京都・祇園祭「保昌山」の胴掛けの説明が、明治初期から100年間も間違っていた

こんにちは京洛先生です。西日本は豪雨被害で、大変ですね。大雨がひいた後、亡くなった人が次々増えて、豪雨の大きさが、よく分かります。

 今回の豪雨被害とは別に、東北、関東では、このところ、震度4、5前後の地震が頻繁に起こっています。何も起こらなければ良いのですが、心配になります。

 過日の大阪北部では大阪市北区、高槻、枚方などで、震度6弱の大きな揺れがあり、通勤客の足に大きな影響が出ました。大都市圏での直下型地震でこの程度の被害でよく済んだとも言えます。

 東日本大震災以降、日本全体が天変地異に、いつ襲われても可笑しくないような感じもしてきています。

 来年は「平成」から新元号に移りますが、時代の変わり目は、いつも、あれこれありますからね。

 貞観年間の9世紀から始まった「祇園御霊会」こと「祇園祭」は、疫病、大災害から、民衆、国家安泰を祈願することが起源ですが、今年は、平成の最後の「祇園祭」になります。

 昨日12日は「前祭(17日巡行)」の鉾建てが終わり、曳きぞめがありました。

 添付の写真は鉾建てが終わった、長刀鉾、函谷鉾、菊水鉾の様子です。ご承知のように、”動く美術館”と言われ、山鉾の豪華な「胴掛け」が注目されますが、昨日は、万一に備え、雨除けのビニールが被せられていましたが、10日から始まった、鉾建ては、無事終わったわけです。(いずれも菊水鉾)

 そんな折、12日付の「京都新聞」夕刊に記事が載りました。同紙のホームページにも出ていますので、ご確認されれば分かります。 「保昌山」の胴掛けの説明が、明治初期から100年間も間違っていたという事です。

 この胴掛けは、円山応挙の作で「保昌山保存会」も気がつかなかった、という事で、さっそく、訂正するという事です。

 指摘した人は東京在住の「祇園祭」の熱心な研究家と言うかフアンですが、出版物、文書などをよく調べていて、京都市に問い合わせて分かったという事です。

 なんでもそうですが、注目を浴びたり、有名にになると、世間の目は厳しくなるものですね。

以上

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【追記】7月12日付「京都新聞」夕刊記事は以下の通りです。

祇園祭前祭(さきまつり)の保昌(ほうしょう)山(京都市下京区東洞院通松原上ル)が所有する胴掛2点の名称や説明が長年誤っていたことが12日までに分かった。画題となっている2人の伝説的な人物を取り違えていた。胴掛は江戸時代の絵師円山応挙が下絵を手がけた名品で、今夏の会所飾りでは約1世紀ぶりに説明を変更する。

 保昌山の胴掛は中国由来の人物「張騫(ちょうけん)」「巨霊人(きょれいじん)」と神秘的な動物「虎」「鳳凰(ほうおう)」を主題としている。裏地には、1773年を示す「安永二年六月」の年号と、応挙を意味する「円山主水」の墨書があることで知られる。

 これまで保昌山保存会では2点の胴掛の名称をそれぞれ「虎に張騫」と「鳳凰に巨霊人」としていた。だが、2010年、胴掛を指定文化財とする際の市の調査で、1875(明治8)年の京都府庁文書や、91(同24)年の国の文書には「鳳凰に張騫」「虎に巨霊人」などとする記述があることが判明。100年前後にわたって人物を取り違え、言い伝えが誤っていたことが分かった。

 しかし、このときは正しい理解が住民には広まらず、誤解は解けなかった。今年、東京の出版社が発行した祇園祭に関する本を住民が見た際、胴掛の説明が従来の内容と異なることに気づいた。この住民が市文化財保護課に問い合わせ、取り違えていたことが認識された。

 このため保昌山は、同課に正しい案内文の作成を依頼。13日午後の会所飾りから名称を「張騫鳳凰図」「巨霊人虎図」と説明を変更する。保存会の岩田脩理事(68)は「先人たちから聞いていたのと全く逆で当初は素直に受け止められなかった。今後正しい理解が浸透するのをゆっくりと待ちたい」と話す。

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