大袈裟なタイトルですが、昨日の勤労感謝の日の祝日は、「山城歩き同好会」に参加させて頂きまして、「国史跡 八王子城跡」を踏破してきました。
かなりきつい「登山」でした。まず、一人だったら、ギブアップして帰ったことでしょう。確信を持って言えます(笑)。
けもの道のような狭い崖プチも歩きましたから、険しくて、「人間が行く所じゃない」(笑)と顎が出ましたが、昔の人は偉いですね。こんな高い所に山城を作ったのですから。
お仲間の皆様がいたおかげで、踏破できました。
集合のJR高尾駅。高尾山には何度か登ったことがありますが、最寄駅は、京王線の高尾山入口でしたから、このJRの駅で降りたのは初めてでした。ここも、東京都です。
八王子城は、小田原に本拠を置いた後北条氏の三代目氏康の三男北条氏照(うじてる=?~1590)が築いた山城でしたが、豊臣秀吉のいわゆる天正18年(1590年)の「小田原攻め」の一環として、この八王子城も前田利家・上杉景勝連合軍によって攻められ、落城します。
城主北条氏照は、小田原城で切腹しますが、その100年後に、奮闘死した家臣の中山勘解由の孫である水戸藩家老中山信治が、追善供養のために、この八王子に、上の写真のような「北条氏照及び家臣墓」を建てたのでした。
八王子城跡は「国史跡」ですから、いわゆる国有地として管理され、かなり発掘も進み、整備されておりました。
上の写真のように、400年以上昔の石垣がそのまま残っていました。城好きにはたまりませんね(笑)。
上の写真は「御主殿跡」といって、城主の北条氏照の居館があった所でした。(「ガイダンス施設」では、居館の想像図のCGも公開されておりました)ここから、陶器のほか、何と、イタリア・ベネチア産のガラス器も出土したそうで、どういう経緯なのか詳しくは分かりませんが、後北条氏は、あの時代で、既に広域な貿易をしていたことになりますね。
この写真は「御主殿の滝」と言われてますが、探すのに大変苦労しました。
落城の際に、武将やその婦女子らが自害してこの滝に身を投じたらしく、その血で城山川が三日三晩赤く染まったと言われてます。
現在は、城山川も干上がって、滝もこのような調子でした。
八王子城本丸に行くには、八王子神社を経由して、このような急こう配の山道を登って行かなければなりませんでした。
ぼやぼや登っていたら、八王子神社の天狗さまが現れて「しっかりしろ」と怒られてしまいました。
やっと本丸跡に着きましたが、「猫の額」ほどの狭さには吃驚。標高は約446メートルでしたが、登りが大変きつくて、そんな低さには感じられませんでした。
敷地が狭いので、天守はなかったようですが、平屋の城ぐらいはあったかもしれません。
ここでお昼休憩。同好会の女性陣と男性陣から「おやつ」の差し入れがありまして、頂きました。やはり、甘いものが食べたくなります。どうも有難う御座いました。
本丸で、「山城歩き同好会」の男性陣と女性陣は分かれて、男性陣4人のみで、標高約547メートルの富士見台を目指しました。
女性陣はそのまま下山して、「ガイダンス施設」で待機することになりましたが、その方が正解でしたね。
富士見台まで本丸からわずか1.2キロ、100メートル登るだけでしたが、何と、山道のきついこと。登っても、登っても、なかなか、着きません。
ほとんど「けもの道」のような狭い道で、「ありえない」感じでした。
しかも、「富士見台」ということで、快晴に恵まれたので、富士山の展望を期待したのですが、山林に囲まれて、全く見えませんでした。
がっくりでした。
でも、昔の人は健脚で、本当に偉かったんですね。
行く前は、二次元の地図を見ていただけでしたので、「楽勝」なんて思っていたんですが、なかなかの難所急こう配で、帰り道も難儀しました。
でも、山城好きにはとてもたまらない充実した日を過ごすことができました。
天候に恵まれ、森林浴ができたことが何よりです。
万全の準備をして頂いた幹事長さまを始め、同行の皆様、有難う御座いました。
嗚呼、あの森林浴は本当に気持ち良かった。こんな風に、喫茶店に籠って、パソコンでブログを打っているなんて、最悪ですよ…(苦笑)。
噂に聞いておりました富士見台までの悪路。よくぞ、ご無事で!
JR高尾駅から登られたのですね。
ご存知かもですが、高尾山口駅横には、(ぬるめのお湯の)温泉施設もありましたのに。
でも、お風呂に入ってしまったなら、疲れがどっと出て帰れなくなっていたかもですね。