小津安二郎監督から話は明治維新150年、ファーウェイ、グラバーにまで飛びます

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 今日は2018年12月12日。映画監督小津安二郎の命日です。60歳ので亡くなっています。随分若くして亡くなられていたんですね。1963年ですから、あれからちょうど55年。いまだに熱心なファンがいて、多くの現役監督にも影響を与えている凄い人です。

 私もその一人で、食通と言われた小津が贔屓にしてよく通っていた東京・上野のとんつかつ屋「蓬莱屋」や、こよなく愛した銀座のやきとり屋「伊勢廣」なんかにわざわざ食しに行ったものでした。

スペイン・トレド

 2018年も早いもので、もう終わってしまいますね。そう言えば、今年は「明治維新150年」の節目の年でしたが、何か、派手な国家行事は行われましたっけ?

 薩長土肥では盛大に挙行され、会津と長岡では反対集会が開かれたかもしれませんが、その他の地方は無関心だったのでは?「何それ?」という若者の声が聞こえてきそうです。

 50年前の1968年は「明治100年」。当時の私は紅顔の美少年でしたが、国家行事として盛大に記念式典が開かれたことをよく覚えています。時代は変わったんでしょうか。現首相は長州藩出身を自負しているのですから、何か不思議です。

スペイン・トレド

 でも、江戸幕府=悪で、明治新政府=善といった単純な二元論や、明治維新を境にすっかり世の中が変わったという説は、さすがに最近は見直されてきたようです。江戸幕府は「鎖国」政策を採っていたとはいえ、オランダ、英国、中国から外国の最新情報は熟知しており、幕末には、西周ら優秀な若者をオランダのライデンなどに留学させています。幕僚だった勝海舟も福沢諭吉も咸臨丸で米国に渡っています。

 最近、日本に開国を迫るペリーとの交渉内容を詳細に記した江戸幕府の議事録である「墨夷応接録」の現代語訳(作品社・2592円)が出版されましたが、「武力に屈して開国した」と流布された表面的な解釈は間違いで、幕府側の全権代表である林復斎の腹の据わった外交交渉の手際の良さが克明に描かれています。明治新政府が揶揄するほど、幕閣は無能ではなく、極めて優秀だったのです。

スペイン・トレド

さて、話は少し飛びますが、先日、中国通信機器大手・華為技術(ファーウェイ)副会長兼最高財務責任者(CFO)の孟晩舟容疑者(46)が逮捕され、昨日保釈が決定した事件のこと。彼女の容疑の一つが、対イラン制裁逃れを図って、HSBC経由の取引を通じて銀行法に違反したのではないかという報道がありました。

 このHSBCという銀行は、本社がロンドンにある世界トップクラスの金融会社であることは知ってましたが、気になってその沿革を調べてみたら、驚いてしまいました。HSBCというのは「香港上海銀行」の頭文字を取ったもので、1865年に英国植民地下の香港で創業。そして、早くも翌66年には日本支店を横浜に開設していたというのです。1866年とは慶応2年です。日本はまだ江戸時代だったんですよ(笑)。金融企業の外資の許認可権は、当然、江戸幕府にあったことでしょうから、世界貿易や金融取引は、明治になって急に始まったわけではないことが分かります。

 ついでながら、坂本竜馬と縁が深く、長崎に邸宅を構えたトーマス・B・グラバー(1838~1911)。この人は不可解な人物ですよね。世界史の教科書にも載っている東インド会社で、今でもホテル業など世界で幅広く展開しているジャーディン・マセソン商社の長崎代理店員として来日したのが1861年ですから、まだ22歳か23歳の若者です。後に武器商人として暗躍しますが、幕末の混乱期の日本にはビジネスチャンスがあったということでしょう。トランプさんのような「タフ・ニゴシエーター」だったことは間違いないんでしょうが、後ろ盾になっていた大英帝国が凄かったということかもしれません。あ、そう言えば、彼はフリーメンソンの会員だったという説がありますね。

“小津安二郎監督から話は明治維新150年、ファーウェイ、グラバーにまで飛びます” への2件の返信

  1. 初めて読ませていただきました。大変面白かったです! 徳島の近藤孝造より。

    1. あら、近藤先生。お久しぶりです。お元気でしたか?こんな調子でやってます(笑)。アクセスして頂き、感謝感激。痛み入りまする。
      高田渓流斎

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