A four of fish に新たな解釈!=ビートルズ「ペニー・レイン」の歌詞

 時間が経つのがあまりにも速すぎます。60歳の1年は、20歳の頃の1年の3倍速く幾何学級数的に過ぎ去っていくと聞いてはいましたが、3倍どころか、30倍速く経過する気がします。

 昨日は2月26日。「キング・カズ」の誕生日かもしれませんが、やはり「2・26事件」の日でしょう。昭和11年(1936年)の事件ですから、もうあれから86年も経ったのです。先日、過去に放送された「NHK特集」の「2・26事件」を再放送していましたが、これが、何と1979年に放送されたものでした。今から43年前に放送されたものです。1979年の43年前は1936年ですから、ちょうど中間点になるのです。

 私からすれば、1979年は結構最近ですが、1936年は生まれていないので遠い歴史の彼方の出来事だと思っていましたが、なあんだ、つい最近と言えば最近だったのです。その通り、1979年の時点では、事件当時の生き残りの方が多くいらして証言されていました。反乱青年将校を説得した上官の奥さんとかでしたが、一番驚いたのは、東京裁判でA級戦犯となった鈴木貞一(陸軍中将・企画院総裁、1888~1989年)が当時健在で、山下奉文らと一緒に反乱軍鎮圧のための策を練ったり、説得したりしたことを証言していました。彼は100歳の長寿を全うしたので、当時91歳。千葉県成田市に隠遁していましたが、とても矍鑠していて肉声まで聴けたことで大いに感動してしまいました。

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 さて、渓流斎ブログ2022年2月25日付「『ペニー・レイン』のA four of fishの意味が分かった!=ポール・マッカートニー『The Lyrics : 1956 to the Present』」で書いた通り、一件落着かと思っていたら、「英語博士」の刀根先生から、新たな解釈のご提案がありました。

 「ペニー・レイン」の a four of は、4人のグループのことでしょう。fish は『新入り』とか『その場に不馴れな者』『餌食』。そういう女の子たちが頻繁にやって来る。『4人』は無論ビートルズの面々に対応しての4人。fishがfish and chips を表しているというより、chipsの代わりにpies を置いている言葉遊び。言うまでもなくジョン・レノンのひらめきでしょう。in summer はどうなんでしょう。開放的で放埒だった女の子(4人が一組の)や自分等4人のその頃の姿、振る舞い…そこに力点があるような…自分はそんなふうに受けとめています。

 fish and chips がどこまでも安直な食べ物であったように、その頃の自分たち4人と女の子たち(の交渉)=fish and finger pies が一種安直であったように思えます。

 ひょっええー、全く想像もしなかった解釈でした。finger pies がリヴァプールのスラングで、「女の子とのペッティング」を意味するとしたら、十分にあり得ます。

 ただ一つ、難点があるのは、この曲がポールの子ども時代の回想だったとすると、まだ4人のグループは出来ていなかったことです。ジョンとジョージは幼馴染ですが、リンゴとはセミプロになった1960年ぐらいからの知り合いですから。

 恐らく、fish and finger pies は食べ物であることは確かでしょうが、歌詞ですから、二重の意味が込められていることでしょう。となると、four が「4人」なのか、それとも「4ペンス分」なのか解釈が別れます。前回書きましたが、4ペンス=17円ではあまりにも安過ぎるので、「4人分」と解釈する可能性も否定できません。

 ポールさん、どっちが本当か教えてください。

「昭和維新の朝」

公開日;2008年2月25日

作家の加藤廣さんが「必読の書」だというので、読み始めたら面白すぎて、途中で何度、落涙したか分かりませんでした。

 

2・26事件を扱った工藤美代子さんの「昭和維新の朝」(日本経済新聞社)です。先日、やっと読了しました。

奇しくも、明日は「2・26事件」です。今からでも遅くはないので、是非この本を読んでみてください。

私は戦後民主主義教育を受けたので、「2・26」イコール「悪」という印象を受けてきました。血迷った青年将校たちの自分勝手な革命ごっこといった程度の認識が大半を占めていました。昭和天皇も彼らを「反乱軍」と決め付け、民間人である北一輝、西田税らも処刑されました。

しかし、なぜゆえに、彼ら青年将校たちが「昭和維新」を敢行しなければならなかったのか。そこまでに至る経緯を無視しては、何も語れません。この本にはそのあたりの経緯が実に事細かく描かれているのです。

正直、私は歌人の斎藤史さんのことは知っていましたが、この本の主人公である斎藤瀏氏のことは知りませんでした。日露戦争で活躍し、昭和3年の「済南事件」で「責任」を取らされて退役予備将校となった軍人で歌人としても名をなした人でした。

歴史というのは、その勝者、敗者から描き方が全く違ってしまうものなのですね。特に、この済南事件は、日本人のある学者でさえ「大した事件ではない」と見てきたような風に書いていますが、当事者である斎藤瀏氏にとっては、軍人として、誠意をもって、国際法の範囲で対処してきたので、忸怩たる思いがあったことでしょう。そのあたりの無念さを工藤さんは見事に代弁しています。

私は、「2・26事件」関係の本は、以前、学術書を読もうとして、あまりにも人物関係の複雑についていけず、途中で挫折した経験があります。(今は大分予備知識も増えたので読めますが)

でも、この、工藤さんの本は人間が、大河小説のように生き生きと描かれ、学術書では「悪人」のように描かれていた栗原安秀などは非常に魅力的に描かれていました。この本で、やっと、青年将校たちの「気持ち」が少しは分かった気がしました。