神社の正体に迫る=祇園祭ができないとは…

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 コロナ禍でも、真面目な私は読書に勤しみ、普段と変わらない生活を続けていますが、映画館や美術館に行けなかったり、好きな城巡りや寺社仏閣巡りができなかったりしたことは、さすがに堪えましたね。

 「足腰がしっかりしている時に」色々と巡りたいと思ったら、ちょうど、緊急事態宣言が発令された4月に「ぎっくり腰」ならぬ「ぎっくり脚」をやって、しばらく歩行困難になってしまったことから、「足腰がしっかりした時期」を通り過ぎてしまいました。

 今はほぼ治りましたが、嗚呼、情けない。

 仕方ないので、本の中で仮想巡りをすることにしました。先日読了した新谷尚紀監修・古川順弘著「神社に秘められた日本史の謎」(宝島新書、2020年5月23日初版)は非常に勉強になりました。

 自分ではある程度の知識はあるつもりでしたが、この本を読むと、今まで、ほとんど何も知らずに神社をお参りをしていたことが分かりました。

 本書は「神社のルーツはどこにあるのか?」に始まり、「戦後の神社はどう変わったか?」まで全部の52の設問に対して、最新の資料や学説で答えてくれる形式になってます。

 少なくとも大抵の神社というものは、皇祖神である天照大神をお祀りしているものだと思いましたら、「実際にアマテアラスを天皇家で祀ったことは、奈良時代になるまでなかったと考えられる」(神話学者・松前健氏)というので驚きました。

 でも、「古事記」(712年)も「日本書紀」(720年)も奈良時代に成立したものであり、「天皇」という名称は天武天皇(?~686年)からと言われていますから(それまでは「大王」と言われた)、出雲大社をはじめ、色々な豪族(恐らく「王」のような存在)の始祖が祀られた多くの神社が創建されています。

 実は、これら豪族の氏神を祀った神社にはどういうものがあるか知りたくて、この本を購入したようなものでした。ありました、ありました。

 藤原氏の春日大社(奈良市)は誰でも知っていることでしょうが、蘇我氏は奈良県橿原市にある宗我都比古(そがつひこ)神社でした。物部氏は、石上(いそのかみ)神宮(奈良県天理市)、大伴氏は、住吉大伴神社(京都市)、息長(おきなが)氏は、山津照(やまつてる)神社(滋賀県米原市)でした。一度、お参りしてみたいですね。

 渡来人の秦氏は松尾大社(京都市)、東漢(やまとのあや)氏は於美阿志(おみあし)神社(奈良県明日香村)でした。

 有名な宗像神社(福岡県宗像市)は宗像氏、私も行ったことがある赤城神社(前橋市)は毛野(けの)氏のそれぞれ地元の豪族の神社だったんですね。キリがないのでこの辺にしておきますが。

  古代、朝廷は神祇官が奉幣する伊勢神宮を頂点にして、その下に官幣社(神祇官から班弊に与る573社)と国弊社(地方の国司から幣帛=へいはく=を受ける2288社)=以上が式内社2861=とその他の神社に分ける社格制度を設けます。それが、現在も神社の「社格」につながっています。

高野山の根本大塔

 巻末には「主な神社の種類と信仰」が掲載されていますが、意外に多かったのが八幡信仰(八幡神社、八幡宮)でした。応神天皇、神功皇后らを祭神とした大分県の宇佐八幡宮が発祥で、平安時代に京都に勧請された石清水八幡宮が創建され、鎌倉時代には源頼朝により鶴岡八幡宮が創建され武神と崇められたことが大きいでしょう。神社本庁に登録されている全国の神社数は7817。知らなかったことは、鎌倉の鶴岡八幡宮には、真言宗高野山の根本大塔によく似た大塔があったことでした。明治の廃仏毀釈で、ぶっ壊されてしまったということですから、本当に残念です。

 全国に約3万あるという稲荷神社は、奈良時代創建と伝わる京都の伏見稲荷大社の神霊を勧請した形をとっています。私も2年ほど前に京洛先生のお導きで伏見稲荷をお参りしましたが、あの鳥居の長い長い行列(?)がインスタ映えするとかで、中国人の観光客だらけでした。コロナ禍となり、今は昔ですね。

 でも、この伏見稲荷大社を創建したのが、渡来人の秦氏だったと聞くと、なるほど、と思ってしまいます。秦氏は、朝鮮半島の百済系とも新羅系とも言われ、秦の始皇帝の末裔とも言われたりしていますから、中国、韓国人観光客らも惹かれるものがあるのかもしれません。また、伏見稲荷を奉斎した氏族として、ほかに荷田氏がいて、代々、伏見稲荷の社家(しゃけ)を務めているといいます。荷田氏といえば、江戸時代の国学者・荷田春満(かだのあずまろ)がすぐ思い浮かびますが、やはり伏見稲荷の神官だったんですね。彼は賀茂真淵のお師匠さんです。

 比叡山延暦寺に日吉大社があるように、かつては神仏習合が当たり前だったこと。そして、菅原道真の天満宮や徳川家康の日光東照宮など他にも書きたいことがいっぱいあるのですが、最後に京都の八坂神社のことだけ書きます。八坂神社は、明治の廃仏毀釈の前は、祇園社感神院と呼ばれ、疫病除けの神である牛頭天王(ごずてんのう)を祀っていました。牛頭天王は、仏教と陰陽道、神道などが複雑に習合した神で、怨霊の慰撫と防疫を願う祇園御霊会は、祇園祭のルーツだと言われています。それが、新型コロナの影響で、今年の祇園祭の開催の中止が早々と決まってしまいました。こんなこと、牛頭天王様も想像できなかったことでしょうね。

廣済堂の筆頭株主に麻生グループ=そして「一般社団法人サービスデザイン推進協議会」訪問記

築地本願寺

 「古典に学べ」「日本のルーツを求めて」…だなんて、相変わらず、随分暢気な寝言や、極楽ばかり言っておられる方がいらはりますなあー。

 昨晩、久しぶりに京都にお住まいの京洛先生から電話がありましたが、御歳を召されたのか、随分、皮肉っぽくなりました。「それ、ワイのことやないけ!」と思わず、突っ込みたくなりました(笑)。しかも、「人伝てに聞いた話ですが、渓流斎とやら、昔は、文藝評論、美術評論、音楽評論、歌舞伎評論等々で、ブイブイいわせていたらしいですが、今や、すっかり任侠評論家ですね」と断言される始末。

 確かに、その筋関係をネット検索すると、「アサヒ芸能」「週刊実話」に続き、《渓流斎日乗》なるものが上位にヒットし、「こんなこと書いた渓流斎って、一体何者なんだ!」と私自身も叫びたくなりました。

  それはさておき、京洛先生が電話で御教授してくださった「本題」は、麻生太郎副総理兼財務・金融相の一族企業である「株式会社麻生」が廣済堂の株式を買い占めて、20%の筆頭株主に躍り出たという話でした。

 廣済堂はかつては銀座にビルがありましたが、今の本社は芝浦にあるようです。グループ関連企業として、出版社や印刷会社、不動産会社などがあります。そして、意外と知られていないことは、葬祭・火葬事業を手掛ける「東京博善」を子会社に持っているため超優良企業だということです。東京博善は、東京人なら必ずお世話になる落合斎場、桐ヶ谷斎場、代々幡斎場など都内の主要斎場をほぼ寡占状態で直営しています。廣済堂は、政財界のフィクサーと言われた創業者の櫻井文雄氏が2004年に死去してからは、バブル期の清算で、ゴルフ場などを売却するなど経営縮小を余儀なくされましたが、麻生グループは資産価値として東京博善に目を付けたと言われています。

 知りませんでしたね。かつて、廣済堂は、芸能事務所も運営しており、その筋との関係が取り沙汰されたこともありましたが、今は、時代は変わって麻生グループですか…。そんな話をしたところ、京洛先生は「駄目ですね。本当に。今ごろ何を言ってるんですか。任侠評論家も情報不足ですね。だから、杉野さんから何も分かっていない、と言われるんですよ」と駄目押しをするのです。(杉野さんって誰?)

 悔しいので調べてみたら、この件に関しては、5月に文春や日刊ゲンダイで既に大きく報じられておりました。

 なあんだ、最近の話ではありませんか。

 さて、昨日は、よく実体が分からない持続化給付金の請負人「一般社団法人サービスデザイン推進協議会」のことを書きました。乗りかかった船なので、この法人の東京・築地の事務所を見てきました。東京の銀座を中心に、日比谷、新橋、築地辺りは私の「シマ」というか、縄張りですからね(笑)。

 それは、築地本願寺にほど近い晴海通り沿いの雑居ビルにありました。1階にはペルシャ絨毯の店が入っていました。

「一般社団法人サービスデザイン推進協議会」が入居しているビル

 何と言いますか、郵便受けにしても、とても何百万人もの人の事務を処理できる事務所とはとても見えず、人影もほとんどありませんでした。

 郵便受けに貼られた名称もおざなりで、貼られたテープもいい加減。こんな法人に政府は第2次補正予算から再度850億円も追加委託するらしいんですからね。

 監視カメラに追跡監視されながら、写真を撮ったので、もう私はブラックリストに掲載されたことでしょう。写真、勝手に使ったら駄目ですよ(笑)。

豊田真由子さんと竹中平蔵さん

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 2017年、衆院議員時代に、自分の秘書に対して「このハゲ~!」「違うだろ~っ!」などと暴言を吐いたり暴行をしたりしたことが週刊誌やテレビで報じられ、同年の衆院選で落選した豊田真由子さんが、いつの間にか笑顔でテレビのコメンテーターとして復活していました。髪型も化粧も変えて、物腰も口調も柔らかく丁寧になり、すっかり別人。吃驚しましたね。女性誌もスポーツ紙(サンスポ)も復活を大歓迎しています。日本人ですから3年間で禊が済んだということなんでしょうかねえ?

 でも、心に傷を負った年配の元男性秘書の方のトラウマは、いまだに消えていないことでしょう。彼女は、もう公人ではないので、とやかく言われる筋合いはないかもしれません。でも、起用するテレビ局(民放各社)やラジオ局(ニッポン放送)のディレクター、プロデューサーは節操がない、というか、視聴率が取れれば、何をしても許されると思っているのか、日本の視聴者は何でもすぐ忘れるから大丈夫だと馬鹿にしているのか、それとも裏があるのか、バックに大手事務所が付いているのか…。そのいずれも当てはまると考えざるを得ません。

 このままでは、今の「時の人」黒川弘務・高検前検事長も、3年も経てば、コメンテーターとしてテレビに出てくるかもしれません。

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 以上は些細なことでしたが、今盛んに報じられている「持続化給付金」の業務委託問題は、やっぱりおかしいですね。こっちの方が深刻です。何か、権力者たちが「臭い物には蓋」をしたいといった感じで隠してきたことが、急に、真相が浮上してきたようにみえます。国会でも野党が追及しています。

 この問題解明に熱心な今日付の東京新聞などによると、まず主管の経済産業省が「一般社団法人サービスデザイン推進協議会」というよく分からない法人に769億円で業務委託。これを協議会が広告代理店電通に749億円で再委託したといいます。差し引きの約20億円は、みずほ銀行(振込手数料約17億1000万円)と電通ワークス(振込の人材確保)と日本生産本部(企業へのヒアリング)に割り当てられたとのこと。

 いずれにせよ、協議会から電通に「再委託」というのは何か不可解ですね。電通は、給付金支給業務は、自社のグループ会社のほか、人材派遣会社のパソナとITアウトソーシング会社トランス・コスモスなどに再々委託する格好となっています。

 そもそも、「一般社団法人サービスデザイン推進協議会」は2016年5月に、これら電通とパソナとトランス・コスモスによって設立されたというんですから、受注側と委託側がまるっきり同じじゃありませんか。自作自演? しかも、法人の東京・築地の住所に人がおらず、電話番号も明記されていないとか。幽霊会社?

 特に、パソナの会長は、あの経済財政担当相時代に派遣労働者や非正規雇用者を増大させ、「政商」と言われた竹中平蔵氏ではありませんか。ここにもいらっしゃったんですか。さぞかし、金の匂いがしたんでしょうね。これでは、「臭い物には蓋」どころか、蓋をしても、政治の臭いがプンプン漂ってきます。

 

数字の魔力に幻惑されないようにしたい

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 世の中、「数字のマジック」というのか、数字とか統計に関して、素人から見るとさっぱり理解できないことがあります。

 例えば、日経平均は、昨日の1日に約3カ月ぶりに2万2000円台を回復しました。我が国でも、これだけ、コロナ禍の影響で、失業者が増大し、倒産する会社も増えているというのに何でなんでしょうか? 専門家は「国家安全法をめぐり、香港に地政学リスクができて、国際金融都市として役割が香港より東京に注目度が増したから」と、したり顔で説明してくれますが、それでもよく分かりませんね。

 今はコロナ一色で、世界各国の感染者・死者数が発表され、WHOよりジョンズ・ホプキンス大学の集計の方が信頼されているようですが、それでも、これらの数字の発表元をどこまで信用したらいいのか分かりません。

 例えば、6月2日午前10時現在、世界の感染者数が620万人、死者数が37万人を超える中、ブラジルの感染者が52万人を超え(死者は約3万人)、米国に次ぐ第2位になったと注目されています。「ブラジルでは毎日2万5000人の感染者が増えている」といった報道もありましたが、となると、ブラジルでは、毎日、少なくとも10万人以上の人がPCR検査を受けているのでしょうか? 日本でさえ、PCR検査は数千人程度、1万2000人が目標なんて言ってるぐらいですから、ブラジル政府は、日本政府以上の検査能力があるということなのでしょうか。

 感染者数が41万人超と世界第3位のロシアですが、死者数が約4800人とは他の欧州諸国と比べてもあまりにも少ない気がします。英国は感染者約28万人で、死者約2万9000人、スペインは約24万人で約2万7000人、イタリアは約23万人で約3万3000人ですからね。ロシアだけ、統計のやり方が違うのでしょうか。

 日本は、1日午前0時、厚労省発表によると、感染者数1万6884人で、死者892人。欧米と比べて少ないのは何故なのか、まだ分からないようです。世界最大の米国の感染者約179万人(死者約10万5000人)の多くが黒人やヒスパニック系の貧困層だと言われていますから、白人が新型コロナに罹りやすいということにはならないようです。そして、アジア人だからといって罹りにくいという結論は導かれないようです。

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 ここ数日、北九州市での感染数が増加して「2次感染か」と注目されていますが、北九州市でのPCR検査が拡大したから、といった報道を耳にしました。新型コロナは症状が軽い人も多いと言われているので、検査したら陽性だったという人がゴロゴロ出てくるかもしれません。今後、唾液だけで簡単に分かる検査も普及するようですから、尚更です。

 100年前のスペイン風邪でも、死者数が2500万人とする報告があったり、いやいや1億人以上だったという報告もあり、恐らく、結論は出ないでしょう。ロシアの場合、死者数が少ないのは、合併症で亡くなった場合、死因をコロナに入れなかったせいかもしれません。あくまでも推測ですが…。

 新型コロナは、全世界に感染拡大しているというのに、北朝鮮とトルクメニスタンだけは、感染者がゼロだといいます。「国際世論」は「本当かなあ…」と疑っていますが、統計上は、ゼロとして歴史に残るかもしれません。

 ともかく、数字には自分の都合の良いように引用したり、解釈できる「魔力」を持っています。数字だけを見て盲信することは避けたいと思っています。

 緊急事態宣言が全国で解除され、今週に入り、通勤電車もバスも随分、混むようになりました。私自身、メディアが盛んに喧伝している「新しい生活様式」なるものは、信じていません。また、同じ轍を踏むことでしょう。

「古典に学べ」「移動の自由を尊重せよ」

 正直、このコロナ禍の御時世、テレビは見るに堪えられない下らない番組ばかりやっていますが、たまたま見たNHK-BS「コロナ新時代への提言」には引き込まれてしまいました。私が見たのは30日(土)の再放送なので、既に御覧になった方も多いかもしれません。

 人類学者の山極寿一・京都大学総長、歴史学者の飯島渉・青山学院大学教授、哲学者の國分功一郎・東京大学准教授の3人が別々にリモートでインタビュー出演し、それぞれの専門の立場から発言していました。個別に撮影されたのは、4月下旬から5月初めにかけてなのですが、全く古びておらず、「これからアフリカや南米に感染が拡大することでしょう」といった「予言」もズバリ当たったりして、久しぶりに知的興奮を味わいました。

 しっかり、メモでも取っておけば、正確に番組内容を再現できたかもしれませんが、そのまま見てしまったので、覚えている印象的なことをー。

フィンランドの「カルフ」靴、また買っちゃいました。宣伝ではありません!

 まず、ヒトとウイルスとの関わりについて、歴史学者の飯島教授は、1万年前に遡ることができる、と言います。この時、農業が開始され、地球自然の生態系が破壊され、ウイルスが地表に出て、人間に感染する。同時に野生動物を飼いならし家畜化したため、動物から人間にウイルスが感染するようになったといいます。分かりやすいですね。

 となると、今後も人間が、地球の自然破壊をし続け、温暖化になれば、例えば、北極や南極の氷が解け、深海から今まで見たこと聞いたこともなかった微生物やウイルスが出てくるに違いない、と人類学者の山際教授も指摘していました。

哲学者アガンベンの主張「死者の権利」と「移動の自由」

 私がこの番組で一番感銘を受けたのは、哲学者の國分准教授の話でした。國分氏は、イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンの発言を引用します。アガンベンは、政府が感染拡大防止策として都市封鎖をしましたが、感染で亡くなった人の家族の葬儀もできず、死に目にも会えない状況を批判し、ネット上の炎上のような物議を醸したといいます。それでも、アガンベンはひるまず、「死者の権利」と「移動の自由」を主張します。

 國分氏の解説によると、「死者の権利」とは、彼らの生前の言動を尊重し、亡くなった人の尊厳を取り戻すべきだということです。つまり、過去に学ぶということで、書物等を通して歴史を学び直すということです。そうでなければ、現代という表面的な薄っぺらな現象だけで、皮相的思想になってしまう、と危ぶむのです。そうですね。これは、ストンと腑に落ち納得しました。自戒を込めて言いますが、我々は、くだらないテレビばかり見ないで、古典から学ぶべきです。

 もう一つの「移動の自由」というのは、最初に聞いてピンと来なかったのですが、自由の中で最も重要視されなければならないのが移動の自由だというのです。國分氏は、ベルリンの壁崩壊などの東欧革命は、移動の自由を制限された若者たちの異議申し立てが大きかったといいます。犯罪を犯した人に対する刑の最高は死刑で、最も軽いのは罰金ですが、あとは、懲役刑で牢屋に拘束されます。つまり、移動の自由を禁じられるということです。となると、一般の人でも、移動の自由が禁じられることは、刑罰に近いというわけです。

 東独出身のメルケル首相は、自分の体験として、その苦痛が分かりきっているからこそ、ドイツ国民に対して、「人間に対する移動の自由を制限することはやってはいけないことだが、生命に関わることで、この事態では致し方ないので、国民の理解を得たい」と正直に演説したため、共感され、結果的に欧州の中でも、ドイツは被害を最低限に抑え込むことにつながったといいます。

 哲学者アガンベンが主張する「古典に学べ」と「移動の自由を尊重しろ」というこの二つを聞いて、私もこのブログを書かずにはいられませんでした。

日本人のルーツを求めて考えたら頭が混乱してしまいました

 退職金約6000万円が貰える東京高検・前検事長の黒川弘務氏は、週1~2回、多い時は週3回、遅い時は夜中の2時まで賭けマージャンに興じていたということです(「週刊文春」6月4日号)。そんなことをしていたら、本を読んだり、勉強したりする暇があるのかしら?-なんて、浅はかな私なんかは思ってしまいました。黒川氏は、超エリートのインテリですから、法律の知識は豊富でしょうが、社会常識や教養には欠けているのかもしれません。

 他人様のことですから、どうでもいいのですが、国民の税金が彼に使われているので、一言諫言を述べたかっただけです。私自身は専門知識もない、インテリでもない、ただの凡夫ですから、他人様から後ろ指を指されないように、麻雀もパチンコも競輪競馬も競艇も、博打はせずに只管、寸暇を惜しんで勉強するしかないのです。自粛生活でここ何カ月も友人たちにも会っていないし、飲みにも行かず、遊んでいないなあ~。

◇澤田洋太郎著「ヤマト国家は渡来王朝」

 さて、古代史は面白いが、むつかしい。-というのが、澤田洋太郎著「ヤマト国家は渡来王朝」(新泉社、2004年6月20日新装版第2刷)を読んだ感想です。古代大和朝廷は、朝鮮半島からの「渡来王朝」だったという大胆な結論を導きだしています。

 この1週間以上、この本に掛かりっきりでしたが、どこまで信用したら良いのか、頭が混乱してなかなか読み進むことができませんでした。そりゃそうでしょう。「文武天皇は新羅の文武王のことだった」「天武天皇は新羅の王族金多遂(キムタジュク)だった」(佐々木克明「騎馬民族の落日」)「壬申の乱は、百済・新羅の代理戦争だった」などと言われれば、「えっ?どういうこと?」になりますよ。

 1927年生まれの著者は、第一高等学校から東大法学部卒業後、都立高校の社会科教師を長年勤め、教頭を最後に定年退職し、その後、在野の古代史研究家になった人です(政治、経済関連の書籍も多く出版。2014年死去)。この本は、通説、俗説、異論、独自解釈…を集めたような感じで、学会で認められている「正史」ではなく、いわば「稗史」となるのかもしれませんが、無暗に読み捨てておけないところがありました。正直、途中で読むのが嫌になることもありましたが…(笑)。(秦の始皇帝はユダヤ人だった、という説には引っ繰り返り、源義経はジンギスカンだったという説を思い出しました)

 何しろ、日本の古代史の最も重要な文献である「古事記」や「日本書紀」(以下記紀)には、歴史的事実をそのまま叙したとは言えない創作的な神話があることはよく知られていますが、日本の歴史だというのに、やたらと朝鮮半島の百済や新羅や高句麗の情勢が登場することはあまり知られていません。(記紀を原書で通読した現代人は果たして何人いるのかしら? 私も記紀は、現代語訳でしか読んだことがありません)

 例えば、「日本書紀」では舒明天皇について、「十三年冬十月己丑朔丁酉、天皇崩于百濟宮。丙午、殯於宮北、是謂百濟大殯。」(即位13年冬10月9日。舒明天皇は百済宮で崩御された。18日、宮の北で殯(もがり=葬送儀礼)が行われた。これを百済の大殯と言う。)といったことが書かれています。何故、日本の天皇(この時代は大王と呼ばれていましたが)なのに、百済式の殯が執り行われたのでしょうか?…。

 記紀がこういう書き方だと、古代史学会による正統な歴史解釈のほかに、在野の研究者や好事家らによる独自解釈も数多あります。特に、「万世一系の天皇制」を論議することがタブーとされていたことが、敗戦後に一転して自由な研究が解放されましたからね。

 もう少し例を出すと、本書では、645年の乙巳の変(大化の改新)は、「百済系」の蘇我蝦夷・入鹿「政権」に対する「新羅系」の中大兄皇子と中臣鎌足によるクーデターだったというのです。中大兄皇子と鎌足の背後には、革命の正当化を訴えた南淵請安(みなぶちのしょうあん)らがいたといいます。彼らは、遣隋使で新羅経由で帰国して親・新羅派になったといいます。(南淵請安は、昭和初期の血盟団と五・一五事件の海軍青年将校らの精神的支柱だった農本主義者・権藤成卿が最も影響を受けた人物の一人。権藤は、大化の改新の理論的指導者だった請安に倣い、昭和維新を唱えたといいます。南淵請安は、渡来人である東漢氏=やまとのあやうじ、後漢の霊帝の末裔が帯方郡から3世紀頃に渡来=出身だといわれています)

 (新羅派のはずだった中大兄皇子は、天智天皇として即位すると、百済系渡来人を重用し、壬申の乱後に即位した天武天皇は、新羅系で二人は兄弟ではなかったと書かれていましたが、何か、よく分からなくなってしまいました)

赤は百済と平氏、白は新羅と源氏

 この本では、新羅系は白旗がシンボルで、清和源氏に受け継がれ、百済系は赤旗で、桓武平氏に受け継がれ(桓武天皇の生母高野新笠は、百済系渡来人の末裔だった=「続日本紀」)、平安以降、鎌倉幕府の源氏の源頼朝から平氏の北条氏に変わり、それが室町時代になると源氏の足利尊氏、その後、平氏の織田信長~豊臣秀吉となり、江戸幕府を開いた徳川家康は源氏と交互に政権が交代したという説を展開しています。

 肝心のタイトルにもなっている「ヤマト国家は渡来王朝」というのは、天皇族は朝鮮半島の南端に古代にあった伽耶辺りから渡来してきたという説です。ただし、彼らは、現代の北朝鮮人や韓国人の祖先ではなく、北方からスキタイ系の騎馬民族が朝鮮半島南部に住み着き倭人と呼ばれた人たちで、そこから北九州などを経由して畿内に到達したというものです。となると騎馬民族説ですね。(スキタイ人は鉄器を匈奴や漢に伝え、鉄器は、朝鮮半島南部から日本に伝えられたので、そのような倭人がいたかもしれません)また、ヤマトに国譲りをした出雲も鉄器製作が盛んでしたが、出雲族は、もともと朝鮮南部の安羅からの渡来人の子孫だとする学者もいます(朴炳植氏の説)。

 古代は、現代人が想像する以上に遥かに多くの人が、大陸から、そして半島から、日本列島へ行き来していたようですから、古代人の間では、それほど国家や民族を意識することなく、混血が進んでいたことでしょう。(神話のスサノオノミコトも、出雲と朝鮮半島の新羅を行き来していました)

 そして、ヤマトが百済の王族を人質として預かったり、百済の要請でわざわざ朝鮮半島の白村江まで遠征して唐や新羅と何故戦ったのか、などについては、朝鮮半島南部に拠点を築いて住み着いた倭人がいなければ、理由が説明がつかないことでしょう。

 私自身は、「日本人はどこからやって来たのか?」という深い疑問の原点があって、古代史に興味を持ちましたが、「日本人とは何か」となると、この本を読むと、多少、混乱してしまいました。

◇日本全国に残る新羅、百済、高句麗

 とにかく、記紀には新羅、百済、高句麗が頻繁に登場します。同書によると、まず「新羅」については、新羅神社という名の社が、青森県八戸市、静岡県浜松市、岐阜県多治見市など全国に9社あり、全国に2760社ある白山神社も新羅に起源を有する神社で、その他、白木、白子、白石、白髭などの地名は日本に移住してきた新羅人が付けた名前だといいます。

 「百済」は、大阪府枚方市に百済寺跡があり、そこの隣接地に百済王神社がある。その他、各地に多くの百済神社があり、大阪市旧鶴橋町一帯は、もともと百済郷と呼ばれていたといいます。

 「高句麗」は、「続日本紀」の霊亀2年(716年)の記事に「駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野の高麗人1799人を以て武蔵国に遷し、初めて高麗郡を置く」とあり、現在も埼玉県日高市に高麗若光を祀る高麗神社・聖天院がある。この高麗氏から駒井、井上、神田、武藤、金子、和田など多くの氏族が派生し、東京には狛江市や駒場、駒場、駒込、駒沢など駒(高麗)が付く地名が多い。関東地方には高句麗系の渡来者がかなり多かったといいます。今は日本人として同化したということでしょう。

 これらは「説」ですから、歴史的事実かどうか分かりませんが、日本人のルーツは、朝鮮半島や中国大陸、そしてユーラシア、東南アジア、南太平洋等から渡来した人たちということになるのでしょう。

 もっと勉強しなければいけませんね。賭けマージャンをやってる暇はありません(笑)。

日本人の味覚が劣化していく恐怖

 渓流斎ブログは、「世界最小の双方向性メディア」を自称していますが、昨日書いた「コロナ禍どさくさ紛れの種苗法案は今国会断念だけでなく廃案にするべき」には結構反応がありました。

 例えば、学生時代からの畏友T君は、かつて住んでいた中部地方で週末に農業をやり、販売できるほど収穫があったといいます。しかし、それは化学肥料や農薬を使う「慣行農業」だからできたことで、色々と学んでいくうちに、「有機農業」や「自然農法」へと移っていきます。すると、みるみると収穫量が減っていくので、これはどうしたことか、と種子への関心が真剣に高まっていったそうです。そんな中で、サカタやタキイなどの企業が売っている所謂「F1種」に対する疑問が湧き、日本語講師として中国の大学に渡った時、そこで見た「もう後戻りできない」モンサントやシンジェンタなどによる種子の寡占販売を目の当たりにします。帰国後、「遺伝子組み換え」やら「ゲノム編集」やら「種苗法」の問題に遭遇すると、「もう、グルメランキングだの、どこそこのレストランが美味しいなどと言ってる場合じゃない。米国やスイスなどの巨大多国籍企業に、日本人の『食』が乗っ取られようとしている」という心情に達したといいます。

 横浜にお住まいの調理師のM氏は、さすがに、普段から色んな食材と関わってきているので、この問題には敏感です。

 「F1作物と種子戦争、遺伝子組み換え、Oー157、 モンサント、穀物メジャーなど20年以上前の亡霊がまたぞろ現れたかのようです。気付かなければ、国の農業が崩壊させられてしまう。大国の意のままにされ、阿ることしか出来ないのではないかという印象です。今更ですが、単なる属国でしか無く、今度は余った人工呼吸器を買わされるようです。只々残念です」とのメールを頂きました。

 そして、私自身の見解は、日本人の味覚がどんどん劣っているという恐怖です。もう半世紀以上も昔ですが、私が子どもの頃食べた野菜は、トマトもニンジンもジャガイモもキュウリも、もっとどぎつくて、土の味がしました。今のような水っぽい、スカスカの味ではありません。匂いも強烈だったし、エグイ味でした。

 先日、テレビを見ていたら、コンビニで売っているレトルト食品のランキングをやっていました。料理研究家と称する女性が出てきて、ファミマの〇〇が美味しいだの、セブンイレブンの〇〇は手軽にできて、子どもたちも大喜び、だのと言って、実際、子どもたちに食べせて、子どもに「おいちい」とか何とか台詞を言わせているのです。…何か、涙が出てきました。何時間も下拵えして、手間暇かけて作った料理の味とは比べものにならないはずです。

 私もたまに、レトルト食品(英語でTV dinner ということを最近知りました)を食べることがありますが、合成保存料か人工着色料か何か知りませんが、どうしても薬品の味がします。最初からこのような冷凍食品で育った子どもたちは「違い」が分からないのかもしれません。

 もしかして、その番組は、大手コンビニエンスストアと冷凍食品企業がスポンサーで、単なる商業資本主義の権化のような宣撫番組だったのかもしれません。でも、これを見た多くの人は全く気付かず、「まあ、手軽ねえ。ウチも買おうかしら」「チンしたら、レトルトといっても手料理と変わらないらしい。旦那に出そう」という話になるはずです。

 新自由経済主義、グローバリズム、効率主義、料理をする時間があったら外で働いて金儲けをした方が家族のためになるという金融資本主義の幻想が極まった感じです。

 遺伝子操作食品というのは、種子の遺伝子操作だけでなく、人間自体を洗脳して味覚遺伝子までも変える意味も含まれているかもしれませんぜよ。

コロナ禍どさくさ紛れの種苗法案は今国会断念だけでなく廃案にするべき

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  新型コロナのおかげで、重要なニュースが報道されなかったり、隠されてしまっていることが危惧されます。何と言っても、ジャーナリズムの基本は、「何が報道されたか」というより、「何が報道されなかったのか」の方が需要だからです。

 そんな目立たない記事の中で、ほとんどの日本人が気付かなかった記事があります。今月5月19日に今国会での成立が見送られることになった「種苗法改正案」です。この法案廃止の急先鋒の一人と言われている元農林水産相で弁護士の山田正彦氏によると、もしこの法案が成立すると、農家は、登録品種の自家増殖(採種)が一律禁止となり、違反すると10年以下の懲役1000万円以下の罰金が科せられ、農家は毎年、高いお金を出して、モンサント(現バイエル)など外資のグローバル種子企業から種を買わざるを得なくなるというのです。しかも、それらの種子だと遺伝子組み換えやゲノム改良品種に頼らざるを得なくなる恐れがあるというのです。

 「これから大変なことが今の国会で決められようとしています。」(山田正彦オフィシャルブログ・2020年2月14日)

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 これについて、京都大学大学院教授の藤井聡氏や、どういうわけか女優の柴咲コウさんまでが賛同といいますか、論争に加わっていました。特に、柴咲さんは「新型コロナの水面下で、『種苗法』改正が行われようとしています。自家採取禁止。このままでは日本の農家さんが窮地に立たされてしまいます。これは他人事ではありません。自分たちの食卓に直結することです」(4月30日)などとSNSで積極的に発言されていましたが、どうやら今では削除されているようです。

 どうも芸能人が政治的発言をすると、日本では多くの人が匿名を使って叩く傾向があります。

 種苗法が改正されると、モンサント(現バイエル)など外資の多国籍種子企業が儲かるということに対して、「グローバル種子会社はモンサントだけでなく、日本のサカタのタネなどもあるので、山田氏の主張にはその視点に欠けている」といった批判もあります。

 それでも、私自身は、山口県の地方紙、長周新聞がコロナ禍のさなかに種苗法改定案が国会審議入りへ 農家の自家採種禁止で揺らぐ食料安保」(5月14日付)で指摘したように、食料自給率がわずか37%という日本の食料事情を鑑みても、問題がある法案であり、廃案にしなければならないと思っています。

 なお、種苗法改正法案については、農林水産省のホームページに掲載されています。

確かな情報を見極める感性を多くの人と協調していきたい=新型コロナ禍で

 緊急事態宣言が25日にも全国で解除されようとしているのに、私の自宅には、いまだに一律給付金10万円もアベノマスクも届きません。安倍内閣の支持率が急降下するはずです。23日の毎日新聞の世論調査では、安倍内閣の支持率が27%と「危険水域」の30%を切りました。末期的です。

 今回の新型コロナウイルス禍は、全世界で、大量の失業者を生み、貧富の格差拡大にさらに拍車をかけることになりました。

 私は現在、かろうじて会社使用人という給与生活者を選択したお蔭で、今回ギリギリ路頭を彷徨うことなく生きていけています。会社を辞めたいと思ったことは100回ぐらいありますが(笑)、もしあの時、フリーランスの道を選んでいたら今ごろ大変だったろうなあ、と実感しています。例えば、15年ぐらい昔に通訳案内士の試験に合格し、フリーでやって行こうかと思ったら、幸か不幸か、はとバスなど既成の職場は既に古株様に独占され、潜り込む隙間もなく、15年前はそれほど外国人観光客も押し寄せることがなく需要も少なかったので、アルバイトならともかく、「職業」にできなかったので諦めたのでした。

 今でも、ある通訳団体に会費だけ払って参加していますが、会員メールでは、「持続化給付金」の話ばかりです。来日外国人が4月は昨年同月比99%以上減少したぐらいですから、通訳ガイドの仕事なんかあるわけありません。はっきり言って失業です。そこで、ある会員さんが、個人事業主として、持続化給付金を申請したら、給付まで最低2週間は覚悟していたのに、わずか10日で100万円振り込まれていた、というのです。大喜びです。

 一般市民への給付金10万円はまだなのに、へーと思いましたけんどね。

  今回のコロナ禍について、世界の識者の所見を知りたいと思い、色々と当たっています。3月末に日経に掲載された「サピエンス全史」で知られる歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏の「コロナ後の世界に警告 全体主義的監視か 市民の権利か」や4月に読売新聞に掲載された人類生態学者のジャレド・ダイアモンド氏の「危機を認める誠実さ必要」などもよかったですが、23日付朝日新聞に出ていた歴史家・人口学者のエマニュエル・トッド氏のインタビュー「『戦争』でなく『失敗』」もかなり含蓄があるものでした。

 トッド氏は「ソ連邦崩壊」を予言した学者として一躍有名になりましたが、哲学者サルトルの大親友ポール・ニザンの孫ですから、哲学的知性を受け継いでいます。(私も好きなニザンの「アデン アラビア」の冒頭「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい」=師・篠田浩一郎先生訳=を学生時代に読んだ時、かなりショックを受けたことを今でも鮮明に覚えています)

 トッド氏のインタビューのお応えは、哲学者のようなかなり抽象的な言辞も出てくるので、私自身の誤読か、勝手な思い込みの解釈に過ぎないかもしれませんが、トッド氏は、過去に起きたペストやスペイン風邪などの疫病の流行と今回のコロナと比較するのはナンセンスだとまで言ってます。

 14世紀のペストの大流行では農奴が急減し、教会の権威が失墜し、中世から近代国家の礎ができるきっかけになりました。あのルネサンスも「ペスト後」の時代です。ペストは、歴史的大変革をもたらしたわけです。

 しかし、今回の新型コロナでは、新自由主義経済や金融グローバリズムでは人間の生命を守らないことを改めて認識できただけで、それは既に新型コロナが蔓延する前から分かったことで、大変革がもたらされたわけではない。しかも、コロナによる死者は高齢者に集中し、若者は比較的軽症だったため、社会構造を決定付ける人口動態に新しい変化をもたらすことはない(つまり、若者が大量に戦死する戦争とは比較にならない。だから第1次世界大戦は今でも語られるが、同時期のスペイン風邪は忘れ去られてしまった。スペイン風邪では全世界で数千万~1億人が亡くなり、戦死者より遥かに多かったにも関わらず…)。

 そして、犠牲者は医療に恵まれない貧困層が多く、富裕層は人口の少ない田舎の別荘に避難して感染から免れることができる(トッド氏もベストセラー作家ですから、パリを離れ、ブルターニュの別宅に避難しているとか)。医療システムをはじめ、社会保障や公衆衛生を脆弱にする政府の横暴を市民らが見て見ぬふりをしてきたツケが回ってきた。だから、新型コロナは、マクロン仏大統領が言うような「戦争」ではなく、「失敗」だ。それに、コロナ対策ではEUの存在感はなく、国ごとに事情が違うわけだから、ドイツ・メルケル首相が強烈なリーダーシップを執ったように国家単位で、国際協調をすれば良いだけだ。

 まあ、以上は私自身がトッド氏の話から了解したか、誤読したかの事項ですが、トッド氏が、今回の新型コロナと過去のペストやスペイン風邪と比較するのはナンセンスで、人口動態的にも一種の自然淘汰が激化されただけだという捉え方には新鮮な驚きがありました。私なんか、特に100年前のスペイン風邪の教訓から学ばなければならないと思っていましたからね。

 それでは、これから我々はどうしたらいいのか?

 まあ、私のような貧者は感染したら一発で終わりですから、罹らないように細心の注意を払うしかありませんね。お上に「気を緩めるな」と言われる前に、自分の身は自分で守るしかありません。マスク、うがい、手洗い、三密忌避しか、方法はありませんけど。

 緊急事態宣言が解除されても、恐らく、「第2波」「第3波」はやってくるでしょうから、覚悟しなければなりません。

 情報収集のアンテナは伸ばしますが、デマやガセネタや詐欺情報だけには気を付けたいと思っています。渓流斎ブログも、皆さまに何らかのお役に立てればと思っています。コメント大歓迎です。大いに間違いを指摘してもらい、多くの人と協調していきたいと思っています。(古い記事に関しては、その当時の時点の情報に基づいて書いただけで、後世から最新情報による御指摘は、心もとないですが…)

国家間の協調とは、個人のレベルで言えば、自律した人と人同士が助け合う、ということだと思います。

青年よ、検察庁を目指せ!

 青雲の志を抱く若者よ、検察庁を目指さないか?

 何しろ、賭博罪に当たる賭けマージャンをやっても、違法駐輪をやっても、高等検察庁の検事長になれば、逮捕されることなく、懲戒免職されることなく退職金も満額の7000万円、ばっちり貰えますからね。口入(くにゅう)と言っても分からないか、差配師、手配師、これも駄目?では、人材派遣会社なら分かる?まあ、要するに人買い人足回しあがりの政治屋と昵懇になって政界に顔を利かせれば、政府が保障してくれます。

 そりゃあ、検察庁に入るのは少し大変かもしれない。でも、東大法学部に入って、国家公務員総合職の試験に合格さえすれば何とかなります。1日16時間、いや、君だったら8時間も勉強すれば必ず合格できますよ。

 実は、勉強って、とっても楽しいものなんだよ。「実録 日本汚職史」(ちくま文庫)を書いた室伏哲郎先生もこう教えてくれます。

 三面記事を派手に賑わせる強盗、殺人、かっぱらい、あるいはつまみ食いなどという下層階級の犯罪は厳しく取り締まりを受けるが、中高所得層のホワイトカラー犯罪は厳格な摘発訴追を免れている ーいわゆる資本主義社会における階級司法の弊害である。

 でしょ?弊害じゃないんです。検察官になれば、やりたい放題なんです。賭けマージャンをしようが、違法駐輪しようが、起訴するのは貴方ですからね。どんどん、下層階級のチンピラやコソ泥は捕まえて点数を稼ぎましょう。勿論、エスタブリッシュメントの貴方は、貴方自身で不起訴にできます。

 もう一つ、楽しいお勉強。「東京地検特捜部」(角川文庫)を書いた山本祐司先生も、検察と政界の癒着を見事に暴いてくれてるではありませんか。君たちの曾祖父の世代かもしれませんが、1968年に発覚した汚職の「日通事件」のことです。

新橋の高級料亭「花蝶」

 この一連の事件の中で、「花蝶事件」というのがありました。これは、日通事件の渦中の1968年4月19日に、新橋の高級料亭「花蝶」で井本台吉・最高検検事総長と自民党の福田赳夫幹事長(後の首相)と、300万円の収賄容疑の自民党・池田正之輔衆院議員の3人が会食していた事件です。同年9月になって「赤旗」と「財界展望」が、料亭「花蝶」の領収書のコピーを添えてスクープしました。井本台吉検事総長は、池田代議士の逮捕には強硬に反対した人物でした。何か裏がありそうですが、後に「この会食は日通事件とは関係がない。検事総長に就任したときに池田氏が祝いの宴を開いてくれたので、そのお返しとして一席設けただけだ」と弁明しています。 「思想検事」だった井本検事総長と大蔵省出身の福田幹事長は、ともに群馬県出身で第一高等学校~東京帝国大学法学部の同級生という間柄でした。

 ね?こういう繋がりを歴史的事実として知ると、勉強ほど楽しいものはないでしょ?

 黒川検事長の賭けマージャンが発覚しなければ、黒川氏は7月にもトップの検事総長に上り詰め、そのお祝いに公職選挙法違反の疑いで今にも起訴されそうな自民党の河井克行・案里夫妻議員が、料亭「花蝶」で検事総長就任の祝宴を開いたら、さぞかし面白いことでしょうね。「桜」前夜祭での公職選挙法違反の疑いがある安倍晋三首相も参加するかもしれません。検事総長になった黒川氏は、もちろん、井本検事総長の顰みに倣って政治家の逮捕は強硬に反対していたことでしょう(接続法過去未来推量形)。

 あ、そうそう、退職金7000万円の話ですが、君たちが、高検検事長や検事総長になっているであろう40年後、50年後は3億円ぐらいになっているはずです。どうせ、庶民どもが汗水たらして働いて貢いだ税金ですからね。それに、退職しても、その後、天下りで引く手あまたです。ヤメ検弁護士になれば厖大なコンサルタント料金で、まだまだ荒稼ぎできます。ね?楽しく勉強しさえすればいいだけなんだもん。賭博をしたり、宝くじを当てようとしたりするより手堅いじゃない?

 青年よ、検察庁を目指せ!

【追記】

 過去に書いた記事と一部重複しています。それだけ、世の中は変わっていないし、頑なに変わらないということです。