「アメリカ経済のユダヤ・パワー」で納得しました

 先日、国際金融関係の本を読んでいたら、ゴールドマン・サックスなどウォール街での金融ビジネスで、上位に君臨しているほとんどがユダヤ系だというので、「どうしてなのかな?」と素朴な疑問を友人の榊原君に話したら、彼は、佐藤唯行著「アメリカ経済のユダヤ・パワー」(ダイヤモンド社)という本を貸してくれました。

 この本は、2001年10月4日初版とかなり古い本なので、情報も古いのですが(何しろ、フェイスブックのザッカーバーグもネットフリックスも出てきません!)、何故、ユダヤ系の人たちが米国経済界の上位に躍進したのか少し分かりました。

 最初にお断りすると、この本の著者(獨協大学教授)と同様に、私自身も「ユダヤ人陰謀説」には与しません。150年ほど前から米国に来たユダヤ人のほとんどが東欧やロシアなどで迫害されてやむ得ず移民した者が多く、ほとんど無一文の状態から、血の出るような努力を重ねて「アメリカン・ドリーム」を実現した者が多かったからです。そして、恐らく、この本に書かれている成功したユダヤ人とは違い、彼らの大半は成功せずに貧困のうちに生涯を終えていたと思われるからです。

 何よりも、ユダヤ人ということで最初から差別され、1970年代までまともに企業に就職できなかったといいます。(米国の基幹産業である石油産業はユダヤ系だと思っていたら、WASP=プロテスタントのアングロサクソン系白人=が独占していたことをこの本で知りました)となると、自分たちで起業しなければなりません。この本では、最初は廃品回収業に近い職種から大成功を収めたユダヤ人も出てきます。

 ユダヤ系といえば、金融業のほか、新聞(ニューヨーク・タイムズなど)やテレビ(ABCなど)などのメディア(この本では、メディア王ルパート・マードックはユダヤ人ではない、と書いてありました)、ハリウッド映画(スピルバーグ監督らと映画製作会社ドリームワークスを共同創業したデヴィッド・ゲフィンは、レコード会社の経営者で、ジョン・レノンの最後のアルバム「ダブル・ファンタジー」を出したゲフィン・レーベルだったとは!彼も勿論ユダヤ人です)、俳優らのほとんどがそうだということは知っておりましたが、それ以外にも、化粧品(エスティー・ローダー、マックス・ファクター、レブロンなど)、服飾ファッション(カルバン・クライン、ラルフ・ローレンなど)、玩具(トイザらス、バービー人形など)も創業者がユダヤ系だったことをこの本で初めて知りました。

 では、なぜ、これほどまでユダヤ人が優秀なのか? 著者の佐藤教授は、その秘訣は、ユダヤ人の教育にあると見ています。佐藤氏はこう書きます。

 幼い子どもを対象とするユダヤ教古典学習の根幹は、徹底した暗記教育である。これを毎日繰り返すうちに、脳の中に大きな記憶回路が作り出されるといわれる。敬虔なユダヤ教徒の家庭で生育した若者たちの中から、天性の記憶力の持ち主が生まれることは偶然ではないのである。

 なるほど。旧約聖書をはじめ、ユダヤ教の聖典タルムード(6編・63項目からなる口伝律法ミシュナとその注解ゲマラから成る)を丸暗記させられるのでしょう。頭脳が鍛えられるはずです。

 そして、佐藤教授によると、ユダヤ人がビジネスの面で成功するのは、キリスト教や仏教などでは「清貧」を重んじるのに対して、ユダヤ教は、富を求める衝動は人間の幸福に不可欠なものと容認しているからではないか、と分析しています。これも、なるほど、です。

 ユダヤ人は相互扶助の形で、起業する若者たちに低金利で融資したりしていることもビジネス面で役立っていることは確かです。就職差別により、隙間産業を探したり、起業せざるを得なかったことが逆に彼らにビジネスチャンスを与えた格好になりました。

 いい本を貸してもらいました。

お金だけがすべてじゃない=農林水産元事務次官事件を鑑みて

 いずれの御時か、我らが島国では、「勝ち組」と「負け組」との明確な区分付けが白昼堂々と行われるようになりました。要するにお金持ちと貧民との差別ですね。お金があるかないかで人の良し悪しが決定される世の中ということです。

 金融庁のどっかの審議会委員が提出した「年金だけじゃ足りないから、あと2000万円ぐらい個人で勝手に工面せよ」というのがその最たるものですね。富裕層の多い政権閣僚は、当初、この報告は問題なしと判断してました。昔は、時の池田蔵相(後の首相)による「貧乏人は麦を喰え」(実際は「 所得の少ない方は麦、所得の多い方はコメを食うというような経済原則に沿ったほうへ持っていきたい」 との答弁)という発言もありました。最近では、AI(人工知能)によって、職場を追われる「不要階級」という人を馬鹿にしたような言葉が流行語にもなっています。

 でも、お金があるエリートの「勝ち組」だから幸せかと言えば、必ずしもそうではないことが、このほど起きた元農林水産事務次官による、働かない引きこもりの自分の子ども殺し事件を見ると分かります。新聞やテレビでは、報道しないのでさっぱり分かりませんでしたが、今日発売の週刊文春を貧困層なのに、態々お金を出して(笑)買って読んだら、殺された子どもの母親の家系も半端じゃない富裕層だったことを調べ上げておりました。吃驚です。

 大変優秀だった元農林水産事務次官は、退官後2~3の会社に天下りした後、農林水産省出身としては異例のチェコ大使なども歴任し、退職金などで約2億円を得ていた報道があったので、母親は「玉の輿」と思いきや、その母親の実家は、秩父銘仙の生産販売を営み、それこそ巨万の富を築いて、将来の家業の不安定を見込んで、その才覚で都内一等地にかなりの不動産を有していたというのです。

  母親が相続した不動産は都内数カ所に及び、家賃や駐車場代などでかなりの収入があったわけです。 殺された子どもは、一時期、母親名義の東京・目白の超一等地の高級住宅街の一戸建てに一人で住んでいたこともあったといいますから、ネットゲームに毎月30万円注ぎ込んでも、働かなくても楽に暮らせたわけです。でも、その境遇も、今となっては羨ましいどころか、可哀想にさえ思えてきます。働かずに済んで問題を起こしたボンボンは、今に始まったわけではなく、江戸時代にもいて、文楽や歌舞伎の題材にもなったりしましたからね。

銀座SIX 屋上庭園

 こうして、「年金だけでは足りないから、あと2000万円は必要」といった報道とか、勝ち組の末路?などに接すると、お金だけが全てじゃないと思えてきます。

 昨年8月、山口県で行方不明の幼い子どもを発見したスーパーボランティアの尾畠春夫さんなんかは年金は月わずか5万5000円なのに、「やりたいことをやるのに十分です」と語っていました。金銭的には、エリートと比べれば、彼は「負け組」なのかもしれませんが、お金よりもっと大切なことを我々に教えてくれた偉人ですよ。

審議会委員に選ばれるマスコミ

 どうでも良い話かもしれませんが、私自身は、若き頃、マスコミの仕事を選んだのは、世の中の仕組みがどうなっているのか、知りたかったからというのが一つの理由でした。政治にしろ、経済にしろ、誰が世の中を動かしているのか知りたかったのです。

 有難いことに、マスコミに入ったお蔭で、色んな著名人と会うことができ、おまけに裏社会のことも知ることができ、ある程度のことは分かるようになりました。ただ、仕事が担当にならなかったせいか、霞ケ関の官僚の皆さんとは深く親密になることができず、結局、その「仕組み」を知らずに終わってしまいました。

 特に分からなかったのが、どこの省庁にもある審議会です。誰が選ばれて、何のために、そして何をやっているのか、時折、不思議に感じておりました。実際問題、法案のたたき台になることでしょうし、政策にかなり影響を及ぼしているはずです。それなのに、新聞もテレビもほとんど報道しません。

 特に、ニュースで脚光を浴びるとしたら、内閣府の税制調査会ぐらいでしょうか。これは、内閣府本府組織令第33条によると、「内閣総理大臣の諮問に応じて租税制度に関する基本的事項を調査審議する」会議のことで、その委員は30人以内です。

 その委員は、専門の大学教授をはじめ、いわゆるシンクタンクのエコノミスト、地方自治体の首長さんらもおりますが、今年4月1日現在、読売新聞の取締役や産経新聞の論説委員の方まで選ばれているのです。どういう経緯で、どなたが選出されたのか、皆目見当もつきませんが、マスコミといえば、普通一般の民衆の感覚では、時の為政者の不正をチェックし、「社会の木鐸」とか、「弱きを助け、強きを挫く」ようなイメージがあります。それが、実態は、政府の中に入り込んで、インサイダーとして社会を動かしていることが分かります。これでは政権批判はしないはずです。

 たまたま、税調の委員が政権寄りの産経と読売の方が入っておられるので、分かりやすいといえば、分かりやすい。まさか、反政権報道を繰り返している東京新聞では無理かな、と邪推してしまいます。読売新聞さんの場合、その論説委員や編集委員らが、税調だけでなく、法務省の法制審議会委員やスポーツ庁のスポーツ審議会委員にまで数多(あまた)食い込んでおります。

 しかし、一方では、政府内部に入り込んでいるせいなのか、読売新聞の記事解説が大手紙の中では一番分かりやすく、報道は細かいところまで目が行き届いています。その逆に、為政者に弱く、その半面べったりなのに、反政権的ポーズだけは取ってみせている朝日新聞は、審議会にスパイ、おっと失礼、あまり委員を送り込んでいないせいなのか、記事の内容が薄く無残といえば無残です。

銀座SIXの屋上

例えば、朝日は、「未来投資会議」についてはほとんど目立つように報道しません。これは、アベノミクスの第3の矢として「民間投資を喚起する成長戦略」を実現するために鳴り物入りで創設されたものですが、彼らが何を審議して、どんなことを政府に提案していたのか、読者に知らせてくれません。以前、このブログでも書きましたが、この未来投資会議の「民間議員」である竹中平蔵氏が率先して提言したおかげで、いつの間にか、公共水道水が売られ、国有林が売られるようになったというのに、朝日は、ほとんどそれらの事実を報道しないんですからね。

 メディアは何を報道したか、よりも、何を(故意に)報道しなかったのか、の方が重要だと思いませんか?

 また、安倍政権による過去最大の101兆円を超える予算を支えるために、黒田日銀総裁は、国債を買いまくる禁じ手である「財政ファイナンス」を続けていて、将来的に財政破綻の恐れがあるというのに、どこも解説どころか、事実関係を報道すらしてくれません。それが、最近では、メリケン帰りの「MMT」=Modern Monetary Theory とやらが、日本のシンクタンクや霞ケ関などでも闊歩するようになり、「財政破綻はありえない」という理論も優勢になっているらしいですね。

 まあ、いきなり話が飛んでしまいましたが、ボーと生きていたら、世の中から置いてきぼりにされてしまいますね。クワバラ、クワバラ。

 

マナーの悪い中国人、エノケン、ヤバイ話

本日は雑感短信をー。

・東京・銀座を職場にしていますが、年々増える外国人観光客のマナーの悪さには日々眉を顰めております。みゆき通りを通勤通路にしている人間が悪いのでしょうが、この通りには路肩に植木コーナーがあり、疲れた腰を休めるほど良い椅子代わりになるので、彼らは座り込んで、通行の妨げになってくれるのです。

 それはまだ良いとして、特に中国人観光客となると、列は並ばない。平気で歩道を塞ぐ。エレベーターで待っていると、後ろからどつくようにして割り込んできても知らん顔。恐らく人口が多過ぎる大陸の大都市では生存競争が厳しいので、まずは譲り合いの精神や観念すら生まれないのでしょう。

 でも、中国は何と言っても、倫理観溢れる道徳と儒教の国。どうなっているのかと思ったら、同僚が「中国人はもともとマナーが悪いから、それを戒めるために論語や儒教が生まれたんだよ」と言うではありませんか。中国4000年の歴史と言ってますが、道徳心は根付いてませんね。妙に納得してしまいました。

銀座SIX 屋上

・先日読んだ「世界史を変えた新素材」の著者佐藤健太郎氏は、子どもの頃のジュースの思い出として、自販機で売っていた瓶入りのジュースを、自販機に付属している栓抜きで栓を抜いて飲んでいた、と書いてました。著者は1970年代生まれです。

 私のような古い世代の子どもの頃のジュースの思い出となると「粉末」です。1970年代生まれ以降の世代は知らないでしょうなあ(笑)。「渡辺のジュースの素」というのがあって、恐らく人工甘味料の入ったジュースでしょうが、子どもたちのおやつのご馳走でした。

 この「渡辺のジュースの素」のコマーシャルを唄っていたのが、エノケンこと榎本健一でした。「ほほいのほいともう一杯 渡辺のジュースの素です もう一杯」という歌詞は耳にこびりついております。ということは、エノケンは戦前の人かと思ったら、当時も生きていたんですね。調べたら、エノケンは1904年10月11日に東京・青山で生まれ、1970年1月7日没。享年65。それにしても、随分若かったですね。

・ 先日読了した瀧音能之著「風土記と古代の神々」の中で、日本人は縁起の悪い言葉を忌み嫌って、読み方などを変えてしまう話が出て来ました。「葦」(あし)は「悪し」に通じるので、「葦」(よし)としてしまう例がありました。

 となるなると、パスカルの有名な言葉「人間は考える葦である」を「あし」を「よし」と読んでしまうと、何となく締りがないような気がしてしまいます(笑)。

銀座・竹の庵 

 ほかに、スルメのスルは「掏り」に通じるので、「当たる」に変えて、スルメのことをアタリメと呼んだりしますね。

 マスコミには放送禁止用語、不快語・差別用語の言い換えなどがありますが、茲では深く触れません。でも、最近はいわゆるPC(ポリティカル・コレクト)が行き過ぎている傾向がないでもない気がします。それこそ我々世代が子どもの頃に平気で使っていた「魚屋」「八百屋」「花屋」なんかも言い換えるよう手引きがあります。(魚屋さん、にすればオッケーなんですって)マスコミの「用字用語ブック」は市販されているので、ご興味のある方は手に取ってみてください。

 それより、言葉は「世につれ…」ですが、最近は真逆の意味になることもあります。例えば、若者言葉の「やばい」は、昔のように「危ない」という悪い意味ではなく、「素晴らしい」という良い意味で使われているようです。

 英語も同じで、awesome は、もともと「怖ろしい」という意味だったのが、最近では「凄い」「素晴らしい」という意味で使われることが多いようです。何だ、日本と同じじゃん!

宮沢賢治と俵万智の父とアルミニウムの不思議

 佐藤健太郎著「世界史を変えた新素材」(新潮選書)を読了しました。私のような雑学好き、エピソード好きの人間にとっては、この上もなく面白かったでした。続編があれば、勿論、また読んでみたいですね。

 著者は有機化学の研究者なので、本文では原子記号などが多く出てきますが、文系出身の人が読んでも大丈夫です。著者は理科系とはいえ、歴史を取り扱うぐらいですから、かなり文系のセンスもあります。(私は文系ながら受験で化学を選択したので問題なし=笑)

 例えば、「炭酸カルシウム」の章では、石灰(炭酸カルシウム)は、土壌の酸性度を中和することから、作物を病虫害から守ることに注目して、石灰を普及することに尽力した人として詩人の宮沢賢治(花巻農学校の教諭で、石灰を産する東北砕石工場の技師でもあった)を取り上げております。また、「磁石」の章では、サマリウムという元素を用いて強力な磁石を世に送り出した松下電器産業や信越化学工業などで活躍した研究者が、歌人の俵万智の父親だったことも、例に挙げたりしています。

 俵万智は、ベストセラーになった歌集「サラダ記念日」の中で、「ひところは『世界で一番強かった』父の磁石うずくまる棚」という短歌が収めれていますが、こんなエピソードを知らなければ何も知らずに意味を分からず読み飛ばしてしまうことでしょう。

 この短歌の通り、俵万智の父親を抜いて、現在世界最強の座に君臨するのが、佐川真人(1943~)が1982年に開発したネオジム磁石だ、とこの本には書かれています。

 この本を読むと少し物識りになったような気がします(笑)。著者もこの本を書く上で参考にした文献を巻末で明らかにしていますが、専門書以外では、ハラリ著「サピエンス全史」やダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」といったベストセラーになった一般書まで取り上げており、著者の目配りに感心するとともに、幅広い読書量に支えられていることが分かりました。

ドニヤン製高級レース Copyright par KYoraque-sensei

 どこの章を読んでも「なるほど」と感心するのですが、特に書き残しておきたいことは、新素材の発見によって、今では世界的な企業になった話です。その一つが、アルミニウムの世界最大級の米アルコア社を創業したチャールズ・マーティン・ホール(1863~1914)です。米オハイオ州オーバリン大学(桜美林大学を創設した清水安三が留学卒業した大学=ここまではさすがにこの本には書かれていませんねえ=笑。山崎朋子著「朝陽門外の虹」(岩波書店)に詳しい)の学生だった頃、フランク・ジューエット教授が学生のやる気と興味を引き出そうとして「アルミニウムを大量に精製する技術を開発すれば大金持ちになれるだろう」と聞かされます。これを聞いて発奮したホールは、実験と失敗と試行錯誤を重ねて、23歳の時にアルミニウムの精錬法を開発するのです。

 不思議なことに、この技術を見出したのは、ホール一人だけではなく、大西洋を隔てたフランスにもいました。化学者のポール・エルー(1863~1914)で、これまた不思議なことに、生まれた年も同じで、23歳で精錬法を開発したのも同じ。極め付けは、同じ年に51歳で亡くなっていることです。二人は面識がなかったといいますが、あまりにもの偶然の一致に驚きの連続です。歴史的必然さえ感じてしまいます。ホールの方は、アルコア社を設立して、ジューエット教授の「予言」通り、億万長者になります。

 当初、アルミニウムは強靭さに欠けていましたが、それは、合金の形で飛行機やミサイルにまで使えるほどになります。その合金の代表がジュラルミンですが、その独占製造権を取得したドイツのデュレナー金属工業が、同社の社名とアルミニウムを合体して名付けたのがジュラルミンだったというのです。クイズになるような雑学でしたね(笑)。

 このほか、真珠、絹(シルク)、ゴム、プラスチック、シリコンの話が知らなかったことばかりで面白かったでした。月に30万円も注ぎ込むようなネットゲームに熱中している若者にも勧めたい本でした。

 

出雲に製鉄を伝えたのはヒッタイト人だった??

 最近、どうも乱読気味で、渋沢栄一から古代の神話に至るまで、何の脈絡もない感じでしたが、どういうわけか、フッと偶然にも導線が繋がったりしまして、自分でも面白くなってしまいます。

 今、佐藤健太郎著「世界史を変えた新素材」(新潮社、2018年10月25日初版)を読んでいます。文明をもたらす要因として「材料」に注目し、それらが世界史を変革するほどの起爆剤になったことを素材ごとに詳細しています。人類が発見、または発明、開発した新素材とは、金とか陶磁器とかアルミニウムのことです。

 この中で、「鉄」の章を読んでいたら、先日読んだばかりの瀧音能之著「風土記と古代の神々」(平凡社)に出てきた八岐大蛇を退治したスサノオ神(須佐之男命)が製鉄技術を伝えた朝鮮半島からの渡来人によってもたらされた神だったことをこのブログで何度か書きましたが、この章でも出雲の製鉄の話が出てきたので、その偶然の一致に驚いてしまったのです。

 この本によると、鉄は、小アジアに興ったヒッタイト人が紀元前15世紀頃に初めて使ったと言われています。著者はサイエンスライターなので、学者以上の知識で正確を期します。つまり、正確に言いますと、鉄器を使った人類は以前からいましたが、武器として使える硬くて強靭な鋼鉄を作る技術をヒッタイト人は開発したというのです。これら鋼鉄をつくるには、鉄を溶かす高温の炎が必要で、膨大な木材が必要となります。酸素を絶えず送り込んで高火力を保持するだけでなく、炭素の含有量も微妙に調節しなければなりません。炭素含有量が多過ぎると、鉄はもろくなって叩くと割れてしまうからです。

 ヒッタイト人は、これら鋼鉄製の刃物や戦車で、今のシリアやエジプト方面まで勢力を拡大し、鋼鉄の製法をひた隠ししますが、その帝国は長続きせず、紀元前1190年頃までに滅亡します。反乱や異民族の侵入も原因の一つですが、彼らが必要な木炭確保のために森林を破壊し尽してしまったことも要因と言われています。

 そして、ヒッタイト人の生き残りは、森林を求めて東進し、やがて東アジアではタタール(韃靼=だったん)人と呼ばれるようになり、彼らの製鉄技術が4~5世紀に日本にもたらされたというのです。やっと、日本が出てきましたね(笑)。タタールの名前を取って「たたら製鉄」という言葉ができたという説もあります。著者の佐藤氏はこう書きます。

 製鉄に必要な木材の確保は深刻な問題で、日本のたたら製鉄も一つの炉に対して1800町歩(約1800ヘクタール)という広大な森林が必要とされていた。背後に中国山地の豊かな森林を控えた出雲地方で、たたら製鉄が盛んに行われたのは偶然ではない。

 うーん、見事に繋がりましたね(笑)。出雲に製鉄技術を伝えた渡来人は、タタール人、つまりヒッタイト人だったのかもしれませんね。(勿論、タタール人から製法を習った朝鮮半島の新羅人が伝えた可能性が高いでしょうが、韃靼人は交易を求めて度々、日本に渡って来てます)

 ただ、著者の佐藤氏は、ヒッタイト人が人類で初めて鋼鉄の製法を開発して世界に拡散した、という説は最近疑問が呈されていることも書いています。ヒッタイト以前の遺跡からも発掘されはじめ、異民族による戦乱の形跡も見られないからです。「初めて製鉄を行ったのは誰であったか、もう少し研究の進展を待つ必要がありそうだ」と佐藤氏も書いております。

 でも、「古代のロマン」とよく言われるように、色々と想像するのも面白いのではないでしょうか。出雲に製鉄を伝えた渡来人がかつてのヒッタイト人ではなかったにせよ、広大な森林が必要だったという事実は変わりませんからね。

 こうした脈絡のない読書でも、偶然にもつながりが出てくと、面白みが増します。

古代から朝鮮半島との深い関係

 先日読了した瀧音能之著「風土記と古代の神々」(平凡社)には多くのことを学ばせて頂きました。有難う御座いました。

 特に、八岐大蛇を退治した須佐之男命は、製鉄神で、出雲で産出した砂鉄を精製して鉄をつくる技術を持った朝鮮半島からの渡来人によってもたらせれた神だという著者の説には大いに納得したことは以前書きました。今日はそれ以外で、是非覚えておきたいことをメモ書きします。

 ・天平5年(733年)にまとめられた「出雲風土記」によると、「神々の国」出雲には399の神社があり、そのうち184社が神祇官社、残りの215社は非官社。あまたの神々のうち、熊野大神と佐太大神と野城大神と大穴持命(=天の下造らしし大神→オオクニヌシ神)が四大神と呼ばれ、このうち熊野大神を祀る熊野大社と大穴持命を祀る杵築大社(出雲大社)だけが別格で、「大社」と呼ばれている。

 熊野大神は、意宇郡に拠点を構えた出雲国造の祖によって祀られていた神と推測され、大穴持命は、出雲西部に信仰の拠点を持つ開拓神・農耕神だったのが、出雲全域の神の存在が必要となり、天の下造らしし大神とされたと考えられる。

 ・生野銀山などで知られる生野は、「播磨国風土記」によると、荒ぶる神が往来する人の半数を殺したので最初は死野という地名がつけられたという。しかし、応神天皇の勅により、死野は悪い名なので、生野と改められたという。こうした地名変更は、水辺の植物である葦が「あし」では「悪し」に通じるので「よし」と読み替えるのと同じ発想で興味深い。

 ⇒荒ぶる神が通行人を半数殺すという行為について、著者は、神には荒魂(あらたま)と和魂(にぎたま)の二つの側面があり、荒ぶる神の持つ荒魂が人に害を与えたり、祟りをなしたりすると考えていたからではないかという説を提唱する。だから、半数を殺すとは、荒魂が行い、残りの半数は和魂によって救われるということ。

・全国でも出雲の国だけにカラクニイタテ神社が6社あり、これらはいずれも「延喜式」に記載された官社だが、あまり知られておらず、由来についても謎が多い。カラクニイタテは、「韓国伊大氐」などと書かれるが、著者によると、韓国とは新羅のことで、伊大氐は射楯と考えられ、つまり、新羅から出雲国を、ひいては日本を守るために建立された神社ということができるのではないかという。

 ⇒それだけ、新羅と日本との交流は濃密で、技術など職人たちの交流など良い面があれば、唐朝における朝賀で、日本の遣唐使と新羅使が席次を争ったり(遣唐使が上席を占めた)、日本の遣新羅使を無礼により新羅王が引見しなかったりしたこともあった(753年)。また、新羅調伏のために朝廷は、伯耆、出雲、石見、隠岐、長門の五国に四天王像を安置させたり(867年)、武蔵国に移した新羅人が逃亡(879年)したり、良くないことも色々あったようでした。

現代の日韓、日朝関係とあまり変わらないみたいですね(苦笑)。

 

国有林が売られる=キーパースンの竹中平蔵氏を何故報道しないのか?

 改正国有林野管理経営法なるものが、6月5日の参院本会議で、自民、公明の与党と国民民主党、日本維新の会などの賛成多数で可決、成立しました。

  これは「全国の国有林を最長50年間、大規模に伐採し、販売する権利を民間業者に与える」という法律ですが、ほとんどの国民は知らないでしょう。大手マスコミで大きく報道していたのは、毎日新聞ぐらいです。あとは無視。私も知りませんでした。昨日の朝のTBSラジオを聴いていて初めて知りました。

 「販売する権利を民間業者に与える」というのは、いわゆるコンセッション方式といわれるもので、それは外資でもあり得ます。このブログの2018年12月4日付の「国民の無知につけこんで『日本が売られる』」にも書きましたが、「日本が売られる」の著者の堤未果さんは、この中で、 国民の資産である水の運営権を巧みにフランスの世界最大の水企業ヴェオリア社(の日本法人)に少しずつ売り渡していた事実を暴露していましたね。覚えていますか?

 また、この本の中では、水道だけでなく、国有財産である森林や材木までもが「民営化」の美名の下に売られることも少し書かれておりましたが、私自身はすっかり忘れておりました。

 6月6日付の毎日新聞朝刊「改正国有林法成立 外資進出警戒も」の記事では、九州・五島列島の町に2011年ごろ、大陸から中国系の企業が、地元の民有林を狙って突然進出して来て、町民を驚かせたという話から始まっています。

 水道の民営化に続いて、国有林の民営化も音頭を取って法制化を推進した人物は、安倍首相が議長を務める未来投資会議で、「民間議員」を務める竹中平蔵東洋大教授だということを毎日新聞は書いておりますが、極めて上品な書き方です。

 一方、ニュースに敏感なネットの住人の中には、「国有林払い下げでぼろ儲けを企む竹中平蔵氏」「国の財産、国有林を金融商品化し民間業者に売り払う」「売国の先兵たる竹中平蔵氏がまた絡んだ事案」といった過激であまり上品ではない文章が並んでおります。

 とは言っても、一連の悪名高い規制緩和のキーパースンは、竹中平蔵氏であることは間違いありません。が、毎日新聞以外の大手マスコミは、テレビも新聞もそれすら目立って報道しません。

 報道しないということは、国民に公にしたくはなく、隠したいのでしょうが、TBSラジオで、森本毅郎キャスターは、はっきりと「竹中平蔵東洋大教授はおかしい」と批判しておりました。

 

山里亮太さん蒼井優さん、ご結婚おめでとうございます!

 最近は、衝撃的な無差別殺人事件や高齢者ドライバーによる交通死亡事故や幼児虐待のニュースばかり聞かされていたので、心がささくれだっておりました。そのせいか、昨日電撃的に発表されたお笑い芸人と美人女優との結婚ニュースは久しぶりに明るい話題を提供してくれました。大変失礼ながら、もてない世の男性諸君に勇気を与えてくれたんじゃないでしょうか(笑)。

  結婚を発表した山ちゃんこと南海キャンディーズ山里亮太(42)さんと女優の蒼井優(33)さんのことです。

 最初このニュースを聞いたとき、多くの人と同じように「えーー!」と思いました。「ありえない」というのが正直な感想です。

 でも、今朝のワイドショーでの2人の会見を仕事として(笑)見ていたら、「お似合いのカップルじゃないかな」と妙に納得しました。芸能界は虚像と実像が複雑に交じり合った世界ですから、実際のところは分かりませんが、派手好きな芸能人とは違って2人とも堅実で、飾らない性格同士だったことには感心しました。

 特に、蒼井さんは、山ちゃんから結婚指輪を贈られようとしたら断って、「それよりいい思い出をつくってください」と頼んだことには驚きました。2人で色んな所を旅行したり、食事したりする方がいいというのです。女優さんなら派手にネックレスや指輪で飾りたがるものですが、感心感心です。もっとも、本当の理由は、彼女は大切な物はすぐなくしてしまうから、ということらしいですが。

 私もしっかり研修してますね。芸能リポーターみたいです(笑)。

 とはいえ、2人は6月3日に入籍しながら、同居していないというのも気になります。(その必要はないか?)蒼井さんも「恋多き女優」として噂が絶えなかった過去があります。男性42歳、女性33歳は「厄年」ですからね。所属事務所は、山ちゃんが「よしもと」、蒼井さんは、ともさかりえでブレイクしたイトーカンパニーですか。よしもとはともかく、イトーカンパニーの沢山の所属タレントは、ともさかさんと蒼井さん以外、私は知りませんけど…。

 いやいや、せっかくの明るいニュースなのに水を差す必要はないですかあ…(笑)。末永くお幸せに。

スサノオ神は渡来人の神

いやあ、魂消ました。

 日本人なら誰でも知っている八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治したスサノオ神(須佐之男命=すさのおのみこと)が、朝鮮半島からの渡来人が崇めた神だったというのです。

 神話の世界の話ですが、私は神話が、単なる机上の空論でも、荒唐無稽だとも、そして、牽強付会だとも思っていません。何らかの形で何代も何代にも渡って伝承されてきた話が「形」になったものだと思っております。その証拠に、神々が活躍した舞台が現在でも地名などとして残っているのです。

 今、瀧音能之著「風土記と古代の神々 もうひとつの日本神話」(平凡社、2019年1月16日初版)を読んでおりますが、1ページ、1ページ、感心しながら勉強させて頂いております。著者は、日本古代史専門の駒沢大学教授です。

 瀧音教授は、「古事記」「日本書紀」だけでなく、「風土記」に注目して古代の神話を実証的に解明されております。風土記の中でも特に「出雲風土記」を取り上げています。(奈良時代、朝廷は全国60余りあった国々に「風土記」を提出するように命じましたが、現在残っているのは、 出雲、常陸、播磨、肥前、豊後の5国分だけ。 このうち出雲だけが完本です)

 出雲は、大和朝廷が成立する以前は最も勢力があった豪族で、文化も技術も際立て進んでいた国だったと思われます。何故なら、日本海をはさんで、大陸や朝鮮半島からの最新技術を逸早く取り入れていたからです。勿論、人的交流もあったでしょう。だから、大和朝廷としては全国平定に当たって、出雲に攻め入り、それが「国譲り」の物語になったのではないかと私は推測しています。

 さて、瀧音教授によると、スサノオ神に関連する地名が「出雲風土記」の中で4カ所出てくるといいます。意宇郡の「安来郷」(いずこから来たスサノオ神がここに来て、「気持ちが落ち着いた」と語った)、飯石郡の「須佐郷」(スサノオ神は、ここは小さい国だが良い国だと語り、大須佐田と小須佐田という田を定めた)、大原郡の御室山(みむろやま=ここにスサノオ神が御室を造って宿った)、最後は大原郡の「佐世郷」(スサノオ神が佐世の木の葉を頭にかざして踊ったところ、地面にその木の葉が落ちた)です。この4カ所は、地図で見ると同じ緯度で東西に一直線に並びます。

 この中で、安来郷は今の島根県安来市で、安来節や陶芸家河井寛次郎の出身地として知られていますが、最も重要なのが「須佐郷」です。現在、島根県出雲市にある須佐神社辺りです。瀧音教授はこう書きます。

 それでは、スサノオ神の性格はというと、結論的には製鉄神であったと考えられる。その理由は、まず何よりも須佐郷(中略)は産鉄地域であることがあげられる。…「出雲風土記」の中にも鉄関係の記載をみることができる。こうした地域的な特徴やスサノオ神がもっている呪術的性格などから、スサノオ神は須佐郷を本拠地とする製鉄神であったと考えられる。そして、製鉄という技術をふまえるならば、そもそも朝鮮半島からの渡来人集団によってもたらされた神であるということができるであろう。

 いかがでしょうか?私は納得してこの学説を受け入れました。

  文字や五経や仏教、土木工学、建築、画、仏像、織物、手工芸、馬と馬具、須恵器など思想や技術を持った渡来人は5世紀の頃から、大和の政権中枢に受け入れられ、大活躍したことは以前、このブログの「今来の才伎」(2016年5月24日)で書いたことがあります。

 ここから私の推測ですが、スサノオ神が退治したヤマタノオロチは八つの頭と胴を持った龍のような怪物と言われてますが、実際は、たびたび水害を及ぼして地域住民を困らせていた八つの河川だったのではないかという説があります。

 ということは、ヤマタノオロチを退治したということは、土着の地域住民ができなかった治水の技術を持った渡来人が行ったということにならないでしょうか。つまり、須佐郷に居た渡来人は製鉄技術だけでなく、治水技術にも秀でていたのではないかと私は思っています。