英語は普遍的、中国語は宇宙的、日本語は言霊的

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 昨晩は、中部北陸地方にお住まいのT氏と久しぶりに長電話しました。T氏は、学生時代の畏友ですが、十数年か、数十年か、音信不通になった時期があり、小生があらゆる手段を講じて捜索して数年前にやっとメールでの交際が再開した人です。

 彼は、突然、一方的に電話番号もアドレスも変えてしまったので、連絡の取りようがありませんでした。そのような仕打ちに対しての失望感と、自分が悪事を働いたのではないかという加害妄想と自己嫌悪と人間不信などについて、今日は書くつもりはありません。今日は、「空白期間」に彼がどんな生活を送って何を考えていたのか、長電話でほんの少し垣間見ることができたことを綴ってみたいと思います。

 T氏は、数年前まで、何年間か、恐らく10年近く、中国大陸に渡って、大学の日本語講師(教授待遇)をやっていたようです。日本で知り合った中国人の教授からスカウトされたといいます。彼は、私と同じ大学でフランス語を勉強していて、中国語はズブの素人でしたが、私生活で色々とあり、心機一転、ゼロからのやり直しのスタートということで決意したそうです。

 彼の中国語は、今でこそ中国人から「貴方は中国人かと思っていた」と言われるほど、完璧にマスターしましたが、最初は全くチンプンカンプンで、意味が分かってもさっぱり真意がつかめなかったといいます。それが、中国に渡って1年ぐらいして、街の商店街を一人で歩いていると、店の人から、日本語に直訳すると「おまえは何が欲しいんだ」と声を掛けられたそうです。その時、彼は「サービス業に従事する人間が客に対して、何という物の言い方をするんだ」とムッとしたそうです。「日本なら、いらっしゃいませ、が普通だろう」。

 しかし、中国語という言語そのものがそういう特質を持っていることに、後で、ハッと気が付き、それがきっかけで中国語の表現や語用が霧が晴れるようにすっかり分かったというのです。もちろん、中国語にも「いらっしゃいませ」に相当する表現法はありますが、客に対して「お前さんには何が必要だ」などと店員が普通に言うのは、日本では考えられません。しかし、そういう表現の仕方は、中国ではぶっきらぼうでも尊大でもなく、普通の言い回しで、「お前は何が欲しいんだ」という中国語が、日本語の「いらっしゃいませ」と同じ意味だということに彼は気づいたわけです。

 考えてみれば、日本語ほど、上下関係に厳しく、丁寧語、敬語などは外国人には習得が最も困難でしょう。しかも、ストレートな表現が少なく、言外の象徴的なニュアンスが含まれたりします。外国人には「惻隠の情」とか「情状酌量」とか「忖度」などという言葉はさっぱり分からないでしょう。

 例えば、彼は先生ですが、学生から「先生の授業には実に感心した」といった文面を送って来る者がいたそうです。それに対して、彼は「日本語では、先生に対して、『感心した』という表現は使わないし、使ってはいけない」と丁寧に説明するそうです。また、食事の席で、学生から、直訳すると「先生、この食事はうまいだろ」などとストレートに聞いてくるそうです。日本なら、先生に対して、そんな即物的なものの言い方はしない、せめて「いかがですか?」と遠回しに表現する、と彼は言います。

 そこで、彼が悟ったのは、中国語とはコスミック、つまり「宇宙的な言語」だということでした。これには多少説明がいりますが、とにかく、人間を超えた、寛容性すら超えた言語、何でも飲み込んでしまう蟒蛇(うわばみ)のような言語なのだ、という程度でご理解して頂き、次に進みます。

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 一方、英語にしろフランス語やドイツ語にしろ、欧米の言語はユニバーサル(普遍)だと彼は言います。英語は記号に過ぎないというのです。もっと言えば、方便に過ぎないのです。これに対して、日本語は「言霊」であり、言語に生命が込められているといいます。軽く説明しましょう。

 福沢諭吉が幕末に文久遣欧使節の一員として英国の議会を視察した時、昼間は取っ組み合いの喧嘩をしかねいほどの勢いで議論をしていた議員たちが、夜になって使節団との懇親会に参加すると、昼間の敵同士が、まるで旧友のように心の底から和気藹々となって会話を楽しんでいる様子を見て衝撃を受けたことが、「福翁自伝」に書かれています。

 それで、T氏が悟ったのが、英語は記号に過ぎないということでした。英語圏ではディベートが盛んですが、とにかく、相手を言い負かすことが言語の本質となります。となると、ディベートでは、AとBの相手が代わってもいいのです。英語という言語が方便に過ぎないのなら、いつでも I love you.などと軽く、簡単に言えるのです。日本語では、そういつも簡単に「愛しています」などと軽く言えませんよね。日本語ではそれを言ってしまったら、命をかけてでもあなたを守り、財産の全てを引き渡す覚悟でもなければ言えないわけです(笑)。

 欧州語が「記号」に過ぎず、相手を言い負かす言語なのは何故かというと、T氏の考えでは、古代ギリシャに遡り、ギリシャでは土地が少なかったので、土地に関する訴訟が異様に多かったからだそうです。そのお蔭で、訴訟相手に勝つために色んなレトリックなども使って、表現法や語用が発達したため、そのようになったのではないか、というのです。

 なるほど、一理ありますね。フランスには「明晰ではないものはフランス語ではない」という有名な格言があります。つまり、相手に付け入るスキを与えてはいけない、ということになりますね。だから接続法半過去のような日本人には到底理解できない文法を生み出すのです。日本語のような曖昧性がないのです。言語が相手をやり込める手段だとしたら。

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 一方、日本語で曖昧な、遠回しな表現が多いということは、もし、直接的な言辞を使うと、「それを言っちゃあ、おしめえよ」と寅さんのようになってしまうことになるからです。

 ところで、幕末には、尊王攘夷派と開国派と分かれて、激しい殺し合いがありました。その中でも、西洋の文化を逸早く学んだ開明的な洋学者だった佐久間象山や大村益次郎らは次々と暗殺されます。洋学者の直接的な言葉が攘夷派を刺激したのでしょう。適塾などで学び欧米文明を吸収していた福沢諭吉も、自分の生命が狙われていることを察知して、騒動が収まるまで地元の中津藩に密かに隠れ住んだりします。

 それだけ、日本語は、実存的で、肉体的な言語で、魂が込められており、「武士に二言はなし」ではありませんが、それだけ言葉には命を懸けた重みがあるというわけです。そのため、中国語や欧米語のように軽く言えない言葉が日本語には実に多い、とT氏は言うのです。

 繰り返しますと、英語は、何でも軽く言える記号のような言語で普遍的、中国語は、寛容性を超えあらゆるものを飲み込む宇宙的、そして、日本語は命を張った言語で言霊的、ということになります。その流れで、現在の言語学は、文法論より、語用論の方が盛んなんだそうです。

 以上、T氏の説ですが、それを聞いて私も非常に感銘し、昨晩は久しぶりに味わった知的興奮であまり眠れませんでした。

欧米語と日本語における比較対照に関する言語学的考察

東京・銀座

昨日、rightは、「右」と「正しい」という二つのまるで違う意味を持つ、と書きながら、英米人はrightと言った時、「正しい右」と考えながら言うものなのかなあ、などと色々と考えてしまいました。

しかし、後でよくよく考えてみますと、話は単純で、全く考えていない、という結論に達しました。

例えば、日本語で考えますと、何でもいいですが、「小川」を例に挙げてみます。♪春の小川はサラサラいくよ♪の小川が本来の意味にしても、名前が小川さんの場合、川のことなどサラサラ考えません。小川さんの顔や声色、仕草などを思い浮かべることでしょう。

日本語には同音異義語が沢山ありますが、交錯しないようにうまく脳が処理してくれます。

ドイツ語で、小川はバッハですが、ドイツ人は偉大な音楽家と川と即座に区別するのと同じでしょう。

rightに関しては考え過ぎてしまいました。

◇濁音は不吉か?
ところで、にんどすさんからのコメントで、「何で、濁流斎になっただあぁぁぁ」との御下問が御座いました。

はい。これも深い理由がありまして、たまに「渓流斎」から「濁流斎」に変身することがあることを、どうか弁えくだされ(笑)。

これまた、言語学的考察ですが、日本語でネガティヴな意味を持つ言葉は、濁音が多いですね。濁流もまさしくそうですが、残酷、地獄、罵詈雑言、ぞんざい…。

それに比べて、やはり、渓流、清風、平安、恋愛、遊興…いいですね。ナイスですね。

欧米語のような表音文字は、言葉そのものを見ても意味を成しません。発音されて初めて意味を持ちます。例えば、フランス語の「たくさん」は、beaucoup ですが、このスペリングに意味を成さないので、英語のようにbocu と綴っても、発音さえしっかりしていれば、意味が通じるわけです。

だから、フランスでは、よく「言葉は意味の影に過ぎない」などと言われたりします。

逆に、日本語や中国語は表意文字ですから、発音されても、意味が良く分からないことがあります。漢字表記を見て初めて誤解していたことが分かったりします。

同音異義語が多いので、パソコンの変換間違いも多くなるわけです。

先日も、大手マスコミの記事の見出しで、政策投資銀行の略称を「政投銀」とすべきところを、「政党銀」と書いて大間違いしておりました。

ネットで記事を愛読されている京都にお住まいの私立探偵さんが発見しました。

我輩の辞書…

 

 

 

ナポレオンの言葉に、「 我輩の辞書に不可能という文字はない」という名文句があります。どなたでもご存知でしょう。

 

でも、英語で何と言うかご存知ですか?

 

The word  “impossible” was not in Napoleon’s (                    ).

 

といいます。さて、括弧の中に何が入るでしょうか。

辞書だから、dictionary ? ・・・実は、私もそう思いました。

 

でも、答えは、 vocabulary  なんですね。

 

「歴史的事実」なので、was より is の方が良さそうだと私自身思ったのですが、とにかく、

The word  “impossible” was not in Napoleon’s vocabulary.

というそうです。

でも、ナポレオンはフランス人。原文のフランス語では何というのですかね?

調べたら

 

Impossible n’est pas francais.

 

と言いました。直訳すると、

 

不可能はフランス的はない。

 

たったそれだけでした。随分、簡単なんですね。

 

ナポレオンが部下を叱咤激励した際、「フランス人ならできないことはない」という意味で使ったそうです。

 

フランスの諺に

Ce qui n’est pas clair n’est pas francais.

というものがあります。

明晰ではないものは、フランス語ではない。

という意味です。

 

英語は、発音にしても意味解釈にしても結構、曖昧なところがあります。が、フランス語は文法が少し厄介ですが、確かに明晰で、曖昧なところが少ない。「L」と「R 」の発音も全く違うので簡単に区別できます。

 

日本人にとって、英語よりフランス語の方が学習しやすく、身に着きやすいと私は思っています。

「デスパレートな妻たち」2

公開日時: 2008年5月6日 @ 10:54

昨日の「デスパレートの妻たち」には反応(コメント)があったので、意外でした。やはり、コアなファンの方がいらっしゃるんですね。

ですから、あまり悪口を書くと怒られてしまうでしょうけど、やはり、作り物のドラマだなあ、と思ってしまいました。いただけないのは、殺人事件です。話を面白くするために、そういうシーンが必要なんでしょうけど、好みじゃないですね。普段のニュースでたくさんです。ティーンエイジャーが麻薬を吸ったり、育児ノイローゼ気味の主婦が薬物中毒になるあたりは、リアリティがありましたが…。

でも、文句を言いながらも、見続けてしまうでしょうね。早速、昨日書いたawesome もあるシーンで出てきました。やはり、「恐ろしい」という意味では使われず、awesome news 素晴らしいニュースという意味で使われていました。

まだまだ、正直、字幕を見ないとスムーズに聞き取れず、たとえ聞き取れたとしても、意味が分からず苦戦しています。例えば、ground を動詞形に使うとどういう意味か分かりますか?

「外出禁止にする」という意味なのです。難しいcurfew なら知っているのに、簡単な単語のground を知らないなんて、恥ずかしい限りです。

恥ずかしいといえば、shame よりも  humiliating の方が多く使われていました。

それにしても、今のDVDはすごいですね。簡単に字幕が出てくるんですから。今の学生さんは恵まれていますね。ただし、昔の人より果たして賢くなったんでしょうかね?

米ドラマ「デスパレートな妻たち」

 八芳圓

公開日時: 2008年5月5日 @ 10:00

ちょっと、はまってしまいました。エミー賞も受賞したとかいう米国テレビドラマ「デスパレートな妻たち」http://www3.nhk.or.jp/kaigai/dh/about/index.htmlです。

よくご存知の方にとっては「何を今さら」と思われるかもしれませんが、その、何を今さら、です。

4月にお会いした通訳仲間の人が「DVDで見れば英語の勉強になります。これは、はまりますよ」と言われていたので、いつか見たいと思っていたのです。

レンタルDVDで見つけ、借りてみました。

いやあ、すっかりはまってしまいましたね。レンタル屋さんでは全11巻のシリーズが第3シリーズまでありましたが、結構借りられていました。第一弾は2004年に放送されたらしく、米国内で大反響で、大統領のスピーチでも引用されたとか。

目下、第1シリーズの第4巻まで一気に見てしまいました。最近、全くテレビドラマは見ていなかったので、新鮮な驚きがありました。

いわゆる中産階級より上の階級が住む、まあ高級住宅街が舞台です。いずれの家族にも何か問題や悩みを抱え、ある主婦が自殺するところから物語は始まります。夫婦の問題あり、子供の問題あり、嫁姑の争いあり、不倫や浮気もあり、殺人事件やミステリーもあり、「一体次に何が起きるのだろうか」とハラハラとした気持ちで見せられるので、やめられなくなってしまうのです。主役のスーザンを演じるテリー・ハッチャーがとても魅力的です。視点が女性なので、結構、女性も男性に対して積極的なんだなあ、とおかしくなります。

台詞もうまくできています。最後まで見ないと、わけが分からないので、このままでは、全部見てしまいそうです。1巻借りるのに300円ですから、全3シリーズ33巻見るとなると、9900円かあ、ああ…。

デスパレート desperate は、「絶望的な」という意味ですが、「必死の」「~したくてたまらない」という正反対な意味もあります。恐らく、ドラマではこの両方の意味をかけているのでしょう。ですから、ドラマのタイトルを「絶望的な妻たち」と訳してしまっては、やはり不正解なのでしょうね。何しろ自分が抱えている困難や問題からはいあがろうと必死になっている主婦たちが主人公なのですから。

このように、英語は、一つの表現で全く正反対な意味を持ってしまうから厄介です。

例えば、 as luck would have it というと、「運良く」という意味ですが、その反対に「運悪く」という意味もあるのです。どちらの意味で使っているのか、その場にならなきゃ分からないでしょう。

confidence は、「信頼」ですが、confidence man は、何と「詐欺師」です。

sophisticated を「洗練された」「高級な」といういい意味しか知らないと困ります。「世間ずれした」「すれっからしの」という意味で使われることもあるからです。

ditraction は普通「気晴らし」と使われますが、 「注意力散漫」と非難される意味でも使われます。

驚いたことに outrageous (無礼な、極悪な)や awesome (怖ろしい)は、悪い意味で使われるとばかり思っていたのですが、最近ではそれぞれ「素敵な」、「いい奴」で、正反対のいい意味で使われることが多いらしいですね。これらは、現地に行くか、日々新聞雑誌でチャックするしかないでしょう。

デスパレートから、話はちょっと脱線しました。

語学取得に近道なし

 

 

 

苫米地英人著「頭の回転が50倍速くなる脳の作り方」(フォレスト出版)を読んでみました。

資格試験、語学試験、就職試験、入学試験、昇格試験などに「短時間」「最速」で合格したり、目標を達成するテクニックを伝授しますーというのですから、読まずにいられませんでした。著者は1959年生まれで、米国のカーネギーメロン大学で博士号を取得した「ドクター」です。

 

それで、やはり、私見なのですが、「そんなものはない」ということを私自身が発見したということでしょうか。著者の思わせぶりな書き方で、できそうな錯覚にはなりますが、結局、その「科学的手法」についても、具体的にイメージさえ湧かないのです。要するに、残念ながら、著者は私のような読者を説得できていないんですね。あらゆる方向からの反論を予想して書いてくださいとまでは、言いませんが、その「科学的手法」の一歩手前の入り口で立ち往生させられたような読後感でした。

 

少し参考になったのは、頭を鍛えただけでは頭はよくならない。新しい脳をつくることが大切だという話です。例えば、語学なら、「古い」脳の中にインプットするのではなく、新しく「語学脳」を作ってしまい、そこに、朝から晩までDVDを原語で見て聴いて、叩き込んでしまう。そうすると、今まで何を言っているのか聞き取れなかったのに、ある日、フト、その語学がそのまま理解できるというのです。

よく「寝ながらにして」「聴くだけで」語学をマスターしてしまうというCDやテープを発売している広告を見ることがあります。私なんか、そんな簡単にできるかなあ、と思ってしまいます。語学修得にはやはり、毎日毎日、集中して愚直に、せっせと暗記するしかないんじゃないか、王道はないと自分の経験から思ってしまいます。苫米地氏は「丸暗記はダメ」と力説していますが…。

ただ新しく「語学脳」を作ってしまう、という「意見」には賛成です。私自身、学生時代にフランス語を専攻しましたが、当時は実験的な「クレディフ」という教育法で、学生に文字を見せず、スライドの映像を見せて、耳からフランス語を修得させるというやり方でした。細かい内容は忘れましたが、若いピエールとミレーユが出会い、色んなことに遭遇する話です。最初、二人は相手に対して Vous という他人行儀の言葉遣いでしたが、親しくなるうちに Tu という友人や恋人同士などが使う言葉に変化していく微妙な流れが分かるまでうまく作られていました。

 

その授業のクラスでは、学生は意味を取る前に赤ん坊のように口真似させられるだけです。どういうスペルになるのかも初めは見せません。文法も教えません。耳から、音からだけで、修得させるようにするのです。

大学生ともなると、生意気盛りですから、今さら赤ん坊のように口真似するのに抵抗感を持つ学友も多かったのですが、私自身はこのメソッドが一番良いと思います。おかげさまで、苫米地氏の言葉を借りれば、「フランス語脳」という基礎ができて、 ‘ Vous avez mal? ‘ (痛いですか?)とか ‘ Nous n’avons pas de la chance,  ce soir ‘(今晩はついてなかったなあ)といったフレーズは今でも忘れることがありません。

今、気付いたのですが、音は覚えているのですが、スペルについては自信がないんですよね。つまり、文字から入ってこなかったからです。これは、ネイティブと同じ語学取得法です。アメリカ人にしろ、フランス人にしろ、日本人から見て驚くほど、スペリングが苦手な人がいます。

 

翻って、日本語の場合は文字から入りますね。同音異義語が多いからです。ようこさん、と言っても「洋子」「陽子」「瑤子」「容子」「庸子」…と沢山いますから、「どういう漢字を書きますか?」と相手に聞き返します。

これが欧米語と日本語の大きな違いです。だから、日本人はなかなか語学をマスターできないのではないでしょうか。

Renee先生 

昨晩は、Renee Bennet先生を囲んで、銀座の北海道料理店で開かれた合格祝賀会に参加しました。全部で7人も参加しました。

集まった仲間は、先生から英語の面接試験対策でお世話になりました。

 

先生は、都内の高校で9年間、英語を教えていましたが、今年度で辞められて、夏には地元のオーストラリアに帰国するそうです。

 

今もセミプロの写真家として活動していますが、帰国して本格的なプロを目指すそうです。

今時、カラー作品ではない白黒の風景画を専門にしています。白黒の方が芸術性が高い作品が撮れるからだそうです。

もし、ご興味がある方は、以下のウエッブサイトにアクセスしてください。

http://www.senren.org/

語学仲間の皆さんは、修士号や博士号を持っていらしたり、会社の代表をなさっていたりして優秀な方ばかりでした。色々とご教授に預かり、刺激的な方たちばかりです。

皆さん、とても忙しい方々ばかりなので、そうめったに会えないでしょうが、また再会できたらと思っています。

語彙力アップのために

 

英語仲間のIさんから面白いサイトを紹介されました。

語彙力を伸ばすためのサイトです。どうやら国連が主催するサイトらしく、1問正解するごとに20粒のお米を飢餓に苦しむ人に寄付できる仕組みになっています。

皆さんも挑戦してみてください。はまりますよ。

日本人と西洋人の言語獲得の違い

 

 

 

昨晩は、「○○肩」で、腕が上がらないどころか、ひどい激痛と呼吸困難に襲われてしまいました。まあ、年ですね。皆さんも気をつけてください。

こんなブログをやっている暇はないのですが、長年書きたいなあと思っているテーマがあります。「言語獲得における日本と西洋の違い」というものです。

日本語は、同音異義語が沢山あります。例えば、「せいかく」と言っても「正確」「性格」「精確」「政客」…と色々あって、文脈が語法などによって、日本人なら簡単に聞き分けます。ですが、日本語は「音」より「形」の方が意味的に重要だということになります。つまり、日本語は表音文字というより象形文字だということです。

「とものすけ」にしても「朋之介」「友乃助」「共之輔」…と色々書き方があり、こう書き表すことによって全くの別人だということが、目で見て瞬時に判断することができます。

日本語が「音」より「形」を重視するということで、それは日本の伝統芸能に特徴が如実に現れています。つまり「所作」です。様式美を重んじる文楽、能、歌舞伎がそうです。茶の湯や生け花も特に流派として重視します。

武道もそうですね。柔道、剣道、合気道…、スポーツという競技の前に「芸の道」という精神的なものを基本的に重んじます。

翻って、西洋はどうでしょうか。英語にしろフランス語にしろ、「言葉の意味は音の影にすぎない」というどなたか偉い学者さんが唱えたことを思い出します。要するに、「形」、つまり「綴り」にはさして意味がないのです。WhyにしてもWhatにしても、本来、「ホワイ」とか「ホワット」と読めません。「ワフイ」か「ウハット」のはずです。どうしてそうなったのかというと、元々、中世の英語では、ちゃんと「Hwy」「Hwat」とHとWを逆に綴っていたそうなのです。

つまり、英国人は、Hが先だろうと、Wが先だろうと、「形」はどうでもいいのです。「音」さえ、確かならそれでいいのです。

私が敬愛するある英語講師が「ネイティブの上司に、righteousの綴りを聞かれ、答えたら、その上司から、自分は全く違うスペリングだと思っていたよ、と言われ驚いた」といったことを書いていました。その上司は相当なインテリだったからです。このことから、欧米人は、普段大して、「綴り」を意識していない、という仮説が引き出せます。

日本には、以前「綴り方教室」があったくらいですから、「綴り」に関してはかなり神経を使います。第一、漢字という象形文字を使わなければ、「性格」なのか「正確」なのか意味が通じません。

そこで「日本人と西洋人の言語獲得の違い」です。恐らく、西洋人は耳から言葉を覚えるのでしょうね。日本人も確かにそうなのですが、文字の形も覚えなければならないので、目もかなり使うのです。

最初に「年」のことを書きましたが、年のせいか、人の名前がすぐ出てこなくなりました。一生懸命思い出そうとしますが、名前が出てきません。それでいて、その人の顔がはっきり出てくるのです。

これはどういう意味なのでしょうか。顔という形やイメージの記憶は薄れていないということではないでしょうか?欧米人は逆ですね。まず、ライチャスの音は覚えていても、righteousという形やイメージは出てこないはずです。

西洋人は「音」を重視するからこそ、クラシックやジャズやベンチャーズといったインストルメンタルの曲が好きだったり、流行したりする。日本人ではとてもできないような曲を作る…。

そんなことを考えながら、お正月を過していました。この「論文」は完成するかどうか分かりませんが、真似しないでくださいね(笑)。

昨日、近くの「氷川女体神社」に初詣に行って、おみくじを引いたら、何と「大吉」でした!

そこには、こう書かれていました。

「今年は運勢がいい年です。若い頃の苦悩を乗り越えて、自分の思うとおりの運を開くことができるでしょう。これもすべて、親の恩によるものです。親孝行を忘れずにしてください」

驚きです!

英語は難しい 

 

 

 

中学・高校と6年間も勉強してきたのだから、「英語なんか…」と思っていると、どんでもない間違いをしてしまいます。

数年前ですが、doctor の動詞形が出てきて、名詞なら「医者」なので、「診療する」という意味かと思ったら、何と「ごまかす」とか「不正に変える」とか悪い意味なんですよね。(doctor the books=帳簿をごまかす)

このように、英語では、一つの単語や熟語で全く正反対の意味を持つものがあります。

例えば、sophisticated は、通常は「洗練された」とか「高級な」という意味なのですが、「世間ずれした」とか「すれっからし」のという意味があるのです。

outrageous になると「無礼な」「突飛な」「極悪な」という意味だと思ったら、最近「素敵な」とか「見事な」という方にも使われるのですよね。日本人として、ついていけません。

中学生でも誰でも知っている happy は「幸福」ですが、 happy hour は分かりますか?

「幸せな時間」?

直訳すれば、その通りなのですが、夕方の開店間際の2時間くらい、パブなどが飲み物をサービスしたり、割り引いたり、おつまみをただで出したりする時間帯のことを指すのです。

知っていた?

あ、失礼しました。

それでは、-happy はいかがですか?

1、rule-happy

2、 trigger-happy

3、 a money-happy person

とかよく使われます。

答えはコメントで。