京都の不思議=ボトルの相続

  その後、如何お過ごしですか、京洛先生です。 

ブログを拝見すると、渓流斎先生は、「歴史研究」から「スパイ研究」、さらには「映画鑑賞」と、あれこれお忙しいようですね(笑)。 世間は「天皇の譲位」、「平成」から「令和」への改元で大騒ぎですが、渓流斎ブログには、ほとんど、それが触れられていませんね(笑)。やはり、何か書いてもよいのではないですか?

 いつもながら、マスコミは鉦や太鼓をたたいて、さんざん、世間、大衆を煽っています。何も考えない大衆は、”改元音頭”を踊り、踊らされて、憂さを晴らす、というパターンです。

 新聞各社は「天皇陛下おめでとう!」「慶祝!」と、大きな名刺広告を集めて紙面に載せていますが、あの広告費はチャンと「禁裏」に納めているのですかね?(笑)。自社の財布に入り、収入、収益になるのなら、”あやかり商法”というか、詐欺”みたいな話ですよ(笑)。 

大手新聞各社は「こちらが献上しようと思っても、禁裏は固辞される」ということでしょうが、「日本ナントか協会」とかいう、国際慈善団体の名称を使って、「アフリカの子供を救おう!」と浄財を集め、豪華な自社ビルを建てる費用に充てる手合いとこれでは同じですよ。

 誰も文句を言わないのも可笑しな話です。そのうち、広告収入が、下降線のテレビ業界も、映像版あやかり「名刺広告」を始めるのじゃないしょうか(笑)。「人の褌で相撲をとる」とは、こういうことをいうのです。

京都「ヘルメス」

 ところで、”10日間連休”のさなか、「奇遇」、「奇縁」のお話を一つご披露しましょう。

 貴人もご存知の三軒茶屋のガルーダ博士が連休中、洛中の別荘にお見えになり、当方にも御報がありました。いつもは、ご友人らと夜の巷を徘徊されるのですが、今回は、女婿の御尊父が亡くなられ、その葬儀、御弔いのために見えました。それら大事な役目を一通り済まされた後、「時間があるので、ご一緒しませんか」と当方に有難い、お誘いがありました。

 そこで、先夜、ガルーダ博士ご夫妻のマンション傍の千本中立売周辺で食事を済ませ、さらに「もう一軒」となり、ぶらぶら三人で歩き出しました。 

「千中(せんなか)」と略称されるこの界隈は、水上勉の「五番町夕霧楼」の舞台で、「売春禁止法」以前は「五番町」という遊郭がありました。今はマンション、住居が立ち並び、そのころの賑やかさは、ほとんど消え去り、薄暗い、人出がない、狭い道筋を歩いていると、ガルーダ夫人が小さな声で「あれ!、ここヘルメスじゃないの?」と、暗がりに燈るバーの街灯を見つけ指さされました。「え!ヘルメス、どれどれ」とガルーダ博士。「そうだ、ヘルメスだ、亡くなったOさんが、よく飲みに行くといっていた、お店だ」と言うなり、「入ってみるか」となりました。

 0さんというのは、ガルーダ博士が、今回、お葬式に行かれた女婿の実父で、建築家と大学教授を兼任されていた方です。「土に還る」自然素材を用いた、独特の建築工法で、家を建てることを実践し、「藁の家」などユニークな建物も手掛けられ、その世界では有名な方だったそうです。「自由人」らしく、京都の飲み屋街にも出没し、談論風発、友人知人も多く、学生にも、大変人気があったそうです。 

「ヘルメス」は、70歳を過ぎたと思しきママさんが一人だけで、お客さんは誰もいません。時代は「平成」から「令和」に移りましたが、店内の雰囲気は、「平成」など無視して「昭和」が今も健在です。貴人が一緒なら「いやあ、懐かしいですね!こんな店がまだあるのですね、京都には」と痺れますね(笑)。店の壁際には、古いレコードが大量に整理整頓され、お客さんの好みに合わせて、それを聴かせてくれます。

 見慣れぬ客に、多少、不審げな表情で「何をしはりますか?」とママさん。そこで小生が「こちらのご夫妻の親戚で、Oさんという方が、よくここへ見えていたそうですが、ご存知ですか?」と、出しゃばって話を向けると、「え、よく存じていますよ。Oさんは。ご病気やと聞いて、心配していましたが…」と、Oさんの近況、動静もよく知っているので、話は簡単でした。

 ガルーダ博士が「いやあ、実は、先日亡くなりました、ワタシも、東京から葬儀に来て、偶然、ちょうどお店の前を通ったので、思い切って店に入ったわけです」と話されると、「え!Oさんは亡くなられはったのどすか?!いつも、一緒に来はるNさんご夫妻が、だいぶ、よおないと、言うたはったから心配してましたが、そうどすか…」。

Oさんのボトル

ママさんは「ええ先生どうしたわ。学生さんも飲みに連れて来はってね」とOさんの懐旧譚とともに、Oさんが店にキープしていたボトルを棚から出して「ご親戚やし、飲んで、センセイを偲んでおくれやす。Oさんも喜ばはるわ」と水割りを勧めてくれました。

 これには、ガルーダ博士も言葉に詰まり、しばししんみり。Oさんの好きだったという、フランク永井の「公園の手品師」などアナログのレコードプレイヤで聴き惚れました。

 ガルーダ夫人は「きっと、Oさんが導いてくれたのよ、パパ」と言われましたが、本当に奇縁、ハプニングでした。

 翌日、ガルーダ博士は、Oさんの息子さんの女婿を、「ヘルメス」に連れて行き、ボトルの引継ぎを済ませ、帰京されました。行きつけのバーにキープされたボトルの相続、形見分けというのも、珍しいと思いますね。

以上おしまい。 

再びOさんのボトル

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