「ハルビン学院の人びと 百年目の回顧」

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

通勤のバス・電車は結構空いてますが、少しでも咳をしようものなら、周囲から刺すような白い目で睨まれます。

 もちろん、マスクをしています。マスクをしないと非国民扱いです。そのうち、マスクをしない輩を見つけると棍棒で殴りつける「自警団」が跋扈することでしょう。

さて、飯島一孝著「ハルビン学院の人びと 百年目の回顧」(ユーラシア文庫)を読了しました。4月13日に初版が出たばかりの本です。

 例によって、宮さんがわざわざ自宅にまで送ってくださいました。緊急事態宣言とやらで、本屋さんまで自粛閉店してしまいました。都心の大型店舗は休業ですし、私の住む田舎の書店のほとんどは潰れてしまいました。昨日は、NHKラジオの語学テキストを買いに都心の書店に行ったら、「当面休業」の張り紙。多分、緊急事態宣言が発令されている5月6日までは閉店されることでしょう。5月号のテキストですから、間に合いませんね。どうせよ、っちゅうねん?

 「ハルビン学院」の本の著者飯島氏は、東京外国大学ロシア語科を卒業後、毎日新聞社の記者となり、モスクワ特派員を6年間も務めた人ですから、文章が読みやすい。早い人なら2時間ぐらいで読破できます。

 ハルビン学院は1920年、ロシア語とソ連事情に精通した人材を育てる目的で日露協会により中国東北地方の哈爾濱市に日露協会学校として設立されました。ということは、今年でちょうど開校100周年です。もっとも、1945年の敗戦とともに、廃校になったため、わずか25年間の存在でした。全寮制で授業料免除ということで全国の俊才が選ばれた超エリート校で学年で60~100人程度でしたから、卒業生全体で1514人です。閉校になって今年で75年になりますから、同窓会の生存会員はわずか64人で、著者の飯島氏も、執筆前は「十分な取材ができるか不安だった」とあとがきで打ち明けています。

 同書では、満鉄初代総裁や東京市長などを歴任した後藤新平が中心になって政財官界の協力で設立された日露協会のこと、1932年の満洲国建国後に日露協会学校から哈爾濱学院に改称され、関東軍の主導下になったこと、1940年には満洲国立大学に格上げされ、中国人やモンゴル人らの入学も増えたことなどハルビン学院の沿革が詳細に記述されています。

 また、卒業生にも直接インタビューして生の声を拾っています。この中で、25期の神代喜雄さんという方が登場します。奉天(現瀋陽)で育ち、ハルビン学院で学んだので、中国語とロシア語の二か国語ができたそうです。終戦後、ソ連軍の捕虜となり、2年間収容所に抑留されて帰国。共同通信(88ページに同盟通信〈現共同通信〉と書いてますが、神代氏が入社した戦後は、同盟通信は消滅しているので、明らかに間違いですね。共同通信だけでいいです)の記者を8年勤めた後、日ソ東欧貿易会に入り、日ソ経済の橋渡し役を務めた人です。

ハルビン学院 copyright par 恵雅堂出版

 個人的ながら、私の小中学校の同級生に神代京子さんという人がいますが、もしかしたら、この神代氏は、神代京子さんの父親かもしれません。7、8年前に会った時に御尊父はハルビン学院出身だと聞いたことがあるからです。その後、彼女とは急に音信不通になってしまい、確かめることができないのがとても残念です。確か、同じ小中学校の同級生に原一郎君がいましたが、彼の御尊父もハルビン学院出身だということを彼女から聞きました。

 このように、ハルビン学院出身の同窓生は異様に絆が深く、毎年4月に東京・高尾霊園での記念碑祭を行うなど結束が固いことでも有名です(今年は残念ながら中止)。卒業生にはロシア文学者の工藤精一郎や内村剛介(本名・内藤操)ら著名人がおりますが、私自身がハルビン学院と何らかの関わりを持つことになったのは、陶山幾朗編「内村剛介ロングインタビュー」(恵雅堂出版、2008年5月)を読み、このブログに掲載したことがきっかけでした。これが御縁で、編集者の宮さんと知り合い、色んな資料を提供していただき、恵雅堂出版が私の卒業した中学校の卒業アルバムの編集出版社だったことが分かり、写真は私が勤めていたマスコミの写真を使用していたことも分かり、妙な御縁を感じてしまったわけです。(このほか、恵雅堂出版の創業者の故・麻田平蔵氏らが始めたロシア料理店「チャイカ」にも何度もお邪魔しました)

現在のハルビン学院 Copyright par Duc de Matsuoqua

 実際、私も2014年に満洲旅行を決行し、哈爾濱にも行き、ハルビン学院の跡も見てきました。エリート大学が幼稚園になってしまっていました。上の写真の通り「藍天幼稚園」とありましたが、2015年頃に火災のため移転し、現在、中国空軍の管理下になっているそうです。

 このことについては、2017年10月2日に「哈爾濱学院 余話」のタイトルで書いております。藍天幼稚園は、単なるそんじょそこらの幼稚園ではなく、空軍将校の子弟が通うエリート幼稚園だったようです。

 飯島氏の本では、そこまで触れていないので、おっせかいにも付け加えさせて頂きました。また、増刷されるとき、巻末に簡単な年譜を付ければ、読者としても有難いと思いました。

“「ハルビン学院の人びと 百年目の回顧」” への2件の返信

  1. 私は、30年ほど前まで、名古屋のTV局に勤務。その傍系の都市開発の会社にも出向。そこで、学院出身の上司・伊神孝雄と働いた(東海TVの社長・鈴木充さんとも つき合った。両者とも、ハルビン学院卒。歌手・加藤○子さんとも顔を合わせることになった(父が学院卒で、新橋?でロシア料理店を経営)。
     彼らは、いずれもスケ-ルの大きい人達だった。若いエネルギッシュな人が、「学院生」の列伝を書いておくといい──。

    1. 拝復 諏訪様
      わざわざ弊ブログにお越し下さり有難う御座います。
      しかも、貴重な情報、誠に有難う御座いました。
      ハルビン学院同窓会事務局長の宮さんも大変喜ぶことでしょう。

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