田中森一著「反転」のつづき

(つづき)

公開日時: 2007年7月24日 

 それにしても、宅見若頭にしろ、許永中氏にしろ、世間ではヤクザと呼ばれる人たちが、田中氏にかかると、こうも義理人情に堅く、人間的魅力に溢れてしまうとは驚きでした。

 「バブル紳士」と呼ばれた人たちも本当に個性的でした。悪徳地上げ屋として悪名を轟かせた不動産業「末野興産」社長の末野謙一氏は、小学校もろくに出ていなくて、ダンプカーの運転手から成り上がったと書かれています。異様な吝嗇で、バブル崩壊の時に貯金が2000億円もあったといいます。彼が派手にお金を使ったのは、ピンキーこと今陽子に約7000万円のマンションをプレゼントしたぐらいだと、田中氏は書いています。

 田中氏が一番印象に残ったバブル紳士は、前述した5えんやグループの中岡信栄社長で、人に金をあげるのが趣味みたいな人間だったようです。新聞記者には20万円、田中氏のような弁護士には100万円も会うごとに渡していたといいます。田中氏は、一日に三回ぐらい会うので、一日300万円くらいもらっていたようです。竹下氏や安倍氏のような大物政治家には桁外れのお金だったといいます。

 

 こういう噂を聞きつけて、芸能人ら有名人も群れをなして「たかり」に来たそうで、京唄子や横山ノックが、一度に300万円から500万円、多いときには1千万円もらっていたと明記されています。ホテルのボーイも一回5万円ももらえるので、用もないのに、何度も部屋に来たそうです。

 

「5えんや」というのは中岡社長が裸一貫から、1本5円の焼き鳥屋から始めて、バブル期にはホテルや、ゴルフ場、ノンバンク経営まで手を広げて一代で巨万の富を築いたといわれます。しかし、その元をたどれば、北海道拓殖銀行系のノンバンクからの借り入れでした。結局、グループはバブル崩壊後の1993年に倒産し、3000億円が焦げ付き、これが拓銀の破綻につながるわけです。

 

 他人に対して数百億円もの大金を気前良く配った中岡氏は、結局「拓銀をつぶした男」として歴史に名前を残すのです。

“田中森一著「反転」のつづき” への3件の返信

  1. 金の前には—
    名の売れた芸能人も政治家も、弱いものですねえ。
    それでいて、金をくれた人が凋落すると、恐らく多くの人は、もう見向きもしないのでしょうねえ。
    この世の無常を感じます。

  2. インド象さま
    コメント有難う御座います。
    「拓銀をつぶした」五えんや総帥は、それ程有名だったのですね。私は、「反転」で初めて名前を知りましたが…。
    私は北海道ファンなので、何か複雑な思いです。
    でも、バブル期は、日本全国どこでも、みんな地に足が着かずに浮かれていた気がします。

    私は、いい思いをしたという思い出は少なく、とにかくタクシーが捕まらなかったということだけを覚えています。
    ご教授有難うございます。

  3. そして泡となった
    そのバブルのころ、イタリアルネサンスの時代がそうであったように、「バブル貴族」が芸術家に湯水のように金を供給して、偉大な舞台芸術なり造形芸術なりが創出されたかといえばそうではありません。彼らはひたすらおのれの懐や提灯持ちタイコ持ちに貢ぐだけで、時代に何も残さなかったのが特徴といえましょう。

    田中氏の半生は週刊現代である程度は把握しておりましたが、管理人さんの書評により私もこの『反転』を読まなければと考えております。
    五えんや総帥については、六角弘著『怪文書』(または『怪文書2』だったかもしれません)にユニークな姿が描き出されています。もちろん田中氏も登場します。一度手にとってご覧になってはいかがでしょうか。

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