小説「桜を見る会」

八十代将軍宗吉(むねよし)は、八十代と称しながら、実は、徳河ではなく、長州の流れ汲む三代目の将軍でした。宗吉は、祖父に当たる、将軍の座を奪った永久戦犯の七十八代将軍介信(すけのぶ)を尊崇しています。

 その介信が飛鳥山で始めた「桜を見る会」を、宗吉は毎春楽しみにしているのですが、ここにきて、コミンテルンから派遣された幕府議会議員から「公私混同ではないか」と追及され、困り果てております。

 宗吉政権の基盤を支える長州藩後援会の会員を牛車1万台に乗せて、江戸まで運び、「前夜祭」と称す大宴会まで公金を使って催していたことがバレてしまったのです。

 その公金は、実は民百姓から搾り取った年貢米を大坂の商人(あきんど)佐藤忠兵衛(佐藤忠)に横流ししてつくった多額の闇金を運用していたのですが、極秘・機密条項なので、臣民は知るよしもなし。

 将軍宗吉は「桜を見る会の名簿は既に廃棄した。主催の徳河幕府が参列者決めているので、わいの与り知るところではない」と逃げ回っておりましたが、反幕倒幕を掲げる「日朝瓦版」が霜月13日付朝刊トップで、「宗吉将軍の事務所から長州藩後援会に『桜を見る会』の案内」との見出しでスクープされてしまいました。

 おまけに、こちらも反幕というより反宗吉で知られる「江戸瓦版」も「昨春の『桜を見る会』では、尾張の人気キャバクラ嬢が招待された」との内部情報を暴露。

 臣民からは「民百姓の命を捧げた公金を横領しているのではないか」とやんのやんのと直訴が起こり、デモ隊も桜田門外と隼町と飛鳥山に集結し、幕府側から催涙ガスと実弾が発射されたという未確認情報が飛び交う有り様です。

 悪い話は続くもので、長州藩後援会員を乗せた牛車が暴走して、池袋の交差点で若い母と幼児をはねて死に至らしめた事故が発生し、犯人を留置せず、7カ月も経って、やっと検非違使が「書類送検」という「お咎めなし」に近い処遇をしたことで、またもや臣民が大騒ぎ。「民百姓なら、わずか一文(いちもん)の駄菓子を万引きしただけで、牢屋に入れられるというのに、将軍に近い特権階級には、法が適切に運用されない。長年『法の支配』を訴える宗吉将軍の言動とは矛盾するのではないか」と訴える者がいましたが、将軍様は馬耳東風でした。

 而して、我ら江戸国は、21世紀になっても、相変わらず、上等臣民(特権階級)と下等臣民(奴隷階級)との格差はますます広がるばかりでした。めでたし、めでたし。

おしまい 

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