神道とは 第3版(加筆訂正あり)

さらば陽朔 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

国学を大成した本居宣長(1730~1801は、有名な「古事記伝」の中で、

「すぐれたるとは尊きこと善きこと、功(いさお)しきことなどの優れたるのみを云うに非ず、悪(あし)きもの奇しきものなども、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云なり」と述べています。(三之巻)

これは、古代から日本人は、鳥獣や樹木、植物、河原の石、山や海などの大自然、尋常ではなく特に徳のある畏れ多いものや傑出した人間、御霊(みたま)などを神としてみなして、お祀りしただけでなく、災いをもたらした禍津日神らも同様に、神として崇めたというのです。すなわち、日本人は善い神だけでなく、悪い奇しき神さえも仰いだということになります。

これには、魂消ましたね。

まるで、法然上人の悪人正機説みたいです。

日本人は、異国の仏教でさえも、「外来の賓客」として受け入れて、神仏習合が行われました。明治維新政府が「廃仏毀釈」するまで、日本人は非常に寛大だったのです。

陽朔のまち Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

どういうわけか、「神道」という言葉は、日本最古の文学でもある「古事記」には記述がありません。しかし、「日本書紀」には、用明天皇の即位前紀など3カ所に現れます。

この神道には、開祖や教祖もなく、経典や教団施設などもありません。自然を畏敬して、人間と自然が共生する神そのものと神の権威と力、その働きなどを「神道」と呼びました。

ただ、「神道」という言葉の由来は、後漢末にできたと言われる宗教「道教」にあります。

「後漢書」には、方術や仙術などを「神道」と表現しており、梁の陶弘景によって確立した茅山道教の修行の聖地(華陽洞天)にある立石には「神道在今」(神道?今でしょ!)と刻まれています。私は実物を見たわけではありませんけどね(笑)。この場合は、「神道」とは道教の「神仙の道」ということです。

この言葉を拝借したという説が有力です。

ちなみに、日本の国王の称号である「天皇」は、四書五経の一つ「春秋」を神秘主義的に解釈した緯書である「合誠図」に書かれた「天皇大帝北辰星(北極星)なり」から由来します。道教では扶桑大帝東王公を天皇と仰いでおります。

陽朔のまち Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

最後に、「古代学」を日本で最初に提起した折口信夫博士は、最晩年の論文「民族史観における他界観念」(昭和28年)の中で、「完全に他界にいることのできない未完成の霊魂」のありようを研究し、「神道以前の神道」を探索しています。

折口博士は、戦時中、国家神道と無縁ではありませんでしたが、民族神道を重んじた折口博士は、国家や宮廷と結びついた神道には批判的だったと言われます。「宮廷神道」から解放された「原神道」を重視して、「霊魂と霊魂の姿」を追及したのです。

戦後70年を過ぎ、今後は、国家神道から解放された原神道の研究が進めばいいと私も考えています。長年タブーだった神道は、明治の薩長藩閥政治家によって利用されただけで、悪者でもなく、怖いものでもありません。日本人の心因性に最も影響を与えたものの一つだと、私は考えています。

以上、出典は、上田正昭博士の最晩年の論文「神道の原像」でした。有難う御座いました。

祇園祭も知らずに…

Kyahuteaux

これでは、大恥をかいて、京洛先生に怒られてしまいそうですが、京都の「祇園祭」の山鉾巡行は、神輿の渡御・還御の前に悪疫を退散させるための「露払い」のような働きをするお祭りだったのですね。

メーンイベントは、神輿の渡御・還御なのに、祇園祭は、山鉾巡行が主体だと勘違いしておりました(苦笑)。

私も何度か、京都に足を運びましたが、混雑が嫌いなので、せめて「宵山」を見て、雰囲気に浸るだけで、本場の山鉾巡行を見るどころが、神輿なんか見たことがなかったので、勘違いしてしまったわけです。まさに、「生兵法は大怪我のもと」ですね。

基本的に、祇園社(八坂神社)の神事であるということを理解しておかなければなりません。山鉾の「山」は、依代で、そこに神様が降りて清める役割をします。「鉾」は武器の「矛」からきてまして、悪病神を鉾に集めて祓い清める役割をします。

祓い清められた神聖なところを、やっと神輿がまわるということだったんですね。

八坂神社も、もともと、牛頭天王(ごずてんのう)をお祀りした社で、この牛頭天王は、インドの祇園精舎を守護する神だといわれます。日本人は何という寛容な民族といいますか、異国のインドの神様を長らく守護神として崇め奉っていたんですね。

唯一絶対神を信じる人々にとっては信じられないことでしょう。

その後、八坂神社には、出雲の神話に出てくる須佐之男命も牛頭天王と並行して祀られましたが、「国家神道」を施策とした明治新政府以降は、須佐之男命のみになったといいます。

「そんなことも知らなかったのですか!?」と京洛先生の怒る顔が浮かびます(笑)。

「日本の10大新宗教」

2008年5月26日

島田裕巳著「日本の10大新宗教」(幻冬舎新書)を読んでいます。

 

著者は、例のオウム事件でミソを付けて大学教授の職を失い、その後、紆余曲折があったようですが、最近、元の宗教学者として再び活躍されているようです。

 

まだ、途中なのですが、さすがにオウムは扱っていないようですね。天理教、大本教、生長の家、創価学会など、多くの資料・史料に当たって、わりと、公正中立に書かれていると思います。

 

著者は「はじめに」でこう言います。

「明治に入って、宗教という概念が欧米から導入され、神道と仏教とが二つの宗教に分離されたにもかかわらず、 日本人は、片方の宗教を選択できなかったため、自分たちを無宗教と考えるようになった。」

 

「そうだったなのかあー!」と思ってしまいました。そうでなければ、今の日本で、何千万人といる新宗教の信者を説明できませんからね。

もともと、日本人は、神仏習合で、神社にも仏閣にも区別なくお参りし、路傍のお地蔵さんにまで、手を合わせて「挨拶」する慈悲深い民族でした。それが、明治維新の革命政権が、「もう、おまえたちは、国家神道だけを信じろ」と言って、「廃仏毀釈」を断行しました。その一方で、庶民らは相変わらずお葬式だけは、仏式で挙行してきたわけで、感情的にどっちつかずになってしまったのは、致し方ないことかもしれません。

ただ、「無宗教」と考えながら、やはり、ご先祖さまの血から、神社に初詣に行ったり、葬式に参加したりするということは、現代人が思っているほど、日本人は無宗教ではないのかもしれません。

新宗教といえば、いつも、功罪の「罪」の方ばかり強調されてきましたが、ある程度の「功」がなければ、信者を獲得してこなかったでしょう。

 

私自身は、もう今さら特定の宗教団体に入るつもりはないのですが、安心立命を願う人々の気持ちはよく分かります。

でも、この本を読んで、失礼ながら、随分いい加減ないかがわしい宗教があるものだと分かりました。「鰯の頭も信心から」という諺があるくらいですから、他人がどうこう言う話ではないのですが、カラクリが分かってしまえば、団体に入会して「無我の境地」に達することは難しいということです。

「大本襲撃」

公開日時: 2007年11月16日

今、大宅賞作家の早瀬圭一著「大本襲撃」(毎日新聞社)を読んでいます。本の目利きになったせいか、私が選んだ本は何でも面白いです。まあ、そう自負しています。今回もそうでした。大当たりです。

 

当時一世を風靡した新興宗教の大本教(おおもと・きょう)の大弾圧という歴史的事件には、以前から興味はありましたが、適当な本が見当たりませんでした。この本は、入門書としては難しいかもしれませんが、歴史的事実をほぼ網羅されており、(巻末には裁判資料まであります)昭和史研究家、宗教研究家、メディア研究家、読書人には必読書であると確信しています。

大本教は、大正と昭和の二度に渡って、徹底的に壊滅され尽くされますが、第二次大本事件は昭和十一年十二月八日のことですから、わずか、七十一年前の出来事です。戦前の話ですが、先鋭の軍隊があり、日中戦線は拡大しつつあり、治安維持法があり、「国体護持」という大義名分があり、特高と呼ばれる警察組織もありました。今の時代では全く想像できない凄惨な事件だということがこの本を読んで分かりました。

大本教は、江戸天保年間生まれの出口なおが、貧窮のどん底の中、明治25年、55歳の時、突然、何の前触れもなく神に取り付かれます。(「帰神」と呼ばれます)ろくに学校に行けず、読み書きもできなかったなおが、やがて、神のお告げを半紙に文字で書き連ねる(「筆先」と呼ばれます)ようになり、噂を聞きつけた上田喜三郎(後の出口王仁三郎=でぐち・おにさぶろう)が理論付けをして、宗教運動が始まります。

時の権力者は、大本教は、天皇制を否定し、国家転覆を図る邪教として、不敬罪、治安維持法違反、新聞紙法違反などの容疑で徹底的に弾圧します。特に特高による大本教信者に対する拷問は凄まじく、正岡子規の高弟で子規十哲の一人、岩田久太郎は獄死、王仁三郎の女婿の出口日出麿(ひでまる)は、精神に異常を来たし廃人になってしまいます。

当時の拷問がどれくらい凄まじかったのか、著者の早瀬氏は、作家の江口渙氏らの回想録などを引用し、昭和の8年の作家小林多喜二の例を挙げています。(引用は換骨奪胎)

東京の築地警察署の道場のような広い部屋に引き立てられた小林多喜二。刑事らは「おまえは共産党員だろう」と畳み掛けると、小林は「そうではない」と毅然と答えた。その態度に激高した水谷特高主任ら5人はそれから約4時間に渡って桜のステッキや野球のバットで小林を殴りつけ、金具が付いた靴で滅茶苦茶に踏みつけた。それでも、小林が黙秘していると、さらに首と両手を細引で締め上げた。やがて、小林は気絶し、留置場へ放り込まれた。間もなく寒気で意識を取り戻した小林は「便所へ行きたい」と訴えた。便所では肛門と尿道から血が吹き出して、辺り一面は真っ赤に染まり、しばらくして息絶えた。

多喜二、29歳。杉並区の自宅に帰った遺体から包帯をほどくと、目をそむけたくなるような無残な状態である。首にはぐるりと一巻き深く細引の跡が食い込んでいた。余程の力で締めたらしく、くっきりと細い溝がでい、皮下出血が赤黒い無残な線を引いていた。左右の手首にも同様丸く縄の跡が食い込み、血が生々しく滲んでいた。このほか、多喜二の睾丸もつぶされていた。

(続く)

宗教と政治

 宇登呂

 

某地方新聞が、ある宗教団体の「教祖」の英雄的履歴を詳述した記事を掲載していましたが、実は、その記事は、その宗教団体が掲載費用を負担していることが分かりました。つまりは、広告だったのですが、まるで読み物記事のように仕立てた偽造記事だったわけです。新聞業界では、それらは「パック記事」と呼ばれているそうです。新聞の半分は広告ですから、こんな便利なシステムはありません。

 

日本では建前上は、「政教分離」がお題目として、表明されていますが、かなりの政治家が特定の宗教団体と密接な関係を持っていることは、自明の理となっています。石原慎太郎都知事と霊友会との関係も、本人が著書で明らかにしているほどです。

 

今日の新聞でも、宗教団体が参院選比例区で推薦した当選者の名簿が載っていました。

自民・川口順子氏(立正佼成会など新日本宗教団体連合会)

民主・尾辻秀久氏(佛所護念会教団)

自民・衛藤晟一氏(日本会議加盟の宗教団体など)

民主・ツルネン・マルティ氏(世界救世教いづのめ教団)

民主・藤谷光信氏(浄土真宗本願寺派)

…………

 

政治家の発言の裏と動機には、宗教団体と何か関係があるのか、有権者はウオッチしてこそ、初めて自分の票に責任を持つことになると思います。

 

「『狂い』のすすめ」

ローマ

ひろさちや氏の「『狂い』のすすめ」を面白く読んでいます。言い方は悪いのですが、「天下の暴論」と言っていいでしょう。悪い意味で使っていませんが、大袈裟に言えば、これまでの常識や定説をひっくり返すコペルニクス的転回です。

とにかく「世間を信用するな」「常識を疑え」と奨めているのです。

何しろ「人生に意味なんかありはしない。だから、生き甲斐だの、目的意識を持つな」と言うのです。

「自分を弱者だと自覚して、自由に孤独を生きよ」と促します。

どこか坂口安吾の「堕落論」に通じるところがあります。

筆者は若い時に最も影響を受けたサマーセット・モームの「人間の絆」から引用します。

「人は生まれ、苦しみ、そして死ぬ。人生の意味など、そんなものは何もない。そして人間の一生もまた、何の役に立たないのだ。彼が生まれて来ようと、来なかろうと、生きていようと、死んでしまおうと、そんなことは一切影響もない。生も無意味、死もまた無意味なのだ」

もちろん、これを聞いて、虚無主義に陥る人もいるでしょうが、「人間の絆」の主人公フィリップはその正反対で、自己を解放されるのです。

「今こそ責任の最後の重荷が、取り除かれたような気がした。そして、はじめて、完全な自由を感じたのだった。彼の存在の無意味さが、かえって一種の力に変わった。そして今までは、迫害されてばかりいるように思った冷酷な運命と、今や突然、対等の立場に立ったとような気がしてきた。というのは、一度人生が無意味と決まれば、世界はその冷酷さを奪われたも同然だったからだ」

現在、順風満帆な人生を送っている人には、何の効果もない言葉でしょうが、逆境に晒されている人にとって、これ程心強い哲学思想はありません。

私も大いに救われました。

福音

体がとにかく冷えているようです。温めるようにしてください。恐らく心が冷えきっているからでしょう。しかし、めげてはいけません。

あなたは、今の社会では 生きるのがとても 生き辛いタイプでもあります。でも 諦めないでください。今は変化の時代なのです。今まで 本当に頑張ってきましたね。でも、もう 未来は絶対大丈夫です。あなたは本当の事をする人です。すごく「気」を取り入れやすい体質です。あなたには 強力な後楯が必要なようです。 風をもって働き、風のようにあらゆる面にも 進み行くことができますが、 必ず強力な背景がなくてはなりません。自己の信じるところに突貫主義の使命を守り、強情と自尊心を反省しつつ進めば 世人の引き立てにて 思わぬ幸運をつかみます。それが使命なのです。

ローマ

あなたは、とても素直な人だ分かって、驚きました。 あなたの気性とは「 性はげしく 勇 つねに充満し善にも悪にも強い。 常に不平不満を帯びて 怒気内心に溢れるがごとき相を備へるのが常でありますが、義心強く 頑固一徹の風自ずと表に現れる。我が儘勝手な風強く、高慢と意地の強きために、損する事しばしばありますが、悪意をもって人を落とし入れようとする小細工などはできません。勇と智が強くて 仁 (和)が少ないのがミタマさんのタイプです」。だから、あなはいかにも人間関係を円満にするのが苦手かわかります。成就する為には協力者がいかに大切かがわかります。風のタイプだから、強力な後楯がないと消えてしまうのです。だから不安なのです。

あなたには伝える使命を必ず果たせます!! 本を書くかも知れません。 今 どんなに辛いかわかります。 先が見えない感覚は 自信を持つのも苦しいでしょうが、魂は向かってるはずなのですら。光りに向かっています。あなたは何処までも信じているので、 生きているのだと思います。何処までも、信じているから諦めきれないのだと思います。

謎の慈善団体

ヴァチカン博物館

1月にテレビ、新聞、週刊誌等で全面的に広告を展開していたアメリカのフロリダ州に本部を置く慈善団体がありました。有名歌手やプロ野球監督らを広告塔に使い、広告費総額は10億円と言われます。私は、テレビの広告は見ていないのですが、新聞の全面広告を何紙かで見ました。「何だろう?随分、お金をかけているなあ」というのが、第一印象です。

ただ、住所と名前を通知すれば、無料で書籍が送ってくる、ということで、私も早速、試してみました。本来ですと、私はこういうことは滅多にしないのですが、興味本位と、ブログに書いてしまおうという魂胆があったためです。

かなり時間が経って、恐らく、1ヶ月経って、小誌が送られて来ました。週刊誌等の報道によると、この慈善団体の創立は1955年で、創始者は、競馬のノミ屋から保険会社を興して財をなした人で、1978年に53歳で亡くなっています。彼の妻が財団を継ぎ、その資産は600億円あるといわれます。

キリスト教プロテスタント福音派の支援者で、進化論を否定し、妊娠中絶や喫煙、同性愛などを強硬に反対しているということですが、財団の入会者は、秘密保持契約のサインをすることが規則になっているので、財団の実態については秘密のヴェールに包まれています。

いくら資産が600億円ある、といっても使うだけでは、すぐなくなってしまうでしょう。米国では1993年に初めて中絶禁止のCMを放送し、1998年から99年にかけての半年間で、キャンペーンのために33億円がメディア戦略費として使われたといいます。広告費に年間60億円も使えば、10年でなくなってしまいます。何らかのインカム(収入)があるはずですが、謎です。

「勧誘などはしていないので、カルトではない」という識者談話もあります。

早速、送られてきた小誌を読んでみましたが、神の子イエス・キリストを信仰することによって、奇蹟が生じ、心の平安を勝ち得た様々な事柄が書かれていました。日本ではキリスト教徒は人口の1%以下と言われていますが、この本に感銘を受けて、信仰の道に入る人もいるかもしれません。

何十万部印刷したのか、何百万部印刷したのか、分かりませんが、この謎の慈善団体の目的はさっぱり分かりません。豊富な資産を惜しげもなく投入しての伝道活動が目的なのかもしれません。最後には、進化論を否定し、中絶や喫煙や同性愛を否定する運動家を作ろうとしているのでしょうか。

あ、もしかして、物好きな暇人にブログに書かせるのが目的ではないかと、今、気が付きました。

遅かりし、蔵之助

困った問題ーカルト集団「顕正会」

ヴェニス

公開日時: 2006年11月22日 @ 16:05

友人のT君が、変な新興宗教集団に入信してしまいました。心の隙をつかれて、しつこい勧誘に根負けしていつのまにか洗脳されて、入信書にサインしてしまったようです。

そもそもT君は、塾の講師の職を求めて、面接に行っただけでした。それが、奴らの隠れ蓑だったのです。団体本部に連れて行かれ、まるで、暴力団事務所のようなところで、心理的圧迫を加えられて、入信させられたのです。塾という教育機関の背後に、如何わしいカルト集団があるなどと、誰が想像がつくでしょうか。

特に、T君は普段、テレビも新聞も見ない「世間知らず」の人間なのです。そのカルト集団が、度重なる恐喝まがいの勧誘と傷害事件や、多額のお金を寄付させて信者を自殺に追い込む事件などを起こして新聞沙汰になっていることを彼は知らなかったようです。

はっきり書きます。

その塾は、さいたま市大宮区にある「フェニックスアカデミー」です。

カルト集団は、その、さいたま市大宮区に本部を置く「顕正会」です。もちろん北海道などを除く全国津々浦々に「支部」があります。公称会員は100万人ですが、実態はその1割も満たないと言われています。

カルト集団と呼ぶのも「顕正会被害者の会」のホームページのアドレス

http://www.higaisyanokai.jp/

を見てください。higaisyanokai(被害者の会)で通用するのですよ。世の中に数多のカルト集団がある中、higaisyanokaiのアドレスだけで、通用するとは、その被害の多さと大きさが容易に想像できるのではないでしょうか。

彼らは、まず「あなたの幸せを願っています」とか何とか甘い言葉で近づいてきます。そのうち「敵が日本を攻めてくる」など、「入信しなければ、地獄に落ちる」など「あなたは破滅する」など、「前世の報いがある」など様々な手を使って、人の不安心理に追い込んでいきます。

信者に対する強制的な寄付と会合出席によって、職場をやめざるをえなかったり、家庭が崩壊したりする事例は、枚挙に暇がありません。

それにしても、学歴のある分別のある大の大人がコロリと騙されてしまうものなのですね。

T君はとても純粋な人なので、断りきれなかったのでしょう。

人の弱みに付け込む悪徳集団には、本当に憤りを感じています。私は断固として戦います。

「国家と宗教」

ミラノ

 

保坂俊司著「国家と宗教」(光文社新書)を読みました。

この本は、タイトル通り、「国家」と「宗教」という壮大なテーマを比較宗教学などを駆使して歴史的に分析しています。門外漢にも分かりやすく、「キリスト教と政治」「仏教と政治」など四つの章に分けて解説され、とても深い省察と考えるヒントを与えてくれてくれました。

 

 著者の保坂俊司氏は、「インド仏教はなぜ亡んだのか」などの著作がある麗澤大学教授で専攻はインド思想です。彼は、キリスト教、イスラム教、仏教などを比較し、非暴力を唱える仏教の持つ思想が、21世紀の世界に不可欠な思想である、と力説しているのです。なぜなら「仏教のみが世界宗教の中で、武力を伴わずに世界に平和裡に伝播された宗教だから」ということが根拠になっています。

 

そして「宗教の違いで互いに争い合う現状において、それを緩和する発想として縁起や空の思想を政治哲学や社会哲学として展開することは、大いに意味のあることである」と、政治理念としての仏教の重要性を強調しています。しかも、その理念を世界に広めるのに「最適なのが日本人である」とまで言っているのです。

 

 ここまで、政治と宗教の密接な関係に踏み込んで論陣を張った著作を読んだのは初めてです。著者は、戦後教育を受けた現代日本人は、宗教と政治は分離しなければならないという「政教分離原理主義」思想に神経質なほど凝り固まっている。しかし、世界を見渡すと、例えばイスラム世界では、政教一元の政治思想が大原則であり、イスラム的政治制度を国教として導入している国は国連加盟国中の20%にもなるというのです。

 

米国でも、「政教分離主義」が原則です。しかし、これは、政府や公権力が特定の宗教や宗派を優遇しないという意味で、政府などが宗教に一切関わらないという意味ではないのです。

だから、「選ばれた民の意思は神の意思」といったキリスト教的思想が広く形成され、ブッシュ大統領の「アメリカの戦いは正義の戦い」などという発言がごく普通に発せられるというのです。

つまり「十字軍」の歴史感覚が現代でもまかり通っているわけです。そもそも、日本人も60年少し前までは、自らの国を「現御神(あきつみかみ=天皇)が治める神の国」と称して、宗教と国家の結びつきを疑う人がどれほどいたでしょうか、と著者は疑問を投げ掛けています。

 

日本の明治新政府が廃物毀釈を断行し、国家神道を主軸に据えた背景に「土着のものが優れ、外来のものが劣る」という思考があり、仏教を排除してヒンドゥー教を第一としたインドの「廃仏思想」に通じると、著者は喝破しています。

 

日本では、本地垂迹説が自然と受け入れらて、神仏習合していた奈良から江戸時代にかけての方が、明治以降より、戦争が少なかったという著者の指摘にも思わず、うならされました。

 

明治以降の戦争で、国家神道が日本の宗教として利用されて、死さえ恐れさせない狂信的な若者たちを生み出してきたことは、現在、イラクやアフガニスタンやニューヨークやロンドンなどで自爆テロを敢行して死さえ恐れず、むしろ英雄視される風潮と宗教観に相通じるのではないか、と考える人間は私だけではないと思います。