座談会 大谷貴義物語

関西広域を活動拠点にしている京洛先生から昨晩電話がありまして、急に「渓流斎さんや、『新潮45』の今月号は読まれましたか?面白いこと書いてありますよ」と仰るではありませんか。

「いやあ、読んでませんよ。何かありましたか?」

「いや、バブルを特集しているんですが、あれからもう30年経ちましたから歴史になりましたね。若い人は知らないでしょう」

「歴史ですかぁ…。もう許永中とか言っても若い人は誰も知らないでしょうね」

「でも、多くの人は許永中は知ってても、その親分の大谷貴義(1905〜91)を知ってる人は少ないでしょう」

「えっ?大谷?宗教関係の方ですか?」

「ハハハ、まさか。最後の黒幕と言われた人で政財界の大物に食い込み、福田赳夫首相の黒幕として暗躍していたことは、当時の新聞記者なら誰でも知ってましたよ」

「えっ?知らないですねえ…」

「これだから、渓流斎さんは駄目なんですよ。大谷貴義を知らなければ潜りですよ。探訪記者なんぞと自称する資格なしですよ(笑)。大谷貴義は、『日本の宝石王』と呼ばれた実業家です。代々木上原に1000坪の大豪邸を構え、許永中は、彼の運転手兼ボディガードとして働き、政財界の裏を一から学んだわけですよ」

「芸能界のドンと言われているバーニングの周防さんも、若い頃は浜田幸一議員や歌手北島三郎の運転手を務めるなど長い下積み生活を送って、政財界や裏社会を見てきたことは有名ですからね」

「ああたは、すぐそういうことを言いますね(笑)。でも、世間の人は全く分かってませんが、『下足番』が一番世の中の仕組みを分かっているのですよ。文字通り、料亭の下足番です。政財界の大物が出入りしますから、その人の顔と序列と地位を熟知していなければなりません。勿論彼らのボディガードもです。靴を間違えようものなら、首が飛びますよ。木下藤吉郎だって、信長の下足番から出発して大出世を遂げたわけでしょ?」

「なあるほどね。大谷貴義さんも若い頃は相当苦労したんでしょうね。よく福田赳夫首相に食い込みましたね」

「まあ、しかしながら、黒幕ですからね。息子の福田康夫は親父の秘書もやってましたから、清和会の中でそういう人間関係を見てきたわけです。だから、彼は二世議員で首相にまで上り詰めてもクールだったでしょ? 色んな汚い、嫌な面を沢山見てきたからなんでしょう。だから、最後に中国新聞の記者に向かって『わたしとあなたとは違うんですよ』と突然キレて、世間から見ると唐変木に聞こえるような名台詞を吐いて、首相を辞めるわけです。

若い頃にたくさんのドロドロしたことを見過ぎたせいで、醒めた人間になったのではないでしょうか」

「なるほど。そういうことでしたか…」

(創作につき、一部敬称略)

田中森一著「反転」のつづき

(つづき)

公開日時: 2007年7月24日 

 それにしても、宅見若頭にしろ、許永中氏にしろ、世間ではヤクザと呼ばれる人たちが、田中氏にかかると、こうも義理人情に堅く、人間的魅力に溢れてしまうとは驚きでした。

 「バブル紳士」と呼ばれた人たちも本当に個性的でした。悪徳地上げ屋として悪名を轟かせた不動産業「末野興産」社長の末野謙一氏は、小学校もろくに出ていなくて、ダンプカーの運転手から成り上がったと書かれています。異様な吝嗇で、バブル崩壊の時に貯金が2000億円もあったといいます。彼が派手にお金を使ったのは、ピンキーこと今陽子に約7000万円のマンションをプレゼントしたぐらいだと、田中氏は書いています。

 田中氏が一番印象に残ったバブル紳士は、前述した5えんやグループの中岡信栄社長で、人に金をあげるのが趣味みたいな人間だったようです。新聞記者には20万円、田中氏のような弁護士には100万円も会うごとに渡していたといいます。田中氏は、一日に三回ぐらい会うので、一日300万円くらいもらっていたようです。竹下氏や安倍氏のような大物政治家には桁外れのお金だったといいます。

 

 こういう噂を聞きつけて、芸能人ら有名人も群れをなして「たかり」に来たそうで、京唄子や横山ノックが、一度に300万円から500万円、多いときには1千万円もらっていたと明記されています。ホテルのボーイも一回5万円ももらえるので、用もないのに、何度も部屋に来たそうです。

 

「5えんや」というのは中岡社長が裸一貫から、1本5円の焼き鳥屋から始めて、バブル期にはホテルや、ゴルフ場、ノンバンク経営まで手を広げて一代で巨万の富を築いたといわれます。しかし、その元をたどれば、北海道拓殖銀行系のノンバンクからの借り入れでした。結局、グループはバブル崩壊後の1993年に倒産し、3000億円が焦げ付き、これが拓銀の破綻につながるわけです。

 

 他人に対して数百億円もの大金を気前良く配った中岡氏は、結局「拓銀をつぶした男」として歴史に名前を残すのです。

田中森一著「反転」

  奈良にて

公開日時: 2007年7月24日

 元敏腕検事で、弁護士に転じてからは闇社会の人間に通じて悪名を轟かせた田中森一氏の書いた「反転 闇社会の守護神と呼ばれて」(幻冬舎)には、圧倒されました。幻冬舎らしく、新聞で恥ずかしくなるくらい派手な広告を打っていたので、ちょっと、引いてしまったのですが、読んでよかったです。

 その内容は、あまりにも凄まじくて、脳天にハンマーを降ろされたような衝撃を受けました。これから、裁判員制度が始まることですし、国民の一人として、この本を読むことには意義があると思います。

 私は、この本を読んだ後の感想は、鉱脈を探り当てたような感じでした。「やったあー」という感じです。

第一、「ここまで書いても大丈夫なのだろうか」と、心配になりました。 もっとも、田中氏自身は、石橋産業事件をめぐる詐欺容疑で東京地検に逮捕、起訴されて、現在最高裁に上告中の身なのです。つまり、被告人なわけです。この本では、自分の無実と潔白を主張する弁明が盛り込まれていますので、全面的に信用できないかもしれません。しかし、ここまで裏も表も洗いざらい、自分の非も含めて、白日の下にさらした自叙伝というのはこれまでなかったのではないでしょうか。

 彼に貼られたレッテルは「ヤメ検の悪徳弁護士」でした。何しろ、彼が関わった「黒い人脈」も、暴力団山口組5代目組長の渡辺芳則氏、同若頭の宅見勝氏をはじめ、イトマン事件で主役を張った伊藤寿永光、許永中の両氏、仕手筋「コスモポリタン」総帥の池田保次氏…といった裏社会の大物ばかりなのです。また、彼は自民党清和会(現町村派)の顧問弁護士も務め、現総理の父親である安倍晋太郎氏や竹下登氏ら政界の重鎮と深いつながりを持ったのです。安倍氏は、いろんな所から接待を受けたり、「五えんやグループ」の総帥、中岡信栄氏が定宿にしていた東京のホテル・オークラのスイートルームで、牛乳風呂に入ることが大好きだったことなども暴露されています。

 田中氏は戦時中に、長崎県平戸の貧しい漁村の長男として生まれました。8人きょうだいの4番目です。上の三人は姉で、最初の男の子ということで、父親は漁業の跡継ぎとして大いに期待します。もちろん、「猟師に学問なんかいらない」という考えの持ち主です。一度、田中氏は中学生の時に、出版社をだまくらかして参考書を手に入れます。お金が全くない極貧の家庭に育ったので、「平戸の中学教師ですが、参考のために一冊見本を送ってください」と東京の出版社に手紙を書いて、うまく手に入れたのです。しかし、その参考書も父親に見つかって、便所に捨てられてしまうのです。

 それでも、母親の後押しもあり、苦学して定時制高校から岡山大学に進学し、在学中に司法試験に一発で合格します。見事、検事となり、撚糸工連事件や平和相互銀行事件、三菱重工CB事件などを手掛けて、敏腕検事の名をほしいままにした後、弁護士に転進します。時はあたかもバブル全盛の時代に入り、1カ月に1千万円以上の顧問料を得て、7億円でヘリコプターまで購入し、「空飛ぶ弁護士」と、やっかみ半分で渾名されます。怪しげなバブル紳士と付き合い、個人的な株取引で40億円もの巨万の富を手にし、東京の銀座や大阪キタの新地などで桁違いの豪遊をする一方、バブル崩壊でほぼ同額の財産を無くしてしまうのです。

 その間、暴力団関係者の弁護で名をあげて評判を呼び、挙句の果ては、古巣の検察からにらまれ、田中氏からみれば、根も葉もない詐欺の容疑をでっち上げられて、逮捕されてしまうのです

 自分の潔白を信じていた田中氏は、かつて被疑者から恐れられていた鬼検事の面影はどこにもなく、子供のように泣きじゃくり、中村天風の自己啓発の著書に、まるで神や仏にすがるようにのめりこんでいったことを、赤裸々に告白しているのです。思わず同情してしまいました。

 しかし、この本のハイライトは、何と言っても彼自身が検事として、また弁護士として、実際にかかわった事件の経緯と背景が実名入りで詳述されていることでしょう。イトマン事件、光進事件、リクルート事件など戦後の重大経済事件の裏事情まで踏み込んで暴かれています。当人しか知らないことなので当たり前かもしれませんが、読んでいて、私は何度も何度も唖然としましたね。「こんなこと書いてしまって、大丈夫なんだろうか?」

(つづく)