日本人とフランス人との国民性の違いを感じます=年金改革反対、仏全土で大規模デモ

 いつも饒舌な友人のB君から最近連絡が来ないなあ、と思っていたら、コロナに感染して散々だったようです。今は完治して大丈夫なようですが、それにしても、解せないことは、彼はテレワークだということです。

 小生は、毎日、満員の通勤電車に揺られて出勤しているというのに、コロナにかからず頗る健康です。テレワークなんて意味ないじゃん! それとも、彼は、プライベートまで知りませんど、夜遊びでもしていたのかしら? 一日中、パソコンの前に座っているわけにはいきませんから、昼間にランチを取るために外出することもあるでしょう。それとも、日夜、徘徊していたのかなあ、と疑ってみたくなります。

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 そんな折、日本政府は、新型コロナウイルス感染症の法的分類について、今春にも現在の「2類相当」から「5類相当」へ引き下げる方針を固めていることがニュースになっています。私は毎朝、出勤前にTBSラジオの「森本毅郎 スタンバイ!」を聴いているのですが、毅郎さん(83)は「ちょっとひがんだ者の言い方をしますと、高齢者が抱えている病気がコロナによって悪化するということが今起こっていて、死者数も連日300人、400人となっているんですよ。『これは仕方がないことだ』ということに考え方が変わるということになるんです。『高齢者が亡くなるのは自然の流れ』…ひがんで言っていますが、こういうことになる」と怒り心頭の御様子でした。

 確かに、コロナによる死亡者の9割が高齢者だとニュースでやってました。そのせいか、街中を歩いていると、マスクをしないで平気な若者と中年が最近増えてきた気がします。森本毅郎さんでなくても、やはり、政府のやり方は、「高齢者は一刻も早く死んでください」と言っているように見えます。

 話は変わりますが、フランスでは今日(現地1月19日)、国の年金改革に反対する労働組合が一斉にストライキを起こし、全国で112万人も参加したそうです。交通機関の多くが運休し、学校も休校となるなど大きな影響が出たようです。やるじゃないか、フランス。

 マクロン政権はこのほど、財政再建のため、年金の受給開始年齢を現在の62歳から64歳に引き上げることを柱とする年金改革案を発表したことが、今回の大規模デモに火が付きました。でも、あれっ? です。日本では年金支給は現在、概ね65歳からで、岸田政権は、今や70歳からの延長支給を視野に入れています。それなのに、日本では暴動どころか、小規模なデモでさえ聞かれません。どうしたものか?

 ちなみに、平均寿命で日本は世界一位(男性82歳、女性88歳)ですが、フランスだって男性80歳で世界19位、女性は86歳で世界5位です(国連人口基金、2022年版)。そんなに大差はありません。

 となると、お上の言うことなら子羊のように従順に従う日本人と、あくまでも権利獲得を追求する個人主義のフランス人という国民性の違いなのかもしれません。

 それに、岸田政権は、防衛費増額(実体は、米国から大量の軍需品を購入して莫大な金額を支払い、米経済を支えること)によって、日本国民への増税を画策しています。米国、中国、ロシアに次ぐ世界第4位の軍事大国を目論んでいます。その前に、少子化対策のための子ども手当充実や、すずめの涙しかない年金の増額の方が先にやるべきではないかと私は思っています。

ゾルゲと尾崎は何故、異国ソ連のために諜報活動をしたのか?=フェシュン編「ゾルゲ・ファイル 1941-1945 赤軍情報本部機密文書」

(2023年1月12日付渓流斎ブログ「動かぬ証拠、生々しい真実」の続き)

 アンドレイ・フェシュン編、名越健郎、名越陽子訳「新資料が語るゾルゲ事件1 ゾルゲ・ファイル 1941-1945 赤軍情報本部機密文書」(みすず書房)を読了しました。内容は圧巻でしたが、最後は、あっけない尻切れトンボのような感じでゾルゲによる機密暗号文書(1941年10月4日付)は「201」で終わっています。ゾルゲ本人もまさか1941年10月18日に自分が逮捕されるとは思ってもみなかったことでしょう。

 本書は、ソ連の「赤軍参謀本部情報本部」(以前は「赤軍第4本部」と翻訳されていました)から派遣された大物スパイ、リヒアルト・ゾルゲが1930年から45年にかけて上海と東京から送電した暗号文書や手紙、それにゾルゲを監視する在京ソ連大使館軍情報部による報告文書など、機密指定を解除されて、フェシュン氏がロシアで編集出版した約650点のうち、1941~45年分の218点が訳出されています。ゾルゲによる歴史に残る二大スクープとして、「独ソ戦の開戦予告」と「御前会議での日本軍の南進決定」がありますが、それらは41年のものであり、33年から8年以上にも及ぶゾルゲの日本滞在での集大成とも言うべき極秘文書がこの本で読めるわけです。

 この本を訳出した名越健郎・拓殖大特任教授が前文「ゾルゲ事件に新事実」を書き、編著者のフェシュン・モスクワ国立大東洋学部准教授が巻末で解説「『ゾル事件』の謎に終止符」を書かれていますが、これだけ読んだだけでも、ゾルゲ事件の概要と背景がかなり詳しく分かり、私なんかまず出る幕はありません。

 そう言えば、註釈などに書かれていましたが、無線技士のマックス・クラウゼンは滞日最後の方になると、自身が副業として設立した複写機会社が軌道に乗り、また共産主義にも嫌気がさし、ゾルゲの高慢な態度にも不満を持つようになり、せっかくゾルゲが苦心して集めた情報記事を暗号化して送電しなかったり、やったとしてもほんの1部だったりしています。ゾルゲ自身は最後まで気が付かなかったらしいですが、捜査員が踏み込んだ隠れ家には原文が残されていて、クラウゼンのサボタージュが分かったというくだりは大変興味深い話でした。

 しかし、フェシュン氏の著書で、ゾルゲ事件のほぼ全容が解明されて、謎がなくなったとは言っても、そして、確かにゾルゲの機密文書という「成果」が掲載されたとは言っても、通読すると、私自身どうも理解できないことばかり浮上して困ってしまいました。そこで、自問自答形式をー。

【疑問】何故、ゾルゲ情報は、スターリンらクレムリン首脳部で信頼されなかったのか?

【推測】恐らく、ゾルゲがドイツ人(国籍)だったからだと思われる。二重スパイとして疑われるはずだ。しかも、ゾルゲは、コミンテルン(国際共産党)に所属したことがあり、コミンテルン派のトロツキーを追放(暗殺)したスターリンにとっては、本来ならゾルゲも粛清の対象だったはず。

【疑問】ドイツ人のゾルゲが、なぜ祖国ドイツではなく、ソ連のために諜報活動したのか? 

【推測】ゾルゲの父はドイツ人鉱山技師だったが、母親がロシア人だったせいかもしれない。国際共産主義のイデオロギーに心酔したため、国家は関係なかったかもしれない。それでも、独ソ戦が勃発した際、二律背反に陥らなかったのかどうか?…秘密文書だけではゾルゲの心理まで分からないが、隠れ蓑としてナチス党員になったのに、反ヒトラーだったので、快哉を叫んだかもしれない。

【疑問】近衛内閣参与だった尾崎秀実が、何故、御前会議での内容など日本の国家機密をゾルゲに漏らしたのか?

【推測】フェシュン氏の解説によると、尾崎の主要な政治目的は、戦争回避、日中戦争の局地化と解決、ソ連との講和、太平洋での戦争阻止だったという。尾崎が日本の「裏切り者」になったのは、日本が自ら宣言した使命を果たさなかったこともあろう、とフェシュン氏もいささか尾崎に同情している。と、同時に、「尾崎は奈良でゾルゲに協力を頼まれる前から、生粋のソ連諜報網のエージェントだった」とも書いている。つまり、共産主義に傾倒していた尾崎が、大阪朝日新聞の上海特派員時代から、著名な作家でコミンテルン活動家でもあったアグネス・スメドレーと関係を持ち、帰国後も北京で逢瀬を続けていた。尾崎がゾルゲと親しくなったのは上海だったが、ゾルゲと会わなくても、ソ連諜報機関員として活動していたことになる。尾崎は、ゾルゲもコミンテルンの一員だと思い込み、実は、ソ連軍参謀本部から派遣されたスパイだったことは最後まで知らなかったようだ。自分の機密情報が直接、クレムリン首脳部に届き、戦略や政策に多大な影響を与えるとまで考えていたかどうか分からないが、恐らく薄々感じていたはずだ。ただし、諜報組織ゆえ、ソ連の内務人民委員部(NKVD)と赤軍参謀本部情報本部と在京ソ連大使館軍情報部の違いまでは知らなかったことだろう。尾崎がソ連に機密を齎したことで、結果的に日本の国家が転覆(滅亡)することまで想像できなかったかもしれないが、尾崎に多大な責任があったことは確かだ。

 ◇◇◇

 さて、ロシアがウクライナへの侵略戦争を開始してもう1年が経とうとしていますが、目に見えない諜報活動は、ロシアのお家芸ですから、メディアで報道されなくてもかなり頻繁に、かつ重厚に行われていることが容易に想像されます。諜報員は東京でも暗躍しているかもしれません。

動かぬ証拠、生々しい真実=アンドレイ・フェシュン編、名越健郎、名越陽子訳「新資料が語るゾルゲ事件1 ゾルゲ・ファイル 1941-1945  赤軍情報本部機密文書」

 昨日は帰宅して、大切な手帳をなくしたことに気が付きました。鞄の中にもポケットの中にもありません。でも、すぐに、会社に置き忘れたのではないかと予測できたのでそれほど焦りませんでした。翌日の朝(ということは今日)、会社に着いて、机の引き出しを開けたら、案の定、手帳が出て来ました。一安心です。

 とはいっても、会社員になって40年以上経ちますが、大事な手帳を置き忘れたことは今回が初めてです。冥界の閻魔大王様が、ニコニコしながら、こちらに手招きしている姿が頭にちらつきます。

 さて、今、通勤電車の中で、アンドレイ・フェシュン編、名越健郎、名越陽子訳「新資料が語るゾルゲ事件1 ゾルゲ・ファイル 1941-1945  赤軍情報本部機密文書」(みすず書房、2022年10月17日初版)をやっと読み始めました。7040円という大変、大変高価な本なのですが、ゾルゲや近現代史研究者だけでなく、一般市民の方でも必読書ではないかと思いながら、熟読玩味しております。実に面白い。

 この本については、既に2022年11月8日付の渓流斎ブログ「ゾルゲは今でも生きている?=『尾崎=ゾルゲ研究会設立第一回研究会』に参加して来ました」でも取り上げておりますので、ご参照して頂ければ幸いです。

 これでも、私自身は、ゾルゲ事件に関連する書籍はかなり読み込んできた人間の一人だと思っております。10年程昔、この渓流斎ブログでもほぼ毎日のようにゾルゲ事件について取り上げて書いていた時期がありましたが、その大半の過去記事は、小生の病気による手違いで消滅してしまいました。

 そんな私がこの本を「面白い」とか「必読書」などと太鼓判を押すのは、ゾルゲ事件の核心的資料だからです。何と言っても、在東京のスパイ・ゾルゲがモスクワの赤軍参謀本部情報本部に送った暗号文の「生原稿」が読めるのです。ゾルゲ事件といえば、日本の当局が容疑者を訊問した調書が掲載された「現代史資料 ゾルゲ事件」1~4(みすず書房)が必読書の定番ではありますが、この本は、事件の核心につながる粋を集めた、いわばゾルゲ国際諜報団の「果実」みたいなものだからです。まさに「動かぬ証拠」です。よくぞこんな機密文書が残っていて、あのロシア当局がよくぞ公開したものです。恐らく、ゾルゲを神格化したいプーチン大統領の思惑によるものでしょう。

 収録された暗号文には実に生々しいことが報告されています。特に、「お金が足りず、早く送金せよ」といったゾルゲの悲痛な叫びが何度も登場します。それに対して、モスクワ当局は「予算を切り詰めろ」とか「価値のない情報に金は払うな」「出来高払いでよい」といった冷たい態度で、まるで現在の何処かの国の多国籍企業の本社と海外駐在員とのやり取りのようです。

 先ほど、「一般市民の方でも必読書」と書きましたが、ゾルゲ事件に関する書籍をほとんど読んだことがない人でも読みやすいと思うからです。何故なら、註釈がしっかりしているからです。例えば、ゾルゲが宛名先として指名し、暗号文書の中では、「赤軍参謀本部情報本部長」もしくは「G」となっている人物については、「註釈21」で「フィリップ・ゴリコフ(1900~80年) ソ連軍元帥。野戦部隊司令官などを経て、40年7月から41年10月まで、赤軍参謀本部情報本部長を務めた(軍参謀次長を兼務)。…」と詳細されているので、初心者の人でもついていけると思います。

 また、巻頭には、登場人物として、「ゾルゲ機関」「赤軍参謀本部情報本部」「クレムリン指導部」などの項目別に、顔写真と名前と生没年、肩書等が掲載されているので一目瞭然です。私も、先述した赤軍参謀本部情報本部長のゴリコフや、暗号解読者のラクチノフらの顔をこの本で初めて見ました。特にロシア人の名前は日本人には馴染みが薄く、ドストエフスキーの小説を読んでいても誰が誰だか分からなくなります。巻頭に登場人物を持って来るなんて、まるでロシア小説の日本語翻訳本みたいですね(笑)。

◇軍機保護法違反なのでは?

 でも、これは、創作ではなく、史実です。「へー、こんなことまでゾルゲはモスクワに報告していたのか!」と驚きの連続です。例えば、1941年2月1日付で送った電報(本書では「文書19」47ページ)ではこんなことまで書いています。

 …労働者1万人を擁する太田(群馬県)の中島飛行機工場は、海軍の軍用機単発戦闘機を製造している。格納式のフラップ付全金属製の戦闘機「九七式」が月間30機製造されている。速度360キロ。陸軍用の九七式軽戦闘機は月産40機。…

 ひょっええーです。ゾルゲは新聞記者(独フランクフルター・ツァイウィトゥング紙特派員。ただし正社員ではなかった)とはいえ、どうしてこんな軍事機密情報を仕入れることが出来たのでしょうか? こんな情報は、漏洩なんかすれば、間違いなく軍機保護法、国防保安法などに引っかかるはずです。情報元は書かれていませんが、この情報は恐らく、元朝日新聞記者で内閣嘱託だった尾崎秀実か、沖縄出身の米国共産党員・宮城与徳とその友人・小代好信(陸軍除隊後、軍事情報を収集)からもたらされたものと思われます。

 余談ですが、2021年5月8日付の渓流斎ブログ「中世の石垣が見どころでした=日本百名城『金山城跡』ー亡くなった親友を偲ぶ傷心旅行」で書きました通り、群馬県太田市の金山城跡を訪れた時に、中島飛行機の創業者である中島知久平の銅像があったことを思い出しました。中島飛行機は、有名な戦闘機「隼」なども製造していたということですが、ゾルゲ諜報団の情報収集力には魂げるほかありません。

 この他、オットーこと尾崎秀実は、日本軍の師団配置と師団長の名前までスクープしてゾルゲに渡していますが(文書34)、読んでいて、まさに日本の機密情報がソ連側に最初から筒抜けだったことが分かります。畏るべし。

◇みんな若い!

 そして、何と言っても、驚かされたのは、登場人物の年齢の若さです。1941年の時点で、ゾルゲは46歳、尾崎秀実40歳、宮城与徳は38歳。ソ連側も、スターリンは63歳ですが、受け手の赤軍参謀本部情報本部長のゴリコフは、元帥とはいえまだ41歳、ゴリコフの後任のパンフィーロフは40歳、暗号解読専門家のラクチノフなんか33歳です。ドイツのリッベントロップ外相は48歳、オット駐日独大使は52歳、そしてヒトラーでさえ52歳だったのです。

 こっちが年を取ったせいですが、こうした若い彼らに地球上のほとんどの国民の生命と運命が委ねられていたと思うと、本当にゾッとします。

 私は、20年ほど前からゾル事件関連の文献を読み始め、当初は、尾崎秀実は国際平和を心から願う高邁な精神の持ち主で英雄だと思っておりましたが、最近では、やはり、「売国奴」のそしりを受けても仕方がない人物だと思うようになりました。こうして、軍事機密をゾルゲに伝え、月額250円(当時の大卒の初任給は70~80円)もの謝礼を受けていたことも本書に出て来ます。「情報を金で売った」と言われても、彼は抗弁できないでしょう。しかも、尾崎は、ゾルゲがドイツ人で、ドイツ紙の記者であることは知っていても、ソ連の赤軍参謀本部のスパイとまでは知らなかったという説が濃厚ですが、尾崎は、ゾルゲがソ連にも通じているかもしれないと、薄々感じていた、と私は思っています。しかし、彼はその疑念をゾルゲに確かめなかった。ですから、尾崎にも責任があった、と思います。そう書いてしまっては、思想検察側に寝返ったことになりますが、この本の「生原稿」を読むと余計に、尾崎秀実=売国奴説に傾いてしまいました。

 まあ、こうコロコロと見解が変わってしまっては、とても学者さんにはなりませんね(苦笑)。

朗報 《渓流斎日乗》は続くよ、何処までも~♪

 前略 ご愛読者の皆様

 まずは、勝手ながら、「朗報」、グッドニューズと呼ばさせてもらいます。

 2017年9月から、このブログ《渓流斎日乗》の新サイトを創設、開発してくださった小生の高校の後輩でもあるIT会社プラニクス社の松長哲聖社長が昨年7月に50代の若さで急逝され、サイトの存続が危ぶまれておりましたが、どうにか続けていけそうな目途が立ちました。

 実は、昨年から水面下で交渉させて頂いたのですが、なかなか、御返事がもらえず、一時は、諦めかけていたのですが(つまり廃業)、ある方が、プラニクス社が運営している寺社仏閣案内のサイト「猫の足あと」の事業を引き継ぎ、その「猫の足あと」と同じサーバーを使っている小生のブログのアフィリエイトの面倒も見て頂くということで、一応、決着致しました。

 そして、また、実は、なのですが、その「猫の足あと」を引き継いで頂いた「ある方」とはまだ面識もなく、正式に契約したわけでもなく、亡くなった松長氏の奥様を通じて、単に、間接的に応じて頂いたということでした。

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 でも、私(わたくし)的には、「一歩前進」だと思っております。堅苦しい話を抜きにすれば、今後も続けていけそうだと思っております。というのも、昨年はどういうわけか、前年と比べて1.5倍~2.0倍程度アクセス数が増え、どなた様なのか見当がつきませんが、新規読者さんを獲得することが出来たということですから、これで止めてしまっては、勿体ないような気がしているわけで御座います。憚りながら…。

 アフィリエイトは個人所得として確定申告をしております。ということは、恐らく、どなたも御存知ないかもしれませんが(笑)、実は、こんなブログでさえもプロとして書いておるわけでした。勿論、1カ月当たり1万~2万アクセス程度では、収益は本当に微々たるものですから、採算は全く取れておりません。が、実質上、プロ根性で書いているということだけでも御理解賜れば嬉しい限りです。

 あれっ?また堅い話になってしまいましたね(笑)。今後も恐らく、歴史や進化論やお城や寺社仏閣やグルメなどのお話になるとは思いますが、もし、波長や趣味が合ったり、ご興味が重なったりした場合、たまにでも結構ですから、覗いて頂ければ、大変嬉しゅう御座いまする。

 恐惶謹言

 渓流斎高田信之介

「日本は消滅する?」=仏経済学者ジャック・アタリ氏ーこいつは春から縁起が悪い

 本日は1月5日ですが、今年初めてのブログ更新ですので、皆様、明けましておめでとうございます。本年も宜しく御願い申し上げます。

 5日ぶりの更新ですが、どういうわけか、その間も、かなりのアクセス数があったようで、本当に感謝申し上げます。有難う御座いました。

氷川神社

 更新しなかったのは、特段のことがなかったからでした(笑)。お正月は、私がアジト(塒)にしている関東地方は快晴に恵まれ、自宅からも雪が積もった富士山を拝むことができました。その半面、大雪に見舞われた奥羽越列藩同盟を始め、日本海側の皆様には申し訳ない気持ちでした。

 例年通り、1月1日は実家に行っておせち料理を御馳走になり、2日は自宅に子孫が参上して幣家が振舞い、3日は近くの神社へ初詣に行くというお決まりの「三が日」のパターンを遂行することが出来ました。酒量はめっきり減りましたが、今年は奮発して高価な「越乃寒梅」を呑んじゃいましたよ(笑)。何と言っても人類にとって、一番の幸せとは、家族団欒で一緒に飲食を共にすること以外、他にありませんからね。ウクライナではいまだに戦争が続き、コロナもほとんど収束していないという現実の中、本当に申し訳ないほど安逸に過ごすことができました。

 さて、今年も年賀状をたくさん頂きましたが、最全盛期と比べると4分の1近くに減少しました。少子高齢化(笑)の傾向は数年前からですが、このままいけば、あと数年で50枚を切るんじゃないかと思っています。私は、頂いた年賀状は必ず返事を出しますが、こちらが出しても向こうから返事が来なかった場合、翌年からはやめるという方針を取っているからです。それに、他界されてしまわれる方も増えてきました。

 今年の賀状のハイライトは、少しご無沙汰してしまった友人のA君が、昨年の夏に新型コロナに感染してしまい、1週間、ホテルに監禁されてしまったというお報せでした。全く知らなかったので、申し訳なく思い、メールしたら、咳とのどの痛みと発熱がかなり酷かったらしく、出所後(本人談)も、2週間以上も喉の違和感が続いたとの返信が来ました。今は回復したそうですが、彼ももう若くはないので、大事に至らずによかったと思い、安心しましたが。

中山神社

 2日に遊びに来てくれた子孫のうち、娘婿の一人は米国人なので、色んなことを尋ねることが私の愉しみになっています。私の英語は、実は杉田敏先生の「現代ビジネス英語」仕込みで、ネタ元は全て杉田先生によるものです。でも、これが本当に難しい。杉田先生はもともとジャーナリストでしたから、今でもニューヨークタイムズ、ワシントンポスト、ガーディアンなど主要紙は全て目に通して、ビニュエットに反映されていますが、あまりにも最先端の単語やイディオムを使うので、英語が母国語の娘婿さんでさえ、知らない言葉があるのです。今回も、彼に Do you get sloshed ? と使ってみました。

 そしたら、何それ? 意味分かんない、と言うのです。これも、勿論、杉田先生仕込みです(笑)。米国人のアシスタントのヘザーさんは「私の辞書では、1946年以降アメリカでも使われるようになった」と解説していたので通じると思ったのです。

 「酔っ払った?」という意味だよ、と言うと、彼は「いやあ、知らない。聞いたことない。イギリス英語じゃないですか」とスマホでチェックし始め、「やはりイギリス英語だ」と勝ち誇ったように、私に「Britishi English」の画面を見せるのです。「酔っ払った」という意味の俗語で米国で一番使われるのは、hammered らしいのですが、これはあまり辞書に載っていないので「へー」と思ってしまいました。泥酔すると、ハンマーで殴られたほど前後不覚になるということかもしれません。

 もう一つ、米国の下院議長を務めた民主党のナンシー・ペロシ(Nancy Patricia Pelosi )さんについて、「ペロシなんて誰も言いませんよ。プロシですよ。プロシと発音します」と彼から聞いたことを以前、このブログに書きましたが、今回は第2次世界大戦時の米国大統領ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt)の発音について、彼に聞いてみました。「え?まさか。ローズベルトですよ。ルーズベルトなんて言う人、誰もいませんよ。まさか」と言うのです。

 新聞社は、中国人や韓国人らについて「現地語読み」を採用するようになりましたから、欧米人や地名も現地語読みを優先するなり、改正するなりした方が良いと思います。歴史の教科書も同じようにルーズベルト大統領ではなく、ローズベルト大統領とするべきだと私は思います。

中山神社

 年末年始は結構、テレビも見ました。とは言っても、専ら、某国営放送が放送した教養番組です。「松本清張と帝銀事件」「徳川JAPANサミット」「混迷の世紀」「欲望の資本主義」「新・幕末史」などですが、これら全て取り上げてはキリがないので一つだけにします。NHKスペシャル「混迷の世紀」の中でのフランスの経済学者ジャック・アタリ氏の発言です。彼は言います。人類は4000年間、戦争をし続けてきましたが、一番の原因は飢餓によるものです。フランス革命でさえパンを求めて民衆が立ち上がりました。今戦争が続いているウクライナとロシアは、全世界の小麦の30%、肥料は40%以上輸出用に生産していました。しかし、食糧危機になると15億人が影響を受けることでしょう。

 そこで、NHKの解説委員長が尋ねます。「日本の食料自給率は38%しかありません。大丈夫ですか?」 するとアタリ氏は「日本はもっと農業を魅力的にするべきです。農家が高齢化してほぼ絶望的です。社会的にも収益的にも農業を改善するべきです。さもないと日本人は昆虫と雑草を食べるようになりますよ」と断言するのです。解説委員長は、目を丸くして再び尋ねます。「そんなこと出来ますかねえ?」 アタリ氏は苦笑をかみ殺すようにしてこう言い放ちます。「単純な話です。そうしなければ(食料危機になれば)死にますよ。日本は消滅するだけです」

 フランスは意外にも農業大国で、現在、フランスの食料自給率は、何と125%。出生率(2020年)も1.83人(日本は1.34人)ですから、世界的食糧危機になっても、フランスは消滅することはないでしょう。それが、アタリさんの発言の自信の裏付けになっているわけです。

【お断り】

 ジャック・アタリ氏と解説委員長の発言は、精密・正確ではありません。少し補足したりしております。

ファミレスでロボットに遭遇=2022年の大晦日、鎌倉時代よさようなら

12月31日、大晦日です。嗚呼、今年2022年も間もなく終わってしまいます。いつものことながら、何で月日の流れがこんな早いのか、哀しくなるほど感嘆してしまうばかりです。

 昨晩は、珍しく、夕飯は一人で自宅近くのファミレス中華「バーミヤン」に行って来ました。そしたら、生まれて初めての経験でしたが、「ネコちゃん」と呼ばれるロボットが注文した食べ物を席のテーブルまで運んでくれるので、思わず興奮して、お店の人に「写真撮ってもいいですか?」と聞いてしまいました。

 私が子どもの頃、1960年代ですが、「宇宙家族ロビンソン」という米国のSFテレビドラマがありました。細かいストーリーは忘れてしまいましたが(笑)、そこでは、ロビンソン家族がロボットと一緒に、何やら楽しそうに暮らしているのです。(という記憶でしたが、どうやら人口問題解決のため宇宙移民を余儀なくされたロビンソン一家が様々な困難を克服していく物語のようです。CBSのドラマで、日本では1966年から68年にかけてTBS系で放送)

 とにかく、そのドラマではロボットが登場して家族の一員になっていたので、将来、日本もそんな時代になっていくのかなあ、と夢想したものでした。あれから、60年近くの月日が流れ、ロボットは家族の一員にはなっていなくても、こうして、活躍するようになると、子どもの時に夢想していた「未来」がやって来たことになり、感慨深くなってしまったわけです。

 さて、年末ですから、大掃除していたら、お風呂の換気扇をスイッチを入れたまま、掃除してしまい、もう少しで指が取れてしまうような惨事に巻き込まれそうになりました。最近、物忘れも多くなり、どうかしています。こうして、何事もなく無事で済んだのも、神さま、仏さま、御先祖さまのお蔭だと、仏壇の前で念入りに拝みました。

 お掃除と買い物以外は、いつものことながら、大体、本や雑誌ばかり読んでおりましたが、テレビはNHKスペシャル「未解決事件 File.09 松本清張と帝銀事件」 第1部 松本清張と「小説 帝銀事件」(12月29日)と第2部 「74年目の“真相”」(12月30日)はなかなか面白かったでしたね。(そのうち、再放送されるでしょう)第1部はドラマで、大沢たかおが松本清張そっくりのメイクをして好演していました。

 第2部は、未解決事件「帝銀事件」のドキュメンタリーで、平沢貞通死刑囚が犯人ではなく冤罪で、真犯人は、中国ハルビン郊外で人体実験をしたあの石井四郎細菌部隊(731部隊)にもいた憲兵軍曹のAが、登戸研究所で開発した遅効性毒物「青酸ニトリール」を使ったのではないかと示唆していました。何故、このことがはっきりと断定できず、真相が闇に葬られたのかというと、GHQが、ソ連を差し置いて人体実験のデータが欲しいばかりに、石井隊長と裏取引して免罪とし、捜査警察に対しては、軍関係者への捜査を中止するよう圧力をかけたからでした。当然、警察もマスコミに報道しないよう情報を密閉し、生贄として人相が似ていた平沢死刑囚を犯人として祭り上げたのではないかというのが番組制作者が推測した結論でした。松本清張もGHQによる圧力をつかんでいながら、最後まで核心的な証言が得られず、はっきり字にすることが出来ませんでした。平沢死刑囚の亡き後も、弁護団は冤罪として再審要求しているということで、事件発生から74年経って、こうして再び注目されるようになったわけです。

 最近、人類学関係の本ばかり読んでいたので、雑誌に目を通すことができませんでしたが、昨日はやっと「歴史道」24号の「鎌倉幕府の滅亡」特集を読了しました。

 源頼朝から始まる武家政権は、三代将軍実朝暗殺や有力御家人粛清と承久の乱で北条氏が執権として最高権力者として確立し、新田義貞による攻撃で14代執権北条高時で滅亡しますが、鎌倉幕府はわずか150年しかもたなかったんですね。(1185~1333年)

 現代人は「人生100年時代」なんて謳歌していますから、150年なんてあっという間ですよ。途中で二度にわたる「怖ろしい」元寇があり、鎌倉仏教や文学・美術が栄えたりして、鎌倉時代はまさに波乱万丈の時代でしたが、考えてみれば、それほど長く続かなかったわけです。

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のおかげで、この1年は、どっぷりと鎌倉関係の本や雑誌を読み、鎌倉関係の特集をするテレビ番組を見て、私自身も、まるで鎌倉時代を生きてきたような感覚でしたが、2022年が終わるのと同時に鎌倉時代が滅亡したような気分になってしまいました。

 皆様には、この1年間、御愛読を感謝致します。良いお年をお迎えください。

現世人類は所詮、猿人の子孫さ

 今年もあとわずかで、年の瀬も押し迫って来ました。

 ランチに行ったりすると、その店の常連さんや馴染み客が「今年で最後かな? 良いお年を」と言って出ていく人も多くなりました。

 まだ少し早いですが、今年も読者の皆様には大変お世話になりました。今年は相当な数の馴染みの読者さんが離れていきましたが(苦笑)、また、相当な数の新しい読者の皆様も御愛読して頂いたようです。このブログがいつまで続くか分かりませんが、感謝しか御座いません。

 さて、今年は、いつもの個人的なことながら、人類学にハマりました。ジェレミー・デシルヴァ著、赤根洋子訳「直立二足歩行の人類史」(文藝春秋)、エマニュエル・トッド著、 堀茂樹訳「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」上下巻(文藝春秋)、そして、篠田謙一著「人類の起源」(中公新書)と、これまでほとんど知らなかった古代人類化石のゲノムを解読した最新科学を教えてもらい、目から鱗が落ちるような感動でした。

 もともと、私自身は、記者生活をしながら、近現代史の勉強を個人的に始めました。きっかけは、ゾルゲ事件研究会でした。しかし、昭和の初期から敗戦に至るあの狂気と言っても良い時代に登場する人物の中には、一兵卒たちは皆殺しになっても、自分だけは飛行機に乗って逃げて助かるといった日本史上最悪とも言うべき軍人がいて、腸が煮え沸るどころか、吐き気を催すほどで、日本人というものがつぐづく嫌になってしまいました。

 同時に、近現代史を知るには、明治維新を知らなければならない。明治維新を知るには江戸の徳川の治世を知らなければならない。江戸時代を知るには、まず関ケ原の戦いを知らなければお話にならない。関ケ原を知るにはそれに至る戦国時代を知らなければならない。でも、彼ら戦国武将を知るには鎌倉時代の御家人たちのことを知らなければならない。そして当然のことながら天皇家の歴史を知るには古代にまで遡らなければならず、究極の果て、人類学にまで逆上ってしまったわけです(笑)。

 でも、色んなことが分かると、皆つながっていて、「なるほど。そういうことだったのかあ」と感激することが多々あります。

東銀座 料亭H

 今年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、脚本のせいで、合戦場面がほとんどなく、まるでホームドラマかメロドラマになってしまい、残念至極なお芝居でしたが、その半面、鎌倉時代関連の書籍が多く出回り、色んなことを学ぶことができました。

 鎌倉殿の13人の一人、大江広元の子孫に毛利元就がいて、中原親能の子孫には大友宗麟がいて、八田知家の子孫には小田氏治がいる、といったことは以前、このブログでも書いたことがありますが、和田合戦で滅亡させられた初代侍所別当・和田義盛(三浦義村の従兄弟に当たる)の子孫に、織田信長の重臣だった佐久間信盛や盛政(母は柴田勝家の姉)らがいること最近、知りました(笑)。佐久間氏は、和田義盛の嫡男常盛の子、朝盛が、三浦義明の孫に当たる佐久間家村の養子になったことから始まります。

 和田合戦で、和田常盛は自害に追い込まれますが、その子、朝盛は佐久間氏の養子になっていたため、逃れることができました。しかし、朝盛は承久の乱に際して、後鳥羽上皇側について没落します。一方、朝盛の子である家盛は、北条義時側についたので、乱後は恩賞として尾張国愛知郡御器所(ごきそ)を与えられるのです。(「歴史人」12月号)

 私はこの御器所と聞いて、吃驚してしまいました。今年5月に名古屋に住む友人の家を訪ねたのですが、その場所が御器所だったのです。友人の話では、御器所はもともと熱田神宮の器をつくる職人が多く住んでいたことから、そんな変わった名前が付けられたという由緒は聞いていましたが、佐久間氏のことは全く聞いていませんでした。佐久間家盛が御器所の地を与えられたため、佐久間氏は尾張の地に根を張るようになり、その関係で、佐久間信盛や盛政らは、尾張の守護代、織田信長の重臣になったわけです。つまりは、戦国武将佐久間信盛らは、もともと三浦半島を本拠地とする三浦氏だったということになります。

 まさに、点と点がつながって線になった感じです。

東銀座・割烹「きむら」白魚唐揚げ定食1300円

 確かに、鎌倉時代は、梶原景時の変、比企能員の乱、畠山重忠の乱、将軍頼家、実朝の暗殺…と血と血で争う殺戮と粛清の嵐が吹き荒れました。当時は刑法もなければ、人権意識そのものがないので生命は軽んじられ、仕方がなかったかもしれません。でも、それは日本だけの状況かと思ったら、エマニュエル・トッド著「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」の中で、フランスのある教会区の住民台帳のようなものを調べたところ、13世紀(日本ではちょうど鎌倉時代)のある村の殺人率が10万人当たり100人(現代は、だいたい10万人当たり1人未満)と異様に多かったといいます。

 「なあんだ、世界的現象かあ」と思ってしまったわけです。当時は、ちょっとした言い争いでも直ぐに殺人事件に発展してしまったということなのでしょう。

 30万年前にアフリカで出現した現生人類は、7万年前に本格的にアフリカを出て世界に拡散し、1万年前に農耕を始めて定住生活をするようになると、土地、領土争いから戦争が絶えなくなります。21世紀になってもロシアがウクライナに侵攻するぐらいですから、人類は原始以来、全く変わっていません。人類学で篩にかければ、所詮、現世人類は700万年前、霊長類のチンパンジーから分岐して進化した猿人の子孫に過ぎません。だから、何が起きても予想外として驚くようなものはないかもしれませんね。

「歴史人」読者プレゼントにまたまた当選=人生、最も歩きやすい靴にめぐり逢い

 またまた、「歴史人」(ABCアーク)の読者プレゼントに当選してしまいました。これで何回目なのか、もう覚えていませんが(笑)、5回以上10回未満だと思います。運が良かった、としか言いようがありません。

 当選した12月号のプレゼントは、上の写真の通り、東京・サントリー美術館で開催中の「京都・智積院の名宝」展のチケット2枚です。わずか5組にしか当選しないのに、何でえ?と我ながら不思議に思います。そこで、仏教の「無財の七施」の精神を発揮して、会社の同僚に1枚あげることにしました。希望者が複数いたので、あみだくじで決めました(笑)。

 真言宗智山派の総本山である「京都・智積院の名宝」展の目玉は、私も大好きな長谷川等伯です。今回は、等伯一門による障壁画「桜図」「楓図」などが、寺外で初めて揃って展示されるというので、大いに楽しみです。

 版元のABCアークの後藤隆之編集長を始め、スタッフの皆様方には本当に感謝申し上げます。「歴史人」は毎号、毎号、本当に勉強になるのですが、実は、私は、応募はがきの中で、偉そうに、誤字脱字や誤植などを指摘したりします。少しでも「永久保存版」として、より良い「製品」になってほしいからです。私がこうして当選を重ねることが出来るのは、毎号、人一倍熟読として誤植を指摘するからではないか、と思っているほどです。

 今後も、スタッフの皆様には頑張ってほしいと思っております。

 これで終わってしまっては物足りないので、もう一つ、話題をご提供します。先日、通販で靴を注文したら、ちょっとキツくて、送り返しの宅急便代として1050円を払って、サイズ交換してもらったことを書きました。

 その靴が、昨日、自宅に届きました。

 今朝、通勤で履いてみたら、とっても歩きやすいので吃驚です。靴底の厚いゴムがバネのように跳ね上がり、歩いていても跳躍しているような感じです。歩くことが嬉しく楽しくなります。

 宣伝ではないので、あまり商品名は言いたくないのですが、スイス製の「オン」というスニーカーです。スイス製と言っても、作られたのはベトナムの工場です。私は、普段26センチの靴を履いているのですが、このスニーカーの場合、26センチではキツくて、26.5センチに交換してもらいましたが、この靴の表面がゴアテックスで防水性になっていて、普通のスニーカーより、やや硬めだったのです。もし、私の真似をしてこの靴をお求めになる方がいらっしゃるとしたら、サイズは少し大きめをお勧めします。

 恐らく、私が生きたこれまでの人生で色んな靴を履きましたが、これは一番、歩きやすい靴だと思います。

 あれっ? 宣伝ではありませんよ。この会社から1銭ももらっていませんからねえ(笑)。それに、本日は電車や街中でこの同じ靴を履いている人は見かけませんでした。履き易さ、というか、歩き易さは、あくまでも個人的な見解です。個人差があるでしょうから、責任は持ちませんので、そこんとこ宜しく御願い申し上げます。

スマホ断食、いつやるの?=または防衛費増税について

 突然、岸田首相が宣言した「防衛費総額43兆円」。一体、そんな大金、何処に財源があるのか?と政権党内外から、国会も開かず、大論争の末、結局、時期不明ながら増税となりました。

 増税に関して、岸田首相が「国民の責任をもって」なんぞと発言したもんですから、大炎上しました。発言した翌日に、国民ではなく、「我々が責任をもって」と訂正したようですが、そんなら、庶民の目が飛び出るほど高額の報酬を得ている国会議員の皆様も、「歳費」とやらを「防衛補助費」として丸々、国庫に返納してもらいたいものです。(「国会議員の歳費、旅費及び手当等に関する法律」第一条に「各議院の議長は217万円を、副議長は158万4千円を、議員は129万4千円を、それぞれ歳費月額として受ける」とあります。何と月額でっせ!まさに、国会議員はファミリービジネスとして世襲化されるはずです。こんな美味い商売は、世間広しといえど、他にない!)

 「防衛費、GDP1%以内」の攻防が国会であったのは、戦争で痛い目に遭った戦中世代が多数を占めていた今は昔のことです。今では「GDP2%」と2倍になっても、戦後生まれが8割を超えた今の日本の国民の皆様は驚くことなく、納得されているようです。

 台湾や北朝鮮などの有事に備えてということで、「軍拡競争」の歯止めがかかりませんが、所詮、日本人は高額な兵器を米国から買って、米国経済の景気に貢献しているのではないかと私なんか醒めた目で見ております。それに、岸田さんは、清和会ならまだ分かりますが、ハト派平和主義と言われる宏池会ですからね。原爆投下の広島を選挙地盤としてるんでしょ?何で、こんなに前のめりになっているんでしょうか?

 でも、こんなことを書けば炎上しますかね?

 さて、昨日は「スマホ断食」を皆さんにもお勧めしながら、自らはなかなか実行できていないことを、茲で正直に告白致します。

 上の写真は私が通っている都内の薬局の壁に貼ってある告知です。「お薬手帳を忘れたら、30~40円高くなりますよ」との脅迫状です(笑)。

 えーーー!です。

 わずか、30~40円の話だとは言っても、無駄なお金は使いたくないものです。そうでなくても、今年に入って、食料品からエネルギー、電気・ガス代に至るまで2万品目以上の値上げが発表されている日本のことですから。

新富町「うおぜん」鯛御膳1000円

 一方、この薬局の正反対の違う壁に貼ってある告知を見たら、そこには、スマホにダウンロード出来る「お薬手帳アプリ」が紹介されているのです。そこで、他にお客さん(凄い言い方!)がいなかったので、思い切って、係りの薬剤師さんにこのアプリのことを聞いてみました。そしたら、バーコードで読み込めば、直ぐ出来るというので、試しにやってみることにしたのです。

 アプリはすぐダウンロードすることが出来、私の個人情報が満載された薬局のバーコードが三つもあり、それを全て読み込むと、このアプリで先ほど頂いた私の薬の情報まで分かるのです。これには、驚きました。でも、しめしめ、です。これで、紙のお薬手帳を忘れても、スマホのアプリ(のバーコード)を見せれば、大丈夫ということになります。お薬手帳は忘れても、スマホは常に携帯していますからね。

 ということで、なかなか、スマホ断食できず、スマホから手が離せない毎日が続いていることを告白します。

 失礼致しました。

スマホ断食のすすめ

 《渓流斎日乗》は、個人的なブログなので、毒にも薬にもならぬ日々のよしなしごとを書き連ねております。毎日更新する予定ですが、たまに間が空くこともあります。それが何か?

 はい、実はネタがないのです。あることはあるんですが、衆人監視の中、政治問題にせよ、経済問題にせよ、ブログなんかに本音なんか書けるわけがありませんよね。でしょ?(笑)

 あれっ?今日はいやに皆さんに同意を求めておりますね(笑)。御寛恕ください。

 というのも、私は今年に入って、FacebookなどSNSをやめたことをこのブログに書きました(正確には未だつながっていますが、利用しなくなった、ということです)。理由も書きました。「いいね!」や読者欲しさから、自分の信念を曲げたり、狡猾になったりする自分の「あざとさ」に嫌気がさしたからでした。

 もともと、このブログの宣伝のために、SNSを始めたのですが、余計に読者の反応が気になってしょうがなくなります。反応がないと意気消沈したりします。とにかく、スマホ中毒といいますか、何処に行ってもスマホから目を離すことが出来ず、いわゆる「スマホ廃人」になってしまい、「これではいけない!」と反省したわけです。

 でも、「あざとさ」というのは自己矛盾です。繰り返しになりますが、ブログ拡散のために、SNSを利用したのですから、あざとくなるのは当たり前です。このモヤモヤした気持ちを、どなたか、一言で明言してほしいなあ、と思っていたところ、素晴らしい文章に出合いました。

昭和通り

 それは、京大総長を務めた「ゴリラ学者」の山際寿一さんが2020年6月に出した「スマホを捨てたい子どもたち」(ポプラ新書)という本の中に出て来ました。

 まず、現生人類ホモ・サピエンスの脳の能力から、我々が、信頼関係を持ってつながることが出来るのは100~150人が限界。日常的におしゃべりしたり、付き合ったりすることが出来る友人知人は、10人程度、と著者は明らかにしているのです。SNSで、やれ、10万人が「いいね!」ボタンを押したとか、YouTubeで100万人がアクセスしたからといっても喜んでばかりいられないのです。つまり、面識があって信頼関係でつながっているわけではないので、逆にそのギャップに苦しみ、特に、生まれた時からスマホがあるデジタルネイティヴ世代の中には、いい加減、スマホを捨てたいと思っている、というのが本音だというのです。

 へー、と思ってしまいましたね。

 換骨奪胎、敷衍して、著者の山際氏はこんなことを言っています。人類は、社会的動物なので、自分のやっていることを他者から認めてもらいたい、注目してもらいたいという願望を持ち続けて来た(何も政治家や財界人や芸能人やスポーツ選手や芸術家だけでなく、無名の一般人も)。だからこそ、人類は進化の過程で付き合う親しい仲間の数を増やそうとしてきた。(そう、人類は他者から認めてもらうためのツールとして、世界で何十億人もが持つスマホという武器を手にしたわけです。)

 しかし、それでも、個人が真に信頼してつながることが出来る数は150人のまま増やせていないというのです。何故かと言えば、現生人類の脳の構造がそうなっているから、ということなのでしょう。意外なことでしたが、現生人類であるホモ・サピエンスの脳の容量は、絶滅したネアンデルタール人より少ないんだそうですね。これも、へーと思ってしまいました。

 このほか、著者の山際氏はこの本の中で、「AIに支配されないためにも、人類は生物としての自覚を取り戻せ」と主張しています。ゴリラ研究のためにアフリカのガボンなどでゴリラに襲われ、何度も死にかけた体験を持つ著者だけに、説得力があります。また、山際氏は「このまま情報化が進めば、人間は『考える』ことをやめてしまうかもしれない」と危機感を募らせます。 

 確かに、現代人は、例えば、流行に遅れたくないために、AIに頼って服選びをしてもらったり、恋人とのディナーを何にしようか、をアルゴリズムに頼ったりしがちになりました。まさに思考停止です。逆に、選ぶには、悩みます。そんな悩むこと=考えることを放棄したのが、現代人と言えるかもしれません、

 最後に山際氏は「スマホ・ラマダン(断食)」を薦めています。たまにはスマホから離れた生活をして、本来の人間の姿を取り戻せ、ということです。

 このブログ《渓流斎日乗》の一日ののアクセス数は、昨年は300人程度でしたが、今年に入って、どういうわけか500~600人に倍増しました。FacebookなどSNSをやめてもその数は維持されている感じです。そっかー。どなたが御愛読されているか分かりませんが、もう十分ではありませんか。

 恐らく1日しか続かないでしょうけど、私も、たまにはスマホ断食をやってみようかと思っています。精神的健康に良いはずです。