WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua
私はよくラヂオを聴きますが、「ながら」なので、いつ何の番組だったのか、朧気なことが最近多くなりました(笑)。結構、部分部分で聴いていなかったことが多く、「まだら聴き」といった感じでしょうか。(まだらボケではありませんよ、くれぐれもお間違いなく)
で、先日、ある生物学者さんが、面白い話をしてくれたのですが、例によって「まだら聴き」だったもので、ブログにするには、自分で再構築する羽目に陥りました。ということで、生物学者さんのお話の骨子をお借りして、茲で、自分なりに換骨奪胎したいと思います。
日本人の平均寿命の話でした。縄文人の平均寿命は、一体何歳だったのか、という話で始まりました。今、学術的に分かっているところでは、31歳だったというのです。食糧事情がままならなかったし、野獣に襲われたり、病原菌に侵されて亡くなるケースが多かったからでしょう。
その後、ある程度、医学も発達し、衛生も管理され、食糧事情も改善されましたが、それでも日本人の平均寿命は50歳ぐらいで、戦後になっても50歳代だったというのです。500年前の「人生50年」の戦国時代とは違いますよ、昭和に入ってからもです!
そこで調べてみると、昭和24年(1949年)の時点で、男性56.2歳、女性59.8歳なんですよね。厚労省のデータですが、本当でしょうか?戦争の影響もあったんでしょうが、男性がやっと60歳代に乗るのはその2年後の昭和26年で、60.8歳(女性は64.9歳)。それでも今のように「人生100年時代」と言われる時代から見るとかなり若いですね。
そう言えば、全く個人的ながら、私の祖父は、父方も母方も明治後半生まれですが、私自身は全く知りません。二人とも両親がまだ十代だった昭和初期に40歳そこそこの若さで亡くなっているからです。
明治の文豪夏目漱石は49歳で亡くなっていますが、昭和の無頼派坂口安吾も49歳で亡くなっています。昔の人は、密度の濃い人生を送っていたということになりますね。
逆に言えば、今の人は、随分とのんべんだらりと生きていませんか、ということです。高齢者が増えると、介護問題を始め、年金問題などそれだけ社会的にネガティブな面が増大する側面があるわけです(まどろっこしい言い方ですが)。
2001年に石原都知事(当時)による「ババア発言」が物議を醸し、裁判沙汰になったことがありますが、ラヂオに出ていた生物学者も、生殖能力を失った生物が生き残ることができるのは動物界では人間ぐらいですよ、などと発言していました。生物にとって、生殖能力の損失は死を意味するわけです。
それでも、この生物学者は、お婆さんは、孫たちを養育したりするので、生殖能力と同じような役割を果たしている、と「お婆ちゃん効果」を強調していました。となると、その一方で、お爺さんの方はどうなるんでしょうか?
この辺りの話になると、「まだら聴き」状態で明確ではないのですが、この生物学者は、プラトンの「饗宴」とホメロスの「イリアス」「オデュッセイア」を例に出して、このような本を書いて、人間にしかできない魂を製作すれば、生物が個体として死んでも、作品は何千年も残るといった話をしていました。「虎は死して皮を残すが、人間は死して名を残す」をといったところでしょうか。
ま、でも、こういった何千年も人類に読み続けられる名作を書ける人は、1億人に一人どころか、100年に一人ぐらいでしょうけどね。われわれのような凡夫は、高齢になっても自殺するわけにはいかず、他人様に迷惑をかけないよう、ひっそりと老醜を晒しながら生きていくしかないでしょうが…。
私自身も、昔の人なら亡くなっているおまけの人生を生きています。今さらホメロスにはなれないので、こうしてブログに雑文を書きながら、世を忍んで生きていくつもりです。