笑うしかない明治から現在に至る贈収賄疑惑の数々=室伏哲郎著「実録 日本汚職史」

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 室伏哲郎著「実録 日本汚職史」(ちくま文庫、1988年2月23日初版)を読了すると、かなりの無力感に苛まれてしまい、落ち込みます。明治の近代化から始まった政治家と政商財閥との贈収賄汚職疑惑を総覧したノンフィクションです。今さら読むなんて遅すぎますが、古典的名著です。個人的に知らなかったことが多かったです。著者の室伏氏(1930~2009年)は「構造汚職」の造語を発案した作家としても知られています。

 この本を読むと、歴史上「偉人」と教え込まれた明治の元勲たちも、500以上の会社を設立して日本の資本主義を切り開いた貢献者・渋沢栄一も、早稲田大学を創設した大隈重信も、皆、みんな、汚職の疑惑まみれで、自分は何の歴史を学んできたのか、と疑心暗鬼になってしまいます。

 著者は第1章でこう書きます。

 クーデターによって政権を握った明治政府は、国民のどの階層にもしっかりした支持も基盤も持たなかった。だから、為政者たちは…天皇を神に祭り上げて…、国民を遮二無二「富国強兵」に追い立てたのである。「殖産興業」も彼らの合言葉であった。

 天皇制政府の産業奨励、資本主義の育成というのは、中央政府の吸い上げた富を少数の利権屋に与え、利権屋・財閥と政府高官が私腹を肥やすことであった。いわゆる政商型資本主義である。

 この後、著者は、明治5年の「山城屋事件」から昭和61年の撚糸工連汚職に至るまで、「これでもか」「これでもか」といった感じで疑惑汚職を並べて解説してくれます。

 私が知らなかった疑獄事件に、明治6年に明るみに出た「三谷屋事件」があります。三谷屋は、長州閥の陸軍に食い込んで暴利を貪った政商で、山縣有朋の妾の小遣いまで出していたといわれます。それが、三谷屋の手代・伊沢弥七が内緒でやった水油の思惑買いが大暴落して、莫大な借金を抱えてしまいます。三谷屋の失脚を狙った三井系商社による投げ売りが原因と言われています。

 落ち目の三谷家は、政府高官の入れ智慧に従って、日本橋、室町、京橋など市内目抜きの地所53カ所全てを見積もって5万円で三井組に提供することになります。ただし「10年後には全ての地所を無条件で返却する」という返り証文を付けてでした。

 ところが、10年経って三谷家が三井組から地所を返却してもらおうとしたところ、返り証文が見つからない。当時、三谷家の当主がまだ若いという理由で、返り証文を預かっていた姉婿の三谷斧三郎が放蕩の末に金に困り、それに付け込んだ三井組が密かにその返り証文を二束三文で買い取ったらしいのです。

 ということで、三谷家の「身から出た錆」とはいえ、世が世なら、今頃、銀座1丁目や日本橋の超・超一等地は、三井不動産ではなく、三谷財閥が開発していたことになります。となると、GHQ占領下時代に室町の三井ビルを根城に権勢を振るって「室町将軍」と呼ばれた政界の黒幕三浦義一氏も、三井財閥ではなく、三谷財閥を相手にしていたのかもしれません(笑)。

 このほか、面白かったのは(と、やけ気味に書きましょう)、出版社が県知事に賄賂を贈って教科書を採用してもらうように働きかけた明治35年の「教科書事件」、大正時代の売春汚職「松島遊郭疑獄」、放蕩の挙句に借金まみれになった元官僚が、桂太郎首相の娘婿の肩書を利用して内閣賞勲局総裁になり、賄賂を取って勲章を乱発した「売勲事件」(昭和3年)などを取り上げています。

 しかし、疑惑ですから、ほとんどの政治家や高級官僚は捕まらないで有耶無耶になってしまうんですよね。

 著者の室伏氏も書いています。

 三面記事を派手に賑わせる強盗、殺人、かっぱらい、あるいはつまみ食いなどという下層階級の犯罪は厳しく取り締まりを受けるが、中高所得層のホワイトカラー犯罪は厳格な摘発訴追を免れているーいわゆる資本主義社会における階級司法の弊害である。

 そうなんですよ。時の最高権力者が自分たちに都合の良い人間を最高検検事総長に選んだりすれば、汚職疑惑の摘発なんて世の中からなくなり、曖昧になるわけです。

 文庫の解説を書いた筑紫哲也氏も「本書を通読して驚かされるのは、恐ろしく似たような権力犯罪が明治以来現在まで繰り返されていることである。このことは、税金をいいように食い尽くされてきた納税者が、そのことに鈍感または寛容であり続けてきたことが連動している」とまで指摘しています。

 人間は歴史から何も学ばないし、同じ間違い、同じ罪を犯し続けます。まあ、笑うしかありませんね。悲劇というより、喜劇ですよ。

(引用文の一部で漢字に改めている箇所があります)

「政友会の三井、民政党の三菱」-財閥の政党支配

やっと、筒井清忠著「戦前日本のポピュリズム」(中公新書、2018年3月10日再版)を読了しました。

 先日、「昭和恐慌と経済政策」(中村隆英著)などに出てきた「帝人事件」などを話を友人の木本君に話したら、「この本にも『帝人事件』のことが出てきたよ。読んでみたら」と、貸してくれたのでした。

 中村教授の本が経済の側面から昭和初期をアプローチしているのに対して、筒井教授の本は、日露戦争終結直後の「日比谷焼き打ち事件」に始まり、昭和初期の「統帥権干犯問題」「天皇機関説事件」など、政治的、社会的事件を扱ったものです。

 筒井教授の著書は、タイトルの「ポピュリズム」にある通り、大衆の群集心理とそれを煽るマスメディアとの関係を描いていますが、ちょっと大衆デモと新聞報道との因果関係を強調し過ぎている嫌いがあります。

 大衆は、インテリ階級が考えているほど無知蒙昧でもなく、案外したたかに計算しており、新聞は、学者が思っているほど堅忍不抜ではなく、また、確固とした主張もなく時流に流され、自分たちの影響力を認識していないケースが多いからです。

 前半では、1905年の日比谷焼き打ち事件、1914年のシーメンス事件にからむ山本内閣倒閣運動、1918年の普選要求と米騒動など、今から100年ぐらい前の事件が登場しますが、100年経っても、世相はあまり変わらないなあと思ってしまいました。

 米国ではトランプ大統領が当選して、移民国家なのに、早速、本人は移民排撃政策を掲げましたが、移民排斥は今に始まったわけではなく、1924年5月15日には、「排日移民法案」が上下両院で可決されています。よく働く日系人たちは、「移民先では脅威と感じられた」からだそうです。この歴史的事実は、今の現代日本人はほとんど知りませんが、当時の反日運動の中で、プールでは「日本人泳ぐべからず」との看板が掛けられたのでした。(日本はその後、1930年代の上海租界で、同じような看板を立てました)

 カリフォルニア州の日系移民排斥の立て看板には「JAPS DONT LEAVE THE SUN SHINE ON YOU HERE   KEEP MOVING」と書かれました。「鬼畜日本人よ ここではお前たちに太陽の恵みを与えてやるものか とっとと出ていけ」とでも訳されることでしょう。つい最近、わずか95年前の出来事です。

 これに対して、日本では同年5月に米大使館前で抗議の切腹自殺が行われたり、東京と大阪の主要新聞社19社が米国に反省を求める共同宣言を発表したり、翌6月には帝国ホテルに60人が乱入して、「米国製品のボイコット」「米人入国の禁止」などを要求したビラを散布したりしました。これも、そのわずか95年後の現在、どこかの国で日本製品のボイコットが叫ばれたりして、何となく、既視感を味わってしまいました。

 さて、1931年9月18日、柳条湖事件をきっかけに満洲事変が勃発します。それまで、一貫して「反軍部」と「軍縮」を主張していた朝日新聞が、大旋回して社論を180度変更します。これまで陸軍批判の急先鋒だった(大阪朝日新聞主筆の)高原操は、10月1日の大阪朝日新聞紙上で「満洲に独立国の生まれ出ることについては歓迎こそすれ、反対すべき理由はない」とすっかり「転向」します。

 この背景には、著者は、朝日の不買運動があったことを挙げています。「満洲事変後、『朝日』に対する不買運動は奈良、神奈川県、香川県善通寺などで拡大、『3万、5万と減っていった』という。これに対して、『大阪毎日』は拡張していった。朝日の下村海南副社長は『新聞経営の立場を考えてほしい』と発言し、10月中旬の重役会で『満洲事変支持』が決定した」といいます。会社ですから、ビジネスを重視したわけです。

 こうして、大新聞は「軍神物語」を書きたてて、1945年8月15日の終戦まで、イケイケドンドンと大衆を煽り立てたわけですね。

◇反対党の家の消火はしません

 この本では、昭和初期の二大政党だった政友会のバックには三井が、民政党のバックには三菱がついており、財閥が政党を支配していたことが書かれています。こんな調子です。

 大分県では、警察の駐在所が政友会系と民政党系の二つがあり、政権が変わるたびに片方を閉じ、もう片方を開けて使用するという。結婚、医者、旅館、料亭なども政友会系と民政党系と二つに分かれていた。例えば、遠くても自党に近い医者に行くのである。…土木工事、道路などの公共事業も知事が変わるたびにそれぞれ二つに分かれていた。消防も系列化されていた。反対党の家の消火活動はしないというのである。(176ページ)

 なるほど、こんな極端のことが起きていたんですね。これを読んで、クーデターを起こした青年将校や右翼団体員たちが、財閥とともに、政党政治を批判していたことがやっと分かりました。

あと、細かいことですが、この本では、満洲事変の前に起きた1931年8月に公表された有名な中村大尉事件のことにも触れていますが、最後まで中村大尉で押し通して、名前が書かれていません。(実際は、中村震太郎大尉)この他にも、何カ所か、名前の姓だけしか表記されていないところがありました。

また、高原操のように、氏名だけしか書かれておらず、相当の知識人や研究者ならすぐ大阪朝日新聞社の主筆と分かるかもしれませんが、大抵の読者はピンと来ません。せっかく一般向けの教養書として書かれたのなら、もう少し簡単な説明や一言が欲しい気がしました。

茶屋四郎次郎は今でも続く大財閥だったとは!

 2019年、今年は個人的にも色々とありそうです。

 その一つが、旧友との交際がわずかながら復活したことです。その中の一人、根岸君とは3年、いや5年、いやいや10年以上は会っておりませんでした。行方不明といいますか、蒸発してしまったからです。

 その理由や経緯については、複雑な事情があって、さすがに茲では詳細に書けませんが、彼は一時期、ホームレス状態となり、生き倒れとなっているところを篤志家に助けられ、これまた一時期、社会福祉でお世話になっていたという噂を聞いたことがありました。

もちろん、彼の携帯電話もメールアドレスも通じません。恐らく解約したのでしょうが、親友だったら、変更したら連絡ぐらいするはずです。恐らく、過去を清算するために、かつて親しくしていた友人・知人とは絶縁したいのだろうと察し、しばらくそっとしておきました。何しろ、もうこちらから連絡を取る術がないのでどうしようもなくなくってしまったのです。

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でも、3年ほど前、ずっと気になっていたので、恐らく、この世で唯一繋がっていると思われる彼の御令弟(警察に捜索願を届けたのが彼でした)に連絡を取ることを思いつきました。連絡を取るといっても、御令弟の電話番号もメルアドも知りません。そこで、どういう手段を取ったかといいますと、御令弟が勤務する県と市と業種と名前を入力して検索したところ、顔写真付きで御令弟の連絡先が出てきたのです。彼はすっかり社会的責任のある偉い地位についておりました。

 早速、連絡したところ、御令弟は兄に伝えて小生に連絡することを約束してくれました。でも、それっきりで、余程の事情があるのか、彼の方からこちらに連絡してくれることはありませんでした。そこで、昨年、もう一度、御令弟と連絡を取って、根岸君とコンタクトできないか聞いてみました。同窓会に参加できるかどうかといった用件があったからです。

 そうしたら、やっと、彼から返事が来ました。でも、「身動きが取れないほど忙しいので同窓会には出席できない」という返事でした。その後、電話をしても忙しそうで出ることはなく、メールをしても3回に1度程度しか返事が来ないので、さすがに頭に来て、そのままにしておりました。

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そしたら、今年の元旦に彼からやっとメールが来たので、夜に電話したら通じたのです。さすがに、日本電産の永守重信会長じゃああるまいし、どんなに忙しくても正月ぐらい休んで仕事はしていないだろうと思ったからです。

 30分ほど話しているうちに、今、彼が何をやっているのかようやく分かりました。もともと、彼は教育関係の仕事をしてましたが、今は某大学の日本語講師と塾の英語講師と試験問題作成など複数掛け持ちしていて、首が回らないほどの忙しさだというのです。

よく、大学の講師の職が見つかったものだと思い、聞いたところ、あまりにも今の時代を象徴しているので、半分、微苦笑してしまいました。今、安倍政権は「人手不足」を理由に外国人労働者への門戸開放政策に踏み切りました。その前に、日本では「就労ビザ」が降りにくく、「学業ビザ」は簡単に降りやすいことから、色んな業者が結託して、「留学生」の名目で来日させて、仕事を斡旋するようになったのです。ここ15年前ぐらいからの出来事でしょうか。ここに、斡旋業者と財界と教育界との黄金のトライアングルができたわけです。つまり、新規に許認可される大学は、「時代を映す鏡」ですから、留学生のための「日本語学科」が増えたというのです。勿論、文部官僚も一枚からんでますねえ。

 でも、実態は、留学生とはいっても、金を稼ぐために日本に来ただけなので、真面目に日本語を勉強しない輩も少なからずいるそうです。出席日数が欲しいだけで、学業は二の次というわけです。

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ところで、「日本語教師」になるには、専門学校に行って、420時間の授業を受けて、単位を取って国家資格を取らなければならず、学費も100万円ぐらいは掛かると聞いたことがあります。でも、根岸君の場合は、一瞬、ホームレスをやっていたぐらいですから、そんな大金がないため、論文等による書類審査と面接だけで、つまり、資格なしで合格したというのです。凄い男ですが、「絶対に受かる自信があった」というかなりの自信家でもあります。いやいや、彼は秀才です。かなりの努力家というより桁違いの勉強家で、頭の切れるとても優秀な人物であることは確かです。

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 さて、彼を受け入れてくれた某大学は、2000年に創立された新興大学で、関東だけでなく中部地方にまで複数のキャンパスを持っています。そして、驚くべきことに、創立した母体が、日本史に名前を刻む有名な豪商・茶屋四郎次郎にまで遡るというのです。

 え?知らないですか?茶屋四郎次郎とは、安土桃山から江戸時代にかけて活躍した京都の豪商で、特に徳川家康の懐刀となり、武器兵器の調達から、諜報活動まで行い、巨万の富を築いた人で、代々、茶屋四郎次郎の名前を継いでいったと言われています。

 根岸君は「茶屋四郎次郎は財閥だよ、財閥。それもとてつもない大財閥だよ」と言うのです。財閥といえば、三井、三菱、住友、安田、そして大倉、浅野、鴻池…と私もかなり詳しい方だと思っておりましたが、まさか、歴史の教科書でしか知らない茶屋四郎次郎が健在で、今でも続く大財閥で、大学までつくってしまっていたとは全く知りませんでしたね。

 いやあ、驚きました。今の教育界はどうなっているのか、あくまでも個人的感想ですが、何か、魑魅魍魎とした感じです(失礼!)

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 そう言えば、以前(2017年2月23日)、この《渓流斎日乗》で、「凄過ぎる滋慶学園」を書いたことがあります。

 滋賀県出身の浮舟邦彦理事長が、この滋慶学園グループの創業者らしく、歯科衛生士、福祉士、整体師、そして、一気に飛んで、製菓調理師、ファッションデザイナー、挙句の果てには俳優、声優、ダンサー、歌手、アニメーター、おまけに美容師まで養成する専門学校から大学院レベルまで開校している、といったようなことを書いてます。

2年前のことなので、書いた本人は全く内容を忘れておりましたが、読み返してみたら、皆様ご存知のあの京洛先生がかつて、この滋慶学園グループのどこかの学校で教鞭を執っていたらしいことも書いておりました。

えっ?そうだったの!?