フランス語の勉強と称して映画「太陽がいっぱい」のDVDを購入して見ています。結局、フランス語の字幕がついていなかったので、がっかりしてしまいましたが。
この映画は劇場で何度見たか分かりません。50回、いやそれ以上かもしれません。もちろん、1960年の日本初公開の時点ではなく、リバイバル上映の時です。当時はDVDはおろか、ビデオもない時代ですから、いわゆる二番館と言われる名作座で見るしかなかったのです。今、あるかどうか知りませんが、当時は沢山ありました。池袋・文芸座、高田馬場のパール座、早稲田の松竹座、飯田橋の佳作座、ギンレイ座、大塚の…、銀座の…名前は忘れました。とにかくお金のない学生にとっては恵みでした。
あれだけいっぱい見た「太陽がいっぱい」なのですが、DVDで家で落ち着いて見ると、結構、矛盾点が見つかるんですね。ご覧になった方も多いと思いますが、アラン・ドロン扮するトム・リプレーが金持ちの放蕩息子のフィリップ(モーリス・ロネ)を殺して、彼に成りすまして、銀行から大金を下ろし、フィリップの恋人のマルジュ(マリー・ラフォネ)まで奪って、完全犯罪を企むストーリーです。原作はパトリシア・ハイスミスで、私は原作は読んでいないのですが、巨匠ルネ・クレマン監督の最後のシーンは彼による発案らしいです。1999年にアンソニー・ミンゲラ監督、マット・デイモン、ジュード・ロー主演でリメイク版「リプレー」が製作されましたが、やはり「太陽がいっぱい」には足元にも及びませんでした。それほど素晴らしい映画です。
若い頃は、アラン・ドロンの格好良さだけ目に付いて、男から見ても溜息をつくようでしたが、今、見ると、どうも、灰汁の強さだけが迫ってきてしまいます。その後、自分の用心棒だったマルコビッチ殺害事件にドロン自身が関与したのではないかと、疑われたり、飛行機に乗ってもファーストクラスで異様な王様気取りの傲慢さでフライト・アテンダントを辟易させたという証言を読んだりしているので、どうも単なる悪党(笑)に見えてしまいました。それだけ演技がうまかったということになりますが。
この映画は、子供の頃に初めてテレビで見たのですが、とても、恥ずかしくて大人の世界を盗み見るような感じでドキドキしてしまいました。彼らは皆、すごい大人に見えたのですが、当時、アラン・ドロンは24歳、マリー・ラフォレは何と18歳だったんですね。モーリス・ロネでさえ32歳です。驚きです。最も、ルネ・ククレマン監督でさえ46歳の若さだったのですから。
それで、矛盾点の話ですが、ドロン扮するトムがフィリップに成りすまして、フィリップの友人のフレディを殺してしまうのですが、警察は「指紋が一致した」と言って、フィリップが下手人であることを突き止めるのです。その指紋は結局トムの指紋なのですが、そんなことは、すぐ分かってしまいますよね。完全犯罪には無理があります。
これは、映画を見て思ったことなのですが、今回、DVDを見て発見した矛盾点は台詞にあります。トムとフィリップとマルジュの三人がヨットの中で食事をするシーンです。貧乏青年のトムは、フィリップの米国人の父親に頼まれてサンフランシスコに呼び戻す使いで、イタリアのナポリまで来ていたのです。(それにしてもあの映画で描かれるイタリアは素晴らしい。フランスとイタリアの合作映画だったということも今さらながら知りました)
食事をしながら、トムはフィリップに言います。
「フィリップの親父さんには、僕は随分嫌われていたなあ。出自が卑しいって言うんだよ。でも、おかしいよね。今ではこうして僕は君の監視役だ。貧しいけれど、賢いっていうことかな」(私の意訳)
トムは一生懸命、ナイフを使って魚の肉を切り分けています。それを見たフィリップは
「上品ぶりたがるということ自体が、そもそも下品なんだよ。魚はナイフで切るな。それにナイフの持ち方が違うぞ」
とテーブルマナーすら知らない貧乏青年を馬鹿にするのです。
そして、一番最後のシーンです。フィリップは殺され、ヨットは売られることになり、父親が米国からナポリにやってきます。マルジュはすっかり、トムといい仲になり、海水浴をしているところに、女中(禁止用語)が来て言います。「お嬢様、お義父さまがお見えになっていますよ」
マルジュはトムに言います。「いけない!忘れてた!」。トムは聞きます。「彼は何しに来たの?」マルジュは「ヨットを売りに来たのよ」。そして、トムにこう言うのです。
「あなたに会いたがるわよ。とても良い方なの」
なぜなら、フィリップの父親は、息子がすべての財産をマルジュに与えるという「遺言」を残していたので、息子の遺志を尊重すると、マルジュに言ったから…、と台詞は続くのですが、私が問題にしたいのは、そもそも「あなたに会いたがるわよ」という台詞が変なのです。なぜなら、ヨットの中でトムは、フィリップの父親に「嫌われていた」とはっきり、マルジュにも聞こえるように話していたからです。
以前は完璧なシナリオだと思っていたのですが、あら捜しすると、結構見つかるもんですね。
よしさん、どうも
「太陽がいっぱい」でこんなに沢山お話できるなんて嬉しかったです。気に障ったことなんか全然ありませんからね。
映画の矛盾点のHPをざっと見ましたが、世の中にはマニアの方がいらっしゃるもんですね。
小生も他人のことは言えません。ビートルズに関してはかなりのフリークですから(笑)
また、コメントをくださいね。
有難うございました。
Unknown
ご挨拶が遅れました。
昨日初めてこのブログを拝見しました。
>貧乏青年のトムは、フィリップの米国人の父親に頼まれてサンフランシスコに呼び戻す使いで、イタリアのナポリまで来ていたのです。
高田さんがお書きの通りですから、トムがフィリップの父親のことをまるで知らないということは、ありえません。
但し、息子の友人として昔からよく知っている関係なのか、息子を連れ戻すために私立探偵or便利屋を探して知ったトムに仕事を依頼しただけの関係なのか、映画では分かりません。
原作はどうなっているのでしょうね?
たしかに、マルジュの「とても良い方なのよ」というセリフは、自分も当初は不自然に感じました。
しかし、高田さんがお書きのように、『なぜなら、フィリップの父親は、息子がすべての財産をマルジュに与えるという「遺言」を残していたので、息子の遺志を尊重すると、マルジュに言ったから』というセリフが続きます。
ですから、「とても(太っ腹で気前のいい)良い方なのよ」という意味に受け取れば、不自然でもないかな?と思ったわけです。
「破綻」という言葉は、高田さんのエントリ中には無く、自分がコメント中で用いたものです。
お気に障りましたら、お詫びいたします。
いずれにしても、「太陽がいっぱい」は良くできた面白い映画ですね~
映画の矛盾点を色々と指摘している面白いHPがありますよ↓
http://hakaiya.web.infoseek.co.jp/tsukkomi/index.html
http://hakaiya.web.infoseek.co.jp/mad/index.html
よしさま
初めまして…ですよね?
随分、素晴らしいご指摘有難う御座います。
確かに、フィリップはマルジュと二人っきりになった時に「トムは大嘘つきだ」と言ってましたね。
ですから、ご指摘通り、「破綻」と言う言い方は、言い過ぎだったかもしれません。が、私は「違和感」を感じたわけです。フィリップとトムの関係は、観客が想像するしかないのですが、私が想像してしまったところによると、恋人と一緒にヨットに乗るくらいですから、フィリップとトムは「全く知り合ったばかりの知人ではなく、少なくとも数ヶ月は付き合っている深い友人関係にあること」「フィリップが仕事もしないで父親の金でブラブラ遊んでいることをトムが知っていること」という二つのことを斟酌すると、トムが全くフィリップの父親のことを関知しないことはありえないと思ったのです。マルジュも、トムがフィリップの父親のことをまるで知らないとは思えなかったのです。
それなのに、マルジュは「(フィリップの父親は)とても良い方なのよ」と言ってます。この台詞を聞くと、トム、あなたはフィリップの父親のことを全く知らないでしょう?というニュアンスに取ってしまったわけです。その前に「あなたに会いたがるわよ」という台詞がありますが、マルジュは、フィリップ亡き後に、今はトムと付き合っていることをフィリップの父親に正直に話したからこそ、フィリップの父親が、「トムに会ってみたい」とマルジュに言ったのではないでしょうか?
いずれにせよ、これらは私が観客として見ただけの感想に過ぎません。違う方に取る方もいらっしゃると思います。なぜなら、映画では台詞だけで、詳しい説明が一切されていないからです。「破綻」という言いかたは言い過ぎだったかもしれませんが、「矛盾」を感じてしまったわけです。
いずれにせよ、私も、もちろん、淀川先生の同性愛の分析には与しません。そう感じたければ感じればいいと思うだけです。
ルキノ・ヴィスコンティ監督も同性愛者で、アラン・ドロンやヘルムート・バーガーを寵愛して起用したという「噂」を聞いたことがありますが、おっしゃる通り、人は自分の見たいものだけ見て、自分の考えたいことを考えるものだと思います。
もちろん、私もそうなので、非常に真面目に私の感想を分析して頂いた貴兄殿に感謝申し上げます。こんなに真剣にブログを読んで頂いて、私は幸せ者ですよ。
太陽がいっぱい
そうとう前に、NHKBSで見ただけで、うろ覚えですし、フランス語は全くわかりませんので字幕を読んだだけの判断ですが………
トムの「フィリップの親父さんには、僕は随分嫌われていたなあ。………」という会話の後、マルジェと二人きりになったフィリップがマルジェに「あいつは大嘘つきだ。トムとは幼なじみでも友達でもない」という内容の話をするシーンがあったかと思います。
フィリップが言うようにトムの話がデタラメだとしたら、シナリオに破綻はありません。
また、フィリップが嘘を言っており、トムの話が本当だとしても、マルジェがフィリップの話を信じたのなら、やはりシナリオに破綻はありません。
さらに、トムの話が本当であっても、フィリップが亡くなった今となっては、フィリップの想い出を共有するという親近感の方が、昔の悪感情に勝り、トムと会って息子の想い出を語り合いたいとフィリップの父親が思料したとしても、何ら不思議ではありません。
というわけで、高田さんの言われるような不備は無く、自分には完璧なシナリオだと思えるですけどね。
この映画については、淀川長治さんの評論が面白かったです。
トムとフィリップが心情的な同性愛関係だとか、トムが逮捕される直前に白い帆のヨットが沖を帆走しているシーンが挿入されるが、そのヨットはフィリップの幽霊で、トムも死刑になって自分と同様にあの世に行くということの暗示だとか、どうにも自分には首を捻るような内容でしたw
同性愛者の人は何でも同性愛に結びつけたがるものですが、淀川さんも御多分に漏れなかったということでしょうか。
パトリシア・ハイスミスのトム・リプレー物では、こんな映画↓もありますが、アラン・ドロン演じるトム・リプレーとはどえらいイメージが異なります。
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD11169/index.html
拝復
アラン・ドロンの映画が殆んど見ています。「仁義」「サムライ」よかったですね。もうあまり買うわけにはいかないので、レンタルで借りてきま~す。
アラン・ドロンという男優について
最初に見たのは『暗黒街のふたり』でした。
悲劇の予感は最初からあったのですが、
やはり予想通り、彼はドラマの最後で
帰らぬ人となりました。
その後観たヴィスコンティの『山猫』や
『若者のすべて』は出演者の一人として
優れた俳優と思いました。これは『冒険者たち』
もまた、私にとって同様の映画です。
今、私がもう一度観たい映画は『仁義』と
『サムライ』です。
こういった傾向の映画に、彼は適している
と思います。