マリー・ラフォレさん追悼

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

フランスの女優・歌手マリー・ラフォレさんが11月3日(日)、スイスで亡くなってしまいました。享年80ですから、平均的かもしれませんが、私なんかはもう少し長生きしてもらいたかったな、というのが正直な気持ちです。

 まだ少し早いですが、私が生涯で見た数多くの映画の中で、たった1本だけ挙げろと命令されれば、私は迷わず、ルネ・クレマン監督の仏伊合作映画、アラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい」(1960年)に決めています。マリー・ラフォレはその相手役でしたね。撮影当時20歳。お金持ちのボンボン、フィリップ(モーリス・ロネ)の恋人マルジュ役(恐らく、美術史専攻の女子大生)でした。この映画は、映画館で何十回、テレビやビデオで何十回観たか分かりません。

 人間の野心、怠惰、嫉妬、欲望のほか、貧富の格差や人生の矛盾と不条理など、ありとあらゆるものが詰まっていました。

 マリー・ラフォレの訃報は日本でも伝えられましたが、わずか数行のベタ記事で物足りなかったので、AFP(フランス通信)などの外電を読んでみました。

 知らなかったのですが、彼女の本名は Maïtena Douménach だったんですね。 芸名のマリー・ラフォレのマリーはキリスト教のマリアさまのことで、ラフォレは、森という意味です。まあ、普通の名前でしょう。でも、本名のMaïtena Douménach は、フランス人でも極めて珍しい名前です。マイテナ・ドゥーメナックと読むのでしょうか。ドゥーメナックはバスク系の名前らしいですね。

 彼女は1939年10月5日、南西部ジロンド県スラック・シュル・メール生まれ。3歳の時に近所の男に悪戯され、それがトラウマとなって、小心で引っ込み思案になってしまったということです。それを克服したいがために、わざと逆に、はけ口となるような仕事を選んだといいます。悪戯と、差し控えて訳しましたが、フランス語の原文はviol、これは強姦という意味もあります。そのことを告白したのが35年も経った38歳の時でした。それほど心の傷が重かったということです。でも、本人は「あの事件がなければ人前に出るような仕事はしなかった」と告白しています。

 アメリカナイズされた日本では、1960~70年代に輸入される音楽は英米中心でしたから、フランスの最新ポップスは、日本のメディアではそれほど多く取り上げられませんでした。(シルビー・バルタンとミシェル・ポロナレフぐらいか)彼女は35本の映画に出演していましたが、女優というより、フランス国内ではシャンソン・ポップス歌手としての方が有名だったようです。”Les Vendanges de l’amour”(「愛の収穫」)”Vien,vien” (「来て、来て」)などの大ヒット曲に恵まれましたが、一部の好事家を除き、残念ながら日本にまでは伝わって来ませんでしたね。彼女は、歌手として3500万枚のアルバムを売り上げたそうです。

 1972年には一時、歌手活動から遠ざかりましたが、作詞やエッセイなどの執筆活動を優先にし、その後、スイスのジュネーブに腰を落ち着け、画廊を経営していたというのです。スイスの国籍も取得(二重)しました。それでも、芸能活動をやめたわけではなく、舞台に復帰して、マリア・カラス役の演劇に出演したり、リサイタルを開催していました。

 驚くことに、彼女は5回も結婚し、3人の子どもに恵まれたとか。そのうちの一人が、1965年生まれの映画監督リサ・アズエロスです。「ソフィー・マルソーの秘められた出会い」(2015)「ダリダ~あまい囁き」(2017)などの監督作品があります。父親はモロッコ・ユダヤ系の実業家ジューダス・アズエロスさん。当然のことながら母と娘の関係はうまくいってなかったようです。

 私が学生時代にフランス語を専攻した理由として、映画「太陽がいっぱい」のほか、音楽はビートルズの「ミッシェル」とフランス・ギャルの「夢見るシャンソン人形」(ゲンズブール作曲)、哲学のサルトルとカミュ、印象派絵画、バルザック、フロベール、モーパッサン、ボードレール、ヴェルレーヌ、ランボーなどの影響が挙げられます。

 マリー・ラフォレを知らなかったら、あれほどフランス語の勉強に熱が入っていたかどうか分かりません。そういう意味で、彼女は私をフランスに導いてくれた恩人です。ご冥福をお祈りするとともに、感謝の意を捧げます。

 Merci Beaucoup

「太陽がいっぱい」の矛盾台詞を発見

 フランス語の勉強と称して映画「太陽がいっぱい」のDVDを購入して見ています。結局、フランス語の字幕がついていなかったので、がっかりしてしまいましたが。

 

この映画は劇場で何度見たか分かりません。50回、いやそれ以上かもしれません。もちろん、1960年の日本初公開の時点ではなく、リバイバル上映の時です。当時はDVDはおろか、ビデオもない時代ですから、いわゆる二番館と言われる名作座で見るしかなかったのです。今、あるかどうか知りませんが、当時は沢山ありました。池袋・文芸座、高田馬場のパール座、早稲田の松竹座、飯田橋の佳作座、ギンレイ座、大塚の…、銀座の…名前は忘れました。とにかくお金のない学生にとっては恵みでした。

あれだけいっぱい見た「太陽がいっぱい」なのですが、DVDで家で落ち着いて見ると、結構、矛盾点が見つかるんですね。ご覧になった方も多いと思いますが、アラン・ドロン扮するトム・リプレーが金持ちの放蕩息子のフィリップ(モーリス・ロネ)を殺して、彼に成りすまして、銀行から大金を下ろし、フィリップの恋人のマルジュ(マリー・ラフォネ)まで奪って、完全犯罪を企むストーリーです。原作はパトリシア・ハイスミスで、私は原作は読んでいないのですが、巨匠ルネ・クレマン監督の最後のシーンは彼による発案らしいです。1999年にアンソニー・ミンゲラ監督、マット・デイモン、ジュード・ロー主演でリメイク版「リプレー」が製作されましたが、やはり「太陽がいっぱい」には足元にも及びませんでした。それほど素晴らしい映画です。

若い頃は、アラン・ドロンの格好良さだけ目に付いて、男から見ても溜息をつくようでしたが、今、見ると、どうも、灰汁の強さだけが迫ってきてしまいます。その後、自分の用心棒だったマルコビッチ殺害事件にドロン自身が関与したのではないかと、疑われたり、飛行機に乗ってもファーストクラスで異様な王様気取りの傲慢さでフライト・アテンダントを辟易させたという証言を読んだりしているので、どうも単なる悪党(笑)に見えてしまいました。それだけ演技がうまかったということになりますが。

この映画は、子供の頃に初めてテレビで見たのですが、とても、恥ずかしくて大人の世界を盗み見るような感じでドキドキしてしまいました。彼らは皆、すごい大人に見えたのですが、当時、アラン・ドロンは24歳、マリー・ラフォレは何と18歳だったんですね。モーリス・ロネでさえ32歳です。驚きです。最も、ルネ・ククレマン監督でさえ46歳の若さだったのですから。

 

それで、矛盾点の話ですが、ドロン扮するトムがフィリップに成りすまして、フィリップの友人のフレディを殺してしまうのですが、警察は「指紋が一致した」と言って、フィリップが下手人であることを突き止めるのです。その指紋は結局トムの指紋なのですが、そんなことは、すぐ分かってしまいますよね。完全犯罪には無理があります。

これは、映画を見て思ったことなのですが、今回、DVDを見て発見した矛盾点は台詞にあります。トムとフィリップとマルジュの三人がヨットの中で食事をするシーンです。貧乏青年のトムは、フィリップの米国人の父親に頼まれてサンフランシスコに呼び戻す使いで、イタリアのナポリまで来ていたのです。(それにしてもあの映画で描かれるイタリアは素晴らしい。フランスとイタリアの合作映画だったということも今さらながら知りました)

食事をしながら、トムはフィリップに言います。

「フィリップの親父さんには、僕は随分嫌われていたなあ。出自が卑しいって言うんだよ。でも、おかしいよね。今ではこうして僕は君の監視役だ。貧しいけれど、賢いっていうことかな」(私の意訳)

トムは一生懸命、ナイフを使って魚の肉を切り分けています。それを見たフィリップは

「上品ぶりたがるということ自体が、そもそも下品なんだよ。魚はナイフで切るな。それにナイフの持ち方が違うぞ」

とテーブルマナーすら知らない貧乏青年を馬鹿にするのです。

そして、一番最後のシーンです。フィリップは殺され、ヨットは売られることになり、父親が米国からナポリにやってきます。マルジュはすっかり、トムといい仲になり、海水浴をしているところに、女中(禁止用語)が来て言います。「お嬢様、お義父さまがお見えになっていますよ」

マルジュはトムに言います。「いけない!忘れてた!」。トムは聞きます。「彼は何しに来たの?」マルジュは「ヨットを売りに来たのよ」。そして、トムにこう言うのです。

「あなたに会いたがるわよ。とても良い方なの」

なぜなら、フィリップの父親は、息子がすべての財産をマルジュに与えるという「遺言」を残していたので、息子の遺志を尊重すると、マルジュに言ったから…、と台詞は続くのですが、私が問題にしたいのは、そもそも「あなたに会いたがるわよ」という台詞が変なのです。なぜなら、ヨットの中でトムは、フィリップの父親に「嫌われていた」とはっきり、マルジュにも聞こえるように話していたからです。

以前は完璧なシナリオだと思っていたのですが、あら捜しすると、結構見つかるもんですね。