ノートルダム大聖堂、火災前の雄姿

 今日は、萩生田・自民党幹事長代行の「消費増税延期」発言について書こうかと思いましたが、何か、馬鹿らしくなってきました。

 萩生田さんと言えば、安倍晋三首相の側近中の側近。モリカケ問題華やかりし時に、加計学園の加計孝太郎理事長と安倍総理と3人一緒に缶ビール片手にバーベキューを楽しんでいるお姿の写真が出回り、その親密度が、日本中に強烈な印象を残しました。

 そんな最高権力者の懐刀とも言うべき政権中枢の御方が、勝手に、しかも、公に、個人的意見をわざわざ発言するわけないじゃありませんか。

 こういうのを業界では、「アドバルーン」と呼びます。つまり、観測記事です。重大な政策などを決定する際、世間の反応を様子見するために、事前に反応を確かめ、衝撃を和らげるために、周辺に語らせる手口です。与党幹部も「予定通り、増税します」と、萩生田発言を打ち消すことは、事前の打ち合わせ通り。まるで舞台劇ですよ。舞台裏が透けて見えるので、嫌になります。

 で、先ほどから御覧頂いている写真は、火災に遭う前のノートルダム大聖堂です。

 皆様御存知の松岡將氏が、小生が4月17日に書いた「嗚呼、ノートルダム大聖堂の大火災」をお読みになって、心配してたくさんの写真を送ってくださったのです。それらの写真のうち、厳選して公開させて頂くことにしました。

 ブログには「大聖堂のステンドグラスは大丈夫だったでしょうか」と書いたのですが、そしたら、松岡氏は「 大聖堂のステンドグラス。。。そう言えば、小生、確か写真を撮っていたはず、と、あちこち探したら、2007年に撮った写真が出てきました。小生一人で見るのは勿体ないので、先日のお礼を兼ねて、お裾分けします。往年の大聖堂の気分に浸って貰えば、幸甚です」と、こうして、見事なステンドグラスの写真も添付してくださったのです。

 現地からの報道によると、ステンドグラスはどうやら無事だったようですね。ただ、荘厳なパイプオルガンは、消火の際の水が被り、駄目になってしまったようです。修復には最低でも1年以上はかかることでしょう。

 マリアさまのピエタ像もかなり被害を受けました。

 ということで、大火災に遭う前の貴重な写真を送って頂きましたが、小生に送るということは、ブログで全世界に公開されるということを意味しておりました(笑)。悪しからず。。。

 今回の火災で、一番衝撃的だったのは、96メートルの尖塔が燃えて崩落してしまった場面でした。また、現地からの報道によると、この尖塔は「木製」で、19世紀にできたものだというのです。てっきり、中世からあるものと思っていました。19世紀ということは、恐らく、1830年の七月革命か、1848年の二月革命の際に、ノートルダム大聖堂が襲撃されて一部破壊された後に修復された時に造られたのでしょう。(細かい報道がなかったので、勝手な忖度ですが)

 今回は、ルイ・ヴィトンさんを始め、フランスの大金持ちさんが超多額の寄付をされ、マクロン仏大統領も5年以内での修復・復活を宣言されておりました。

 いずれにせよ、修復前の2007年の時点の貴重なノートルダム大聖堂内部の写真を送ってくださった松岡氏には感謝申し上げます。

  Tous les photos Copyright par Duc de Sousoumou Matsuoqua

 

 

フランス地図上旅行 マドレーヌとは?

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し (萩原朔太郎「純情小曲集」旅上)

ということで、フランスに行って、お城や庭園、それに美術館や教会、大聖堂、修道院などを訪ねて、現地の美味しい料理とワインを味わって、できればそこに住む人たちとフランス語で話をしてみたいと思い立ちましたが、やはり、諸般の事情で行き難し。

 そこで、せめて、旅情でも味わいたいと思い、ガイドブックを買ってきました。

 「地球の歩き方」(フランス版)(ダイヤモンド社)です。このシリーズ本がこれほど有名になるずっと昔、私がまだ学生だった1979年に、この本を片手にヨーロッパを30日間旅行したことがあります。(「地球の歩き方」は、現在100種以上出版されてますが、当時は、ヨーロッパ版、アメリカ版など数冊程度しかありませんでした)何と、もう実に40年も昔なんですねえ。一人で参加したのですが、この旅行で、九州から参加した風来坊の今村君と知り合い、「旅は道連れ」で、英、蘭、丁、独、南斯拉夫、希、伊、仏と結局最後まで一緒に同行しました。

風来坊の今村君はその後も放浪を重ね、今現在もアメリカに住んでおります。

バルセロナ・サグラダ・ファミリア教会

さて、なぜ、「地球の歩き方」(フランス版)を買ったのかと言いますと、昨年、初めてスペインを旅行した際、スペイン版を買って大いに役立ったからでした。聖ヤコブの遺骨が埋葬されていると言われている巡礼地サンティアゴ・デ・コンポステーラの来歴や、16世紀にインカ帝国やアステカ帝国を滅亡させたピサロとコルテスがスペインでも農作物があまり育たない荒野のエストレマドゥーラ地方出身だったことなど、これまで知らなかった色んな知識を得ることができ、スペインに関してかなり詳しくなりました。

それなのに、私自身、フランス専門家を自称しておきながら(笑)、パリだけは何度か自分の足で駆け巡りましたから、大体のことは分かっていても、特にフランスの地方の地理や名所旧跡に関する知識は覚束なかったのです。

 これじゃ、駄目じゃん。ということで、ちょっと、フランス地方に関して勉強したくなったのです。

この本はまだ、全部読んでおりませんが、かなりの収穫がありましたねえ。せっかくですから、クイズ形式としましょう。

ノトル・ダム・ド・パリ

【質問】

(1)皇帝ナポレオンがこよなく愛したブルゴーニュ産のワインの銘柄とは?

(2)スペインには、バル Barとレストラン Restaurante の中間の居酒屋風食堂として、食べるな、いやタベルナ taberna がありましたね。フランスにもカフェ Café とレストランRestaurant(ゲストガンの発音に近い)の中間として、大衆的な食堂であるビストロ Bistroとブラッスリー Brasserieがあります。それでは、「食通の都」リヨンで郷土料理を提供する大衆食堂は何と言いますか?ついでに、地方で宿泊できる食堂のことを何と言いますか?

(3)スペインの巡礼地サンティアゴ・デ・コンポステーラに通じる巡礼道の起点の一つと言われているブルゴーニュ Bourgogne 地方ヴェズレー Vézelay にある有名な聖堂は何でしょうか?

ルーブル美術館

【答え】

(1)シャンベルタン Chambertin(コート・ド・ニュイCôte de Nuits 地区)でした。ついでながら、このコート・ド・ニュイ地区では、「ワインの王さま」ロマネ・コンティ Romanée -Conti(1ボトル300万円也!)やクロ・ド・ブーショ Clos-de-Vougeotなども産出します。

(2)リヨンの大衆食堂は、ブッション Bouchonです。東京・銀座にも「ブッション・ドール Bouchon d’or」という名前のリヨン料理店があります。地方の宿泊付き食堂は、オーベルジュ Auberge と呼ばれています。画家ゴッホの終焉の地オヴェール・シュル・オワーズ Auvers-sur-Oise(イル・ド・フランス ile de France)には、彼が自殺するまで2カ月間住んでいたラブー亭 Auberge Ravouxは、オーベルジュでした。現在、「ゴッホの家」として公開されています。6ユーロ。

(3)サント・マドレーヌ・バシリカ聖堂 Basillique Ste-Madeleineです。このマドレーヌとは、マグダラのマリア Marie de Magdalaのことだったんですね。プルーストの「失われた時を求めて」にも出てくるお菓子のことだ思ってました(苦笑)。マグダラのマリアは娼婦でしたが、改悛して、後に聖女として崇められるようになりました。宗教画でも欠かせない存在で、イエスが十字架で磔にされた時に、傍にいて、解放した人々の中の一人とも言われています。

で、マドレーヌ菓子に戻りますと、ホタテ貝の形をしてますね。ホタテ貝は、サンティアゴ=十二使徒の一人聖ヤコブのシンボルでしたね。ということで、サンティアゴ・デ・コンポステーラ~ヴェズレー~聖ヤコブ~マドレーヌ聖堂という連想からホタテ貝の形のお菓子になったという民間伝承があるようでした。

 こうして色んなことを知ると、地図上の旅でも大変楽しくなります。また、いつか、次回も同じ企画をやってみます(笑)。

フランスは燃えているか?

 フランスが燃えていますね。パリで大規模な「黄色ベスト」抗議デモが行われたかと思ったら、11日夜には、東部ストラスブールでのクリスマス・マーケットで、イスラム過激派によるテロと見られる発砲事件があり、少なくとも4人が死亡、十数人が重軽傷を負ったといいます。29歳の犯人はまだ逃走中だとか。

 日ごろ、米国と中国と韓国の話題しか大きく報道しない日本のマスコミも少しはフランスの異変を報道し始めましたねえ。

 何しろ、国王をギロチンにかけてしまう国民性です。さすがに、マクロン大統領も身の危険を感じたのか、最低賃金引き上げや残業代やボーナスなどの非課税を打ち出すなど大幅な譲歩を強いられました。

 正当な抗議活動をせず、お上に唯々諾々と従う子羊のような日本国民とフランス人とはえらい違いです。

スペイン・マドリード

 私自身は、たまたま学生時代にフランス語を専攻してしまったので、好むと好まざるとに関わらず、フランスの動向は気になります。戦後の米国一辺倒の日本政府の方針に嫌気がさした「アンチ巨人」みたいなものです(笑)。だから、別にフランスでなくても、ドイツでもイタリアでもスペインでも構わないのですが、何と言っても、フランスの歴史や思想や文学からは学べることが大きいのです。

 特に、19世紀が好きですね。ナポレオンの帝政から共和政になったり、王政復古したり、再び帝政が復活したり、また共和政になったり、政治体制がひっきりなしに変わるからです。スタンダール、バルザック、ユーゴー、フロベール、ゾラ…仏文学の全盛期です。

 右翼、左翼といった定義も、フランス革命後の国民議会で、議長席から見て、右に座ったか、左に座ったかの違いだったことはよく知られています。人権思想も、仏革命後の「人権宣言」が世界史的にも大いに寄与していることでしょう。つまり、フランスの動向は、昔も今も無視できないということを言いたかっただけですが。

スペイン・マドリード

で、フランス人がつくったか、具現化した政治体制を冷静に見てみますと、学校で教えられたり、マスコミで吹き込まれている知識は、かなり独断と偏見に満ちていることが分かります。

 例えば、「帝国主義」的というと、まるで悪の権化みたいです。つまり、侵略主義的といいますか、植民地主義的といいますか、他国を武力で屈服させて、従わせるイメージがあります。でも、フランスの場合、アルジェリア、チュニジアなどの北アフリカやベトナム、カンボジアなどのインドシナなどを侵略して植民地にしたのは、第3共和政(1870~1940)ですからね。意外にも、人民が統治する共和政なんですよ。

 王政も、国王を処刑してしまうほど最悪の政治体制なら、なぜ、今でも多くの国が王政を採用しているのでしょうか。先進国といわれる欧州のスペインもスウェーデンもオランダもデンマークも王国です。あ、そう言えば、サウジアラビアやクウェートなど中東は絶対王政の国でした。

スペイン・マドリード

 もう一つ。多くの人は植民地主義は既に過去のもので、「近代化」されて終わったものだと誤解している人が多いのですが、今でも現役バリバリです(笑)。

 11月に仏領ニューカレドニア(本当はヌーベル・カレドニー)で行われた独立を問う住民投票で、「残留派」が多数を占め、結局、住民はフランスの植民地に甘んじることを受け入れたわけです。島民の本当の気持ちは分かりませんが、今でも島民がフランス本国からの苛烈な税と重労働で虐げられているとしたら、暴動が起きて、独立派が多数を占めたのかもしれません。いや、内情は正確には分かりません。単に独立派が負けただけかもしれませんが。

 昨年9月にカリブ海を大型ハリケーン「イルマ」が襲来して、付近の海域の島々に甚大な被害を及ぼしました。日本では、ベタ扱いでしたが、フランスのテレビはトップで「サン・マルタン島」の窮状を連日報道しているので不思議に思っていたら、そこはフランス領だったからでした。今は、植民地とは言わず、海外領土だの海外準県だのと呼んでますが、同じようなもんでしょう。

 色々と勝手な持論を展開しましたが、この際、賢明なる読者諸兄姉の皆様方のご意見をコメントで賜りたいものです。

 えっ?何で、フランスの話をしておきながら、スペインの写真なのかって?

 ええじゃないすか。スペイン旅行の写真、まだ残っていて、使っていないんですから。許してたもれ(笑)。

仏マルセイユ、「ここは全てが腐ってる」

昨晩の11月27日、外国人労働者の受け入れを拡大する出入国管理法改正案が、衆院本会議で自民、公明両党と日本維新の会などの賛成多数で可決して、参院に送付されました。

私はこの法案には断固として反対で、賛成した議員には、今後起きかねない末代に渡る日本人の生活と文化への影響と激変、治安に関わる問題について想像力のかけらすらないと思っているのですが、私ごとき人間が何を言っても始まらないでしょう。

パリ

そんな折、日本の近未来を予想させるような記事を昨日読みました。27日付ニューヨーク・タイムズの記事で、タイトルは「ここでは全てが腐ってる」という衝撃なものです。

舞台はフランス南部の港湾都市マルセイユ。何とフランス第2の大都市だそうです(私は浅はかにもリヨンかと思ってました。調べたら、人口ではマルセイユがパリに次ぎ2位。経済力ではリヨンが2位でした)。マルセイユと言えば、私の世代はジーン・ハックマン主演の映画「フレンチ・コレクション」を思い出します。日本では1972年公開なので、還暦過ぎた人でないと知らないかもしれませんね(笑)。ハックマン演じる「ポパイ」ことニューヨーク市警のドイル刑事が、麻薬取引密売の黒幕をマルセイユで追い詰めるといった話でした。活気がある港街でした。

◇市民の4分の1が貧民

そのマルセイユが今、どうなっているかというと、すっかり寂れて、市民の4分の1以上は貧困状態で、住宅、雇用、教育、犯罪等の様々な問題を抱えているというのです。

特に、11月5日に、貧困層が多く住むノアイユ地区で、老朽化した5階建てのアパートが崩壊して、建物の下敷きになった住民が8人も犠牲になり、市当局の安全管理の怠慢を訴えて、大掛かりなデモが行われたことを、先ほどのニューヨーク・タイムズ紙のアダム・ノシテール記者が報じています。

犠牲になった人のほとんどがアフリカからの移民で、学生や塗装工のほか、失業者などでした。

デモ行進する1万人が槍玉にあげているのが、市内の複数の老朽化ビルを放置しているジャン=クロード・ゴーダン市長です。これに対して、ゴーダン市長は「我々が責められるような特別な過失は一つもない」と地元メディアに応えています。

倒壊したアパートの近くのビルの一角で小さな雑貨店を営むバントゥー・シセさんは、いつも店の外で立っています。「だって、このビルだって、いつ倒壊するか分からないじゃないの。怖いわよ。ここは全てが腐ってるわ。もうスラムね」と頭を抱えています。

◇マルセイユは「フランスのデトロイト」

社会学者のミシェル・ペラルディ氏は「マルセイユは、今や、フランスのデトロイトですね」と指摘します。その原因について、アルジェリアやモロッコなど北アフリカからの移民が多いマルセイユは、脱・植民地主義から回復せず、旧式の産業に固執してハイテク産業などを育成してこなかったからではないかと分析しています。失業率は、全仏平均より50%近くも高いと言われてます。

雇用がなければ、貧困に陥り、教育も受けられず、そのまま社会で出ても失業という悪循環が続き、市税収も途絶え、インフラ整備もされず、最悪、犯罪に走る者も続出して、治安の悪化につながります。

いつも、華やかなパリのニュースばかり接していたのですが、これが、先進国フランスの実態だったのですね。知らなかったので、大変な驚きでした。

パリ・ジャポニスム2018で、伊藤若冲展、明治展、風呂敷アート…

《渓流斎日乗》がフランスに特別派遣している農林水産IT通信員から、今、パリで開催中の「ジャポニスム Japonismes2018」の写真とリポートを送ってくださいました。
 「そんなもん、やってたの?」という日本人が多いでしょうが(笑)、今、日本文化はパリっ子の度肝を抜いておりますぜよ。
◇◇◇
 こちらパリです。
  日仏修好通商条約調印160周年を記念した「Japonismes2018」は、確かに盛り上がっています。
 私も日本人なので、寿司講師なんてものに借り出されました。
 あちこちで行われる様々なイベントを全て見ることができませんが、せっかくの機会ですから見逃すわけにはいきません。
 「伊藤若冲展」は、何と3時間もの行列に耐え、「動植綵絵30幅」を間近で見ることができました。
 鶏のリアルな赤い鶏冠が迫力でした。
 今年は明治150年。ギメ東洋美術館の創設者であるエミール・ギメの没後100周年を記念して、明治時代をテーマとした「明治展」は、講演会を聴きに行きましたが、ここでも大変な行列がありました。
また、公式企画として、パレ・デ・コングレ・デ・パリ大劇場で、「美少女戦士セーラームーン」のパフォーマンスショーもあります(11月3、4日)
   先日、パリ市庁舎の前を通ったら、風呂敷プロジェクトなるものの準備中でした。

 そうです。ちょうど今、11月1日から6日まで、パリ市庁舎前で開催している【特別企画】パリ東京文化タンデム2018 FUROSHIKI PARISの準備だったのです。

 これは、「東京からパリへの贈り物」と題して、建築家田根剛氏によって、風呂敷包みをイメージしたパビリオンをパリ市庁舎前に設置したものです。

パビリオンの内部では、前衛芸術家の草間彌生さんや映画監督の北野武さんら日仏のアーティスト、デザイナーらの協力による「風呂敷のアート」作品が展示されているほか、風呂敷の様々な使い方を映したビデオなどが公開されています。

また、風呂敷は「世界初のエコバッグ」とされており、パリ日本文化会館で、11月2日、10日、17日、24日に風呂敷を使ったワークショップが開かれます。

◇◇◇

有難う御座いました。

知らぬは日本人なりけり、ですかね?

鹿島茂著「パリの秘密」

Paris

どなたか分かりませんが、コメント有難う御座います。毎回、正座して拝読させて頂いております。
「獅子身中の虫」さんは、小生より遥かに学識教養が高いのに、いつも熱心に非才のブログをお読み頂き有難う御座います。

また、先日「忍どす」さんのアドバイスで、冷却ファンの出口に詰まったゴミを掃除したところ、作業の途中で電源がプツリと切れることがなくなりました。どうも有難う御座いました。(よおし、ウイルスバスターが有効の2017年までこのパソコンをもたすぞー)

さて、パリでの同時多発テロ以降、日本人のフランスへの旅行がキャンセルされて減り、日本からパリへの直行便も減らさざるを得ないというニュースをやっていました。

僕は、天邪鬼ですから、こういう時こそ、またパリに行きたいとウズウズしてしまったのですが、恐らくこの夢は一生叶うかどうか…。
ということで、空想でもいいから、パリに行きたいと思い、鹿島茂著「パリの秘密」(中央公論新社=2006年初版)を地図を片手に読んでいます。
何で地図を?かと言えば、「パリの歴史探偵」を自称する著者が探し当てる「スポット」は、ほとんどガイドブックに載っていない。それどころか、フランス人、いやいやパリジャン(パリジェンヌ)すら分からない歴史的モニュメントを探し当てて、微に入り細に入り、細密に描いているからです。(何しろ、当地に住むむパリの住民すら、尋ねても「知らない」と答え、著者が東京に戻って「パリの建築物事典」で調べ直して納得するぐらいですから)

まあ、マニア向けに書かれているために、私のようなトーシローにとっては、急に「ケール広場」だの「ヴィスコンティ通り」だのと、出てきても、一体それが何処にあるのか、何区でさえ分からないのです。しかし、私には、ムフフフ…、強力な武器があります。L’INDESPENSABLE社の「PLAN PLASTIFIE PARIS」があるのです。これは、昨年3月に一人でパリ旅行を敢行した際、地下鉄「マビヨン」駅近くの本屋で買ったのです。出版社名の’INDESPENSABLEは、「必要不可欠」という意味。(こんな言葉を社名にするとは!)タイトルは、強いて言えば、「プラスチック加工されたパリ地図」。つまり雨に濡れても平気なように紙が加工されているのです。

この地図は是非お勧め(10.10ユーロ)。パリ20区すべてのほか、「自転車道路」や「博物館」なども載っているのです。(ただし、鹿島教授がこの本で紹介する博物館は、この地図にさえ索引にも出てきません!)

また、脱線しますが、地図をパラパラめくっていると、至る所に「H」のマークがあり、最初は「さすが、観光都市パリ。何処にでもホテルがあるんだなあ」と思ったら、よく見たら、この「H」は、ホテルではなく病院(Hopital)だったんですね。やはり、パリでも病人が多いんですね。

さて、やっと「パリの秘密」の話です。面白かったところを箇条書きで引用させて頂くことにします。(換骨奪胎)

・フランスで「ライオン」の存在が知られる前の中世では、「百獣の王」は熊で、王侯の中には、実際に熊と猛犬と戦わせて、熊が犬になぶり殺されるのを楽しみにしていたシャルル9世のような王がいた。

・ジェットコースターのことを、フランス語で「ロシアの山」(montagne russe)という。これは、ジェットコースターの元祖のようなものが18世紀末にロシアから入ってきたため。(人工の山にレールを敷いて、急勾配をトロッコを遊具に使って降りてくる)これが、フランスからアメリカに渡り、今や世界中の遊園地でヒットするようになったとか。(ちなみに、英語ではジェットコースターのことを roller coaster と言うのに、この和製英語は誰が考えたのでしょうね?)

・世界各地でバラバラだった度量衡が「メートル法」に統一されたのは、フランス革命の影響だが、メートル法を浸透させるために、「メートル標準器」をパリには16か所設置したが、現存するのは二つだけで、そのうち元の場所に原型のまま保存されているのは、6区のヴォージラール通り36番地の標準器のみ。

・サン=ジェルマン・デ=プレ地区のヴィスコンティ通りは、バルザック、ラシーヌ、ドラクロワといったお札になるクラスの超大物たちが喜びと悲しみの日々を送った通り。

・サルトル、ボーボワール、ボードレール、モーパッサンらが眠るモンパルナス墓地を散策すると、メーヌ大通り寄りの場所にサイロのような場違いな建造物が見えるが、これは「シャリテの風車」の跡。モンパルナスもモンマルトルもかつては風車小屋だらけだった。

・モンマルトルにある「ステュディオ28」は、1928年に開館した映画館で、ルイス・ブニュエルの「アンダルシアの犬」などを上映するなど「シネマの聖地」と呼ばれている。1930年に独占封切りされたブニュエルの問題作「黄金時代」がスキャンダルとなり、右翼団体が乱入し映画館を破壊する騒ぎが起きる。しかし、経営者が変わり、紆余曲折を経て、今も健在だとか。

・パリの歌舞伎町ともいえるピガール広場からヴィクトル・マセ通りに通じるアヴェニュ・フロショーには、ヴィクトル・ユゴー、ロートレック、ルノワールの息子で映画監督のジャン・ルノワール、それにシルヴィー・バルタンらも住んでいた。

・シテ島のオテル・デュ(市民病院)の敷地は、かつては有名なデパート「ベル・ジャルディニエール」があり(パリ大改革を行ったオスマン卿の強制移転)、それまで、男性用背広はオーダーメイドが当たり前だったときに、既製服を破格の値段で売り出し、大ヒットした。

・ノートル・ダム大聖堂は長蛇の列ができる観光名所だが、通りを挟んですぐ近くにある「ノートル・ダム博物館」はいつもガラガラ。(ガイドブックに載っていないせいか?)ここには、意外にもナポレオンや一族の肖像画などが展示されている。その理由は、ナポレオンは、大革命以後に、カトリック信仰をコンコルダート(世俗権力者と教皇との政教協約)によって復活させたキリスト教徒にとっては大恩人。だからこそ、ナポレオンの戴冠式は、ノートル・ダム大聖堂で行われた。

以上、まだまだ書きたいことがいっぱいありますが、長くなるのでこの辺で。

「ダ・ヴィンチコード」★★★

やっと、映画「ダ・ヴィンチコード」を見てきました。
見る前は、酷評ばかり目にしました。
例えば、「ラングトン教授役のトム・ハンクスは、とてもハーバード大学の宗教象形学者には見えない。あくまでも、トム・ハンクスにしか見えない」

「トム・ハンクスの長髪が似合わない。あれは鬘だ」

「物語の展開が早すぎて何がなんだかわからない」

「わずか2時間半に沢山のものを詰めすぎ」等々…

確かにそういう所がありました。原作を読んでいなければ、よく筋がわからないかもしれません。それでもあえて言いますが、「とてもよかった」

DVDでもう一度じっくり見たいくらいです。

暗号解読官ソフィー役のオドレイ・トトゥが非常に知的に見えてよかった。何しろ、彼女はイエス・キリストの末裔ですからね。

世界中の熱心なキリスト教信者がこの映画をボイコットしているそうですが、確かにわからないわけではありませんね。彼らにとっては、イエスにマグダラのマリアという妻がいて、おまけにイエスが磔になった後、マグダラのマリアはフランスに逃れて娘をもうけたという話は荒唐無稽どころか冒涜そのものなのですから。

しかし、エンターテインメントとしてはよく出来ています。監督のロン・ハワード(あの「アメリカン・グラフィティ」のそばかす少年!)がよく世紀のベストセラーを映像化したものです。(「ダ・ヴィンチコード」の日本語版文庫が1000万部に達したそうです。)