謎の100部隊と満洲国の「真の姿」=「満洲における日本帝国の軌跡の新発掘」ー第49回諜報研究会

 4月15日(土)、東京・高田馬場の早稲田大学で開催された第49回諜報研究会(インテリジェンス研究所主催、早大20世紀メディア研究所共催)の末席に連なって来ました。同研究会にはここ数年、コロナの影響でZOOM会議では参加しておりましたが、実際に会場に足を運んだのは4年ぶりぐらいでしょうか。久しぶりにお会いする旧知の方とも再会し、まるで同窓会のような雰囲気でした。

 何と言っても、今回登壇されたお二人の報告者が、もう20年近く昔に謦咳を接して頂いた私淑する人生の大先輩ですので、雨が降ろうが嵐が吹こうが、万難を排して参加しなければなりませんでした。実際、この日は雨が降っておりましたが(笑)。

 今回の諜報研究会の大きなテーマは「満洲における日本帝国の軌跡の新発掘」でしたが、最初の報告者は、加藤哲郎一橋大学名誉教授で、タイトルは「人獣共通感染症とワクチン村 731部隊・100部隊の影」でした。事前にメール添付で各人に資料が送られて来ましたが、加藤先生の場合、簡単なレジュメどころか何と70ページにもなる浩瀚なる資料だったので絶句してしまいました。

 こんな長尺な資料から醸し出される講演について、このブログで一言でまとめることは私の能力では無理なので、「概要」から特に印象に残ったことだけ記させて頂きます。講演は、政治学者である加藤哲郎氏と獣医疫学者である小河孝氏がコラボレーションして共著された「731部隊と100部隊ー知られざる人獣共通感染症研究部隊」(花伝社、2022年)の話が中心でした。私自身は石井四郎の731部隊に関しては存じ上げておりましたが、100部隊については、全く知りませんでした。この部隊は、細菌戦研究・生体実験実行部隊として活動した「関東軍軍馬防疫廠100部隊」が正式名称で、歴史の闇の中に隠れておりましたが、小河孝氏による「新発掘」のようです。

 ズルして、概要について、少し改編して引用させて頂きますと、「中国大陸や東南アジアで細菌戦や人体実験を行ったのは、医学者、医師中心の関東軍防疫給水部『731部隊』(哈爾浜) だけではなく、 馬を『生きた兵器』とした軍馬防疫廠『100部隊』(新京)も重要な役割を果たしていた。 戦後、731部隊関係者は米軍に細菌戦データを提供して戦犯訴追を免れるが、軍歴を問われなかった獣医たちはGHQと厚生省、農林省に協力して伝染病撲滅のワクチン開発に職を得た。 そこに人獣共通感染症を研究してきた旧731部隊医師が加わり、彼らは1948年にジフテリア予防接種事件(84人死亡、1000人被害)を起こしながらも、感染症が蔓延した占領期の『防疫』に従事し、その後も日本のワクチン産業を支えた。 2020年年以来の新型コロナに対する日本の医療にも、731部隊・100部隊出身者の系譜を引く「防疫」の影がみられた。」

 これだけの概要だけでも、「えーー、本当ですか?」と胸騒ぎがしますが、加藤氏は、一つ一つ、実証例と関係者の実名を明らかにして解説してくれました。特に、驚かされたことは、究極的に、言論思想統制の「防諜・検閲」と、感染症対策の「防疫・検疫」は相似形で、明治の山縣有朋以来、同時進行で行われ、戦前の最大官僚だった内務省の対外インテリジェンスの二本柱であったという事実です。それだけではなく、現在の新型コロナの感染対策も明治以来の施策が色濃く残り、旧731部隊、100部隊出身者が設立した病院や彼らが開発したワクチンや医薬品、それに彼らが旧職を隠して潜り込んだ大学や製薬会社などがあったという史実でした。

 加藤氏は、医師の上昌広氏がコロナ・パンデミックに際して発表した「この国(日本)は患者を治すための医療ではなく、日本社会を感染症から守る国家防疫体制でコロナに対応している。(中略)明治以来の旧内務省・衛生警察の基本思想がそのまま生きる、通常医療とは別の枠組みからなっている。先進国では日本以外ない」(「サンデー毎日」2021年9月5日)といった記事も「裏付け」として紹介されていました。

 また、「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」のメンバーの出身を検証すると、(1)国立感染症研究所(感染研)は、国立予防衛生研究所(予研)と陸軍軍医学校防疫部の流れを汲み、この軍医学校防疫部から731部隊が結成されます。(2)東京大学医科学研究所は、伝染病研究所の流れを汲み、(3)国立国際医療センターは、陸軍病院の流れを汲み、(4)東京慈恵医科大学は、海軍生徒として英国に留学した高木兼寛らが創立し、海軍との関係が深かった、ということになります。まさに、人材的に、戦前と戦後は途切れたわけではなく、その歴史と系統と系譜は脈々と続いていたわけです。

 100部隊の獣医師らについては、農林省の管轄であったこともあり、戦後はほとんど公職追放されることなく無傷で、ワクチン業界に入ったり、学会に戻ったりした人も多かったといいます。後に岩手大学長になった加藤久弥や新潟大農学部長になった山口本治らの実名が挙げられていました。

 このほか、ワクチン製造会社で有名なデンカ生研は、電気化学工業(現デンカ)の子会社ですが、その前は東芝の子会社として1950年に設立され、戦前は東芝生物理化学研究所新潟支部で、もっと辿れば、1944年に設立された陸軍軍医学校新潟出張所が母体になっていたといいます。陸軍軍医学校とは、勿論、石井四郎の731細菌部隊を輩出した母体でもあります。

 次に登壇されたのが、ジャーナリストの牧久氏でした。タイトルになった「転生」ですが、私はこの本について、このブログでも昨夏、二度にわたって紹介させて頂きました。(2022年8月9日付「8月9日はソ連侵攻の日=牧久著「転生 満州国皇帝・愛新覚羅家と天皇家の昭和」」と同年8月12日付「周恩来と日本=牧久著「転生 満州国皇帝・愛新覚羅家と天皇家の昭和」」です。)牧氏らしく、多くの資料を渉猟して、満洲国皇帝、愛新覚羅溥儀とその実弟溥傑と日本人妻嵯峨浩を中心にした波乱万丈の生涯と満洲帝国の「真の姿」を描き切った労作です。

 今回の諜報研究会の大きなテーマになっている「新発掘」というのは、これまで散々流布されてきた「傀儡国家・偽満洲」ではなく、残された資料から、皇帝溥儀と満洲帝国の「真の姿」を炙り出したことが「新発掘」に繋がると思います。

 つまり、自己批判の回顧録として書かされた溥儀の自伝「我が半生」には、自分の都合の悪いことは書かれず、また、東京裁判で証言に立った溥儀が、自分は関東軍にピストルを突き付けられ、脅迫されて即位した皇帝で、満洲は傀儡国家だったいった趣旨の発言も虚言だったことを暴いたのです。歴史の資料というものは、100%真実が書かれているわけではないのです。

 私も、自分自身の思い込みなのか、教育でそう教え込まれたのか分かりませんが、溥儀の言う通り、満洲は傀儡国家で、皇帝溥儀には何ら自由も決定権もなく、関東軍に操られた人形に過ぎなかった、と信じておりましたが、牧氏の「転生」(小学館、2022年)を読むと、そうではなかったことが分かります。溥儀は、清朝最後の「ラスエンペラー」で、辛亥革命で退位させられたものの、実は、清朝復辟(復活)を夢見て、日本(軍)を利用しようと目論んでいたというのです。そのためにも、実弟溥傑を日本の陸軍士官学校に留学させたりします。

 また、溥儀は、満洲国皇帝に即位して、昭和10年に初来日した際、大歓迎を受け、特に貞明皇太后(昭和天皇の母)から、我が子のように手厚いもてなしを受けたことから、「自分は天皇の兄弟ではないだろうか」と大錯覚してしまうのです。満洲に帰国すると、溥儀は自ら率先して、天照大神をまつる建国神廟を建立するなど、各地に神社をたてます。これも、以前は、「日本人が強制的に満洲に無理やりに神社を建立させた」と、私自身も思い込み、「可哀想な満洲の人たち」と思っていたのですが、溥儀自らが決断したことだったことが分かりました。

 私も、牧氏が仰るように、同じように「歴史修正主義者」ではありませんが、やはり、少なくとも歴史教科書には真実を書くべきであると思っています。諸説ある場合は、違う説も並列して記述するべきです。そうすれば、学徒も間違った思い込みをしたまま、老いて一生を終えたりしないと思います。

 

杉田敏著「英語の極意」から連想したこと

 あれから、杉田敏著「英語の極意」(集英社インターナショナル新書)を読んでいます。2023年4月12日初版ですから出たばかりです。私は、杉田先生のNHKラジオ「ビジネス英語」で勉強させて頂いたお蔭で、かなり英語が上達したと思っておりますので、お会いしたことはありませんが、勝手に師として仰いでおります。

 そんな杉田先生が、どのようにして英語を獲得されたかと言えば、毎日、必ず、ニューヨーク・タイムズを始め、英字紙3紙以上に目を通されたりしている不断の努力の賜物なのですが、それ以外に、ただ闇雲に単語や文法を覚えるのではなく、英語という言語の裏に隠された「文化」を知るべきだ、とこの著書で「極意」を明かしているのです。

 その文化として杉田氏が挙げているのは、順不同で、聖書、シェークスピアの作品、ギリシャ神話、イソップ寓話、ことわざ、スポーツ用語、広告コピーなどです。欧米人ならお子ちゃまでも知っている格言、成句、聖句の数々です。

 まあ、日本人も「鬼に金棒」とか「早起きは三文の得」とか普段の会話などにも使ったりしてますからね。

 となると、英語上達の早道は、聖書やシェークスピアなどを英語で読むことかもしれません。特に聖書は、言語だけでなく、泰西美術(西洋絵画)を鑑賞したり、バッハを始めクラッシックを聴く際は必須で、聖書を知らないと話になりません。

 残念ながら、と言う必要はありませんが、英語には、当然のことながら、仏教用語やイスラム教用語は格言としてあまり取り入れていません。ただ、The nail that sticks out gets hammered down. は、日本のことわざ「出る杭は打たれる」を翻訳して取り入れたものだと杉田氏は言います。

 聖書やシェークスピア以外で、「イソップ寓話」が結構、英語に取り入れられていたとは、少し意外でした。「アリとキリギリス」や「オオカミ少年」などは日本人でも知っていますが、「キツネとブドウ」から取られたsour grapes(酸っぱい葡萄)などは格言にもなっています。

 そしたら、この「イソップ寓話」は、定説ではありませんが、紀元前6世紀頃の古代ギリシャのアイソーポスという名前の奴隷がつくったという説があるというのです。たまたま、私自身は、3月から4月にかけて、植木雅俊訳・解説の「法華経」をずっと読んでいたのですが、この法を説いたお釈迦さまは、紀元前565年に誕生して紀元前486年に入滅されたという説があるので、イソップ(アイソーポス)とほぼ同時代の人ではありませんか! 仏教のお経が何百年にも渡ってお経が書き続けられたように、イソップ寓話も何百年にも渡って、物語が書き続けられたという点も似ています。

 お釈迦さまは6年間の厳しい厳しい苦行の末、覚りを開かれましたが、イソップさんも、奴隷だったとすれば、厳しい苛酷な肉体労働を強制されて、つかの間の休憩時間に物語を生み出したのかもしれません。

 お経は宗教書ですが、イソップ寓話は子どもでも分かる教訓書になっていて何千年も読み継がれ、語り継がれました。となると、イソップ寓話も人類の文化遺産であり、仏教書に負けずとも劣らず人類に影響を与え続けて来たと言っても過言ではないでしょう。

 さて、ここで話はガラリと変わりますが、先日、テレビで古代エジプトの悲劇の少年王ツタンカーメンの特集番組を見ました。このツタンカーメンは、父アクエンアテン王が宗教改革を断行して、多神教から太陽神だけを祀る一神教にしたため、大混乱に陥った最中の紀元前1341年に誕生したと言われます。父王の死後、9歳で即位し、戦闘中での膝の傷から感染症が悪化して20歳前後で亡くなったという波乱の生涯をやっておりました。(ツタンカーメンの死後、クーデターで実権を握って王になった最高司令官ホルエムヘブが、ツタンカーメンを歴史上から抹殺したため、長年、その存在が忘れ去られ、奇跡的にほぼ無傷で20世紀になって墳墓が発掘されました。)

 私はテレビを見ていても、法華経を説いた仏陀=お釈迦さまのことが頭から離れずにいたので、「あっ!」と小さく叫んでしまいました。

 当たり前の話ですが、紀元前1341年生まれの古代エジプト王のツタンカーメンにとって、釈迦は、自分より約800年も先に生まれる「未来人」に当たるわけです。逆に人間お釈迦さまにとっては、ツタンカーメンは800年も前の昔の人で、恐らく、その存在すら知らなかったことでしょう。

  つまり、何が言いたいのかと言いますと、古代エジプト文明から見れば、お釈迦さまは、意外にも「最近」の人で、仏教も新しいと言えば、新しい。キリスト教はまだ2000年しか経っていないからもっと新しい、といった感慨に陥ったのでした。

 Art is long, life is short.  芸術は長く、人生は短し。(紀元前5~4世紀 ギリシャの医者ヒポクラテス)

 

観音さまは古代ペルシャの神様だったのか?

 相変わらず、植木雅俊=翻訳・解説「サンスクリット版縮訳 法華経」(角川ソフィア文庫)を読んでおります。「読む」などと書きますと、怒られるかもしれませんが、首を垂れながら、熟読玩味させて頂いております。これまで、法華経は部分訳で読んだことはありますが、この本で初めて「全体像」を把握することが出来ました。

 法華経は、本来なら、「神力品」の次に「嘱累品(ぞくるいぼん)」で完結していましたが、後世になって「陀羅尼品」から「普賢品」まで六つの章が付け足されたということも、この本で私は初めて知りました。

 翻訳された植木氏も、解説の中でさまざまな矛盾を指摘されております。例えば、最古の原始仏典「スッタニパータ」に著されているように、釈尊は占いや呪法を行ったりすることを禁止しておりました。それなのに、後世に付け加えられた「陀羅尼品」の中では、法華経信奉者を守護する各種のダーラニー(呪文)が列挙されます。

 また、同じく付け加えられた「薬王菩薩本事品」の中では「説法の場に女性がいない」と書かれていますが、本来の法華経の冒頭では、魔訶波闍波提(マハー・オウラジャーパティー)=女性出家第一号=や耶輸陀羅(ヤショーダラー)=釈迦の妃で、十大弟子の一人になった羅睺羅の母=ら何千人もの女性出家者が参列しています。植木氏の解説によると、「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の浄土三部経のいずれにも、説法の場に女性が含まれておらず、「『無量寿経』で阿弥陀如来の極楽浄土には女性が皆無とされていることと関係があるかもしれない」(356ページ)と書かれています。

 えっ?西方極楽浄土には女性はいないんですか!? 

 翻訳・解説の植木氏は、どうも浄土教系とは距離を置いている感じで、「極楽(スカーヴァティー)世界」についても、法華経の中では、後世に付け加えられた「薬王菩薩本事品」と「観世音菩薩普門品」しか出て来ない。「何の脈絡もなく阿弥陀如来が出てきて、唐突さが否めない」(356ページ)とまで書いておられます。よほど腹に据えかねたのでしょうか?

 いつぞやもこのブログで書きましたが、お経は、お釈迦様御一人が語られたものだけでなく、多くの弟子たちが「如是我聞」ということで、書き足されたことは確かなので、私なんかそれほど目くじらを立てることもないと思ってしまいます。が、人文科学者として正しい行いであり、正確を期する意味では有難いことだと感謝しています。

 さて、これまたいつぞやにも書きましたが、釈迦入滅後の56億7000万年後に如来(仏陀)となるあの弥勒菩薩が「名声ばかり追い求める怠け者だった」と「序品」で明かされたことは衝撃的でした。あの有名な京都・太秦「広隆寺」の弥勒菩薩半跏思惟像は、個人的にも特別に尊崇の念をもって拝顔しておりましたので、少しショックでした。法華経で、弥勒菩薩の「過去」を暴かれたことについて、翻訳・解説の植木氏は「イランのミトラ神を仏教に取り入れた当時の風潮に対する痛烈な皮肉と言えよう」と書かれていたので、気になって調べたら、色んなことが分かりました。

 このミトラ神とは、古代ペルシャ(イラン)の国教になったゾロアスター教の聖典「アヴェスター」に出て来るらしく、ミトラは、閻魔大王のような、人の死後の判官だったというのです。また、ゾロアスター教の創造主はアフラマズターと呼ばれ、この神が仏教では大日如来の化身となり、アフラマズダ―の娘で水の女神アナーヒターが、仏教では観音菩薩になったという説があるというのです。

 観音菩薩は、勢至菩薩とともに、阿弥陀如来の脇侍に過ぎないのですが、日本の仏教では、「観音さま」として特別に信仰が深いのです。33のお姿を持ち、全国では千手観音像や如意輪観音像や聖観音像などを御本尊としておまつりしている寺院が圧倒的に多いのです。あらゆる苦しみ、恐怖、憂いを消滅させてくれる菩薩さまだと言われております。その観音さまが、もともとはゾロアスター教のアナーヒター神だったとすると、驚くばかりです。

 また、仏教に影響を与えたバラモン教(聖典「リグヴェーダ」)の最高神ブラフマーは、仏教では梵天、ブラフマーの娘である河の女神サラスヴァティは弁財天の化身だという説もあるようです。

 バラモン教が創始されたのは紀元前1500年以降、ゾロアスター教は紀元前1400年以降、仏教は紀元前500年以降と言われているので、仏教はバラモン教(ヒンズー教)やゾロアスター教などを取り入れたことは確実ですが、とにかく、奥が深い世界です。

 (ただし、植木氏は「観世音菩薩普門品」の解説の中で、「架空の人物である観世音が、歴史上の人物である釈尊以上のものとされる本末転倒がうかがわれる」と批判されてます。)

オメガとスウォッチとの共同制作スイス製「ムーンスウオッチ」、赤の「火星」を購入

  むふふふ、ついに買ってしまいました。

 (嗚呼、このブログ、そんなのばっかしですねえ! しかし、Man shall not live by bread alone. 人はパンのみにて生きるにあらず)

  スイスの高級時計「オメガ」と「スウォッチ」がコラボレーションした「ムーンスウオッチ・コレクション」です。太陽から冥王星まで、11種類販売されましたが、かなり格安なので、生産が追い付かないほど世界的にも人気商品となり、何処の販売店でも品薄状態が続いているというのです。

 それが先週6日の朝日新聞の東京夕刊に載ってしまい、「人が殺到して、まあ、手に入らないだろうなあ」と覚悟しつつ、東京・銀座のスウォッチ正規販売店に行ってみたのです。

 昼休みなので、それほど時間がありません。が、係りの人が「予約販売はしておりません。平日は空いております。10分くらいお並びになれば、大丈夫かもしれませんよ」とアドバイスしてくれたので、「まあ、10分ならいいか」ということで並ぶことにしたのです。

 これでも、実は、かなり下調べしておきました。何しろ、ムーンスウオッチは11種類もありますから、何にしたら良いのか迷います。第一候補は、ブラックの「月」でした。しかし、11種類の中で「一番人気」ということで、多分、売り切れている可能性があります。そこで、自分の「守護惑星」を調べてみました。今は簡単に調べられます。

 でも、よく分からないのです。私の生まれた月日の星座は、かに座なのですが、そのかに座の守護惑星は「月」だというのです。それなのに、私の生年月日を入れて検索できる守護惑星のサイトで調べてみたら、私の守護惑星は「火星」だったのです。

 どっちなんじゃい? と言いたくなりました。(生年を入力するので、火星の方が正確のような気がしましたが…)

 「ま、いっか、どっちかあれば買おう」と勇んでショップに向かったわけでした。「月」の方は、オメガ純正の「スピードマスター ムーンウォッチ」を参考にして作られ、黒光りして重厚感があります。オメガなら100万円ぐらいしますが、こちらの「ムーンスウオッチ」の方は、わずか3万円台で買えるのです。それで、私のようなそれほど裕福ではない人間でも、喜び勇んで買えるわけです(笑)。「ムーンスウオッチ・コレクション」が、世界のどこのショップでも売り切れてしまう理由が、これでお分かりになったことでしょう。中には、ネットで転売され、20万円以上の値が付いているムーンスウオッチもあるようです。

 ただし、「火星」ウオッチの方は、赤が主体で、重厚感は全くありません。どちらかと言えば、夜店のバッタ屋で二束三文で売っていそうな代物にも見えます(あくまでも個人的感想です)

 それでも、私の守護惑星は、火星でした。しかも、今年のラッキーカラーは、赤でした。何を躊躇するのだ!

「ムーンスウオッチ・火星」3万6300円

 で、結局どうなったのか、と言いますと、やはり、人気一番の「月」は売り切れ。不人気の?「火星」は残っておりました。思い切って買いましたよ(笑)。ショップで私の前に並んでいた外国人観光客らしき親子連れ(父と娘さん)がフランス語を喋っていたので、「旅行ですか?どちらから来られたのですか?」と聞いてみたら、スイスのジュネーブと答えたので吃驚。なんだあ、家に買って地元で買えるじゃん!と思いました。結局、彼らは、お目当てのものが売り切れだったらしく、何も買わずに帰ってしまいましたが。

 さて、無理して「火星」を買ってしまった私。嵌めてみると、「え?何? 軽い~」が第一声です。プラスチック製なのか、重厚感も高級感もなく、やはり、夜店で買ったまがい物にも見えなくもない。

 何を言う! 控えおろう~

 いや、すんまへん。曲がりなりにも、「OMEGA」なるブランドが刻印された高級腕時計なんて、生まれて初めて見に着けるので、気が動転していたのかもしれません。

 はい、はい。撤回します。この腕時計を装着すると、幸運が舞い込んでくる気がします。何しろ、私の守護惑星である「火星」であり、ラッキーカラーの「赤」じゃありませんか!

 あまりにも軽いので、腕時計を嵌めていることさえ忘れます。「ははあ~、有難き幸せ~」ということにしておきます。

 You can’t take it with you. (あの世にお金は持っていけない。)

姓名に五音が全て含まれていると良い事があるかも?

 日本の歴史上の人物で「三大英傑」と言えば、

 織田信長(1534~82)享年47歳

 豊臣秀吉(1637~98)享年61歳

 徳川家康(1543~1616)享年73歳

 の3人ということで、相場が決まっています。冠に「戦国時代の」と付くべきかもしれませんが、日本史上の「三英傑」と言えば、この3人で決定しても差し支えないでしょう。

 この3人の中で人気度で言えば、恐らく、信長が一番でしょう。続いて、秀吉、最後が家康。多分、家康は「たぬきじじい」の陰口通り、如才がない陰謀家のイメージが焼き付いているからでしょう。

 しかし、信長は、最も信頼していた家臣明智光秀に裏切られて、47歳で自刃し、天下統一一歩手前の志半ばで終わっています。

 秀吉の晩年は猜疑心の塊で、無謀な朝鮮出兵を繰り返し、秀頼に家督を譲って、末代まで豊臣政権安泰を構想しましたが、家康によって、秀吉自ら神として祀られていた豊国神社や奈良の大仏(15メートル)より大きい京都大仏(19メートル)まで破壊され、歴史上から抹殺されようとしました。

 その点、家康は、戦国の世を収めて、260年も続く徳川政権を樹立することに成功しました。治水も含め、風水に基づいた都市整備(江戸城の鬼門に寛永寺、裏鬼門に増上寺、その他、周囲に目黒、目白などの不動尊を配備)、徳川家が断絶しないよう「御三家・御三卿」の創設や「大奥」などを設置し、金地院崇伝や天海上人、三浦按針らのブレーンを側に配置して、自ら亡き後の100年後、300年後を見据えて計画しています。「長寿こそ天下取りの秘訣」を熟知していた家康は「健康おたく」で、自ら薬草園をつくって、薬を調剤するなどしていたといわれます。

 もしかしたら、後世に影響を与えた最重要人物として、たった一人を挙げよと言われれば、この徳川家康になるかもしれません。私は一票を入れます(笑)。

 さて、この徳川家康という名前ですが、実は、「とくがわ・いえやす」の発音の中に「あいうえお」と五音が全て揃っているのです。織田信長には「い」と「え」がありません。豊臣秀吉には「あ」と「う」がありません。これは、単なる姓名占いかゴロ遊びではありますが、「そっかー」なんて思ってしまいます。

 ところで、このブログ《渓流斎日乗》の主宰者は、高田信之介(たかた・しんのすけ)と言います。これは、世を忍ぶ仮の姿と言いますか、諱(本名)ではなく、筆名ですが、驚くべきことに、何と、この筆名には偶然にも「あいうえお」の五音が全て含まれていたのです。「やったー」です。

 だから、何なの?と言われてしまいそうですね(苦笑)。失礼しました~。

心の安寧を求めて法華経に学ぶ

 相変わらず、植木雅俊訳・解説のサンスクリット版縮訳「法華経」(角川ソフィア文庫)を少しずつ読み続けております。

 「はじめに」によると、「法華経」が編纂されたのは、紀元1世紀末から3世紀初めのガンダーラを含むインド西北だと考えられ、釈尊が入滅して500年も経過していたといいます。となりますと、21世紀に生きる人文科学者たちには、当然のことながら、このお経は、歴史上の実在人物である人間ゴータマ・シッダールタ(釈迦)が一人で直接、本当に説法したものではなく、後世の弟子たちによって創作されたものも含まれているのではないかという疑念が生じることでしょう。

 私は、仏教を信仰する信者、信徒、門徒の人たちや僧侶に怒られるかもしれませんが、それでも構わないと思っております。いくら超天才のお釈迦様でも、万巻のお経を全て自ら独りで著すことは物理的にも無理でしょうから。お経に関しては、最初にまとめられたとされるお経は「阿含経」と言われ、小乗仏教の経典になりますが、次第に厳しい苦行を経て修行した一部の者しか成仏できず、女性が成仏できるわけがないという差別的、特権階級的宗教になってしまいました。それが、西暦紀元前後から大乗仏教運動が起こり、「般若経」を始め、「法華経」「維摩経」「阿弥陀経」など多くの経典がつくられます。それは、一言で言えば、特別な人ではなく、老若男女のあらゆる衆生が身分や階級の差別がなく成仏できるという本来釈迦が唱えた「原始仏教」に帰れといった運動でした。

 よく誤解されますが、成仏というのは、死んだ後にあの世に行って仏になるという意味ではなく、全ての人には仏になれる性質、つまり「仏性」を持っているので、本来自分自身に備わっている仏性に目覚めて、現実世界で悩みや苦しみを乗り越えて生を充実させる生き方を覚ることが成仏と言われています。特に、この「法華経」には、成仏のための方便が描かれています。訳者の植木氏によると、この方便とは、ウパーヤの漢訳で、ウパは「近くに」、アヤは「行くこと」で「接近」を意味し、英語のアクセスに当たるといいます。仏典では、衆生を覚りへと近づけるための最善の方策、という意味で使われます。

 法華経は、特に日本の仏教にも影響を与え、天台宗と日蓮宗が所依経典としています。(真言宗は紀元6世紀頃につくられた密教の「大日経」などを所依経典とし、浄土宗、浄土真宗などは、「阿弥陀経」など浄土三部経を所依経典とし、臨済宗、曹洞宗の禅宗には所依経典がないといいます。)

 実は、私は、この法華経を、ひとかけらの批判精神もなく、ただただ盲目的に信じて一言一句を読みながら、脳裏に焼き付けているわけではなく、取り敢えず、初めて遭遇する専門的な仏教用語に悪戦苦闘しながら、読み続けております。それでも、植木氏の翻訳と解説が大変分かりやすいので、本当に読み易くて助かっております。(私が購入した本は、2022年11月25日発行で、何と16刷です。かなり多くの人が「法華経」を求めていることが分かります)

 さて、やっと本文に入ります。第7章の「化城喩品(けじょうゆぼん)」には、16人の王子たちが、この上もなく正しい覚りを得て仏陀(如来)になった様が描かれています(140~141ページ)。何処に、どなた様がいらっしゃるかと言いますとー。

【東】歓喜の世界

(1)阿閦(あしゅく)如来

(2)須弥頂如来

【東南】

(3)獅子音如来

(4)獅子相如来

【南】

(5)虚空住如来

(6)常滅如来

【西南】

(7)帝相(たいそう)如来=インドラ神の旗を持つ

(8)梵相如来=ブラフマー神の旗を持つ

【西】

(9)阿弥陀如来

(10)度一切世間苦悩如来

【西北】

(11)多摩羅跋栴檀香神通(たまらばつせんだんこうじんつう)如来

(12)須弥相如来

【北】

(13)雲自在如来

(14)雲自在王如来

【東北】

(15)壊一切世間怖畏(えいっさいせけんふい)如来

【中央】娑婆(しゃば)世界

(16)釈迦牟尼如来

 やはり、法華経でも、西方の極楽浄土にいらっしゃるのは阿弥陀如来だったことが説かれています。そして、お釈迦さまがいらっしゃるのは、中央の娑婆世界だったとは! 娑婆とは、刑務所用語かと思っていました。いや、訂正して撤回致します。これは、これは、罰当たりなことを申して大変失礼致しました!

 この如来様の配置図で、法華経が分かったつもりになって安心していたら、第15章の如来寿量品(第十六)の植木氏の解説(273ページ)を読むと「あっ」と驚くことが書かれていました。

  歴史的に実在した人物は釈尊のみであった。「神が人間を作ったのではなく、人間が神を作ったのだ」という西洋の言葉と同様に、釈尊以外の仏・菩薩は人間が考え出した架空の人物である。 

 えっ!? 本当なのでしょうか? もし、そうなら、釈迦如来の脇侍である文殊菩薩も普賢菩薩も架空だということなのでしょうか? 特に、「智慧第一」の文殊菩薩は、釈迦の弟子マンジュシリーの名で、この法華経にも何度も登場しますが…。

 その一方、弥勒菩薩は、釈尊入滅後の56億7000年後に現れる未来仏と言われていますが、こちらは、どうも、実在するとは思えません。何故なら、地球が誕生して46億年しか経っていないこと、そして、太陽の寿命から、地球の寿命もあと50億年しかもたないことを現代人は知ってしまっているからです。

 それに、法華経序品で描かれるマイトレーヤ(弥勒)菩薩は、意外にも、心もとない菩薩として描かれていて驚いてしまいました。つまり、弥勒菩薩の過去は、名声ばかりを追い求めて、怠け者だったというのです。植木氏の解説では、「これは、歴史上の人物である釈尊を差し置いて、イランのミトラ神を仏教に取り入れて考え出されたマイトレーヤ菩薩を待望する当時の風潮に対する痛烈な皮肉と言えよう」と書かれています。古代ペルシャ(イラン)の宗教の中にはゾロアスター教も含まれています。ゾロアスターとは、ニーチェの言う「ツァラトゥストラ」です。

 なるほど、そういうことでしたか。仏教は、今から2500年前に、ジャイナ教やバラモン教などの影響を受けながらお釈迦さまによって創始されましたが、その後、ゾロアスター教やヒンズー教(密教)を取り入れて変容していきました。色んな経典が出来たのも、そのためなのではないかと思われます。

 法華経は、日本人が最も影響を受けた経典の一つであることは間違いなく、私自身は、先人に倣って、謙虚に学んでいきたいと思っております。

 それなのに、仏教が生まれた本国インドでは、仏教は下火となり、厳しいカースト制度のあるヒンズー教が現在、優勢になっているのはどうしてなのか? 人間とは差別、身分社会こそが本来の姿なのか? 格差がないと、観光資源になるような文化は生まれて来ないのか? 仏教はあまりにも平等思想を吹き込み過ぎたのか? 仏教の説く覚りは、やはり、煩悩凡夫では無理で、次第に人々の心から離れて行ってしまったのか? そもそも、人類にとって、救済とは何か?ーまあ、色々と考えさせられながら、今、法華経を読んでおります。

20世紀前半の映像87作公開=国立映画アーカイブ 

 4月6日(木)付読売新聞朝刊の二社面に「映像で知る20世紀前半=国立映画アーカイブ 87作公開ー教育や軍事「CMの先駆け」も」と題する記事がありました。私もネットで見てみることにしました。こりゃ、凄い。

 国立映画アーカイブ(NFAJ=National Film Archive of Japan、1952年開館、東京都中央区京橋)には、約8万6000本のフィルムが所蔵されていますが、そのうち、劇映画ではない実写作品の文化・記録映画やニュース映画が5万本近くあるといいます。そこで、NFJAは、ネット上に「フィルムは記録する ―国立映画アーカイブ歴史映像ポータル―」サイトを設置して、産業や教育、軍事、皇室関係など戦前の貴重な文化・記録映画をアップし、無料で公開することにしたのです。取り敢えず、まずは87本で、今後増えると思われます。

 国立と言うからには、国民の財産です。誰でも簡単に、わざわざ会館に足を運ばなくても、居ながらにしてアクセス出来て観られるようにしたところが凄いです。

 私も早速アクセスしてみました。読売の記事で紹介されていた「日露戦争の記録」(1904~05年)関係のフィルムは8本もあり、白黒の無声映画ではありますが、「よくぞ撮った」「よくぞ残っていた」といった感じです。こういう記録映画は、NHKテレビの「映像の世紀」などで見たことがありますが、いつでも見たい時アクセスできるということは、本当に素晴らしいですね。

咲くほどにこはれてゆくよチューリップ  吉田林檎

 また、明治製菓が大正15年に製作した「菓子と乳製品」(9分)なるプロモーション・フィルムもあります。説明には「明治製菓の製菓工場(川崎)におけるチョコレートの製造工程、牧場(茅ヶ崎)と製乳工場(両国)の様子を描写し、同社による主要製品を紹介するPR映画。完全版と思われる。」とあります。

 これが、読売に言わせると、「CMの先駆け」となるわけです。1926年当時の最新の工場機械によるチョコレートなどの製作過程だけでなく、当時の典型的な美人さんと思われる和服や洋装の女性(タレントの先駆け?)が笑顔を振りまいて登場したりしています。今から100年近い昔だというのに、オートメーションの機械は現代とそれほど変わらない感じで、驚くばかりです。

 この他、当時の文部省が製作した「子供の育て方」(28分)なるものまであります。1925年ということは、大正14年。三島由紀夫、永井路子、丸谷才一、辻邦夫、杉本苑子らが生まれた年ですから、この映画に登場する赤ちゃんを見ると、何か親近感が湧いてきます(笑)。

朝日新聞、月額500円の値上げに想ふ

 私は一応、今でもメディア業界の片隅で棲息しておりますので、朝日新聞の値上げのニュースには心を痛めました。5月1日から500円値上げして、朝夕刊セット月極め購読料が4900円になるというのです。値上げは2年ぶりですが、同時に愛知、岐阜、三重の東海3県での夕刊発行も休止するというのです。愛知は中日新聞、岐阜は岐阜新聞、三重は伊勢新聞の牙城ですから、(中日新聞は県紙というより、中部、東海、北陸のローカル紙ですが)天下の朝日も、地元紙に敗れたり、ということになります。

 値上げされて、「心を痛める」というのも変ですが、同情せざるを得ないからです。日本ABC協会によると、朝日新聞の発行部数は、1997年1月862万7500部をピークに、今年2月にはその半数以下の377万2617部にまで激減しているというのです。

 60歳以上の高齢者は忠誠心がありますからそれほど「新聞離れ」はしてませんが、特に20代、30代の若い世代の新聞購読者が激減したことが要因です。若い人が新聞を読まないと、その人が高齢になっても読まないということになります。つまり、先細りです。新聞業界も斜陽産業といいますか、衰退産業ということになります。

 となると、優秀な学生さんもそっぽを向いて入社しなくなり、人材不足で記事の質もどんどん劣化し、悪循環でさらに部数も落ちることになります。

 これでええんかいなあ、と思います。

 まず、若い人は、ニュースはネットでタダで見られるから良いと勘違いしている人が多いのですが、それは大間違いです。特に、新聞・通信社の記事の中には、記者が夜討ち朝駆けで、苦労して足で稼いで書いたものもあり、その原稿は、デスクや校閲ら何人もの校正や事実確認などを経て記事化され、間違いやフェイクを避ける努力をしています。丸一日、取材対象に食い込んでも、1行も原稿にならない日もあります。費用対効果が非常に悪い業界なのです。

 ということは、記事が有料だからこそ、信頼度が担保されている、と言っても過言ではありません。

 しかし、ネットに溢れる「ニュース」の中には、タダですから、あまりにもいい加減な噂話やフェイクニュースだったりします。しかも、テレビの番宣だったり、読者を巧妙にモノを買わせるように洗脳する記事に見せかけたステマ広告だったりもします。

 もっと言えば、新聞は「社会を映す鏡」みたいなもんですから、新聞は、その国民の民度を表すのです。新聞の記事が劣化するということは、日本人の民度が劣化すると言っても良いのです。

 まあ、こんな影響力のないブログに何を書いても「暖簾に腕押し」か「蟷螂の斧」でしょうけど、新聞社や出版社などがネット上に記事を無料でアップするのをやめるか、有料にしたりしたらどうなるか、夢想します。

死語について考える=昔の話し言葉は素晴らしかった

 今の若い人たちは、と書けば、老人の繰り言に聞こえるかもしれませんが、まあ、聞いてくださいな(笑)。

 今の若い人たちは、「衣紋掛け」と聞いても、何のことか分からない、という話を聞いて、驚いてしまいました。衣紋掛けって、もう死語なんですかねえ? 今どきの若い人たちは、「ハンガー」なら分かるのでしょうか。

 それで思ったのですが、「下駄箱」はどうでしょうか? 私の世代は、小学校や中学校などで当たり前に使っていましたが、それでも、ほとんどの生徒は、学校まで下駄なんか履いて来たことありませんでした。そっかあ、今は「靴箱」と言うんでしょうか? 

 衣料関係では、私たちの世代で言っていた「チョッキ」は死語になり、「ベスト」と言うのは別に抵抗はないのですが、「ズボン」のことを「パンツ」というのはちょっと恥ずかしいですね(笑)。

 こうなったら、「ナウいアヴェックは、チョベリグーだね」とワザと死語を使いたくなってしまいます。どうだ。若いモンよ、意味が分からんだろう?(笑)

これだけ、日本語がちょこちょこ変わっていくと、若い人はもう古いことわざなんかはピンと来ないことでしょうね。「悪銭身に付かず」と言っても、銭なんていまや見たことない。「風が吹けば桶屋が儲かる」と言われても、桶屋って何? 「瓢箪から駒が出る」といっても、なんじゃそれ?でしょう。瓢箪なんか実物を見たことなんかないんじゃないでしょうか?

 その点、外国語は結構「保守的」であまり変わらないようです。以前、ロシア文学者で翻訳家の亀山郁夫氏(当時は東京外国語大学長)にインタビューしたことがあるのですが、19世紀のドストエフスキー(1821~1881年)の小説のロシア語は、現代ロシア語とそれほど変わっていない、という話を聞いた時は、本当に驚いてしまいました。

 そう言えば、私も学生時代にデカルト(1596~1650年)の「方法序説」(1637年)を頑張って原語(つまり、フランス語)で読んだことがあったのですが、20世紀の外国人が読んでも、あまり違和感なく、現代フランス語と同じように読むことができたことを覚えています。でも、17世紀のフランス語が読めるというのに、恥ずかしながら、17世紀の江戸時代の日本語は、崩し字を含めて、読めないし、意味も直ぐには分かりません。

 日本語の場合、その変遷があまりにも激しいので、出版界でも名作や旧作の新しい翻訳本が必要になってくるのでしょう。良いか悪いかは別にしてですが、そのうち、昭和の日本語を分かる人が少なくなる時代も到来するかもしれませんよ。あと100年? いやあ、もっと早いかもしれませんね(笑)。

築地本願寺

 書き言葉がこれだけ変わるのですから、話し言葉も変わります。小津安二郎の名作「東京物語」(1953年)での登場人物の話し方が、本当に、当時しゃべっていた同じ言葉遣いだったのか、と今では疑いたくなるほどです。

 それでも、戦死した次男の妻紀子役の原節子の言葉の言い回しはゾクゾクします。今どき、「でも、お父さま、お母さまも、ちっともお変わりありませんわ」なんて、言いませんからね。丁寧といいますか、情が籠った配慮のある言葉遣い、といいますか。。。「昔の日本人は素晴らしかったなあ…」なんて思ってしまいます。

昭和の情緒が消えていく東京=銀座も普請中

 この期に及んで、目下、世界に名だたる東京は、あちらこちらで「再開発」中です。

 例えば、東京駅前の八重洲エリア。オフィスビルとして日本一の390メートルの高さを誇る「Torch Tower(トーチタワー)」が2027年度竣工予定で、また、都内3番目となるミッドタウン「東京ミッドタウン八重洲」が出来るようです。

 日比谷公園の東側の内幸町・日比谷エリアでも大規模再開発が予定され、高さ約230メートルのノースタワー、セントラルタワー、サウスタワー、高さ約145メートルの帝国ホテルの新本館の建設などが計画されています。最終的な工事完了は2037年度以降らしいので果たして生きているかなあ?

銀座ソニービル

 私が縄張りにしている銀座もその御多分に漏れません。

 有楽町に近い銀座ソニービルは1966年に建てられたというのに、あっけなくも解体され、2018年から公園になっていましたが、それも壊されて、何やら2024年にGinza Sony Parkなるものが出来るらしいですね。新ビルの詳細は公表されていませんが、条例で許される高さ56メートルの3分の2に満たない34メートルのビル(地上5階、地下4階)になるといいます。

 銀座4丁目交差点の「銀座のシンボル」的ビルでもある「三愛ドリームセンター」も解体工事が始まっています。このリコーの新ビルは、前のビルを継承する形で設計され、2027年竣工を目指しています。となると、同じような円錐形ビルになるかもしれません。

 このビルの最上階にある「RICHO」の広告塔は、かつては「三菱電機」だったことを覚えています。私が子どもだった昭和30年代か40年代頃です。昭和50年代までもそうだったかもしれません。

 この晴海通り沿いを日比谷方面に行った3軒ぐらい先のビルの屋上に地球儀のデッカイ広告塔があり、「森永チョコレート」とあり、夜はネオンサインで輝いていました。これも昭和40年代ぐらいまであったかどうか…。このビルは洋書のイエナなどが入っていた建物だったのでしょうか? 駄目ですね、ちゃんと調べないと(苦笑)。もし、そうなら、現在は、「ジョルジュ・アルマーニ」ビルになっているところでしょうか。

 いや、銀座も含めて、東京は変わり過ぎるのですよ。まだ建物は使えるというのに、どんどん解体して建て替えしています。建物を500年も600年も優に持たせようとする欧州のパリやローマやロンドンやバーゼルなどとは大違いです。

 日本人はせっかちだなあ。

 私の通勤路でもある「みゆき通り」の5丁目、6丁目辺りでも工事中の現場をよく目にします。

 上の工事中は、銀座通りに面した銀座6丁目で、以前のビルの1階にはドコモ・ショップが入居していて、地下にイタリアンのレストランなどがありました。

 また、雑居ビルが建てられるのでしょうが、よくこんな狭い空間で、しかも銀座のど真ん中の繁華街で、新しいビルが建設されものだ、と感心してしまいます。(狭くても地価は、何十億円かは軽くするでしょう)

 この上の写真は、みゆき通り沿いの銀座5丁目で、以前は、1~2階はみずぼ銀行が入居していました。ビルの名称についても、次に建設されるビルについても何も分かりませんけど、また斬新な50メートル近いビルが建つことでしょう。

 みゆき通りの5丁目は、他に2カ所もビル建て替え工事中で、現場の歩道が半分削られて狭くなり、観光客も増えて、歩くのに詰まって不便でしょうがありません。(この不満を書きたくてブログにしたようなもんです=笑)

 銀座では、この他にも、いっぱい、いっぱい再開発が計画されているようです。このままでは、昔の面影がどんどん無くなっていきますよね。

 永井荷風は、関東大震災と米軍の空襲を体験し、東京にはすっかり江戸の情緒が無くなってしまった、と嘆いておりましたが、そんな災害や人災がなくても、昔の東京がどんどん破壊されていっております。戦争がない平和な時代が続いたというのに、昭和の情緒が消えてなくなってしまっているのです。

  私のような古い世代は「こんなんでいいのかなあ」と寂しくなります。

【追記】2023年4月5日

 重大なことを書き忘れていました。先日亡くなった世界的な音楽家坂本龍一氏は、少なくとも3000本の樹木が伐採される神宮外苑の再開発に反対する手紙を先月、闘病中にも関わらず、小池都知事らに送付しました。そしたら、小池都知事は「さまざまな思いをお伝えいただいたが、事業者でもある明治神宮にも送られた方がいいのではないか」と発言したらしいですね。(「日刊ゲンダイ」3月18日付など)

 再開発の許認可権を持つのは、都知事ではなかったでしたっけ?

【追記】2023年4月6日

 銀座だけかと思ったら、そのお隣りの築地でも、あちこちでビルが解体されて、再開発が始まっています。特に、電通の旧本社ビルがあった辺りは、住友不動産が再開発するようです。日本人は50年に一度の頻度でビルを建て替えるつもりなんですかね?またまた、都市の風貌が変貌していきます。