されるのです。

アルハンブラ宮殿にようこそ(個人名が記載された入場ペーパーにQRコードが添付され、3カ所もゲートがありました)

「ネットは危ないもの」という認識を念頭に置かなければならないのです。

特に、今、盛んに日経新聞などが取り上げている「お財布携帯アプリ」なんか、最たるものです。記事では利便性のメリットばかり取り上げておりますが、いざ、盗難にあったり、サイバー攻撃で盗み取られたりしたりするデメリットなんか一行も書いたりしません。

そもそも、お財布携帯アプリなんて、見ず知らずの他人に財布を渡すようなものですよ。現代人は魂がなくなっているから、そんなことも分からないので、迂生も、はっきり言ってやらなければならないのです。

進化や進歩は言葉の綾です。現代人は便利さばかりを追求するあまり、確実に退化しています。

スマホを捨てろ、とまでは言いませんが、せめて、ホドホドに、ですよ。

電脳空間は富士山の「樹海」です。入口も、出口も分からず、深入りすればするほど出口が分からず、白骨になって御終いです(笑)。

今回、突然の訪問のため、貴方と懇親できませんでしたので、書簡で失礼申し上げました。

スペイン堪能記ー余話

ピカソ「ゲルニカ」

まだスペインから帰って早々ですので、いまだに「スペイン病」を引きずっております(笑)。

今日なんかは、東京・銀座の有名スペイン料理店「エスペロ」にランチしに行ってしまいました。

ランチ1200円と、小生としては、ほんの少し割高でしたが(10ユーロと考えると断然安い!スペインでは、ランチでも17~30ユーロが相場で結構高い)、上写真右のガスパッチョ(冷製野菜スープ)なんかは美味で、本場とさほど変わらない味でした。

この店は、パエリアの国際大会で優勝したことがあるらしく、店頭に誇らしげに表彰状を飾っておりました。

店内を見渡すと、闘牛のポスターばかりでした。

今回のスペイン旅行で残念ながら、闘牛を見ることができませんでしたが、本場スペインではどうやら「下火」になっているようです。2日目のミハスでランチしたレストランは、元闘牛場で、食堂に改装したものでした。

バルセロナでは、ガイドさんが「ここの闘牛場は先週、閉鎖されました」と仰るではありませんか!

色々、聴いてみると、どうやら、入場料がかなり割高で、地元の人があまり行かなくなり、主に観光客相手になってしまったとのこと。「残虐」ということで、動物愛護団体などから闘牛を中止するよう様々な形で要望があったらしい、ということでした。

私自身は20代の若き頃、ヘミングウエイの「日はまた昇る」を読んで、感動して、「いつか、闘牛を見てみたい」と思っておりましたが、恐らく、もう見ることはできないでしょうね。

今回のスペイン旅行の一つが、ピカソの「ゲルニカ」を見ることでしたから、実現したときは、「かぶりつきの席」で、10分間ぐらいジーと見詰めていました。そして、見れば見るほど、よく分からなくなる不思議な絵でした。

私の記憶が確かなら、1937年のスペイン内戦の際、バスク地方ゲルニカが、ナチスドイツ軍による無差別都市爆撃を受けたことから、当時パリにいたピカソは、新聞報道や写真などを参考に一気に描き上げたものでした。ヒトラーは、フランコによる要請で他国のスペインを爆撃しましたが、その2年後に開始される第2次世界大戦を見据えて、空爆の演習を兼ねていたとも言われます。(フランコは、これを取引に、スペインは第2次大戦に参戦しないことをヒトラーに約束させたという説もあります)

「ゲルニカ」は、一気に描き上げたといっても、縦3.49メートル、横7.77メートルというかなりの大きさですから、ピカソはその前に45枚の習作デッサンを描きました。それら習作も会場の国立ソフィア王妃芸術センター(マドリード)で展示されておりました。

ピカソが何故、この絵を白と黒だけで描いたのか、色んな説がありますが、白黒でも凝視すると、真っ赤な太陽や血の色などの色彩が網膜に浮かぶようでした。ついでに阿鼻叫喚の悲鳴や泣き声まで聞こえるようでした。

天下の「ゲルニカ」ですから、写真撮影は禁止でした。左右に屈強のガードマン2人が配置されておりましたが、かなりの至近距離まで近づいて見ることができ、感激しました。

バルセロナ ガウディ作「グエル公園」

今回のスペイン旅行で、「スペイン語不足」を痛感しました。

トイレに行くと「caballero(カバジェーロ)」と書かれた入り口は、「紳士」用だということが後になってようやく分かりました(苦笑)。(senora=セニョーラ、淑女は、すぐ分かりました)

ビールは、Cerveza(セルベッサ)、赤ワインは Vino tinto(ビーノ・ティント)、グラスで注文するならCopa(コパ)、ボトルなら、Bottella(ボテージャ)。

うーん、フランス語とも単語がじぇんじぇん違いますね。ポルトガル語とはほとんど似ているでしょうが。。。

何しろ、taberna(タベルナ=居酒屋)は、「食べるな」と言われてるようで、吃驚しますよね。

昨日書いたスペイン語のバカ=牛は、正確にはVaca(バカ)=雌牛でしたね。アホ=ニンニクは、ajoで、アッホとも発音するらしいですね。

加藤画伯の御令室によると、首都マドリードの Madrid は、本当は「マドリー」と言うのが正確なんだそうですね。最後の「d」は発音しないとか。

あと、スペイン語の疑問文は、最初に「?」の真っ逆さまを書きますよね?書き言葉は、読者に最初から、次に書かれているのは疑問文ですよ、と注意喚起するためなんでしょうか?

スペイン語に詳しい方は、どうか、コメントで御教授願います。

スペイン堪能記

ついにガウディのサグラダファミリア教会と御対面

グラナダ・アルハンブラ宮殿(高校時代の世界史の教科書で見たことがある景色を撮ってみました)宮殿は、イスラム教徒がイベリア半島から追われ、標高700メートルの高台につくりました。▽名門グラナダ大学は学生6万人、教職員700人。

2018年9月11日(火)から18日(火)まで、初めてスペインに旅行に行って参りました。

機内泊を含めて7泊8日の旅でしたが、移動日が2日で実質6日間の旅でした。特に、行きは、経由先のヘルシンキ空港で7時間もトランジットで待たされ、結局、成田空港からスペインのマラガ空港まで21時間も掛かり、ヘトヘト。時差ボケと睡眠不足で前半は絶不調で、4日目からやっと馴化して旅行を楽しむことができました。

ミハス(ホテルの部屋からの眺め)

回った都市は、ピカソの生誕地である南部マラガから北上して宿泊先の白い建物で有名なミハス(アンダルシア)、イスラム統治最後のアルハンブラ宮殿があるグラナダ(柘榴という意味=アンダルシア)、イスラム支配最盛期のコルドバ(アンダルシア)、風車のあるラ・マンチャ地方のコンスエグラ、エル・グレコの傑作「オルガス伯爵の埋葬」が残るサント・トメ教会のある中世からの都市トレド(カスティーリャ・ラ・マンチャ)、首都マドリード、近郊にゴヤの出身地があるサラゴサ(旧アラゴン王国の首都)、そしてスペイン第2の都市バルセロナ(カタルーニャ)の9都市でした。

世界遺産 コルドバ

メニューが盛りだくさんでした。1492年にカトリック教国スペインとして独立(レコンキスタ=再征服)するまで800年間もイスラム教国の統治下にあったため、アラブの文化遺産が色濃く残り、まず、一口では語られません。

写真も400枚以上撮影してきましたが、さすがに、一度に全部掲載できませんね(笑)。でも、アルハンブラ宮殿にしろ、サグラダファミリア教会にしろ、プラダ美術館のベラスケスにしろ、今まで歴史や美術の教科書や写真集などでしか見たことがなかったものを直接、間近に見ることができ、とても至福な時間を過ごすことができました。現地に行かなくては見られませんからね。(3万点以上収蔵するプラダ美術館にあるベラスケスの傑作「ラス・メニーナス」は、この1点だけは門外不出のため、ここに来なければ本物に会えません!)思い切って、無理して(笑)行ってよかったと思いました。

日頃の心掛けがいいのか(笑)、全日、好天に恵まれ、治安の悪い大都市でも盗難の被害に遭わず、何と言っても添乗員Nさんと現地ガイド(多くが日本人女性)さんがとても優秀で、こちらも多くの知識と情報を得ることができました。それに、「人様とのつながり」のお蔭で、マドリードでは、京洛先生の京都の友人の加藤画伯の御令室と初めてお会いすることができ、わずか3時間でしたが、色んなお話を伺うことができました。加藤御令室には、ツアーのコースに入っていなかったピカソの名作「ゲルニカ」のあるソフア王妃芸術センターにまで連れて行ってもらった上、マドリードの御自宅マンションで、サラダとイカスミ・ライスまで御馳走になってしまい、本当に「人様とのつながり」の有難みを感じました。

コルドバ・メスキータ(大聖堂)▽古代はフェニキアやローマ帝国の神殿があった後に、6世紀ごろから西ゴート時代のキリスト教教会が建てられ、8世紀からイスラム支配の下、モスクに。聖堂内で2万人、戸外を入れると4万人以上が礼拝したとか。1236年からカトリック教会となりましたので、複層した色んな宗教が混在した不思議な空間でした。

実は、正直のところ、今回旅行するまで、スペインは、あまり好きではありませんでした。むしろ、嫌いでした。なぜなら、スペインは大航海時代の16世紀、インカ帝国やアステカ帝国を滅ぼして、中南米を植民地にした国だからです。(おかげで、スペイン語は世界22カ国、4億人が使っているそうです)

しかし、現地スペインに行って、少し考え方が変わりました。

スペインは年間750万トンもオリーブを生産し、世界最大のオリーブ油の輸出国だったんですね。ですから、バスで通過する道路わきの畑は、オリーブばかり植えられていました。ところが、南部アンダルシア地方からラ・マンチャ地方、そしてマドリード辺りまでの一部というか、ほとんどの地域で、植物が生えない、荒れ地というか、赤土の荒野が広がっていて人家も緑も一切なく、「大丈夫なのかなあ」と心配してしまいました。

何で、こんな荒野になってしまったのかというと、イスラム教徒がキリスト教徒に追われて逃げる際に、人家や畑を焼き払ってしまったからという説があります。でも、それは一部にせよ、あまりにも広大なので、ありえないでしょう。

もう一つの説は、イベリア半島は大森林で覆われていましたが、木材を燃料や船舶などの用途で多くの樹木を伐採したからというものです。(特に、レパント沖の海戦で、フェリペ2世が軍艦を建造する際に大量の森林を伐採した)これも、再植林すれば森林は復活するでしょうが、一度伐採してしまったら、もう緑は復活しないということなんでしょうか。これもよく分かりません。

先程、スペイン人は中南米を征服したので、個人的にスペインは嫌いだったと書きましたが、1521年に今のメキシコを征服したコルテスも、1533年に今のペルー辺りを征服したピサロも、二人とも、そんな作物がならない荒れ地が多い、ポルトガル国境に近いイクストレマドゥーラ地方出身だったというのです。

ここで、誤解を恐れずに言えば、私なんか「コルテスもピサロもまるで満蒙開拓団みたいだったんだなあ」と思ってしまったわけです。これも語弊があるかもしれませんが、戦時中に、大陸の満洲などに植民した人たちは日本国内に自分の土地を持たない小作人か、作物があまり実らない貧しい農民でした。どこの国でも、裕福な農民、つまり肥沃な(スペイン語でベガ。ラスベカスは肥沃な土地という意味)大地を持つ地主は国外に出る必要がありませんからね。

ということは、原住民を虐殺して征服したコルテスもピサロに同情の余地はありませんが、生まれ故郷が荒れ地だったことが、子どもの時から海外に出たいと思うようになったきっかけになったのではないか、と想像しました。

しかも、自分たちが生まれる前に、自分たちの領土が800年間も異教徒によって支配、征服されていたという歴史的事実を代々、親たちから聞かされて育てば、現代人が非難するような「征服」や「弱肉強食」の世界に、彼らは矛盾を感じなかったのかもしれません。

そう思うと、スペイン人も同じ人間で、何となく、共感はできなくても、偉そうにも(笑)、「分からないわけではない」という考え方に変わったわけです。

ラ・マンチャ コンスエグラ(ドン・キホーテの恰好をしたバイトさんもいました)

となると、旅行に行く前に避けていたスペイン文化を再認識しなければなりません。

私はジレッタントですから、今まで読んでいなかったセルバンテスの古典的名作「ドン・キホーテ」を読まなければなりませんね。「ドン・キホーテ」は、読んでいない私ですら荒すじを知っているぐらいの世界的な大ベストセラーなのですが、セルバンテス自身は、牢獄につながれたり、家族を亡くしたり、おまけに本が売れても著作権登録していなかったため、一銭も印税が入らず、極貧で亡くなった、という波乱万丈の生涯を送ったそうですから。

小説の中のドン・キホーテは、最後は気が触れたように、風車に向かって立ち向かっていくという話で終わりますが、この風車は、オランダの象徴として捉え、当時、スペイン支配下にあったオランダが近いうちに独立することを示唆したものだ、という説があるそうです。

トレド(世界遺産)1972年に奈良と姉妹都市を締結

とにかく、スペインは世界遺産だらけです。昨年は世界から約8000万人の観光客が訪れ、スペインは、フランスに次ぎ世界第2位の観光立国です。

当然、観光が主要産業になっていますが、現在のスペインが抱える最大の問題は、失業問題だと言われます。

2008年、リーマン・ショックを引き金に、不動産と株バブルがはじけて、多くの失業者を産み、2017年になっても失業率は18.1%と欧州2位。ただし、25歳以下の若者に限定すると40%にも上るそうです。そのため、優秀な人材は、ドイツやフランスなど国外にどんどん「頭脳流出」してしまうとか。

ガイドさんの説明では、職が見つからないため、30歳未満の8割もが両親と同居しているそうです。

当然、結婚もできない。そして、驚くべきことに、スペイン人の離婚率は50%だというのです。これは、正式に婚姻届を提出したカップルの数字で、それ以外を含めるとかなりの数字になるそうですから、異様です。

確か、カトリックの国はそう易々と離婚できなかったはずですけど…。

マドリード スペイン広場 ドン・キホーテ像

一方、マドリードに1971年以来半世紀近く在住している加藤画伯の御令室によると、この1~2年は、スペインは景気が良くなったのか、不動産は2倍近くも上昇したというのです。ただし、富裕層が投資のために購入しているようですが。

今回の旅行で、荒れ地ばかり見てきたのですが、南部の地中海沿いのムルシア地方は一大農業地帯で、諸外国に輸出するほどオレンジやトマトなど野菜を多く栽培しているそうです。アンダルシア地方にはまだ貴族がいて、大地主でもあるそうです。独裁政権を敷いてきたフランコ死去後、スペインは王政復古しましたからね。

加藤画伯の御令室も「スペインは、日本より裕福じゃないでしょうか」と独り言のように呟きました。

ただ、政治面では6月に、汚職が蔓延する右派政権が倒れて、左派連合のサンチェス氏が首相に任命されましたが、連立政権のため、独立機運が高まっているカタルーニャやバスク選出の議員の要求も聞き入れなくてはならず、また、彼らに大臣ポストも用意しなければならなかったので、サンチェス政権も多難な船出なんだそうです。

スペインには、大きく四つの言語と「民族」(顔つきや背格好が少し違う)があるそうで、特に、カタルーニャ地方のバルセロナは、日本のニュースでもよく登場しますが、独立運動デモが頻繁に行われているようです。勿論、首都マドリードの住民は、彼らの勝手な行動には眉をひそめているわけです。

こういった話は現地に行かなければ分かりませんね。

マドリード プラド美術館前にあるゴヤ像(この像の前で、加藤画伯の御令室と待ち合わせをしました)

ちょっと、堅い話になったので、少し外れて、閑話休題。

スペイン到着して始めの頃に訪問したミハスを散策していたら、「Taberna」と書かれたお店を何軒か見かけました。何?食べるな???

実は「タベルナ」は、「バル」と呼ばれる大衆居酒屋と、ほんの少し高級な「レストラン」の中間に当たる食堂で、アンティークな調度品でバルより少し高級感があるそうです。あ、そうか、英語のtavern(居酒屋)なんですね。フランスはでは、ビストロに当たることでしょう。

ちなみに「バカ」はスペイン語で「牛」のこと。「アホ」は「ニンニク」のことなんだそうです。

となると、「バカ・タベルナ」は「牛肉食堂」、「アホ・タベルナ」は「ニンニク食堂」のことですか…(笑)。

あと、面白かったのは、鶏の鳴き声。日本では「コケコッコー」ですが、スペインでは「キッキリキー」ですって。笑っちゃいました。

サラゴサ(近郊のフエンデトドスがゴヤの出身地)

ここで、スペイン人の一般的な生活をー。

スペインは日本の国土の1.3倍ありますが、人口はその3分の1程度の4600万人で、首都マドリードにはその10分の1の460万人が居住しています。

緯度は青森県ぐらいで、日の出が午前7時半ぐらいと遅いのでいつまでも薄暗く、日没は午後8時半ごろなので、夜はいつまでも明るい。当然、食事の時間が日本とはズレて、ランチは14時から16時まで、夜食は20時から22時が普通だとか。

熱心なカトリック国なので、日曜日は安息日で、商店のほとんどが休業。とはいえ、インド系や華僑の店舗は開店し、以前はケーキ屋さんだけが安息日の開店を許可されていましたが、ケーキ屋さんでもパンが売られていたことから、パン協同組合からの抗議もあり、パン屋さんも午前中だけなら、ここ3年ぐらい前から、安息日でも営業できるようになったそうです。

バルセロナ ガウディ作 サグラダファミリア教会 1882年に着工し、130年以上経過しても、まだ未完成(教会はいつ完成するか正式発表せず)。福岡市出身の彫刻家外尾悦郎氏の作品が、上記写真の下部に見えます。

あと、バルセロナの優秀なガイドTさんから聞いた話によると、信号を無視して歩行者が横断歩道を渡ったりして、警察に見つかると、事情を知らない外国人でも、即、100ユーロ(1万3000円)ぐらいの罰金を取られるそうです。

警察を至近距離から撮影したりしても、罰金。ほかに、可愛いからといって、子どもや赤ちゃんを親の許可なく撮影すると、裁判沙汰か、罰金になるそうです。これは、今のネット社会で、親が知らないうちに、自分の子どもの写真が掲載される危険を防ぐためなんだそうです。

そう言えば、スペイン人といえば、ラテン系なので、時間にルーズで、結構いい加減だという悪いイメージがあったのですが、かなり厳格でした。

全行程バス移動だったため、鉄道に乗ったわけではないのですが、アルハンブラ宮殿もプラダ美術館もサグラダファミリア教会なども、事前予約の時間制限があり、例えば、「午後2時入場」でしたら、その時間が来るまで、決して、ゲートを開けてくれないのです。

アルハンブラ宮殿の事前予約「入場券」なんか、QRコード付きのペーパーで、何と私の名前まで明記されておりました。

また、宣伝広告も厳しい規制があり、高速道路沿線は広告掲示板が禁止されていました。どこもかしこもコマーシャルだらけの日本とは大違いです。

バルセロナでフラメンコ鑑賞(本場は全く違いましたね。迫力満点。後ろに義太夫のような歌い手二人と、ギター二人、打楽器1人とバイオリン一人で、ダンサーが躍る。人形浄瑠璃ではなく、人間浄瑠璃のようでしたねえ)

随分、長く書きましたが、これでも、全体にあったことの10分の1も書いてません(笑)。

これまで書き忘れたことで、どうしても、書き残したい話は、またまたバルセロナのガイドのTさんから聞いた話です。何と、スペインでは、医療費(歯医者は除く)は無料なんだそうです。ただし、待ち時間が長く、インフルエンザで、待合室で亡くなった人もいたそうです。

病室は2人部屋が一般的ですが、盲腸など簡単な手術は、入院は1泊で追い出され、白内障の手術を受けるのに3年も待たされるとか。

もちろん、緊急の救急患者は優先されますが、どうしても早めに治療、手術したい場合は、個人的に保険に入る必要があるそうです。

レストランでは、水(Agua=アグア)が、ビール(cerveza=セルベッサ)と同じ値段(2.50~3.00ユーロ)か、少し高かった時は驚きでした。

スペイン料理は、パエリア(Paella=パエージャ)ぐらいしか知りませんでしたが、冷製野菜スープのガスパッチョ、小さく切ったパンの上に色んな食材を載せたタパスやピチョンも美味しかったです。

プラド美術館ではゴヤの作品にはかなり感動しましたので、これから時間を見つけて、未読の名作、堀田善衛著「ゴヤ」全4巻と、スペイン内戦を描いたジョージ・オーウエルの「カタロニア賛歌」にいつか挑戦してみようかと思っています。

ここまで読んで頂き、グラシアス

もう印刷新聞は終わってしまうのか?

奈良・興福寺

あれっ!?

はい、10日(月)は、渓流斎、一応まだ日本におります(笑)。

◇◇◇

会社の先輩も執筆陣の一人として加わった早稲田大学メディア研究所編「『ニュース』は生き残るか」(一藝社・2018年6月初版)を読了しましたので、旅行に出発する前に取り上げておきます。ジャーナリストらが執筆しながら、学術書のせいなのか非常に文章も堅くて読み易くないのですが、最後まで読み通しました。これでも、40年間近く、新聞通信業界ではお世話になってきましたから。

タイトルの「ニュースは生き残るか」というのは少し変で、どんな時代になろうが、ほぼ未来永劫、ニュースはなくなることはないでしょう。しかし、これが、新聞となると、暗澹たる気持ちで、「今の形態ならほぼ難しい」という答えしかありませんね。確実に主流の花形産業からどん底に落ちつつあることは誰でも否定できないでしょう。

新聞協会の調べによると、2017年の新聞購読数は、4212万部で、10年間で1000万部も大幅に減少したといいます。先細りというより、ジェットコースーターで真っ逆さまに落ちるような感じです。

同書では、5年おきに実施されるNHKの国民生活時間調査が引用されております。その最新調査の2015年の新聞読者について、10代後半は5%、20代6%、30代は11%、40代が22%しか新聞を読んでいないというのです。50代になると39%、60代になってやっと半数以上の55%、70歳以上が59%という数字です。
今、働き盛りで幹部クラスの50代の人が10年前の40代だった時は45%、20年前の30代の際は53%読んでいたといいますから、急転直下のような減少率です。

これは、もう3年前の調査ですから、今はもっと酷いことでしょう。こんな数字を見せつけられれば、希望を持てるわけがありませんね。

そもそも、新聞社が、ヤフーやグーグルなどのネットのプラットフォームに割安でニュースを提供したため、「ニュースはただ」という印象を、特に若い読者に植え付けてしまったのが失敗でした。プラットフォームの会社はニュースを取材編集するわけではなく、格安で新聞社からニュースを提供してもらって、それを看板に、「客」を呼び込んで商売に結び付けているため、「ただ乗り」論すら出てきましたが、プラットフォーム側は「そんなの冗談じゃない」と水掛け論になってますから、この溝は永久に埋まらないことでしょう。

今、北海道地震で、厚真町の情報だけが集中して、他に被災した町村の情報が入ってこないのは、そんな「一次情報」を取材する新聞社・通信社の人員と経費が足りないからなのです。こういった新聞社の人的、資源的「劣化」はますます進み、将来、官製発表のみで、だんだん真の情報が伝わってこない状況になることでしょう。

◇◇◇

この本で興味深かったことは、「ウォール・ストリート・ジャーナル」などほんの一部経済専門紙だけが、ネットの有料化に成功しましたが、他は日本を含めて惨憺たるものだということです。そんな中で、カナダのある地方新聞が、「ニュース報道に課金は難しい」と有料化をスッパリ諦めて、無料で記事を提供して大成功した例を挙げておりました。

それは、「グルメ王」の辻下氏がお住まいになっているカナダの中でも、フランス語が公用語になっているケベック州モントリオール最大の「ラ・プレス」という地方紙です。2013年に、社運を懸けて、リサーチや製作などに3年間の歳月と4000万カナダドル(約35億円!)を掛けて、ダブレット用のアプリを開発したのでした。

ホームページに、速報機能は付いていますが、印刷媒体のように、毎朝5時半に1日1回のみ更新するだけです。深く取材した長い読み物と高画質の写真と動画を見てもらうというコンセプトで、16年には27万3000人のユーザーを獲得し、広告収入にも目途がついたことから、17年末で新聞印刷を終了して、完全デジタル化したというのです。

1日分を自動ダウンロードすれば、その後通信費が発生せず、いくらでも読めるので、1日の平均読書時間が平日では40分、土曜日は52分にも上ったというのです。

◇◇◇

一方、今の日本の新聞社の50歳代~60歳代の経営幹部では、打開策を講じるのは難しいのではないでしょうか。本業以外の不動産業等で逃げようとしているからです。今の若者が中高年になった時点で、100人に5人しか新聞を読んでいなければ採算なんか取れるわけがありません。

思い切って、結託して(笑)、ネットのプラットフォームにニュース提供を止めるとか、カナダの地方紙のように、30億円も50億円もかけて、アプリを開発する大英断をするかしかないのかもしれません。

せめて、座して何とかを待つようなことはしてほしくないです。

◇◇◇

ちなみに、人口が日本の約半分の6690万人のフランスは、新聞購読数は全土でわずか600万部。フランスを代表する有力紙ル・モンドやル・フィガロでさえ30万部前後ですから、そう悲観することはないという識者もおります。でも、フランスは日本以上の超エリート主義の格差社会ですからね。

となると、新聞が生き残れるとしたら、地方紙でしょうか。特に、ネット上に掲載されないような地元の人事情報はキラーコンテンツです。冠婚葬祭情報も必須です。叙位叙勲や、司法試験、医師、歯科医国家試験合格者情報も必要です。ついでに、日展や院展の入賞者や地元しか開催しない小さな催し情報など微に入り細に入り紹介することでしょうかね。

これは、日本は「お付き合い」のムラ社会だから、というのが前提です。しかし、地方でも隣同士の交流・交際が減ってきたといいますから、結局のところ、あまり効果がなくなっていくかもしれません。

何とも、大変なアポリアです。

いざ、西班牙へ=単なる個人的なお知らせ

単なる個人的なお知らせですが、明後日11日(火)から18日(火)まで、西班牙に旅行に行って参ります。その間、向こうのWi-Fi事情にもよりますが、恐らく、この《渓流斎日乗》も休載させて頂くかもしれません。

宜しくお願い奉ります。日頃、「スマホ中毒」でしたから、これを機会に少しは中毒症状が治まるのではないかと期待しております。

西班牙は、スリや強盗が多い(友人知人に被害に遭った人を多く聞きます)ので、「おひとりさま」で団体ツアーに申し込みました。日本の地元みたいにチンピラに絡まれないよう、なるべく目立たないよう、大人しく、カメレオンのようにその土地の風景に溶け込むつもりです(笑)。

以前にもこのブログに、チラっと書きましたが、そもそも西班牙旅行を思い立ったのは、今春読んだダン・ブラウンの小説「オリジン」を読み、舞台になったバルセロナのガウディ作サグラダファミリア教会を、死ぬ前に一度見てみたいと思ったからでした。1882年に建設を開始し、130年経った現在でもまだ未完成だというんですからね。卒倒しそうです。今回、中にも少し入れそうなので大いに期待しております。

美術・芸術鑑賞も玄人はだし(笑)の趣味ですから、マドリードのプラダ美術館も楽しみです。ベラスケスの「ラス・メニーナス」、ゴヤの「着衣のマハ」ともう一つ(笑)などスペイン黄金時代の秀作や、プラダ美術館近くにある国立ソフィア王妃芸術センター内にあるピカソの歴史的意欲作「ゲルニカ」などの「ほんまもん」を間近に見ることを特に楽しみにしております。

西班牙は1492年のレコンキスタ完成まで、800年間もイスラム教国だったため、アルハンブラ宮殿なども大いに見る価値があることでしょう。

大航海時代、スペインは中南米のインカ帝国やアステカ帝国を滅亡させるなど権勢をふるっていたのですが、1588年の無敵艦隊アルマダが新興国英国に敗れて制海権を失い、急速に国力も衰退します。

近現代に入って、バスク地方やカタルーニャ地方の独立運動や、現在ではトルコリラ急落に伴い、トルコに貸し付けていたスペインの銀行不安など諸問題が山積しているようです。

単なる美術・建築鑑賞の旅行者には、何もスペイン国内の複雑な諸問題に触れる機会はないでしょうが、同時代人として同じ空気を吸ってきたいと思っております。

以上、北海道での震度7の大地震や台風21号などによる天災被害などがありながら、個人的なことを長々と書いてしまった不届き者の独り言でした。

魚住昭氏著、講談社の創業者野間清治物語に瞠目

 昨日の台風21号は、関東地方は電車が遅れる程度で、お店は全開、大きな影響はなかったのですが、関西地方は台風襲来で大変だったようです。
 京都にお住まいの京洛先生は「午前中で、商売を切り上げる店が殆どで、『コンビニ』も同じで、アテにできません。大手デパートはすべて『休業』です。交通機関も同様です。JRは在来線は全面運休で、まるで台風を使った『戒厳令』の予行演習、予備訓練です。『家に閉じ籠もって、政府PR機関のテレビでも見ていろ!』という事です」と憤慨されておりました。
 そして、「貴人も、アホなチンピラにアタマに来るより、そうしたチンピラがもっと増殖して、そのチンピラどもによる騒擾事件が暴発、拡大する日本の近未来をもっと予想して、対応しないとダメですよ。そう考えると『戒厳令』の予行演習は必要ですかね」と、何だかよく分かりません。まるで自暴自棄です(笑)。 
 続けて「こんな時に、都内では、世論支持率1%の『国民民主党』が新代表を選んだ、という事ですが、小、中学校の生徒会の会長選びみたいなものです。
 玉木代表以下、”幹部の顔”は、人生の辛酸など舐めたことがない人々で、顔を見たら分かります。これでは、海千山千の自民党の二階幹事長にはやられますね。どうして、こういう”紳士服の青山”のモデルのような容貌の面々が選挙で当選するのですかね? すべて、一票を投じる有権者の責任です。”トランプ批判”するより、日本のマスコミは『有権者批判』と日本人の頭脳構造を分析して、覚醒させる方が先決です」と、全うなことを仰るのです。
 それにしても、「”紳士服の青山”のモデルのような容貌」とは秀逸ですなあ(笑)。まあ、政治家は国民が税金で養っているわけですから、これぐらいの批判には耐えなければならないでしょう。
◇◇◇
その京洛先生、毎日、毎時、ピンと張り詰めたアンテナを張り巡らして情報収集に努めており、私もその「おこぼれ」に預かっております。
 昨日は、講談社の創業者野間清治の伝記をノンフィクション作家の魚住昭氏が、インターネットの「現代ビジネス」で発表しているから是非読むように、と勧められました。
 「大衆は神である」という大きなタイトルで、「現代では批判にも多くさらされている既存メディアはどのように誕生し、大きくなっていったのか。ノンフィクション作家の魚住昭氏が極秘資料をもとに紡いでいく」と銘打っております。
 極秘資料ですから、面白くないわけがありません(笑)。魚住氏は「野間はズボラで、遊び好きで、借金まみれの放蕩生活を沖縄で送ってきた。それでも野心だけは人一倍あったようだ。」と書きます。野間は、東京で一旗揚げる前に、沖縄で教師をしていたことがあります。

 魚住氏は、日本共産党の指導者として有名な徳田球一(とくだきゅういち・沖縄県立中学出身)の証言を引用します。

〈琉球というところは、中学の先生はほとんどよそからきた人だから、琉球人を特別に軽蔑するので、われわれはいつも団結して反抗した。その先生どもは、いずれもいいかげんな検定をとって琉球に流れてきた連中なので、質がわるく、高師(=高等師範学校)をでたものは十五、六人のうち二、三人で、大学など出ていようものなら、くるとすぐ首席か校長になってしまうというありさまだった。そのなかでも、とくにわるい先生だとおもったのは、のちに講談社の社長となった野間清治だった。野間は私が中学一年のときの漢文の先生だったが、漢文などはほとんど知らない。教室では石童丸(いしどうまる=出家した父を探して幼子が高野山を訪ねる仏教説話)の話や、講談、なにわぶしのようなことばかりやっていた>

<しかもかれは、遊廓を宿舎とし、まいにちそこから酔っぱらって出勤した。かれももちろん、いいかげんな検定をうけて流れてきた部類なのだが、収入は一月四十円か五十円とっていたはずで、遊廓にとまっても、一ヵ月十円ぐらい、一里の道を車でおくりむかえされ、さんざん酒をのみ、女あそびをしても二十円ぐらいですんだときだから、らくにやってゆける。だからかれのような人間にとっては、琉球はたしかに天国であったろう。しかし、われわれにとっては、地獄であった〉(『獄中十八年』)

1950年代に作成された講談社の「極秘資料」には、将来の歴史学者やジャーナリストの批判にも応えられるよう、良い事も本人に都合の悪いことも書かれているというので、確かに「超一級資料」と言えるでしょう。
 やはり、ネットでは読みにくいので、早く単行本になってほしいものです。
 【追記】台風21号の影響で、京都の二条城や西本願寺など国宝、重文建築が損傷したそうです。やはり、相当激しかったのですね。

桁違いの関西、桁違いの京都人

京都・伏見稲荷大社

いまだに「京都大旅行」の余韻に浸っております。とはいえ、行った所ではなく、行けなかった京都の「佐阿彌(さあみ)」や「瓢亭」や「つる家」などです(笑)。

何?知らないとな?

奈良・元興寺(本文とあってないじゃん)

京洛先生は、京都御所近くの邸宅で産湯をつかい、御幼少の砌の遊び場は京都御所でした。そこで蝉を取ったり、鳥獣戯画の如く、蛙や兎と相撲を取ったりして遊びました。代々の墓所はあの建仁寺という名家で素封家です。嗚呼、それなのに、それなのに…。

実は「佐阿彌」は、昨晩、「神谷町のおじさん」(といえば、歌舞伎通なら誰でもが御存知です)が案内役を務めるテレビ番組「京都探訪」で紹介された円山公園の敷地1000坪を有する老舗料亭のことでした。

円山公園の円山とは、慈円山安養寺から取られたもので、安養寺は吉水坊とも称します。天台宗の開祖最澄が創建。浄土宗の開祖法然がここを本拠に30数年間も称名念仏を宣揚した寺としても知られています。と、今、書きましたが、行ったことはありません(笑)。以前に、この吉水坊を舞台にした寺内大吉著「念仏ひじり三国志」を読んで感動したので、行きたかったですねえ。

京洛先生に電話で、「東山の高級料亭…あれ、何でしたかね?」と伺うと、直ぐに「あ、佐阿彌ね」と答えが返ってくるではありませんか。なあんだ、超有名だったんですね。

もう5~6年前になりますか、京洛先生には岡崎や南禅寺辺りにある高級料亭や別荘(の前)に連れて行ってもらったことがあります。(そのことは当時ブログに書きましたが、消滅してしまいました)この中で、最も有名なのが、明治の元勲山縣有朋の別荘「無燐庵」でしょう。七代目小川治兵衛の作庭です。(生憎、その時は休園でしたが)

南禅寺近くの高級料亭「瓢亭」の延々と続く土塀を見ただけで、規模の大きさに卒倒しそうでした。(ですから、中に入りませんでした=笑)

この辺りは、時の最高権力者や大財閥の別邸や博物館などがあります。住友財閥の「泉屋博古館(せんおくはくこかん)」は青銅器の世界的なコレクションとして知られ、圧巻でした。

私のような庶民は、京都といえば、四条河原町や先斗町辺りの狭くて雑踏としたイメージがありましたが、そんな所は、やはり庶民の街でした。富裕層は岡崎辺りの閑静な広大な敷地に別荘を構えているのです。別世界ですよ。野村財閥などの別荘もありましたが、最近では、ニトリの似鳥さんやソフトバンクの孫さんといった「新興産業」さんが、ここまで進出されているようです。嘘か誠か、100億円はくだらないとも言われてます。

御影の延々と続く村山邸宅の土塀

東京には、田園調布や松涛、成城、白金といった高級住宅街がありますが、関西は桁違いですね。まず、都内には岡崎のような高級別荘地はないし、京都の別荘は日本一でしょう。それに、朝日新聞創業者の村山家の御影の本宅を周囲から拝見させて頂きましたが、東京では見たこともないほどの広さです。東京ドーム1個が軽く入ってしまう広大な敷地でした。

◇◇◇

ここからやっと本題に入りますが(笑)、京都滞在中は、京都が生んだ立身出世の偉人、日本電産創業者の永守重信会長の話題で持ちきりでした。永守会長は、つい先日の27日に御自身の出身地である京都府向日市に約32億円の私財を投じで市民会館を建設し、市に寄付すると発表したばかりです。

オッケー、グーグル!

教育にも力を入れ、今年3月には京都学園大学の理事長に就任しました。私財100億円を投じたと言われております。

その前に昨年11月には、京都府立医科大学に「永守記念最先端がん治療研究センター」(総工費70億円)の形で寄付しております。

いやあ、凄い人ですね。

永守会長は、「すぐやる」「必ずやる」「できるまでやる」をモットーに365日働きまくり、休日は元旦の午前中だけ、という逸話は有名です。今や、日本電産は世界最大のモーター会社となり、永守会長の総資産は3890億円とも言われてます。

やはり、関西は、財界人も桁違いです。

京都駅南口「殿田」のお稲荷寿司

京都大旅行、のはずが関西大旅行

奈良・猿沢池

2泊3日の京都大旅行のはずが、関西大旅行と相成りました。

◇2018年8月25日(土)

いつもの如く、新幹線京都駅中央口改札で、京洛先生がお出迎え。

「渓流斎さん、旅の醍醐味をご存知ですか?ー 珍道中ですよ」

ということで、京都駅で下車することなく、そのまま新幹線口の真向かいにある近鉄線で、何と奈良駅へ。まさに、弥次喜多珍道中の始まりとなりました。

近鉄奈良駅から歩いて数分のお好み焼き屋さん(名前は失念)で「豚焼きそば」とビールで豪華ランチ。

この後、中臣鎌足が鹿島神宮から連れてきた神さまの使者といわれる鹿さんが3000匹も戯れる奈良公園を通って、奈良国立博物館 へ。「修理完成記念特別展 糸のみほとけ-国宝 綴織當麻曼荼羅と繍仏-」展(26日で終了)を鑑賞しました。

繍仏とは、仏像などを刺繍した、いわゆるタピストリーのことです。当麻寺の曼陀羅は、中将姫が一夜にして縫い遂げたといわれる伝説の繍仏で、普段は未公開。何年か、何十年に一度しか「御開帳」されないので、今回、大変見る価値があるというのです。

もう1300年ぐらい時が経ているので、原型はほとんど消えて黒ずんでしまっていましたが、何か、居住まいを正したくなるような威厳がありました。伝説では一夜で縫い上げたことになっておりますが、実際は早くても7年は掛かるようです。刺繍ですから、立体的に浮き上がって見えたことでしょう。

奈良といえば、東大寺(の大仏)か、興福寺なんですが、玄人の京洛先生は、そんな修学旅行生が行くようなところは見向きもせず、一路目指したのが、元興寺(がんごうじ)でした。

元興寺は、飛鳥の飛鳥寺をこの奈良に移築したもので、1300年以上昔の飛鳥時代の屋根瓦が今でも現存する如何にも玄人好みの仏閣でした。国宝です。しばし、斑鳩の里に思いを馳せました。

◇◇◇

この後、京都に戻り、夜は、北野白梅町にある創業安政3年(1856年)の米屋、大米米穀店が経営する洋食屋「キッチンパパ」へ。キスフライ付ハンバーグ 1280円と ハイボール500円を飲食しました。日本人向きにアレンジしたデミグラスソースのハンバーグで、とても美味しゅうござんした。繁華街ではないので、歩いている人は少ないのに、この店だけは、学生風の若い人でいっぱいで、並んでいる人もいました。

◇8月26日(日)

さて、「今日こそ京都の寺社仏閣を存分に楽しめるぞ」と期待していたら、京洛先生「今日は神戸の南京中華街に行きます。よろしく」ですからね。

えっ? 神戸なの? 京都から遠いでしょ!しかし、実際は1時間ほどで行けてしまい、阪急電車の日曜日割引チケットを金券ショップで買うと、片道620円が420円となり、往復400円のお得になりました(笑)。

京洛先生、どうやら、神戸南京町の中華街にある「元祖ぎょうざ苑(1951年創業)」に行きたいというのです。ここは、神戸の味噌だれ餃子の発祥の地で、食通の京洛先生は、寅さん俳優の渥美清らがよく通った東京・渋谷の中華料理店「大穀」の味噌だれ餃子の味が忘れられず、どうしても神戸の評判の店で食したいというのでした。

阪急神戸三宮駅から歩いてJR元町駅へ。そこから、グーグルマップを手掛かりに10分ほどで着きました。評判の店なので、12時ちょっと過ぎて着いたら、先客がいて、ちょっと並びました。でも、出たときは、入ったときの倍以上の人が列をつくっておりました。

確かに評判通りの美味しさ。変な言い方ですが、皮や肉汁まで旨いのでした。猛暑でビールもうまい!

個人的に、横浜の中華街は何十回も行っておりますが、神戸の中華街は生まれて初めて行きました。南京町は、今年で開設150周年なんだそうです。明治維新と一緒ですか。

JR元町駅から神戸駅へ行き、この駅にほど近い湊川神社へ参拝。ここは、別名、楠公神社と言われるように、南北朝時代の忠臣楠木正成をまつった神社です。有名な湊川の戦いで敗れて自害した場所に、明治以降にこのような立派な神社が建てられたといいます。

この後、阪急御影駅で途中下車して、香雪美術館へ。朝日新聞を創刊した村山龍平(と二代目村山長挙=岸和田藩主の三男が婿入り)の集めた日本と東アジアの古美術を自宅の一角で公開展示したもので(香雪は、龍平の雅号)、御影という関西でも屈指の超高級住宅街の中でも、図抜けてだだっ広い敷地で、その広さには腰を抜かすほど驚いてしまいました。

村山邸を1周すれば軽く20~30分ぐらい掛かるのです。森林に囲まれ、どこかの植物園か動物園と言われてもおかしくない広大な敷地でした。

朝日新聞社は戦前、飛行機会社(実際は航空部。戦後、全日空に発展)まで作ったりしましたから、創業者一族には相当な収益があったということなんでしょう。桁違いの大きさに唖然としました。

帰り、御影駅近くの喫茶店「マハロ」でいちごかき氷600円で一息つきました。店名がハワイ語で、店内の掲示がフランス語、店内でかかっている曲はブラジルのボサノヴァ、そして、歯科技工士の相談会開催と、何か超変わった店でした(笑)。でも、気配りの行き届いた感じのいい店でした。

◇◇◇

京都に戻り、夕方「京極湯」で一風呂浴びたあと、この銭湯近くのお好み焼き屋「にしで」で、ミックス焼そば、お好み焼きなどを食しました。この店は、以前よく入った店で、今回は5年ぶりぐらいに入りましたが、女将さんが、小生の顔を覚えてくれていて吃驚。美人の女将さんもさすがに少し老けました。お互い様ですか(笑)。

そう言えば、銭湯では、番台の女将さんから、京洛先生より小生の方がかなり年上に見えたらしく、個人的に相当なショックを受けました。茲ではっきり申し上げておきますが、小生は京洛先生より一回り近く若いのですぞよ。

◇8月27日(月)

京都堀河三条「力」の元女将さんのところに久しぶりに立ち寄り、グーグル・スピーカーの威力を見せてもらいました。

「オッケー、グーグル、今、気温は何度なの?」と彼女が言うと、「32度です」と答えるし、「オッケー、グーグル、音楽かけて」と命令すると、しっかり、登録していた(?)好きな音楽をかけてくれるんですからね。何か、怖くなるくらい便利でした。

さて、この日は、ついに小生の希望が通り(笑)、念願の京都・伏見稲荷大社に行きました。全国3万社もある稲荷神社の総本社です。和銅四年(711年)御鎮座で、渡来人の秦氏が創建したという説が有力です。ちなみに、全国の神社数は約8万8000社(全国のコンビニは約5万6700軒)、このうち八幡宮は4万4000社、天満宮は1万2000社と言われております。

奈良もそうでしたが、外国人の多さには本当に吃驚しました。すれ違う人は殆ど外国人。比率は東京より多いんじゃないでしょうか。

「千本鳥居」など、何百メートルも続く鳥居の列が「インスタ映え」するということで、世界的に外国人観光客の間で伏見稲荷大社は、大人気スポットなんだそうです。

我々は「奥の院」の辺りまでしか行きませんでしたが、この奥に行くと勾配もきつく、実際、迷い人が出るほど迷宮化しているそうです。

小生、先週「名誉の負傷」をして、全治2週間ぐらいではないか、と思われるくらい膝が痛んで歩きにくいので、当然、ギブアップしました。(歩けますが、まだ走れません)

奥の院の茶店でビールを飲んでいた75歳ぐらいの日本人男性が「伏見稲荷大社は、拝観料も駐車場もただで、24時間オープン。だから、大型バスでぎょうさん乗り付けて、外人が9割ぐらいになったんや」と、こちらから聞くわけではないのに、答えてくれました。

確かに、浴衣や着物を着ている人のほとんどが、日本人ではなくて、外国人でしたからね。売り子も怪しい日本語でした。

この後、京阪電車「中書島駅」に向かい、その近くの寺田屋を見に行きました。私の希望でした。建物は意外にも小さいので少々驚き。当時は水運が盛んですから、この辺りは大坂から淀川を通って京都に入る中継地で、花街地として栄えたらしいですね。

中に入ろうと思ったら、「月曜休館」で閉まってました。仕方ないので「沿革」を引用しておきます。

寺田屋は伏見の船宿。文久2(1862)年4月23日、薩摩藩急進派有馬新七(1825~62)以下35名が関白九条尚忠(1798~1871)と京都所司代の殺害を計画して集結した。薩摩藩は藩士を鎮圧に向かわせたが両者乱闘となり、有馬以下9名が死亡した(寺田屋騒動)。慶応2(1866)年正月21日坂本龍馬(1835~67)も伏見奉行所の捕方に襲われたが、難を逃れた。寺田屋は鳥羽伏見の戦(1868年)に罹災し、焼失した。現在の建物はその後再建されたものである。

ここから市バスで30分、京都駅南口辺りで降りて、京洛先生お勧めのうどん屋「殿田」で遅いランチ。たぬきうどん600円、稲荷寿司三個300円という安さでした。

たぬきうどんは、関東なら天かすなのですが、こちらは、油揚げなので、関東なら、きつねうどんです。刻んだ長ネギにショウガがたっぷり。あんかけ汁で、結構上品な味でした。店の人の感じもよく、京都に行ったらもう一度食べたい味でした。

「世界金融戦争」=実体を伝えていない日本のメディア

国際金融の世界がどうしても知りたくて読み始めた「世界金融戦争ー謀略うずまくウォール街」(NHK出版・2002年11月30日初版)の著者広瀬隆氏は「終章 アメリカ帝国崩壊の予兆」の最後の方で以下のように書いております。

《日本のメディアで濫用される”過激派”、”原理主義”、”テロリスト”という否定的な形容詞を”レジスタンス”、”パルチザン”、”百姓一揆”に置き換えれば、初めて世界で何が起きているかを知ることができる。(…)本書に記したことは、全て公開されているニュースと資料からの分析で、誰にでも可能な調査であるはずだ。日本におけるこれまでの報道に接して痛感するのは、私が狭い書斎で座布団一枚の上に座って分かるアメリカの大きな犯罪と過ちが、なぜ日本で明晰な頭脳を持つメディアの外信部記者に分からないのか、それが不思議でならないということである。》

メディアの外信部記者がそれほどまでに日本で明晰な頭脳をお持ちなのかどうか、議論の分かれるところかもしれませんが、それはさておき、確かに彼らが報道する欧米メディアの翻訳と映像の垂れ流しによって、日本の一般市民までもが「洗脳」されていることは確かです。

例えば、チェチェン人。彼らは2002年10月23日にモスクワの劇場を占拠し、ロシア人の観客800人以上を人質に取る事件を起こしました。これによって、チェチェン人とは人相も悪く、いかにも野蛮で獰猛なテロリストのイメージが焼き付けられました。

しかし、その前にロシア軍が1994年以降、チェチェン共和国に侵攻し、全人口110万人の1割近い10万人ものチェチェ人を虐殺していたのです。その理由は、カスピ海油田の石油を、アゼルバイジャンのバクーから黒海沿岸のロシアのノヴォロシスクにまで運ぶパイプルートの途中で、どうしてもチェチェン共和国を通過しなくてはならなかったからです。

広瀬氏はこう書きます。

《チェチェン紛争は、イスラム対ロシアの民族問題のように説明されてきたが、イスラム蜂起は結果に過ぎず、全くの嘘である。真の原因はこの油田採掘で莫大な利益を得るロシア富豪たちがエリツィン大統領の後ろで糸を引き、「アゼルバイジャン国際操業」の結成が引き金を引いた石油戦争だったのである。(…)大半のメディアは、チェチェンの住民がいかにロシア軍に殺されたか、その残虐さを伝えずに、いきなりチェチェンの抵抗運動を「テロリスト」と呼ぶことから物語をはじめる。ジャーナリズムの非道というほかない。》(一部校正)

「ジャーナリズムの非道」とは、凄い批判ながら、まさに、的確で、「何が報道されたのか」よりも、「何が報道されなかったのか」を問うことが重要なことが分かります。

この本を読むと、カスピ海油田は、ロシアだけの問題ではないことも分かります。前述のアゼルバイジャン国際操業社の出資者の顔ぶれには、英国のBPをはじめ、米国のベンゾイル(父ブッシュ元米大統領と濃厚な関係がある石油会社)、日本の伊藤忠まで著名企業が並んでいるのです。

これら石油企業の重役は米ホワイトハウス(大統領、閣僚)に潜り込み、ウォール街やロンドン・シティーの国際金融と手を結んで世界を支配している構図を複雑な人間関係や相関図を追って、この本で明らかにしています。

《グローバリズムとは、石油・ガスやクロムをはじめとする稀少金属などの地下資源を「先進国が安価に手に入れる」ための19世紀暗黒時代の貿易システムにほかならない。農地だった土地が工業化されると、大半の農民が土地を奪われて都会でスラム生活を送らなければならなくなり、彼らに代わって、世界的な穀物商社カーギルやモンサントのような大量生産方式の遺伝子組み換え農業、コカ・コーラ、マクドナルド、ケンタッキーに代表されるアメリカン・フードが入り込み、食糧の生産・貿易・流通システムを物量的に支配するようになる》

えっ!?グローバリズムは、夢と希望にあふれた、自由公平な貿易システムじゃなかったんですか?

《これが目に見える問題だが、グローバリズムの本当の恐ろしさは、別のところにある。文化面では、地域固有の文化が根絶やしされてきた。それぞれの生活習慣を楽しんできた人間にとって全く迷惑なことだ。アメリカとイギリスの通貨と文明に頼って生きるなど不愉快極まりない》

確かに、小生も、アングロサクソンの奏でる音楽に絶大な影響を受けて、常磐津、清元、長唄をそこまで熱心に聴いてこなかったなあ。。。

それに、銀行から盛んに宣伝してくる「ドル建て預金」などは、もってのほかですか。。。

《彼ら(国際金融マフィア)が政界と産業界の実権を握るため、彼らの発言だけがメディアに横行し、彼らだけが経済を論じ、あたかもほかに人間がいないかのようなジャーナリズム論を生み出す。(…)これが経済ファシズムでなくて何であろう。》

日本国憲法第13条では「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」とうたわれております。

これは、経済とは、特権階級や経済団体や国際金融マフィアのものでははく、全ての日本国民が経済を論じることができる、と解釈できないことはありませんよね。

この本は、情報が多少詰め込まれ過ぎていて、決して読みやすくありませんが、特に、政治家と国際金融業界と石油や天然ガスなどの資源企業との強靭な結びつきがよく分かります。個別の具体的な事案や人物については、またこのブログで折を見て触れたいと思っております。

テレビはパラボラアンテナでは見ない、Wi-Fiで見る

昨晩20日は、月曜日だというのに、東京・虎ノ門の居酒屋「小虎」で懇親会でした。

もう1カ月も前から大野幹事長から「参加されたし」との通達がありました。実は、その通達があった3日前の夕方5時半に「今から来てください」との連絡があり、いくらなんでも、当日の土壇場の今からではこちらも予定があり、お断りしたのでした。

これに懲りた大野幹事長は、意趣返しか、何と今度は1カ月も前に通達してきたわけです(笑)。

久しぶりと、初めて会った面々は9人。「安否確認」ではなく、「生存確認」ということで、「渓流斎もやはりまだ生きていたのか」と余計なことを言う人もおりました。

例によって、懇親会での内容を書くと大野幹事長が「名誉毀損で訴えますよ」と高らかに宣言されておりましたから、残念ながら少しだけしか書けません(笑)。

◇◇◇

新聞業界が低迷の一途を辿っている最中に、感心にも、大野幹事長は、探訪記者らしく、自宅で9紙も購読しているというのです。天晴れ。記者の鑑ですね。しかも、毎朝4時半に起床して数時間かけて読破しているというのです。

年間購読料は50万円だとか。噂では、誰も注目しないような新聞の片隅に小さく載っている人事や事故やプロフィール情報を切り抜いてスクラップして、まるで興信所のようにいざという時に使うらしいのです。点情報を線情報にして、相関関係図まで作ってしまうというのですから大したものです。流石、探訪記者です(笑)。

◇◇◇

久しぶりにお会いした某テレビ局重役の川内さんには面白いことを教えてもらいました。

最近の若い人の「テレビ離れ」で、有料テレビの契約者が減少傾向にあるというのです。で、若い人は何を見ているかというと、ネットのユーチューブやネットフリックスなどです。受け身で垂れ流しの番組を見るのではなく、自分で検索して好きな番組を能動的に見るというのです。

そういう傾向が強くなっているのが、40代の団塊ジュニアの下の若い世代で、溝ができるくらいクッキリと差があるというのです。団塊ジュニアがもう旧世代になるとは!

賃貸マンションもかつては、BSやCSのパラボラアンテナが設備されたものが好まれたのが、今では、Wi-Fiが繋がっているマンションでなければ見向きもされないといいますから、時代は変わったものです。

…などと書くと、協会幹部や大野幹事長からは「だから渓流斎は上から目線で、偉そう」「誰もが知ってることを自慢げに書く」と叩かれるのです。

ま、普段は読者の皆さまの本音は、直接聞けませんから、昨晩は貴重なご意見として拝聴奉っておきました。