哈爾濱学院の跡(1991年8月) Copyright par Heizo Asada, président de Keigadô publication
昨日、「関東軍情報本部ハルビン陸軍特務機関」のタイトルで駄文を書きましたが、日曜日だというのに実に3時間も掛かり、「あにやってんだか」と貴重な時間を無駄にしたような気分になりました。
ところが、嬉しいことにこの記事を読んでくださった皆様からしっかり反響があり、私もすっかり上機嫌になってしまいました(笑)。
お一人は、哈爾濱学院同窓会の事務局長の宮さんからです。哈爾濱学院卒業生で恵雅堂出版会長の麻田平蔵氏が撮影した写真まで添付してくださいました。
この写真は、1991年8月撮影となっておりますから、まだ藍天幼稚園になる前の当時の面影を辛うじて残していた最後の頃でしょう。
日本の国家がロシア語の精鋭を養成するために建てた学院だけあって、建物も威風堂々として立派ですね。
私は、4年前ほどに一度、旧満洲旅行した際にこの哈爾濱学院跡を訪れております。鬼才栗原先生、たまたま偶然お会いした日経編集委員の内田氏も一緒でした。
昨日の記事で、松岡氏からお借りした写真を掲載しましたように、学院の跡は藍天幼稚園になっていて、ディズニーランドのような校門で締め切りになって中に入れず、写真を撮るのに大変苦労したことを覚えております。
哈爾濱学院の跡(1991年8月) Copyright par Heizo Asada, président de Keigadô publication
で、最新情報なのですが、この藍天幼稚園は今はもうないそうですね。昨日の宮さんからのメールで初めて知りました。以下は宮さんからのメールの引用です。
…学院のピンクの校舎は本当に残念ですが、藍天幼稚園は2年くらい前に火災が有り、今は使われていないようです。幼稚園は他の場所に移動したそうです。建物は空軍の管理下に有るはずです。…
へー!そうだったのですか!
昨日は哈爾濱学院卒業生の竹中重寿(故人)が、ハルビン特務機関員として李香蘭を尾行していたことを書きましたが、彼にまつわる情報も宮さんは添えてくれました。
…哈爾濱学院20期 卒業生98名のうち、特務機関に関係したのが23名(ハイラル、大連、奉天、東安、三河、哈爾濱)。そのうち、竹中重寿と同じ哈爾濱特務機関だけで12名が関係しています。
特務機関に関係した人たちの中には、詳しいことを家族にも話さず亡くなった方が多いです。特に特修科、専攻科の人たちについては謎ばかりです。…
そりゃそうでしょう。諜報機関の人間が、名前を知られただけでも大問題どころか、失格ですからね。名簿があること自体、奇跡でしょう。
さて、もう一人。皆様ご存知のガルーダ博士こと山本悦夫氏からも今朝、メールがありました。
何と!李香蘭こと山口淑子は山本氏の親戚筋(母親の又従姉妹)に当たり、福岡県大川市の出身のようだというのです。手書きの家系図もスキャンして送って頂きました。
これにも驚きましたね。でも、山本さんの二人のお嬢様は、李香蘭に似て美人だった理由がこれで分かりましたよ。
【追記】
哈爾濱学院が何故、藍天幼稚園になり、その幼稚園が火災のため移転して、現在、空軍の管理下に置かれているのかさっぱり分からなかったのですが、先ほど、松岡氏からメールを頂き、その理由が分かりました。「藍天幼稚園は、確か空軍将校の子女が通う幼稚園だったと聞いてます」
中国共産党もエリート養成校(しかも早熟幼児教育)として使用していたことになります。恐らく特別教育が施されていたことでしょう。哈爾濱学院の関係者の方々も、建物をピンク色に塗り替えた中国当局の神経は理解できなくても、一応過去の伝統を踏襲してくれていたことは理解できるかもしれませんね。