「戦時下の娯楽とメディア」=第55回諜報研究会

 12月9日(土)に東京・早稲田大学で開催された第55回諜報研究会(インテリジェンス研究所主催)に参加して来ました。お二人の研究者が登壇されましたが、今回の共通テーマは「戦時下の娯楽とメディア」でした。大変興味深いテーマで、実際、お二人とも清々しいほど面白い講演でしたが、参加者はわずか数人でした。オンラインで参加されていた方も何人かいらっしゃったようですが、それにしても「勿体ないなあ」と個人的には思いました。戦時下の古い話とはいえ、現代にも通じる話もあったからです。

 最初の講師は、都留文科大学・明星大学非常勤講師の戸ノ下達也氏でした。演題は「戦時下日本の娯楽政策ー『健全娯楽』の実像ー」でした。主に、1931年の満州事変から45年の終戦にかけての戦時体制下で、映画、演劇、音楽やダンスホール、バー、待合といった娯楽やその施設が徐々に検閲されたり、閉鎖されたり、上演、上映、レコード販売が禁止されたりする様を、歴史的に丹念に、その政策を逐次に追った報告でした。内容は、驚くほど大変マニアックでしたが、これ以上の漏れはないと思われるほど完璧で綿密な調査には圧倒されました。あまりにも内容量が多いので、このブログで御紹介できることはほんのわずかです。

 今、NHK朝のドラマで、笠置シヅ子をモデルにした「東京ブギウギ」をやっていますが、まさに戦時中が舞台で、上演が禁止されたり、風紀上の理由で直立不動で歌わされたりする場面が出てきたりしました。こういった娯楽の規制については、当時の文部省や内務省警保局の風俗警察、興行警察(こんなんのがあったとは!)、特高や、それに内閣情報部(局)が監督官庁として実際に取り締まりや政策を行って来ましたが、このような娯楽禁止や「弾圧」政策はほとんど「閣議決定」で決められていたというのです。

 これらは78年も大昔に終わった過去のことに過ぎない、と水に流すことは簡単ですが、講師の戸ノ下氏は、つい3年前の新型コロナウイルス感染拡大防止策として、第二次安倍内閣が行った学校休校や劇場や音楽ホールなどでの上演、演奏自粛などを閣議決定で決めたことを思わせる、と発言していました。小池百合子都知事による「三密」政策なんかもありましたね。慮ってみれば、善い悪いという話は別にして、平時でなくなれば、時の権力者や当局者がいとも容易く国民をコントロールできる仕組みを強調したかったのではないかと思われました。

 ただ、緊急の戦時体制ですから、為政者だけでなく、大衆の中には「ぜいたくは敵だ」との当局の口車に乗って、娯楽を営業する「非国民」を密告したり、為政者に協力した人もいたようですので、日本人らしい生真面目さといえば言えなくもありません。先のコロナ禍でも、マスクをしなかったり、ワクチンを接種しなかった人に対して、私も含めて白眼視してきましたからね(苦笑)。いわゆる同調圧力です。

 いやはや、戸ノ下先生の講演から少し外れてしまいましたが、敵性音楽となったジャズやタンゴの演奏やレコード販売の禁止の話はよく聞いていましたが、能や文楽や歌舞伎など日本の伝統芸能まで、演目によっては上演が禁止されていたことは今回初めて知りました。実は、これは私が会場で質問したものでしたが(笑)、戦前の国家主義といいますか、全体主義は「芸術家受難の時代」と言ってもよく、とても当時に生きたいとは思えませんね。判断基準が「不健全」とか「風紀を乱す」といった恣意的な理由ですが、実際は、反戦思想や国体護持に違反する思想を取り締まって、1億総国民を全て戦争に協力させることが目的ですから、表現の自由なんかあるわけありません。(もう少し書きたいのですが、戸ノ下氏の講演はこの辺で終わりにします。もっと詳しく知りたい方は、戸ノ下氏の著書「戦時下日本の娯楽政策」(青弓社)をお読みください。)

 続いて登壇したのは、元NHK放送文化研究所研究員の大森淳郎氏で、演題は「戦時ラジオ放送を聴く」でした。大森氏は、テレビディレクターだったので、人前で講演するのは「今回が初めて」と吐露されていましたが、落語家のような味のある噺し方をされる方で、暗い話も随分と緩和されました。また、大森氏が今年6月に出版した「ラジオと戦争」(NHK出版)が今年の第77回毎日出版文化賞を受賞されました。

 私自身、この本は未読でしたが、大森氏は「なるべく本に書かなかったことをお話しします」と始めたので、拍子抜けしてしまいました(笑)。大森氏のお話で私が一番驚いたのは、あの天下無敵のNHK(当時は社団法人日本放送協会)さんが、戦時中の音源を一切所蔵していないという事実でした。戦前は勿論、テレビはなく、ラジオ放送だけでしたが、文字通り、「放送=送りっ放し」だったわけです。

 それが、今回、当時、ラジオ放送された「サイパン島陥落」を伝える大本営発表や、鹿児島県の知覧飛行場からの「特攻隊出撃」の実況放送などの音源を聴かせてもらうことが出来ました。えっ?どうしたことでしょう?ー実は、それらは、当時、高校生だったタカハシ・エイイチさん(耳で聞いただけなので、漢字が分からず済みません。大森さん教えてください)という方が、いわゆる「ラジオ少年」で、部品を買い集めて録音機まで自分で作ってしまい、その奇跡的な貴重な音源をNHKの大森氏がタカハシさんからお借りして来たものだと明かしておりました。いつお借りしたのか分かりませんが、タカハシさんが御存命なら現在、90歳代後半です。「無名の少年」が残した貴重な歴史的音源ですから、もっと世間に知られても良いと思いました。

 サイパン島陥落は、昭和19年7月18日午後5時に大本営が発表した原稿でした。サイパンの最高指揮官である南雲忠一海軍中将を始め、全員が戦死したことを伝えるとともに、サトウキビ栽培などで移住していた2万人の邦人市民も「おおむね将兵と運命をともにせるものの如し」と発表していました。しかし、大森氏によると、住民の半数は米軍によって収容されたといいます。

 興味深いことは、このサイパン陥落報道から間もなくして、大木惇夫作詞、山田耕筰作曲で「サイパン殉国の歌」(木下保、千葉静子歌)が作られ、SPレコード(ニッチク)も発売され、戦意高揚のため、毎日、ラジオ放送もされたというのです。サイパン玉砕を予測した軍部が、随分前にあらかじめ作詞作曲を依頼したのではないかと思わせるほどの手早さです。

 大森氏は、ラジオ放送の歴史を綿密に調べ上げておりました。NHKは最初から政府べったりの「御用放送」かと思っていたら、放送が開始した大正14年(1925年)から数年は、講演会を放送し、中には軍事費を増強する政府を批判する講演まで放送していたといいます。それが、軍国主義が台頭していく中で、次第に軍部に協力するようになったといいます。 

 一般の人にはあまり知られていませんが、NHKは戦前は、ニュース報道の取材はしていませんでした。専ら国策ニュー通信社である同盟通信社(現電通、時事通信、共同通信)の配信するニュース原稿を読んで放送していました。それが、大森氏らが発掘した戦時中のニュース原稿のゲラを見たら驚きです。同盟通信の原稿を大幅に削除したり、加えたりして、より戦意が高揚するように書き換えて放送していたのです。

 こういう史実は語り継がれなければならない、と思いました。

 

日本人好みの作品なのかなあ?=上野の森美術館「モネ 連作の情景」展

 東京・上野の森美術館で開催中の「モネ 連作の情景」展を万難を排して観に行って来ました。(来年1月28日まで)

入り口はモネのジヴェルニーの庭を再現(撮影許可された作品)

  この展覧会は、主催が産経新聞社ということで、失礼ながら宣伝力が弱く、開催されていること自体を知らない人も多いかもしれません。東京朝日新聞は、毎週、火曜日の夕刊で、目下、関東圏で開催中の美術展を表枠にして紹介していますが、産経はライバル社なので、一切、モネ展について報道しないのです。裏事情は分かり、そのうち報道するかもしれませんけど、意地が悪い新聞社ですねえ(苦笑)。

 でも、フランスの印象派の巨匠クロード・モネ(1840~1926年)は、私の大学の卒論の対象者でしたから、見逃すわけにはいきません。(卒論テーマは「印象派」で、作曲家のクロード・ドビュッシーも取り上げて「二人のクロード」と題しました。)

モネ「睡蓮」1897~98年 米ロサンゼルス・カウンティ美術館蔵(撮影許可された作品)

 一応、私は、モネの専門家気取りでしたから、モネの作品を求めて、世界各国の美術館を行脚しました。パリのオルセー美術館、ルーブル美術館、ロンドンの大英博物館、ニューヨーク・メトロポリタン美術館、それに東京のブリヂストン(現アーティゾン)美術館や倉敷の大原美術館など色々と行きましたが、やはり、モネの「睡蓮」の連作があるパリのオランジュリー美術館と第1回印象派展(1874年)に出展した記念すべき「印象・日の出」を所蔵するパリのマルモッタン美術館は忘れられません(本物に接して鳥肌が立ちましたよ)。意外な大穴は、スイスのチューリヒ美術館です。忘れてしまいましたが(笑)、何かの仕事でチューリヒに滞在した時、たまたま入った美術館でしたが、パリのオランジュリー美術館と全く引けを取らない「睡蓮」の連作が何十点も展示されていて驚くとともに、本当に圧倒されてしまいました。特に最晩年の「睡蓮」は、姿形が全く把握できない、網膜で創作せざるを得ないほど抽象的になり、その混在する色彩がほぼ暴力的に迫ってきました。

 そんな凄いものを観てしまっているので、今展の「モネ 連作の情景」展は、申し訳ないですが、「看板に偽りあり」と思ってしまいましたね。ただ、最初に展示されていた「1章 印象派以前のモネ」では、「桃の入った瓶」(1866年)、「ルーヴル河岸」(1867年)などモネ20代の初期作品が展示され、結構、初めて拝見する作品ばかりでした。

モネ「ロンドン国会議事堂、バラ色のシンフォニー」1900年 ポーラ美術館蔵(撮影許可された作品)

 個人的には、連作の一つ「積みわら」(1885年)と「国会議事堂、バラ色のシンフォニー」(1900年)が気に入りましたが、前者は倉敷の大原美術館所蔵、後者は箱根のポーラ美術館所蔵じゃありませんか。両方とも国内にあるとは! 私も典型的な日本人(もしくは、ほんの少し外れた日本人=笑)なので、いかにも日本人が好みそうな作品なのかもしれませんね。

 同時に、何でモネはこれほどまで日本人に愛されているのかも不思議です。モネ自身もアトリエに葛飾北斎の浮世絵を飾っていたり、当時のジャポニスムに多大な影響を受けた作品を残していますから、もしかしたら、相思相愛なのかもしれません。

モネ「ロンドン・ウォータールー橋、曇り」1900年 ダブリン・ヒュー・レイン画廊(撮影許可された作品)

 来年2024年は、第1回印象派展が開催されて、ちょうど150年に当たる年だということで、全国の美術館で「印象派展」がいくつか開催されるようです。どれを観たらいいのか困っちゃいます。だって、入場料がバカにならないからです。この産経主催のモネ展だって、土日祝日の一般の料金は3000円もするんですからね!! 観るのを諦めようかと思いましたが、私は賢者ですから、平日の午後4時以降の割引2300円で観ることが出来ました。それでも、こういうチケットだけは直ぐ完売してしまうので、二度目の挑戦でやっとゲット出来ました(笑)。

 

我々はタイ人だったのか?中国人だったのか?とにかく混血ですが衝撃的な結末です=NHK「日本人とは何者なのか」

 先日、NHKBSで放送された「フロンティア」第1回「日本人とは何者なのか」は、この《渓流斎日乗》の愛読者の皆さんには必見の番組でした。ちょっと制作者側のわざとらしさが目に付きましたが、内容はひっくり返って驚くほど衝撃的でした。(NHK総合で、12月18日午前0時25分から再放送あり)

 私はせっかちなので、結論を先に書いてしまいますが、我々日本人はもともとタイ南部に今でも狩猟採取を続けるマニ族(東京大学の太田博樹教授によると、タイやラオス周辺に住んでいる「ホアビニアン」と呼ばれる民族)の流れを汲む1000人の勇気のあるフロンティアが北上して3万年前に日本列島に住み着いて「縄文人」となり、その後、3000年前に大陸の北東中国から渡来した「弥生人」との混血が進み、これまでの定説ではその「二重構造説」でお仕舞いでした。しかし、次世代シーケンサーと呼ばれる最新のDNA解析により、3世紀の古墳時代に東アジア全域から渡来した民族との混血、つまり、「三重構造説」だったということが分かったというのです。これは驚きです。

 要するに、DNA解析により、今の日本人の多くには、東アジアから渡来した「古墳人」が半分、「弥生人」が4分の1、「縄文人」が4分の1の割合で混血したDNAが残っているというのです。(縄文人の流れを色濃く残すアイヌ民族と沖縄人は除きます)ただし、この肝心要の「古墳人」については、まだ研究の最中なので、どんな人たちなのか、何故、3世紀になって大量の東アジアの民族が日本列島に渡来したのかはまだ不明で分かっていません。東アジアの民族とは、中国だけではなく、ベトナムのキン族なども含まれているようです。中国には56も民族がありますから、日本人とそっくりの雲南省の白(ペー)族なども含まれているのではないかと思われます。(番組ではそこまで詳しくやってくれませんでした!)

築地

 我々の祖先であるホモ・サピエンスは20万~30万年前にアフリカで誕生し、7万年前にアフリカを出て西アジアに行き、そこから欧州に行く者と東アジアに行く者とに分かれ、日本列島には3万年前に辿り着いたといいます。それが、先述したホアビニアンの1000人です。3万年前は、まだ氷河期で日本列島と大陸は、くっついていたといわれます。南は対馬と九州が、北は北海道が大陸にくっついていたので、歩いて渡って来ることが出来たのでしょう。

 それが、1万8000年前に氷河期が終わり、温暖化で海面が上昇し、日本列島は孤立状態となります。お陰で、列島に閉じ込められた人たちが縄文文化(1万6000年前~3000年前)を1万3000年間も花咲かせます。なあんだ、鎖国じゃん、と突っ込みたくなります(笑)。あの火炎土器も奇妙な宇宙人のような土偶も、鎖国の産物だったとは!

 でも、今から3000年前に北東中国から渡来した「弥生人」たちは、稲作と金属器をもたらしました。恐らく、高度な造船と航海術を身に付けていたからこそ、渡来できたのでしょう。縄文人と混血します。

築地

 そして、残るは「古墳人」です。3世紀となると、日本はもう卑弥呼の時代でした。中国では漢王朝が滅亡して魏呉蜀の三国時代などになりますから、内乱続きで不安定なため、日本列島に「亡命」する人が溢れたのではないかと推測されます。職人や技術者や技能者だけでなく、手に職を持たない一般庶民も多く渡来したようです。現代日本人のDNAの半分も「古墳人」が占めているといいますから、相当大量の民族が海を渡って日本にやって来たことは確かです。この時の「日本人」と言っても、容姿や皮膚の色が違い、お互いに言葉が全く通じない、現代以上に国際色豊かだったと考えれています。(「人類の起源」の著者篠田謙一国立科学博物館館長

 最新のDNA解析って本当に凄いですね。古墳人を中心にもっともっと解明されていけば、日本人とは何者なのか、分かっていきます。これは大いに楽しみです。皆さんも一緒に長生きしましょう(笑)。

「現代のアヘン戦争」フェンタニルから情報問題を考える

  私は毎朝、出勤する前にTBSラジオの「森本毅郎・スタンバイ!」を聴いています。その日の新聞6紙(朝日、毎日、読売、日経、産経、東京)の都内最終版とスポーツ紙(報知、スポニチ、日刊、サンスポ、東中、デイリー)のニュースをコンパクトにまとめて、日替わりにコメンテーターが解説するスタイルです。

 その5人のコメンテーターのうち、2人も私の会社の先輩、後輩に当たる人なので、一緒に仕事をしたことはありませんが、よく存じ上げている方なので、身近に感じています(笑)。要するに取材方法といいますか、ニュースソースといいますか、情報の取捨選択の仕方がどうしても会社の方式(社風)から抜けきれないので、想像がつくという意味においてです。

 最近は、遅くとも朝7時半には家を出るので放送の全部は聴くことができませんけど、本日(12月7日、木曜日)はたまたま所用で有休を取っていたので、朝8時からのコメンテーターによる「深堀解説」を聴くことが出来ました。この日のコメンテーターは日経BP出身のジャーナリスト渋谷和宏さんで、「現代のアヘン戦争」の話でした。

 「現代のアヘン」というのは、フェンタニルと呼ばれる鎮痛剤のことで、医療用麻酔として本来は使われているのですが、合成オピオイドという麻薬性鎮痛剤なので、乱用すると死に至る危険があるというのです。効果はヘロインの50倍、モルヒネの100倍と言われています。

◇あのプリンスも過剰摂取で死亡

 米国ではこの薬物乱用によって、2020年には5万8000人、21年には7万1000人もの人が亡くなったと言われています。あのロック界のスーパースター、プリンスも、ジョージ・ハリスンとバンドを組んだこともあるトム・ペティも、そしてラップ歌手のクーリオも、このフェンタニルの過剰摂取で亡くなったと言われています。

 このフェンタニルは、中国から輸入されているということで、「現代のアヘン戦争」と米国が騒いでいるわけです。表向きは輸入禁止にしても、密輸の形で入って来るか、メキシコ経由で加工されたものが米国に入って来るということで、先のバイデン大統領と習近平国家主席との会談でも、この問題が取り上げられたというのです。

築地本願寺

 この話、知らなかったですね。私は一応、ジャーナリズムの仕事に携わって、毎日、新聞6紙に目を通し、テレビニュースもフォローしているつもりなんですが、これではジャーナリスト失格です。

 コメンテーターの渋谷氏も、随分よく調べているなあ、と感心しましたが、実は、問題のフェンタニルが、ラジオで音声で聴いただけなので、ペンタミンと言っているのか、フェンタミンと言っているのか、聞き取れなかったのです。仕方がないので、スマホで検索してみました。そしたら、国際情勢アナリストの山田敏弘さんという人が今年4月に、何と、時事通信のJIJI.comに「『現代のアヘン戦争』米中間の深刻な懸念」というタイトルで、このフェンタニルのことを詳細に書いていたのです。しかも、内容は、渋谷氏が話していたものと似通っていましたから、恐らく、渋谷氏はこの記事を参照した可能性があるような気がしました。

 まあ、それを言ったらキリがない話でありまして、時事通信に寄稿した山田氏のニュースソースも、彼が一時在職したことがあるロイター通信や、AP通信やニューヨーク・タイムズやワシントンポストやウォールストリート・ジャーナルやガーディアンの記事だったりするわけです。つまり、彼がバイデン大統領に直接取材して談話を取ったわけではなく、外国メディアからの「引用」だというわけです。

築地本願寺

 私はFacebookを始めとしたSNSにはなるべく近づかないようにしています。YouTubeもそうですが、「興行師」サイドは、SNSを、莫大な収益をもたらす宣伝媒体といいますか、洗脳宣撫活動として使っているからです。ニュースの信憑性には大いに欠けるので時間の無駄です。

 とは言いながら、「現代のアヘン戦争」を書いた国際情勢アナリストの山田敏弘さんについて、よく知らなかったので検索してみましたら、他人のSNSの記事から引用した、推測に溢れた「まとめ」記事が出てきて、思わず騙されて読んでしまいましたよ(苦笑)。でも、内容が全く想像の域を出ていません。素人が書いたからでしょう。

 要するに、他人が書いたあやふやな推測記事を引用したものなので、それらは二次情報であり、三次情報だったりするわけです。一次情報に接することが出来る人は、プロの記者や事件事故の当事者に限られていますが、最近のネット社会では、霞ケ関の省庁や地方公共団体もホームページで積極的に情報を公開するようになったので、普通の人でもアクセスすることが出来るようになりました。素人でも、記者会見などの報道資料を読むことが出来るのです。

 無味乾燥の面白くもない、データ解読に必要な知識を要する読みにくい情報も多いのですが、それこそが真の一次情報なのです。

大谷翔平、藤井聡太の塩基配列は我々と99.9%同じ!=安藤寿康著「能力はどのように遺伝するのか」(上)

 12月1日付の渓流斎ブログ「身も蓋もない議論なのか? 究極の理論なのか?=橘玲、安藤寿康著「運は遺伝する 行動遺伝学が教える『成功法則』」の記事の最後の方で、「(著者の)安藤寿康氏には失礼なことを書いてしまったので、安藤氏の近著『能力はどのように遺伝するのか』(ブルーバックス、2023年6月22日初版)を購入して読んでみようかと思っております。大いに期待しています。」と書いたことを覚えていらっしゃる読者の方が、もし、いらしたら、その人は「通」です(笑)。

 目下、有言実行でこの「能力はどのように遺伝するのか」を読んでおります。何しろ「科学の聖典」を多く出版しているブルーバックスですからね。私が子どもの頃に創刊されたあこがれのシリーズです。学術書なので難解ではありますが、購入して良かったと思っています。前回、安藤氏ご自身が、自分の著書について、ネット上の書評で「言いたいことがあるならはっきり言え」「期待外れだった、橘さんの本で十分」などと批判されたことを「あとがき」に書いていたことをご紹介しました。確かに、この本もなるべく断定的な言説を避けているので、失礼ながら、前述の批判も頭に浮かんだりしますが、そこは、誤謬を嫌うデータ重視の科学者としての誠実で真摯な態度の表明と受け取ることが出来ます。

 私も今、回りくどい言い方をしましたが、この本は名著だと思います。何も知らない初心者でも「行動遺伝学」とは何なのか、理解できるからです。この本を知らずに一生を終わるのは勿体ない、と皆さんには言っておきます。

東銀座「紹興苑」

 このブログを長年お読み頂いている皆様には周知の事実ではありますが、私の人生のテーマは、仏画家ポール・ゴーギャンが描いた「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」の言葉そのものです。そのために、ここ何年も何年も、古人類学や文化人類学、進化論、宇宙論、量子論、物理学、心理学、数学…と難解で不慣れな書籍に挑戦して来たことは皆様ご案内の通りです。その結果、「我々はどこから来たのか 」は大体分かってしまいました。時間も空間もない「無」からインフレーションとビッグバンが起きて138億年前に宇宙が誕生し、46億年前に地球が誕生し、40億年前に生命が誕生し、中略して、700万年前に霊長類の人類がチンパンジーから分かれて「誕生」し、また、中略して、20万年前にホモ・サピエンスがアフリカで出現して、7万年前にアフリカを出て、3万年前に日本列島にまで到達した、ということでした。

 「我々はどこへ行くのか」も分かってしまいました。身も蓋もない話ですが、滅亡します。地球はあと20億~50億年で寿命で消滅することが分かっていますから、生命はその前に絶滅します。このまま、環境破壊と地球温暖化が進めば、もっと早い時期に滅亡することでしょう。別に脅しでも脅迫でもありません。私が言っているのではなく、科学者ら言っているのです(苦笑)。となると、せめて、生きているうちに幸福を求めて生を謳歌するしかありませんよね?

 その前に「我々は何者か 」が残っておりました。これは、人類学や進化論、宇宙論だけではアプローチ出来ません。そんな中で、偶然出合ったのが、行動遺伝学です。そして、手に入りやすいその代表的な関連書籍が前回の橘玲、安藤寿康著「運は遺伝する 行動遺伝学が教える『成功法則』」(NHK出版新書)であり、今回の安藤寿康著「能力はどのように遺伝するのか」(ブルーバックス)であると言っても過言ではないと思っています。

東銀座「紹興苑」牛すじ煮込みランチと点心(点心は写真に写っていません) 1400円

 さて、前置きがあまりにも長くなってしまったので、本日取り上げるのは「第1章 遺伝子が描く人間像」です。私が一番驚いたことを書きます。今年(2023年)、最も話題になった「天才」として、二刀流の大谷翔平選手と将棋八冠の藤井聡太さんがおりますが、彼らのDNAの塩基配列の99.9%までが我々と同じだというのです。えっ?です。違うのは0.1%だけで、そこに「個人差」の源泉が潜んでいるというのです。もっとも、この後、読み進めていくと、わずか0.1%しか違わないと言っても、ヒトの遺伝子は30億の塩基対から成るので、その0.1%とは300万、つまり、300万カ所に個人差があるというのです。

 なあんだ、ですよね。この後、第2章に入ると「才能は生まれつきか、努力か」という話になり、フィギュアの4回転半ジャンプも、難曲のピアノ演奏も、野球やサッカーや囲碁将棋も、才能によるのか、努力が開花したのか、要するに、遺伝なのか、環境によるものなのか、生まれつきなのか、練習のたまものなのか、といった悩ましい話になってきます。しかし、実に興味深い話です。自分とは一体何者なのか? あの嫌〜な奴は、何であんなにあくどい悪賢い人間なのか?(笑) 何で彼はそんなにメンタルが強いのか? それなのに、自分は何で気弱で、毎日悩み苦しんでばかりいるのか?ーといった難題を解くヒントになります。

 なお、22ページには必須アミノ酸20種類がどんな塩基に対応しているのか(これは「コドン」と呼ばれる)という「DNAコード表」が掲載されています。「AGA」が「アルギニン」、「GGT」が「グリシン」などとなっていますが、これが今の高校の生物で習うとも書かれています。

 えっ?!私が高校生の頃は全く習いませんでしたよ! それだけ、学問は日進月歩、進化しているということですよね。だから、幾ら歳を取っても、勉強し続けなければならない、ということになりますか。

英国人捕虜を連行した憲兵軍曹大山勉は東京外語仏語部出身だった=インテリジェンス研究所特別研究員名倉有一氏の業績(その2)

 全く意図しておりませんでしたが、昨日、この渓流斎ブログに書いた「日本軍捕虜の英国人遺族の娘が78年ぶりに来日した物語=インテリジェンス研究所特別研究員名倉有一氏の業績」の続きのような読み物を本日書くことになりました。

 あれから、また名倉氏から「資料」が送られてきたのです。「駿河台分室物語 対米謀略放送『日の丸アワー』の記録」です。昨日、添付しようとしたら、容量が大きすぎて添付出来なかったことを書きましたが、同じ「駿河台分室物語 対米謀略放送『日の丸アワー』の記録」の中でも、これは別物で、対米ラジオ放送の協力を拒否した英国人捕虜のウィリアムズさんを東京憲兵隊本部へ連行した大山勉・憲兵軍曹の履歴に絞った資料でした。

 送られて来た資料を読んで驚きました。大山勉憲兵は、1939年に東京外国語大学仏語科(当時は、東京外国語学校仏語部文科)を卒業した人で、小生の大先輩に当たる人だったからです。

 こちらの資料は、容量がそれほど大きくなかったので、うまく添付することが出来ました。名倉氏が、小生にわざわざ「大山勉」の資料を送ってくださったのは、私が東京外国語大学のフランス語科のOBだということを存じ上げていたからのようでした。

 東京外語大の仏語科出身の歴史的人物といえば、無政府主義者の大杉栄や詩人の富永太郎、中原中也、それに作家の石川淳らがおり、いずれも、「反体制派」の烙印を押されてもおかしくない人ばかりです。いや、むしろ、体制に準じない反骨の精神を誇りに思っている人が少なくないと言っても良いでしょう。私自身も含めて(笑)。このほか、東京外大出身で、反骨精神に溢れた人物として、作家の永井荷風(清語)、新美南吉(英語)、二葉亭四迷、島田雅彦(露語)を挙げておきます。

 嗚呼、それなのに、体制派べったりの憲兵さんが先輩にいたとは! 勿論、語学力を生かして、外務省に入省したり、総合商社に就職したりする「体制派」の方々も多いのですが(笑)、憲兵さんとなるとどうも異色です。

 名倉氏から送られた資料には、大山勉の学友(同級生)で満鉄東京支社調査室に勤務したこともある武博宜氏の書簡も掲載されていますが、「(大山勉と)私とは昭和10年から14年まで東京外語の仏語部で一緒でした。旧制中学は当時名門だった府立四中(現都立戸山高校)でしたから勉強はよく出来ました。時折、改造社辺りから出版されたブハーリン、トロツキーなどの書籍を小脇に抱えていたのを覚えています。後年、憲兵になったー恐らく志願したのでしょうーことを思い合わせると違和感を覚えます。」と証言するほどでした。

赤羽

 その一方で、池田徳真著「日の丸アワー―対米謀略放送物語 」(中公新書)にはこんなエピソードが紹介されています。

 また時には大山憲兵の部屋にいって、話し込むこともあった。彼の部屋をみるとこれまた不思議である。フランス語の本がずらりと並んでいて、彼自身はゾラやモウバッサンの小説をフランス語で読んでいる。それは私たちの憲兵のイメージとだいぶ違うので聞きただしてみると、彼が言うには「私は仏文卒で、フランス語の勉強を命じられているのです」とのことであった。

 恐らく、仏印などに派遣された時に、現地で尋問や通訳・翻訳としてフランス語を使う場合もあるので、大山も上司に命じられて仏語の勉強を続けていたということなのでしょう。(実際、大山は、日米開戦後は、仏印サイゴンの憲兵隊に転勤した。)

 戦後、憲兵だった大山が、公職追放されたのか、そして、どんな生活を送ったのか、この資料だけでは不明ですが、晩年は宇都宮に住んでいたようです。戦後まもなく、大山は、富士山麓の農民の先頭に立って、米軍の実弾射撃訓練に反対する行動を指導していたという噂があった一方、大山の同級生の武氏は「戦後、大山君が『反米』『反戦』の立場を取っていたかどうかについては、全く心当たりがありません。彼との間でその種の話を交わした記憶はありません」(1998年3月24日付、名倉氏宛て書簡)と証言しています。

 物静かな人だったらしいので、指導者の噂は眉唾ものだったと思われます。依然と、大山憲兵軍曹の履歴は謎に包まれていますが、もし彼が戦争がない時代に生まれていれば、フランス文学者になっていたのかもしれません。

 日本軍捕虜の英国人遺族の娘が78年ぶりに来日した物語=インテリジェンス研究所特別研究員名倉有一氏の業績

 《渓流斎日乗》は、ブログながら「メディア」を僭称させて頂いております。日本語で言えば「媒体」ですので、たまには他人様のふんどしで相撲を取らせて頂いても宜しゅう御座いますでしょうか? 報道機関と呼ばれる新聞社の記者も取材と称して、政治家や専門家の話を聴いて活字にしているわけですからね(笑)。

 本日取り上げさせて頂くのは、インテリジェンス研究所の特別研究員である名倉有一氏の「業績」です。名倉氏はアカデミズムの御出身ではなく、堅いお仕事を勤め上げながら、一介の市井の民として地道に研究活動を続けておられる奇特な方です。

 彼の業績を一言で説明するのは大変難しいのですが、第一次世界大戦の敗戦国ドイツや、第2次世界大戦の連合国(米、英、蘭など)の捕虜たちの日本での収容所の記録を収集し、今日的意義を研究しています。このほか、太平洋戦争中、対米謀略放送「日の丸アワー」などを放送していた東京の参謀本部駿河台分室(1921年、西村伊作らによって創立された「文化学院」が、戦時中に摂取されて捕虜収容所になった。現在は、家電量販店ビックカメラ系の衛星放送BS11本社があるというこの奇遇!)に関する研究もあります。

 このほど、名倉氏から送付された「記録」を以下にご紹介します。

 

 続いて、もう一つ、二つ、名倉氏編著による「駿河台分室物語 対米謀略放送『日の丸アワー』の記録」などを添付しようとしましたが、容量が重すぎて、この安いブログに添付掲載することが出来ませんでした。残念!!(ITに詳しくないのですが、そのため、このブログに写真を掲載する際、容量をオーバーしないように、私はわざと画質を落として掲載しています。)

 仕方がないので、朝日新聞ポッドキャストに掲載された以下の3話をご視聴ください。これは、日本軍の捕虜になった英国人チャールズ・ウィリアムズさん(1918~94年)の遺族である娘のキャロライン・タイナーさんが、今年9月、父親が日本人から譲り受けた半纏を78年ぶりに「返還」した感動の物語です。

 名倉氏は捕虜収容所研究の大家ですから、今回、英国人のキャロラインさんと日本を橋渡しするコーディネーター役として活動されました。(名倉氏は、キャロラインさんの父ウィリアムズさんとは生前に英国でお会いしています。)

 ・ある捕虜の足跡① 「亡き父が大切にしていた1着の上着 敵国の男性からの贈り物だった」 

 ・ある捕虜の足跡② 「『命は保障しない』それでもNOを貫いた イギリスの若者はなぜ長野へ」(名倉有一氏も登場します。)

 ・ある捕虜の足跡③ 「秘密の戦争ビラづくり、家族にも言えなかった 脳裏に残る彼のこと」 

 上記、引用添付には音声のポッドキャストだけでなく、関連記事も掲載されていますので、お読みになって頂ければ幸いです。

浮世の憂さから逃れられる良書=永野裕之著「教養としての『数学Ⅰ・A』 論理的思考力を最短で手に入れる」

 永野裕之著「教養としての『数学Ⅰ・A』 論理的思考力を最短で手に入れる」(NHK出版新書、2022年4月10日初版)を先日、読了しました。この渓流斎ブログでこの本について初めて触れたのが、11月17日に書いた「そうだ、何歳になっても数学を勉強しよう」でしたから、11月の後半は、通勤電車の中でどっぷり数学に浸かっていたことになります。頭の悪そうな老人が、スマホのゲームをしないで、数学の本を読んでいるなんて、さぞかし異様な光景だったことでしょう。

 それでいて、数学を勉強している本人は、一瞬ながら浮世の憂さを逃れる気分になることが出来ました(苦笑)。恐らく、心配したり悩んだりする脳の器官(もしくは部位)と、数学の難問を解く脳の器官は別になってるんじゃないかと思います。

 前回にも書きましたが、数学の勉強をしたのは、予備校時代以来約半世紀ぶりでしたから、すっかり錆びついていた、どころか、完璧に忘れていました。中3で習う二次方程式の解の方程式すら忘れていたわけですから、もう何をか況やです。

 それに文部科学省の「学習指導要領」が半世紀前の昔とは大幅に変わっていますから、我々の世代ではそれほど深く習わなかったか、もしくは理科系の「数Ⅲ」で習うような「集合」や「確率」などが今では「数ⅠA」の段階で教えられていることを知りました。

 それに加えて、19世紀のドイツの天才数学者ガウス(1777~1855年、ナポレオンと同時代人!)の「合同式」(a と b とが法 n に関して合同であることを表記するとa ≡ b (mod n)となる。)なんかも掲載されていて驚くばかりです。

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 この本の趣旨は、数学の公式だけを単に丸暗記するのではなく、それに至るプロセスや問題解決能力を養うことを目的に「論理的思考力」を涵養することにありましたが、その通り、文学的、情緒的、感覚的思考力ではない明晰な思考力が身に着くような気がしました。そういう意味では、大変な良書です。確かに、社会に出れば、殆どの人は、sin、cos、tanも、平方根も、三角関数も、微分積分も、つまり、数学を使うことはないので、役に立たない学問だと錯覚しがちですが、そうではなかったことが分かったわけです。

 17世紀半ばに活躍したフランスの哲学者デカルトは、私も影響を受けた哲学者ですが、彼は代数学全盛の時代に、座標軸を発明し、古代ギリシア時代以来埋もれてしまっていた幾何学を復興した人でした。つまり、デカルトの哲学とは数学的思考によって裏付けられていたというわけです。(その逆も言えます。プラトンは、アテネ郊外に創立した哲学学校の校門に「幾何学を知らぬ者、くぐるべからず」と掲げたそうです。)

 だからこそ、ヨーロッパでは、古代ギリシャの数学者ユークリッドが書いた「原論」を20世紀初頭まで、2000年間も現役の数学の教科書として使われていたといいます。(ユークリッド幾何学は、2次元平面を前提とした幾何学なので、平行線公準は成立しますが、球面上の幾何学では平行線が交わることがあります。こうして、平行線公準を否定することによって、非ユークリッド幾何学が生まれました。)

 とにかく、数学的思考は奥が深いのです。人間としてこの世に生まれてきたからには、数学は、役に立つとか立たないとかいった打算に左右されることなく、論理的思考力を涵養するために学ぶべきだということをこの本で教えられました。いつか、もし、続編の「教養としての『数Ⅱ・B』」が出版されれば、絶対に買います。

🎬「ナポレオン」は★★★

 最近、どうも映画づいてしまい、毎週のように観に行っておりますが、今週は、今、派手に宣伝しているリドリー・スコット監督作品「ナポレオン」(ソニー・コロムビア)を観て来ました。

 私は、自称「フランス語屋」ですので、大いに期待したのですが、仏皇帝ナポレオンなのに「英語」でガッカリです。これは、ユダヤ資本の米ハリウッド映画なので最初から分かっている話ですけど、世界的に一番「売れる」作品としてのマーケット戦略が見え隠れします。それに、一大戦争スペクタクル映画なので、巨額の製作費が掛かっているはずです。今、調べたところ、2億ドルらしいので、約300億円です。これでは、恐らく、今のフランス映画界では製作できないことでしょう。仏語での興行収入を回収できるかどうか見込めないという意味でも。

 「ブレードランナー」「グラディエーター」で知られる名のある巨匠リドリー・スコット(86)だからこそ、投資できる映画だと言えます。ですから、フランス人から見たナポレオンではなく、英国人リドリー・スコットから見たナポレオンが描かれています。そして、監督は、肝心要のナポレオン役に、「ジョーカー」で米アカデミー主演男優賞を受賞したホアキン・フェニックスを起用しましたが、どう見てもナポレオンに見えない!今、旬のフランス人の世界的映画俳優が見当たらないせいかもしれませんけど、もし、アラン・ドロン(88)がもう少し若くてナポレオンを演じたら、ギトギトした野心家の面を彼なら自然に出せたんじゃないかと思いました。

 映画の宣伝コピーにあるように、「英雄と呼ばれる一方で、悪魔と恐れられた男」の話にはなっておりますが、実に人間臭く描かれています。英雄ナポレオンは、天下国家を論じたり、領土拡大の野心を語るのでもなく、不逞を働く妻ジョゼフィーヌとの関係に悩む「弱い男」丸出しです。

 勿論、史実に基づいて描かれていますが、映画ですから脚色されています。ナポレオンの弱さを強調する辺りは、歴史上の人物というより、「リドリー・スコットのナポレオン」と言っても間違いないでしょう。

 ナポレオン・ボナパルト(1769~1821年、51歳没)の時代は、日本で言えば十代将軍徳川家斉(1773~1841年)の時代に当たります。日本は一応安定した江戸時代ですが、フランスは、仏革命後の粛清の嵐と戦争に明け暮れた時代でした。残酷なギロチンの場面も出て来ます。

 映画のエンドロールで、ナポレオン戦争での戦死者が450万人にも上ったことを数字で明らかにしていました。これだけの犠牲者を出したわけですから、ナポレオンは英雄視される一方、今でも、「コルシカ人」の彼のことを憎悪する欧州人がいるのは納得せざるを得ません。映画では、有名なアウステルリッツの戦いや最後のワーテルローの戦いなど数々の戦争シーンが出て来ますが、恐らくCGも使ったことでしょうが、実に圧巻で、観客も、まるで戦場に立たされているような感じでした。

 この映画では、モスクワの「冬将軍」に遭遇する場面や「百日天下」などが再現されますから、世界史を齧った人なら、「うまく描いているなあ」と納得しますが、ハイライトは、ダヴィッドが描いた有名な「ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」(パリ・ルーヴル美術館)を再現した場面かもしれません。まさに、あの絵画を参照して映像化したことが読み取れます。まるで、歴史ドキュメンタリーのような感じですが、やはり、ドラマは、まるでその場を見てきたような「リドリー・スコットのナポレオン」になっています。

身も蓋もない議論なのか? 究極の理論なのか?=橘玲、安藤寿康著「運は遺伝する 行動遺伝学が教える『成功法則』」

昨日は、橘玲、安藤寿康著「運は遺伝する 行動遺伝学が教える『成功法則』」(NHK出版新書)を読了しましたが、あまりにも面白かったことと、専門用語が沢山出来てきたこともあり、もう一度、軽く再読しました。勿論、再読する価値はありました。専門用語とは、GWAS(ゲノムワイド関連解析)とか、MAO(モノアミン酸化酵素)-A遺伝子とか、SES(社会経済的地位)等々です。

  この本については、11月27日にも触れましたので、それと重ならないことを書かなければいけませんけど、ダブったらすみません(苦笑)。行動遺伝学とは、前回ご説明しましたが、行動遺伝学者のエリック・タークハイマーが「行動遺伝学の3原則」の第1番に「ヒトの行動特性はすべて遺伝的である」としていることに象徴されます。つまり、人との出会いや本や趣味などとの出合い、そして事故や病気までもが、全くの偶然ではなく、何らかしら、遺伝的要素によるものだ、ということを治験や双生児らの成長記録などからエビデンスを探索して証明するという学問が行動遺伝学だと大ざっぱに言って良いと思います。

 行動遺伝学の日本の第一人者が、慶応大学の安藤寿康名誉教授で、「言ってはいけない」などのベストセラーになった著作で世間に行動遺伝学なる学問を認知させたのが作家の橘玲氏ということで、この2人による対談をまとめたものが本書ですから、面白くないわけがありません。

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 私が他人に共感したりすることが出来るのは、その人が、他人に見せたがらない、知られたくない自分の「弱さ」を正直に披瀝した時があります。特に安藤名誉教授は、長年、行動遺伝学に関する書籍を出版しても世間から注目されず、50歳を過ぎるまで、自分の学問は何の役に立たないといった劣等感でいっぱいだったことを告白しています。50歳を超えて色んな経験を積んだことでようやく自分の居場所に気づけたといいます。安藤氏は大変、正直な人で、「あとがき」で「実は『橘玲』の名前はよく目にしていたものの、私が苦手で無関心とするお金儲けの話や、人の心を逆なでするようなタイトルの本ばかり出すという先入観で、申し訳ないが手に取って読んだことがなかった」とまで書いちゃっています。勿論、この後には、行動遺伝学を世間に知らしめた橘玲氏の「言ってはいけない」を読まざるを得なくなり、読んでみたら、教え子の学生や研究仲間以上に実に正確に深く理解して持論を展開していたので、感服したこともちゃんと書いています。

 安藤氏は、橘氏の著作について、「偽悪的芸風の行間に垣間見られる愛」と喝破し、自分の芸風については「偽善的とも受け取られるような姿勢」と自認していますから、本書は、「偽悪」対「偽善」の対談ということになりますか?(笑)。というのも、行動遺伝学そのものが、もともと悪の学問である優生学を同根としているからだと安藤氏は言います。誰だって、「年収や学歴や健康は遺伝によるもので、環境(子育て)の影響はさほど大きくない」などと言われれば、身も蓋もないと感じることでしょう。その半面、両親に収入も学歴がなくても、「鳶が鷹を産むことがある」とか、「作曲家・指揮者レナード・バーンスタインの両親は全く音楽の才能がなかったのに…」といった例が挙げられたりしています。

 勿論、安藤氏は学者としての誠実さで科学的知見を披露しているだけなのですが、ネットの書評では「言いたいことがあるならはっきり言え」「期待外れだった、橘さんの本で十分」とまで書き込まれる始末です(苦笑)。

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 一方の橘氏は、確かに作家的自由奔放さで、大胆な仮説をボンボン提案しています。例えば「ADHD(注意欠如・多動性)が発達障害とされるのは、…現代の知識社会が、机に座って教師の話をじっと聞いたり、会社で長時間のデスクワークをする能力が重視されているからです。環境が目まぐるしく変わる旧石器時代にはADHDの方が適応的だったはずだし、だからこそ遺伝子が現代でも残っているのでしょう」と発言したり、「攻撃性を抑制して高い知能を持つようになった東アジア系は、全体的に幼時化していったと私は考えています。社会的・文化的な圧力で協調的で従順な性質に進化していくことを『自己家畜化』といいますが、…『日本人は世界で最も自己家畜化した民族』だということを誰か証明してくれることを期待しています」などと、持論を展開したりしています。同感ですね。このような発言を読んだだけでも、頭脳明晰な橘氏が相当、行動遺伝学の関連書を何十冊も読み込んで、持論にしていることが分かります。確かに、「橘さんの本で十分」かもしれません(失敬!)。

 安藤氏には失礼なことを書いてしまったので、安藤氏の近著「能力はどのように遺伝するのか」(ブルーバックス、2023年6月22日初版)を購入して読んでみようかと思っております。大いに期待しています。