お久しぶりです。京都の京洛先生です。
京都・祇園祭「保昌山」の胴掛けの説明が、明治初期から100年間も間違っていた
こんにちは京洛先生です。西日本は豪雨被害で、大変ですね。
今回の豪雨被害とは別に、東北、関東では、このところ、震度4、
過日の大阪北部では大阪市北区、高槻、枚方などで、
東日本大震災以降、日本全体が天変地異に、
来年は「平成」から新元号に移りますが、時代の変わり目は、
貞観年間の9世紀から始まった「祇園御霊会」こと「祇園祭」は、
昨日12日は「前祭(17日巡行)」の鉾建てが終わり、
添付の写真は鉾建てが終わった、長刀鉾、函谷鉾、
そんな折、12日付の「京都新聞」
この胴掛けは、円山応挙の作で「保昌山保存会」
指摘した人は東京在住の「祇園祭」
なんでもそうですが、注目を浴びたり、有名にになると、
以上
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【追記】7月12日付「京都新聞」夕刊記事は以下の通りです。
祇園祭前祭(さきまつり)の保昌(ほうしょう)山(
保昌山の胴掛は中国由来の人物「張騫(ちょうけん)」「巨霊人(
これまで保昌山保存会では2点の胴掛の名称をそれぞれ「
しかし、このときは正しい理解が住民には広まらず、
このため保昌山は、同課に正しい案内文の作成を依頼。
お稚児さんと禿の秘密
祇園祭も知らずに…
これでは、大恥をかいて、京洛先生に怒られてしまいそうですが、京都の「祇園祭」の山鉾巡行は、神輿の渡御・還御の前に悪疫を退散させるための「露払い」のような働きをするお祭りだったのですね。
メーンイベントは、神輿の渡御・還御なのに、祇園祭は、山鉾巡行が主体だと勘違いしておりました(苦笑)。
私も何度か、京都に足を運びましたが、混雑が嫌いなので、せめて「宵山」を見て、雰囲気に浸るだけで、本場の山鉾巡行を見るどころが、神輿なんか見たことがなかったので、勘違いしてしまったわけです。まさに、「生兵法は大怪我のもと」ですね。
基本的に、祇園社(八坂神社)の神事であるということを理解しておかなければなりません。山鉾の「山」は、依代で、そこに神様が降りて清める役割をします。「鉾」は武器の「矛」からきてまして、悪病神を鉾に集めて祓い清める役割をします。
祓い清められた神聖なところを、やっと神輿がまわるということだったんですね。
八坂神社も、もともと、牛頭天王(ごずてんのう)をお祀りした社で、この牛頭天王は、インドの祇園精舎を守護する神だといわれます。日本人は何という寛容な民族といいますか、異国のインドの神様を長らく守護神として崇め奉っていたんですね。
唯一絶対神を信じる人々にとっては信じられないことでしょう。
その後、八坂神社には、出雲の神話に出てくる須佐之男命も牛頭天王と並行して祀られましたが、「国家神道」を施策とした明治新政府以降は、須佐之男命のみになったといいます。
「そんなことも知らなかったのですか!?」と京洛先生の怒る顔が浮かびます(笑)。
古の町、雅の京都
わぁお~!
遂に京都にやって来ました。まさか毎日このブログを読まれている方は、地球上に一人もいないと思いますが、一日お休みいただいたのは、そういう事情によります。これから関西の素晴らしい写真を添えてリポートしていきます。
今、京都は祇園祭の真っ最中です。外国人観光客もわんさかと詰めかけています。
まだ、宵々々山の段階ですが、もうすでに山鉾が四条通りにスタンバイの状態で待機していました。ちょうど、曳き初(ぞ)めの日だったようです。
何か、血が騒ぐようで、久しぶりに興奮してしまいました。