山道を歩きながら考えた。兎角、英語は難しい=袖川裕美著「放送通訳の現場からー難語はこうして突破する」

 渓流斎ブログの今年1月10日付「『失敗談』から生まれた英語の指南書=袖川裕美著『放送通訳の現場からー難語はこうして突破する』」の続きです。

 昨晩、やっと読破することが出来ました。読破とはいっても、寄る年波によって、前半に書かれたことをもう忘れています(苦笑)。最低、3回は読まないと身に着かないと思いました。かなり難易度が高い上級英語です。英語塾を経営されている中村治氏には是非お勧めしたいです。

 何しろ、同時通訳英語ですから、市販の辞書にまだ掲載されていない最新用語が出てきます。後で調べて、例文も探してやっと分かったというフレーズも沢山出てきます。著者の袖川さんがその場で自身で考えた「本邦初訳」があったことも書いております。

 前回にも書きましたが、この本では、袖川さんが訳に詰まったり、聞き違いして誤訳したりしたことも正直に書かれています。勿論、うまくいった話も沢山ありますが、私なんか読んでいて「とても出来ない仕事だなあ」と正直思いました。私は、米国人でも、南部のテキサスやフロリダの英語は聴き取れなかったし、本場英国のコックニ―はさらにチンプンカンプン。セミナーを取材した際、マレーシア人らの英語はお手上げでしたからね。同時通訳者全員、尊敬します。

 これまた、前回にも少し書きましたが、英語は中学生レベルの単語を並べただけでも、全く複雑な意味になり、英語ほど難しい外国語はないと私は思っています。今回も具体例を御紹介しましょう。

 Hindsight is twenty-twenty,

答えを先に言ってしまいますが、これで「後知恵は完璧」「後からなら何とでも言える」となります。ことわざですが、急に言われたら分かるわけありませんよね?袖川さんも正直に書いてますが、最初 twenty-twenty は2020年のこと?それとも、catch-22(板挟み)のことか?と一瞬頭によぎったそうです。でも、それでは意味が通じなくなるので、「沈黙」した(尺=時間制限=があるので飛ばした)ことも正直に告白しています。

  でも、catch-22が出てくる当たり、さすが袖川さんです。これは、1961年にジョセフ・ヘラーが発表した小説のタイトルで、第2次世界大戦の米兵の「板挟み」が描かれています。1970年にマイク・ニコルズ監督によって映画化されましたが、私も池袋の文芸座でこの映画を観て、中学生ながら、この単語の意味を覚えました。

 肝心の twenty-twentyというのは、20フィート離れた所から、サイズ20の文字が識別できる正常な視力のことで、「正しい判断」という意味でも使うとのこと。 Hindsight は「後知恵」「後から考えたこと」ですから、「後から考えれば正しい判断ができる」といったような意味になるわけです。

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 この本では、in the room「部屋の中で」を使ったイディオムが二つ出てきました。elephant in the room とthe last person in the room です。 elephant in the room は「部屋にいる象」と私なんか聞こえてしまいます。これで、「見て見ぬふりをする」「触れてはいけない問題」となるそうです。象が部屋の中にいれば見えないわけがない。だから、見て見ぬふりをする?…うーん、分かるわけがない。本文に出てくる例文も、英国とEUとの通商交渉の話(BBC)で、Elephant is not in the room, but in the service, financial service.ですから、難易度が高過ぎる。

  the last person in the room は、「部屋にいる最後の人」ではなく、「その部屋で最も~しそうもない人」という否定的な意味だと高校時代から刷り込まれていた、と著者の袖川さんは言います。そしたら、バイデン米大統領が就任100日目を迎えるに当たって、ハリス副大統領がCNNのインタビューに応じた際に、同時通訳のブースに入った袖川さんは以下の発言を耳にします。

 I was the last person in the room when Biden made the decision to pull all the US troops out of Afghanistan.

えっ?もしかして、ハリス副大統領は、バイデン大統領の米軍アフガン撤退の決定に否定的だった?などと、私も思ってしまうところですが、袖川さんは、この発言で何を否定するのかよく分からなかったので、「最後まで大統領を支持しました」とお茶を濁したそうです。ただ、この場合、他の皆が反対したのに、自分は最後まで支えたことになり、これでは、他の人が反対したことが前提となり、実際はどうだったのか分かりません。政権内が一枚岩ではないことを暴露してしまうことにもなり、ハリス副大統領がそんな意図で発言したわけがないことを袖川さんは後で落ち着いて考えました。

 結局、他の例文なども確かめ、調べに調べた結果、 the last person in the room とは「最後に部屋に残って、意見を求められる、最も信頼される立場の人」のことで、一言で言うなら「重要な相談相手」ということが分かったといいます。

 うーん、これだから英語は難しい。同時通訳は「瞬間芸」ですから、聞き逃したり、聞き間違えたり、勘違いしたりすれば、全て後の祭りです。まさに、神業(かみわざ)と言っていいでしょうが、この本を読むと、ミスをしないため、常に事前準備と自己鍛錬と不断の努力と毎日、毎時、毎秒の勉強が欠かせないことがよく分かりました。

 最後に、私が全く分からなかったフレーズに、money note (見せ場、山場)=市販辞書にもネット辞書にも載っていなかった=やhot potato(熱々のポテト、というより、難問、難局、手に余る問題)などがありました。

 どうして、そんな意味に「豹変」するのか、皆さんもこの本を是非、手に取ってみてください。

「失敗談」から生まれた英語の指南書=袖川裕美著「放送通訳の現場からー難語はこうして突破する」

 大学時代、語学専門だったのでクラスはわずか15人でしたが、そのうちの一人、袖川裕美(そでかわ・ひろみ)さんが昨年末に新刊を出版されたということで、早速、ネットで買い求めました。

 本は大晦日に届き、お正月休みにすぐ読めるかと思ったら、何やらかんやら忙しくて、実はまだ半分ちょっとしか読めていません。それだけ、私にとってレベルが高過ぎるということかもしれません(苦笑)。

 袖川さんは同時通訳者で、新刊は「放送通訳の現場からー難語はこうして突破する」(イカロス出版、2021年12月25日初版)というタイトルです。彼女の前著「同時通訳はやめられない」(平凡社新書)は、朝日新聞の「天声人語」にまで取り上げられて大きな話題を呼びましたが、同書は2016年出版だったと聞いて、「えっ?あれから5年も経ってしまったの!?」と我ながら驚愕してしまいました。光陰矢の如し。信じられません。まさに、自分自身は馬齢を重ねてしまった感じです。

 それはともかく、最新刊は、タイトル通り、英語の難語を突破する「指南書」のような本です。どちらかと言うと、本人が引っ掛かったといいますか、誤訳に近い形で放送してしまった「失敗談」も正直に書かれています。御本人も「おわりに」の中で、「こういうことばかり告白し、書いていると、心から我が身の不明を恥じる気持ちになってきます」と正直に書かれていますが、「学習者にとっては、失敗談の方が役に立つ」と私は擁護しておきます。

 偉そうなことを言いましたが、私も正直に告白しますと、この本に出てくる用語やフレーズはほとんど知りませんでした。これでも、私は国家試験の通訳案内士に合格しているのですが(笑)、同時通訳者とのレベルとは格段に違うことを思い知らされました(以前からですけど)。求められる知力と教養と技能と瞬発力は、翻訳者より上でしょう(短距離走とマラソンの違いもありますが)。袖川さんも、「同時通訳者はほとんど顔なじみで、(国内には)50~60人くらいではないか」と書かれていますが、エリート中のエリートであることが分かります。

 袖川さんは、本書中で、大きな間違いのように書かれていましたが、私から見れば、極々「軽傷」に過ぎないと思われることがほとんどでした。例えば、83ページでは「teething problems」を取り上げています。BBCが、英国のEU離脱ニュースの中で、「The UK government put it down to teething problems.」というフレーズが出てきました(詳細略)。袖川さんは最初、この 「teething」が「teasing(からかう、いじめる)」のように聞こえましたが、話の流れからすると、「いじめ」では直接過ぎると思い直して、「(英国)政府は厄介な問題だと述べました」としたそうです。

 後で調べ直してみると、「 teething problems 」とは、乳歯が生える時の問題ということから「初期の困難・問題、創業時の苦労」といった意味で、「 put it down to~ 」も「~のせいにする」という意味だということが分かりました。つまり、先程の例文は「英国政府は、それは初期に起きがちな問題のせいだと述べました」になるというのです(詳細は本文ご参照)。

 いやあ、放送という限られた時間の中で、これまで蓄積してきた知識を瞬時に総動員して、披露することはまさに芸術の域です。親のどちらかが英語を母国語にしたり、子どもの頃に外国に滞在していた人なら、「耳」から語学力が養われますから完璧でしょうが、中学生から英語を始めた日本人のその習得力と日々の勉強はまさに超人的と言っていいでしょう。袖川さんは私の大学の同期ながら尊敬してしまいます。当然ながら、私のような生半可なジャーナリスト以上に、毎日、欧米の主要紙とニュース番組はチェックしているようです。

 そのせいか、彼女が「知らなかった」と告白されている「hunker down」(隠れる、潜伏する、閉じこもる)とか「down under」(英米から見た地球の反対側の豪州やニュージーランド)のことを偶々知っていたりすると、意地の悪い私は「僕は知ってたよお~」と無邪気に喜んでしまいます。実は、全て、杉田敏先生の語学講座「ビジネス英語」に出て来たフレーズで、その受けおりですけど(笑)。背伸びしたかっただけです。

 とにかく、 down under のように、中学生レベルの英語でもイディオムになると想像もつかない意味になったりするので、英語ほど難しい外国語はない、と私は思っています。この本については、読了したらもう一回、取り上げたいと思います。

映画字幕で楽しく英語のお勉強

富士山 Copyright par Duc de Matsuoqua

  昨日のこのブログで「予想が裏切られた時、深い情報処理が起こる=『英語独習法』」のタイトルで、映画の字幕を活用した英語独習を紹介(というか引用)させて頂きました。

 自分では易しく、つまり分かりやすく書いたつもりだったのですが、皆さま御存知の釈正道老師から早速反応がありまして、「私には難解です。貴兄の原稿は、素人にはチンプンカンプンでした。」とのコメントを頂きました。

 あれえ~?私には大した学も教養もないので、小生のようなレベルの文章は朝飯前のはずです。しかも、釈正道老師は現役時代、誰でも知っている大手マスコミのエリート幹部としてブイブイ言わせた御仁です。難解、なんて言ったら御卒業された福沢先生が泣きますよ。

 その一方で、フェイスブックで繋がっているK氏から「我が意を得たり!」と同感して頂きました。私の嫌いなフェイスブックのサイトでこのブログをお読みの方は10人ぐらいでしょうから、敢て「本文」に再録させて頂きます(笑)。ちなみに、K氏は謙遜されておられますが、東京外国語大学英米語学科を卒業された「英語の達人」です。

(すみません、勝手ながら、引用文は少し加筆、改変してます)

築地「ふじむら」 カキフライとなかおちのハーフ定食1100円

 …「英語独習法」の著者今井むつみ氏の提唱される「映画熟見」は、まさに僕が貧弱な英語力を落とさないよう細々と続けているメソッドとよく似ており、一番効果的と感じるものの一つです❗️何たって、楽しみながら謎解き気分で熱中できるところがいいですね。コロナ禍で、NHK BS や Amazon Prime の名画を楽しむ機会も格段に増えましたが、まさに目からウロコの連続です。

 予期せぬ副産物もあります。例えば、「カサブランカ」のボギーの名セリフとされる「君の瞳に乾杯」Here’s looking at you, kid.は、続けて観た「旅情」では、キャサリン・ヘプバーンが宿屋の女主人、つまり同性から言われており、男女のロマンとは関係ないことが分かりました。(ちなみに、「君に乾杯」は、Here’s to you, とも言うらしい。おお、サイモン&ガーファンクルの「ミセス・ロビンソン」の出だしに出てきますね!=この項、渓流斎)

 また、「マイ・フェア・レディ」でオードリー・ヘプバーンが使うコックニー(英労働者階級が使うとされる英語)には、女性が普通使わない表現や、文法上おかしい表現が混じっていることを発見したりして、とてもここには書き切れません。(中略)貴兄のおかげで、英語へのアプローチで同じような楽しみ方をなさっている方がいるのがよく分かりました。…

 いやはや、勝手に引用されて、K氏も怒っておられるかもしれません。こうして、私もブログで何人もの大切な友人を失って来ました…。「日乗」と銘打っている関係上、ほぼ毎日更新しているため、どうかお許しを。

予想が裏切られた時、深い情報処理が起こる=「英語独習法」

東京・西武池袋線東久留米駅西口に建つ手塚治虫の「ブラック・ジャック」と助手のピノコ像 手塚治虫は晩年の10年間、東久留米市に住んでいました

クレマチス Copyright par Keiryusai

 今井むつみ著「英語独習法」(岩波新書)の中で、楽しみながら英語を学習する方法の一つとして、映画の「熟見」を挙げております。

 今井氏の場合は、お気に入りのダニエル・クレイグ主演の007「スペクター」(2015年)を一つの見本として取り上げています。「セリフの一言一言にまったく無駄がなく、限りなく短く端的に言う。それが本当にカッコよい。特にボンド役のダニエル・クレイグの話す英語にしびれてしまった」とべた褒めです。(彼女はDVDを購入し、全編のセリフを覚えてしまったらしい!)

 この映画の主題歌も素敵ですが、今井教授は最初、何度も聴いても、歌詞の Could you 〇〇〇〇 my fall? の〇の部分が聴き取れません。日本語字幕では「落ちる僕を支えてくれるかい?」となっている。そこで、ネットで歌詞を確認したところ、〇の部分はbreak だったといいます。勿論、break は簡単な単語で、初級者でも熟知している単語なのですが、大体「壊す」とか「断ち切る」といった意味でインプットされています。今井教授は「支える」という字幕に引っ張られて、主に「断絶する」などを意味し、「支える」とは真逆を意味のbreak だったとは予想も付かなかったと告白しております。

 このようにして、映画で英語学習する場合、今井教授は、まず、日本語字幕で何度も熟見することを勧めています。聴き取れなかった単語やフレーズは、後で英語字幕で確認していきます。大抵は予想もしなかった単語が表れて、驚きます。今井教授は「この経験が語彙の増加につながる」と力説します。「予測が裏切られたとき、最も深い情報処理が起こり、記憶に深く刻印される」と心理学者らしい発言をしています。

 ですから、先ほどの予想もつかなかったbreakは「もう忘れることはないでしょう」と今井氏は語っています。

 このほか、いっぱい「予想を裏切られた」例が出てくるのですが、あと一つだけ。日本語字幕で「質問が…」というジェームズ・ボンドのセリフが、英語では「Humor me.」となっていた驚きです。詳細は、本書を読んでもらうことにして、humor ユーモアの名詞は知っていても、動詞として使うという驚きで、このフレーズも著者の記憶として刻印されたことが書かれています。

スズラン Copyright par Keiryusai

 さて、私も映画007シリーズは大好きで、大抵の作品は見ているので、真似して勉強しようかと思っていますが、気になっていたのは最新作です。新型コロナの影響で、何度か上映延期になっていたことは報道で知っていましたが、お蔭で、「撮り直し」をしていることまで知りませんでした。

 最新作「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」は、もともと2019年4月に公開される予定でしたが、監督が降板したことで製作が遅れ、2020年4月公開延期を決定。それが運の尽きで、新型コロナの世界的影響で映画館が封鎖となり、興行収益が見込めなくなったことから、公開予定日が2020年11月から2021年4月へ再々延期、さらに2021年10月と延期が続いています。

 そのせいで、作品内で使われているスマートフォンや高級腕時計や服などのブランド品の型が古くなってしまい、最新モードへの撮り直しを余儀なくされてしまったというのです。IT業界の世界は日進月歩ですからね。

 これには「へー」と思ってしまいました。これらのブランド品は、「広告費」として映画製作費の中に組み込まれていることは業界人の常識です。まさか、スポンサーも古い製品を売るわけにはいきませんからね。

 

英語は普遍的、中国語は宇宙的、日本語は言霊的

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 昨晩は、中部北陸地方にお住まいのT氏と久しぶりに長電話しました。T氏は、学生時代の畏友ですが、十数年か、数十年か、音信不通になった時期があり、小生があらゆる手段を講じて捜索して数年前にやっとメールでの交際が再開した人です。

 彼は、突然、一方的に電話番号もアドレスも変えてしまったので、連絡の取りようがありませんでした。そのような仕打ちに対しての失望感と、自分が悪事を働いたのではないかという加害妄想と自己嫌悪と人間不信などについて、今日は書くつもりはありません。今日は、「空白期間」に彼がどんな生活を送って何を考えていたのか、長電話でほんの少し垣間見ることができたことを綴ってみたいと思います。

 T氏は、数年前まで、何年間か、恐らく10年近く、中国大陸に渡って、大学の日本語講師(教授待遇)をやっていたようです。日本で知り合った中国人の教授からスカウトされたといいます。彼は、私と同じ大学でフランス語を勉強していて、中国語はズブの素人でしたが、私生活で色々とあり、心機一転、ゼロからのやり直しのスタートということで決意したそうです。

 彼の中国語は、今でこそ中国人から「貴方は中国人かと思っていた」と言われるほど、完璧にマスターしましたが、最初は全くチンプンカンプンで、意味が分かってもさっぱり真意がつかめなかったといいます。それが、中国に渡って1年ぐらいして、街の商店街を一人で歩いていると、店の人から、日本語に直訳すると「おまえは何が欲しいんだ」と声を掛けられたそうです。その時、彼は「サービス業に従事する人間が客に対して、何という物の言い方をするんだ」とムッとしたそうです。「日本なら、いらっしゃいませ、が普通だろう」。

 しかし、中国語という言語そのものがそういう特質を持っていることに、後で、ハッと気が付き、それがきっかけで中国語の表現や語用が霧が晴れるようにすっかり分かったというのです。もちろん、中国語にも「いらっしゃいませ」に相当する表現法はありますが、客に対して「お前さんには何が必要だ」などと店員が普通に言うのは、日本では考えられません。しかし、そういう表現の仕方は、中国ではぶっきらぼうでも尊大でもなく、普通の言い回しで、「お前は何が欲しいんだ」という中国語が、日本語の「いらっしゃいませ」と同じ意味だということに彼は気づいたわけです。

 考えてみれば、日本語ほど、上下関係に厳しく、丁寧語、敬語などは外国人には習得が最も困難でしょう。しかも、ストレートな表現が少なく、言外の象徴的なニュアンスが含まれたりします。外国人には「惻隠の情」とか「情状酌量」とか「忖度」などという言葉はさっぱり分からないでしょう。

 例えば、彼は先生ですが、学生から「先生の授業には実に感心した」といった文面を送って来る者がいたそうです。それに対して、彼は「日本語では、先生に対して、『感心した』という表現は使わないし、使ってはいけない」と丁寧に説明するそうです。また、食事の席で、学生から、直訳すると「先生、この食事はうまいだろ」などとストレートに聞いてくるそうです。日本なら、先生に対して、そんな即物的なものの言い方はしない、せめて「いかがですか?」と遠回しに表現する、と彼は言います。

 そこで、彼が悟ったのは、中国語とはコスミック、つまり「宇宙的な言語」だということでした。これには多少説明がいりますが、とにかく、人間を超えた、寛容性すら超えた言語、何でも飲み込んでしまう蟒蛇(うわばみ)のような言語なのだ、という程度でご理解して頂き、次に進みます。

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 一方、英語にしろフランス語やドイツ語にしろ、欧米の言語はユニバーサル(普遍)だと彼は言います。英語は記号に過ぎないというのです。もっと言えば、方便に過ぎないのです。これに対して、日本語は「言霊」であり、言語に生命が込められているといいます。軽く説明しましょう。

 福沢諭吉が幕末に文久遣欧使節の一員として英国の議会を視察した時、昼間は取っ組み合いの喧嘩をしかねいほどの勢いで議論をしていた議員たちが、夜になって使節団との懇親会に参加すると、昼間の敵同士が、まるで旧友のように心の底から和気藹々となって会話を楽しんでいる様子を見て衝撃を受けたことが、「福翁自伝」に書かれています。

 それで、T氏が悟ったのが、英語は記号に過ぎないということでした。英語圏ではディベートが盛んですが、とにかく、相手を言い負かすことが言語の本質となります。となると、ディベートでは、AとBの相手が代わってもいいのです。英語という言語が方便に過ぎないのなら、いつでも I love you.などと軽く、簡単に言えるのです。日本語では、そういつも簡単に「愛しています」などと軽く言えませんよね。日本語ではそれを言ってしまったら、命をかけてでもあなたを守り、財産の全てを引き渡す覚悟でもなければ言えないわけです(笑)。

 欧州語が「記号」に過ぎず、相手を言い負かす言語なのは何故かというと、T氏の考えでは、古代ギリシャに遡り、ギリシャでは土地が少なかったので、土地に関する訴訟が異様に多かったからだそうです。そのお蔭で、訴訟相手に勝つために色んなレトリックなども使って、表現法や語用が発達したため、そのようになったのではないか、というのです。

 なるほど、一理ありますね。フランスには「明晰ではないものはフランス語ではない」という有名な格言があります。つまり、相手に付け入るスキを与えてはいけない、ということになりますね。だから接続法半過去のような日本人には到底理解できない文法を生み出すのです。日本語のような曖昧性がないのです。言語が相手をやり込める手段だとしたら。

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 一方、日本語で曖昧な、遠回しな表現が多いということは、もし、直接的な言辞を使うと、「それを言っちゃあ、おしめえよ」と寅さんのようになってしまうことになるからです。

 ところで、幕末には、尊王攘夷派と開国派と分かれて、激しい殺し合いがありました。その中でも、西洋の文化を逸早く学んだ開明的な洋学者だった佐久間象山や大村益次郎らは次々と暗殺されます。洋学者の直接的な言葉が攘夷派を刺激したのでしょう。適塾などで学び欧米文明を吸収していた福沢諭吉も、自分の生命が狙われていることを察知して、騒動が収まるまで地元の中津藩に密かに隠れ住んだりします。

 それだけ、日本語は、実存的で、肉体的な言語で、魂が込められており、「武士に二言はなし」ではありませんが、それだけ言葉には命を懸けた重みがあるというわけです。そのため、中国語や欧米語のように軽く言えない言葉が日本語には実に多い、とT氏は言うのです。

 繰り返しますと、英語は、何でも軽く言える記号のような言語で普遍的、中国語は、寛容性を超えあらゆるものを飲み込む宇宙的、そして、日本語は命を張った言語で言霊的、ということになります。その流れで、現在の言語学は、文法論より、語用論の方が盛んなんだそうです。

 以上、T氏の説ですが、それを聞いて私も非常に感銘し、昨晩は久しぶりに味わった知的興奮であまり眠れませんでした。

欧米語と日本語における比較対照に関する言語学的考察

東京・銀座

昨日、rightは、「右」と「正しい」という二つのまるで違う意味を持つ、と書きながら、英米人はrightと言った時、「正しい右」と考えながら言うものなのかなあ、などと色々と考えてしまいました。

しかし、後でよくよく考えてみますと、話は単純で、全く考えていない、という結論に達しました。

例えば、日本語で考えますと、何でもいいですが、「小川」を例に挙げてみます。♪春の小川はサラサラいくよ♪の小川が本来の意味にしても、名前が小川さんの場合、川のことなどサラサラ考えません。小川さんの顔や声色、仕草などを思い浮かべることでしょう。

日本語には同音異義語が沢山ありますが、交錯しないようにうまく脳が処理してくれます。

ドイツ語で、小川はバッハですが、ドイツ人は偉大な音楽家と川と即座に区別するのと同じでしょう。

rightに関しては考え過ぎてしまいました。

◇濁音は不吉か?
ところで、にんどすさんからのコメントで、「何で、濁流斎になっただあぁぁぁ」との御下問が御座いました。

はい。これも深い理由がありまして、たまに「渓流斎」から「濁流斎」に変身することがあることを、どうか弁えくだされ(笑)。

これまた、言語学的考察ですが、日本語でネガティヴな意味を持つ言葉は、濁音が多いですね。濁流もまさしくそうですが、残酷、地獄、罵詈雑言、ぞんざい…。

それに比べて、やはり、渓流、清風、平安、恋愛、遊興…いいですね。ナイスですね。

欧米語のような表音文字は、言葉そのものを見ても意味を成しません。発音されて初めて意味を持ちます。例えば、フランス語の「たくさん」は、beaucoup ですが、このスペリングに意味を成さないので、英語のようにbocu と綴っても、発音さえしっかりしていれば、意味が通じるわけです。

だから、フランスでは、よく「言葉は意味の影に過ぎない」などと言われたりします。

逆に、日本語や中国語は表意文字ですから、発音されても、意味が良く分からないことがあります。漢字表記を見て初めて誤解していたことが分かったりします。

同音異義語が多いので、パソコンの変換間違いも多くなるわけです。

先日も、大手マスコミの記事の見出しで、政策投資銀行の略称を「政投銀」とすべきところを、「政党銀」と書いて大間違いしておりました。

ネットで記事を愛読されている京都にお住まいの私立探偵さんが発見しました。

我輩の辞書…

 

 

 

ナポレオンの言葉に、「 我輩の辞書に不可能という文字はない」という名文句があります。どなたでもご存知でしょう。

 

でも、英語で何と言うかご存知ですか?

 

The word  “impossible” was not in Napoleon’s (                    ).

 

といいます。さて、括弧の中に何が入るでしょうか。

辞書だから、dictionary ? ・・・実は、私もそう思いました。

 

でも、答えは、 vocabulary  なんですね。

 

「歴史的事実」なので、was より is の方が良さそうだと私自身思ったのですが、とにかく、

The word  “impossible” was not in Napoleon’s vocabulary.

というそうです。

でも、ナポレオンはフランス人。原文のフランス語では何というのですかね?

調べたら

 

Impossible n’est pas francais.

 

と言いました。直訳すると、

 

不可能はフランス的はない。

 

たったそれだけでした。随分、簡単なんですね。

 

ナポレオンが部下を叱咤激励した際、「フランス人ならできないことはない」という意味で使ったそうです。

 

フランスの諺に

Ce qui n’est pas clair n’est pas francais.

というものがあります。

明晰ではないものは、フランス語ではない。

という意味です。

 

英語は、発音にしても意味解釈にしても結構、曖昧なところがあります。が、フランス語は文法が少し厄介ですが、確かに明晰で、曖昧なところが少ない。「L」と「R 」の発音も全く違うので簡単に区別できます。

 

日本人にとって、英語よりフランス語の方が学習しやすく、身に着きやすいと私は思っています。

「デスパレートな妻たち」2

公開日時: 2008年5月6日 @ 10:54

昨日の「デスパレートの妻たち」には反応(コメント)があったので、意外でした。やはり、コアなファンの方がいらっしゃるんですね。

ですから、あまり悪口を書くと怒られてしまうでしょうけど、やはり、作り物のドラマだなあ、と思ってしまいました。いただけないのは、殺人事件です。話を面白くするために、そういうシーンが必要なんでしょうけど、好みじゃないですね。普段のニュースでたくさんです。ティーンエイジャーが麻薬を吸ったり、育児ノイローゼ気味の主婦が薬物中毒になるあたりは、リアリティがありましたが…。

でも、文句を言いながらも、見続けてしまうでしょうね。早速、昨日書いたawesome もあるシーンで出てきました。やはり、「恐ろしい」という意味では使われず、awesome news 素晴らしいニュースという意味で使われていました。

まだまだ、正直、字幕を見ないとスムーズに聞き取れず、たとえ聞き取れたとしても、意味が分からず苦戦しています。例えば、ground を動詞形に使うとどういう意味か分かりますか?

「外出禁止にする」という意味なのです。難しいcurfew なら知っているのに、簡単な単語のground を知らないなんて、恥ずかしい限りです。

恥ずかしいといえば、shame よりも  humiliating の方が多く使われていました。

それにしても、今のDVDはすごいですね。簡単に字幕が出てくるんですから。今の学生さんは恵まれていますね。ただし、昔の人より果たして賢くなったんでしょうかね?

米ドラマ「デスパレートな妻たち」

 八芳圓

公開日時: 2008年5月5日 @ 10:00

ちょっと、はまってしまいました。エミー賞も受賞したとかいう米国テレビドラマ「デスパレートな妻たち」http://www3.nhk.or.jp/kaigai/dh/about/index.htmlです。

よくご存知の方にとっては「何を今さら」と思われるかもしれませんが、その、何を今さら、です。

4月にお会いした通訳仲間の人が「DVDで見れば英語の勉強になります。これは、はまりますよ」と言われていたので、いつか見たいと思っていたのです。

レンタルDVDで見つけ、借りてみました。

いやあ、すっかりはまってしまいましたね。レンタル屋さんでは全11巻のシリーズが第3シリーズまでありましたが、結構借りられていました。第一弾は2004年に放送されたらしく、米国内で大反響で、大統領のスピーチでも引用されたとか。

目下、第1シリーズの第4巻まで一気に見てしまいました。最近、全くテレビドラマは見ていなかったので、新鮮な驚きがありました。

いわゆる中産階級より上の階級が住む、まあ高級住宅街が舞台です。いずれの家族にも何か問題や悩みを抱え、ある主婦が自殺するところから物語は始まります。夫婦の問題あり、子供の問題あり、嫁姑の争いあり、不倫や浮気もあり、殺人事件やミステリーもあり、「一体次に何が起きるのだろうか」とハラハラとした気持ちで見せられるので、やめられなくなってしまうのです。主役のスーザンを演じるテリー・ハッチャーがとても魅力的です。視点が女性なので、結構、女性も男性に対して積極的なんだなあ、とおかしくなります。

台詞もうまくできています。最後まで見ないと、わけが分からないので、このままでは、全部見てしまいそうです。1巻借りるのに300円ですから、全3シリーズ33巻見るとなると、9900円かあ、ああ…。

デスパレート desperate は、「絶望的な」という意味ですが、「必死の」「~したくてたまらない」という正反対な意味もあります。恐らく、ドラマではこの両方の意味をかけているのでしょう。ですから、ドラマのタイトルを「絶望的な妻たち」と訳してしまっては、やはり不正解なのでしょうね。何しろ自分が抱えている困難や問題からはいあがろうと必死になっている主婦たちが主人公なのですから。

このように、英語は、一つの表現で全く正反対な意味を持ってしまうから厄介です。

例えば、 as luck would have it というと、「運良く」という意味ですが、その反対に「運悪く」という意味もあるのです。どちらの意味で使っているのか、その場にならなきゃ分からないでしょう。

confidence は、「信頼」ですが、confidence man は、何と「詐欺師」です。

sophisticated を「洗練された」「高級な」といういい意味しか知らないと困ります。「世間ずれした」「すれっからしの」という意味で使われることもあるからです。

ditraction は普通「気晴らし」と使われますが、 「注意力散漫」と非難される意味でも使われます。

驚いたことに outrageous (無礼な、極悪な)や awesome (怖ろしい)は、悪い意味で使われるとばかり思っていたのですが、最近ではそれぞれ「素敵な」、「いい奴」で、正反対のいい意味で使われることが多いらしいですね。これらは、現地に行くか、日々新聞雑誌でチャックするしかないでしょう。

デスパレートから、話はちょっと脱線しました。

語学取得に近道なし

 

 

 

苫米地英人著「頭の回転が50倍速くなる脳の作り方」(フォレスト出版)を読んでみました。

資格試験、語学試験、就職試験、入学試験、昇格試験などに「短時間」「最速」で合格したり、目標を達成するテクニックを伝授しますーというのですから、読まずにいられませんでした。著者は1959年生まれで、米国のカーネギーメロン大学で博士号を取得した「ドクター」です。

 

それで、やはり、私見なのですが、「そんなものはない」ということを私自身が発見したということでしょうか。著者の思わせぶりな書き方で、できそうな錯覚にはなりますが、結局、その「科学的手法」についても、具体的にイメージさえ湧かないのです。要するに、残念ながら、著者は私のような読者を説得できていないんですね。あらゆる方向からの反論を予想して書いてくださいとまでは、言いませんが、その「科学的手法」の一歩手前の入り口で立ち往生させられたような読後感でした。

 

少し参考になったのは、頭を鍛えただけでは頭はよくならない。新しい脳をつくることが大切だという話です。例えば、語学なら、「古い」脳の中にインプットするのではなく、新しく「語学脳」を作ってしまい、そこに、朝から晩までDVDを原語で見て聴いて、叩き込んでしまう。そうすると、今まで何を言っているのか聞き取れなかったのに、ある日、フト、その語学がそのまま理解できるというのです。

よく「寝ながらにして」「聴くだけで」語学をマスターしてしまうというCDやテープを発売している広告を見ることがあります。私なんか、そんな簡単にできるかなあ、と思ってしまいます。語学修得にはやはり、毎日毎日、集中して愚直に、せっせと暗記するしかないんじゃないか、王道はないと自分の経験から思ってしまいます。苫米地氏は「丸暗記はダメ」と力説していますが…。

ただ新しく「語学脳」を作ってしまう、という「意見」には賛成です。私自身、学生時代にフランス語を専攻しましたが、当時は実験的な「クレディフ」という教育法で、学生に文字を見せず、スライドの映像を見せて、耳からフランス語を修得させるというやり方でした。細かい内容は忘れましたが、若いピエールとミレーユが出会い、色んなことに遭遇する話です。最初、二人は相手に対して Vous という他人行儀の言葉遣いでしたが、親しくなるうちに Tu という友人や恋人同士などが使う言葉に変化していく微妙な流れが分かるまでうまく作られていました。

 

その授業のクラスでは、学生は意味を取る前に赤ん坊のように口真似させられるだけです。どういうスペルになるのかも初めは見せません。文法も教えません。耳から、音からだけで、修得させるようにするのです。

大学生ともなると、生意気盛りですから、今さら赤ん坊のように口真似するのに抵抗感を持つ学友も多かったのですが、私自身はこのメソッドが一番良いと思います。おかげさまで、苫米地氏の言葉を借りれば、「フランス語脳」という基礎ができて、 ‘ Vous avez mal? ‘ (痛いですか?)とか ‘ Nous n’avons pas de la chance,  ce soir ‘(今晩はついてなかったなあ)といったフレーズは今でも忘れることがありません。

今、気付いたのですが、音は覚えているのですが、スペルについては自信がないんですよね。つまり、文字から入ってこなかったからです。これは、ネイティブと同じ語学取得法です。アメリカ人にしろ、フランス人にしろ、日本人から見て驚くほど、スペリングが苦手な人がいます。

 

翻って、日本語の場合は文字から入りますね。同音異義語が多いからです。ようこさん、と言っても「洋子」「陽子」「瑤子」「容子」「庸子」…と沢山いますから、「どういう漢字を書きますか?」と相手に聞き返します。

これが欧米語と日本語の大きな違いです。だから、日本人はなかなか語学をマスターできないのではないでしょうか。