「めし」「浪華悲歌」「ボクシングと大東亜」

ワニノ公民館 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

いつもながら、どなた様か分かりませんが、コメント有難う御座いました。

昨日は、すっかり調子に乗って、ネットにはなかった成瀬巳喜男監督作品「めし」をDVDで観てしまいました。昭和26年度公開。まだ、米軍による占領時代(昭和20年8月15日~昭和27年4月28日)だったんですね。林芙美子の未完の遺作の映画化で、今後「晩菊」(昭和29年)、「浮雲」(昭和30年)、「放浪記」(昭和37年)など成瀬の代表作となる「林ー成瀬」コンビの第1弾です。

結婚5年目で子供がなく倦怠期を迎えた夫婦を上原謙と原節子が好演しています。終戦直後の大阪が舞台ですが、二人とも東京出身で大阪に転勤してきたという設定です。上原扮する主人公は真面目な北浜の証券マンです。(上原謙は、森雅之ばりに知性派俳優ぶりを全面的に押し出しております)そこへ彼の姪っ子が東京から家出して来て、一騒動になるという話でした。

昭和26年というまだ物資がない時代に、さすがに女優陣は当時最先端のファッションで身を包んでいるので映画だなあ、と思いました。やはり、言葉遣いが丁寧なので、観ていて感服します。成瀬は、台詞に関しては、削りに削っていたそうですから、無駄がありません。

夜は、またネットで、溝口健二監督作品「浪華悲歌」を観てしまいました。昭和11年公開ですから、何と「2・26事件」が起きた年ではないですか!

山田五十鈴主演です。さすが、画面は劣化してぼんやりしている場面がありますが、アップになるととても80年も昔の映画とは思えないぐらい鮮明に映っていました。

山田五十鈴が「不良少女」アヤ子役というのですから、時代を感じさせます。30歳ぐらいに見えましたが、当時、実年齢18歳か19歳の本当に少女だったんですね。

主人公アヤ子の父である準造(竹川誠一)は、事業に失敗して酒浸りになっていた溝口の父善太郎がモデル とされているそうです。映画の中では、アヤ子は父親の300円の借金を返済しようと、男を手玉に取る「不良少女」になり、最後は家族にも見離されて、大阪の街を一人彷徨う寂しい場面で終わります。

俳優さんの顔と名前が一致しないのが残念です。社長さん役の人は、婿養子で奥さんに頭が上がらないという設定ながら、アヤ子と愛人契約したりしますが、なかなか味がありました。また、医者役をやっていた俳優さんの名前も分かりませんが、随分太っていて、昭和11年という時代にああいう体格の人もいたのかという驚きです。

評論家の山本夏彦は「戦前は決して暗い時代ではなかった」と著書の中で繰り替えし書いていましたが、既に、デパートがあって、地下鉄があって、キャバレーもあって、株取引もあって、歓楽街で楽しむ大衆も描かれていたので、少し分かったような気がしました。

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博多の曇卓先生のお勧めで、乗松優著「ボクシングと大東亜」(忘羊社)を読んでいます。

内容と目の付け所が大変いいのですが、大学の紀要を読まされている感じで少し読みにくく、市販書としてなら、残念だなあ、という感想です。

最初に「凡例」を書いて、「読み方の手引き」でも書いておけば、いいのですが、読みずらかったと言わざるを得ません。

例えば、98ページにはこう書かれています。

「…初期のテレビ放送は成功しただだろうか。
佐野[二〇〇〇a]は、日本初の民放テレビ放送の幕開けを、警察官僚から不屈の転身を遂げた正力の事業欲や権勢欲と重ね合わせながら描きだしている。…」

という具合ですが、何ですか?この急に現れる「佐野[二〇〇〇a]」は!!!?

私のような近現代史関係を中心に乱読している者なら、少し考えて、「もしかして、佐野眞一氏の『巨怪伝』を引用しているのかもしれない」と、ピンときます。しかし、「巨怪伝」は1994年に初版が発行されたので、この2000とは何か?

そして、後ろの「参考文献」欄を見ると、2000年に発行された同書の文庫版からの引用だということを著者は、言いたかったようです。

私は博士論文を書いたことはありませんが、引用文献として、時代を経て文庫版になった年号を書くものですかね?いずれにせよ、「凡例」がないので、実に不親切です。

それとも、著者はまだ若いので、読者がそこまで要求するのは酷なのでしょうか?

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最初に「目の付け所と内容はいい」と激賞したので、少し引用します。

・かつてボクシング界には、嘉納健治(神戸富永組)をはじめ、阿部重作(住吉一家)、山口登(山口組)、藤田卯一郎(関根組)などの大親分が関わっていた。中でも、日本ボクシング創世記から興行の世界に足を踏み入れていた嘉納健治は「菊正宗」で知られる造り酒屋の生まれであった。一族の中には近代柔道の祖、嘉納治五郎がおり、嘉納家は神戸でも名門中の名門の家柄で知られる。(83ページ)

【追記】ひょっえーです。菊正宗は、渓流斎の愛飲の酒ですが、嘉納治五郎と関係があったとは不覚にも知りませんでした。渓流斎の呑む菊正宗は、日比谷「帝国ホテル」か、麻布「野田岩」か、銀座「酒の穴」に限ります。せんべろ居酒屋で出される「菊正宗」は似て非なるモノと心得よ。

・後楽園スタヂアムを取り仕切り、日本ボクシング・コミッションの初代コミッショナーに就任したのが田辺宗英。彼は戦前、玄洋社の頭山満を敬慕し、孫文を援助した黒龍会の内田良平や大陸浪人として知られる宮崎滔天らと知り合い、勤皇報国の思想を強めた。1931年(昭和6年)、銀座尾張町の四つ角に「キリン・ビヤホール」を開店。1933年(昭和8年)には西銀座に高級喫茶「銀座茶屋」を、1935年(昭和10年)には5階建ての食堂娯楽デパート「京王パラダイス」などを開き、実業家としての成功を収めていた。(p107~110)

【追記】銀座尾張町というのは、今の銀座四丁目交差点辺りです。最近、日産ショールームがあったビルが「銀座プレイス」として新装オープンしましたが、地下に銀座ライオン(つまりサッポロビール)のビアホールができました(まだ、行ってません)。田辺宗英の「キリン・ビアホール」と関係があるのかどうか?(確か、サッポロは三井系、キリンは三菱系、アサヒは住友系だったと思います)
また、この本では、あの牧久さんの書いた「許斐氏利」伝を引用して、銀座の東京温泉は、成瀬巳喜男監督作品「銀座化粧」(1951年)のロケで利用された、と書かれてあったので、早速この映画もネットで観てみようかと思ってます。

銀座はもう駄目だぁぁ


見よ!

渓流斎ブログでは、よく私のランチを掲載して、多くの方から顰蹙を買ったものです(笑)。

「銀座1000円ランチ」です。

ところが、私がよく通っていた高級料亭「和らん」のランチが、10月1日から1000円と1200円と1500円の3種類となり、1000円ランチは一瞬にして売り切れてしまうのです。

実質上の値上げかな?

そう言えば、「和らん」の周辺の和食店の1000円ランチは、軒並み1200円に値上がっています。

個人的ながら、10月1日からちょうど小生の給金がダンピングされることから、とてもついていけなくなりました。駄目じゃ、これゃ(笑)。

やはり、銀座は敷居が高いですね。

その一方で、写真を見てください。殺到してもらっては困るので都内某所としか書けませんが、ハムエッグ300円、コロッケ300円、アジフライ400円!

同じ東京でも、こちらはとても生活しやすい所です。

銀座の恋の物語

「デスペラートな妻たち」に強力なライバルが現れて、借りようとしたレンタルDVDが既に借りられてしまいました。目下、第2シーリーズの第4巻までいきました。スーザン、ブリー、リネット、ガブリエル、イーディーそしてマイク、ジョージ、ポールとみんな夢にまで出てきそうな強烈なキャラクターで、早く彼らから逃れたいと思っています。

 

仕方がないので、他のDVDを物色して「銀座の恋の物語」と「気狂いピエロ」を借りました。

 

「銀座のー」はもちろん、石原裕次郎と浅丘ルリ子主演の映画で1962年の作品です。記憶喪失になる荒唐無稽なストーリーには興味がなかったのですが、46年前の銀座がどんな風景だったのか興味があったのです。

 

驚きました。全く変わり果てて、面影すら残っていないのですよね。唯一、残っていたのは、この映画で最初と最後に出てくる銀座4丁目の和光の時計台だけです。向かいの三愛ビルは「建設中」でした。もちろん、道路には路面電車がまだ走っています。かすかに日劇と数寄屋橋が出てきます。そうか…。東京が変わり果てたのは、この後だったんですね。1964年の東京五輪に向けて、首都高速が作られ、川はほとんど埋め立てられんですね。

どういうわけか、銀座の松屋デパートが何度も出てくるのですが、恐らく、映画とタイアップしたからでしょう。もちろん、今の「MATSUYA」とは全く似ても似つかない百貨店です。

画家役の裕次郎とミュージシャン役のジェリー・藤尾が下宿している屋根裏部屋みたいな銀座のビルはどこら辺にあったのか、見当もつきませんね。そうそう、日比谷公園の噴水が出てきました。昔は夜はネオンでライトアップされていたんですね。

裕次郎も浅丘ルリ子も20歳代でしょうか。若いですね。二人とも歯並びがガタガタのところが新鮮でいいです。今の芸能人は、老いも若きも気味が悪いほど、白く矯正していますからね。

江利チエミも出演していて、時代の最先端のファッション・シーンが出てきますが、今では全く、通用しないファッションなので、ファッションというのは本当に一過性なんだななあと思ってしまいました。

 

「気狂いピエロ」はヌーベル・バーグの旗手ジャン・リュック・ゴダールの代表作(1965年)です。主演はジャン・ポール・ベルモンドとアンナ・カリーナ。

よく分からない映画でしたね。台詞が観念的すぎて、ちょっとついていけませんでした。昔はこれが「高尚」だと思われていたんでしょうね。でも、こういう作風ならやはり、ヌーベル・バーグは廃れるはずです。難解さと高尚さと紙一重かもしれませんし、この映画は誰でも知っている歴史的な名作かもしれませんが、私的には、ちょっと趣味が合いませんでした。途中で飛ばしてしまいました。