鉄道博物館で鉄ちゃん気分

  日曜日は、鉄ちゃん、鉄子の聖地「鉄道博物館」(埼玉県大宮)に3歳のgrandchild を連れて初めて行って来ました。

 grandchildは6月に新幹線に乗って、初めて京都に行き、それ以来、口癖にように、「シンカンセン、シンカンセン」と言っていたので、喜ぶと思ったからでした。

鉄道博物館

 大宮駅って凄いですね。新幹線が東北新幹線、上越新幹線、北陸新幹線など6線、JRの在来線が宇都宮線、高崎線、京浜東北線、埼京線など5線、このほかに、東武野田線(東武アーバンパークライン)と埼玉新都市交通伊奈線(ニューシャトル)の私鉄2線、合計13路線もあり、乗り入れ路線数は東京駅に次いで全国2位なんだそうです。

 最近、「住みたい街ランキング2022」(リクルート・スーモ)の首都圏で、大宮がベスト3位になって驚きましたが、これだけ便利が良いとそのはずです。納得しました。

 個人的には北陸新幹線などを除き、大体、乗ったことがあるのですが、鉄道博物館駅を走るニューシャトルは生まれて初めて乗りました。

鉄道博物館

 今のコロナの御時世ですから、行く前にネットで調べたら、チケットは窓口で発売せず、事前にコンビニの「据え置き機」で購入しなければならないというのです。(最寄り駅近くのファミリーマートに行ったら販売していなくて、セブンイレブンとローソンとミニストップだけでした)時間制になっていて、満員になっていたら、入場できません。しかも、せこい話ですが、大人1330円はいいとして、3歳から入場料(310円)を取るというのです。3歳で覚えているのかなあ?(笑)せめて5歳でしょ?

鉄道博物館

 恐らく、かつて実際に使われた本物の車輛が展示されていましたから、鉄ちゃん、鉄子にはたまらないでしょう。

 車中に入れる車輛もあり、軽く座って休むこともできました。

鉄道博物館

 個人的に感動したのは寝台車特急でした。確か、高校の修学旅行の時、北海道に行きましたが、青森まで東京から寝台車で行ったと思います(この後、青函連絡船で函館に上陸。)寝台車の中には入れませんでしたが、とても狭そうで、直立不動の姿勢でなければ、寝られないようなスペースでした。

鉄道博物館 「日本食堂」牛オムライス1680円

 残念だったのは、確か、国鉄の食堂車の食事を仕切っていた日本食堂が博物館の2階に出店しておりましたが、値段のわりには、あまり美味しくなかったことでした。

 冷凍食品をチンしたような感じで、grandchild はキッズプレートを注文しましたが、ほとんど残してしまいました。

 お店を出ると、外では大行列ができていましたが。

 帰りがけ、お土産店に寄り、grandchild が欲しがった新幹線のジグソーパズルを買ってあげました。grandpa は、grandchild には甘い(笑)。

人間とはいったい何という怪物だろう=パスカル「パンセ」を読む

 ブレーズ・パスカル(1623~62年)の「パンセ」を再読しています。とは言っても、学生時代以来ですから、何十年かぶりです。

 哲学書ですから、難解です。年を取ったので、学生時代と比べ、読解力は上達したのではないかという妄想は誤解でした。今でも理解しづらい文章に多々、突き当たります。もっとも、パスカルは、ジャンセニウス(オランダの神学者ヤンセン)の教えを奉じる厳格なポール・ロワイヤル派の擁護に熱心だったキリスト教徒でした。そのポール・ロワイヤル派を弾圧し、教権と王権を笠に着ていたイエズス会(ジェズイット)に対する反駁の意味を込めて書き留めたのが「パンセ」でした。ということは、「パンセ」は哲学書というより、キリスト教弁証論であり、神学論争の最たるものです。極東に住む異教徒にとっては、道理で難解でした。

 パスカルは、39歳の若さで亡くなっているので、「パンセ」は、生前に出版されたわけではなく、バラバラの遺稿集でした。パスカルの死後、何種類もの版が発行されましたが、現在は、ユダヤ系フランス人哲学者のレオン・ブランシュヴィック(1869~1944年)がテーマごとに14章に編集した断章924から成る「ブランシュヴィック版」が最も読まれているというので、その翻訳書(前田陽一、由木康訳、中公文庫)を東京・神保町の東京堂で購入して来ました。

 1623年生まれのパスカルは、来年でちょうど生誕400年です。デカルトやガリレオらと同時代人で、日本で言えば江戸初期の人に当たります。同年に、後に老中になる小田原藩主の稲葉正則らが生まれています。また、この年に戦国武将の上杉景勝(米沢藩主)と黒田長政(福岡藩主)が亡くなっています。こう書くと、パスカルさんも身近な人に思えなくもないのですが、仏中部クレルモン(現クレルモン=フェラン市)の租税院副院長だった父エティエンヌらから直接英才教育を受けて、学校にも行かずに、「円錐曲線論」や「確率論」などの数学理論や、流体や圧力に関する物理学の「パスカルの原理」などを発表し、その超天才ぶりは、凡人からかけ離れた雲の上の人です。

 とはいえ、「パンセ」の中には凡人の胸にも突き刺さるような鋭い警句が散りばめられています。

 人間とはいったい何という怪物だろう。何という新奇なもの、何という妖怪、何という混沌、何という矛盾の主体、何という驚異であろう。あらゆるものの審判者であり、愚かなみみず。真理の保管者であり、不確実と誤謬との掃きだめ。宇宙の栄光であり、屑。誰がこのもつれを解いてくれるのだろう。(断章434)

 まさに、最近、私は個人的に、このような怪物のような常軌を逸した人間に会い、大変不愉快な思いをさせられたので、この警句は、私の経験を代弁してくれるような感覚になりました。嬉しい限りです。

 人間は、もし気が違っていないとしたら、別の違い方で気が違っていることになりかねないほどに、必然的に気が違っているものである。(断章414)

 パスカルの鋭い洞察力は、人間をここまで見極めてしまっています。

 400年も昔の人間でもこのような感慨に耽ってしまうんですね。

新富島「ウオゼン」日替わり定食950円

 「パンセ」と言えば、「人間は考える葦である」や「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら世界の歴史は変わっていただろう」といった文言があまりにも有名ですが、私が再読して、最も度肝を抜かれたのは以下の警句でした。

 好奇心は、虚栄に過ぎない。大抵の場合、人が知ろうとするのは、それを話すためでしかない。(断章152)

 かつてこの渓流斎ブログについて、友人から「衒学的だ」と批判されたことがあります。私自身は無知蒙昧を自覚し、単に知らなったことをブログに書き続けてきたつもりでしたが、パスカル氏からは「知的好奇心というものは虚栄心に過ぎず、他人に話したいだけなのだ」と喝破されてしまったようです。ブログなんかやらなければ良いということです。

 もう一つ、感服した警句は次の文章です。

 時は、苦しみや争いを癒す。何故なら人は変わるからである。もはや同じ人間ではない。侮辱した人も、侮辱された人も、もはや彼ら自身ではないのである。(断章122)

 これも個人的体験ですが、最近、長年親しくしていた友人から侮辱され、袂を分かたざるを得なくなってしまいました。パスカル先生に言わせれば、「彼は昔の彼ならず」ですか…。太宰治に同名タイトルの小説がありましたね。「人は変わり、もはや同じ人間ではない」という数学のような定理を発見した400年前の偉人は本当に凄いですね。まるで預言者です!

 いずれにせよ、「パンセ」には、「この世で生きる時間は一瞬に過ぎず、死の状態は永遠である(断章195)」、「我々の惨めなことを慰めてくれるただ一つのものは、気を紛らわすことである(断章171)」という思想が通奏低音のように鳴り響き、私も学生時代から随分影響を受けてきました。

本当に懐かしいサン=サーンスと「アルルの女」

 本日の読売新聞を読んでいたら、空木慈園著「サン=サーンスをもう一度」という本の広告が目に入って来ました。大変失礼ながら、この本に興味を持ったわけではなく、「サン=サーンス」の名前です。本当に懐かしい。

 今でこそ、ほとんど聴かなくなりましたが、もう半世紀以上も昔の私が小学生時代、毎日のように聴いたものです。東京郊外の小学6年生。当時、私は、代表児童委員会委員長兼放送部の部長で、お昼に2、3人と一緒にレコードを掛ける「係り」を仰せつかっていました。この時、曲を紹介するDJ役もです。放送室に給食を運んで、曲の合間に食事しますが、当時は「特権」のような感じで嬉々として楽しんだものでした。

 曲は、演歌や流行歌やジャズやロックは御法度でした(笑)。やはり、子どもの情操教育に相応しいクラシックです。その中でも、ベートーヴェンやマーラーやシュトックハウゼンのようなちょっと肩肘を張って聴くような曲ではなく、レストランのBGMのような小品です。その代表が、サン=サーンスだったのです。

 「初めにお聞かせするレコードは、サン=サーンスの『白鳥』です」

 サン=サーンスと言えば、「白鳥」。この曲を何度掛けたことでしょうか。

 他に、覚えているのは、レハールのワルツ「金と銀」、そしてエルガーの「愛のあいさつ」(チェロ演奏)、ヨハン・シュトラウス「美しき青きドナウ」、グリーク「ペールギュント」組曲「朝」…。これらも毎日のように掛けていました。今では、YouTubeで検索すれば、簡単に聴くことができますね。今の小学生諸君は、どうしているのでしょうか? やはり、ダウンロードした曲をそのまま流したりしているのかなあ?

東京・一ツ橋

  そう言えば、思い出しました。下校時刻になると、放送部員は、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」のラルゴ(家路)を掛けるのも仕事でした。

 「下校時刻になりました。用のない生徒は早く家に帰りましょう」

 それでも、帰らない生徒に対しては、

 「運動場の鉄棒近くでおしゃべりしている生徒、早く家に帰りましょう」

 などと、偉そうに注意したものです。

 私の通った小学校は廃校となり、今では影も形もありません。こうして、思い出だけが残っています。

東京・一ツ橋

【追記】

 あんりまー。下校時に掛けた音楽を「ドヴォルザークの交響曲第9番『新世界より』のラルゴ(家路)」と書きましたが、大間違いでした。これは、中学校の時の下校音楽でした!

 では、小学校の時の下校音楽は何だったのか?思い出したら、メロディーが浮かんで来ました。でも、曲名が分かりません。そこで、小学校時代の同級生Gさんに聞いてみました。私が下手なピアノでメロディーを演奏して聴いてもらいました。しかしながら、彼女も思い出せません。

 最後の手段。スマホで「クラシック、フルート、名曲」で検索してみました。その通り、フルートの名曲だったからです。そしたら、何曲か候補が出てきましたが、そのリストの中で直ぐピンと来て、やっと思い出しました。

 ビゼーの「アルルの女」組曲の「メヌエット」でした。

 サン=サーンスよりもこっちの方が胸に沁み渡り、涙が出るほど懐かしくなりました。

 音楽は童心にかえらせてくれます。

先週末は悪夢でした=触らぬ神に祟りなし

先週末は、ロクなことがなかった、と書けば、そうなってしまいますが、「永遠の相の下」で見れば、貴重な体験をしたということになるのかもしれません。

 週末は疲れて、結構、昼寝をしてしまいます。それも、30分とか1時間といった「うたた寝」ではなく、2時間とか3時間とかしっかり熟睡します。それでいて夜は、また9時間ぐらい眠られますから、まるで眠狂四郎です(笑)。

 そして、最近はよく夢を見ます。大抵は、起きた時、内容は忘れてしまうのですが、時には、酷い悪夢の場合は、内容までしっかり覚えています。

五島列島 Copyright par Tamano Y  ※写真と本文は関係ありません

 先週末の悪夢は最悪でした。理路整然としているようで、夢ですから、現実離れした飛んでもないことが起こるのです。それでも有りそうなことです。内容はざっとこんな感じです。

 ある75歳の老人が、私のブログの愛読者だということで、メールでアプローチして来ました。どうやら、ある有名作家の秘書の評伝をゴーストライターとして書いてほしいらしいのです。有名作家は、秘書にデータ集めから、関係者の調査まで任せていますが、実は、執筆しているのも秘書だったというのです。老人は、その秘書に会って、取材してほしいので、今度、芦屋の豪邸に来てくれ、というのです。

 その老人は、幕末に、尾張藩、会津藩、桑名藩などの藩主を生んだ「高須四兄弟」で有名な高須藩の末裔を称し、祖父が神戸の貿易商で巨万の富を得て、六甲や八ヶ岳にも別荘があるというのです。まず、秘書に会わせる前に「品定め」したいので、神戸のコーヒーチェーン店に来てほしいというのです。お会いすると、その老人は3時間も一方的にしゃべくりまくり、しかも、お金に不自由したことはなく、悪い人間に巡り合ったこともなく、このチェーン店の創業者はマブダチなどと自慢話ばかりです。三浦和義さん御愛用のハンティングワールドをチラつかせ、流石に辟易しましたが、表情で表すことも出来ず、トイレに行くことを口実にやっと解放してもらいました。

 老人はその場で、「では、今週末に芦屋の自宅に来てください」と口約束してくれましたので、品定めは合格したのかと思っていたら、翌日になって、急に「貴方の視野が狭いことが分かりました。私は高須藩の末裔です。私の自宅には選ばれた人間しか入れることはできません」と丁重な「お断り」のメールが届いて、そこで目が覚めたのでした。

五島列島 Copyright par Tamano Y ※写真と本文は関係ありません

 嫌な悪夢を見てしまったので、「お口直し」に久しぶりに映画を見に行くことにしました。そしたら、これが最悪だったのです。かなり手厳しく批判するので、この映画の名誉のためにタイトルは秘匿しますが、ハリウッド映画で、主演は往年の美男俳優で今年59歳になりながら、若さを保って頑張っています。しかも、日本人の作家が原作ということで、「これは応援しなければ」ということで、本当に久しぶりに映画館に足を運んだのでした。

 日本の新幹線の列車内を舞台に、主役の「運び屋」と、ヤクザに雇われた殺し屋との壮絶な抗争で、やたらと殺し合いが続き、日本国内なのにマシンガンがぶっ飛ばされ、あり得ない展開です。日本語の看板がやたらと出て来ますが、駅構内に「自動柵」もないし、これらは明らかに日本で撮影されたわけではなく、莫大な製作費を掛けて、大掛かりなセットを作って米国内か何処かで撮影されたものであることがすぐ分かりました。

 笑えないし、怒れない。こんな映画を見て喜ぶ人間がいるんだと思うと呆れてしまいました。全く、お金と時間を無駄にしてしまいました。59歳の初老俳優と日本人作家を応援したいがために見た行為が仇でした。

 いやはや、これからもう少し生き続けるには、嫌なことは忘れてしまうことが肝心です。そして、何よりも、触らぬ神に祟りなし。

何度も戦場になったウクライナの悲劇=山崎雅弘著「第二次世界大戦秘史」を読んで

 もう半年近く、山崎雅弘著「第二次世界大戦秘史」(朝日新聞出版)を少しずつ読んでいます。正直、一気にバーと読めないのです。書かれている内容があまりにも重すぎて前に進めなくなったりするからです。戦死者やシベリア流刑者らの数字だけはボンボン出て来ますが、そんな数字でも、れっきとした生身の人間で、理不尽な死に方をされた人ばかりですから、彼らの怨嗟と怨霊が見え隠れして、やり切れなくなります。

 副題に「周辺国から解く独ソ英仏の知られざる暗躍」とあります。我々は、第二次世界大戦について、歴史の教科書に載ってはいても、授業はそこまで進まず終わってしまいます。となると、自分で勉強するしかありません。それでも、大抵の第二次世界大戦史は、独、ソ、英、仏、米が中心で主役の書き方になっていて、彼らによって苦しめられたポーランド(犠牲者520万人)やチェコ、ハンガリーやフィンランドやノルウエー、バルト三国などについて詳述された歴史書は多くはありません。その点、この本は、画期的な本として学ぶべきことが沢山あります。

 初版は2022年2月28日になっていますから、著者は、当然のことながら、同年2月24日のロシア軍によるウクライナ侵攻については知らずに出版しました。それでも、まるで「予言」するかのように、本書ではウクライナの悲劇の歴史にも触れています。

  私自身の個人的な大胆な感想ではありますが、ヨーロッパは地続きですから、欧州諸国は、絶えず戦争をして領地を獲得し、戦争の度に国境が変わってきた歴史だったと言えます。弱肉強食で強力な国家しか生き残れないという歴史です。21世紀にもなって、何でロシアがウクライナに侵攻したのか理解できませんでしたが、プーチン大統領は、過去の歴史の顰に倣っただけで、彼は、戦争で勝てばいくらでも領地は分捕ることが出来て、国境なんかすぐ変更できると思っているのではないでしょうか。

 ウクライナは、大雑把に言えば、12世紀から14世紀にかけて栄えたキエフ公国に遡ることができます。ウクライナは20世紀になってソ連邦に組み込まれ、ロシアとの結びつきだけが強いイメージがありますが、一時は、後から出来たモスクワ公国より勢力が大きかった時期もありました。それが弱体化して、外国勢力に組み込まれます。14~15世紀は、リトアニア大公国の領土となります。リトアニアといえば、ソ連邦に組み込まれたバルト三国の一つで、小国のイメージがありましたが、その当時は、同じカトリック教徒が多いポーランド王国と結びついて領土拡大し、今のベラルーシやロシア西部まで勢力圏に含んでいたといいます。

五島列島 Copyright par Tamano Y

 リトアニアで驚いていたら、第二次世界大戦中は、一時期、ウクライナ南部はルーマニアの領土になっていたこともあったのです。ナチス・ドイツと結びついたルーマニア軍は1941年7月1日にウクライナ領などに侵攻し、10月にはオデーサ(オデッサ)が陥落。ルーマニア政府はヒトラーの承認を得て、オデーサをアントネスク市に改名するのです。親ナチ派のイオン・アントネスク大将の名前から取ったものです。ルーマニアは、同市を含むウクライナ南西一帯を「トランスニストリア」と称して自国領に編入します。

 1941年6月22日、ドイツはソ連との不可侵条約を一方的に破棄して、ソ連への軍事侵攻を開始します(バルバロッサ作戦)。この時、ソ連領であるウクライナも戦場になりました。キーウ(キエフ)もハルキウ(ハリコフ)も被害を受けます。語弊を恐れずに言えば、ウクライナが戦場になったのは、ロシア軍による侵攻という今に始まったわけではなかったんですね。先の大戦でも、中世でも多くの血が流されていたということです。

 ウクライナは肥沃な穀倉地帯ですから、敵国としては戦略として欠かせない領土だったのでしょう。

 繰り返すようですが、欧州は陸続きで、色んな民族が群雄割拠していますから、戦争によって、領土を拡大し、国境を変更していくことは特別ではなく、日常茶飯事だったことがこの本を読んで分かりました。

 歴史は学ばなければいけませんね。

討ち入り、拷問、切腹、暗殺の世界=永倉新八著「新撰組顛末記」

唐津の叔母が京都に旅行し、新選組が駐屯した壬生寺も参拝したらしく、お土産に永倉新八著「新撰組顛末記」(新人物文庫)を買い、郵便で送ってくれました。

 突然で、何の前触れもなかったので吃驚です。ちょうど、8月15日付の渓流斎ブログで、日暮高則著「新選組最強剣士 永倉新八 恋慕剣」(コスミック・時代文庫)を取り上げたばかりだったので、何か「偶然の一致」を感じました。こちらは、小説で、永倉新八が島原の芸妓小常との間に出来た娘の磯探しがプロットの中心になっていましたが、「新撰組顛末記」の方は、ノンフィクションといいますか、回想記です。映画やテレビや小説の新選組ものの「種本」としても有名です。

 幕末に新選組二番組長として活躍した剣豪・永倉新八は、近藤勇や土方歳三らとは違い、明治を越えて大正時代まで生き延びました。その最晩年に、北海道の小樽新聞社会部記者の加藤眠柳と吉島力の取材を受けて、新聞連載され、後にまとめられたのがこの「顛末記」です。時代の証言者の回想録ですから、面白くないわけありません。

 ちなみに、新選組隊士本人の「聞き書き」の回想録は、昭和13年まで生き延びた池田七三郎(稗田 利八)を取材した当時東京日日新聞記者だった子母澤寛の「新選組聞書(稗田利八翁思出話)」などもあります。

 「新撰組顛末記」は、以前から読みたいと思っておりました。永倉新八の回想録ですが、小樽新聞の記者の書き方は、主語が「私」や「拙者」などではなく、「永倉新八」と他人行儀になっています(笑)。歴史の証言として客観的に残したいという表れなのかもしれません。また、江戸での清川(清河)八郎暗殺事件など、永倉新八自身が現場で立ち合っていないことも書かれているので、「新撰組通史」として残したいという永倉新八と記者の信念が伺われます。

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 有名な「池田屋事件」(1864年)では、永倉新八は、近藤勇、沖田総司、藤堂平助らとともに、最前線で斬り込みに立ち合ったので、その描写が生々しい。

 敵(長州の志士)は大上段にふりかぶって「エイッ」と斬りおろすを、青眼にかまえた永倉はハッとそれを引き外して、「お胴ッ」と斬り込むと敵は、ワッと声をあげてそのままうち倒れたので、さらに一太刀を加えて即死せしめ、再び縁側にかけ戻り、敵やあるとみるまにまたもひとりの志士が表口へ飛び込んでいくと、待ち構えた谷の槍先に突かれてあとずさりするところを追っかけていった永倉が一刀のもとに切り殺す。

 いやはや、今から158年前の出来事です。他に拷問あり、斬首あり、切腹あり、作り物ではなく史実なので、読むと胸が痛くなる場面が出て来ます。

◇◇◇◇◇

 相変わらず、ブッキッシュな生活です。他に読む本が沢山あるのに、面白いので、ついこの本を取ってしまいました。

 それにしても、自分は何でこうも真面目なんでしょう? 本ばかり読んでいるので、また温泉にでも行って静養したくなりました。

【追記】①

 143ページに、後に「油小路事件」で暗殺される新選組参謀・伊東甲子太郎が「もともと常陸水戸のわかれ宍戸藩士で鈴木姓を名乗っていた」と書かれていたので吃驚しました。伊東は、常陸志築藩士だったという説もありますが、もし、宍戸藩士だったとすると、最近知った驚くべき事実があるからです。

 それは、幕末の宍戸藩主(九代)は松平頼徳(よりのり)と言いますが、この人、天狗党の乱の鎮圧に失敗し、幕府からその責任を取らされて切腹した藩主でした。この頼徳の妹・高の曾孫に当たるのが平岡公威、そう、あの割腹自殺した作家の三島由紀夫だというのです。

 三島には、御先祖さまの血縁者に、切腹した藩主がいたとは、驚くほかありません。

【追記】②2022年9月1日読了

  何ともまあ、とてつもない時代を生き抜いた男の生涯でした。神道無念流の剣の達人。新選組では、沖田総司、斎藤一と並ぶ「三羽烏」と呼ばれた男。

 本文の最後の方に「死生のあいだをくぐること百余回、おもえば生存するのがふしぎなくらいの身を、大正の聖代まで生きのびて」と永倉新八は振り返っています。自分自身は、浪士組内部闘争、新選組内権力闘争、禁門の変、鳥羽伏見の戦い、甲州鎮撫、会津転戦と100回以上も生きるか死ぬかの戦闘場面に出くわしながら、辛うじて生き延び、その一方で、その途中で、新選組の近藤勇、沖田総司、土方歳三、原田左之助、靖兵隊の芳賀宜道、米沢藩の雲井竜雄といった「同志」をほとんど亡くしてしまったわけですから。

 日本の歴史上、こんな波乱万丈の生涯を送った人も稀でしょう。でも、永倉新八が生き延びたおかげで、明治新政府により、「憎き敵」であり、乱暴狼藉の悪辣集団の汚名と烙印を押されていた新選組の名誉を回復した功績は長く語り継がれることでしょう。

世界は笑いを求めている=ベルクソン著「笑い」を読んで

  1970年代のフランス人の大学生François Hautchamp になったつもりで、当時の学生の必読書だった(と思われる)本を少しずつ読み始めています。

 実は、それら必読書とは、私自身が学生時代に読むべきだった本で、当時、遊興に耽って不勉強だったお蔭で読み損ねていた本を、悔悛して読んでみよう、という目論見なのです(苦笑)。

 それに、正直、現代21世紀のフランス人の大学生の必読書とは何か、見当も尽きません。学問の世界でも、流行り廃りがありますからね。

 1970年代ならまだその時代の潮流が分かります。サルトルは健在で現役でしたから、まだ実存主義哲学は廃れていませんでした。当時のフランス語を専攻する学生の気になる著作者は、サルトル、カミュは別格で、レヴィ=ストロース、ミシェル・フーコー、メルロー・ポンティー、バシュラール、ランボー、ヴェルレーヌ、ボードレール、マラルメ、ヴァレリー、古典ならデカルト、パスカル、モンテーニュ、ルソー、ヴォルテール、小説ならバルザック、フロベール、モーパッサン、ゾラ辺りか…。(バルト、ドゥールーズ、ガタリら構造主義は個人的に食わず嫌いでした)

そんなこんなで、第1弾は、アンリ・ベルクソンの「笑い」(1900~24年)にしました。副題に「おかしさの意義についての試論」とあります。新訳も結構出ておりますが、私は、原章二・早大教授訳の平凡社ライブラリー(2016年)を読み進めています。(何だ!原語じゃないんかえ!?)この本には、ベルクソンの「笑い」の他に、ジークムント・フロイトの「不気味なもの」とジャンリュック・ジリボンの「不気味な笑い」の2編も収録されています。ベルクソンとジリボンはフランスの哲学者、フロイトはオーストリアの精神科医ですから、原教授は仏語と独語に堪能だということが分かります。

五島列島 Copyright par Tamano Y

 先ほど、やっとベルクソンの「笑い」を読了できました。笑いに関する哲学的考察ですから、大変難解です。自分自身、全て理解できたとは思えません。その第一の理由は、著者はモリエールを頻繁に引用しているというのに、私自身、「病は気から」も「人間嫌い」も「守銭奴」も「タルチュフ」も「スカパンの悪だくみ」も1冊も読んだことがないからです。「いつか読もう」と作品名だけはしっかり記憶していましたが(笑)。でも、モリエールを読んでいないとなると、著者が盛んに引用するラシーヌやラビッシュは尚更です。

 いずれも戯曲ですが、フランス人ならリセ(高校)の生徒でも、一度は作品や舞台に触れたことがあると思われます。

 結局、日本人である私が、ベルクソン先生が定義する「笑い」から読み解くことが出来たのは、以下の結論部分でした。

 …笑いは絶対的に正しいものではありえない。…笑いの役目は屈辱を与えて脅かすことである。もし、自然が、この目的のために、人間の中の最良の人にさえ、ほんの少しの意地悪さを、あるいは他人をからかいたくなる気持ちを残しておかなかったなら、笑いはその役目を果たすことができないであろう。…

 鋭い指摘であり、慧眼です。現代のように、ポリティカルコレクトが最優先され、格差や差別が糾弾される社会では、耳が痛い話です。が、人間が本来持つ意地の悪さや他人を嘲笑して優越感を味わいたいというズル賢さがなければ、笑いは生じないということなのでしょうね。それは、チャップリンの喜劇にせよ、日本の落語や漫才にせよ、「男はつらいよ」の寅さんにせよ、共通して言えることだからです。

 でも、私のようなへそ曲がりから言わせてもらえば、このように笑いを哲学的にしかつめらしく考察したら、笑えるものも笑えなくなってしまうのではないかと危惧してしまいます。

 とはいえ、日本でも新訳が出るくらですから、この本はいまだに世界中で読まれていることでしょう。世界は、戦争ではなく、笑いを必要としているからだと思います。そう言えば、私自身は、最近、映画もコメディーなければ、わざわざ映画館に足を運んで見る気がしなくなってきました。

松岡將氏と山本悦夫氏が神保町の書店に出店

 満洲研究家兼美術評論家の松岡將氏からメールを頂きました。な、な、な、何と、神田は神保町に「書店」を出店されたというのです。

  仏文学者の鹿島茂氏をプロデューサーに迎え、「本を愛する方でしたら、どなたでも出店可能」ということで、世間的に有名無名関係なく、入会金と月額使用料を支払えば、「パサージュ」と呼ばれる書店の本棚の販売スペースを借りられるというのです。(パリの屋根付き回廊商店街=パサージュをイメージしています)

 そして、何ともまたまた驚くべきことに、松岡將氏の上の本棚が、皆様御存知のガルーダ研究家の山本悦夫氏のスペースになっているというのです。これは大変だ!是非とも現地に行って確かめて見なければ・・・。ということで、本当に久しぶりに神保町に出掛けてきました。

神保町・中華「漢陽楼」

 年を取ると足腰が弱くなり、出掛けるのも億劫になってくるものです(苦笑)。しかし、思い立ったら吉日。今回、神保町を目指したのは、もう一つ理由が御座いまして、牧久氏の最新著書「転生 満洲国皇帝・愛新覚羅家と天皇家の昭和」(小学館)を読んで、周恩来の偉業に感激して、また是非とも、周恩来が日本留学時代によく通ったという神保町の中華料理店「漢陽楼」に行ってみたくなったかったからでした。

 個人的ながら、私は東京都内で一番好きな所を挙げろと言われれば、まず、お茶の水~神保町界隈を挙げます。大好きな街です。世界最大の「本の街」だからです。早速、御茶ノ水駅から歩いて、「漢陽楼」を目指しました。5~6年、いや7~8年ぶりぐらいでしたが、迷わず行けました。しかし、残念。定休日でした。毎週末と月曜日が休みのようです。

 仕方がないので、古書店街に入り、何処に行こうか思案しました。30年前は文藝記者でしたから、毎週1回は書店巡りをして、10冊近く書評用の本を買い込み、昼に、洋食屋の「南海」とか、「さぼうる」とか色々行ったものでした。でも、神保町と言えば、カレーか餃子というイメージが強いです。

 結局、入ったのが、昔からよく通っていた「ラドリオ」という喫茶店。喫茶店といっても、ビールや水割りぐらい呑める「休憩所」です。

「ラドリオ」チキンカレーとアイスコーヒー1000円

 私が入った直後に、「満員御礼」となり、後から来た人は行列をつくっていました。

 私はそこで、チキンカレー(サラダ付)とアイスコーヒーという遅い昼食を取りました。銀座と比べればやはり安いです(笑)。

神保町「パサージュ」

 食事が終わって直ぐ、「現場」に直行しました。「すずらん通り」ということで、ここは、地下鉄神保町駅から三省堂書店に行く道ということで、本当によく利用した通りですから迷子になるわけありません。でも、老舗餃子店が閉店したり、店が結構変わり、雰囲気も変わりました。30年前にすずらん通りを歩いていた人の中には亡くなった方もいらしゃるでしょうから(失礼!)。

 パサージュは、中国専門の有名な「内山書店」の隣りの隣りにありました。

松岡將氏出店の「本棚」

 そして、店内に入り、ざっと見たところ、100か200ぐらいの本棚がありました。(島田雅彦や米原万理、井上ひさしらの本棚もあるようです。)しかし、どういうわけか、自分でも信じられませんが、店員さんに聞く前に、一瞬で、松岡將氏の出店「本棚」を発見してしまったのです。しかも、目立たない一番下の本棚だったというのに…。何か見えないものに引き寄せられる感じでした。(写真撮影は自由でした)

上の棚が山本悦夫氏、下の棚が松岡將氏

 確かに、松岡將氏の本棚の上が山本悦夫氏の本棚になっていました。

山本悦夫氏の出店本棚(1)

 山本氏は、もう一つ、左横にスペースを確保されていました。これは、現場に行かなければ分かりませんでしたね。

山本悦夫氏の出店本棚(2)。渓流斎ブログでもご紹介した「ホーニドハウス」も並んでいます

 それにしても、凄い偶然です。

 でも、あれっ? 松岡將氏と山本悦夫氏と接点があったのでしょうか? 恐らく、以前、10年ぐらい昔、「おつな寿司セミナー」(解散)に松岡氏を無料講師として講演して頂いた際に、山本氏も聴衆として参加されていて、会場でお互いに名刺交換でもされたのではないか、と推測しています。

 それにしても、繰り返すようですが、凄い偶然ですよ。皆さんも、機会があれば、神保町に出掛けて、確かめてみてください。その際、是非、ご購入を(笑)。

銀座、ちょっと気になるスポット(7)=行列店

 「銀座、ちょっと気になるスポット」と題して連載してきましたが、もうネタが尽きた感じになってきてしまいました(笑)。

東銀座・喫茶「YOU」

 これまで、ほとんど名所旧跡ばかり取り上げてきたので、今回は、初めて、飲食店にすることにしました。名店とか、穴場とかいった店ではなく、とにかく、行列が並んでいる人気店ということで、3店だけご紹介しようと思います。

 別に店を選ぶ特段の基準はありません。ただ、「並んでいる店」というだけなので、宣伝ではありません「笑)。

銀座・喫茶「YOU」

 最初に取り上げるのが、歌舞伎座の横と言いますか、南側にある「YOU」という喫茶店です。ふんわりしたオムライスが有名で、恐らく、雑誌やテレビで大きく取り上げられ、評判が評判を呼んだ店だと思われます。

 私は、6,7年前に一度入ったことがありますが、当時は、ここまで人が並ぶようなことはありませんでした。私も雑誌を見て、オムライスに挑戦したのです。

 ふんわりしたオムライスの卵は、雑誌に載っていた写真通りでした。そのまま食べようとしたら、お隣りの大変親切な御姐さんが「いや、卵はまず、ナイフで上から半分に切って、その切れ目を引っ繰り返して食べるんですよ」と「作法」を教えてくれました。

 いやあ、胃袋に入ったら同じですから、別にそのまま齧りついてもよかったんですが、おあ姐さんが、あまりにも熱心に薦めるので、そうして食した記憶があります。

東銀座・ラーメン「八五」

 次の店は、ラーメン店です。「八五」という名前です。「銀座で最高峰のラーメン」ということで、いつも行列です。私の場合、昼休みは午後12時半からにしているのですが、この店の前に到着する12時40分頃ともなると、最低でも15人は並んでいます。(多いと30人の時も)カウンター6席しかないらしいので、しょうがないですね(行列は写真に写っていません)。

 並んでいては昼休みが終わってしまうので、私はこの店では一度も食したことはありません。この店が出来たのは多分5,6年前ぐらいで、10年も経っていないと思います。

 特製醤油スープ、チャーシュー入りの特製中華そば(1400円)が一番人気のようですが、ネットの感想文も「べた褒め」ばかりです。時間的に余裕がある方でしたら、挑戦してみる価値があるかもしれません。

東銀座・炭火焼き干物食堂「越後屋八十吉」

 3軒目は、また歌舞伎座の横の通りを歩いて、晴海通りに出て、晴海方面に少し行ったところにある炭火焼き干物食堂「越後屋八十吉」です。

 ここは、数年前に何度か行ったことがありますが、以前は行列になるほどではありませんでした。焼き魚定食で1000円以内のものもあり、値段が手頃ということで人気になったのか? ーでも、恐らく、雑誌やテレビで取り上げられたからでしょう。

 テレビや雑誌は影響力絶大ですからね。ちなみに、この渓流斎ブログは影響力なしですが、もしかして、このブログを見て、「一度行ってみよう」という奇特な方もいらっしゃるかもしれません。でも、忠告しておきます。少なくとも1時間は並びまっせえ。

 

 

そして誰もいなくなった

  最近の政局を眺めるにつけ、話題は不統一協会のことばかりです。そこで、「双六(すごろく)言葉遊び」をー。

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