今は昔、元首相邸は大使館に近衛歩兵第3連隊はTBSに

平林寺前「たけ山」うどんランチ1000円

 竹内正浩著「『家系図』と『お屋敷』で読み解く歴代総理大臣 明治・大正篇」(実業之日本社)を読了しました。明治大正の歴代首相や有力者、元老らが住んでいたお屋敷などが、今、どうなっているのかも書かれていましたので、備忘録として列記しておきたいと存じます。(順不同で全て現在の東京都内の話に絞り、既に知っていることは省略=笑)

 ・麹町区永田町(千代田区永田町)西郷従道(隆盛実弟、陸軍中将、海軍大将)邸⇒(中略)国会議事堂

 ・早稲田・彦根井伊藩下屋敷⇒東京専門学校(早稲田大学キャンパス)

 ・築地・旗本戸川安宅(やすいえ)邸⇒大隈重信(肥前藩士、首相、侯爵)邸⇒(中略)料亭「新喜楽」(芥川・直木賞選考会場)

 ・築地・海軍大学校⇒(中略)築地市場(豊洲に移転しても健在)

 ・京橋区木挽町(中央区銀座8丁目)逓信大臣官邸⇒(中略)銀座中学校

 ・麻布区桜田町(港区元麻布)後藤新平(満鉄総裁、東京市長など歴任)邸⇒満洲国大使館⇒中華民国大使館⇒中華人民共和国大使館

 ・麹町区下二番町(千代田区二番町)加藤高明(尾張藩士族、帝大首席卒業、首相。岩崎弥太郎の長女と結婚し、「三菱の大番頭」の異名、伯爵)邸⇒ベルギー大使館

 ・神田一ツ橋(千代田区一ツ橋)文部省⇒(中略)毎日新聞社東京本社

 ・赤坂区一ツ木町(港区赤坂)近衛歩兵第3連隊⇒(中略)TBS、赤坂パークビル

 ・内山下町(千代田区内幸町)鹿鳴館⇒華族会館⇒(中略)日比谷Uー1ビル

【その他の逸話】

・戦前、霞が関といえば、海軍省があった海軍のことを指していた。陸軍は三宅坂と言ったように。戦後は、霞が関といえば中央官庁の別称となり、三宅坂は、本部があった社会党を指すことがあった。

・頭が大きかった桂太郎(長州藩士、陸軍次官、台湾総督、内大臣、首相、公爵)の脳は1600グラムもあった。一方、夏目漱石は1425グラム。

・三菱合資会社地所部(現三菱地所)が開発した駒込の六義園(旧・柳沢吉保別邸)近くの高級住宅地「大和郷(むら)」の初代名誉村長は若槻禮次郎(松江藩士族、帝大首席卒業、憲政会、首相、男爵)、村長は俵孫一(北海道庁長官などを歴任した内務官僚。浜口雄幸内閣商工大臣。政治評論家俵孝太郎の祖父)だった。

「東京人」が「明治を支えた幕臣・賊軍人士たち」を特集してます

今年は「明治150年」。今秋、安倍晋三首相は、盛大な記念式典を行う予定のようですが、反骨精神の小生としましては、「いかがなものか」と冷ややかな目で見ております。

逆賊、賊軍と罵られた会津や親藩の立場はどうなのか?

そういえば、安倍首相のご先祖は、勝った官軍長州藩出身。今から50年前の「明治100年」記念式典を主催した佐藤栄作首相も長州出身。単なる偶然と思いたいところですが、明治維新からわずか150年。いまだに「薩長史観」が跋扈していることは否定できないでしょう。

薩長史観曰く、江戸幕府は無能で無知だった。碌な人材がいなかった。徳川政権が世の中を悪くした。身分制度の封建主義と差別主義で民百姓に圧政を強いた…等々。

確かにそういった面はなきにしもあらずでしょう。

しかし、江戸時代を「悪の権化」のように全面否定することは間違っています。

それでは、うまく、薩長史観にのせられたことになりまする。

そんな折、月刊誌「東京人」(都市出版)2月号が「明治を支えた幕臣・賊軍人士たち」を特集しているので、むさぼるように読んでいます(笑)。

表紙の写真に登場している渋沢栄一、福沢諭吉、勝海舟、後藤新平、高橋是清、由利公正らはいずれも、薩長以外の幕臣・賊軍に所属した藩の出身者で、彼らがいなければ、新政府といえども何もできなかったはず。何が藩閥政治ですか。

特集の中の座談会「明治政府も偉かったけど、幕府も捨てたものではない」はタイトルが素晴らしく良いのに、内容に見合ったものがないのが残念。出席者の顔ぶれがそうさせたのか?

しかし、明治で活躍した賊軍人士を「政治家・官僚」「経済・実業」「ジャーナリズム」「思想・学問」と分かりやすく分類してくれているので、実に面白く、「へーそうだったのかあ」という史実を教えてくれます。

三菱の岩崎は土佐藩出身なので、財閥はみんな新政府から優遇されていたと思っておりましたが、江戸時代から続く住友も古河も三井も結構、新政府のご機嫌を損ねないようかなり苦労したようですね。三井物産と今の日本経済新聞の元(中外商業新報)をつくった益田孝は佐渡藩(天領)出身。

生涯で500社以上の株式会社を起業したと言われる渋沢栄一は武蔵国岡部藩出身。どういうわけか、後に最後の将軍となる一橋慶喜に取り立てられて、幕臣になります。この人、確か関係した女性の数や子どもの数も半端でなく、スケールの大きさでは金田一、じゃなかった近代一じゃないでしょうか。

色んな人を全て取り上げられないのが残念ですが、例えば、ハヤシライスの語源になったという説が有力な早矢仕有的は美濃国岩村藩出身。洋書や文具や衣服などの舶来品を扱う商社「丸善」を創業した人として有名ですが、横浜正金銀行(東京銀行から今の三菱東京UFJ銀行)の設立者の一人だったとは知りませんでしたね。

日本橋の「西川」(今の西川ふとん)は、初代西川仁右衛門が元和元年(1615年)に、畳表や蚊帳を商う支店として開業します。江戸は城や武家屋敷が普請の真っ最中だったため、大繁盛したとか。本店は、近江八幡です。いわゆるひとつの近江商人ですね。

田中吉政のこと

話は全く勝手に飛びまくりますが(笑)、近江八幡の城下町を初めて築いたのは、豊臣秀吉の甥で後に関白になる豊臣秀次です。

秀吉は当初、秀次を跡継ぎにする予定でしたが、淀君が秀頼を産んだため、秀次は疎まれて、不実の罪を被せられ高野山で切腹を命じられます。

まあ、それは後の話として、実際に近江八幡の城下町建設を任されたのが、豊臣秀次の一番の宿老と言われた田中吉政でした。八幡城主秀次は、京都聚楽第にいることが多かったためです。

田中吉政は、近江長浜の出身で、もともとは、浅井長政の重臣宮部継潤(けいじゅん)の家臣でした。しかし、宮部が秀吉によって、浅井の小谷城攻略のために寝返らせられたため、それで、田中吉政も秀吉の家臣となり、秀次の一番の家臣になるわけです。

それが、「秀次事件」で、秀次が切腹させられてからは、田中吉政は、天下人秀吉に反感を持つようになり、秀吉死後の関ヶ原の戦いでは、徳川家康方につくわけですね。山内一豊蜂須賀小六といった秀吉子飼いの同郷の家臣たちも秀次派だったために秀吉から離れていきます。

 田中吉政は、関ヶ原では東軍側について、最後は、逃げ落ち延びようとする西軍大将の石田三成を捕縛する大功績を挙げて、家康から久留米32万石を与えられます。
 そうなのです。私の先祖は久留米藩出身なので、個人的に大変、田中吉政に興味があったのですが、近江出身で、近江八幡の城下町をつくった人だったことを最近知り驚いてしまったわけです。
 明治に活躍したジャーナリストの成島柳北(幕臣)らのことも書こうとしたのに、話が別方向に行ってしましました(笑)。
 また、次回書きますか。

 

「幕末 維新の暗号」

加治将一著「幕末 維新の暗号」(祥伝社)を一気に2日で読了しました。神田の神保町の三省堂書店で「売り上げ第2位」ということで、手に取ってみたら、驚きの連続。

古ぼけた幕末の頃の写真に写っているのは、何と、坂本竜馬、西郷隆盛、桂小五郎、岩倉具視、高杉晋作、伊藤博文、勝海舟、大久保利通…といった幕末維新で活躍する超一級の面々。まず「ありえない!」というのが正直の感想で、この集合写真(中央に鎮座する外国人宣教師の名前を取って「フルベッキ写真」というらしい)はなぜ撮られたのか、そもそも、後世の人間にはほとんど知られることはなく闇に葬られたのは、何か理由があるのかー?など、次々と疑問が押し寄せてきて、迷うことなく、購入していました。

もし、これから、この本を読んでみようという人は、この先は読まない方がいいかもしれませんよ。何しろ、話は、サスペンスかミステリー仕立てで進んでいくからです。種明かしを先に読んでしまうことになります。

この話がどこまで本当かどうか、わかりませんが、もし真実なら、日本の歴史というか近代史を根底から書き直さなければなりません。歴史のタブーに挑戦したため、この本の中で、真相を知った研究者が次々と殺されていきます。

もう、最初にこの本の筋の要を書いてしまいますよ。

何と、明治天皇がすげ替わっていた!というのです。本来なら、北朝系統の孝明天皇の実子である睦仁親王が皇位を継承するはずだったのが、明治維新を遂行した「元勲」連中によって、本物の睦仁親王は暗殺され、南朝の血を引く大室寅之祐という長州の若武者が、明治天皇の座に収まったというのです。この集合写真は、その秘密を知る連中の証拠写真のようなもの、ということになります。キーパーソンは、横井小楠です。

まさに、荒唐無稽、驚天動地、俄かに信じがたい話です。しかし、読み始めると止まらなくなりますが、作者の取材力がものをいうせいか、「もしかしたら」と思わせてしまうのです。集合写真の中の人物と、一般に出回っている写真を比較したものが、何点が掲載されていますが、どう見ても、大隈重信は、本人に見えるし、坂本竜馬にしても似ていないことはない。「うーん、何か、隠されている」と思わざるをえなくなってしまうのです。

いずれにせよ、我々は、明治維新を評価しすぎています。坂本竜馬も大久保利通も皆々、「悪しき」徳川幕府を倒したヒーローです。しかし、彼らは、そこまで、偉大だったかどうか。後世の歴史家や小説家が書いた受けおりだけなのかもしれないのです。革命を起こして権力の座に収まった連中が、自分たちに都合の悪い資料や証拠は抹殺します。よくある話です。佐賀の乱を起こした(と言われる)江藤新平の扱いが象徴的な話です。

作者は、フリーメイソンの内幕を暴いた「石の扉」を書いており、私も随分、衝撃を持って読んだものです。しかし、この本では、加治氏は、読者の「また、陰謀説か」といった反駁を警戒して、わざと相対する早稲田大学の教授らを登場させて、陰謀説を徹底的に否定して、中和させています。

つまり、フィクションの形にして、真実を織り込もうとしたのです。

私も、坂本竜馬や勝海舟らが偉いと思ったのも、司馬遼太郎や子母澤寛らの小説を読んだからです。

しかし、最近では、この本のような「見直し」が出てくると、物事は複眼的に見なければならない、と思ったりするのです。