今日は大晦日だというのに、少し掃除しましたが、本を読んだり、外国語を勉強したり、このようにブログを書いたりして仕事をしております。ありえない(笑)。
今日は、12月28日付に書いた鹿島茂著「新聞王伝説 パリと世界を征服した男ジラルダン」(筑摩書房・1991年9月20日初版)の続編ですが、これでお終いにします。
著者は終章「結論に代えて」で、ジャーナリズムの本質を見事に突いています。27年前に、41歳の若さでここまで洞察できるとは、お見事というほかありません。
…ジャーナリズムの中で書かれたものは、それがどれほど鋭い洞察を含んだものであろうと、読者の目に触れた途端、紙屑となる。これは、ジャーナリズムに生きる者の宿命である。たとえ十分の一の値段であっても前日の新聞を買おうとする者はいない。ジャーナリストは誰でもこの虚しさを知っている。だが、ジャーナリストには、今という時間を掠め取っているという充実感がある。この充実感が虚しさに耐える力を与える。それどころか、時代とともにあるという感覚は、麻薬のように、あらゆる反省的な意識を痺れさせ、何物にも代えがたい快楽となる。この快楽があるからこそ、一度ジャーナリストになったら最後なかなか足を洗うことができないのだ。…
どうです。これほど適格にジャーナリズムを説いた文章にお目にかかったことはありませんでしたね。
本書の主人公である新聞王ジラルダンも、まさに、麻薬のような快楽の中で、次々と新機軸を打ち出して、新聞を創刊したり、買収したりしたに違いありません。ジラルダンは政界にも進出したりしますが、結局は、とても、自分自身の理想を実現したとは言えず、逆に批判や誹謗中傷を多く受けたようです。亡命も余儀なくされたりしました。そして、最後は自分が創刊したり買収したりした新聞(「プレス」、「リベルテ」、仏初の大衆新聞「プチ・ジュルナル」、高級紙「フランス」など)はすべて1929年の大恐慌までに廃刊となって消え、妻に先立たれ、親子ほど年の差があった後妻も他の男に走り、子孫も早く亡くなり、伝説だけが残ることになります。
エミール・ド・ジラルダン(1806~81)が生きた時代は、まさに、激動の時代でした。1830年の7月革命、1848年の2月革命、1870年の普仏戦争とそれに続くパリ・コミューンが起き、その間、第二共和政、王政復古、第二帝政、第三共和政とコロコロと変わります。
フランスの新聞の第一号は1631年創刊の「ガゼット」紙と言われていますが、基本的には、フランスの新聞は政治新聞で、昔も今も変わらないといいます。そんな中で、ジラルダンは、党派やイデオロギーには拘らず、ある時は体制派として擁護したり、ある時は、反体制派として、政権討伐のキャンペーンを張ったりします。
そのため、ジラルダンは「日和見主義」だの、「新聞に商業主義を持ち込んだ」などと批判されますが、彼には政治を超えた社会改革という思想の一貫性がありました。それは、下層階級と言われた大衆の教養を高めて、生活水準を下から高めていくことで、国も豊かになるといったものでした。その実践の一つが、労働条件の改善で、新聞印刷工らの労働時間を8時間にしたり、(当時の労働者は10時間以上がざらで、ジラルダンは100年先を見込んでいた)いざという時に困らないように、給料遅配は一度もなく(当時の経営者としては珍しかった)、部数が伸びれば、利益還元の思想に基づき、昇給という形で社員に分配したといいます。
ただ、それらは労働者に対する同情ではなく、人間は欲望の塊で、それが活動の動機なり、向上心による会社の発展(彼にとっては部数の拡大)が国の発展にも寄与すると信じていたからでした。
最後に少しだけ、ジラルダンの「功績」を列挙してみます。
・1836年に創刊した「プレス」では、新聞小説の先駆けとなったバルザックの長編小説「老嬢」を連載。また、一般紙として初めて株式市況を掲載した。さらに、広告を重視して、これまで予約購読料だけに頼っていた新聞経営を安定させることに成功した。他紙は商業主義と批判したが、後世の新聞はほとんどこのようなスタイルとなった。(一般紙にスポーツ欄を設けたのは、ジラルダンの発想でした。当時のスポーツは、競馬でしたが)
・「プレス」紙の木曜日に連載された「パリ便り」は、まさに最先端の流行発信となり、部数拡張に貢献する。例えば、香水ゲルラン(日本ではゲランと発音)は、この欄のおかげで有名になった。このコラムの筆者は、ド・ローネ子爵となっていたが、実際の執筆者は、ジラルダン夫人である閨秀作家デルフィーヌだった。
嗚呼、2018年。今年ももうすぐ終わってしまいます。読者の皆様には本年も大変お世話になりました。
何せ、仕込みから取材執筆校正まで家内制手工業でやっておりますので、ジラルダン風に言いますと、このブログの広告にクリックして頂くと、大変助かります(笑)。
来年もどうぞ御愛顧の程、宜しく御願い申し上げます。
渓流斎高田朋之介