密教が少し分かったような…=「縁」と「運」を大事に

 またまたちょっとした偶然に巡り合いました。かつて流行(はや)った言葉を使わせて頂ければ、セレンディピティということになるのでしょうか。

  まず一連の流れからご説明致します。今年3月にランチで新橋の「奈良まほろば館」(奈良県の物産店)に行ったところ、偶然、運慶作の国宝「大日如来坐像」のミニチュアがあり、迷わず購入したことをこのブログで書いたことがあります。

 何故、購入したのかと言いますと、私の「守護仏」が誕生の干支(未・申)で大日如来だということを知り、「いつかお守りとして欲しいなあ」と思っていたのでした。奈良まほろば館で展示されていた坐像には、ただ「大日如来像」と書かれていただけでしたが、御顔立ちが気品に満ち溢れて素晴らしく、価格も手頃でしたので躊躇せず購入しました。後で調べたら、それは、奈良県の円成寺の運慶の20代のデビュー作と言われる大日如来像がモデルだったことを知り、二重の喜びでした。

 さて、毎日拝むことにしましたが、何と唱えたらいいのでしょうか? 浄土系の「南無阿弥陀仏」や法華経の「南無妙法蓮華経」は使えません。大日如来は密教の根本神です。後からまた詳しく書きますが、私は密教に関してはそれほど知識がない、と言いますか、大日如来は阿弥陀仏どころか、仏教を説いた釈迦如来まで「手下」として従えてしまっています(両界曼荼羅)。「密教って、仏教じゃないんじゃないのか?」といういわゆる偏見があったのです(後で少し訂正致します)。

 そこで、密教の勉強を始めることにしました。ちょうど、表紙写真の「密教でひも解く禁断の日本史」(宝島社、2023年5月10日発行となってます)を新聞の広告で見つけたので(最新知識が欲しいので)、早速購入してみました。なるほど、色々と初心者でも分かりやすく基本的なことが書かれています。ただし、文字だけでは分かりづらい点も多々ありました。

 そしたら、偶然にも、会社の同僚が「今、ラジオの聞き逃しサービスで、空海さんの特集をやってますよ」と教えてくれたのです。その番組は、奈良国立博物館の西山厚名誉館員による「NHKカルチャーラジオ 歴史再発見 生誕1250年 空海と日本の密教」というシリーズでした。全13回放送される予定で、5月1日現在、4回分がネット上でアップされています。(スマホのアプリでも聴くことが出来ます)

 講師の西山氏の語り口が絶妙で分かりやすいので実に面白い。あまりにも面白いので、昨晩は、4回分(1回30分間)を一気に聴いてしまいました(笑)。一番驚いたのは、密教というのは、平安時代初期に遣唐使として長安に渡って、恵果から灌頂を受けた空海から日本に初めて齎されたと思っていたのですが、何と、その前の飛鳥時代に既に密教が日本に入っていたというのです。十一面観音像や葛井寺の千手観音像などは密教(の具現化)だというのです。

 仏教は紀元前5世紀、カースト制を是認するバラモン教に対するアンチテーゼとして、釈迦によって教義が開かれ、その500年後に出家者だけでなく広く衆生救済を主眼とした大乗仏教が生まれ、そのまた500年後、つまり釈迦から見て1000年後の紀元5~6世紀に密教が生まれます。細かく言うと、飛鳥時代の密教は初期密教、九世紀の空海が唐から持ち帰ったのは中期密教で、後期密教はチベット仏教になり、後期は日本には入って来なかったといいます。でも、空海の師に当たる恵果(けいか、746~805年)は、そのまた師匠に当たる「金剛頂経」の不空(ふくう、705~774年)から金剛界を、「大日経」の一行(いちぎょう、683~727年)からは胎蔵界の密教をそれぞれ伝授されて、両界を統一させて中期密教を完成させた高僧でした。この金剛界と胎蔵界の両界が二つそろって初めて効能があるというのです。その後、中国では密教は衰退してしまうので、日本人の空海(774~835年)が継承出来たことはまさに奇跡的です。

 先ほど、大日如来を拝む際に、何と唱えたらいいのか? と自問自答しましたが、以下の通りになるわけです。つまり、

 金剛界大日如来(忍者のように胸の前で智拳印を結んでいます)は、梵語(サンスクリット)で「オン バザラ ダト バン」と言います。これがなかなか覚えられないので、意味を調べましたら、「オン」とは帰依するという意味で、「南無」と同じような使い方なのでしょう。「バザラ」は金剛で、ダイヤモンドのこと。ダイヤモンドのように硬くて傷付かない智慧のことです。「ダト」は界のこと。「バン」は大日如来の種子字です。種子字とは、尊称的な梵字の表記です。種子とは、仏教用語で、阿頼耶識(無意識)の中に蓄えられている膨大な記憶や業を指しますが、物事を引き起こす要因とも言われます。金剛界大日如来は智慧の象徴です。

 もう一つ、胎蔵界大日如来(座禅を組むように両掌を重ね合わせています)は「ノウマク サンマンダ ボダナン アビラウンケン」です。これも覚えにくい(笑)。「ノウマク サンマンダ ボダナン バク」は釈迦如来になるので、大日如来はアビラウンケンだけでも良いかもしれません。アビラウンケンは、宇宙の生成要素の地、水、火、風、空を表していると言います。胎蔵界大日如来は慈悲を象徴します。

 宗派によって、両界の大日如来の唱名の仕方はこれとは違う場合もありますが、いずれにせよ、密教とはまるで宇宙論に近いですね。

 以前、私自身「密教は仏教ではないのではないか」と疑問に思っていたのは、両者があまりにも違うからです。仏教と言えば、覚りを啓くために厳しい修行を重ねて、煩悩を否定し、肉食妻帯せず、飲まず食わず、夜も寝ないで、只管お経を唱えて自分自身を追い込んで苛め抜くイメージがありました。まさに、千日回峰行です。それが密教となると真逆になるのです。

 密教修法の一つに護摩焚きがありますが、その目的とは「息災」「増益(ぞうやく)」「敬愛」「調伏(ちょうぶく)」の4種類があると「密教でひも解く禁断の日本史」(宝島社)に書かれていました。これだけ読んだだけでは私はよく分からなかったのですが、ラジオの「空海と日本の密教」を担当している西山厚氏は、見事に分かりやすく解説してくださいました。こんな感じです。

 「息災」とは、マイナスをなくそうとすることです。「増益(ぞうやく)」とはプラスを増やすこと。「敬愛」は人から好かれたいと思う心。「調伏(ちょうぶく)」は、嫌な奴を何とかしてやりたいという気持ち。これらは全部、欲望です。でも、密教ではそれらを否定しないのです。それどころか、空海は、食欲も性欲も否定せず、「罰はない」とまで言ってます。

 そっかあー。私は目から鱗が落ちるように密教の根本を理解することが出来たような気がしました。当然のことながら、密教も仏教(の宗派)だったのです。

 先日お墓参りした親友の菩提寺は真言宗豊山派であることをこのブログにも書きました。となると、何か,みんな繋がっているような気がして来たのです。「ご縁」です。以前、京都の東寺や和歌山県の高野山金剛峰寺にお参りして空海の世界にどっぷりつかったことがありましたが、密教の奥義を理解するまではなかなか至りませんでした。もっと密教を深く知りたいと思うきっかけになったことが親友の菩提寺もその一つでした。これを縁だったんですね。

 最近、自分自身のこれまでの人生体験から、常々思っていることは、人生とは、60%が両親や御先祖様から受け継いだDNAによって決定されますが、残りの20%は「縁」、最後の20%は「運」で決まると思っています。偶然はご縁の一つだと考えています。

 このことに目覚めてから、毎日、「縁」と「運」を大事にしながら、一生懸命に生きております。

通好みの家康の家臣板倉重昌の江戸屋敷は現在、宝殊稲荷神社に

 ゴールデンウイークだというのに、結構このブログにアクセスして下さる奇特な方もいらっしゃいまして、主宰者としましては、深く感謝を申し上げる次第で御座います。

 さて、小生が愛読している「歴史人」(ABCアーク)5月号は、「徳川家康 人名目録」の特集で、大河ドラマ「どうする家康」のまさしく便乗商法ですが、大変読み応えがありました。

 徳川家臣団に関しましては、既に今年1月に週刊朝日ムック「歴史道」第25号が、「真説! 徳川家康伝」を特集していてかなり詳しく書かれていて、私もこのブログで取り上げたことがあります。(渓流斎ブログ2023年1月22日付「徳川家臣団の変遷が面白い=『歴史道』25号『真説! 徳川家康伝』特集」

 「歴史人」では、家臣だけではなく、家族やライバル(真田幸村、石田三成ら)などの「人名目録」が掲載されていますが、私自身は、やはり、家臣団の形成過程について、一番興味深く拝読させてもらいました。

 徳川家康は、自分自身は新田源氏の子孫であることを自称しておりましたが、もともとは三河松平郷の小さな郷主でした。段々と勢力を拡大して、国衆~三河国守~三河・遠江・駿河の大名~関東八州大名、そして天下人と大出世して行きます。その間に、撃退した今川氏の家臣や武田氏の家臣などは、全て滅亡させるのではなく、優秀な人材なら取り込んでいく様は見事と言うほかありません。

 家康のルーツの中で、キーパースンとなるのは、家康の6代前の松平信光ではないかと私は思っています。この人には何と40人もの子どもがいたそうです。家康は本家の安城松平家でしたが、40人もの子どもたちのお蔭でかなり多くの分家が生まれます。竹谷松平、大給(おぎゅう)松平、能見(のみ)松平、深溝(ふこうず)松平、長沢松平、鵜殿松平…等々です。そのため、初期の家康(松平元康)は、親戚間での血と血で争う本家争奪戦に勝利を収めなければならず、これが後々に、親族よりも、代々仕えてきた三河以来の家臣を重用するようになったと思われます。(家臣たちは幕末まで続く大名になったりします)

 徳川家臣団の中で最も有名なのが「四天王」と呼ばれる酒井忠次、本多忠勝(楽天の三木谷さんの御先祖さま)、榊原康政、井伊直政の4人ですが、これはどなたも御存知の家臣なので、まさに序の口。駿府人質以来の家臣である石川数正、平岩親吉や三河一向一揆などで活躍した服部半蔵、鳥居元忠や大久保忠世、一揆側について後に許された本多正信、渡辺政綱、夏目広次となると初級クラス。玄人好みとなると、家康が江戸幕府を開くに当たって登用した優秀な官僚型家臣に注目します。例えば、関東総奉行として抜擢された本多正信、内藤清成、青山忠成の3人です。本多正信は、先述した通り、一向一揆で家康に反旗を翻したのに、許されて名参謀として復活しました。清成は、新宿内藤町の地名として、青山忠成も港区の青山の地名や通りなどとして今でも残っています。

 (もう一人、私が以前、古河藩城址に行った時に知った藩主土井利勝は、家康から二代秀忠の年寄(側近)役を任されますが、土井利勝は家康の庶子とも、家康の伯父に当たる水野信元の庶子とも言われています)

 個人的に注目したのは初代江戸町奉行を務めた板倉勝重です。この人、駿府町奉行、関東代官などを経て江戸町奉行になり、その後京都町奉行(京都所司代の前身)に就任して、朝廷や豊臣家の監視に当たり、訴訟の裁定にも定評があったようです。この勝重の嫡男(次男、もしくは三男)が板倉重昌です。この人は、家康の近習となり、大坂の陣で軍使として活躍し、三河深溝1万5000石の領主になったりします。が、1637年の島原の乱の際、幕府軍の総大将となり、戦死します。

 この板倉重昌の江戸屋敷は木挽町にありました。現在、屋敷のほんの一部が小さな宝殊稲荷神社となって残っております。銀座の出版社マガジンハウスのすぐ近くにあります。私の会社からも近い(というより、私の会社から最も近い神社だった)ので、昼休みに、最近ではほぼ毎日、お賽銭を持参してこの神社に通ってお祈りしていたら、神社内の看板に「板倉重昌の江戸屋敷があった所」「島原の乱で戦死した板倉重昌をおまつりしております」と書かれてあったので、大層驚いてしまったのです。

 板倉重昌といっても、恐らく、現代人の殆どは知らないことでしょう。私もその一人でした。この「歴史人」の中では、初代江戸町奉行の板倉勝重は大きく取り上げられた一方、板倉重昌の方は駿府奉行衆の一人としてほんの少し出てくるだけでしたが、「あっ、何処かで見た名前だ。もしかしたら?…」とピンと来たのです。

 時空を超えて、現在に通じた偶然の一致の瞬間でした。

 

亡くなった親友が雲になって現れた話

 さあ、楽しい、愉しいゴールデンウイーク(GW)がやって来ました。

 GWという名称は、この長い連休期間中に劇場に足を運んでもらいたいという映画業界の人が考え付いたらしいのですが、今年のGWはどうも個人的には映画を観に行く気がしません。3月に観た今年の第95回米アカデミー賞で主要部門の作品賞を含む7部門も受賞した「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」が個人的見解では、あまりにも酷過ぎて、生涯で初めて途中退席した話をこのブログに書きましたけど、すっかりトラウマになってしまったからです。

印西牧の原の高級マンション

 「アカデミー賞作品賞受賞」といった肩書やら宣伝文句だけで、観てはいけませんね。アメリカ映画は、もうあまり観たくなくなりました。

 今年のGWは行くとしたら、都内の博物館とか美術館を計画しています。本当はまたお城巡りもしたいのですが、事情があってあまり遠出が出来ないので控えています。近場でしたら、何処かに行くかもしれませんが。

印西牧の原の高級住宅街

 本日は、2年前に急逝した親友神林康君のお墓参りに行って参りました。早いもので、今年で三回忌です。菩提寺の大生寺は千葉県の印西市にあり、最寄り駅は北総線の印西牧の原です。初めて行った時は、道に迷って、駅から50分ぐらい掛かりましたが、今回は迷わず、20分で到着できました。

 大生寺は真言宗豊山派(奈良・長谷寺が総本山、東京・護国寺が大本山)ということなので、墓前では、「南無大師遍照金剛」「ノウマク サンマンダ ボダナン アビラウンケン」「オン バザラ ダト バン」と唱えました。先日、自分の誕生干支の守護仏が大日如来だということが分かり、運慶作の国宝「大日如来坐像」(奈良・円成寺)のモデル仏像を入手しましたが、密教も勉強し始め、少し詳しくなりました(笑)。「ノウマク サンマンダ ボダナン アビラウンケン」も「オン バザラ ダト バン」も大日如来の意味で、お呼びかけする時の呪文のようなものです。勿論、彼の冥福をお祈りしました。

 帰り、駅に戻る際、バンド仲間だった神林君との昔の思い出を思い出しながら歩いて、ふと空を見上げると、雲の形が彼の顔そっくりになり、「今日はわざわざ遠い所から来てくれて有難う」と言うではありませんか(拙宅から墓苑まで、バスと電車と徒歩で、往復5時間近く掛かります)。その雲は目と鼻と口だけではなく、あれよという間に耳までくっきり出来たので吃驚しました。風のせいで、すぐに消えてしまい、写真は撮れませんでしたが、本当の話です。(表紙の写真は雲が消え去った後の青空の写真ですが)

 サウロ(パウロ)がダマスカスへ向かう途中、イエスの復活を見た話とはレベルが違いますが、宇宙論を齧ると、どうも肉体は滅びても、霊魂は宇宙の果ての何処かに存在していると信じたくなります。

印西牧の原「板前バル」海鮮丼1000円、一番搾り生ビール580円

 駅に着いて、昼時だったので、また、駅前の「BIG HOP」内にある「板前バル」でランチしました。「BIG HOP」は大型ショッピングセンターなのですが、閑散としていて、結構、閉まっている店が多く、空いているお店はここぐらいしかないんですよね。

 印西牧の原駅から東京の都心まで1時間ちょっとしか掛からないので、「通勤圏」ではありますが、鉄道の北総線の運賃が結構高く、首都圏で一番高く定期代がかかると聞いたことがあります。

 それでも、ニュータウンということで、立派なマンションだけでなく、かなり敷地の広い高級住宅街もありました。人通りも少ないので、「日本って、結構広いんだなあ」と思ってしまいました。何しろ、2070年には日本の人口が8700万人なる(厚労省推計)と言いますからね。この先、我らが日本はどうなってしまうのか? 私としては楽しみなので、どうなるのか、色々と見届けたいという希望を持っています。

情報デトックスと宇宙論

 スマホが普及してから、「情報デトックス」なる新語が生まれました。FacebookやInstagramやTwitterなどSNSを数分置きにチェックしなければならないほど依存中毒になった御同輩に対して、「少し休んでみましょう」といった軽い提案から始まりました。デトックスとは「毒抜き」といった意味で使われます。酷い症状の人には、アプリを削除するか、スマホ画面をカラーから白黒にして興味をなくさせる方向に持って行ったりする「対処療法」を勧めたりしてます。

 私はスッパリではありませんが、中毒になったSNS(のチェック)はやめました。Twitterは、電車が事故で遅れた時に、迷惑を受けた乗客が一斉に情報発信してくれて、鉄道会社の「公式見解」より早いのでアプリまで削除してませんが、まず敢えて見たりしません。

 やっているのはこのブログだけですが、もしかして、世間の皆様には一番ご迷惑をお掛けしているかもしれませんね(笑)。「毎日欠かさず《渓流斎日乗》を読まずにはいられない」という人が世界にもし一人でもいらっしゃれば、主宰者としては大変嬉しゅう御座いますが、自分で言うのも何なんですが、このブログは、デトックスの対象になるサイトなのかもしれません。つまり、ネットやテレビなんかに溢れている「いらない、必要もない情報」であり、生死に関わるような緊急の要件が書かれているわけでもないからです。

 そのため、少しは遠慮して書く頻度を緩くしようかと思ったのですが、このブログの主宰者は職業病に罹っているため、即刻、断筆するまでには至っておりません。ということで、読者の皆様方には「情報デトックス」の対象にならないよう、程々のお付き合いをお願い申し上げる次第で御座います。 

東銀座「うち山」

 本日書きたかったのは、やはり、宇宙論です。先日の続きで、一生忘れないように、頭の海馬にしっかり納めておきたい数字を列挙しておきます。<参照文献は、高水裕一著「面白くて眠れなくなる宇宙」(PHP研究所)と渡辺潤一著「眠れなくなるほど面白い宇宙の話」(日本文芸社)>

 ・上空400キロ⇒国際宇宙ステーション

 ・上空4万キロ⇒静止衛星の周回軌道

 ・上空38万キロ⇒月までの距離

 ・上空1.5億キロ⇒太陽までの距離

 ・1光年⇒9兆4600億キロ

 ・10万光年⇒天の川銀河の直径(天の川銀河は、約2000億個の恒星などで出来ており、太陽系は、その中心から2万8000光年の距離にある) ※全宇宙には、他にアンドロメダ銀河など1000億個以上の銀河がある!

 ・太陽系は秒速約240キロのスピードで天の川銀河の中を移動し、2億5000万年かけて1周する。

 ・1000万年光年⇒銀河団(100個から1000個の銀河の群れ)

 ・1億光年以上⇒超銀河団(銀河群や銀河団の集団。天の川銀河は、おとめ座超銀河団の一員で毎秒300キロの速さで動いている)

 ・宇宙は「無」から生まれ、1点が膨張(インフレーション)し、138億年前にビッグバンが起きて出来た。

 ・現在の宇宙論の基礎になっているのがアインシュタインの相対性理論。ここから、相転移による多重発生によって、無限に宇宙が生まれるというマルチバース(多重宇宙)理論も生まれた。

  以上ですが、マルチバース理論によると、母宇宙は子宇宙を生み、子宇宙から孫宇宙が生まれ…宇宙は膨張していきます。ということは、未解明の異次元空間の存在があるということで、もしかしたら、人類以外の知的生物も広い宇宙の中にいるかもしれません。

 ただし、25億年後は、地球の気温が100度以上に達し、地球上の全生物が絶滅すると考えられています。それまでに、UFOや宇宙人が見つかるのが先か? 地球が壊れる前に人類が地球以外に棲める星を探し出すことが出来るのかが先か?ー少なくとも、もう、地球上で戦争をしたり、環境破壊をしたりしている暇はないのは確かです。

 そんな暇があったら、私自身も含めて、アインシュタインの相対性理論の入門書ぐらい読むべきだと思いました。人類にとって、絶対に「いらない、必要もない情報」ではないからです。

宇宙はまだ未知数が多く、その一方希望もある=高水裕一著「面白くて眠れなくなる宇宙」

 高水裕一著「面白くて眠れなくなる宇宙」(PHP研究所、2022年10月10日初版)を読了しました。昨日は、法華経やマルクス主義の本を読んでいたかと思えば、今日は、宇宙論です。まさに乱読です。節操がない。恐らく、このブログを御愛読して頂いている皆さんは、ついていけないことでしょう。

 実は、私もそうです。知的好奇心と興味が赴くまま、手当たり次第に本ばかりに手を伸ばしていたらこうなってしまったのです。だから、頭で整理できないので、こうしてブログに書いて整理しているようなものです(笑)。

 でも、宇宙論は最後に残る究極の学問だと思います。宇宙論は数学、物理学、化学、生物学、天文学、量子力学、人類学、進化論、さらには医学といった理系だけでなく、文学、哲学、宗教学、はたまた経済学にも通じ、逆に総合知識がないと理解できない究極論だと思います。

 そんな宇宙論ですが、この本によると、人類は宇宙の物質に関してはまだ全体の5%未満しか分かっておらず、9割以上は未知の謎だらけというのですから、魂げます。182~183ページには、宇宙は、通常の物質4.9%、光と反応しない物質ダークマター28.8%、そして物質なのか分からない未知のエネルギで満たされたダークエネルギーと呼ばれるものが大半の68.3%で出来ている書かれています。

 通常物質というのは、元素で表され、私も大学受験で化学を選択したのでまだ覚えていますが、「スイヘイリーベ ボクノフネ」と覚えたH、He、Li、Be、B、C、N、O、F、Ne…の元素の周期表は、宇宙で共通する元素が出来上がった順番で、宇宙の歴史そのものだというのです。へ~、それは知らなかった。そして、元素を分解すると、例えば、1番目の水素(H)は、陽子(プロトン)1、電子(エレクトン)1(質量数1.008)で出来ていますが、2番目のヘリウム(He)になると、陽子2,電子2,に中性子(ニュートロン)2が加わって出来ているので、質量数は4.003と水素の約4倍になります。この中性子というのは、陽子二つだと同じ電荷で強い斥力によって反発し合ってまとまらないため。クッション材として必要とされるというのです。

東京・大手町

 個人的ながら、虚無主義に駆られていた中学生時代にもっとこんな宇宙論を勉強していたら、虚無主義を克服して救われていたんじゃないかなあ、と思ったりします。もっとも、私が中学生時代は、宇宙は、ビッグバンから138億年で、地球はその3分の1の46億年といった基本的な数字すらまだ正確に解明できていなかったと思います。そして、太陽の寿命は最大でも150億年で、現在、太陽は50~60億歳と言われていますから、いつか太陽も消滅して、地球はその太陽の活動に完全に依存しているので、著者の高水氏は「太陽が死ねば、本質的に地球上の生命活動はなくなり、ただの鉄の塊の惑星が永遠に残るだけです」と遠回しに書かれております。要するに、泣こうが喚こうが、人類はいつか必ず滅亡するということなのでしょう。

 人類が絶滅すれば、経済活動どころか、文化も哲学も宗教も学業も定理も消滅することになります。となると、究極的な虚無主義になりますが、逆に言えば、どんなに有名になっても、どんなに大金持ちになっても、独裁者になって他国を侵略して英雄になっても、その財産も名誉も勲章も消えてなくなるということです。最初からなかったようなものです。世界は空であり、世界は無であるというのが、究極の真理だということになります。まるで、仏教思想みたいですが、このような物理学的宇宙論に中学生の時に触れていたら、あそこまで落ち込んで虚無的にはならなかったろうになあ、と今でも思ったりします。

 著者の高水氏は、英ケンブリッジ大学理論宇宙センターに所属し、あのホーキング博士に師事したといいます。1980年生まれで、まだ40歳代の方ですが、子どもの頃は星座や天文学ではなく、アインシュタインの相対性理論の方に興味があり、手塚治虫の漫画で読んだことでハマってしまい、宇宙論を専門にするようになったといいます。

 私は、相対性理論は一般も特殊も何も理解していないので、アインシュタインといえば、雲の上の大天才だと思っていましたが、そのアインシュタインでさえ間違うこともあるんですね。その一つ。アインシュタインは、「宇宙は静かで大きさは変わらない」と宇宙定数理論を考えていたのです。が、その後、ハッブルらの観測によって、宇宙は膨張していることが判明しました。その反対で、アインシュタインが一般相対性理論として「予測」していたブラックホールは、その後すぐにドイツ人物理学者によって発見され、2019年には、イベント・ホライズン・テレスコープによって人類初めてブラックホールの撮影に成功しています。

 このように、宇宙は、まず理論が先行して、観測によって証明されることによって解明されてきましたが、近年では、機器が精巧になったお蔭で、観測が先行して解明されることが多いようです。

新富町「美好弥」美好ランチ880円 あっ!スパゲティが付いていなかった! お店の人に言えなかったあ~

 さて、宇宙は、このように、訳が分からないダークマターだの、地獄の奈落の底のようなブラックホールなどで出来ていて、何んともおっとろしい世界のように感じてしまいますが、実は光明もあります。この本に沢山書かれているたった一つだけ、取り上げますと、非常に強力な重力場を与えている環境は、モノを高速で回転させることが可能なので、例えば、ブラックホールをエネルギーとして活用する道があるというのです。「うまく軌道を計算し、利用することで、一種の発電所のように、ブラックホールの重力をエネルギーに変換することができるかもしれません」と著者の高水氏も書いています。エネルギー問題の救世主です。

 なるほどねえ。確かに、いつかは地球は消滅し、そこに棲む生命体も絶滅する運命かもしれませんが、生きている限り、何とか努力したり、改良したり、問題を解決したり、発展させたりするのが、生態系ピラミッドの頂点に立つ人類の役目なのかもしれません。

 万物は流転し、いずれ、全てのものが無に帰することが真理ならば、嫉妬や憎悪や怒りや迷いといった負の感情もなくなることでしょう。別に齷齪したり、虚無的になったりする必要はないのです。

ジェームス・ディーン似のジーンズと仏友会と北原安奈さんが議員当選したお話

 本日は二日酔いでしたので、例のLee 101zのジーンズを履いて会社に出勤しました。別に深い意味はありませんが…。「例のLee 101zのジーンズ」というのは、4月20日付の渓流斎ブログに書きましたが、「有言実行」で、ジェームス・ディーンが愛用したモデルジーンズを買っちゃったわけです(笑)。結構高かった。

 二日酔いになったのは、ちょっとワインを飲み過ぎてしまったからです。昨日は、東京・大手町のサンケイプラザで開催された大学の同窓会「仏友会」に参加し、講演後の懇親会で美味しいワインを頂いたら、すっかり調子に乗ってしまい、帰宅してから家にあったワインまで開けて呑んでしまったのでした。そりゃあ、二日酔いになります。

 仏友会の同窓会は、ちょうど1年前に不肖、この私が講師として、「仕方なく始まった僕のジャーナリスト生活」の題で講演させて頂きました。あれからもう1年経ってしまったとは!

東京・大手町サンケイプラザ

 今回の講師は、川口裕司東京外国語大学名誉教授で演題は「外語での27年間」でした。川口氏は言語学者で、「中世フランス語における方言研究の現状」などの著作や、「フランス中間言語音韻論における母音研究」「第2言語としてのフランス語教育における話し言葉のフランス語研究」などの論文がありますが、あまりにも専門的過ぎて、内容はよく分かりません(笑)。ただ、驚いたことには、川口氏は1981年に東外大フランス語科を卒業しながら、最初の留学先がトルコのイスタンブール大学でトルコ語をマスターしてしまうのです。その後、パリ大学などにも留学しますが、その後に台湾の淡江大学などとも接点が出来て、学究生活は日本とフランスだけでなく、トルコと台湾まで行き来して講義されたりしていたのです。川口氏の研究は「日本語とフランス語の否定辞比較研究」など非常にマニアックなので、「希少価値」として世界中から引っ張りだこだったのでしょう。

 懇親会では、主に、世界的な金融業界で大変な苦労をされた鈴木さんの体験談を聞きました。涙なしには聞けない話でした。

東京駅

 ワインを呑み過ぎたのは、もう一つ要因がありまして、帰宅後、朗報に接したからでした。4月21日付の渓流斎ブログに書きましたが、旧友Kさんの御令嬢Aさんが福島県の裏磐梯にある北塩原村議会議員選挙に出馬し、昨日が投開票日だったのですが、最年少の新人候補ながら、見事、当選したというのです。私以上に「有言実行」の人です。

 当選したので、もうイニシャルはいいでしょう。北原安奈さんです。

 今朝、やっと選挙結果が公表された北塩原村のホームページによると、投票率が何と85.34%。議員定員数10人のところ、16人が立候補しましたが、彼女はギリギリ10番目で当選したのです。まだ実績のない、知名度も低い新人候補ですから、当然ながら、大苦戦でしたが、天の神さまも見てくれていたんですね。奇跡の風を吹かせてくれました。

 でも、当選してから、これからが本番です。村では過疎化や産業発展など色々と問題が山積していると思われますが、是非とも、2697人の村民のためになるよう尽力してほしいものです。

上野・東博の特別展「東福寺」と小津監督贔屓の「蓬莱屋」=村議会議員選挙も宜しく御願い申し上げます

 旧い友人のKさんの御令嬢Aさんが今回、福島県の裏磐梯にある北塩原村議会議員選挙に出馬されたことが分かり、吃驚してしまいました。投開票は4月23日(日)です。

 Aさんにとって、北塩原村は、幼少時から小学生まで育ち、その後、同じ福島県の会津若松市に引っ越しましたが、第二の故郷のようなものです。長じてから、北塩原村にある観光温泉ホテルで働いておりましたが、選挙に出るともなると、両立することは会社で禁じられ、仕方がないので、退職して「背水の陣」で今回の選挙活動に臨んでいます。

 2年ほど前、私もその観光ホテルに泊まって、Aさんに会った時、将来大きな夢がある話も聞いておりました。ですから、別に驚くこともないのですが、こんなに早く、実行に移すなんて、まさに「有言実行」の人だなあ、と感心してしまいました。

 政治というと、どうも私なんか、魑魅魍魎が住む伏魔殿の感じがして敬遠してしまいますが、Aさんの場合は全くその正反対で、彼女は、裏表がない真っ直ぐなクリーンな人なので、安心して公職を任せられます。とても社交的な性格なので、友人知人が多く、周囲で支えてくれる人も沢山いるように見えました。最年少の新人候補なので苦戦が予想されますが、是非とも夢を着実に実現してほしいものです。Aさんは、SNSで情報発信してますので、御興味のある方は是非ご覧ください。

上野・東博「東福寺」展

 さて、昨日は所用があったので会社を休み、午前中は時間があったので、上野の東京国立博物館で開催中の特別展「東福寺」を見に行きました(2100円)。当初は、予定に入れていなかったのですが、テレビの「新・美の巨人たち」で、室町時代の絵仏師で東福寺の専属画家として活躍した吉山明兆(きつさん・みんちょう)の傑作「五百羅漢図」(重要文化財、1383~86年)が14年ぶりに修復を終えて公開されると知ったので、「これは是非とも」と勇んで足を運んだわけです。平日なのに結構混んでいました。

上野・東博「東福寺」展

 「五百羅漢図」は明兆が50幅本として製作しましたが、日本に現存するのは東福寺に45幅、根津美術館に2幅のみです。それが、近年、第47号の1幅がロシアのエルミタージュ美術館で見つかったそうです。この絵は、ある羅漢が天空の龍に向かってビーム光線のようなものを当てているのが印象的です。明兆の下絵図(会場で展示)が残っていたお陰で、江戸時代になって狩野孝信が復元し、この作品も現在、重要文化財になって会場で展示されています。何で、この本物がエルミタージュ美術館にあるのかと言いますと、どういう経緯か分かりませんが、もともとベルリンの博物館に収蔵されていたものをドイツ敗戦のどさくさで、ソ連軍が接取したといいます。接取と言えば綺麗ですが、実体は戦利品として分捕ったということでしょう。ウクライナに侵略した今のロシアを見てもやりかねない民族です。

上野・東博「東福寺」展 釈迦如来坐像

 この東福寺展で、私が一番感動したものは、東福寺三門に安置されていた高さ3メートルを超える「二天王立像」(鎌倉時代、重要文化財)でした。作者不詳ながら、慶派かその影響を受けた仏師によるもので、異様な迫力がありました。撮影禁止だったので、このブログには載せられず、撮影オッケーの釈迦如来像を掲載してしまいましたが、「二天王立像」は、運慶を思わせる写実的な荒々しさが如実に表現され、畏敬の念を起こさせます。

 東福寺は、嘉禎2年 (1236年)から建長7年(1255年)にかけて19年を費やして完成した臨済宗の禅寺です。開祖は「聖一(しょういち)国師」円爾弁円(えんに・べんえん)です。34歳で中国・南宋に留学し、無準師範に師事して帰朝し、関白、左大臣を歴任した九条道家の「東大寺と興福寺に匹敵する寺院を」という命で東福寺を創建します。鎌倉幕府の執権北条時頼の時代です。特別展では、円爾、無準、道家らの肖像画や遺偈、古文書等を多く展示していました。

現在の上野公園は、全部、寛永寺の境内だった!

 ミュージアムショップを含めて、80分ほど館内におりましたが、お腹が空いてきたのでランチを取ろうと外に出ました。上野は久しぶりです。当初は、森鴎外もよく通ったという「蓮玉庵」にしようかと思いましたが、結局、東博からちょっと遠いですが、小津安二郎がこよなく愛したトンカツ店「蓬莱屋」に行くことにしました。

上野

 司馬遼太郎賞を受賞した「満洲国グランドホテル」で知られる作家の平山周吉さんの筆名が、小津安二郎監督の「東京物語」に主演した笠智衆の配役名だったことをつい最近知り(東京物語は何十回も見ているので、そう言えば、そうじゃった!)、その作家の方の平山周吉さんが、最近「小津安二郎」というタイトルの本を出版したということで、頭の隅に引っかかっていたのでした。上野に行って、小津と言えば「蓬莱屋」ですからね。

上野「蓬莱屋」「東京物語」定食2900円

 「蓬莱屋」に行くのは7~8年ぶりでしたが、迷わず、行けました。でも、外には何も「メニュー」もありません。「ま、いっか」ということで入ったのですが、前回行った時より、値段が2倍ぐらいになっていたので吃驚です。結局、せっかくなので、ランチの「東京物語」にしました。「商魂逞しいなあ」と思いつつ、流石に美味で、舌鼓を打ちました。上野の「三大とんかつ店」の中で、私自身は蓬莱屋が一番好きです。

 隣りの客が、昼間からビールを注文しておりましたが、私は、ぐっと我慢しました。だって、展覧会を見て、ランチしただけで、併せて5000円也ですからね。昔は5000円もあれば、もっともっと色んなものが買えたのに、お金の価値も下がったもんですよ。

ジェームス・ディーンはリーバイスじゃなかったのかあ

  最近、どういうわけか、自分の中学生時代のことばかり思い出されます。もう大昔の話ですが、自分の人生でも最悪だった時期の一つでした。

 13歳にして、「人生は一行のボオドレエルにも若かない」と虚無的になってしまったのです。このまま、いい学校に入って、いい会社に入って、郊外に庭付き一戸建て住宅を建てて、家族と幸せに暮らすといったありきたりのエスカレーターに乗ったような人生を送ることが許せなくなってしまったのです。勉強にも手が付かなくなり、学業成績も坂道を転げ落ちるように急降下し、高校受験も失敗してしまいました。

 あの頃の「孤立無援」といった気分は今でも思い出します。

 でも、振り返ると、あの頃、孤立感を味わったのは自分だけではなかったのかもしれません。中学生というのは子どもから大人になる中間のような存在で、電車賃だけは大人料金を取られるのに、気持ちはまだまだ子どもの所がありますからね。

 中学1年の時のクラスメートに野島さんというちょっと大人びた無口な女の子がいました。彼女も休み時間、友人とつるんでワイワイ騒ぐことなく、一人でいることが多かったのですが、ある映画スターだけは特別で、そのスターのブロマイドをいつも持ち歩いていました。そのスターの名前は、ジェームス・ディーン(1931~55年)。「理由なき反抗」や「エデンの東」などわずか数本に主演して大スターの座を獲得しましたが、交通事故で24歳の若さで亡くなってしまいました。

 ジェームス・ディーンは私が生まれる前に既に亡くなってしまったので、私自身は知らなくて、野島さんからその存在を知りました。彼が出演した映画はその後、何度もリバイバル上映されたり、写真集も出版されたりしたので、日本にも根強いファンが多いのですが、「孤立無援」に悩む中学生が見ると、彼が演じる反抗期の挫折感や孤独感には妙に共感してしまうのは確かです。私も一気に大ファンになりました。

 話は少し変わって、先日、テレビの「開運 なんでも鑑定団」を見たら、700万円と450万円で購入したという古くてボロボロの汚い(恐らく臭い)リーバイス501XXのジーンズ2点が出品されましたが、世界的にも数点しか残っていないヴィンテージものということで、何と、何と2点で2000万円もの値が付いて、超びっくりしてしまいました。

 そこで、リーバイスのジーンズなら、映画「理由なき反抗」などで格好よく履いていたジェームス・ディーンの姿を思い出し、自分も一着ぐらい買ってみようかなあ、と思い、調べてみたのです。

 そしたら、これまた吃驚。ジェームス・ディーンが履いていたジーンズは、リーバイスではなかったのです。「Lee」の101ライダースというブランドでした。確か、ジェームス・ディーンはリーバイスの日本のコマーシャルやポスターで出ていた記憶があるので、おかしいなあ、と思いましたが、ワーナーブラザースの衣装庫にあったジェームス・ディーンのジーンズは確かに「Lee 101z riders」でした。

 今は、チャットGPTなんか使わなくても、何でも調べられる時代になりましたからね。私は、自分の中学生時代の「孤立無援」感を思い出してしまいましたが、いつか2000万円のリーバイスではなく、Lee の手頃なジーズンを買ってみようかなと思っています(笑)。

東京の川や堀は米軍空襲の残骸で埋め立てられていたとは!=鈴木浩三著「地形で見る江戸・東京発展史」

 斎藤幸平著「人新世の『資本論』」(集英社新書)は3日ほどで急いで読破致しました。仕方がないのです。図書館で借りたのですが、2年ぐらい待たされて手元に届き、しかも、運が悪いことに、他に2冊、つまり3冊同時に図書館から届いたので、直ぐ返却しなければならなかったからです。

 でも、私は若き文芸記者だった頃、月に30冊から50冊は読破していた経験があるので、1日1冊ぐらいは平気でした。歳を取った今はとても無理ですが…。

 斎藤幸平著「人新世の『資本論』」についての感想は、先日のブログで書きましたので、本日は、今読み始めている鈴木浩三著「地形で見る江戸・東京発展史」(ちくま新書、2022年11月10日初版)を取り上げることに致します。(これも図書館から借りました)

 著者の鈴木氏は、東京都水道局中央支所長の要職に就いておられる方で、筑波大の博士号まで取得された方です。が、大変大変失礼ながら、ちょっと読みにくい本でした。内容が頭にスッと入って来てくれないのです。単なる私の頭の悪さに原因があるのですが、あまりにも多くの文献からの引用を詰め込み過ぎている感じで、スッと腑に落ちて来ないのです。とは言っても、私自身は、修飾語や説明がない固有名詞や歴史的専門用語でも、ある程度知識があるつもりなのですが、それでも、大変読みにくいのです。何でなのか? その理由がさっぱり分かりません…。

 ということで、私が理解できた範囲で面白かった箇所を列挙しますとー。

・江戸・東京の地形は、JR京浜東北線を境に、西側の武蔵野台地と、沖積地である東側の東京下町低地に大きく分けられる。赤羽~上野と田町~品川~大森間では、京浜東北線の西側の車窓はには急な崖が連続する。…この連続した崖が、武蔵野台地の東端で、JRはその麓の部分を走っている。(17ページ)

 ➡ 私は京浜東北線によく乗りますので、この説明は「ビンゴ!」でした。特に、田端駅の辺りは、西側が高い台地になっていて、かつては芥川龍之介の住まいなどもありました。一方、東側は、まさに断崖絶壁のような崖下で、今はJR東日本の車輛の車庫か操作場みたいになっています。東側は武蔵野台地だったんですね!上野の寛永寺辺りもその武蔵野台地の高台に作られていたことが車窓から見える寛永寺の墓苑を見ても分かります。

・江戸前島は、遅くとも正和4年(1315年)から鎌倉の円覚寺の領地だったが、天正18年(1590年)に徳川家康が関東に入府した後、秀吉が円覚寺領として安堵していたにも関わらず、家康が“実行支配”し、江戸開発の中心にした。江戸前島は、本郷台地の付け根部分で、現在の大手町〜日本橋〜銀座〜内幸町辺り。(47〜50ページなど)

 ➡︎ 江戸前島は、日本橋の魚河岸市場や越後屋などの商店が軒先を連なる町人の街となり、銀座はまさしく銀貨鋳造所として駿府から移転させたりしました。江戸前島の西側は日比谷入江という浅瀬の海でしたが、神田山から削った土砂で埋め立てられました。現在、皇居外苑や日比谷公園などになっています。江戸時代は、ここを伊達藩や南部藩など外様の上屋敷として与えられました。当時は、埋め立てられたばかりの湿地帯だったので、さすがに仙台伊達藩は願い出て、上屋敷を新橋の汐留に移転させてもらいます。この汐留の伊達藩邸(現日本テレビ本社)には、元禄年間、本所吉良邸で本懐を遂げて高輪泉岳寺に向かう忠臣蔵の四十七士たちが途中で休息を求めて立ち寄ったと言われています。

・江戸城防御のため、家康は江戸城南の武蔵野台地東端部に増上寺、北東の上野の山の台地に寛永寺を建立した。寺院の広大な境内は、軍勢の駐屯スペース、長大な堀は城壁、草葺などが一般的だった時代の瓦葺の堂塔は「耐火建築物」だった。(50、76ページなど)

 ➡天海上人の都市計画で、特に北東の鬼門に設置された寛永寺は「鬼門封じのため」、南西の裏鬼門に建立された増上寺は、「裏鬼門封じのため」と言われてきましたが、それだけではなかったんですね。増上寺は豊臣方が多い西国の大名が攻め上ってくる監視、寛永寺は伊達藩など奥州から来る軍勢を防ぐ監視のための軍事拠点として置かれていたとは! それぞれ、上野の山、武蔵野台地と高台を選んで設置されたことで証明されます。

 ・東京の都市としての構造や骨格は、江戸時代と連続性があるどころか、実は少しも変わっていないものが多い。…その背景には、江戸幕府から明治新政府になっても、社会・経済システムの多くがそのまま使われ続けたことにあった。明治維新の実態は「政権交代」に近かった。(176,181ページなど)

 ➡この説は大賛成ですね。明治維新とは薩長藩などによる徳川政権転覆クーデターで、新政府は政経システムもそのまま継承したことになります。江戸城は皇居となり、江戸城に近い譜代大名の上屋敷は霞ヶ関の官庁街や練兵場になったりします。外務省外周の石垣は福岡黒田藩の上屋敷時代のものが引き継がれているということなので、今度、遠くから見学に行こうかと思っています(笑)。築地の海軍兵学校は、尾張家、一橋家などの中屋敷跡だったとは…。他に、小石川・水戸家上屋敷→砲兵工廠→東京ドーム、尾張家上屋敷→仮皇居→赤坂御用地などがあります。

 ・昭和20年、米軍による東京大空襲で、都市部の大部分は焦土と化した。…GHQは、東京都に対して、大量の残土や瓦礫を急いで処理するよう命じた。東京はてっとり早く外濠に投棄することを決定した。(196ページ)

 ➡関東大震災の際の瓦礫は、後藤新平東京市長の原案で、埋め立てられたり、整備されたりして「昭和通り」になったことは有名ですが、東京空襲の残骸は、外濠埋め立てに使われたとは知りませんでしたね。それらは、現在の「外堀通り」なったりしてますが、真田濠が埋め立てられて、四ツ谷駅や上智大学のグラウンドになったりしております。そう言えば、銀座周辺は、かつて、外濠川、三十三間堀川、京橋川、汐留川、楓川など川だらけで、水運交通の街でしたが、空襲の瓦礫などでほとんどが埋め立てられ、(高速)道路などに変わってしまいました。(戦災後だけでなく、昭和39年の東京五輪を控えての都市改造もありました)まあ、都心の川や堀がなくなってしまうほど、カーティス・ルメイ将軍率いる米軍の東京爆撃が酷かった(無辜の市民10万人以上が犠牲)と歴史の教科書には載せてもらいたいものです。

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斎藤幸平著「人新世の『資本論』」を読みながら考えたこと

  3年前に大ベストセラーになった斎藤幸平著「人新世の『資本論』」(集英社新書・2020年9月22日初版)を今頃になって読んでおります。図書館で予約したら、やっと届いたからです。大ベストセラーなので、予約者数が甚大で、手元に届くのに2年ぐらい掛かったということになります(苦笑)。

 「そんなら買えよ!」と皆様方からお叱りを受けるかもしれませんが、私はへそ曲がりなので、基本的にベストセラー本は買わない主義でして…(苦笑)。大抵は図書館で借ります。もし、その本があまりにも面白ければ、敢えて、購入します。例えば、ユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」などです。この本にすっかり感銘を受けて、同じ著者の「ホモ・デウス」や「21世紀の人類のための21の思考」などはせっせと購入しております。ただ、あまり本の収集癖がなく、自宅も狭いので、それほどの蔵書はありません。古書店に売ってしまったりもします。

東銀座

 さて、「人新世の『資本論』」を読み始めて、何でこんな難解な本が大ベストセラーになるのか不思議でした。同時に、日本人というのは大の読書家=勉強家で、捨てたもんじゃないなあ、と見直してしまいました。

 この本は、「地球環境危機を救うには、マルクス主義しかない」という結論に行きつくと思われ、私自身はそれに関しては懐疑的なので、全面的に賛同しながら読んでいるわけではありません。著者の斎藤氏は、天才学者の誉が高いようですが、1987年生まれということで、学園紛争や連合赤軍事件(1972年)などは生まれる前の話ですし、天安門事件やベルリンの壁崩壊(1989年)、ソ連邦崩壊(1991年)は幼児で同時代人として体験した感覚はないと思われるので、世代間ギャップを感じます。勿論、良い、悪いという話では全くなく、学者ですから文献を読めば、いくらでも習得出来るので、同時代人として経験しようがしまいが関係ないとも言えますが。

 ただ、1950年代生まれの私たちの世代は、悲惨な戦争体験をした1920年代生まれの親から話を聞いたり、赤紙一枚で一兵卒として召集された伯父なんかはシベリア抑留の苛酷な体験もしたりしているので、どうも、共産主義、全体主義には皮膚感覚でアレルギーがあります。中国共産党の毛沢東も大躍進政策や文化大革命等で数千万人の国民を死に追いやったという説も同時代人として見聞しました。1980年代生まれの斎藤氏の世代では分かり得ないアレルギー感覚だからこそ、このような本を著すことができるのではないか、とさえ思ってしまいます。

東銀座

 などと、書いて、この本の評価を貶めようとしているわけではありません。これだけの大ベストセラーになるわけですから、読む価値はあります。著者は、万巻の書籍を読破して、さまざまな提言しています。例えば、

 「私たちが、環境危機の時代に目指すべきは、自分たちだけが生き延びようとすることではない。それでは、時間稼ぎは出来ても、地球はひつしかないのだから、最終的には逃げ場がなくなってしまう。…今のところ、所得の面で世界のトップ10~20%に入っている私たち多くの日本人の生活は安泰に見える。だが、このままの生活が続ければ、グローバルな環境危機はさらに悪化する。(111ページ)

 「無限の経済成長を目指す資本主義に、今、ここで本気で対峙しなくてはならない。私たちの手で資本主義を止めなければ、人類の歴史が終わる。」(118ページ)

 といった提言は、大いに賛同します。仰る通り、このままだと人類は遅かれ早かれ確実に滅亡します。しかし、その改善策として、著者の言うところのケインズ主義では駄目で、マルクス主義しかない、とまでは私自身は飛躍しません。反体制派の人間らを強制収容所に連行したり、計画経済が失敗して何百万人もの自国民を虐殺したり、餓死させたりしたソ連のスターリンも、先述した毛沢東も、本当のマルクス主義者ではなく、マルクスは、独裁のために虐殺してもいい、なんて一行も書いていないと言われても納得できません。マルクス本人が意図しなかったにせよ、マルクス思想が独裁者の理論的支柱となり、政敵を粛清する手段として利用されたことは歴史が証明しているからです。

 と、またまたここまで書きながら、グローバリゼーションと地球環境破壊と資本主義の矛盾による格差社会の現代、マルクスはそれら危機を打開してくれる福音書のように、苦しむ勤勉な若者たちの間で読まれているという現実が一方にあることは付記しておきます。

 「人間の意識が存在を規定するのではなく、人間の社会的存在がその意識を規定するのである」(カール・マルクス=1818~83年、享年64歳)