伊太利亜フィレンツェ
バルザックの名作「ゴリオ爺さん」は、もう1週間以上前に読了しておりますが、渓流斎ブログでまとめていなかったので、敢えて収録します。
ラッキーだったのは、バルザックが「人間喜劇」として同名人物が他の作品にも登場するやり方で連作を書いたのが、この「ゴリオ爺さん」が最初でした。バルザックの小説の中で、「ゴリオ爺さん」を初めて読んだ人は大正解だったわけです。
若きウージェンヌ・ド・ラスティニャックは、この後、「従妹ベット」「アルシの代議士」に登場し、大臣を歴任し、勅撰貴族院議員伯爵まで登りつめます。
あの悪党ヴォートランことジャック・コランは、再び脱獄して、「浮かれ女盛衰記」「幻滅」に再登場。ボーセアン夫人は「捨てられた女」、ランジェ夫人は「ランジェ公爵夫人」、遺産を相続する若い娘ヴィクトリーヌ・タイユフェールは「赤い屋根」にそれぞれ再び読者にお目にかかることになっています。と、19世紀の読者の皆様向けに書いてみました(笑)。
バルザックの凄いところは、フランス・パリの貴族社交界を舞台に、徹底的に人間心理を分析したところです。人、モノ、カネを細密画のように描きました。侘び寂びを好む日本人はとてもついていけません。
本当に、グジャグジャ、ドロドロとした人間関係で、恬淡な日本人ならすぐに嫌になってしまいます。逆に、バルザックという男は、本当に人間が好きだったんだなあ、と思ってしまいます。人間だけに捉われず、花や風景や、せめて犬や猫に気を紛らわせていれば、もっと長生きできただろうに、と思ってしまいます。
もう一つ、あの社交界とやら、どうしてあれほど露骨に男女の不倫や縺れ合いや恋愛感情ばかりあるのだろうかと不思議に思ってしまいました。しかし、ゴリオ爺さんの2人の娘を見ただけでも、愛情があって結婚したわけでなく、お互いに財産やら爵位やら目当ての政略結婚が多かったことが分かります。
だから、結婚して初めて自由恋愛に目覚めるのかもしれません。人間は気まぐれで、絶えず人を裏切るので、それこそドタバタ喜劇(笑)が展開されるわけです。読んでいても、途中で嫌になります。
伊太利亜フィレンツェ
以下は引用です。
ーパリでは評判がすべてで、権力を手に入れる鍵ですの。女たちが、あなたが才気のある人だと言えば、男たちも、あなたが逆のことをしない限り、それを鵜呑みにするものなのよ。…あなたは、世間というものがどういうものか、つまりお人好しとぺてん師の集まりだということが分かるでしょう。p139(ボーセアン子爵夫人)
ー天才の力には誰でも屈服する。…だから、買収というものがやたらと凡人たちの武器になる。…パリでは、正直者とは黙り込んで、仲間入りを断る人間のことさ。…世間ってものは、道学者連が何と言ったて、変わりっこない。人間は不完全なんだよ。人間は多かれ少なかれ、偽善者になることがあるが、そうすると頓馬な連中は、やれ真面目だ、不真面目だなどとぬかす。…君も、もし優秀な人間だと思ったら、頭をあげてまっすぐに進みたまえ。しかし、羨望とか中傷とか愚鈍とかと戦わなければなるまいな。186~189頁。(ヴォートランの長広舌)
ー「大事な用件があるだの、寝ているだのと言って、娘たちは来ないだろうとも。わしには分かっていたのじゃ。死ぬときになってみて、子どもとはどういうものか分かる。嗚呼、ウージェンヌさん、結婚しなさんなよ、子どもなんて持ちなさんな!」470~471頁。(臨終間際のゴリオ爺さん)
伊太利亜フィレンツェ
キーパースンであるデルフィーヌ・Nucingen男爵夫人(ゴリオ爺さんの次女で、銀行家の男爵と結婚。次第にラスティニャックに惹かれていく)は、平岡篤頼氏訳では、「ニュシンゲン」となっていますが、「ニュサンジャン」じゃないかなあ、と思ってしまいました。それとも、ドイツ系なのかしら?
本来の発音を、フランス語のネイティブの方に聞きたいぐらいですが、今はフランス人の知り合いが一人もいないので残念です。
??ちなみに、「ゴリオ爺さん」は、サマセット・モームが選ぶ「世界10大小説」の一つ(他に、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」、トルストイ「戦争と平和」など)
??51歳で亡くなったバルザックは、フランス中部トゥール出身。トゥールといえば、トゥール=ポアティエの戦いを思い起こします。732年のことですから、日本は奈良時代!フランク王国(メロヴィング朝)の宮宰カール・マルテルが、イスラム軍を撃退し、封建制度(騎士に封土し、忠誠を誓わせる)を確立する基盤をつくった世界史に残る戦いです。
カール・マルテルの子ピピン3世は751年、メロヴィング家の王を廃して、カロリング朝を開きます。