我々はタイ人だったのか?中国人だったのか?とにかく混血ですが衝撃的な結末です=NHK「日本人とは何者なのか」

 先日、NHKBSで放送された「フロンティア」第1回「日本人とは何者なのか」は、この《渓流斎日乗》の愛読者の皆さんには必見の番組でした。ちょっと制作者側のわざとらしさが目に付きましたが、内容はひっくり返って驚くほど衝撃的でした。(NHK総合で、12月18日午前0時25分から再放送あり)

 私はせっかちなので、結論を先に書いてしまいますが、我々日本人はもともとタイ南部に今でも狩猟採取を続けるマニ族(東京大学の太田博樹教授によると、タイやラオス周辺に住んでいる「ホアビニアン」と呼ばれる民族)の流れを汲む1000人の勇気のあるフロンティアが北上して3万年前に日本列島に住み着いて「縄文人」となり、その後、3000年前に大陸の北東中国から渡来した「弥生人」との混血が進み、これまでの定説ではその「二重構造説」でお仕舞いでした。しかし、次世代シーケンサーと呼ばれる最新のDNA解析により、3世紀の古墳時代に東アジア全域から渡来した民族との混血、つまり、「三重構造説」だったということが分かったというのです。これは驚きです。

 要するに、DNA解析により、今の日本人の多くには、東アジアから渡来した「古墳人」が半分、「弥生人」が4分の1、「縄文人」が4分の1の割合で混血したDNAが残っているというのです。(縄文人の流れを色濃く残すアイヌ民族と沖縄人は除きます)ただし、この肝心要の「古墳人」については、まだ研究の最中なので、どんな人たちなのか、何故、3世紀になって大量の東アジアの民族が日本列島に渡来したのかはまだ不明で分かっていません。東アジアの民族とは、中国だけではなく、ベトナムのキン族なども含まれているようです。中国には56も民族がありますから、日本人とそっくりの雲南省の白(ペー)族なども含まれているのではないかと思われます。(番組ではそこまで詳しくやってくれませんでした!)

築地

 我々の祖先であるホモ・サピエンスは20万~30万年前にアフリカで誕生し、7万年前にアフリカを出て西アジアに行き、そこから欧州に行く者と東アジアに行く者とに分かれ、日本列島には3万年前に辿り着いたといいます。それが、先述したホアビニアンの1000人です。3万年前は、まだ氷河期で日本列島と大陸は、くっついていたといわれます。南は対馬と九州が、北は北海道が大陸にくっついていたので、歩いて渡って来ることが出来たのでしょう。

 それが、1万8000年前に氷河期が終わり、温暖化で海面が上昇し、日本列島は孤立状態となります。お陰で、列島に閉じ込められた人たちが縄文文化(1万6000年前~3000年前)を1万3000年間も花咲かせます。なあんだ、鎖国じゃん、と突っ込みたくなります(笑)。あの火炎土器も奇妙な宇宙人のような土偶も、鎖国の産物だったとは!

 でも、今から3000年前に北東中国から渡来した「弥生人」たちは、稲作と金属器をもたらしました。恐らく、高度な造船と航海術を身に付けていたからこそ、渡来できたのでしょう。縄文人と混血します。

築地

 そして、残るは「古墳人」です。3世紀となると、日本はもう卑弥呼の時代でした。中国では漢王朝が滅亡して魏呉蜀の三国時代などになりますから、内乱続きで不安定なため、日本列島に「亡命」する人が溢れたのではないかと推測されます。職人や技術者や技能者だけでなく、手に職を持たない一般庶民も多く渡来したようです。現代日本人のDNAの半分も「古墳人」が占めているといいますから、相当大量の民族が海を渡って日本にやって来たことは確かです。この時の「日本人」と言っても、容姿や皮膚の色が違い、お互いに言葉が全く通じない、現代以上に国際色豊かだったと考えれています。(「人類の起源」の著者篠田謙一国立科学博物館館長

 最新のDNA解析って本当に凄いですね。古墳人を中心にもっともっと解明されていけば、日本人とは何者なのか、分かっていきます。これは大いに楽しみです。皆さんも一緒に長生きしましょう(笑)。

権威主義的、不平等主義的直系家族のドイツと日本=E・トッド著「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」を読破

 ネット通販でスニーカーを注文したら、どうも小さくて、交換してもらうことにしました。以前にも何足か通販で靴を買ったことがあり、大抵、26センチで間に合っていたのですが、今回のスニーカーはスイス製の「オン」という防水性に優れた高級靴です(とは言っても、メイド・イン・ヴェトナムですが)。部屋で試し履きしてみて、無理して履けないことはなかったのですが、ちょっときつい。また外反母趾になったりしては嫌なので、26.5センチに替えてもらうことにしました。

 通販のポイントが付くので、かなり安く買えたと思ったのですが、先方に靴を送り返す宅急便代が1050円も掛かってしまったので、結局、チャラになった感じです(苦笑)。

 さて、エマニュエル・トッド著、堀茂樹訳「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」上下巻(文藝春秋、2020年10月30日初版)を昨日、やっと読了することが出来ました。上下巻通算700ページ近い難解な大著でしたから、正直言って、悪戦苦闘といった感じで読破しました。上巻の「アングロサクソンがなぜ覇権を握ったか」は11月15日頃から読み始め、読了できたのが12月5日で、下巻の「民主主義の野蛮な起源」を読破するのに12日間かかったので、上下巻で1カ月以上この学術書に格闘してきたわけです。

 評判の本ということで、発売1カ月で、日本でも4万部を突破したらしいですが、果たして全員が読破できたのか、疑問が付くほど難解な本でした。私のような浅学菲才な人間が読破できたので、思わず、自分で自分を褒めてやりたくなりました(笑)。

 はい、これで終わりにしたのですが、ありきたりの書評を書いてしまっては、つまりませんね。エマニュエル・トッドという大碩学様に、浅学菲才が何を言うか、ということになりますが、もう少し分かりやすく書けないものですかねえ、と言いたくなりました。矛盾点も見つかりました。

 この本を渓流斎ブログで取り上げるのは、これで4回目です。過去記事は、最後の文末の【参考】でリンクを貼っておきますが、直近に書いた「アングロサクソンはなぜ覇権を握ったのか?」の中で他殺率の話が出てきます。孫引きしますと、こんなことを書いています。

 この本(上巻)の345ページには、1930年頃の他殺発生数が出て来ます。10万人当たり、英国では0.5件、スウェーデンとスペインで0.9件、フランスとドイツで1.9件、イタリアで2.6件、そして日本では0.7件だったといいます。それに対して、米国は8.8件という飛び抜けた数字です。著者のトッド氏は「アメリカ社会は歴史上ずっと継続して暴力的で、そのことは統計の数値に表れている。」と書くほどです。

 そう、この辺りを読んで、私も正直、大変失礼ながら、アメリカは野蛮な国だなあと思いました。

 そしたら、下巻では、上巻には出て来なかったロシアの他殺率が出てきて驚愕してしまいました。251ページに、ロシアの他殺率は、「2003年に10万人当たり30.0人だったのが、2014年に8.7人に急減した」という数字が出てくるのです。10万人当たり30人とは米国どころではありません。時代は違っても、米国を野蛮国と断定したのは無理がありました。何で、トッド氏は、このロシアの数字を上巻に入れなかったんでしょうか?

 原著は5年前の2017年の5年前に出版されたので、当然ながら今年2月のロシアによるウクライナ侵攻のことは書かれていません。(「日本語版のあとがき」の中では少し触れていますが、あくまでも、著者は「ウクライナ軍を武装化してロシアと戦争するように嗾けたのは米国とイギリスです」と、ロシア贔屓の書き方です。)

 下巻の240ページでは、「モスクワによるクリミア半島奪回、ウクライナにおけるロシア系住民の自治権獲得など、伝統的な人民自決権に照らせば、正統な調整と思われることが、西洋一般において、とんでもなく忌まわしいことと見なされている。歴史の忘却を超え、地政学的現実の考慮を超えて、唖然とせざるを得ないのは、ロシアの脅威の過大評価にほかならない」とトッド氏は断言されていますが、結局、ウクライナ侵攻という事実によって西側メディアや学者らがロシアのことを脅威と見なしていたことは、過大ではなく、正当で、トッド氏の予言ははずれたと、私は思うのですが。

◇ユーラシア大陸中央部だけが権威主義的か?

 もう一つ、私が矛盾点を感じたことは、下巻10~11ページに書かれていたことです。

 個人主義的・民主主義的・自由主義的イデオロギーが、ユーラシア大陸の周縁部に、歴史の短い諸地域に位置しているということである。逆に、反個人主義的で権威主義的イデオロギーーナチズム、共産主義、イスラム原理主義ーは、ユーラシア大陸のより中心的ポジション、より長い歴史を持つ諸地域を占めている。

 確かにそうかもしれません。ユーラシア大陸の中央にあるロシアや中国は実質的に共産主義で、イランやアフガニスタンなどはイスラム原理主義です。でも、ユーラシア大陸のはじっこの周縁部にある北朝鮮やベトナムはどうなるのでしょうか?

 それでも、著者による「人口」「出生率」「識字率と高等教育」「宗教」「イデオロギー」「家族形態」に着目して、世界のそれぞれの国家を分析、仕分けした学説は説得力があり、データの使い方に恣意的な面が見られるとはいえ、感心せざるを得ません。表記も換骨奪胎して、それらの部分を引用します。

 ・政権交代を伴う自由主義的民主制が容易に定着したのは、欧州でも英国、フランス、ベルギー、オランダ、デンマークといった核家族システムにおいてだけだった。(19ページ)

 ・カルヴァン的不平等主義から民主的な平等主義へ移行した米国は、独立宣言で、インディアン(アメリカ先住民)のことを「情け容赦のない野蛮人」と述べ、1860年から1890年までの間に、インディアン25万人を殲滅した。人種差別はむしろ、アメリカン・デモクラシーを支える基盤の一つだ。(22~23ページ)

◇人類の知的能力は頭打ちか?

 ・米国の高等教育は、1900年は、25歳の男性のわずか3%、女性の2%しか受けていなかったが、1940年には男性7.5%、女性5%、1975年には男性27%、女性22.5%、2000年頃には男性30%、女性25%に達した。しかし、試験の平均スコアは1970年代からほぼ停止状態入った。これは、受け入れシステムの制約ではなく、高等教育を受けるに足る知的能力の持ち主の比率が上限に達した結果だ。(43~46ページ)

・米国の1950年代以降の知的能力の停滞は、テレビの普及の可能性があるのではないか。私は既に、6歳から10歳までの思春期以前の集中的読書がホモ・サピエンスの知的能力を高めることを言及したが、集中的読書を抛擲したがゆえに頭脳の性能が落ちたとしても、いささかも意外ではない。(50ページ)

・ロシアや中国の基本的家族型は、外婚制共同体家族だが、セルビアやベトナムなども含め、農村で起こった共同体家族の崩壊で人々が個人として解き放たれたが、急に解き放たれた個人は、直ぐに自由に馴染めず、ほとんど機能不全に陥った家族の代替物として、党や中央集権化された計画経済や警察国家に求めた。(142ページ)

◇不平等で反個人主義のドイツと日本

 ・ドイツと日本は直系家族の典型で、父系制が残存し、長子相続の記憶を保全し、不平等な反個人主義だ。女権拡張的価値観に乏しく、人口面で機能不全を来し始めた。その一方、今日の世界貿易の面では、英語圏の全ての国が赤字で、一般的に直系家族型社会が黒字になっている。(170~176ページ)

 ・ゾンビ・直系家族は、集団的統合メカニズムを恒久化し、不平等主義を促し、非対称性のメンタリティがあるが、ドイツや日本の技術的優越性は自己成就的予言となり、かくしてドイツ製品や日本製品は高いレベルに到達していく。(190ページ)

 ・大陸ヨーロッパでは、オランダ、ベルギー、フランス、デンマークを別にすると、自由主義的、民主主義的であったことは一度もない。大陸ヨーロッパは、共産主義、ファシズム、ナチズムを発明した。何よりも、ユーロ圏の多くの地域が権威主義的で不平等主義的な基層の上にあることを忘れないようにしたい。(232~237ページ)

 ・直系家族であるドイツや日本の階層的システムは、社会秩序を安定化させる不平等原則を内包している。(271ページ)

 こうして読んでいくと、ドイツも日本も19世紀までいわばバラバラの領主分権国家だったのが、統一国家(プロシャ、大日本帝国)として成立した時期も似ています。明治日本がプロシャを手本にして憲法をつくったりしたのも、先の大戦で、日独伊三国同盟を樹立したのも、同じ直系家族として、偶然ではなく、必然だったのかもしれません。勤勉で真面目で、組織力がある性癖は日独に共通しています。

 私の経験では、英国で道に迷って、人に聞くと「No idea」と言って素っ気ないのに、ドイツ人ならわざわざ一緒に歩いて目的地まで連れて行ってくれたりしました。同じ直系家族としてウマが合うのかもしれません。

【参考】

 ・2022年11月18日=「人類と家族の起源を考察=エマニュエル・トッド著『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』」

 ・2022年12月1日=「『ドミノ理論』は間違っていた?=家族制度から人類史を読み解く」

 ・2022年12月6日=「アングロサクソンはなぜ覇権を握ったのか?」

人類と家族の起源を考察=エマニュエル・トッド著「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」

 本日、スマホを紛失してしまいました。焦りましたよ。でも、今日ランチに行った築地の「千秋」に戻ってみたら、案の定、その店で忘れておりました。もう六時です(洒落です)。でも、一瞬、命が縮む思いでしたから、見つかってよかった、よかった。

 さて、先月、ジェレミー・デシルヴァ著、赤根洋子訳「直立二足歩行の人類史」(文藝春秋)を読んで大いに感心感動したことはこのブログにも書きました。そのお陰で、文化人類学への興味が復活してしまいました。私が学生だった1970年代は、レヴィストロースを始め、文化人類学がブームでした。しかし、不勉強な私は、他の事(音楽のバンド活動でしたが)に夢中になってしまい、読書に勤しむことがなかったことを未だに後悔しております。

 その罪滅ぼしとして、先日、レヴィストロースの名著「悲しき熱帯」上下(中公クラシックス)を買い込み、早速読み始めました。それなのに、瀧井一博著「大久保利通 『知』を結ぶ指導者」(新潮選書)や松岡聡著「スパコン富岳の挑戦」(文春新書)など、次から次と読むべき本が登場してしまい、レヴィストロースさんは後回しになってしまいました。

 大方の緊急課題本は読了出来ましたので、では、レヴィストロースさんを再開しようかと思ったら、困ったことに、またまた新たに興味深い本が出現してしまいました。エマニュエル・トッド著、 堀茂樹訳の「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」(文藝春秋、2022年10月30日初版、ただし原著は5年前の2017年刊)です。今、その 上巻「アングロサクソンがなぜ覇権を握ったか」を読んでいるところです。

 デシルヴァ著「直立二足歩行の人類史」、レヴィストロース著「悲しき熱帯」といった「人類学」の一連の流れの一環です。大雑把に言えば、歴史はチマチマした人間の業の行いの記録ですが、古人類学は、話し言語や文字が生まれる前の二足歩行を始めた約1100万年前の類人猿の話から始まりますので、雄大で膨大です。人間として生まれて来たからには、誰でも「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」は気になります。この本、スラスラ読めるかと思いましたら、結構、著者特有の専門用語が多出するので、つっかえ、つっかえ読んでいます。

 著者のトッド氏と言えば、ソ連崩壊などを予言した歴史人口学者として世界的に著名ですが(親日家で、目下来日中)、私のような仏文学を昔かじった学徒としては、「ポール・ニザンの孫」というのが真っ先に思い浮かんでしまいます。恐らく日本人のほとんどの方は知らないでしょうが、ジャーナリスト、作家のポール・ニザンはサルトルの親友で、1940年5月、通訳として転属されたダンケルクの戦いで戦死しています。行年35歳。代表作「アデン アラビア」は「ぼくは20歳だった。それが人生で最も美しい時代とは誰にも言わせない」という一文で始まり、若き頃の私が大変な衝撃を受けた出だしでした。

 エマニュエル・トッドの実父オリヴィエ・トッドもジャーナリスト兼作家なので、「なあんだ、彼の並外れて優れた知性は遺伝じゃないか」なんて思ってしまいます(笑)。

東銀座「むさしや」創業明治7年

 相変わらず、長々と前書きを連ねてしまいましたが、この本の要約がなかなかまとまらないからです(笑)。それに、まだ上巻の半分しか読んでいません。でも、ここまで読んできて、強引に最も印象に残ったことを茲に書くとすると、現生人類ホモ・サピエンスは元々、一夫一妻制だったということです。それが、一夫多妻や、稀に一妻多夫になったりしますが、文明が高度に発達した地域になれば、一夫一妻制に戻るというのです。

 これまで一般的に太古の家族共同体では、人類はひしめき合うように雑居し、性的に混乱し、原初的な近親相姦も頻繁に行われていた、という仮説が通説でしたが、それに意義を唱えて全面否定したのが、フィンランド人の哲学者・人類学者エドワード・ウェスターマーク(1862~1939年)でした。ウェスターマークは、近親相姦のタブーは文化事象ではなく、生存競争上の有利さをもたらすものとして自然選択された無意識の行動だと結論付けました(1891年「人類婚姻史」)。トッド氏は言います。「明らかにウェスターマークは正しい。彼より後に登場したフロイトやレヴィストロースらは近親相姦の回避の内に一つの文化事象を見ようとしたが、それは誤りだった。悲しいかな。人文科学はこうした知的後退に満ち満ちている」と皮肉交じりに叙述しています。えっ?あのレヴィストロースが間違いだったとは!?(トッド氏は、構造主義にも否定的に言述しております。)

 最新研究によると、霊長類の類人猿は今から約600万年前にヒトとチンパンジーに分かれます。だから、人間とチンパンジーの染色体はほとんど同じで、塩基配列の違いは約 2%に過ぎないと言われています。しかし、人類とチンパンジーの決定的な違いは、家族です。初期のホモ・サピエンスは一夫一妻制の核家族でしたが、チンパンジーは夫婦関係は知らない。群れでは、メスを庇護するオスが次々と変わり、オスとメスの安定した関係は認められない。第一、父子関係が確定できないというのです。野性のチンパンジーの平均寿命は15年。片や「人生100年時代」。このように、人類が霊長類、いや生物の頂点に君臨して長寿を保つことができるようになったのも、家族が関係しているのかもしれません。

(つづく)