🎬「ナポレオン」は★★★

 最近、どうも映画づいてしまい、毎週のように観に行っておりますが、今週は、今、派手に宣伝しているリドリー・スコット監督作品「ナポレオン」(ソニー・コロムビア)を観て来ました。

 私は、自称「フランス語屋」ですので、大いに期待したのですが、仏皇帝ナポレオンなのに「英語」でガッカリです。これは、ユダヤ資本の米ハリウッド映画なので最初から分かっている話ですけど、世界的に一番「売れる」作品としてのマーケット戦略が見え隠れします。それに、一大戦争スペクタクル映画なので、巨額の製作費が掛かっているはずです。今、調べたところ、2億ドルらしいので、約300億円です。これでは、恐らく、今のフランス映画界では製作できないことでしょう。仏語での興行収入を回収できるかどうか見込めないという意味でも。

 「ブレードランナー」「グラディエーター」で知られる名のある巨匠リドリー・スコット(86)だからこそ、投資できる映画だと言えます。ですから、フランス人から見たナポレオンではなく、英国人リドリー・スコットから見たナポレオンが描かれています。そして、監督は、肝心要のナポレオン役に、「ジョーカー」で米アカデミー主演男優賞を受賞したホアキン・フェニックスを起用しましたが、どう見てもナポレオンに見えない!今、旬のフランス人の世界的映画俳優が見当たらないせいかもしれませんけど、もし、アラン・ドロン(88)がもう少し若くてナポレオンを演じたら、ギトギトした野心家の面を彼なら自然に出せたんじゃないかと思いました。

 映画の宣伝コピーにあるように、「英雄と呼ばれる一方で、悪魔と恐れられた男」の話にはなっておりますが、実に人間臭く描かれています。英雄ナポレオンは、天下国家を論じたり、領土拡大の野心を語るのでもなく、不逞を働く妻ジョゼフィーヌとの関係に悩む「弱い男」丸出しです。

 勿論、史実に基づいて描かれていますが、映画ですから脚色されています。ナポレオンの弱さを強調する辺りは、歴史上の人物というより、「リドリー・スコットのナポレオン」と言っても間違いないでしょう。

 ナポレオン・ボナパルト(1769~1821年、51歳没)の時代は、日本で言えば十代将軍徳川家斉(1773~1841年)の時代に当たります。日本は一応安定した江戸時代ですが、フランスは、仏革命後の粛清の嵐と戦争に明け暮れた時代でした。残酷なギロチンの場面も出て来ます。

 映画のエンドロールで、ナポレオン戦争での戦死者が450万人にも上ったことを数字で明らかにしていました。これだけの犠牲者を出したわけですから、ナポレオンは英雄視される一方、今でも、「コルシカ人」の彼のことを憎悪する欧州人がいるのは納得せざるを得ません。映画では、有名なアウステルリッツの戦いや最後のワーテルローの戦いなど数々の戦争シーンが出て来ますが、恐らくCGも使ったことでしょうが、実に圧巻で、観客も、まるで戦場に立たされているような感じでした。

 この映画では、モスクワの「冬将軍」に遭遇する場面や「百日天下」などが再現されますから、世界史を齧った人なら、「うまく描いているなあ」と納得しますが、ハイライトは、ダヴィッドが描いた有名な「ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」(パリ・ルーヴル美術館)を再現した場面かもしれません。まさに、あの絵画を参照して映像化したことが読み取れます。まるで、歴史ドキュメンタリーのような感じですが、やはり、ドラマは、まるでその場を見てきたような「リドリー・スコットのナポレオン」になっています。

フランス地図上旅行 マドレーヌとは?

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し (萩原朔太郎「純情小曲集」旅上)

ということで、フランスに行って、お城や庭園、それに美術館や教会、大聖堂、修道院などを訪ねて、現地の美味しい料理とワインを味わって、できればそこに住む人たちとフランス語で話をしてみたいと思い立ちましたが、やはり、諸般の事情で行き難し。

 そこで、せめて、旅情でも味わいたいと思い、ガイドブックを買ってきました。

 「地球の歩き方」(フランス版)(ダイヤモンド社)です。このシリーズ本がこれほど有名になるずっと昔、私がまだ学生だった1979年に、この本を片手にヨーロッパを30日間旅行したことがあります。(「地球の歩き方」は、現在100種以上出版されてますが、当時は、ヨーロッパ版、アメリカ版など数冊程度しかありませんでした)何と、もう実に40年も昔なんですねえ。一人で参加したのですが、この旅行で、九州から参加した風来坊の今村君と知り合い、「旅は道連れ」で、英、蘭、丁、独、南斯拉夫、希、伊、仏と結局最後まで一緒に同行しました。

風来坊の今村君はその後も放浪を重ね、今現在もアメリカに住んでおります。

バルセロナ・サグラダ・ファミリア教会

さて、なぜ、「地球の歩き方」(フランス版)を買ったのかと言いますと、昨年、初めてスペインを旅行した際、スペイン版を買って大いに役立ったからでした。聖ヤコブの遺骨が埋葬されていると言われている巡礼地サンティアゴ・デ・コンポステーラの来歴や、16世紀にインカ帝国やアステカ帝国を滅亡させたピサロとコルテスがスペインでも農作物があまり育たない荒野のエストレマドゥーラ地方出身だったことなど、これまで知らなかった色んな知識を得ることができ、スペインに関してかなり詳しくなりました。

それなのに、私自身、フランス専門家を自称しておきながら(笑)、パリだけは何度か自分の足で駆け巡りましたから、大体のことは分かっていても、特にフランスの地方の地理や名所旧跡に関する知識は覚束なかったのです。

 これじゃ、駄目じゃん。ということで、ちょっと、フランス地方に関して勉強したくなったのです。

この本はまだ、全部読んでおりませんが、かなりの収穫がありましたねえ。せっかくですから、クイズ形式としましょう。

ノトル・ダム・ド・パリ

【質問】

(1)皇帝ナポレオンがこよなく愛したブルゴーニュ産のワインの銘柄とは?

(2)スペインには、バル Barとレストラン Restaurante の中間の居酒屋風食堂として、食べるな、いやタベルナ taberna がありましたね。フランスにもカフェ Café とレストランRestaurant(ゲストガンの発音に近い)の中間として、大衆的な食堂であるビストロ Bistroとブラッスリー Brasserieがあります。それでは、「食通の都」リヨンで郷土料理を提供する大衆食堂は何と言いますか?ついでに、地方で宿泊できる食堂のことを何と言いますか?

(3)スペインの巡礼地サンティアゴ・デ・コンポステーラに通じる巡礼道の起点の一つと言われているブルゴーニュ Bourgogne 地方ヴェズレー Vézelay にある有名な聖堂は何でしょうか?

ルーブル美術館

【答え】

(1)シャンベルタン Chambertin(コート・ド・ニュイCôte de Nuits 地区)でした。ついでながら、このコート・ド・ニュイ地区では、「ワインの王さま」ロマネ・コンティ Romanée -Conti(1ボトル300万円也!)やクロ・ド・ブーショ Clos-de-Vougeotなども産出します。

(2)リヨンの大衆食堂は、ブッション Bouchonです。東京・銀座にも「ブッション・ドール Bouchon d’or」という名前のリヨン料理店があります。地方の宿泊付き食堂は、オーベルジュ Auberge と呼ばれています。画家ゴッホの終焉の地オヴェール・シュル・オワーズ Auvers-sur-Oise(イル・ド・フランス ile de France)には、彼が自殺するまで2カ月間住んでいたラブー亭 Auberge Ravouxは、オーベルジュでした。現在、「ゴッホの家」として公開されています。6ユーロ。

(3)サント・マドレーヌ・バシリカ聖堂 Basillique Ste-Madeleineです。このマドレーヌとは、マグダラのマリア Marie de Magdalaのことだったんですね。プルーストの「失われた時を求めて」にも出てくるお菓子のことだ思ってました(苦笑)。マグダラのマリアは娼婦でしたが、改悛して、後に聖女として崇められるようになりました。宗教画でも欠かせない存在で、イエスが十字架で磔にされた時に、傍にいて、解放した人々の中の一人とも言われています。

で、マドレーヌ菓子に戻りますと、ホタテ貝の形をしてますね。ホタテ貝は、サンティアゴ=十二使徒の一人聖ヤコブのシンボルでしたね。ということで、サンティアゴ・デ・コンポステーラ~ヴェズレー~聖ヤコブ~マドレーヌ聖堂という連想からホタテ貝の形のお菓子になったという民間伝承があるようでした。

 こうして色んなことを知ると、地図上の旅でも大変楽しくなります。また、いつか、次回も同じ企画をやってみます(笑)。

ゴリオ爺さん、嗚呼、偉大なるバルザック

伊太利亜フィレンツェ

世界的なベストセラーとなったトマ・ピケティの「21世紀の資本」の中で、オノレ・ド・バルザックの小説「ゴリオ爺さん」が、盛んに引用されていました。

単なる小説と馬鹿にする勿れ。

舞台は、バルザック本人がちょうど20歳の誕生日を迎えた1819年のパリです。 マダム・ヴォケーが営む賄い付き下宿で当時の最先端の様々な風俗が活写されます。1834年9月から翌35年1月にかけて執筆されました。時にバルザック35歳。

ちなみに、1819年はフランスでは、皇帝ナポレオンの失脚を経た王政復古(ルイ18世)の時代で、七月革命(1830年)も、二月革命(1848年)もまだ先の話。日本は文政2年。

何とも、古典の名作と言われるだけに、そんじょそこらの小説とは桁が違い違い過ぎます。フィクションとはいえ、恐ろしいほどの取材力で、当時実際にあった流行りのレストランや洋品店、下宿代、パン一斤の値段、銀食器の値段…など微に入り細に入り書き留められ、登場人物の心理描写といったら、あまりにもリアル。

伊太利亜フィレンツェ

なるほど、200年後の経済学者が惚れ込んで引用するはずです。

実は、私も、この小説をフィクションとしてではなく、経済書として読み始めております。

実は、と再び書きますが、無謀にも、いきなり、身の程知らずにも、最初は、原書から挑戦してみました。

しかしながら、とてもとても恥ずかしいことに、サッパリ理解できない。まるで外国語のようです。あ、そうでした、外国語でした(笑)。

1ページ読むのに1週間もかかり、それでも、薄ぼんやりとしか、意味がこのウスノロの頭の中に入ってきません。

遂に、諦めて、アンチョコを買うことにしました。アンチョコなんて、懐かしい言葉ですね。今でも使うのかしら?

伊太利亜フィレンツェ

それは、平岡篤頼早大教授訳の文庫版です。奥付を見ると、1972年4月30日、初版発行です。そして、2015年1月30日で41刷も売れておりますから、日本人も捨てたもんじゃないですね。

初版は、もう今から45年も昔なので、翻訳が少し古い感じがしますが、あの難解なフランス語をよくぞここまで日本語に置き換えたものぞと、感服しました。

正直言いますと、日本語で読んでも分かりにくい難解な部分もありますから、これを端から原書で読むなんて無謀だったんですね。

いずれにせよ、1日50杯もコーヒーを飲みながら、量産に次ぐ量産のライティング・マシーンと化しながらも、最期は力尽きて、借金まみれで僅か51年で生涯を終えてしまうこの大作家の作品を遅ればせながら、まるで同時代人になったつもりで、経済書として読んでいる今日この頃です。

本を読みながら、パリのラスパイユ通りに佇むバルザック像を思い出します。200年間近く、世界中の読者から未だに愛読される理由が、今更ながら分かったような気がします。

バルザックは、ヤバイ!