若い女性が群がる「京のかたな」展=刀剣が大ブーム

お久しぶりです。京都の京洛先生です。

最近の《渓流斎日乗》のアクセスは如何ですか?
お堅い話ばかり続いておりましたから、読者の皆さんがついていけないのか、高踏過ぎたのか分かりませんが、減ったことでしょう。まあ、めげずに頑張ってください。
 さて、美術の季節の到来ですが、今日の日曜日は、貴人は、東京・上野公園で「ムンク」展でも鑑賞ですかね? 「共鳴する魂の叫び」などと「魂」のない紙面づくりをしている朝日新聞社がえらい力を入れていますね。前日に起きたことを載せるのが日刊新聞のはずですが、2,3日遅れても、平気で、紙面に載せることが目立つのが、最近の「朝日新聞」です。
 これでは、「新聞」でなく、「朝日旧聞」ですよ(笑)。
 「朝日は左翼だ!」なんて、皮相的に紙面批判している連中は、こういうことに気が付かないのでしょうかね。
 朝日新聞は完全に紙面づくりに手を抜いているのです。貴人が「経済面」を評価する読売新聞のような、ある種の「真面目さ」と「ひたむきさ」が感じられませんね。要するに、読者をなめているのです。
 迂生は昨日、国立京都博物館の「京のかたな」展(11月25日まで)を覗いてきました。昨日から始まった第70回「正倉院展」(奈良国立博物館、11月12日まで)も、読売新聞社が「特別協力」ですが、この「京のかたな」展も、読売新聞がNHKと共催です。
 かって、「ミロのビーナス」展や「ツタンカーメン」展を主催した朝日新聞社の文化事業のパワーは、この分野でも、完全に消え失せています。「適当にやっていても給料はもらえる」と社内がだらけ切っているのでしょうね。これでは、部数が400万部切ったと言われてますが、ますます減ることでしょう。社長以外は、危機感ゼロではないでしょうか。
◇若い女性がいっぱい
 ところで、迂生は、週末はなるだけ美術展は混雑するので避けていますが、昨日の土曜日(11月27日)は、新装した「南座」の記念行事で、歌舞伎役者総勢70人が、南座前から八坂神社までの四条通りを「お練り」をするので、観光客などはそちらに目が行き、京博には来ないと考え、同時刻に出かけましたが、まったく想定が外れました(笑)。
 京博も入場するのに10分も待たされ、しかも、館内は最前列で名刀を見る人が、長い列を作っている有様です。
 しかも、最近、若い女性の「刀剣マニア」が激増しているそうで、昨日の同展も7割は若い女性で吃驚仰天しました(笑)。
 京博の案内人によると「平日も女性で混んでいて、週末だけではありません」ということでした。どうやら、今、若い女性の間で、刀剣が大ブームになっているらしいのです。
 「京のかたな」展では、鎌倉時代の国宝の則国、久國、吉光の名刀や重文の刀がずらりと並び、いずれも、手入れが行き届いているので燦然と輝いているのは圧倒されます。
 それを若い女性がガラス越しに食い入るように眺め、「凄いわね!」「きれい!何とも言えない、妖しい!」と言葉を交わしていました(笑)。
◇長刀鉾をじっくり拝見
 迂生は、同展の目玉の一つ、「祇園祭」の山鉾巡行では、常に、先頭にいく「長刀鉾」に飾られていて、今は非公開になっている全長1.47メートルの、長刀を見ることが楽しみでしたが、こちらは、手入れはされているとはいっても、光り輝いてはおらず、見る人も少なく、じっくり拝見できました。
 この長刀はは室町時代後半の大永2年(1522年)に京都の鍛冶師、長吉が作ったと伝えられています。
 ところが、1536年の「天文(てんぶん)法華の乱」(延暦寺の天台宗僧徒と日蓮宗宗徒の争い)で、何者かに強奪され行方不明になりました。しかし、行方不明になった翌年、近江のお寺で見つかり、買い取られて、再び、祇園祭を執行する「八坂神社」に奉納された経緯があります。
 恐らく、その間にいろいろな逸話、ドラマがあったと思いますが、刀剣に限らず、貴重な美術品には権力、経済力を持った人間に絡む逸話があり、それを追うだけでも面白いと思いますね。
 以上、おしまい。

京都・祇園祭「保昌山」の胴掛けの説明が、明治初期から100年間も間違っていた

こんにちは京洛先生です。西日本は豪雨被害で、大変ですね。大雨がひいた後、亡くなった人が次々増えて、豪雨の大きさが、よく分かります。

 今回の豪雨被害とは別に、東北、関東では、このところ、震度4、5前後の地震が頻繁に起こっています。何も起こらなければ良いのですが、心配になります。

 過日の大阪北部では大阪市北区、高槻、枚方などで、震度6弱の大きな揺れがあり、通勤客の足に大きな影響が出ました。大都市圏での直下型地震でこの程度の被害でよく済んだとも言えます。

 東日本大震災以降、日本全体が天変地異に、いつ襲われても可笑しくないような感じもしてきています。

 来年は「平成」から新元号に移りますが、時代の変わり目は、いつも、あれこれありますからね。

 貞観年間の9世紀から始まった「祇園御霊会」こと「祇園祭」は、疫病、大災害から、民衆、国家安泰を祈願することが起源ですが、今年は、平成の最後の「祇園祭」になります。

 昨日12日は「前祭(17日巡行)」の鉾建てが終わり、曳きぞめがありました。

 添付の写真は鉾建てが終わった、長刀鉾、函谷鉾、菊水鉾の様子です。ご承知のように、”動く美術館”と言われ、山鉾の豪華な「胴掛け」が注目されますが、昨日は、万一に備え、雨除けのビニールが被せられていましたが、10日から始まった、鉾建ては、無事終わったわけです。(いずれも菊水鉾)

 そんな折、12日付の「京都新聞」夕刊に記事が載りました。同紙のホームページにも出ていますので、ご確認されれば分かります。 「保昌山」の胴掛けの説明が、明治初期から100年間も間違っていたという事です。

 この胴掛けは、円山応挙の作で「保昌山保存会」も気がつかなかった、という事で、さっそく、訂正するという事です。

 指摘した人は東京在住の「祇園祭」の熱心な研究家と言うかフアンですが、出版物、文書などをよく調べていて、京都市に問い合わせて分かったという事です。

 なんでもそうですが、注目を浴びたり、有名にになると、世間の目は厳しくなるものですね。

以上

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【追記】7月12日付「京都新聞」夕刊記事は以下の通りです。

祇園祭前祭(さきまつり)の保昌(ほうしょう)山(京都市下京区東洞院通松原上ル)が所有する胴掛2点の名称や説明が長年誤っていたことが12日までに分かった。画題となっている2人の伝説的な人物を取り違えていた。胴掛は江戸時代の絵師円山応挙が下絵を手がけた名品で、今夏の会所飾りでは約1世紀ぶりに説明を変更する。

 保昌山の胴掛は中国由来の人物「張騫(ちょうけん)」「巨霊人(きょれいじん)」と神秘的な動物「虎」「鳳凰(ほうおう)」を主題としている。裏地には、1773年を示す「安永二年六月」の年号と、応挙を意味する「円山主水」の墨書があることで知られる。

 これまで保昌山保存会では2点の胴掛の名称をそれぞれ「虎に張騫」と「鳳凰に巨霊人」としていた。だが、2010年、胴掛を指定文化財とする際の市の調査で、1875(明治8)年の京都府庁文書や、91(同24)年の国の文書には「鳳凰に張騫」「虎に巨霊人」などとする記述があることが判明。100年前後にわたって人物を取り違え、言い伝えが誤っていたことが分かった。

 しかし、このときは正しい理解が住民には広まらず、誤解は解けなかった。今年、東京の出版社が発行した祇園祭に関する本を住民が見た際、胴掛の説明が従来の内容と異なることに気づいた。この住民が市文化財保護課に問い合わせ、取り違えていたことが認識された。

 このため保昌山は、同課に正しい案内文の作成を依頼。13日午後の会所飾りから名称を「張騫鳳凰図」「巨霊人虎図」と説明を変更する。保存会の岩田脩理事(68)は「先人たちから聞いていたのと全く逆で当初は素直に受け止められなかった。今後正しい理解が浸透するのをゆっくりと待ちたい」と話す。

お稚児さんと禿の秘密

京都の京洛先生です。
 愈々、京都も「祇園祭」の時季なってきました。一昨日(6日)は、「長刀鉾」のお稚児さんと、禿2人が決まり、報道陣に発表されました。
 京都新聞HPを検索されると記事が出ています。
 稚児、禿の三人はいずれも小学三年生の8歳~9歳ですが、東京では、5歳の女児が親に虐待され亡くなくなりましたが、年齢に大差はありません。親の違いや境遇で、こうも、幼い人生が大きく違ってくるのか、と思うと、厭な世の中で、嫌な気分です。
 ちなみに、このお稚児さんになると、大変なもの入りです。「もの入り?、と言うのことは、おカネがかかるという事ですか?」と、野暮な渓流齋さんは目をシロクロされるでしょう。
 そうなんですよ。大体、選ばれる基準やプロセスが一般には全く分かりませんね(笑)。
 「透明性!透明性!」と、いつも声高に叫ぶ、マスコミ各社、報道機関もどういうわけかこれには沈黙です。
 さらに、「大相撲の土俵に女性を上がらせない!、「男女差別だ!」と、文句を言う人たちは、この、お稚児さんが、祭祀で、母親は勿論、女性の世話を一切受けることが、「厳禁」なのに、これまた問題にしませんね。世間とは、本当にいい加減なものですよ(大笑)。
 「民間の祭祀だから」という皮相な見方もあるでしょうが、実相は、”舞台裏”には、大変な、おカネ、予算がかかっていて、今時の、建前を言っていては「スカタンか!そんなこというてたら、やってられまへんえ」ですよ(笑)。
 稚児の世話をする周囲、関係者への、心づけ、気配りなど半端ではありませんね。言ってみれば”消費の世界”です。
 着物を着て、何処へでも、ウロチョロするだけの、サンドウィッチマン程度の京都市長や、京都役所がお金を出すわけがありません(笑)。八坂神社も出しません。鉾町は下働きはしても、それ以上でも、それ以下でもありません。当然、稚児の費用は、お稚児さんの家が受け持つわけです。
 「どれくらいかかるものですかね?」と、下品な探訪記者の習性、根性で、すぐ、下種の勘ぐりに走るでしょう。当事者に、直かに聞かれれば、正確なことが分かると思いますが、そんなことは、口が裂けても、家人が言うはずがないでしょう(大笑)。
 巷間、一説には、「一本とか、二本とか」言われていますね。
 貴人の事だから「え!一本とは、つまり百万円ですかね?」なんて言いそうですが、桁が違いますよ。まあ、一流大会社のサラリーマン風情の子供ではとても無理でしょう。
 5歳の女児の虐待死と重ねて思うに、「階層社会」は、厳然とあるという事です。
 写真は新緑の大徳寺の境内と、過日、渓流斎ブログで取り上げて頂いた京洛人士による「昼食探訪の会」で出かけた、洛西のはずれの「すしごはん 馬ん場」の、評判の「海鮮丼」です。ランチタイムのこの時間は、食欲旺盛、体力ある大学生、若いサラリーマンが押し掛け、店内は満員御礼。食が細っている「還暦」を過ぎた年寄りには、ヘビーな分量でした(笑)。
All photos Copyright by Kyoraque-sensei

祇園祭も知らずに…

Kyahuteaux

これでは、大恥をかいて、京洛先生に怒られてしまいそうですが、京都の「祇園祭」の山鉾巡行は、神輿の渡御・還御の前に悪疫を退散させるための「露払い」のような働きをするお祭りだったのですね。

メーンイベントは、神輿の渡御・還御なのに、祇園祭は、山鉾巡行が主体だと勘違いしておりました(苦笑)。

私も何度か、京都に足を運びましたが、混雑が嫌いなので、せめて「宵山」を見て、雰囲気に浸るだけで、本場の山鉾巡行を見るどころが、神輿なんか見たことがなかったので、勘違いしてしまったわけです。まさに、「生兵法は大怪我のもと」ですね。

基本的に、祇園社(八坂神社)の神事であるということを理解しておかなければなりません。山鉾の「山」は、依代で、そこに神様が降りて清める役割をします。「鉾」は武器の「矛」からきてまして、悪病神を鉾に集めて祓い清める役割をします。

祓い清められた神聖なところを、やっと神輿がまわるということだったんですね。

八坂神社も、もともと、牛頭天王(ごずてんのう)をお祀りした社で、この牛頭天王は、インドの祇園精舎を守護する神だといわれます。日本人は何という寛容な民族といいますか、異国のインドの神様を長らく守護神として崇め奉っていたんですね。

唯一絶対神を信じる人々にとっては信じられないことでしょう。

その後、八坂神社には、出雲の神話に出てくる須佐之男命も牛頭天王と並行して祀られましたが、「国家神道」を施策とした明治新政府以降は、須佐之男命のみになったといいます。

「そんなことも知らなかったのですか!?」と京洛先生の怒る顔が浮かびます(笑)。

古の町、雅の京都


わぁお~!
遂に京都にやって来ました。まさか毎日このブログを読まれている方は、地球上に一人もいないと思いますが、一日お休みいただいたのは、そういう事情によります。これから関西の素晴らしい写真を添えてリポートしていきます。
今、京都は祇園祭の真っ最中です。外国人観光客もわんさかと詰めかけています。
まだ、宵々々山の段階ですが、もうすでに山鉾が四条通りにスタンバイの状態で待機していました。ちょうど、曳き初(ぞ)めの日だったようです。
何か、血が騒ぐようで、久しぶりに興奮してしまいました。