鳥取県と岡山県との関係は?=「鳥取県産 紅ずわい蟹重」を味わう

I’m stuck.

 ちょっと、行き詰ってしまったので、新企画を考えました。誰も傷つかない、のんべんだらりと、まったりとした企画が良いに決まってます(笑)。

 東京・銀座周辺には、全国道府県が、郷土の名産を集めたアンテナショップを構えているのは皆さん御案内の通りです。そこでは、結構、地元料理を出すショップもあり、2階にレストランなんかがあったりします。そうだ!新企画「郷土料理巡り」はどうだろう? ーなあんだ、結局、「銀座ランチ」と同じじゃないか!(笑)。まあ、台湾、ロシア、タイ、ヴェトナム、インドネシア…と世界各国料理巡りもそろそろ飽きてきたので、愛国心を燃やして、全国各地の郷土料理にチェレンジしてみますか…。

 ということで、早速、昨日は、下調べも何もせずに、銀座1丁目にある「銀座の金沢」に出掛けてみました。そしたら、残念ながら、緊急事態宣言のため、食堂は休業でした。しかし、後で調べてみたら、加賀前田藩の本格的な郷土料理を提供するお店らしく、ランチ会席4200円でした。

 恐らく、銀座周辺で、最も客入りが良いアンテナショップは、有楽町の駅前「交通会館」にある「北海道どさんこプラザ」だと思います。私もよく利用しますが、残念ながら、ここにはレストランがありません。アイスクリームを食べることができるぐらいです。

 銀座5丁目にある「銀座熊本館」には、2階に「ASOBI・Bar」と呼ばれるレストランというより、食堂コーナーのようなeatery があり、いつぞや、そこで「真鯛の漬け丼」(1000円)を食したことがありました。驚くほど風変りではなく、まあ、「こんなものか」といった感じでしたが。

とっとり・おかやま新橋館・ももてなし家「鳥取県産 紅ずわい蟹重」1680円

 本日は、新橋駅銀座口の目の前にある「とっとり・おかやま新橋館」に行って来ました。この2階にあるレストラン「ももてなし家」が提供するランチ 「鳥取県産 紅ずわい蟹重」(1680円 )を是が非でも食してみたかったからでした。値段は二の次です(笑)。

 その前に、鳥取県と岡山県が何で、一緒になってアンテナショップを出しているのか、御存知ですよね? えっ? 知らない? 駄目ですねえ。もう少し、歴史を勉強しなければ…。両県は「親戚」だからです。えっ?これでも分からない?

 話が長くなるので、手短にしますと、江戸時代、鳥取藩も岡山藩も、池田氏が代々藩主を務める従兄弟、縁戚関係だったのです。キーパースンは池田輝政です。あの姫路城(国宝)を改築した初代播磨姫路藩主として知られます。

 輝政は、もともと、父池田恒興以来、織田信長と豊臣秀吉に仕えた重臣でしたが、徳川家康の娘督姫を娶ったり、石田三成と不仲だったりしたこともあり、関ケ原の戦いでは、家康方の東軍に付き、論功行賞で、15万石の三河吉田城から52万石の播磨へ加増転封されます。 

 鳥取藩には、恒興の三男で輝政の弟に当たる長吉が6万石の城主となりますが、その後、鳥取藩主には輝政の孫光政が継ぎます。

 一方、岡山(藩)は、関ケ原の前は、西軍の宇喜多秀家が治めていましたが、敗れたため八丈島に島流し。代わって初代藩主に就いたのが、西軍を裏切って東軍に勝利を齎した小早川秀秋です。しかし、「大谷刑部の祟り」とも言われ、わずか2年で病死。代わって、31.5万石の岡山藩主となったのが池田輝政の二男忠継でした。続いて三男忠雄が就きます。しかし、忠雄亡き後、三代目の家督を継いだ光仲(輝政の孫)は、この時わずか3歳で、山陽の要衝である岡山藩を治めるには荷が重いと幕府は判断し、寛永9年(1632年)、鳥取藩主の光政を岡山藩主とし、幼い光仲を鳥取藩主としたのです。つまり、池田氏同士で国替えをしたわけですが、光仲の子孫は「鳥取池田家」と呼ばれ、明治維新まで鳥取藩主を務め、光政の子孫は「池田家宗家」と呼ばれ、明治まで岡山藩主を務めたわけです。

とっとり・おかやま新橋館・ももてなし家「鳥取県産 紅ずわい蟹重」1680円

 やっぱり、長くなってしまいましたが、これで、鳥取と岡山の関係がお分かりになったと思います。

 ああ、そう言えば、郷土料理の新企画の話でした。

  とっとり・おかやま新橋館の2階「ももてなし家」で食したランチ「鳥取県産 紅ずわい蟹重」は、御飯が少なかった、というのが第一感想です(笑)。知らなかったのですが、ズワイガニは、鳥取県が 全国で一番水揚げ高が多いらしいのですが、旬は、秋から冬にかけてということなので、真夏は、身が小ぶりの感じがしました。

 でも、大変美味しゅう御座いました。

 メニューを見たら、岡山名産の「白桃のパフェ」があり、注文しようとしましたが、値段が 「鳥取県産 紅ずわい蟹重」 と同じ1680円。うーん、さすがに諦めました(笑)。

 1階の売り場には、岡山名産の美味しそうな大振りな葡萄もありましたが、一房5000円也。いつか、迷わずに買えるご身分になりたいものです。

ワクチン狂詩曲第108番=そして銀座・諸国民芸品店「たくみ」へ

 Covid-19ワクチン2回目を巡って、最近、私の周囲では色んな話を聞きます。勿論、「何ともなかった」という人もいますが、よくない話が多いのです。

築地「天辰」のっけ定食 1200円

 例えば、会社の同僚のA氏は、先週土曜日に2回目のモデルナを接種したのですが、その日の夜に39度近い高熱が出てダウン。日曜日も熱が引かず、月曜日も体調が良くなかったので、会社を休んだほどでした(火曜日に回復)。

 健康自慢のB氏の場合、2回目のファイザーで、それほど重くはなかったのですが、翌日は酷い倦怠感に襲われて、何もやる気が起きなかったといいます。

 Cさんもファイザー2回目で、打って4~5時間後に腕が痛くなり、12時間後の翌日には39度近い熱が出て、1日では下がらず、解熱剤カロナールを飲んで、やっと抑えたとか。「やっぱり、体内に衝撃あるワクチンなんだね」と知らせてくれました。

銀座「デリー」よくばりカレーランチ1120円

 何か、モデルナもファイザーも関係なく、副反応があるようです。私も今週土曜日の24日に2回目のモデルナを打つので、髷を切って、白装束を着て会場に向かうつもりです(笑)。

 とはいえ、私の住む地方自治体では、国家から配給されるモデルナ・ワクチンの供給が途絶え、26日以降の接種を延期するなんて言っております。私の場合もどうなるか分かりませんが、延期された人たちにとっては、「えーー、怒るでよおーー」でしょうねえ。

銀座に異様な雲?いえいえ飛行機雲でした

 さて、銀座に民芸運動の作品を販売する「たくみ」というお店が8丁目にあることを知り、昼休みに初めて足を運んで覗いてみました。

 民芸運動の中心人物、柳宗悦については、白樺派の人ぐらいで、ほとんど知らなかったのですが、昨年、彼の著作「南無阿弥陀仏」(岩波文庫)を読んで、初めて浄土思想とは何たるものかを理解することができ、人生の恩人と感じるようになり、彼の民芸運動について再度、関心を持たざるを得なくなったわけです。

 銀座には「のれん会」があって、一番有名なのは、「銀座百点」という小冊子を出している「銀座百店会」です。逆に言いますと、この小冊子ばかり読んでいると、「銀座百店会」に加盟していない銀座の名店を知らないことになります。

 民芸のお店「たくみ」を私が知ったのは、「銀座15番街」という小冊子からでした。「銀座百店会」に加盟していないか、加盟できないお店の「のれん会」だと思われます。と思って、HPを見たら、銀座15番街とは、「昭和41 年(1966年)、銀座7 丁目・8 丁目の店舗が中心となり会を発足させた」とのことでした。

銀座・民芸品店「たくみ」

 猛暑の中、早速、この「たくみ」に行って参りましたが、私も大好きな河井寛次郎先生の焼き物が一点、鍵のかかったガラスケースに入っておりまして、値段も100万円也でした。

 ムフフフフ、手が出ないことはないのですが、さすがに「即断即決」とはいかず、何も買わずにすごすごと帰って来ました。

 ただ、会津の民芸品「赤べこ」が、私がネットで買ったものより安く売っていたので、「なあんだ。ここで買えばよかった」と、地団駄も踏んできましたよ。

靴の中敷きを巡る哲学的考察

 いつも堅い話題ですと、読者離れが、人流のように拡大するのではないかと思い、本日は日常茶飯事のお話をー。(それにしても、霞ケ関辺りが率先して、マスコミも頻繁に使うようになった「人流拡大」というのは凄い言葉ですね。コロナ禍がなければ、意味不明です。今年の流行語大賞になるのではないでしょうか?)

 本日は、靴のお話です。というか、靴の中敷きのお話です。

 例のフィンランド製のスニーカー「カルフ」(実は、フィンランド生まれの中国製だった!)を購入したら、実に履き心地が良かったので、もう一足購入した話を随分前にこのブログに書いたことがあります。最初に買ったブラックは、確かにエアクッションが効いて、実に足取りも軽く歩けるのですが、二足目に買ったブルーのカルフは、どうもエアクッションの具合がブラックと比べて悪く、同じ製品なのに、色が違うと「こうも違うものか」と違和感を覚えていました。

D社の靴の中敷き 何と!こちらが裏だったとは!

 そこで、ある人から薦められて、靴の中敷きを替えてみることにしました。結構、有名なメーカーらしく、1足分、ドラッグストアで2200円ぐらいで買えました。

 そして、どうにか装着して歩いてみましたが、右足はどうにか歩けるのですが、左足がきつくて、痛くて、痛くて、200メートルも歩けず、自宅に戻ってしまいました。

 たかが、中敷きとはいえ、微妙な差があって、なかなか難しい。説明書には、スニーカーでも使えると書いてありました。せっかく購入したのですが、処分するしかないかなあ、と思っていました。。。

 さてさて、話は変わって、東京・銀座を歩いていたら、上の写真の看板を見つけました。

 「コロナワクチン接種券、ご提示でドリンク1杯 又は シェリー(10年熟成)とレーズンのアイスクリームをサービス!!」と書かれていますね。

 「商魂逞しい」というか、「背に腹は代えられない」といった感じでしょうか。品の良さでは全国一の銀座ですから、このような看板を掲げるのは、この店舗ぐらいかもしれません。(テイクアウト以外、用もないのに、この店に電話しちゃ駄目ですよ!=笑)

 私もいつか行ってみようかしら?ー恐らく、64歳以下にもワクチン接種券が行き渡って、あと数カ月でこの看板も消えることでしょう。「ジャーナリスティックな風物詩」というか、案外、「歴史的アーカイブ」になるような貴重写真になるかもしれません(笑)。

【追記】1

 靴の中敷きですが、どうもおかしいと思ったら、裏と表を逆にして靴の中に入れてました!道理で窮屈だったことか!

 正しく挿入したら、クッションが効いて少し歩きやすくなりました。靴の中敷きメーカーさん、大変失礼致しました。

【追記】2

中敷きだけで5000円以上する靴もあるそうです。同じ靴なのに、値段が千差万別なのは、「その秘密は中敷きの値段の違いにあり」と言う人もいます。そして、中敷きが1ミリ違っても履き心地が違うと断言する人もいます。いやあ、単なる靴の中敷きなのに、実に奥が深い❗️

 

私には相応しくなかった(?)銀座・資生堂パーラー

 4月1日はエイプリルフールで、嘘を付いても良い日なんですが、私はへそ曲がりなもんで、今日ぐらい真面目に真実を語ることに致します。

 とは言っても、語るべき真実がない! …ことはないのですが、いつもいつも悲惨なニュースや、しかつめらしい話題ばかりですので、本日は新機軸を打ち出さなければなりません。

 何と言っても、本日は新年度のスタートの日です。これから、コロナ禍で入学式、入社式は盛大に行われませんが、とにかく、新学期、新社会人生活がスタートします。

銀座7丁目

 さあ、新機軸、新機軸…。と考えましたが、またしても、単なるブログですから、そんなもんありません。まあ、仕方ないです。最近、話題もマンネリになったせいか、読者離れが進んでいます。それは、アクセス数を見ればすぐ分かります。このブログは、ソーシャルネットにもアップしていますけど、ほとんど効果がないみたいですね。もうアップするのはやめようかしら(苦笑)。

 となると、マンネリ批判を覚悟で、いつもの渓流斎節をベンベンと唸るしかありません。どうせ、同じことです。読んでくださる皆さんは、相変わらず読んでくださるわけですから、まあ、続く限り、続けてみましょう。

ということで、伝統を重んじ、過去記事を踏襲して、本日も銀座のランチ巡りです(笑)。

銀座・資生堂パーラー

 えー、また、銀座のランチですか!? と言われても、本日は特別です。まさに、清水の舞台から飛び降りる覚悟で挑戦したのですから。

 時代は昭和初期。銀座はモボ、モガが最新ファッションに身を包んで青春を謳歌して闊歩していた時代です。昭和5年には世界恐慌の煽りを受けて「昭和恐慌」となり、翌昭和6年には満洲事変が始まり、昭和7年は、五・一五事件、昭和11年は、二・二六事件と軍国主義まっしぐらになりますが、まだ米軍による空爆があったわけでもなし、庶民には庶民の、富裕層には富裕層のそれぞれの生活と楽しみがありました。

 いやあ、前置きが長いですね、我ながら(笑)。とくにかく、私は昭和初期という時代が大好きです。当時の銀座の風俗を描いた小説や映画などに必ず出てくるのが、「資生堂パーラー」です。私も、一生に一度でいいから行ってみたい、と若い頃から思っていたのですが、実現できず、やっと老境に入ったこの年で実現することができたのです。

カレーだけでなく、オムライスにも付くらっきょう等

 銀座の資生堂パーラーは、創業1902年(明治35年)。おお、日英同盟を結んだ年ですね。最初は、ソーダ―水やアイスクリームを製造販売していましたが、1928年(昭和3年)に本格的に西洋料理のレストランを開業します。

 まあ、本日は、食事をするだけでなく、そこに集う富裕層の人間観察をするのが主目的でした。何しろ、ビーフカレーライスが3300円、ミートクロケットが2860円、コースともなると、Aランチコースで7150円、Bランチコースで1万0780円というお値段ですからね。普通の人は入れませんよ。

オムライス 2860円

 他のレストランとどこが違うのかー? 本日の探訪の最大の課題でした。私が注文したのは、この店の名物と言われるオムライスでしたが、こちらも2860円。勿論、こんな高いオムライスを食したのは生まれて初めてでした。

 どこが違うかと言えば、卵の弾力が全く違いましたね。注文してから15分ぐらい待たされましたが、恐らく、卵を3~4個使っていると思われます。中の鶏肉、キノコ入りライスもマイルドで、洗練された味でした。

 周囲を見ると如何にも富裕層といった「客質」でした。隣りは4歳ぐらいの女の子を連れた30代ぐらいの若い夫婦でしたが、特に奥方様は、成瀬巳喜男か小津安二郎の映画に出てきそうな上流階級の雰囲気を醸し出しておりました。

 向こうのテーブルは、超一流企業に勤めていそうな20代後半から30代初めといった感じの若いスーツ姿の男性3人とその大学かどこかの恩師に見える70代の男性がビールを片手に談笑しています。えっ?そんな若い時分から、もう資生堂パーラーですか…。羨ましいわけではありませんが、これから残りの人生、何を楽しみに生きていくのかしら?

 私はと言えば、「証拠写真」を撮らなければならない、と必死になっていたら、ジャケットの右袖口にトマトソースを付けてしまっていたらしく、真っ白のテーブルクロスを汚してしまいました。

 私が隠れるようにして、ナプキンで袖口を拭いていたら、お店の人に見つかってしまい、代わりのおしぼりまで運んでくれました。

 いい年こいて、何やってんですか! 駄目ですねえ。こんな高級レストランは、悔しいですが、私の御誂え向きではなかったのかもしれません。

厚労省官僚が深夜宴会した銀座の居酒屋=監視社会の賜物か?

 銀座6丁目

 最近、ブログを書くネタがなくて困っています。以前ですと、西国方面から阿弥陀如来さまのような方が写真と一緒に玉稿まで送ってくださり、年中行事の風物詩の記事を添えることができたのですが、昨年6月からそれもプッツリ切れてしまいました。

 その代わりに帝都の高級住宅街にお住まいの釈正道老師が「暗号」を送ってくださるようになりました。「放送なら基準?違反かな」という見出しでいきなり次の文章が追い込みで始まります

タップリのCM量で、本文の写真か糊口のタネか分からないというあくどい商法かな。銀座周辺の昼メシ情報で活路を見出したかな、と安心していたら、元の木阿弥で、独り善がりの映画、書籍などのウンチクブログに戻ったのは、悲しい限りです。非行少年が、真の道を歩めないのと同様です。悟りの道を求める釈正道が、改心のお手伝いをしましょう。

 これを「暗号」と呼ばずに何と呼ぶことができるのでしょうか? 諜報機関の方々には、是非、この暗号を解読してもらいたいものです。

 まあ、あっしは非行少年みたいなもんなんでしょう。それなら、釈正道老師のお導きで是非とも改心しなければいけませんね。

 さて、厚生労働省老健局の職員23人が過日、東京・銀座の居酒屋で深夜まで送別会を開催したことで、主催した老健局の課長が更迭を含めた懲戒処分、田村厚労相まで閣僚給与2カ月分を自主返納する事態にまで発展しました。

 正直、ここまで厳しい「判定」が下されるとは思いませんでしたが、他にニュースがないので、マッチポンプのテレビがこの話題で大騒ぎしてましたし、引っ込みがつかなくなったということなんでしょう。ただ、コロナ禍で夜の宴会は私自身も自粛していますし、率先垂範して国民に綱紀粛正を求める側のお役人さんが、深夜まで浮かれて騒いでいては、示しがつかないことは確かです。

 実は、個人的には、厚労省の処分よりも、「東京・銀座の居酒屋」が何処なのか気になってしょうがありませんでした。知らなければ、銀座を縄張りにしている渓流斎としては、「銀座博士」の称号を返納しなければなりませんからね(笑)。

 そしたら、意外にも簡単に見つかりました。恐ろしい世の中になったものです。偶然なのか、張り込みなのか、東洋経済の記者が「3月25日0時近くにようやく居酒屋を出て帰路に向かう厚労省官僚たち」の証拠写真まで撮っているではあーりませんか!

 こわ~。ジョージ・オーウェル「1984」の世界です。

 現場は、会社から歩いてすぐの所ですから、すぐ分かりました。

 ちなみに、ビルの名前であるLa Paix(ラペ)とは、フランス語で、「平和」という意味です。渓流斎の野郎にまで写真を撮られて、このビルは平和を乱され、いい迷惑だったかもしれません。

 でも、23人の団体客を受け入れて深夜までやっている薩摩料理の店ということですから、美味しそうですし、楽しめそうです。いつか機会があれば、御一緒しませんか?(笑)。

 

銀座で出会った有名人=梶原一騎さんと乙武洋匡さんは強烈な印象でした

Jardin de Karatsu Copyright par Y Tamano

「私の銀座物語」…なんて書いても、誰も興味も関心もないことでしょうから、別に読んで頂かなくて結構で御座いますが、ブログ主宰者の特権でこのまま勝手ながら続けさせて頂きます(笑)。

 最も古い記憶は子供の頃に連れて行ってもらった時に見た森永製菓の地球儀ネオン(銀座5丁目不二越ビル、1953~83年)か、不二家のネオンか…、それとも単にテレビか映画で見ただけか、その辺は曖昧です(笑)。銀座通りはまだ都電が走っていたことを覚えていますが、1967年12月に廃止されてしまったということですから、私は当時小学生だったので記憶に間違いない。多分、不二家でアイスクリームかケーキを食べさせてもらったと思います。

銀座で最も好きなお店の一つ、文房具の「伊東屋」さん ここでお買い物

 親から銀座に連れて行ってもらったのは、地下鉄ではなく国鉄だったということを覚えているのは、当時有楽町駅のホームから毎日新聞社が見えたからです。窓の奥で働いている人さえ見えました。毎日新聞本社は1966年に有楽町から今の一ツ橋のパレスサイドビルに移転したということですから、これも間違いない。ということは、森永や不二家のネオンの思い出は、東京五輪が開催された1964年とか翌65年頃の話だったかもしれません。

 一人で行くようになったのは高校生ぐらいからで、当然、まだお酒は飲んではいけませんから、行くとしたら、本屋さんでした。晴海通りの5丁目、今、高級ブランド「ボッテガ・ヴェネタ」がある辺りに「近藤書店」という本屋さんがあり、その3階に「イエナ書店」という洋書専門店がありました。あまり、買えませんでしたが、当時の海外の最先端の文化情報を吸収しているつもりでした。今は銀座も本屋さんはほとんど消滅してしまったので本当に残念です。もう取返しがつかないでしょう。

 そう、今やなくなってしまったお店は本屋さんだけではありません。20代~40代の頃によく通った銀座6丁目の交詢社ビルに「ピルゼン」(1951~2001年)というビアホールがありました。ビルの建て替えを機に閉店してしまったと聞きます。ピルゼンは、チェコのビールだと聞いたことがありましたが、そもそも現在、世界で飲まれているビールの80%を占め、ビールの代名詞とも言えるピルスナービールは、ドイツではなく、このチェコのピルゼン(プルゼニ)という街で誕生したというのです。ここで、おつまみとして食べたニシンの酢漬けが懐かしい。もう1軒、この旧交詢社ビルには「サン・スーシー」(1929~2001年頃)というバーがありました。文豪谷崎潤一郎が名付け親と言われ、フランス語のsans souciは、「憂いがない」「心配ない」といった意味です。

 大抵、酔っぱらって行ったので、場所を覚えていなくて調べ直したら、どうやら「ピルゼン」と同じ旧交詢社ビルだったことが分かり、吃驚。案外狭い範囲で飲んでいたことになります。もう誰と一緒に行ったのかあまり覚えておらず、当然、何を熱く語っていたかも覚えていません。ビールの泡と一緒に消えました。嗚呼。これも残念。

「伊東屋」の近くでランチ店を探していたら、結局「煉瓦亭」になってしまいました。7年ぶりでした。

 なくなった話ばかりではつまらないので、話題を変えますと、銀座ですから、歩いていると色んな有名人に出くわします。何と言っても、一番の強烈な印象を放っていたのが、「巨人の星」や「あしたのジョー」などで知られる漫画原作者の梶原一騎(1936~87年)さんでした(歴史上の人物とはいえ、とても呼び捨てできません!)。確か、1985年春頃、狭いみゆき通りの歩道ですれ違いそうになったのですが、梶原一騎さんは、実弟で空手家の真樹日佐夫(1940~2012年)さんをボディガードのように引き連れて、二人とも上下純白の高級スーツに黒っぽいネクタイなしのシャツを着こんで、肩を切って歩いてこっちに向かって来ました。梶原さんは薄いサングラスをかけ、その筋の人ではないかと思われるような威圧感。私? 曲がりたくもないのに、直前の並木通りを右折して逃げましたよ(笑)。

 他に、今はどうされているのか、3年ほど前に沢尻エリカさんと出くわしたことがありますが、大人の対応で、何も知らない、何も見ないふりを致しました。彼女はどこか危なげな症状に見えたのはこちらの錯覚だったと思いますが、数人の取り巻きさんに囲まれていました。落語家の三遊亭好楽さんは、両手に花(女性です)を抱えて、横断歩道を歩いてました。随分背が小さい人だなあという印象でした。また、名前が出てきませんが(笑)、ちょんまげを結った国会議員がいたじゃありませんか。彼もホステスさんに拉致されるように高級クラブに消えていったことを覚えています。

元祖ポークカツ(2000円)とライス(300円)煉瓦亭は明治28(1895)年創業。三代目が7年前に引退して、今の御主人は四代目。昔は1500円ぐらいだったと思うんだけどなあ。この値段ですから、釈正道老師にもお薦めです

 最後に一人挙げるとしたら乙武洋匡さんでしょうかね。今年1月某日の夕方でしたが、あの特殊な自動運転車いすに乗られて、アシスタントらしき妙齢の女性と談笑しながら「歩いて」おられました。乙武さんは2016年3月、不倫騒動とかを週刊新潮で報じられ、あれから相当苦労されたようでした。まさか銀座で本物と出会うとは本当に吃驚してしまいました。餓鬼ではないので、追いかけたりしませんでしたが、思わず振り返ってしまいました。何か宝くじに当たったような気分でした(笑)。

 まあ、実につまらない「私の銀座物語」を最後までお付き合い下さり、誠に有難う御座いました。本当は、ジャーナリストとして有名人さんとは多くお会いしてきましたが、銀座はプライベートで、仕事以外でお見かけしたという話でした。失礼をば仕りました。

中国大陸料理で「倍返し」=銀座「天龍」の餃子はデカい

 先日、このブログで、可哀想な台湾のために少しでもお役に立ちたい、という思いで、台湾料理店「銀座 金魚」に足を運んだ話を書いたところ、早速、ある筋から「分かっているだろうな」と低い声で囁かれました。

 そこで、本日は中国大陸の料理に「倍返し」ということで探した挙句、銀座「天龍」に行くことに致しました。餃子では「日本一」と評判のあの有名店です。昭和24年創業、ということですから、東京でいえば老舗と言えるかもしれません。

 私も以前に何回か行ったことがありますが、今ある場所に移る前の1階にあった頃です。現在は、地下鉄有楽町線「銀座1丁目」駅に直結したビルの4階にありました。

 さすが人気店ですから、コロナ禍とはいえ、少し待たされました。

「銀座 天龍」の餃子ライス・ランチ1250円

 訪れるのは6~7年ぶりですから、すっかり味も作法も忘れておりました。迷った末、焼き餃子(8個入り、1150円)と銀座のラーメン(980円)を頼んだところ、お店の人が「多いですよ。餃子とライスで十分だと思いますよお」と言うので、作法に従うことにしました。

 細かい話ですが、餃子と別にライスを注文すると、ライス小だと200円、ライス大だと300円でした。でも、ランチの「餃子ライス」だと1250円。つまり、ライス分は100円で済んでしまうのです。

 少し待って運ばれてきた餃子を見て、ビックリ。「デカっ!」と声が出るくらいでした。

このデカさ!

 8個入りですから、食べても食べても減りません。たい焼きじゃありませんが、尻尾までお肉がパンパンに入っていました。お店の人が正解でした。これに、ラーメンでは、お腹ぱんぱんになるところでした。「孤独のグルメ」の井之頭五郎さんのように、そんなに沢山食べられませんよ。腹八分目で十分。勿体ないことに、餃子2個も残している先客さんもいました。

 結局、台湾料理を食べたお蔭で、文字通り、「倍返し」で、中国大陸料理を食べることになりました。何か、予言やお告げに従って生きているようで、自分でも怖いです。

 

台湾応援のため台湾料理を銀座「金魚」で食す

銀座 台湾料理「金魚」 

 本日も当局の監視の目をかいくぐってグルメの話題で胡麻化します。

 とは言っても、かなり政治的な話題に触れます。2028年にも米国を抜いて世界一の経済大国になると言われる中国のことです。

 その中国が3月1日から台湾産パイナップルの輸入停止を始めたというのです。中国当局の発表では、その理由は、害虫が発見されたからというものです。台湾産パイナップルの中国への出荷量は輸出全体の9割を占めていたので、台湾の農家にとっては大打撃です。

 台湾では「害虫説」を信じる人はほとんどいません。パイナップルの一大産地である台湾南部は蔡英文総統の与党民進党の支持者が多いため、中国が蔡政権を追い落とす策略のために輸入停止の措置を取ったのではないかと穿った見方をする人もいます。蔡政権はコロナ対策で成功し、支持率も高かったので、中国は、苦肉の策を弄したということでしょうか。

台湾料理「金魚」ランチ「ルーロー飯と台菜麺」1120円 ホットコーヒーを食前に持ってくる風習のようでした

 はっきり言って、大国中国は大人げないですね。弱い者いじめは良くないですよ。台湾だけでなく、国内では同化政策を強行しています。香港では国家安全維持法を施行し、自由と民主主義を弾圧し、「一国二制度」の約束を反故にしようとし、内モンゴルやウイグル地区などでは、固有の言語であるモンゴル語やウイグル語などを禁止して、漢語一辺倒での教育を強制しています。

 中国の今年の防衛費も昨年比6.8%増で、日本円で22兆円余りと日本の防衛費の4倍。アジアの周辺国だけでなく、欧米各国にも脅威を与えています。

 勿論、中国にも言い分はあるでしょう。19世紀から20世紀にかけて欧米列強と、急速に近代化を成し遂げた日本によって、植民地化されるなど長い間支配され、「もう二度と騙されないぞ」と「富国強兵」国家樹立に邁進せざるを得なかったとも言えます。中国にとって、台湾はあくまでも「自国領土」であり、国際社会の批判は「内政干渉だ」と敏感になっています。

 あれっ? グルメの話をするはずが、いつの間にか、生臭い話になってしまいましたね(笑)。

台湾料理「金魚」

  そうなんです。中国による台湾パイナップル禁輸のニュースを聞き、台湾を応援したくなり、本日、台湾料理店に行ったわけです。

 調べたところ、銀座で一番の人気店が、メルサ4階にある「金魚」という店だということで、初めて行ってみました。

 さすが、人気店で、ちょっと待たされましたが、本場台湾の味でした。台菜麺が美味かった。数年前に台湾旅行した時の味を思い出しました。

 今度またこの店に行くとしたら、今回注文しなかった台湾名物「小籠包」でも頼んでみようかしら。

 それとも、こんなことを正直に書いたので、高級中国飯店に行って「倍返し」しなければならなくなるかもしれません。

見つかった? 何が? 愉しみが=備前焼の湯呑茶碗購入記

 備前焼 湯呑茶碗(鈴木美基作)

 コロナ禍による自粛で、つまらない毎日を送らざるを得ません。でも、あまり、落ち込んでばかりもいられないので、何か愉しみを見つけることにしました。

 面白きなき世を面白く、です。

 私の場合、ほんの少し、焼き物に凝ってみました。焼き物といっても、サバの塩焼き定食ではありません(くだらない!=笑)。有田焼、九谷焼、笠間焼といったあの焼き物です。高校生程度の基礎知識しかないので、少し調べたら、中世から現代まで続く代表的な六つの窯を「六古窯」と呼ぶそうですね。それは、越前、瀬戸、常滑、信楽、丹波、備前の6窯です。1948年頃、古陶磁研究家の小山冨士夫氏により命名されたといいます。既に奈良、平安時代から生産が始まっています。

 となると、私も、以前購入したり、家にあったりして、良く知っている唐津焼や萩焼や志野焼や益子焼などは、六古窯と比べれば、それほど古くないということになります。豊臣秀吉による朝鮮出兵で、多くの陶工が日本に強制的に連れて来られたりして、九州を中心に全国至るところで、窯が開かれたという話を聞いたことがあります。

 茶道具の陶磁器の中には城が買えるほど、超高価なものがあったりして、調べれば調べるほど焼き物の世界は奥が深いので、歴史的な話はひとまず置いて、個人的な話に絞ります。

◇湯呑茶碗が欲しい

 きっかけは普段、家でお茶を飲んでいる湯呑茶碗です。いくらなのか、知りませんが、安物で、スーパーで「一山幾ら」の中から見つけてきたような代物です。毎日使っているものですから、そんな安物ではあまりにも味気ない。それでは、何か良い物でも奮発して買ってみようかと思い立ったわけです。

 でも、焼き物は種類が莫大で迷うばかり。そこで、誰が言ったか知りませんが、「備前に始まり備前に終わる」という格言を思い出し、備前焼に絞ることにしたのです。

 そしたら、銀座に備前焼の専門店があることを見つけました。何と私の通勤路のみゆき通りにあり、毎日のようにそのビルの傍を通っていたのです。その店は「夢幻庵」といい、ビルの2階にあります。昼休みに、飛び込みで入ったら、40代ぐらいの女性の店主が笑顔で迎えてくれました。「夢幻庵」は岡山県備前市に本店と支店があり、陶芸作家を200人以上抱えているというのです。東京の、しかも銀座に支店を出すぐらいですから、相当なお店なんでしょう。

備前焼 湯呑茶碗(鈴木美基作)良い景色です♪

◇「小橋俊允は私の弟です」

 それで、店主と色々と話しているうちに、結局、湯呑茶碗一個を買ってしまいました。備前市の鈴木美基さんという陶芸作家が作ったものです。6600円也。お店の女性は「作者は48歳ぐらいの方です」と説明してくれましたが、後で自分でネットで調べてみたら、1970年生まれの方でした。ということは50歳ですよね? もう一人、気に入った湯呑茶碗があり、どちらにしようかと最後まで悩みましたが、8800円という値段の関係もあり、今回は諦めました。作家は小橋俊允さんという人でした。この方、ネット通販でも名前を見かけた人でした。偶然です。通販で購入してもよかったのですが、ネットでは重さも大きさも肌合いもよく分からないので、店舗に足を運ぶことにした経緯があります。

 そしたら、お店の女性は、後になって、「(小橋俊允は)私の弟なんですよ」というので吃驚してしまいました。既に、鈴木美基さんの茶碗を注文してしまっていたので、「遅かりし蔵之介」です。店主は、最初、小橋さんのことを「41歳ぐらいです」と説明しておりましたが、私が後で調べたら、1977年生まれ、ということで、それなら43歳です。えっ!? もし、その場で分かっていたら、「ご自分の弟さんなのに、年齢も知らないんですか?」と、突っ込みを入れていたことでしょう(笑)。

お茶だけでなくビールや焼酎も呑めるとは!

◇茶碗で酒でも呑むかあ

 ということで、鈴木美基氏の湯呑茶碗は、これからも長く愛用していくつもりです。何と言っても、おまけの「収穫」は、この茶碗で、お茶だけでなく、ビールが飲めたり、焼酎のお湯割りなんかも呑めたりできるという話を聞いたことでした。

 「使えば使うほど、味が出てきますよ」と店主さん。こりゃあ、いい。愉しみが一つ増えました。

第二次緊急事態宣言下の東京・銀座=2021年1月18日(月)

銀座三越のライオンも…

 新型コロナの大幅感染拡大を受けて、1月8日から東京、神奈川など関東1都3県で、14日からは大阪、福岡など2府5県も追加されて、2月7日までの緊急事態宣言が発令されました。昨年4月7日(5月25日まで)以来、二度目の発令です。

2021年1月18日

 ということで、本日は、小さなビデオカメラ、とは言っても、単なるiPhoneのスマホですが(笑)、それを抱えて「今の銀座」を撮影してきました。

 時刻は、銀座4丁目にある日本一正確な(?)セイコーこと服部時計店の時計の針が示す通り、午後1時過ぎです。

2021年1月18日

 いつもの通り、昼休みを利用して撮影しているわけです。

 ですから、大好きな仕事をさぼっているわけではありません(笑)。昼休みのせいか、案外人通りがありますね。

2020年4月22日

 それは、昨年4月22日の銀座の様子と比較すると、よく分かります。当時の銀座は、まるでゴーストタウンでした。

2021年1月18日

 ちょっと調べてみると、昨年4月に緊急事態宣言が出された時の東京の感染者数は100人程度でした。100人を超えると、どこもかしこも大騒ぎしたものです。

 それが、今では、東京の感染者数ですが、1500人なんて当たり前。今のところ、1月7日の2447人が東京の最高ですが、上の動画で取り上げた2020年4月22日の時点での感染者数はまだ東京で123人、全国でも405人しかいませんでした。

◇不要不急とは何ぞや?

 本来なら危機感、緊張感を漲らせなければいけませんが、皆さん、場慣れしてしまったのか、いつまでも緊張感が続かないのか、それとも、緊張疲れしたのか、嫌なことは忘れたいというのが人間の性(さが)なのか、一様に「表面上」は殺気立つことなく、平常心を保っています。

 恐らく、皆さんは観光やお買い物など不要不急の用件ではなく、私のように、お仕事で仕方なく、遠路はるばる銀座まで出てきていることでしょうね。

 義務感と使命感に溢れていました。と、ジョージ・バーナード・ショー風に書いてみました。

【参考】

 朝日新聞「新型コロナ感染状況