もう9月ですか…。過ぎ行く日々をつかまえたくなりまして、この夏を少し振り返ってみたくなりました。
個人的に、この夏の一番のハイライトは長年の夢だった真言宗の高野山(和歌山県)にお参りできたことでした。ちょっと高いツアーでしたが、行って本当によかったです。これまで全ての国内の聖地を訪れたわけではありませんが、滋賀県の天台宗総本山比叡山延暦寺も、福井県の曹洞宗大本山永平寺も意外にも観光地化した俗っぽさにがっかりしたことがありました。しかし、標高900メートルの山奥にある高野山は、街全体が静謐で、壇上伽藍は荘厳な雰囲気に包まれていました。
えらく感激したのですが、皮肉屋の仏教ジャーナリストM氏は「真言宗は現在、大きく18本山に分派していますが、高野山真言宗(総本山金剛峰寺)は少数派なんですよ。むしろ、豊山派(総本山長谷寺、大本山護国寺)や智山派(総本山智積院、成田山新勝寺、川崎大師、高尾山薬王院)の方が勢力が大きいんですよ。それに、奥之院に織田信長や豊臣秀吉らの供養塔があるのは何のためにあるか御存知ですか?人を呼び寄せる観光のためですよ」と、のたまうではありませんか。
まあ、その真偽も含めて、それはそれとして。夏の高校野球の季節となり、今年も智弁和歌山や智弁学園(奈良)の常連高が出場して、気になって調べたら、智弁が付く両校とも弁天宗という宗教団体を母体とする学校法人が運営する学校でした。そして、この弁天宗というのは、まさに高野山真言宗の流れを汲む新興宗教だったんですね。知りませんでした。
このほか、真言宗系の新興宗教として、現在最も勢いがあって注目されているのが真如苑です。経済週刊誌に「最も集金力がある」と書かれていましたからね。真如苑は真言宗醍醐派(総本山醍醐寺)の流れを汲むそうですが、茲ではこれ以上踏み込みません。
夏の一番暑い盛りに京都にも行きました。どういうわけか浄土宗の寺院を巡る旅になりましたが、最終日に京洛先生から「京都のへそ」と言われる六角堂に連れて行ってもらいました。この六角堂の本堂北の本坊は「池坊」と呼ばれ、生け花の発祥地といわれてましたね。
この池坊の敷地に読売新聞社の京都総局があり、「それは、読売新聞二代目社主の正力亨氏の妻峰子さんの妹が、池坊専永夫人の保子さんだったからです。その御縁なのでしょう」といったことをこのブログで書きました。
そしたら、京都旅行から帰ってしばらくたった8月24日、この正力峰子さんの訃報に接したのです。享年83。亡くなったのが8月17日だったということで、ちょうど私が京都に滞在していた時でした。凄い偶然の一致には驚いてしまいました。
さて、先日、映画「ジョアン・ジルベルトを探して」を観ましたが、あんまり感動しなかったので、2007年8月に日本で公開され、あまりにも面白かったので、サントラ盤とDVDまで買ってしまった「ディス・イズ・ボサノヴァ」(2005年製作)をお口直しに自宅で観直してみました。
日本ではあまり知られていませんが、ボサノヴァのスーパースター、カルロス・リラとホベルト・メネスカルの2人が、自分たちのボサノヴァの歴史を思い起こして、所縁の地を訪れるドキュメンタリーです。アントニオ・カルロス・ジョビンの息子パウロ・ジョビンもミュージシャンとして出演していました。
これを観ると、ジョアン・ジルベルトの魅力が否が応にも分かります。その囁くような歌唱も、彼が独自に開発したといわれるギターのバチーダ奏法も、他の一流ミュージシャンと比べると、まるで月とスッポン。レベルの差が歴然としているのです。ジョアン・ジルベルトなくしてはボサノヴァは生まれなかった。彼がボサノヴァをつくった、と言われるのは納得できました。
そのジョアン・ジルベルトはかなりの奇人変人で、晩年は隠遁生活に入り行方不明になります。映画「ジョアン・ジルベルトを探して」にも描かれていましたが、若い頃、かなり仲が良かった親友とも仲違いしたわけではないのに、何十年も会わなくなります。
でも、私は逆に勇気付けられました。私も、学生時代にかなり仲が良かった親友と仲違いしたわけではなく疎遠になってしまったからです。こちらが色々とイベントや飲み会に誘ったりしても向こうが都合が悪かったり、メールをしても返事がなかったりしたからです。
最初は、こちらが何か悪いことをしたのではないか。何か気分を害することでも知らずにやってしまったのか。できれば、その誤解を解きたいと思ったものでしたが、この映画を観て、「もう誤解を解く必要もないか」と思うようになりました。「人間が恐怖(不安、嫉妬、劣等感)と欲望(出世、名誉、財産)で出来ている」のなら、もう策略することなく、無為自然、成り行きに任せて生きる(老子、列子、荘子)のが、自分にとっても、相手にとっても一番いいのではないのかと思ったのです。
来る者は拒まず、去る者は追わずです。
ボサノヴァの最重要人物の一人、ヴィニシウス・ヂ・モライス(「イパネマの娘」の作詞、作曲家、作家、外交官)は恋多き人で、9回も結婚・離婚を繰り返したそうですが、その話を聞いたただけでも私は「ご苦労さまです」と頭を下げたくなります。ということで、私自身、今年の夏は、モライス先生のように、浮いた話が全くなかったのですが、大変充実した夏を過ごすことができました。
高野山といい、京都旅行といい、自分の目的を、他人に操作されることなく、自分の意志で行う「人間の尊厳」(イマヌエル・カント)を実行できたからです。