戦争の抑止力にならなかった新聞社出身の国会議員=佐藤卓己、河崎吉紀編著「近代日本のメディア議員」

 大阪にお住まいの滝本先生のお薦めで、佐藤卓己、河崎吉紀編著「近代日本のメディア議員」(創元社、2018年11月10日初版、4950円)を読んでいます。1960年から86年にかけて生まれた「比較的」若い中堅の学者10人が共著でまとめた学術研究書です。かつてはかなり多くのマスコミ出身の国会議員や首相にまで上り詰めた人がいたことが分かります。

 滝本先生が何故、この本を薦めてくださったかというと、先日、大阪市内で、この本の編著者である佐藤卓己・京大教授の講演会を聴いたからでした。会場には、現役時代にブイブイ言わせていた朝日新聞や毎日新聞など大手新聞社のOBの方々も見えていたそうです。

 新聞メディアの歴史を大雑把に、やや乱暴に要約しますと、明治の勃興期は、薩長を中心にした藩閥政府に対する批判と独自の政論を展開する大新聞が主流でした。柳河春三の「中外新聞」、福地源一郎の「江湖新聞」、栗本鋤雲の「郵便報知新聞」、成島柳北の「朝野新聞」などです。彼らは全員、幕臣でした。その後、政府による新聞紙条例や讒謗律などで反政府系の大新聞は廃刊に追い込まれ、代わって台頭したのが、大阪朝日新聞や、大阪毎日新聞、読売新聞などの小新聞と呼ばれる大衆紙でした。政論主流が薄れたとはいえ、新聞社出身の国会議員を多く輩出します。まるで新聞記者が国会議員の登竜門の様相ですが、政治家志望の政治記者が多かったという証左にもなります。

でも、「白虹事件」で大阪朝日新聞を退社したジャーナリストの長谷川如是閑は「大正八年版新聞総覧」で、以下のような面白いことを書いています。

 …新聞記者は、主観的生活に於いては、同時に政治家であり、思索家であり、改革家であり、学者であり、文士であり得るが、客観的生活に於いては、ただのプロレタリアに毛が生えたものであり得るのみである。…

 大手新聞出身のOBの皆さんは、新聞社出身の議員の活躍を聴きたいがために、佐藤卓己教授の講演会に参加したようでしたが、見事に裏切られることになります。

佐藤教授によると、満洲事変から2・26事件などを経て、日本が軍国主義化していく昭和12年(1937年)、マスコミ出身の国会議員が占める割合は、実に34%の高率だったそうですが、その直後に支那事変(日中戦争)が起こり、皮肉にも、マスコミ出身議員は、何ら戦争の抑止にもならなかった、というのです。


 この本の巻末には、「メディア関連議員一覧」が資料として掲載されているので、これだけ読んでも、興味がそそられます。

 例えば、現首相の父君に当たる安倍晋太郎は、毎日新聞政治部記者だったことはよく知られていますが、二番目に登録されています。全部で984人も掲載されているので、キリがないので、首相まで経験した有名人を取り上げると、まずは5.15事件で暗殺された犬養毅が挙げられます。岡山出身の犬養は、慶應義塾の学生の時、郵便報知新聞の主筆藤田茂吉の食客となり、明治10年の西南戦争の際には、「戦地探偵人」となり、「戦地直報」を報知新聞に連載するなどして記者生活をスタートしています。

 平民宰相として有名な盛岡藩出身の原敬は明治12年、フランス語翻訳係として栗本鋤雲の推薦で郵便報知新聞社に入社しています。「憲政の神様」尾崎行雄も、慶應義塾で学び、新潟新聞や郵便報知新聞などで記者としての経歴があります。

 明治14年の政変で大隈重信とともに下野して、立憲改進党を結成した矢野文雄は、郵便報知新聞の社長や大阪毎日新聞の副社長などを務めています。この本では、佐藤教授は、矢野文雄としか書いていませんでしたが、政治小説「経国美談」の作者矢野龍渓(雅号)のことでした。日清戦争の前後に、清国特命全権公使を務めています。

 佐藤教授は、このほかメディア関連の首相として、郵便報知新聞を買収して実質上の社主だった大隈重信、東洋自由新聞の社主だった西園寺公望、東京日日新聞で外国新聞を翻訳して収入を得ていた高橋是清、東京日日新聞の第4代社長を務めた加藤高明、戦後では、産経新聞記者だった森喜朗や朝日新聞記者を務めた細川護熙らを挙げていました。

 また、最近のメディア関連の国会議員の中の自民党系として、大島理森(毎日新聞広告局)、額賀福志郎(産経記者)、松島みどり(朝日記者)、茂木敏充(読売政治部)、竹下亘(NHK記者)、鈴木貴子(NHK)、小渕優子(TBS)らを挙げていて、私も知らなかったことも多々あり、これまた興味深かったでした。

 この本は、まだ読み始めたばかりなので、また取り上げるかもしれません。

(同書に合わせて敬称を略しました)

人間嫌いで友達もいないのに人間に興味がある=樹木希林著「一切なりゆき」

Copyright par Duc de Matsuoqua

 2020年、令和2年、新年明けましておめでとう御座います。

 えっ!? お正月だというのに、ブログなんかをチェックしているんですか?まあまあ、お正月ぐらいゆっくり休んで、気楽にお過ごしくださいな。

 私も皆さまと同じように、年末年始はゆっくり過ごさせて頂きました。大晦日は、何年振りかに「紅白」を30分ぐらいチラッとみて、除夜の鐘も聞かずに寝てしまいました。(最近流行の音楽は、もう、とても付いていけなかったのですが、乃木坂とか日向坂とか、欅坂とか、やけに坂が付いたアイドル名が多いんですね。あと、46とか48ってどういう意味何でしょうか?)

 正月は実家に行って、お節料理と、ノーベル賞授賞式後の晩餐会で出されたという灘の生一本「福寿」を堪能しました。

 そんな年末年始の日本人の油断と隙をついて、あのカルロス・ゴーン被告が、まさかの国外逃亡するとは!今年も波乱の幕開けとなりました。

 個人的ながら、私自身の運勢は「ディケイド decade」と呼ばれる「人生で10年に1度、変革が起きる」という運命に左右されており、今年がその年に当たります。社会人になって、1980年、1990年、2000年、2010年と、過酷な運命に晒されて来たわけです。

 ま、これ以上、悲惨な人生になることはないので、2020年は、良い意味での変革が起きると思っております。

 さて、年末年始は、軽い、といったら失礼ですが、お酒に酔っても頭に入るような本を読んでいました。昨年2019年に最も売れた大ベストセラーでもある樹木希林著「一切なりゆき」(文春新書)です。著書というより、そしてエッセイというより、本人が、色んな雑誌などのメディアの取材で応えたことをまとめた「安易」な作りで、「現代日本人のベストセラー」の読者と編集者のレベルが如実に反映されていました。

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 樹木希林さんは、かなり自然に振る舞うように見せかけた演技でしたが、日本の芸能史には欠かせない、比類のない個性派女優でした。ロックンローラー内田裕也氏との40年以上にわたる「別居結婚」や、映画やテレビやCMに至るまで幅広く活躍し、2018年9月に行年75歳で逝去されたことはほとんどの日本人なら御存知のことでしょう。この本で面白かった箇所を引用しますとー。

・モノを持たない、買わないという生活は、いいですよ。私の下着は、友達の亡くなった旦那さんのお古で、みんな前が開いているの。

・年を取るって好きなの。若くなりたいなんて思わない。

・私は人のこと嫌いなんです、煩わしいから。だから友達もいない。…だけど裏腹に、人間そのものにはすごく興味があるんです。

・失敗することも沢山あるけど、歳のせいかすぐ忘れちゃう。特に嫌なことは(笑)。だから、「あの時、こうしておけばよかった」と後悔することは一切ありません。いつまでも後ろを振り返るより、前に向かって歩いた方がいいんじゃないですか。

・どうやったら他人の価値観に振り回されないか?「自立すること」じゃないでしょうか。自分はどうしたいか、何をするべきか、とにかく自分の頭で考えて自分で動く。時に人に頼るのもいいかもしれないけど、誰にも助けを求められないときにどうするかくらいは考えておかないと。

 女優樹木希林は、やはり、普通の知識人以上に物事をよく考え、見極める人だったんですね。

・性格の良い男はいると思うんですけど、性格の良い女はいないですね。年齢に関係なく、女の持っているものの中でまず裏側の怖さの方が先に分かっちゃう。女の持っている「たち」というのは、凄まじいものだなと思います。

…嗚呼、もっと若い時に、知っていたならば…

仏教思想と古代史と現代人=2019年の個人的回顧

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今日は大晦日。午前中は、狭い陋屋を一人前に大掃除して、窓も綺麗に拭いて、良い新年を迎えられそうです。

 皆様にはこの一年、御愛読賜り、誠に感謝申し上げます。中には「つまらない」だの、「読む価値なし」だのと仰る方もおりましたが、それは、読んでいる証拠でもあり、叱咤激励のお言葉と勝手に受け取って、来年も続けて参りたい所存で御座います。

 このブログは、気の進まないまま、フェイスブックとツイッターに同期しておりますが、フェイスブックでは毎回アップする度に、まだお会いもしたことがない西日本にお住まいのYさんがお忙しい中、無理を押して「いいね!」ボタンを押してくださるので、励みになっております。イニシャルだけでお名前は書けませんが、御礼申し上げます。

 さて、この後に書くことは、本当にどうでも良い個人的な話です。一年を振り返って、個人的に一応区切りを付けたいだけですので、もうお読み続けることはありませんよ(笑)。

高野山 壇上伽藍

 我が人生、いつの間にか、老境の域に達してしまい、個人的な趣味が、全国の寺社仏閣とお城巡りになりましたが、昨年は、その長年の念願を実現することができました。7月に和歌山県の高野山、12月には出雲大社と、日本を代表する国宝姫路城に行くことができたのです。その内容については、既に事細かく書きましたので、このブログ内で検索して頂ければ出てきます(笑)。

 高野山から帰った後、真言宗について勉強を始めました。アカデミックではなく、職業柄、残念ながらジャーナリスティックな面での勉強、というか情報収集です。具体的には、真言宗内の宗派の力関係とか、全国に展開される真言宗寺院の展開、そして宗祖空海の人となりについてです。これも、ブログにかなり詳しく書きましたので、また、検索でもしてご参照ください(笑)。

 その後、ひょんなことで、このブログを通して、作家村上春樹氏の従兄弟に当たる西山浄土宗安養寺の村上純一住職と知り合い、8月の最も暑い盛りに京都・安養寺を訪れて村上御住職と面談しました。その際、また、色んなお話を聴くことができ、また、何度かメールをやり取りするうちに、法然上人や浄土宗にも興味を持つようになりました。

 またまた、ジャーナリスティックなアプローチで、浄土宗の宗派や全国の寺院について勉強していたら、たまたま、柳宗悦著「南無阿弥陀仏」(岩波文庫)と出合い、日本の浄土教思想に目覚めてしまいました。この後、読んだ沖浦和光著「天皇の国・賤民の国 両極のタブー」(河出文庫)により、仏教とカースト制度に影響を受けた差別問題が日本の歴史の底流に流れていることを初めて知り、実に、実に衝撃的でした。

出雲大社

 出雲大社に行ったのは、古代史に大変興味があったためで、実際に参拝し、その規模と大きさを知ることができたのが収穫でした。やはり、大和朝廷との関係が気になるところで、大陸や半島との交流で一足先に文明が進んでいた出雲が、最終的には大和に「国譲り」したことになるのでしょうが、何とも言えない、霊的な「気」も感じることができました。

  既にこのブログで登場させて頂いた武光誠著「一冊でつかむ古代日本」(平凡社新書) によると、 これまで「大王」と呼ばれた王族の長を初めて「天皇」と名乗ったのは壬申の乱を経て統一した天武天皇(631?~686年)でした。「古事記」「日本書紀」に則った紀元2680年にならんとする皇室からみると、「天皇」の名称が登場したのは1300年ほど前ということになるので、意外と最近だったことが分かります。

 また、古代の朝廷は、十数人からなる公卿と呼ばれる太政官(左大臣、右大臣、大納言、中納言、参議)による合議制で政策が決まり、天皇はそれを追認する形だったという史実を知り、「いかにも日本的だなあ」と改めて思いました。中国やドイツでは考えられないことです。

 先の大戦で、戦艦「大和」が米軍の爆撃によって沈没したことは、まるで古代から続いてきた大和朝廷が滅ぼされたような象徴的な意味合いがあり、それに代わる(米国直輸入の)「戦後民主主義」と呼ばれる時代も、70年も過ぎれば綻びが目立つようになり、ついには、公文書を改竄したり、破棄したり、処分したりしても平気な政権が長期にわたるというのに、その弊害さえ、その政治システムにより除去できない日本の現代人は、歴史的に見ても、古代の朝廷を批判できないんじゃないかと思っています。

 このブログも、どういうわけか、最近、驚くほどアクセスが増えてきており、感謝申し上げる次第で御座います。取材費も原稿料も出ないのですが(笑)、色んな世界(精神世界も含む)を駆け巡って、これからも頑張って執筆していこうかなと存じます。

 来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 令和元年12月31日

 渓流斎 敬白

京都・北野天満宮「終い天神」で猿まわし

Copyright par Kyoraque-sensei

おはようございます。京洛先生です。

クリスマスも終わり、「もういくつ寝ると♪お正月♪♪」ですね。帝都での忘年会は大盛会で何よりでした(笑)。

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洛中では、12月25日(水)は、北野天満宮の今年最後の「天神市」でした。毎月、菅原道真の命日の25日に開かれている「天神市」ですが、一年の最後なので「終(しまい)天神」と呼ばれています。

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以前、渓流斎さんも、大枚をはたいて、中古の「英国製高級ジャケット」を買い求められましたが、「終い天神」は、年の瀬ということもあり、正月の飾りつけ、料理の材料用品などが売られていて、季節感を味わえますね。

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朝から晴天に恵まれ、10万人を超える参拝客や買い物客で、北野天満宮周辺は終日、大にぎわいでした。

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境内周辺には約1000軒の露店が並びましたが、本殿近くでは、「猿まわし」も来ていて、昔の風情も残っています。好いですね。

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お猿の飛んだり、跳ねたりの熱演後、見てのお代の「ザル」が回されましたが、気風の好い人も多く、ザルの中には、小銭だけでなく、お札もかなり投げ込まれていて、お猿さんも満足したと思いますよ(笑)。

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神社の境内と、見世物、興行は一体ですが、貴人も、お正月は近所の氏神様だけでなく、初詣で賑わう都心の大きな神社に出向いて、こうした「猿まわし」などのパフォーマンスが今も続けられているかどうか、実地検証されては如何でしょうか。

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部屋に閉じこもって、本ばかり読んでいる場合じゃないですよ(笑)

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以上

「昼の憩い」京都農林水産通信員、いや、京都ふるさと通信員の京洛先生でした。

人口減で年金が出ない?

 今年2019年に国内で誕生した日本人の子どもの数は、1899年の統計開始以来初めて90万人を割り込むそうですね。厚生労働省の推計では86万4000人だとか。アジャパーです(死語)。

  とにかく、かなりの人口減で、厚労省の国立社会保障・人口問題研究所の試算では、2019年の1億2615万人が2050年には1億人を切り、2100年には今の半分以下の5000万人を割り込むと予想しています。

 日本の財界を牽引するメディアである日本経済新聞は「少子化は社会保障の支え手の減少に直結するほか、潜在成長率の低迷を招く恐れがある。人口減が予想より早く進む事態への備えが求められる」などと書いておりますが、何処か他人事のように聞こえます。

  ソ連崩壊を予言した歴史人口学者のエマニュエル・トッド博士に、これからの日本はどうなってしまうのか、聞いてみたいものです。 でも、明るい未来像を描いていないでしょうね。そもそも、少子化の要因の一つが、規制改革とやらで団塊ジュニア世代を中心に非正規雇用者を大量に生み、結婚したくても、できない若者が増えたことにあります。政治権力者による政策の失敗という人災みたいなところがありますから。

 出生率の低下は日本だけではなく、お隣の韓国でも深刻です。2018年の日本の出生率は1.42でしたが、韓国では1を切って0.98だったといいます。人口減に苦しむ極東の先進国は、開発途上国からの移民を受け入れざるを得なくなり、国家や国の在り方が激変するかもしれません。そうでなくても、日本は学校や職場でも陰湿ないじめや村八分が多いですから、異国人とはマナーや宗教や文化などの相違で摩擦と軋轢が生まれることでしょう。

◇日本人は本を読まなくなった

 さて、国立青少年教育振興機構がこのほど、全国の20~60歳代の男女5000人を対象に、読書習慣に関して調査した結果、1カ月に本を全く読まないと答えた人は、全世代で49・8%に上ったといいます。2013年の調査では28・1%でしたから、大幅に増えたことになります。特に20歳代に絞ると52・3%ですから、この世代の半分以上は本を読んでいないことになります。

 確かに電車内で本を読んでいる人は、年配者しかおらず、若い人のほとんど全てがスマホと格闘しています。ニュースやSNSをやっている人もいますが、まあ、大体、文字通り、スマホ・ゲームで格闘していますね。

 外国から来る人たちは、生活と生命が掛かっていますから、一部ですが、電車内でも一生懸命に勉強しています。

鳥取砂丘

◇Tomorrow never knows

  今、ユヴァル・ノア・ハラリ著「21世紀の人類のための21の思考」(河出書房新社 )を読んでいますが、「雇用」「宗教」「移民」「戦争」「神」など21の項目を哲学的に論考しています。「人工知能(AI)の発達のおかげで、無用者階級が生まれるだろう」などと予測していますが、「未来のことは、どうなるのか誰にも分からない」と正直に語っています。そこがこの本の良いところです。

 あと80年もすれば、日本の人口が半分になってしまうなんて、想像もつきませんが、悲観的、絶望的にならざるを得ないなあ、と思いつつ、途中で筆を置いて(正確にはパソコンを切って)、ランチに行きました。そしたら、某レストランで40歳代後半と思しき男性サラリーマン4人が、何と、人口減の話題で盛り上がっていました。そのうちの一人が「人口は51万人ぐらい自然減となり、鳥取県と同じ人口が消えたんだって。でも、鳥取は県だけど、八王子市と同じくらいの人口だけどな」と、さも自分が調べたかのように、新聞で読んだことを話してました。

 そしたら、もう一人が「俺たちの年金、どうなっちまうのかなあ。支えてくれる世代がいなくなれば、出なくなっちまうんじゃないか」と反応し、その一言で、一座はシーンとなってしまいました。

年に一度の忘年会=新橋が再開発ラッシュ

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 昨晩は、年に一度の忘年会でした。場所は、東京・内幸町の居酒屋「はらぺこ」で、本当に久しぶりでした。3年ぶりぐらいなのに、女将さんが小生のことを覚えていて、「あらまあ、本当に久しぶり。でも全然変わりませんね」とお世辞を言ってくれました。

 店の辺りが工事中で、昔はよく行っていたのに、ちょっと迷ってしまいました。女将さんに取材した者によると、新橋の田村町は目下、再開発中で、JRAの馬券売り場などがあった所には巨大なビルが2021年にオープンするそうです。はらぺこビルにも再開発の声がかかったそうですが、途中で立ち消えになったようです。また、来年の東京五輪後にはNTTビル、帝国ホテル、東京電力、みずほ銀行の広大な土地が三井不動産によって再開発され、新橋駅前のニュー新橋ビルも建て替えられるといいます。 新橋も大きく変わっていくんですね。

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  今、ユヴァル・ノア・ハラリ著「21世紀の人類のための21の思考」(河出書房新社)を読んでいますが、その中で、「人間は社会的な動物であり、そのため、人間の幸福は他者との関係に大きく依存している」と書かれていました。一人で本ばかり読んでいないで、たまには友人たちとの懇親も大切ですね。

 でも、そのはずだったのが、顔を合わせると、貶し言葉ばかり飛んできます。忘年会に参加したのは、審美眼に厳しいマスコミ業界の方々ばかりでしたが、密かにこのブログを盗み見している人もおり、やれ、「長過ぎる」だの、やれ、「つまらない。読むに値しない」だのと非難轟々です。それでいて、「ブログのうるさい広告で1000円儲かったらしいじゃないですか。ここの飲み代を全部払ってくださいよ」と恐喝する人までおりました。なあんだ、ちゃんと読んでいるじゃないか!

 話題は、最新のメディア業界の話でしたが、「ブログに書いたら、いてこましたるでえ」と恫喝する者もおり、茲では書けません。残念でしたが、大した話は全くありませんでした(笑)。

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「一笑一若 一怒一老」=笑う門には福来る

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週末に何気なくテレビを見ていたら、声優の羽佐間道夫さんという人が登場し、随分含蓄のあるタメになる人生訓のような話をされていたので、つい見入ってしまいました。

 大変失礼ながら、よく存じ上げなかったのですが、この方は、テレビ草創期から洋画の吹込みなどで活躍してきた大御所というか、重鎮でした。 羽佐間という名字はどこかで聞いたことがあると思ったら、実兄は元NHKアナウンサーの羽佐間正雄氏で、従兄はフジサンケイグループ代表などを歴任した羽佐間重彰氏だったんですね。「赤穂浪士の間光興の直系子孫で、オペラ歌手の三浦環の親戚」という情報もありました。

 それはともかく、声優としては、「ロッキー」のシルベスター・スタローンを始め、ポール・ニューマン、ハリソン・フォードらの吹き替えなど数多ありました。意識していませんでしたが、結構耳に入っていたわけです。

 今はアニメブームとやらで、声優になりたい若い志願者がたくさんいるようで、羽佐間氏も後進の指導に怠りありません。オーディションのような風景も写っていました。確かに若い女性の「演技」はテクニックがあり、上手いといえば上手い。しかし、どこか、コンピュータのような金属的な音の感じがします。その場で、羽佐間氏が比喩的に批判した言葉が妙に的を射ていました。「君はネズミの役はできるかもしれないけど、それじゃあ、ゾウの役はできないね」

 うまいことを言うなあと思いました。羽佐間氏によると、今の若い人たちは、上手だけど、みんな、御姫様か王子様の役ぐらいしかできないといいます。つまり、幅がないというか、かつての声優はもっと役域が広く、魅力的だったと言いたかったようです。その理由として、現在は、情報は目(視覚)から入ることがほとんどで、若い人はあまりラジオも聴かない。そうなると、声だけを聴いて想像する力が衰え、聴衆者のレベル(聴力)も下がる。同様に製作スタッフの聴力も下がるので、声優の力も衰えるというのです。

 これは名言ですね。動物はもともと、姿は見えなくとも、音によって遠くから忍び寄ってくる危険を察知していたものです。また、あらゆる芸術作品にはやはり、審美眼がしっかりした批評家や大衆がいなければ、作品そのものの質は向上しないわけです。これは何も芸術作品に限った話ではなく、政治の世界も同じでしょう。今の体たらくな政治家を選んでいるのは有権者なのですから、有権者のレベルが政治家に反映しているわけです。

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 羽佐間氏のそのバイタリティ溢れる話しぶりと容貌から、70歳ぐらいかなと思ったら、昭和8年生まれの86歳だと聞いて吃驚してしまいました。インタビューワーが、若さの秘訣を尋ねると、 東京ミッドタウン日比谷の「ザ・スター・ギャラリー」にある俳優の宝田明さんのプレートの話をしてくれました。そこには、スターの手形とサインと一緒に 一言添え書きがしてあるらしいのですが、宝田さんは「一笑一若 一怒一老」と書いているそうです。つまり、一つ笑えば若返り、一つ怒れば、年を取るといった意味でしょう。宝田さんは昭和9年生まれの85歳。旧満洲で、侵攻したソ連兵に撃たれ、一命を取りとめて苦労した宝田さんだけに、この言葉に込める意味の重さを感じました。

 羽佐間さんは若い頃、舞台俳優を目指していましたが、とても食っていけずに声優に転向したという後悔が今でも残っているようでした。当初は、声優は、俳優のように顔を出さず、セリフを暗記しなくても済むので、ギャラは俳優の7掛け(7割)と決められていたのですが、ストライキを起こして、声優も俳優並みのレベルに引き上げた苦労話もしていました。

 私は最近、街中や電車内などでも一人で怒ってばかりいたので、これでは老けますなあ(苦笑)。やはり、「笑う門には福来る」ですね。

知能と意識は全くの別物=ハラリ著「21世紀の人類のための21の思考」を読みながら

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 12月某日、木曜日。日本を代表する週刊誌「週刊文春」と「週刊新潮」の発売日。朝の通勤電車内。7人掛けの椅子に座っている7人のうち5人、その前に立っている9人全員がスマホの画面とにらめっこしていました。週刊誌を読んでいる人、ゼロ、新聞を読んでいる人、ゼロ。本を読んでいる人、1人。それは私でした。

「サピエンス全史」が世界的なベストセラーとなり、現在、世界的に最も著名になった歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ著「21世紀の人類のための21の思考」(河出書房新社、2019年11月30日初版発行)を今、読んでいます。

 まだ、半分しか読んでいませんが、私的には、ブログを書くことが「主」で、本を読むことは「従」なので、まだ途中なのにこの本のことを語ろうとしています(笑)。実は、私はハラリ氏の前作「サピエンス全史」も「ホモ・デウス」も読んでいません。が、梗概だけは何となく知っています。そして、ハラリ氏がインタビューされている番組をテレビで見たことがあり、大変頭脳明晰ながら、かなり、かなりの饒舌家で、しゃべる速度と内容が思考の回転について行っていない様子で、ところどころで矛盾するように思われる箇所もあり、「内容明晰・意味不明」に陥っている感じでした。

 この本を読んでも同じ印象を受けました。論理展開が早すぎるのです。現代の話かと思ったら、1714年のバルセロナの大虐殺が出てきたりします。本人は納得していても、読者はついていけない面がありました。それでも、不思議にも4分の1ほど読み進めていくと、彼の策略に嵌ったかのように、分かってきます。なぜなら、環境問題にせよ、雇用問題にせよ、第1次資料は、市販かネット上から拝借された新聞や雑誌の記事や、テレビからの情報が多いからです。毎日、新聞を読んでいる人なら、そして世界史の知識があれば、目新しい話はなく、ついていけないことはありません。

 それよりも、ハラリ氏を有名にした言説の一つは、前作「ホモ・デウス」で明らかにした「人工知能(AI)とバイオテクノロジーの力でごく一握りのエリート層が、大半の人類を『ユースレスクラス(無用者階級)』として支配するかもしれない 」といった推測でしょう。彼は歴史学者であり、未来の予言者ではないので、必ずしも将来、彼の推測した通りにはならない、とひねくれ者の私なんか思っているのですが、耳を傾ける価値はあると確信しています。(私なんか、若いハラリ氏の容貌と体形がどうも未来の人類か宇宙人に見えてきます)

本書ではこんなことを書いています。

 吉報が一つある。今後少なくとも数十年間は、人工知能(AI)が意識を獲得して人類を奴隷にしたり、一掃したりすることを決めるというSFのような本格的な悪夢に対処しなくて済みそうだ。私たちは次第にAIに頼り、自分のために決定を下してもらうようになるだろうが、アルゴリズムが意識的に私たちを操作し始めることはありそうにない。アルゴリズムが意識を持つことはない。

 …現実に、AIが意識を獲得すると考える理由はない。なぜなら、知能と意識は全く別物だからだ。…(ただし、)AIが独自の感情を発達させるのが絶対に不可能ではないことは言うまでもない。不可能だと言い切るほど、私たちは、意識についてよく分かっていない。(99~100ページ、一部漢字改めなど)

 これは非常に分かりやすい論法であり、大いに納得します。

 人類のほんの数%の人間だけが、富と権力を独占し、残りの多くの人間がAIによって仕事を奪われて、不要階級に没落するというおっとろしい御託宣よりも…。(つづく)

「現代用語の基礎知識」が半分になってしまった!

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 今年も「新語・流行語大賞」が発表されました。 既報の通り、今年日本で開催されたワールドカップ・ラグビーの日本代表が掲げた公式テーマ「ONE TEAM」 が大賞に選ばれたことは皆さま御案内の通りです。

 今日はその話ではなく、この大賞を選考している主催者の自由国民社の発行する「現代用語の基礎知識」のこと。本当に腰を抜かすほどビックリしましたね。今年発売の「2020年版」が、前年の半分になってしまっていたのです。

 上の写真の通りです。最初は、2020年版とは知らず、19年版の付録だと思ってしまい、正直、大笑いしてしまいました。

 比較すると、2019年版が、1224ページで、3456円だったのが、2020年版となると、その4分の1ぐらいの280ページで、価格も半分以下の1650円です。

 調べてみると、「現代用語の基礎知識」 が創刊されたのは1948年10月だとか。発行する自由国民社は 昭和3年(1928年)8月5日、初代社長長谷川國雄によって設立された「サラリーマン社」が創業母体。「時局月報」「雑誌サラリーマン」等、反権力のマスコミの一端を担った、などと会社概要に書かれています。へー、そうでしたか。

  私の記憶違いかもしれませんが、かつて、東京・銀座に本社ビルがあったと思いますが、今の本社は高田馬場のようです。

 個人的には仕事の関係で、随分昔に「現代用語の基礎知識」は毎年のように何冊か購入していました。百科事典のようにずっしりと重く、全部読みこなしていたわけでもありませんでした。最近は買うことはありませんでしたが、こんな薄っぺらになってしまったとは、隔世の感があります。

 当然のことながら、人は、用字用語はネットで検索して、それで満足してしまうので、売れなくなったことが原因なのでしょうね。その変わり目のエポックメイキングが今年だとは思いませんでした。「現代用語の基礎知識」のライバルだった「イミダス」(集英社)と「知恵蔵」(朝日新聞社)は、ともに2006年に休刊しています。これまで、よく頑張ってきたとはいえ、 やはり、寂しいですね。

 

3年4カ月の拘束から解放された戦場ジャーナリスト安田純平氏

 「ブログやめたら楽になれますよ」との天使の囁きが耳にこだましております。そうなんです。最近、どういうわけか本当に忙しい。物忘れも激しい。さっきは、ランチした和食屋さんにスマホを忘れ、慌てて取りに行きました。

 12月7日(土)は、東京・早稲田大学で開催された第30回諜報研究会(早大20世紀メディア研究所共催)の講演会を聴講してきました。内戦中のシリアで3年4カ月もの長期に渡って拘束され、昨年10月に解放された戦場ジャーナリスト安田純平氏(45)の講演を聴きたかったからでした。

 5分ほど遅刻して会場に入ってきた安田氏。筋肉質で、一瞬、武道家が入ってきたのかと思いました。それもそのはず。配られた資料の略歴を読んだら、大学時代(人橋大学と誤記)は少林寺拳法部だったことが書かれていました。

 テレビや写真などからの印象では全く分かりませんでしたが、武術に心得があったんですね。世の中にジャーナリストと称する人は何百万人もいるかもしれませんが、戦場現場にまで行く記者は限られています。よっぽどの強靭な精神力と肉体に恵まれていなければならないのですが、安田氏にそれらが備わっていたことが分かりました。

 「シリア人質事件の真相」と題した講演は1時間35分に及びましたが、メモを一切見ず、途中休憩することなく、間断なく、よどみもなく続きました。非常に記憶力が良い頭脳明晰な人でした。話は多岐に及びましたので、人質事件の経過については既にご存知だという前提で、私自身が印象に残ったことだけを書きます。

 2011年、シリアでは本格的に内戦が始まります。サダト政権は少数派ながら、軍部を掌握し、厳しい監視体制を敷きます。意外なことに、と言いますか、当然のことながら、サダト派が支配する区域の治安は良いそうです。ただし、日々監視されて自由はなく、格差も激しい。「俺たちは家畜じゃない」という鬱積が溜まって始まった反政府デモは、各地で拡大し、内戦での死者は40万人にも達したといいいます。そのうち、イスラム国(IS)による死者は数千人程度で、90%以上が政府軍による空爆などで犠牲になっているといいます。

 反政府側は、空爆の現場を動画に撮って、すぐユーチューブなどにアップしますが、政府側は「うそだ」「スタジオで撮っている」などと否定して、つぶしにかかります。つまり、情報戦争になっているのです。

 反政府組織は、安田氏は「何百もある」と言ってましたが、とにかく、安田氏は反政府側を取材しようとし、綿密な計画を立て、様々な交渉を重ねた末、2015年6月にシリア北部に入ります。ところが、真っ暗な山道を迷い、交渉をしていない別の組織に入ってしまいます。内戦シリアでは、「知らない奴はスパイと思え」という不文律があり、安田氏はすぐ捕まってしまいます。

 この時、もし武器を持っていたら、間違いなく殺害されていたでしょうが、戦場取材に慣れている安田氏は当然持っていない。同年10月になって、ようやくスパイ容疑が晴れて解放されようとしたところ、安田氏は2004年にイラクで拘束された事実(ただし3日間で解放)が先方に分かってしまいます。しかも、まずいことに、その前にすぐ解放された通訳が知り合いのジャーナリストに安田さんが拘束されていることを話したところ、「人質」と間違ったデマを世界中に報道されてしまうのです。

 「拘束と人質は違います。人質は質を取ることですから、こいつは身代金が取れると誤解されてしまったのです」。 後で、安田氏は何度も強調していましたが、日本政府もカタール政府もどこも身代金を払わず、無償で無条件で解放されたといいます。

そもそも、2015年にシリアで人質になって、過激派武装集団によって殺害されたフリージャーナリストの後藤健二さんと元ミリタリーショップ経営者の湯川遥菜さんの例があるように、日本政府は身代金は支払わないといいます。カナダ政府も同様だといいます。

 しかし、人質騒動となると、多くの怪しげなブローカーが暗躍し、中には身代金として家族に10億円も要求する輩もいました。悪質なデマや知ったかぶりの偽情報もたくさん飛び交います。そうなると、外務省もますます疑心暗鬼となり、どこの組織や人物が信用できるか分からなくなります。それが、安田氏側から見れば、「日本政府が交渉したとは思えない」との発言につながったと思われます。(他にも色んな証拠を挙げていました)

安田純平氏

 それにしても、3年4カ月も長期拘留中、よく冷静でいられたと思います。私なんか、3週間、いや3日で駄目になることでしょう。この間、安田氏は「彼らはイスラム国とは違うので、殺すことはしないだろうが、身代金が取れるまで粘るかもしれない。そうなると、無期懲役みたいなものだ。インプットがないと、過去のことを否定してしまう。あの時、違うことを選んでいたらとか、もう少し人間関係でうまくやっておけばとか、中途半端で満足して如何に自分の人生はロクでもなかったか、といった考えが押し寄せ、反省なら次に生かせるだろうが、ただ悔やむだけだから地獄だった。そのため、『とにかく生きて帰る』と(頭の中で)切り替えることにした」と振り返ります。

 安田氏は拘束期間中、10カ所も移転させられ、敵は「私の名前はウマル、韓国人だ」と言え、と安田氏に強制し、その模様はネットで全世界に流されます。「それを見たワイドショーのコメンテーターと称する精神科医が『精神が錯乱している』と言ったらしいが、自分は、セリフを言わされただけ。向こうは身代金を取るためにビデオを撮っただけなのに、そのままテレビで使ってすぐ信じてしまう。『(安田氏は)自殺未遂を3回もやっている』などとも流されたらしいけどデマですよ。信じてはいけない。戦争になると、宣伝工作や情報戦になるけど、こんな弱い国は無理。憲法云々の前に日本人は戦争は無理ですよ」と、諜報研究会を意識した発言もしておりました。

 安田氏の講演会の結びの言葉は「(皆さん)好きなことをやってください」でした。彼は、パスポートを申請されても却下されたという報道もあり、拘束中の食事やシャワーのことや、今後の計画など色々質問したかったのですが、講演が終わってすぐ退出してしまったので、その機会を逸しました。

 そんなこんなで、安田氏のことをブログに書くのは少々憚れましたが、私自身も、拘束と人質の違いなど色々と誤解していたこともあり、「メディアとネットがデマを拡散した」という安田氏の主張は至極もっともなので、彼を援護する意味で、このような「印象記」を書くことにしたわけです。