コロナ禍でも繁盛している店があるとは驚き

 緊急事態宣言下の東京・銀座のアップルショップ

 今月、後期高齢者となった京都方面にお住まいの仙人先生から昨晩、電話がありました。

 「『週刊文春』買われたようですね。巻末のグラビアにラーメン店が載っていたでしょう。銀座のHという店も載ってます。貴方の会社からも近いので、覗いてみたら如何ですか。いつも本ばかり読んでいては身体に毒ですよ。世間の人はそんなに勉強していません。ブログを読んでる人もつまらないでしょう。たまには、グルメの話題をお書きになってはどうですか」と仰るのです。

 確かに、その週刊誌には、黒川・高検検事長の賭け麻雀のスクープ記事が載っていたので、昨日買いました。巻末のグラビアを見てみたら、「味玉中華そば」なるものが950円と載っていました。ラ、ラーメンで950円もするんですか?…。まあ、出版不況にも強い天下の文芸春秋(社は付かないんですよ)といえば、結構グルメ情報誌や単行本を出していて、重宝していました。今でも忘れられないのは、北千住の立ち呑み居酒屋「X」。立ち呑みながら、安価な値段で「料亭の懐石料理並みの味が楽しめる」というので、仙人先生と一緒に行ってみたら、結構並んでいて、やっとありつけたら、本当に旨かった。コスパもバッチリでした。

この写真を撮った30分後、整理券を求めて(?)結構人が並んでいました

 ラーメン950円は、正直、あんまし、気乗りしなかったのですが、今日の昼休み、早速行ってみましたよ。

 その前に、ネットで場所を確かめたら、「超人気店」とかで、いつもは長蛇の列でかなりの時間待たされる。でも、新型コロナの影響で、今は、整理券を配っている、とか何とかコメントが載っていました。

 嫌な予感がしました。昼の12時半過ぎに店先に到着したのですが、上の写真の通り、「お昼のスープが終了致しました」とかで、売り切れでした。実は、こういう並ぶような人気店は好きじゃないんですよね(笑)。しかも、この店の若い衆が、時折、外に出てきて、周囲を睥睨して、変なおじさんが写真を撮っていないかどうか監視していました。感じ悪い。仙人先生には申し訳ないんですが、多分、もう行かないと思います。

 でも、新型コロナ禍で、99%と言っていいくらいの飲食店が、閉店したり、自粛したり、中には倒産したりしているのに、この店に限って、そんな災禍は、ものかは!すぐ売り切れてしまうほど満員御礼です。恐らく、休業手当なんぞ必要ないことでしょう。

 こんな店もあるもんなんですね。私はアンチ人間なので、客が来なくて困っている馴染みのイタリア料理店に行きましたよ。

東京高検の黒川弘務検事長の賭け麻雀事件には唖然としました

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 まさに、どんでん返しの「おそ松くん」でしたね。緊急事態宣言下、「3密」状態での賭け麻雀疑惑を報じられた東京高検の黒川弘務検事長(63)事件。

 昨日、文春オンラインが報じて、大騒ぎになり、私も昨日、ネットで読みましたが、黒川検事長を東京都中央区の高級マンション前で6時間半も張って取材した記者とカメラマンの労をねぎらって、今朝、わざわざ週刊文春を買い、出勤電車の中で読んできました。やはり、ブンヤの取材と警察・公安の捜査の原点は「張り込み」ですよ。

 登場人物を、赤塚不二夫の六つ子の「おそ松くん」になぞらえば、「おそ松」は間違いなく、検事総長心待ちだった黒川高検検事長。「チョロ松」は、麻雀のショバを提供した産経新聞A記者。「一松」は、産経新聞A記者の先輩で司法クラブキャップのB記者。「カラ松」は、産経の牙城に乗り込んで諜報活動に勤しむために卓を囲んだ朝日新聞のC元記者。「十四松」は、自分の身の潔白のお墨付きを得るために黒川さんをどうしても検事総長にしたかった安倍首相。そして、「トド松」は、黒川検事長が賭け麻雀をしていることを週刊文春に密告した産経新聞関係者X-てなところでしょうか。

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 週刊文春によれば、ですが、おそ松・黒川検事長は、賭け麻雀の賭博罪のほか、産経新聞が呼んだハイヤーで深夜帰宅するなど便宜供与を受けた国家公務員倫理規程違反、そして、違法駐輪(写真付き!)の疑いがあるそうで、もうこれだけで、検察庁ナンバー2としての自覚もなく、アウトですね。本人は昨晩、官邸に辞意を申し出たそうですが、辞任じゃ済まされないでしょう。退職金を大幅に減額した懲戒解雇にすべきです。どうせ、本人は「ヤメ検」でお金には困らないでしょうから。

 あくまでも文春砲が書いていることですが、どうも黒川検事長は、かなりの賭博好きで、海外出張すれば「視察」と称してカジノに入り浸り、韓国で女を買った自慢話をしていたということですから、これでは、清廉潔白(であるべき)検察の世界ではなく、任侠の世界ですよ。それとも、両者は紙一重の世界なんでしょうか。あ、今、M氏からLINEがあり、「東京高検検事長にしてこの脇の甘さと人の良さは国民栄誉賞もの」だとか。キツー。特別諜報員M氏は、何と産経と朝日の記者の実名まで知っていましたが、私は同じ業界人としての仁義があるので、このブログには書きません(笑)。だって、文春に密告したトド松こと産経新聞関係者Xと同じになっちゃうでしょ?

  この事件は不可解なことが多いです。事件関係者を輩出した朝日新聞は、あっさり「お詫び」して謝っちゃいましたが、産経新聞は「取材に関することはお答えしない」という態度。賭博罪に当たる賭け麻雀が取材だとは凄い会社です。ただ、一番不思議なことは、麻雀のショバ提供者と同じ産経新聞のトド松Xが密告した理由です。でも、案外単純で、個人的な恨みかもしれません。それとも正義感なの? 世間では朝日と産経が天敵の関係だと思われていますが、現場の記者同士は仲が良いものです。イデオロギーも社論も全く関係ないし、同じ会社の人間より、記者クラブ等でつながった他社の記者との交流の方がはるかに濃厚になるものです。敵は本能寺にあり。天敵より身内の方が危険なのです。経験者が語ります(笑)。

 それより、「余人をもって代えがたい」と、黒川氏の定年延長を閣議決定までした十四松こと安倍首相の責任問題はどうなるんでしょうか。桜を見る会の前夜祭での政治資金規正法違反疑惑など検察庁マターを多く抱えている安倍首相のことですから、最後の防波堤が決壊してしまっては真っ青でしょう。また「僕ちゃん、もう辞める」と言い出しかねません。

【追記】

 日本の超エリートやエスタブリッシュメント(支配階級)というのは、庶民が想像もつかないとんでもないことを仕出かすことがあります。それは、世間知らずのお坊ちゃんだからでしょう。象牙の塔、霞が関の塔、永田町の塔に閉じこもって、雑巾がけなどしたことなく、若い頃からチヤホヤされ、苦労知らずなのです。貧困に喘ぐ庶民の心が分からないのです。

 戦前の軍部エリートもそうでした。純粋培養の超エリート教育で育てられ、大本営の中にいると、外の世界を知らずに、世間交渉もせずに過ごしてしまいます。仕方がない話です。

 最近では、自殺者が出たというのに、国会で忖度答弁を重ねて、財務省理財局長から国税庁長官に大出世した佐川宣寿さん(1957年生まれ、2018年辞職)、テレビ局の女性記者にセクハラ行為をしたとして辞任に追い込まれた日本の官僚のトップである財務省事務次官だった福田淳一さん(1959年生まれ)らの例があります。

 こういう超エリートが、今の国を動かしているのかと思うと、暗澹たる思いに駆られます。

新型コロナのおかげで「情報貧困社会」に

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昨日の昼休み(ということはしっかり都心に命懸けで出勤しておりまする)、ある店舗に入る際に制止させられ、まずアルコール液で消毒するよう言われ、続いて、額にレーザー光線のようなものを当てられました。

 「ハハハア、よくテレビで見る例の体温計かな」と、初体験だったので、ワクワクしてしまいました(笑)。それで、何か言ってくれるのかと思ったら、何も言ってくれないので、お姐さんに「何度でしたか?」と確かめると、「35.7でした」との答え。今の人は「35度7分」と言えんかいなあ、と思いつつ、「えっ!?35度?」と我ながら吃驚してしまいました。自分の平温は36度5分ぐらいだと思っていたからです。ま、機械もいい加減かもしれませんが、いずれにせよ、熱がなくてよかった、と一安心。この御時勢ですからね。

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 ということで、昨日は、目下、世界で最も注目されているサイト、ジョンズ・ホプキンス大学の「世界の新型コロナウイルス感染マップ」を久しぶりに眺めていたら、刻一刻と感染者が増加しているので、怖くなりました。怖いもの見たさで、見続けていたら、一昨日まで感染者が140万人台だった米国の感染者が目の前で、あっという間に、150万人台の大台を突破。ちなみに、今日20日午前(日本時間)の時点で、米国の感染者は153万人になろうとしてます。このままでは、米国の死者も10万人を超えることでしょう。

 ニュースでは、ブラジルのボルソナロ大統領による強権的な経済優先の放任主義で、感染が急拡大して世界第3位(27万人以上)になったとか、フランスでの新型コロナによる死者が最も多いのは、貧困層が特に多いパリ北部近郊のセーヌ・サン・ドニ県だとか暗い話ばかりです。

 メディアも大衆も暗いネガティブ情報ばかり目を向けがちです。もっと明るい話はないもんですかね?

 例えば、先ほどのジョンズ・ホプキンス大学のマップによると、本日の時点で、ベトナムとカンボジアとラオスでは、新型コロナウイルスによる死者はゼロなのです。感染者は、それぞれ、324人、122人、19人といるものの、一人の死者も出していないのです。何が原因なのでしょうか? 一党独裁政権による強権的な封鎖が奏功したのではないか、という識者の意見もありますが、それだけじゃなさそうです。何しろ、同じ東南アジア諸国(ASEAN)では、インドネシア1221人、フィリピン837人、マレーシア114人、タイ56人、そしてシンガポールは22人の死者を出しています。ASEANの中では開発国と言われているCLV(カンボジア、ラオス、ベトナム)の「成功事例」を知りたいものです。

 そう言えば、北朝鮮は、死者どころか、感染者さえいないことになっていますが、世界中の人が信じていないのが可哀そうです。北朝鮮の成功例も知りたいものです。

 まあ、この御時勢では、記者や特派員が街に出て、「生の声」を拾うのも難しいでしょう。日本のテレビでは、コメンテーターと称する人たちが、現場を全く知らないのに、家に閉じこもって、したり顔で自分の意見を主張してばかり。これじゃあ、井戸端会議か居酒屋談義と何ら変わりやせん!(だから見ません)

 新型コロナのおかげで、「情報貧困社会」になったということでしょう。

責任回避は日本の伝統芸能なのか?

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 新型コロナウイルスの感染対策を医学的見地から政府に助言する「専門家会議」の議事録が作られていない、そして、今後も作る予定はない、という話を先日、ラジオで聴いて吃驚しました。また、官僚による安倍首相に対する忖度なんですかねえ?

 首都圏では東京新聞が5月14日付の朝刊で報道していましたが、他の大手御用新聞は沈黙状態です。私のように、お金がないので普段は御用新聞1紙しか読んでいない輩は、ラジオを聴かなければ、この不都合な真実を知らずに終わっていたところでした。

 専門家会議運営の庶務を担当しているのは内閣官房の職員らしいのですが、まあ、大した官僚さまだこと。とはいえ、安倍政権はモリカケ問題に象徴されるように、公文書を改ざんしたり、偽造したり、破棄したり、あるものをなかったことにしたりして、17世紀の政治思想家ジョン・ロックが吃驚するほど「暴政」をやってくれてますね。

 議事録を作成しない理由として、内閣官房は「自由闊達な議論をしてもらうため」と苦しい弁解をしていますが、これで納得する国民がいるとでも思っているのでしょうかねえ。それとも、霞が関の偉い官僚の皆様も為政者たちも、国民なんぞ、「生かさぬように死なさぬように」しておけばいいだけで、あとは知ったこたあない。文句言うのは1000年早い、とでも思っているのかしら。

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 それにしても、日本人は、どうも「専門家」となると、襟と姿勢を正して、仰ぎ見るように御託宣を拝聴するという傾向があります。でも、ひねくれ者の私なんか、専門家の発言でも少しは疑ったりします(特に新型コロナウイルスは未知の世界ですから、対処法にしても、これが絶対に正しいといったことはありえないのです)。それに、何かあれば、テレビでは専門家会議を代表して副座長である尾身茂・地域医療機能推進機構理事長ばかり出てきて、座長である脇田隆字・国立感染症研究所長が何で出て来ないのか不思議でした。やはり「自由闊達な発言」公開に差し障りでもあるんでしょうか。

 公文書をつくらない、ということは歴史をつくらない、ということであり、当事者たちは責任は取りたくないという、ことになります。あまりにも日本的な態度です。

 昨晩、感染者がいまだに出ていない岩手県にお住まいの宮澤先生から電話があり、そんなことを話していたら、宮澤先生は「所詮、庶民は騙されるのが大好きなんですよ。国際機関と聞いただけで、誰もがひれ伏して、有難がっていますが、あんな胡散臭いものはないんですよ。庶民の目の玉が飛び出るほどの高給取りです。WHOの事務局長だって、『中国寄り』と批判されてますが、やり方が露骨だからです。世界でも稀に見る手法で感染者を抑えることに成功した台湾を総会から排除したのも、あからさまな中国への御機嫌伺いです。人相悪いでしょ?あの人。もらった顔してますよ」と、とても私なんかブログでは書けないことをズバズバ言うのです。

 あっ!この責任回避の仕方は、我ながら、見事な日本の伝統芸でした!

検察庁法改正で「暴政」を見てみたい

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フランス語で「自爆テロ」のことを Attentat-kamikaze と言うんだそうです。kamikazeとは勿論、「神風」のこと、特攻隊のことです。欧米人は日本語を取り入れる際、karoshi(過労死)だとかhentaiだとか、あまりいい言葉を採用したがりませんね。嫌な性格だなあ…(苦笑)。

 付け焼き刃の知識で言えば、神風特攻隊は、大西瀧治郎少将(終戦時自決)らの発案によるものですが、東京帝大の平泉澄教授の「皇国史観」と筧克彦教授の「神ながらの道」思想により、天皇は現人神であり、御国のために散華することは臣民の務めであるということを尋常小学校の時から教育させられ、それがニッポン男子の誉れだと賛美されました。私自身、歴史を勉強する際、いつも、自分がその時代に生まれていたらどんな行動をするのか想像しますが、もし、戦時下の若者だったら特攻隊に志願していたんじゃないかなと思っています。

 聞いた話ですが、私の父親は大学受験に失敗して、18歳で陸軍に志願して一兵卒となりました。所沢の航空少年隊に配属されましたが、幸か不幸か、先天的色覚障害だったため、パイロットになれず、整備兵に回され、戦地に向かう航空機を見送っていたそうです。もし、父親がパイロットになっていたら、当然ながら、自分はこの世に存在していなかったろうなあ、と機会あるごとに考えたりしています。

さて、今、検察庁法改正案を安倍政権が今国会で強行採決しようとして、国民的関心を呼んでいます。野党は「このコロナ禍の最中、まるで火事場泥棒だ」と猛反発し、芸能人の皆様までツイッターで「#検察庁法改正案に抗議します」と投稿し、470万件以上のツイートに発展しました。

 中でも「身内」の元検事総長松尾邦弘氏までもが15日に記者会見して定年延長を目論む検察庁法改正案に検事OB連名で反対を表明し、17世紀の政治思想家ジョン・ロックまで持ち出して、「ロックは、その著書『政治二論』(岩波文庫)の中で『法が終わるところ、暴政が始まる』と警告している。心すべき言葉である」と主張していました。流石ですね。箴言です。

 私自身は、今年1月31日の閣議で、東京高検の黒川弘務検事長の定年を8月7日まで半年間延長する決定をした翌日からこのブログで反対表明をしてきましたが、少し気持ちが変わってきました。どうせ「多勢に無勢」ですから、民主主義の原理で自民党と公明党による強行採決で法案は通ってしまうことでしょう。これで、安倍政権に近いと言われる黒川氏が検察庁トップの検事総長になるわけですから、ジョン・ロックの言うところの「暴政」なるものが見られるわけです。

 安倍首相のからむ森友・加計学園問題や、「桜を見る会」の前夜の後援会員優遇パーティーが公職選挙法と政治資金規正法の違反容疑ではないかという弁護士有志による刑事告発も、そして今、公選法違反に問われている河井克行・前法相と妻の案里参院議員の件も、63歳の黒川氏が検事総長になれば、本当に鶴の一声で、捜査が中止されたり、不起訴になったりして、有耶無耶になたりするのか、「暴政」を見届けたくなりました。

 とはいえ、安倍一強独裁政権になってから、特定秘密保護法、共謀罪法、カジノ法などを成立させるなど既に暴政は始まっているというのに、どこのメディアも政治評論家も誰もそんなこと指摘しません。御用記者、御雇評論家ばかりです。

 いえいえ、安倍首相は、我々が選挙で選んだ合法、合憲の誇るべき首相です。-確かにそうかもしれません。ただし、小選挙区制度のお蔭で、候補者は40%の票を獲得すれば、60%は死票になってくれて当選しますからね。つまり、国民の半分以下の支持でも十分、国家の最高権力者に登り詰めることができるのです。

 18日付読売新聞1面トップは、「検察庁法案 見送り検討 今国会 世論反発に配慮」です。読売は機関紙と言われるほど安倍首相ご愛読の新聞ですから、情報は確かなんでしょう。なあんだ、「暴政」が見られないのか、と思いきや、ほとぼりが醒めた秋の臨時国会で採決するようです。

 やれやれ。

庶民の歴史は「歴史」にならない

昭和30年代、あるメーカーの「コロナ」という名前の車が人気で、街中でよく見かけました。今の御時世、この名前での販売はとても難しいでしょうが、当時はコロナにネガティブな意味は全くありませんでした。むしろ、高度経済成長の象徴的な良い響きがあり、「サニー」や「カローラ」といった大衆車よりちょっと上のレベルといった感じでした。

 それが、昭和40年代になると、「コロナ マークⅡ」という名称になりバージョンアップされて、スポーティーな中級車になりました。今では知っている人は少ないでしょうが、スマイリー小原という踊りながら楽団を指揮するタレントさんがCMに出ていたことを思い出します。平成近くになると、コロナの名前が取れて、単に「マークⅡ」だけとなり、グレードアップした高級車になり、今でも続いていると思います。

 私は、何か不思議な符丁の一致を感じました。今世界中を災禍に陥れている新型コロナは、夏場に一旦、収束すると言われますが、また今秋から冬にかけて「第2波」がやって来ると言われています。初期の「武漢ウイルス」から突然ではなく、当然変異して、より強力になって、殺傷力の強いウイルスに変身すると言う専門家もいます。疫病と自動車の話とは全く関係ないのですが、何で、コロナがマークⅡに変身したのか、まるで未来を予言したかのような奇妙な符牒の適合を、私自身、無理やり感じてしまったわけです(笑)。恐らくそんなことを発見した人は私一人だけだと思いますが(爆笑)。

 さて、ここ1カ月間は、立花隆著「天皇と東大」(文春文庫・全4巻)のことばかり書いて来ました。このブログを愛読して頂いている横浜にお住まいのMさんから「圧倒的分量で流石でした。私も読んでみるつもりです」との感想をメールで頂きました。私自身は、このブログを暗中模索で書いていますから、このような反応があると本当に嬉しく感じます。

 あまりよく知らなかったのですが、Mさんの御尊父の父親(つまり彼にとっての祖父)は、終戦近くに予備役ながら召集され、小笠原の母島で戦死されたといいます。そのため、御尊父は母子家庭となり、大変な貧困の中で育つことになりますが、その母親も17歳の時に亡くし、本人は自殺すら考えましたが、周囲に助けられ、借金をしてようやく高校を卒業したといいます。当時は同じような境遇の家庭が多かったことでしょう。私の両親の父親、つまり私にとっての祖父は、2人とも戦死ではなく40歳そこそこで病死したため、両親2人とも10代で母子家庭になり、相当苦労して戦後の混乱期を切り抜けて、貧しいながら家庭をつくり我々子どもたちを大学に行かせるなど一生懸命に育ててくれました。

 「天皇と東大」は、エスタブリッシュメント階級の歴史が書かれ、読み応えがありましたが、我々のような庶民はいくら苦労しても「歴史」にもなりません。学校で教える歴史は、いつも特権階級や勝者から見た歴史だからです。

 話は変わって、先日から山岸良二監修「戦況図鑑 古代争乱」(サンエイ新書)を読んでいますが、古代は、本当に驚くほど多くの争乱があったことが分かります。その争乱の大半は「皇位継承」にからむクーデタ(未遂も)と内乱です。九州筑紫の豪族が新羅と結託して大和朝廷転覆を図った古代史最大の反乱である527年の「磐井の乱」、蘇我氏が物部氏を排斥して政権を掌握した587年の「丁未の変」(物部氏は、娘を大王に嫁がせて外戚を誇った例は見られないそうで意外でした)、中大兄皇子と中臣鎌足らによる蘇我氏を打倒したクーデタ、645年の「乙巳の変」(1970年代までに学校教育を受けた世代は、「大化の改新」としか習わず、私自身はこの名称は10年ぐらい前に初めて知りました!)、天智天皇の後継を巡る叔父と甥による骨肉争いである「壬申の乱」、奈良時代になると「長屋王の変」「藤原広嗣の乱」「橘奈良麻呂の変」「藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱」、平安時代になると「伊予親王謀反事件」「平城太上天皇の変」(従来は「薬子の変」と習いましたが、最近は名称が変わったそうです。歴史は刷新して学んでいかないと駄目ですね)「承和の変」「応天門の変」(応天門とは平安京の朝堂院に入る門だったんですね。図解で初めて確認しました=笑)…と本当にキリがないのでこの辺でやめておきます。

 古代史関係の本を読んでいて、心地良いというか、面白いというか、興味深いのは、古代人の名前です。現代人のキラキラ・ネームも吃驚です。有名な蘇我馬子とか入鹿なども随分変わった珍しい名前ですが、人口に膾炙し過ぎています。663年の有名な「白村江の戦い」(中国や韓国の史料では「白村江」ではなく「白江」なので、そのうち「白江の戦い」に変更されるかもしれません。何で日本で白村江と言い続けてきたのか理由があるのでしょうから、不思議)に出陣した将軍の名前が残っています。

 第1陣の前将軍大花下(だいけげ)・阿曇比羅夫(あずみのひらふ)、小花下・河辺百枝(かわべのももえ)、大山下(だいさんげ)・狭井檳榔(さいのあじまさ)。第2陣の前将軍・上毛野稚子(かみつけののわかこ)、間人大蓋(はしひとのおおふた)、中将軍・巨勢神前訳語(こせのかむさきのおさ)、三輪根麻呂(みわのねまろ)、後将軍・阿倍比羅夫、大宅鎌柄(おおやけのかまつら)…。「あじまさ」とか「かまつら」とか、戦国武将にも劣らない強そうな名前じゃありませんか(笑)。

 この本を読むと、丁未の変(587年)で物部氏が没落し、乙巳の変(645年)で蘇我氏が没落し、伊予親王謀反事件(807年)で藤原南家が没落し、承和の変(842年)で藤原北家(良房)の政権が台頭し、応天門の変(866年)で大伴氏と紀氏といった古代豪族が没落して、藤原北家が独占状態となり、阿衡の紛議(887~8年)で橘氏、昌泰の変(901年)菅原氏が排斥される、といった具合で、なるほど、「権力闘争」というものは、こういう流れがあったのかということが整理されていて分かりました。

支配階級にとって好都合な庶民大衆の皆様

 近現代史の深層を解剖した大作「天皇と東大」(立花隆著・文春文庫全4巻)を読了したので、再び、古代史関係の本に戻って渉猟しています。

 今読んでいるのは、山岸良二監修「戦況図解 古代争乱」(サンエイ新書)という本ですが、紀元前4世紀頃の弥生時代の戦い(狩猟・採取生活が中心の縄文時代の遺跡からは、何と、戦争の痕跡は見つかっていないとか!)から磐井の乱、乙巳の変、白村江の戦、壬申の乱など図解と系譜入りで説明してくれるので分かりやすい。たまたま本屋さんで見つけて重宝しています。

 で、今日はその話ではなく、近現代史と古代史を中心に勉強していると共通点といいますか、古代と近代とほとんど変わっていないことに気が付きます。ズバリ言って、天皇制とそれに付随する政治、経済、社会、教育制度です。何しろ、明治維新そのものが、古代の王政復古でしたから、当たり前と言えば当たり前の話なのです。(明治政府は太政官や神祁官などを復活させたりして、中世、近世の武家社会を否定してすっ飛ばしてしまいました)

 そして、今日一番強調したいことは、日本という国家は、古代から現代に至るまで、1500年間とも2000年間とも2600年間とでも言っていいのですが、エスタブリッシュメント(支配階級)は少しも変わっていないということでした。

 例えば、「天皇と東大」で多くの紙数が費やされている天皇機関説の美濃部達吉は、蓑田胸喜ら右翼国家主義者たちから反国体主義者として糾弾され、書籍も発禁処分されたりしましたが、本人は決して反体制派、つまり反天皇制主義者ではなく、立憲天皇制主義者だったことがあの本にも書かれていました。それどころか、東京帝大教授という超エリート階級で、鳩山一郎(首相など歴任)とは縁戚関係(美濃部の妻多美と鳩山の弟秀夫の妻千代子が姉妹)で、息子の美濃部亮吉(元都知事)を、信州の小坂財閥である小坂善太郎(外相など歴任)、徳三郎(運輸相、信越化学・信濃毎日新聞社長など)の妹の百合子に嫁がせて、華麗なる閨閥づくりに勤しんでいました。美濃部達吉はエスタブリッシュメントに他ならないでしょう。

 また、「天皇と東大」の2巻には、東大新人会の初期リーダーだった宮崎龍介が出てきます。この人は、孫文の友人で中国革命の支援者として有名な宮崎滔天の息子です。新人会は東京・目白にあった13室もある大邸宅を拠点に活動していましたが、それは中国人革命家の黄興という人が所有していたものでした。この邸宅を宮崎滔天が預かり、息子の龍介に活動の場として提供していたのでした。そこに柳原白蓮事件(大正10年)が起こります。若い帝大生の宮崎龍介と炭鉱王の妻との不倫事件ということで、当時は最大のスキャンダルとなって、大衆の恰好の餌食となり、新聞も大騒ぎします。

 このおかげで、宮崎龍介は、東大新人会を除名され、新人会の連中も黄興邸を出たため、活動拠点を失う羽目になります。

 この柳原白蓮は、歌人としても有名ですが、何と、柳原前光伯爵の娘で、柳原家といえば、名門中の名門です。何しろ、大正天皇の生母で、明治天皇の女官だった柳原愛子(なるこ)は、白蓮の叔母に当たる人だったのです。そこで、手元にあった古代から現代につながる藤原氏の系譜を図解した洋泉社MOOKの「藤原氏」を参照したところ、柳原家とは、藤原氏の分家で、五摂家(近衛、鷹司、九条、一条、二条)、清華家(せいがけ=三条、西園寺など)などに続く名家(めいか)と呼ばれていました。名家とは、文官の家筋で、大納言まで進むことができる家柄です。そして、柳原家は、同じ名家の日野家(儒道・和歌の家。室町将軍足利義政の室・富子は当主勝光の妹)の庶流で、文筆の家だったのです。

 まさに、柳原白蓮は歌人でしたから、藤原氏の血筋を受け継ぎ、「文筆の家」を守り抜いたことになります。いやあ、何百年経っても全く変わらないということですね。

 大正天皇の生母が柳原愛子だったことで色々気になり始めて調べてみたところ、明治天皇の昭憲皇后だった一条美子(はるこ)さまは、藤原氏の五摂家の一条家出身。大正天皇の貞明皇后だった九条節子(さだこ)さまも同じく五摂家の九条家出身。昭和天皇の皇淳皇后だった久邇宮良子(ながこ)さまは、伏見宮朝彦の孫。昭和天皇の弟宮である秩父宮妃の勢津子さまは、幕末に新選組をつくった会津藩主松平容保の孫。同じく高松宮妃の喜久子さまは、最後の将軍徳川慶喜の孫。同じく三笠宮妃の百合子さまは、河内丹南藩の最後の藩主高木正善の孫だったことが分かりました。

 なるほど、これが日本の伝統ということなのでしょうか。

 「天皇と東大」に登場する何千人という人物は、考えてみれば、右翼も左翼もほとんどがエスタブリッシュメント階級に属する人たちでした。庶民から見れば、雲の上のそのまた雲の上の殿上人たちです。そういう人たちは、自分の子どもたちには十分な教育費をかけて、最高級の教育を与えて、東大にでも入れて、そのまた子供たちが、またその子どもも東大に入れて、官僚や政治家や学者の道に進ませていくのです。(世の中、そんな単純じゃありませんが、戦前の軍人も華族も政治家も法曹界も、古代の葛城氏や蘇我氏や藤原氏と同じように、エスタブリッシュメント同士で縁戚関係をつくるのに必死でした)

 そして、いつの時代でも犠牲になるのは、無学な庶民たちで、防人(さきもり)になったり、赤紙一枚で激戦地に送られたりして、ハイ、さようならです。それが日本社会のカラクリでしょう。

 幸運なことに、と言うべきか、こうした高等教育を受けられない庶民の皆様は、渓流斎ブログを読まないし(笑)、社会のカラクリにも気づかず、有事の際は、唯々諾々と大人しい羊の群れのように為政者の命令に従うわけです。お疲れさまでした。(政府による非常事態宣言下にこのブログを書きました)

※歴史上の人物は敬称略しています。

ブラームス交響曲第1番から原節子まで

 上の写真は、すべてブラームスの「交響曲第1番」です。カラヤン、バースタインからトスカニーニ、ブルーノ・ワルター、小澤征爾まであります。クラシックの中で、この曲だけは特別に好きなのです。「あ、この音とは違う」「この音じゃない」と、一度、FM放送か何かで聴いたことがある「失われた音を求めて」色んな指揮者の演奏CDを集めたらこんなになりましたが、まだまだあることでしょう。

 ブラームスの交響曲第1番ハ短調は、皆さまご案内の通り、恩師シューマンの「マンフレッド序曲」を聴いて感激した1855年に着手し、21年もの長きの歳月を経て、1876年にやっと完成した作品です。22歳の若者が43歳の中年になっていました(ブラームスは64歳で死去)。何でこの曲が好きなのかは、最初の重苦しいテーマが、ゆっくりとだんだんと高まっていき、最終楽章では、ついに「生の躍動 elan vital」を感じさせてくれるからです。我慢して最後まで聴いた価値があるわけです(笑)。クラシックを聴いて、あまり涙を流したりしませんが、この曲とワーグナーの「マインスタージンガー序曲」だけは別格ですね。感情が高まりカタルシスを感じます。

 ということで、私は、ブラームスの1番を聴きながら、ブログを書いています。昨日なんかも書くのに4時間は掛かりましたからね。4時間も、5時間もかけて書いたブログにあまり反応がないのに、20分~30分でさっと書いたブログに注目されたりすると、「あれま」とガクっときます。だって、人間なんだもん。

 この1カ月ばかしは、立花隆著「天皇と東大」(文春文庫)ばかり読み、昨日でやっと完読したことを書きましたが、その間、浮気して月刊文藝春秋も読んでいました。

 さすがに日本で最も売れている雑誌とあって目の付け所が大衆誘導的です。私も洗脳されて買ってしまいました。ざっと主な記事を読みましたが、どうせ忘れてしまうので、備忘録をー。

・巻頭のノーベル賞学者山中伸弥教授と橋下弁護士(呑み友達らしい)との対談「ウイルス vs 日本人」ー。山中教授の仮説では、日本人は欧米人より感染による死者が少ないことから、日本人には「ファクターX」なるものがあるのではないか。それは、日本人は、マスクや入浴など清潔意識が高く、ハグや握手、大声で話すことが欧米人より少ないこと、そしてBCGワクチンにも相関関係あるかもしれないこと等々…。あくまでも仮説なので、楽観視できませんが。

・奥村康・順天堂大医学部免疫学特任教授の「最後は『集団免疫』しかない」は、刺激的、絶望的な論説ではありましたが、最も説得力がありました。直視しなければならないことは、ウイルスは消えたり無くなったりしないということです。共生するしかない。でも、発症しても軽症で済む人や症状が出ない人も大勢いるので、彼らに免疫ができ、免疫を持つ人が一定の割合を占めた時にウイルスの流行は収束に向かう、という話です。そして、軽症で済ますには、個人の免疫力を高めることが大事で、それには(1)不規則な生活(2)激しい運動(3)精神的ストレスーを避けることが最も肝心だといいます。やはり、一番参考になりました。

・村中璃子医師「WHOはなぜ中国の味方なのか」-WHOのテドロス事務局長が「中国寄り」との批判が多いが、テドロス氏はエジプトの保健相、外務相を経て、WHO事務局長選挙で、中国によるプッシュで当選した人。エチオピアは2019年、国全体の直接投資額の60%も中国に頼っている。だから、テドロスさんは中国寄りになっているーという話。あれ?この話は新聞でも報道されていて皆知っている話。村中医師はWHOで勤務した経験があるらしいので、もっと奥深い裏情報を知りたかったので残念。

・峯村健司・朝日新聞編集委員「CIAと武漢病毒研究所の暗躍」は、米中コロナ戦争の内幕を描いたルポ。でも、何で、朝日新聞を蛇蝎の如く嫌って、機会があれば貶めようとしている文藝春秋が朝日の記者やOB(船橋洋一)を採用するのかしら。文春記者でもこれぐらい書けるはず。もしかして、朝日と文春は、表向き「敵対関係」を装っておきながら、テーブルの下ではちゃっかり握手して相互利益を図っているのかしら?

・芝山幹郎×石井妙子対談「『原節子』生誕100年 映画ベスト10」-。1963年に42歳で引退して本名の會田昌江に戻り、2015年に95歳で亡くなった大女優を振り返っています(52年間も隠遁していたとは!)。この人、テレビも舞台にも出ず、映画一筋の女優だったんですね。原節子といえば、小津安二郎の「東京物語」や「麦秋」が代表作かと思っていました(小津の「晩春」「麦秋」「東京物語」で演じる原節子の役は全て紀子なので「紀子三部作」という)が、戦時下では「ハワイ・マレー沖海戦」(1942年、山本嘉次郎)、「熱風」(1943年、山本薩夫)など結構出ていたんですね。小生、観ていません。戦後直後の黒澤明の「わが青春に悔なし」(1946年)は観てますが、これはあの京大・滝川事件をモデルにしたものでした。何とタイムリーな(笑)。私は(世界の溝口健二から「成瀬君のシャシンはうまいことはうまいが、キン〇〇が有りませんね」と批判された)成瀬巳喜男のファンですから「めし」(1951年)と「山の音」(1954年)は是非観たい。いつか、神保町に行って、成瀬巳喜男のDVDが売っていたら購入するつもりです。

 ※文中敬称略あり。

歴史上の人物は善悪二元論で断罪できない=「天皇と東大」第4巻「大日本帝国の死と再生」を読みついに全巻完読

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 立花隆著「天皇と東大」(文春文庫)はついに全4巻完読できました。最後の第4巻「大日本帝国の死と再生」は、2日間で一気に読破してしまいました。

 巻末に参考文献が載っていましたが、ざっと1200冊以上。これだけ読むのに10年以上掛かりそうですが、著者は読んだだけでなく、こうして単行本2冊(文庫版で4冊)の大作にまとめてくれました。

 当時の文献からの引用が多いので、「曩(さき)に」とか、「抑々(そもそも)」「洵(まこと)に」「啻(ただ)に」「仮令(たとい)」「聊(いささ)かも」「赫々(かっかく)たる」といった接頭辞や、「辱(かたじけな)さ」「恐懼(もしくは欣快)に堪えず」「意思に悖(もと)る」「雖(いえど)も」「抛擲(ほうてき)」「芟除(さんじょ)」「万斛(ばんこく)の恨み」「宸襟(しんきん=天子の心)を安んじ」「拝呈 先ず以って御清福、奉賀候(がしたてまつりそうろう)」「護国の力尠(すく)なきを慚愧し」「上御一人(かみごいちにん)の世界」といった現代では使われなくなった言い回しが、最初は読みにくかったのに、慣れると心地良くなってきました(笑)。こういう言い回しで、極右国家主義者勢から「朝憲紊乱(ちょうけんびんらん)」だの「国体(天皇絶対中心主義)破壊を企む不逞の輩を殲滅する」などと言われれば、言葉の魔術に罹ったかのように思考停止してしまいそうです。

 昭和初期には多くの思想弾圧事件(美濃部達吉の天皇機関説事件森戸事件京大・滝川事件河合栄治郎事件人民戦線事件のほか、日本共産党を壊滅させた三・一五事件四・一六事件など)があり、主に弾圧された側(ということは左翼)から語られる(つまり、教科書や書籍で)ことが多かったので、戦後民主主義教育を受けた者は、ほんの少ししか右翼側の動向について学んだことはありませんでした。ですから、血盟団の井上日召や四元義隆や五・一五事件の海軍青年将校らに多大な影響を与えた権藤成卿や、むやみな「言あげ」はしない「神ながらの道」を唱えた筧(かけい)克彦や、皇国史観をつくった平泉澄(きよし)といった国粋主義者に関する話は本当に勉強になりました。

 第4巻の「大日本帝国の死と再生」では、昭和初期の東京帝大経済学部の三つ巴の内紛が嫌になるくらい詳細に描かれています。三つ巴というのは、大内兵衛有沢広巳といったマルクス主義の「大内グループ」と土方成美本位田(ほんいでん)祥男ら国家主義の「土方グループ」と河合栄治郎、大河内一男ら自由主義(反マルクス主義で欧州の社会民主主義に近い)の「河合グループ」のことです。この3者が、教授会で多数派になるために、くっついたり離反したり、手を結んだり、裏切ったりするわけです。

 マルクス主義の大内グループは最初にパージされて消えますが、戦後復活して、日本経済の復興を支えるので、大内兵衛や有沢広巳なら誰でも知っています。河合栄治郎は、多くの経済書を執筆(多くは日本評論から出版し、担当編集者は石堂清倫だった)し、戦時中、ただ一人、軍部と戦った教授として名を残しています。(同じく筆禍事件を起こして東大を追放された矢内原忠雄=戦後復帰し、東大学長。私自身はこの人ではなく、その息子で哲学者の矢内原伊作の方が著作を通して馴染みがありました=と河合との関係には驚きましたが…)

 私自身は、むしろ、土方グループの土方成美については何も知らず、この本で初めて知りました。彼ら国家主義者は「革新派」と呼ばれていました。戦後民主主義教育を受けた者にとって、何で右翼なのに革新派なのか理解できませんが、当時は、土方のような戦争経済協力派を革新派と呼んでいました。国家主義者の岸信介が商工省の若手官僚の頃、「革新官僚」と呼ばれたのと一緒です。今でこそ、国家主義や国粋主義、それにファシズムと言えば、悪の権化のように思う人が多いのですが、戦前の当時は、それほどネガティブな意味がなかったといいます。(そう言えば、作家の直木三十五も「ファシスト宣言」したりしていました)

 国粋主義(絶対的天皇中心主義)「原理日本」の蓑田胸喜や菊池武夫らが、東京帝大から共産主義思想の教授追放を目的とした「帝大粛清期成同盟」を結成すると、意外にも野口雨情や萩原朔太郎、片岡鉄平ら童謡詩人や作家までもが賛同していたのです。戦前の皇民教育や軍国少年教育を受けた者にとっては、国威発揚や愛国心は至極当然の話で、臣民の税金で国家の官僚を養成する帝大の教授が反国家的で、コミンテルン支配の共産主義思想を研究したり、学生に教えたりするのはとんでもない話だったのでしょう。

 著者の立花氏は、文庫版のあとがきで「なぜ日本人は、あのバカげたとしかいいようがない戦争を行ったのか。国家のすべてを賭けてあの戦争を行い、国家のすべてを失うほどの大敗北を喫することなったのか。…私がこの本を書いた最大の理由は、子供のときから持っていたこの疑問に答えるためだった。7年間かけてこの本を書くことで、やっとその答えが見えてきたと思った」と書いています。

 私も、通読させて頂いて、今まで知っていた知識と知識がつながって、線状から面体として浮かび上がり、この異様に複雑な日本の近現代史が少し分かった気がしました。

 マルクス主義一つをとっても、戦前の弾圧から、戦後直ぐは、「救世主」のように日本復興のよすがになるかに見えながら、強制収容所の恐怖政治のスターリズムやハンガリー動乱、そしてソ連邦崩壊が決定的となり、威力も魅力も失いました。その一方、東京帝大の「平賀粛学」で、土方グループ追放に成功し辞任した田中耕太郎・経済学部長は、戦後は最高裁判所長官や国際司法裁判所判事などを歴任。この本に書かれていませんでしたが、クロポトキンを紹介するなど進歩的言動で東京帝大を追放された森戸辰男助教授(森戸事件)も戦後は、宗旨替えしたのか、文部大臣や中教審会長を務めるなどすっかり体制派側の反動的な政治家になったりしています。人間的な、あまりにも人間的なです。

 戦後は、国家主義や国粋主義についてはアレルギーが出来てしまったので、今さら極右の超国家主義が日本で復活し、再び戦争を始めようとすることはないでしょうが、戦前は、多くの一般市民も皇民教育を受けていたせいか、戦争協力し支援していたことを忘れてはいけないでしょう。このブログで何度も書いていますが、世の中は左翼と右翼で出来ているわけではなく、左翼が善で右翼が悪で、そのまた逆で、左翼が悪で右翼が善だという単純な二元論で分けたり区別できるようなものではありません。自由主義だって胡散臭いところがあるし、タブー視される国粋主義だって、掛け替えのない価値観があると考えてもいいのです。

 ですから、この本を読んで、蓑田胸喜や平泉澄といった狂信的な超国家主義者のお蔭で、日本は道を誤り、戦争を起こして惨敗したなどと単純な答えを導くのは間違いでしょう。彼らのような怪物(と呼んでしまいますが)を生み出す内外情勢と教育こそが元凶で、教育如何でどんな人間でもできてしまうことを胸に刻むべきではないでしょうか。その意味でも、私自身は、歴史を勉強し、歴史から学ばなければならないと思っています。これはあくまでも個人的な意見なので、多くの人にはこの本を読んで頂き、色々考えてほしいと思っています。

【本文に書けなかったこの他のキーパースン】

一木喜徳郎(内大臣から宮内大臣で昭和天皇の信頼が篤かった)・湯浅倉平(内務省警保局長から宮内大臣、内大臣。反平泉派)・富田健治(近衛内閣の書記官長、平泉の門下生)・畑中健二少佐(宮中事件で、森赳近衛師団長を射殺、「日本のいちばん長い日」)・大西瀧治郎(特攻隊の生みの親、終戦後自刃)・高野岩三郎(東京帝大経済学部創設⇒大原社会科学研究所へ)・大森義太郎、脇村義太郎、山田盛太郎、舞出長五郎(大内グループ)・橋爪明男(東京帝大経済学部助教授で内務省警保局嘱託。大内グループの動静を密告するスパイだった!)

本土決戦は弥生時代の戦だったのでは?=「天皇と東大」第3巻「特攻と玉砕」

Washington DC Copyright par Duc de Matsuoqua

 昨日は、道端で怪しげなマスクを3300円(50枚入り)で買ったことを書きました(しかも2箱。1箱は村民4号にあげました)が、ネットではどれくらいで売っているのか今朝、調べたら、何と、「大幅値下げ」と称して1339円(51枚入り)で売っていたのです。つい、先日までネットでは4000円とか5000円とかしたのに、ナンタルチーヤです。良心的な中国政府の「マスク外交」が功を奏したのでしょうか、なんて喜んでいる場合じゃありませんよね。商売は、需要と供給の世界ですから、生産ラインが復活した中国製品のマスクが余剰になれば、当然、価格は暴落していくことでしょう。もう、道端で3300円で買う馬鹿いませんよ。あ、ワイのことやないけ!

 さて、立花隆著「天皇と東大」(文春文庫)第3巻「特攻と玉砕」をやっと読了しました。単行本化は2005年12月、文庫本化は2013年1月ですが、初出の雑誌連載は、2002年10月号から2004年3月号となってます。ですから、18年近くも昔に発表された作品を何で今さら取り上げるのか、と糾弾されそうですが、読んでなかったから仕方ありません。その理由については、この本を最初に取り上げた時に書きましたので、茲では繰り返しません。それでも、今読んでも古びていないし、未来永劫、この本だけは読み継がれていってほしいと思っています。必読書です。

 第3巻の前半の主役は狂信的な国粋主義者の蓑田胸喜でしたが、後半は、「皇国史観」を広め、特攻と玉砕を煽動した東京帝大国史科教授の平泉澄(きよし)でした。この方は、正直言ってよく知らなかったのですが、とてつもない人でした。教科書に特筆大書して、生徒に教えなきゃ駄目ですよ。平泉教授は、帝国陸海軍の幹部将校らにも絶大なる影響を与えた学者で、2・26事件などのクーデタに関与せずとも決行する理論的支柱となり(平泉は、昭和天皇の弟君である秩父宮の御進講係を務めて親しかったため、事件の黒幕と目されていた)、また、楠木正成や吉田松蔭に代表される忠君愛国の精神主義を戦場の兵士たちに感化した人(元寇を持ち出すくらいのアナクロニズム!)で、さらには近衛文麿首相らの演説原稿を書いた人でもありました。著者の立花氏は「何よりも私が不思議に思うのは、平泉があれほど特攻と玉砕を煽りに煽って、多くの若者を死に追いやったというのに、本人はそのことに何の責任も感じていなかったらしいことである」とまで書いています。

 終戦直後の昭和20年8月17日の教授会で、平泉は辞表を提出して東大を去り、福井県の実家に引き籠ります。この態度に潔さやあっぱれさを感じる人もいましたが、実は、その福井の実家とは、一般には平泉寺(神仏習合のため)と呼ばれている白山神社(伊弉冉尊を祀り、本地が十一面観音)で、これはかつては「大社」と呼ばれていたほど格式が高く、歴史と由緒がある桁違いに壮大な神社で、平泉家は代々そこの神職を務めていたのです。

 開社は、養老元年(717年)といいますから奈良時代。中世期、朝倉氏から寺領9万石を拝領され、境内には48社、36堂があり、僧兵だけでも7000人も抱えていたといいます。明治維新以降は廃仏毀釈で寺領は没収されたりしましたが、それでも、終戦後の農地改革等でさらなる没収を経ても4万5000坪もの広大な敷地があるといいます。平泉澄はそこの神主ですから、生活は裕福であり、なおも執筆活動を続け、最後まで思想信条と言動は変わらず、昭和59年に89歳の生涯を終えました。つい最近の現代人だったんですよ。

 他にまだまだ書きたいことが沢山あるのですが、あと一つだけ書きます。太平洋戦争末期の昭和20年6月10日、義勇兵役法案が貴衆両院で通過し、日本国民全員(男子15歳から60歳、女子17歳から40歳まで)が義勇兵役に服して、本土決戦の際には武器を取ることになりました。法案を通過させたときの内閣の首相は鈴木貫太郎、書記官長(今の官房長官)は迫水久常でした。この迫水が戦後に書いた「機関銃下の首相官邸」(恒文社)の中で、国民義勇兵隊の問題を話し合った閣議の後、陸軍の係官から、「国民義勇兵が使用する兵器を別室で展示しているからみてほしい」ということで、鈴木首相を先頭に閣僚が見に行ったことを明かしています。

 そしたら、そこに並べてあったのは、手榴弾はよしとして、銃は単発で、まず火薬を包んだ小さな袋を棒で押し込んで、その上に弾丸を押し込んで射撃するものだったといいます。正規の軍隊の兵士でさえ、「三八式歩兵銃」といって、明治38年の日露戦争で使われた銃を第2次世界大戦で使っていた話を聞いたことがありますが、それ以上の驚きです。私なんか、思わず「火縄銃か!」と突っ込みたくなりました。種子島に伝来した火縄銃とほとんど変わらない武器で、明治の三八式より遥かに古い「室町時代か!」とまた突っ込みたくなりました。ここまでは、大笑いでしたが、迫水ら閣僚が見たこのほかの義勇兵の兵器として、弓矢があったといいます。相手の米兵は装甲車や戦車に乗って、マシンガンやら火焔銃やらバズーカ砲やらでやって来るんですよ。それを弓矢で立ち向かうとは、これでは弥生時代じゃありませんか!大笑いして突っ込もうとしたら、逆に涙が出てきて、泣き笑いになりました。

 軍部は、「平泉史観」の影響で、「1億総玉砕」を真剣に考えていたことでしょう(あわよくば自分たちだけは生き残って)。近代戦なのに、国民全員を強制的に徴兵して、弓矢で戦えとは、あまりにも不条理で、時代錯誤が甚だしく、無計画で、無責任過ぎます。国民に死ねと言っているようなものです。そもそも、陸士、海兵のエリートと政権中枢の特権階級らは、米国との国力の莫大な違いを知っていたわけですから、最初から負け戦になることは分かっていたはず。それなのに、何万人の兵士を犠牲にしておきながら、少しも反省することなく、責任を部下に押し付けて、戦後ものうのうと生き残り、天寿を全うした将軍もいました。

 泣き笑いから、今度は怒りに変わってきました。