経典とイソップ寓話とではどちらが古いでしょうか?=杉田敏著「英語の極意」

 杉田敏著「英語の極意」(集英社インターナショナル新書)を読了しました。この本は、英語ネイティブがよく使う、ことわざや成句を始め、ギリシャ神話や聖書やシェークスピア作品などから引用した文例をまとめたものですので、読了したとはいっても、何度も読み返して覚えなくてはなりません。

 英語のネイティブで少しは教養がある人なら誰でも、「書き言葉」としても「話し言葉」としてもよく使う例文や冗句などが並び、その語源や意味を解説してくれるのでとても重宝します。私は杉田先生の大ファンなので今でも、ネットアプリ配信の英語講座を聴いたりしております。この本には、その講座のテキストの中で登場する同じことわざや慣用句が出て来るので、復習になったりします。つまり、この本は、杉田先生のテキストのネタ本ですね(笑)。

 この本で、私自身が一番感心して笑ったフレーズは、Some are wise; others are otherwise.(世の中、賢い人もいれば、それなりの人もいる=杉田先生の訳ではなく、小生の意訳)です。シャレと言いますか、見事な韻を踏んでいるからです。

 英語の慣用句に関しては、結構知っているつもりでしたが、この本では、初めて目にするフレーズが頻出しておりました。It’s so 2019. (「実に2019年的な」「コロナ以前の時代の」)、put one’s best foot forward.(「他人に出来るだけ良い印象を与えようとする」)、paraskevidekatriaphobia(「13日の金曜日恐怖症」)、walk in the park (朝飯前のこと)などです。あまりにも多いので、これで寸止めしておきます(笑)。

 英語ネイティブが「いらいらさせられる決まり文句」の中に、like(てゆ~か)、awesome(いけてる=いずれも小生の意訳)、to be honest(正直に言えば)などがあったので、「へー」と思ってしまいました。awesomeなんて、いかす言葉なので、私自身もよく使っていましたが、likeも含めていわゆる「若者言葉」らしく、年長者が聞くとイライラするらしいですね。

新富町「中むら」

 西洋と東洋のことわざは全く違うと思いきや、同じ人間ですから、結構、似たようなものがります。Never speak ill of the dead.( 死んだ人の悪口は言わないこと)、Prevention is better than cure.(治療より予防⇒転ばぬ先の杖)などですが、今の日本で盛んに使われる「同調圧力」は、ちゃんとpeer pressure という英語がありました。個人主義に見える英語圏社会でも、結構、同調圧力があるということになりますね。

 「イソップ寓話」に出て来る cry wolf(オオカミが来た)、cry sour grapes(負け惜しみを言う)などは現在でも頻繁に使われますが、大変驚いたことに、この「イソップ寓話」は、紀元前6世紀ごろの古代ギリシャのアイソーポス(Aesop)という奴隷がつくったされる物語を集めたものだというのです。紀元前6世紀ですよ! あのお釈迦さまが紀元前5世紀の人と言われていますから、何と、お経よりも「イソップ寓話」の方が、歴史的に古いではありませんか!

 英語という言語は、こうしてギリシャ語、ラテン語、フランス語、スカンジナビア語、そして日本語(honcho や karousiなど)まで取り入れて発展していきますが、結構、簡単なようで大変難しい言語だと私は考えています。だって、例えば、doctor は「医師」とだけ覚えていたら残念です。このほか、「博士号」や「修理士」の意味もあり、「治療する」「修理する」という動詞としても使われます。それどころか「文書を改ざんする」という意味でも使われます。財務省を円満退官した佐川さんにも知ってほしいと思いました。

 

杉田敏著「英語の極意」から連想したこと

 あれから、杉田敏著「英語の極意」(集英社インターナショナル新書)を読んでいます。2023年4月12日初版ですから出たばかりです。私は、杉田先生のNHKラジオ「ビジネス英語」で勉強させて頂いたお蔭で、かなり英語が上達したと思っておりますので、お会いしたことはありませんが、勝手に師として仰いでおります。

 そんな杉田先生が、どのようにして英語を獲得されたかと言えば、毎日、必ず、ニューヨーク・タイムズを始め、英字紙3紙以上に目を通されたりしている不断の努力の賜物なのですが、それ以外に、ただ闇雲に単語や文法を覚えるのではなく、英語という言語の裏に隠された「文化」を知るべきだ、とこの著書で「極意」を明かしているのです。

 その文化として杉田氏が挙げているのは、順不同で、聖書、シェークスピアの作品、ギリシャ神話、イソップ寓話、ことわざ、スポーツ用語、広告コピーなどです。欧米人ならお子ちゃまでも知っている格言、成句、聖句の数々です。

 まあ、日本人も「鬼に金棒」とか「早起きは三文の得」とか普段の会話などにも使ったりしてますからね。

 となると、英語上達の早道は、聖書やシェークスピアなどを英語で読むことかもしれません。特に聖書は、言語だけでなく、泰西美術(西洋絵画)を鑑賞したり、バッハを始めクラッシックを聴く際は必須で、聖書を知らないと話になりません。

 残念ながら、と言う必要はありませんが、英語には、当然のことながら、仏教用語やイスラム教用語は格言としてあまり取り入れていません。ただ、The nail that sticks out gets hammered down. は、日本のことわざ「出る杭は打たれる」を翻訳して取り入れたものだと杉田氏は言います。

 聖書やシェークスピア以外で、「イソップ寓話」が結構、英語に取り入れられていたとは、少し意外でした。「アリとキリギリス」や「オオカミ少年」などは日本人でも知っていますが、「キツネとブドウ」から取られたsour grapes(酸っぱい葡萄)などは格言にもなっています。

 そしたら、この「イソップ寓話」は、定説ではありませんが、紀元前6世紀頃の古代ギリシャのアイソーポスという名前の奴隷がつくったという説があるというのです。たまたま、私自身は、3月から4月にかけて、植木雅俊訳・解説の「法華経」をずっと読んでいたのですが、この法を説いたお釈迦さまは、紀元前565年に誕生して紀元前486年に入滅されたという説があるので、イソップ(アイソーポス)とほぼ同時代の人ではありませんか! 仏教のお経が何百年にも渡ってお経が書き続けられたように、イソップ寓話も何百年にも渡って、物語が書き続けられたという点も似ています。

 お釈迦さまは6年間の厳しい厳しい苦行の末、覚りを開かれましたが、イソップさんも、奴隷だったとすれば、厳しい苛酷な肉体労働を強制されて、つかの間の休憩時間に物語を生み出したのかもしれません。

 お経は宗教書ですが、イソップ寓話は子どもでも分かる教訓書になっていて何千年も読み継がれ、語り継がれました。となると、イソップ寓話も人類の文化遺産であり、仏教書に負けずとも劣らず人類に影響を与え続けて来たと言っても過言ではないでしょう。

 さて、ここで話はガラリと変わりますが、先日、テレビで古代エジプトの悲劇の少年王ツタンカーメンの特集番組を見ました。このツタンカーメンは、父アクエンアテン王が宗教改革を断行して、多神教から太陽神だけを祀る一神教にしたため、大混乱に陥った最中の紀元前1341年に誕生したと言われます。父王の死後、9歳で即位し、戦闘中での膝の傷から感染症が悪化して20歳前後で亡くなったという波乱の生涯をやっておりました。(ツタンカーメンの死後、クーデターで実権を握って王になった最高司令官ホルエムヘブが、ツタンカーメンを歴史上から抹殺したため、長年、その存在が忘れ去られ、奇跡的にほぼ無傷で20世紀になって墳墓が発掘されました。)

 私はテレビを見ていても、法華経を説いた仏陀=お釈迦さまのことが頭から離れずにいたので、「あっ!」と小さく叫んでしまいました。

 当たり前の話ですが、紀元前1341年生まれの古代エジプト王のツタンカーメンにとって、釈迦は、自分より約800年も先に生まれる「未来人」に当たるわけです。逆に人間お釈迦さまにとっては、ツタンカーメンは800年も前の昔の人で、恐らく、その存在すら知らなかったことでしょう。

  つまり、何が言いたいのかと言いますと、古代エジプト文明から見れば、お釈迦さまは、意外にも「最近」の人で、仏教も新しいと言えば、新しい。キリスト教はまだ2000年しか経っていないからもっと新しい、といった感慨に陥ったのでした。

 Art is long, life is short.  芸術は長く、人生は短し。(紀元前5~4世紀 ギリシャの医者ヒポクラテス)

 

友情について

  杉田敏先生(と勝手に呼ばせて頂きますが)の「現代ビジネス英語」は、NHKラジオ講座は終了してしまいましたが、引き続き、季刊で、ネットやアプリで聴ける講座が続いています。私も2021年春号からずっと聴き続けておりますが、これ以上の教材はないと思うぐらいいつも感心しながら勉強しております。

 今、ネットで聴いているのは、Lesson14「Let’s talk to strangers」の巻ですが、この中で、新型コロナのパンデミックで、友人と会う機会がなくなり、友人関係を解消する話まで出て来ます。例えば、こんなフレーズです。

 During lockdown, I let go of a couple of friendships that had been withering on the vine, as it were.

この文章を辞書なしで理解出来る日本人は相当レベルが高い人です。正直、私はさっぱり分かりませんでした。イディオムを知っていれば簡単で、let go of ~ は、「手放す」「解消する」といった意味。withering on the vine は「葡萄の木の上でしおれていく」ということから、「だんだん薄れていく」という意味です。ということは、

 私は、ロックダウン期間中は、だんだん関係が薄れていった何人かの友人たちとは連絡を取らなくなりました。

 といった意味でしょう。ズバリ、「絶交しました」と訳していいかもしれませんが、ちょっときつくなるとはいえ、意味は同じです。つまり、SNSで友達が100人いようが、100万人いようが、真の友はそれほどいるもんじゃない、ということです。こんなフレーズも出て来ます。

 One friend in a lifetime is much; two are many; three are hardly possible.

 米国の歴史家・作家のヘンリー・アダムズ(1838~1918年)の言葉らしいですが、「生涯で一人の友人を持てれば十分だ。二人は多い。三人はありえない」といった意味です。

 実は、私自身も昨年、パンデミックのせいではありませんが、withering on the vine した何人かの友人たちとlet go of した事件があったので、驚愕してしまったのです。まるで、杉田先生に見透かされた感じだったからです。杉田先生は予言者ではないか、と思ったぐらいです。

 何でその友人との関係が崩れたのか、恐らく、その友人はこのブログを見ているので、ここでは理由は書きませんが、またさらに複雑なことが起きて、いい加減に嫌になりました(笑)。そんな苦い経験と同じようなことが、テキストの文章の中に発見して、またまた驚愕してしまいました。

 I found myself resetting my friendship button. I realized that I don’t need to be around chronic complainers and naysayers. I was tired of dealing with people for whom something is always wrong, out of place, or not up to their impossibly high standards. They suck up your energy. I want to maintain a positive attitude.

 この文章なら皆さんも辞書なしでお分かりでしょうから、翻訳しませんが、まるで私の気持ちを少し代弁してくださっているようで、本当に驚愕してしまったわけです。杉田先生は千里眼です。

東久留米市

杉田敏先生のラジオ講座「実践ビジネス英語」が今月で終わってしまうとは!=33年で幕

「満鉄長春駅」(1924年頃) ノエビア銀座ギャラリー

 いやはやショックでした。

 もう何十年も聴き続けて来たラジオ講座「実践ビジネス英語」が今月3月いっぱいで終わってしまうというのです。昨日の3月第1回の放送を聴く前にテキストを読んでいたら、その事実を初めて知りました。遅いですねえ(苦笑)。

 このラジオ講座は1987年4月に「やさしいビジネス英語」としてスタートしましたから、33年でのフィナーレです。紅顔の美少年だった私も、今や単なる醜い老人です。

 私自身、いつ頃から聴き始めたのか覚えていませんし、途中でズル休みをしたこともあったと思いますが(苦笑)、30年ぐらいは聴き続けてきたと思います。勿論、講師は一貫して杉田敏先生です(NHKの講座の講師として、33年はやはり最長記録だそうです)。1944年生まれということで、今年喜寿を迎えるということで、そろそろ潮時と思われたのかもしれません。今のパートナーは、読売新聞系の「ザ・ジャパン・ニューズ」紙記者のヘザー・ハワードさんですが、その前のクリス・マツシタさんの頃から聴いていました。

 杉田敏先生は青学大卒業後、英字紙「朝日イブニングニュース」の記者になりますが、渡米し、オハイオ州立大学で修士号を取得し、現地の「シンシナティ・ポスト」紙の経済記者に。この後、ジャーナリストから米大手PRコンサルティング会社に転身し、複数の企業の重役を歴任し、帰国後はPR会社「プラップジャパン」社長などを務めた人だということは皆さまご案内の通り。ですから、取り上げられるテーマは、学者の研究というより、ジャーナリスティックで、現場主義で、自分の転職や企業合併の経験なども多く取り込まれていました。

 テーマは、ビジネスだけでなく、‘Climate Change’(気候変動)とか、Wellness Tourism’(ウエルネス・ツアー=健康増進のためのツアー)とか、’Parenting and Grandparenting’(親であること、祖父母であること=初めて祖父や祖母になる人たちを対象にした「祖父母教室」)とか、親の介護とかホームレス問題など、普通の生活者の視点から多岐にわたっていました。私も「エコツーリズム」などこのテキストで初めて知ったことが数多くあり、本当に勉強になりました。

 当初の「やさしいビジネス英語」というのは看板だけで、単語もイディオムもさっぱり分からず、一つのビニュエットの中で10個かそれ以上も分からない単語やフレーズが出てきました。30年も聴き続けるとさすがに、その数は、数個に減りましたが、まずゼロになることはありません。

 でも、昔聴いていた英語の音楽や観ていた洋画のタイトルなどの「本当の意味」が初めて分かったりして、大いに収穫がありました。

銀座「天ぷら 阿部」限定かき揚げ丼 1000円

 杉田先生は、毎日、「ウオールストリート・ジャーナル」「ニューヨークタイムズ」「USAトゥデイ」「ガーディアン」には必ず目を通し、CNNやBBCなどもチェックして、タイムリーなテーマを「創作」している、と打ち明けています。

 私自身は、これでも、英語は得意のつもりで、外国語専門の大学を卒業し、通訳案内士の国家試験も通っているのですが、それでも、正直、本当に難しい。よくぞ、こんな小難しい表現ができるものだ、と感心するばかりです。

 ただ、安心できたのは、米国人である私の義理の息子に、テキストに出てきた難しい単語やフレーズを使うと、「え?何それ?聞いたことない」「知らない。ブリティシュかな?」と戸惑って、「チェック」と言いながらスマホで調べ、後で「ホントだ。知らなかった」というのが常なのです(笑)。(ちなみに、米国人の義理の息子の名誉のために付加すると、彼は一応インテリです。杉田先生の表現が難し過ぎて、ネイティブでさえも聞き慣れないほど難しくハイレベルだということです)

 ですから、杉田敏先生には、これまで一度もお目にかかったことはありませんが、尊敬というより尊崇の念を抱いています。15年以上昔、北海道の帯広市に赴任していた頃、そこの結構大きな英語塾の創立者兼校長先生が、杉田先生と知り合いで、「いつか講師としてお呼びします」と聞いて、講演会を楽しみにしていたのですが、実現したのは、私が東京勤務に戻った後だと知り、地団駄を踏んだものです。

 これでは「杉田ロス」になること間違いなしだと思っていたら、商魂たくましい(笑)NHK出版が季刊ムック「杉田敏の現代ビジネス英語」を今年4回(3、6、9、12月)発行することを知りました。音声をダウンロードして、そのテキストで勉強できるようです。

 年4回分を一括して申し込むと、「送料無料」で確実に手に入るので、早速ネットで購読を申し込みました。「杉田ロス」にはなりたくありませんからね(笑)。

「図書カード」拝受と宗教騒動のお話

 NHK出版から自宅に封書が届きました。「面妖な、何用か?」と思いながら開けてみたら、「図書カード」(500円分)が入っていました。やったー、です。

 クイズに当選したわけではなく、NHKラジオの語学テキストの投稿コーナーに投書したことで抽選で当たったようです。思えば、語学学習はもう半世紀以上、NHKラジオで学習してきました。一番最初が中学校1年生の時の「基礎英語」(サラブレッドの綴りがthoroughbredだと知り、カルチャーショックを受けたことを覚えています)、中2で「続基礎英語」、中3から「英会話」…そして今でも聴き続けている杉田敏先生の「実践ビジネス英語」は「やさしいビジネス英語」から聴いているので30年以上経つと思います。あと、大学生から「まいにちフランス語」も聴き続けています。

 「実践ビジネス英語」はかなりのハイレベルで、NHKラジオ英語講座では最高レベルです。2年前から義理の息子になった米国人に試しに使ってみると、「そんな言葉知りません。チェック!」と言って、スマホで検索します。そして「本当に知らなかった」と白状するのです。凄い快感になりますが(笑)、英語を母国語にする人さえ知らないというのでは、日本人が知らないのも当然ですね。そんなことを投書したのです。まさか、これが当たるとは!(投書は誌面上では非公開にしたので、今回が初公開です)

湯島「吟」しめ鯖と盛り合わせ

 さて、一昨日夜、この渓流斎ブログのサイト管理運営でお世話になっているIT技師長のM氏と湯島の「吟」で、本当に久しぶりに一献を傾けました。この「吟」は、高校時代の後輩さんがやっているお店ですが、コロナ禍で経営が大変になりました。そこで、いわゆるクラウドファンディングで資金集めをしていたので、私も些少ながら寄付に応じたのです。おかげで、半年間、飲み代は半額になりました。

 M氏は主に関東・首都圏の寺社仏閣の縁起をまとめた公式サイト「猫の足あと」を主宰運営しているので、現代の宗教界の裏話に通じています。彼と会うと、そういった話が聞けるのが楽しみです。宗教学者は宗派の宗旨や歴史については詳しいでしょうが、宗教界のゴタゴタや最新情報に精通しているのは、やはり宗教ジャーナリストになるからです(笑)。

 例えば浄土真宗です。彼は、寺院から宗旨を変更した旨のメールを時折受け取るといいますが、一番多いのが真宗大谷派(東本願寺)から浄土真宗本願寺派(西本願寺)、もしくは浄土真宗東本願寺派への宗派替えだというのです。浄土真宗東本願寺派というのは、かつて真宗大谷派の東京別院(浅草御廟)だったのですが、いわゆる「お東騒動」で真宗大谷派から離脱しました。その流れで、全国のかなりの寺院が浄土真宗東本願寺派へ宗派替えしているというのです。(ちなみに、浄土真宗には本願寺派以外に高田派など合わせて十派あります)

 へー、知らなかったですね。騒動の経緯などご興味のある方は検索すれば色々と出てきます。そうこうすると、いつの間にか、貴方も宗教ジャーナリストですね。

 浄土真宗系の寺院は今最も布教活動に熱心で、わずか3カ月の講習だけで僧侶の資格が取れる即席コースを設け、新寺を量産しているというのです。これまでどんな宗派も、僧侶になるためには短くても2年間以上の講習と修行等が必要とされていたので、M氏も「いかがなものか」と眉を顰めておりました。

 話は変わって、「日蓮聖人門下連合会」11教団(あの国柱会もあります)の一つ、顕本法華宗です。総本山は京都の妙満寺で、全国に約200の末寺がありますが、そのうち150の末寺が千葉県内にあるというのです。千葉で顕本法華宗が盛んなのは、その宗派の僧侶が、土気城主の酒井氏を帰依させ、領地七里四方の寺院を法華宗にさせるという荒技を行ったからでした。(七里法華の根本霊場)

 顕本法華宗は包括宗教団体なので、末寺は総本山に上納金のような布施を納めなければなりません。こういう制度は顕本法華宗に限らず、ほとんどの宗派、宗教に通じますが、彼の考えでは「関西に基盤も作れず、実質千葉県の末寺に頼っているのだから、布教活動の都合上、実質本山を千葉に設けるべきではないか」というのです。顕本法華宗の開祖日什大正師(1314~1393)の出身地である会津には、妙法寺(会津若松市)のわずか一カ寺しかないそうです。

 上納金というと、暴力団組織のように聞こえますが、実は、逆に、ヤクザの方が、寺のピラミッド制と末寺から本山への布施制度を真似したといいます。これには酔いが醒めました。

 このような総本山に上納金を納める包括宗教団体を嫌がって、最近では「単立」の宗教団体が増えているそうです。総本山から離れるには、お東騒動のように、自分たちで本山として独立するか、一本独鈷で行くかのどちらかを選ぶことになります。

 これは、寺院だけではなく、神社でも増えているというのです。神社本庁へ志納金が支払えないという理由のほか、神社本庁の運営に反対して離脱するというのもあるそうです。あの明治神宮でさえ、一時「単立」になったことがあったというので、驚いてしまいました。

 宗教は過去の遺物ではありませんから、絶えず進化して信者、門徒を獲得する布教活動(=経済活動)をしないとつぶれてしまいます。

 M氏によると、関東地方の旧武蔵国足立郡、埼玉郡をはじめとした荒川沿いに真言宗の寺院が現在でも多くあるのは、江戸幕府が河川改修、新田開発を積極的に行い、水田農村が飛躍的に増えたので、農村仏教である真言宗が飛躍的に増えたからだといいます。
 一方、山間部は鎌倉幕府の庇護を受けた臨済宗系の寺院が比較的多かったのですが、曹洞宗に宗派替したところも多く、その上、明治維新になって、庇護者である大名・旗本がいなくなってしまい、その経済基盤が崩壊して、寺院の数が減る要因になったといいます。

 ただ、曹洞宗の場合は、明治維新後に、本山の一つである「総持寺」を能登(現在、総持寺祖院として残されている)から神奈川県の鶴見市へ移転させ、これが結果的に功を奏し、関東の曹洞宗はその立場を維持できたのではないか、というのがM氏の見立てでした。

 如是我聞。盃を傾けながら、という罰当たりの行いをしながらでしたが、私自身は大変興味深く拝聴しました。