権威主義的、不平等主義的直系家族のドイツと日本=E・トッド著「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」を読破

 ネット通販でスニーカーを注文したら、どうも小さくて、交換してもらうことにしました。以前にも何足か通販で靴を買ったことがあり、大抵、26センチで間に合っていたのですが、今回のスニーカーはスイス製の「オン」という防水性に優れた高級靴です(とは言っても、メイド・イン・ヴェトナムですが)。部屋で試し履きしてみて、無理して履けないことはなかったのですが、ちょっときつい。また外反母趾になったりしては嫌なので、26.5センチに替えてもらうことにしました。

 通販のポイントが付くので、かなり安く買えたと思ったのですが、先方に靴を送り返す宅急便代が1050円も掛かってしまったので、結局、チャラになった感じです(苦笑)。

 さて、エマニュエル・トッド著、堀茂樹訳「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」上下巻(文藝春秋、2020年10月30日初版)を昨日、やっと読了することが出来ました。上下巻通算700ページ近い難解な大著でしたから、正直言って、悪戦苦闘といった感じで読破しました。上巻の「アングロサクソンがなぜ覇権を握ったか」は11月15日頃から読み始め、読了できたのが12月5日で、下巻の「民主主義の野蛮な起源」を読破するのに12日間かかったので、上下巻で1カ月以上この学術書に格闘してきたわけです。

 評判の本ということで、発売1カ月で、日本でも4万部を突破したらしいですが、果たして全員が読破できたのか、疑問が付くほど難解な本でした。私のような浅学菲才な人間が読破できたので、思わず、自分で自分を褒めてやりたくなりました(笑)。

 はい、これで終わりにしたのですが、ありきたりの書評を書いてしまっては、つまりませんね。エマニュエル・トッドという大碩学様に、浅学菲才が何を言うか、ということになりますが、もう少し分かりやすく書けないものですかねえ、と言いたくなりました。矛盾点も見つかりました。

 この本を渓流斎ブログで取り上げるのは、これで4回目です。過去記事は、最後の文末の【参考】でリンクを貼っておきますが、直近に書いた「アングロサクソンはなぜ覇権を握ったのか?」の中で他殺率の話が出てきます。孫引きしますと、こんなことを書いています。

 この本(上巻)の345ページには、1930年頃の他殺発生数が出て来ます。10万人当たり、英国では0.5件、スウェーデンとスペインで0.9件、フランスとドイツで1.9件、イタリアで2.6件、そして日本では0.7件だったといいます。それに対して、米国は8.8件という飛び抜けた数字です。著者のトッド氏は「アメリカ社会は歴史上ずっと継続して暴力的で、そのことは統計の数値に表れている。」と書くほどです。

 そう、この辺りを読んで、私も正直、大変失礼ながら、アメリカは野蛮な国だなあと思いました。

 そしたら、下巻では、上巻には出て来なかったロシアの他殺率が出てきて驚愕してしまいました。251ページに、ロシアの他殺率は、「2003年に10万人当たり30.0人だったのが、2014年に8.7人に急減した」という数字が出てくるのです。10万人当たり30人とは米国どころではありません。時代は違っても、米国を野蛮国と断定したのは無理がありました。何で、トッド氏は、このロシアの数字を上巻に入れなかったんでしょうか?

 原著は5年前の2017年の5年前に出版されたので、当然ながら今年2月のロシアによるウクライナ侵攻のことは書かれていません。(「日本語版のあとがき」の中では少し触れていますが、あくまでも、著者は「ウクライナ軍を武装化してロシアと戦争するように嗾けたのは米国とイギリスです」と、ロシア贔屓の書き方です。)

 下巻の240ページでは、「モスクワによるクリミア半島奪回、ウクライナにおけるロシア系住民の自治権獲得など、伝統的な人民自決権に照らせば、正統な調整と思われることが、西洋一般において、とんでもなく忌まわしいことと見なされている。歴史の忘却を超え、地政学的現実の考慮を超えて、唖然とせざるを得ないのは、ロシアの脅威の過大評価にほかならない」とトッド氏は断言されていますが、結局、ウクライナ侵攻という事実によって西側メディアや学者らがロシアのことを脅威と見なしていたことは、過大ではなく、正当で、トッド氏の予言ははずれたと、私は思うのですが。

◇ユーラシア大陸中央部だけが権威主義的か?

 もう一つ、私が矛盾点を感じたことは、下巻10~11ページに書かれていたことです。

 個人主義的・民主主義的・自由主義的イデオロギーが、ユーラシア大陸の周縁部に、歴史の短い諸地域に位置しているということである。逆に、反個人主義的で権威主義的イデオロギーーナチズム、共産主義、イスラム原理主義ーは、ユーラシア大陸のより中心的ポジション、より長い歴史を持つ諸地域を占めている。

 確かにそうかもしれません。ユーラシア大陸の中央にあるロシアや中国は実質的に共産主義で、イランやアフガニスタンなどはイスラム原理主義です。でも、ユーラシア大陸のはじっこの周縁部にある北朝鮮やベトナムはどうなるのでしょうか?

 それでも、著者による「人口」「出生率」「識字率と高等教育」「宗教」「イデオロギー」「家族形態」に着目して、世界のそれぞれの国家を分析、仕分けした学説は説得力があり、データの使い方に恣意的な面が見られるとはいえ、感心せざるを得ません。表記も換骨奪胎して、それらの部分を引用します。

 ・政権交代を伴う自由主義的民主制が容易に定着したのは、欧州でも英国、フランス、ベルギー、オランダ、デンマークといった核家族システムにおいてだけだった。(19ページ)

 ・カルヴァン的不平等主義から民主的な平等主義へ移行した米国は、独立宣言で、インディアン(アメリカ先住民)のことを「情け容赦のない野蛮人」と述べ、1860年から1890年までの間に、インディアン25万人を殲滅した。人種差別はむしろ、アメリカン・デモクラシーを支える基盤の一つだ。(22~23ページ)

◇人類の知的能力は頭打ちか?

 ・米国の高等教育は、1900年は、25歳の男性のわずか3%、女性の2%しか受けていなかったが、1940年には男性7.5%、女性5%、1975年には男性27%、女性22.5%、2000年頃には男性30%、女性25%に達した。しかし、試験の平均スコアは1970年代からほぼ停止状態入った。これは、受け入れシステムの制約ではなく、高等教育を受けるに足る知的能力の持ち主の比率が上限に達した結果だ。(43~46ページ)

・米国の1950年代以降の知的能力の停滞は、テレビの普及の可能性があるのではないか。私は既に、6歳から10歳までの思春期以前の集中的読書がホモ・サピエンスの知的能力を高めることを言及したが、集中的読書を抛擲したがゆえに頭脳の性能が落ちたとしても、いささかも意外ではない。(50ページ)

・ロシアや中国の基本的家族型は、外婚制共同体家族だが、セルビアやベトナムなども含め、農村で起こった共同体家族の崩壊で人々が個人として解き放たれたが、急に解き放たれた個人は、直ぐに自由に馴染めず、ほとんど機能不全に陥った家族の代替物として、党や中央集権化された計画経済や警察国家に求めた。(142ページ)

◇不平等で反個人主義のドイツと日本

 ・ドイツと日本は直系家族の典型で、父系制が残存し、長子相続の記憶を保全し、不平等な反個人主義だ。女権拡張的価値観に乏しく、人口面で機能不全を来し始めた。その一方、今日の世界貿易の面では、英語圏の全ての国が赤字で、一般的に直系家族型社会が黒字になっている。(170~176ページ)

 ・ゾンビ・直系家族は、集団的統合メカニズムを恒久化し、不平等主義を促し、非対称性のメンタリティがあるが、ドイツや日本の技術的優越性は自己成就的予言となり、かくしてドイツ製品や日本製品は高いレベルに到達していく。(190ページ)

 ・大陸ヨーロッパでは、オランダ、ベルギー、フランス、デンマークを別にすると、自由主義的、民主主義的であったことは一度もない。大陸ヨーロッパは、共産主義、ファシズム、ナチズムを発明した。何よりも、ユーロ圏の多くの地域が権威主義的で不平等主義的な基層の上にあることを忘れないようにしたい。(232~237ページ)

 ・直系家族であるドイツや日本の階層的システムは、社会秩序を安定化させる不平等原則を内包している。(271ページ)

 こうして読んでいくと、ドイツも日本も19世紀までいわばバラバラの領主分権国家だったのが、統一国家(プロシャ、大日本帝国)として成立した時期も似ています。明治日本がプロシャを手本にして憲法をつくったりしたのも、先の大戦で、日独伊三国同盟を樹立したのも、同じ直系家族として、偶然ではなく、必然だったのかもしれません。勤勉で真面目で、組織力がある性癖は日独に共通しています。

 私の経験では、英国で道に迷って、人に聞くと「No idea」と言って素っ気ないのに、ドイツ人ならわざわざ一緒に歩いて目的地まで連れて行ってくれたりしました。同じ直系家族としてウマが合うのかもしれません。

【参考】

 ・2022年11月18日=「人類と家族の起源を考察=エマニュエル・トッド著『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』」

 ・2022年12月1日=「『ドミノ理論』は間違っていた?=家族制度から人類史を読み解く」

 ・2022年12月6日=「アングロサクソンはなぜ覇権を握ったのか?」

メダルかじった、はなおかじった

 何と言っても、オリンピックは番外編の方が面白いのです(笑)。

 名古屋市の河村たかし市長が8月4日に表敬訪問した五輪選手の金メダルをかじったことで、国内外で批判が高まり、市長は謝罪しましたが、海外では「市長が新型コロナウイルス対策を訴えるボードの前で、マスクを外してメダルをかんだ」(ロイター通信)と、皮肉を込めて報じられ、世界に大恥を晒しました。

 金メダルをかじられたのは、ソフトボール日本代表で、名古屋市出身の後藤希友選手で、同選手が所属するトヨタ自動車までもが抗議声明を発表する事態に発展しました。

 しかし、東京五輪組織委は「メダル製造で瑕疵(かし)があった場合のみ無償で交換対応するが、それ以外は対象外です」とし、たとえ、河村市長の歯形が付いたとしても、交換しないからねえーといった意味を込めて?、わざわざ声明を発表するほどです。ウイルス感染も心配なのになあ…。

 河村市長は「宝物を汚す行為で配慮が足りなかった。後藤選手には申し訳なかった」と陳謝しましたが、こんな市長を選んだのも名古屋市民ですからね。恐らく、この陳謝で、一件落着で終わることでしょうけど、河村さんが公費ではなく、自腹で弁償してあげれば一番スッキリすると思います。組織委は、有償なら交換してくれるんでしょ?

築地料亭「わのふ」ランチ「親子丼」1000円

 「メダルかじった」市長、と聞いて、「はなおかじった」先生を思い出しました。花岡実太と書きます。1966年に放送されたドラマ「忍者ハットリくん」に出演していた強烈な個性の先生で、よく、同僚の先生や生徒から「鼻をかじった」先生と呼ばれるので、いつも「鼻をかじった、ではにゃく、わたすは、花岡実太だ」と、東北のズーズー弁で反論するのがお決まりのパターンでした。

  「忍者ハットリくん」 は藤子不二雄原作の漫画を実写版ドラマとしてNET(今のテレビ朝日)系で放送されたものでしたが、私は子どもだったので、よく見たものですが、内容については、この「はなおかじった」先生のことしか覚えていません(笑)。

 今は便利な時代で、すぐ検索することができ、この花岡実太先生役を演じていたのは、谷村昌彦(1927~2000年)という俳優で、山形市出身だったんですね。喜劇役者としてスタートしましたが、時代劇からヤクザ映画まで幅広く出演していました。夏目雅子主演の「鬼龍院花子の生涯」や黒澤明監督の遺作「まあだだよ」にも出ていたこともすっかり忘れていました。

 谷村昌彦さんは、恐らく、もう若い人は誰も知らず、すっかり忘れ去られた俳優さんなんでしょうけど、昔の俳優さん、特に脇役の方は、今より遥かに個性的で強烈な印象を残したものでした。悪役の上田吉二郎なんか、いつも子分たちに「ムハハハハ、馬鹿野郎、早くやっちまえ」とハッパをかけて主役を食っていましたし、「悪魔くん」のメフィスト役などに出ていた吉田義夫なんか、本当にアクが強そうだった。.品川隆二は、近衛十四郎(松方弘樹、目黒祐樹の父)の「素浪人 月影兵庫」の焼津の半次役で滑稽な印象がありますが、その前に出ていた「忍びの者」では、石川五右衛門役をやったりして本当に怖かった。。。

 その点、今の主役級の俳優さんは、誰とは言えませんけど、偉大な俳優の二世、三世ばかりで、残念ながら、コマーシャルばかり出ているせいか、宣伝マンに見えて、魅力に欠けますね。雷に当たったような痺れるほどカリスマ性があった俳優は松田優作辺りが最後かなあ、と思っています。

 

テレビの時代は終わった?

「築地の貝」定食 1300円 築地に貝専門の食堂があるとは知りませんでした。「鴨亭」の斜め向かいに発見。

※※※※※

 先日、通勤電車の中でざっと見渡したら、本を読んでいる人が一人もいなかった。私だけだった、といったことを書きましたが、忘れていました。本だけでなく、新聞も週刊誌も雑誌類も読んでいる人はいませんでした。新聞、週刊誌を読んでいる人は、月に2~3回見る程度です。

 そう言えば、通勤電車内で、多分、昨年辺りから週刊誌の「吊り広告」が消えてなくなりましたね。あれは、楽しみだったんですけどねえ。週刊現代と週刊ポストはもっと前からなくなっていましたが、昨年か今年初めぐらいまでは、週刊新潮と週刊文春は頑張っていたんですけどね。

 大抵の通勤客は、スマホを見ています。7割か8割近くはスマホです。ゲームやSNSが多いんでしょうが、中には新聞や週刊誌のニュースをチェックしているかもしれません。若い人たちは、紙媒体から電子媒体に変わったということなんでしょう。

 でも、変化があったのは、紙媒体だけではありませんでした!昨日、報道された「若者のテレビ離れ」には本当に衝撃的で吃驚しました。NHK放送文化研究所が5年に1回実施する「国民生活時間調査」で、平日の1日にテレビを見る人の割合は5年前の85%から79%に減り、特に16~19歳では5年前に71%だったのが、わずか47%と大幅に減少したというのです。

 テレビを見る10代が半分以下というのは、これはテレビ業界の関係者にとっては危機的状況ですよ。将来を担う10代が47%では、もう「テレビの時代は終わった」という事実を見せつけられたということになります。(同時に、広告媒体の王様が、テレビからインターネットに取って代わったことを意味します)

 思えば、日本でテレビ放送が開始されたのは1953年のことです。我が家にテレビ受信機が導入されたのは、その10年後の1963年でしたが、2021年にテレビ時代が終わったとなると、わずか68年で終焉を迎えたことになります。

 勿論、若者はスマホのネットで、テレビのコンテンツを見ているのかもしれません。でも、プロではなく素人がつくったYouTubeや、テレビ制作者ではないセミプロがつくった動画サイトを見ている若者も多いのかもしれません。

 いやはや、時代は変わるものです。

 ところで、皆様におかれましては、毎日、《渓流斎日乗》を御愛読して頂き、洵に有難う御座います。2005年3月15日から、gooブログのネットで細々と開始し、2017年9月15日頃から、松長哲聖氏の御尽力で自分自身のサイトを独立して立ち上げました。

 独立して今年で4年になりますが、50万ページビューになろうとしています。全く世間的には無名の凡夫の個人サイトがこれほどまで読まれるとは奇跡に近いのではないでしょうか。これも全て、毎日のように、嫌々ながら(笑)チェックして頂いておられる皆様のお蔭と熟知しております。

 「世界最小の双方向性メディア」を自称しているため、最近では、コメントも屡々、送って下さるようになり、恐悦至極に存じます。書き続ける張り合いになりまする。

 改めて御礼申し上げる次第で御座います。

作家遠藤周作の御子息がテレビ局社長に

 フジテレビの新社長に作家遠藤周作(文化勲章受章)の長男龍之介氏(62)が、6月の株主総会を経て就任するという記事を読みました。おめでとうございます。

 テレビ局に縁故入社する有名人の子弟は案外多いので、驚いたわけではありませんが、さすがにトップの社長になる人は少ないので、感心しました。遠藤氏が縁故入社かどうか公表されてもいないのに、何か上から目線ですねえ(苦笑)。

Espagne

 でも、マスコミが、作家や画家や文化人や大手企業重役などの子弟を採用するのは理由があるのです。ただし、茲では書きません。偶には、皆さんご想像してみてください。あ、それとも、既に御存知でしたか?

 そもそも、マスコミも大手企業も縁故入社があることは公然の秘密です。政治家の口利きで入社する人もいるぐらいですから。

 マスコミが「社会の木鐸」とか、清廉潔白だというのは幻想であって、天下のNHKも、大手広告代理店も、大手出版社も縁故入社はかなりいます。朝日新聞だって、もともと縁故採用が本筋で、入社試験を始めたのは1920年からです。近現代の歴史を勉強していれば、つい最近だということが分かります。コネ入社の方が、身元がはっきりしていますし、安心安全だからです。

 さすがに、霞ヶ関の官僚の世界では試験重視なので、縁故入省はないですが、外務省となると、不思議なことに、東郷さんのように、親や子や孫や何代も続いて外務官僚になる家系が多いですね。

 だから何だ、という話で、今日はオチがありません(笑)。

スペインの旅行写真はこれが最後です。本文とは関係ないのに長らく御鑑賞有難う御座いました。

テレビはパラボラアンテナでは見ない、Wi-Fiで見る

昨晩20日は、月曜日だというのに、東京・虎ノ門の居酒屋「小虎」で懇親会でした。

もう1カ月も前から大野幹事長から「参加されたし」との通達がありました。実は、その通達があった3日前の夕方5時半に「今から来てください」との連絡があり、いくらなんでも、当日の土壇場の今からではこちらも予定があり、お断りしたのでした。

これに懲りた大野幹事長は、意趣返しか、何と今度は1カ月も前に通達してきたわけです(笑)。

久しぶりと、初めて会った面々は9人。「安否確認」ではなく、「生存確認」ということで、「渓流斎もやはりまだ生きていたのか」と余計なことを言う人もおりました。

例によって、懇親会での内容を書くと大野幹事長が「名誉毀損で訴えますよ」と高らかに宣言されておりましたから、残念ながら少しだけしか書けません(笑)。

◇◇◇

新聞業界が低迷の一途を辿っている最中に、感心にも、大野幹事長は、探訪記者らしく、自宅で9紙も購読しているというのです。天晴れ。記者の鑑ですね。しかも、毎朝4時半に起床して数時間かけて読破しているというのです。

年間購読料は50万円だとか。噂では、誰も注目しないような新聞の片隅に小さく載っている人事や事故やプロフィール情報を切り抜いてスクラップして、まるで興信所のようにいざという時に使うらしいのです。点情報を線情報にして、相関関係図まで作ってしまうというのですから大したものです。流石、探訪記者です(笑)。

◇◇◇

久しぶりにお会いした某テレビ局重役の川内さんには面白いことを教えてもらいました。

最近の若い人の「テレビ離れ」で、有料テレビの契約者が減少傾向にあるというのです。で、若い人は何を見ているかというと、ネットのユーチューブやネットフリックスなどです。受け身で垂れ流しの番組を見るのではなく、自分で検索して好きな番組を能動的に見るというのです。

そういう傾向が強くなっているのが、40代の団塊ジュニアの下の若い世代で、溝ができるくらいクッキリと差があるというのです。団塊ジュニアがもう旧世代になるとは!

賃貸マンションもかつては、BSやCSのパラボラアンテナが設備されたものが好まれたのが、今では、Wi-Fiが繋がっているマンションでなければ見向きもされないといいますから、時代は変わったものです。

…などと書くと、協会幹部や大野幹事長からは「だから渓流斎は上から目線で、偉そう」「誰もが知ってることを自慢げに書く」と叩かれるのです。

ま、普段は読者の皆さまの本音は、直接聞けませんから、昨晩は貴重なご意見として拝聴奉っておきました。

パブ屋ばっか跋扈

今はほとんど読まれなくなってしまった作家山本夏彦が、何の本か忘れましたが、エッセイで「全ての新聞や雑誌の記事は宣伝である」といったような趣旨で世相を斬り、世の中の本質を喝破しておりましたが、私も最近、そのことを痛感しております。

媒体(メディア)として、新聞・雑誌が、ラジオやテレビに代わり、それがネットに代わっても窮極的には同じなのです。

番組も記事もサイトも全て、宣伝、広告なのです。

政治の世界で、「安倍首相がどうのこうの」と書けば、自民党の宣伝になりますし、経済面に「iPhone8が発売」と書けば、米アップルの広告、スポーツ面に「清宮、プロ宣言」と載れば、職業野球興行の宣撫活動といった具合です(笑)。

以前は、それを世間の人に分からないように、巧妙な手口で、いわゆるサブリミナル効果を狙っていました。福島原発事故を起こす前の東京電力なんかは、莫大な広報宣撫活動費を使って、記者やジャーナリストを接待して、提灯記事を書かせ、「安心安全」「明るい未来の原子力」を演出しました。

それが最近は、露骨になりましたね。テレビはBSのチャンネルが増えて、「電波の希少価値」が薄れ、朝っぱらから「テレビ・ショッピング」ばかりやってます。

ラジオを聴けば、「痛散湯」「痛散湯」と耳にタコができるくらい連呼して、本当に耳にタコができてしまいました(笑)。

ネットも宣伝広告だらけで、一度見た広告は、いつまでも、何処までもついてきます。パソコンで、しょうがなく仕事で調べものをしただけなのに、見たくもない顔のタレント(の宣伝広告)が、どこのサイトを開いても、いつまでも付きまとってきて、仕事にならないほどウンザリすることはしょっちゅうです。

冷静に観察すれば、検索エンジンのグーグルやヤフーは、検索を隠れ蓑にした広告宣伝会社であり、SNSのLINEやツイッターやフェイスブックも交流サイトを謳った宣伝会社です。彼らの広告費獲得行為を「ビジネスモデル」などと高尚な言い方をしているだけなのです。

先日聞いた話ですが、皆さんも御存知の某テレビ局の某報道記者が、上司から、ある取材を命じられた時、「何で、パブ屋のお先棒を担がなきゃならないのですか」と反抗したことがあったそうです。

うーん、随分気骨のある人だったんですね。

とはいえ、「これは個人の感想です。効果には個人差があります。」と私も顰みに倣って付け加えておきます(笑)。

安河内さん、出てましたね

foigras

「ヤスコーチ君がテレビに出てますよ」ーとのチェーンメールが昨日、世界的規模で瞬く間に広がり、私も昼休みを利用して東京・新橋の街頭テレビで見てきました。

NHKの「サラメシ」という番組で、各企業の社員食堂やお弁当などを紹介する番組です。

ヤスコーチ君というのは、老舗出版社の新潮社に勤めている安河内龍太様のことで、「敏腕編集者」として業界では有名人です。

番組では、しっかり実名と実年齢までもが明記されてましたので、本人も意欲満々でした。安河内先生は以前に「識者」として、東京新聞のオピニオン欄にも登場されてましたから、御存知の方々も多いことでしょう。

番組では、ボリューム沢山の日替わメニューが紹介され、「チキンライス」と言いながら、この他にコロッケやナポリタンなどもサイドメニューとして用意され、どれだけ盛っても200円という超破格な御値段!

おーい、今度俺も食べさせてくれい!

「サラメシ」の番組紹介欄には「東京神楽坂の新潮社にはユニークな社食がある。社員は約500。社食が登場したのは昭和41年。現在も総務部直轄で運営している。青木繁幸シェフの正式な肩書も総務部食堂係主任となっている。きょうのメニューはのりのり丼ということだが、青木シェフは早速中華麺を茹で始めた。出版の現場からは炭水化物のリクエストが多い。今日は焼き魚など6品をつくる。揚げ物などの仕込みも当日行い、その数は280人分。」とありました。

鬼の編集者、安河内先生は「のりのり弁なんて聞いたこたあねえな」と言いつつ、美味しそうに頬張っておりました。

この鬼の編集者とは、もうかれこれ27年も昔、渋谷区神南のNHKの11階にあった放送記者クラブで知り会いました。当時、彼は東京タイムズ(現在休刊)の若い駆け出し記者でしたが、その頃から風格があり、私なんかより10年以上先輩に見えました(笑)。

安河内記者の東京タイムズの先輩というか、上司というか、デスクというか、編集主幹とかいう人物が、今は関西広域を拠点に活動されている京洛先生でした。当時は東京に住んでいたので、自ら調布先生と名乗っておりました。

放送記者クラブには、各社のユニークな名物記者のオンパレードでした。「ザッキー」の異名を持ちスクープ記者として恐れられたサンケイスポーツの尾崎さんを始め、報知の稲垣さん、産経の岩切さんと安藤さん、毎日の仲西さん、東京の村上さん、そして立命館大学に奉職された日経の松田さんら昭和30年代の日本映画の黄金期とテレビ草創期を過ごした超ベテラン記者揃いでした。

当時若手ながら、後に放送評論家として名を成す読売の鈴木嘉一さんや朝日の隈元信一さんもおりましたね。

マスコミ業界では、文化、学芸、芸能記者は、政治、経済記者らよりも一段も二段も低く蔑まされて見られておりましたが、実はなかなか奥が深い(笑)。レコード大賞を作ったり、地方の美術館の館長さんにデーンとおさまったり、演劇、映画評論家になったり、大学教授に招聘されたり多士済々なわけなんです。

あっ?鬼の編集者から話が飛んでしまいましたね(笑)。ま、い、か。

家族

 ローマ「カフェ・グレコ」 カサノヴァ、キーツ、シェリーらも常連だった

公開日時: 2007年5月20日 @ 10:43

朝日新聞の日曜日の社会面には毎週「家族」をテーマに色んな家族が登場しています。本日は、ある有名女優でした。取材されたのではなく、自ら、投稿したのです。その女優は、パソコンを持っていないらしく、手書きの手紙を新聞社に送付したようです。

早逝した自分の父親と弟について、淡々とした筆致で描かれていました。

何と文章がうまいのでしょう。そこには、華やかな脚光を浴びる有名女優としてではなく、島根県の出雲市で生まれ育った一人の女性の、素朴ながらも、苦難に挫けずに前向きに生きる姿がありました。

久しぶりに感動してしまいました。涙が滂沱の如く流れ、止めることができませんでした。

私もかつて、多くの芸能人の人に会ってきましたが、彼らは、例外なく、差別されたり、身内の人に不幸があったりするケースがほとんどでした。苦悩やハンディをバネに生きてきたといえます。

この有名女優とは会ったことはないのですが、このような過酷な体験をしているとは思いませんでした。最近は、もうテレビを見ることはないのですが、陰ながら応援したくなりました。

有名女優とは、江角マキコさんのことです。

テレビ怖い

イワヒゲ(ツツジ科)

 

仕事柄、職場にテレビが四六時中付いているので、見たくなくても、否がおうでも目に入ってきます。

 

腹が立つほど低俗で見るに耐えません。

 

それに、コマーシャルにしろ、ニュースを読むキャスターにしろ、カメラ目線が妙に気になります。うまく言葉で言えませんが、恐怖すら感じます。

 

結局、資本主義の権化であるテレビはコマーシャル放送ですから、物を買え、物を買え、と訴えているわけです。消費意欲を刺激しているのです。そんなものに触れるとまるで土足で人の心の中に踏み込まれたような感じがするのです。

 

北海道に住んでいた時、あまりテレビを見ませんでした。見ないことが習慣になりました。周りに自然が溢れていたからです。それに、都会の企業が宣伝するような商品はほとんど必要がないので、まったく興味が沸かなかったのです。

 

都会人はまさにメディアという媒体を通して紛い物をつかまされているだけではないでしょうか。

 

うまく言えませんが、都会より田舎に住んだ方が人間らしい生活ができる気がするのです。もちろん、田舎は自然が厳しく、その厳しさを媒体を通すことなく、まともに浴びてしまいますが、人間らしいといえば人間らしいということになります。

 

言葉足らずですが、このことはまた書いていきたいと思います。