「天皇と東大」第1巻「大日本帝国の誕生」で近代国家の成立と仕組みを知る

  立花隆著「天皇と東大」1~4巻(文春文庫、2012年初版)は、日本人の必読書ではないかという思いで、今頃になって、第1巻「大日本帝国の誕生」を読んでいます。この20年間近く、近現代史関係の書籍を中心に読み込んできましたが、本書で初めて得る知識が多くあり、本当に勉強になります。

 立花氏といえば、若い頃は、「田中角栄研究」「日本共産党の研究」「宇宙からの帰還」「サル学の現在」等々、ほとんど彼の著作を読破し、「雲の上の存在」のジャーナリストとして影響を受けて来ました。しかし、どうも「臨死体験」辺りから、「んっ?」と自分の興味範囲からズレている感じがし、しかも、「知の巨人」とか「大天才」とか称賛の声ばかり聞かれ、本人も恥じることなく、そのようなタイトルの本を出すようになると、私もひねくれ者ですから、(彼の天才を否定しませんが)しばらく彼の著作から離れておりました。ですから、まず2005年に単行本として発行された同書は未読でした。もちろん、1998年から2005年にかけて月刊文芸春秋に連載された記事も未読でした。

 文庫版が出て8年経ちましたが、恐らく絶版とみられ、ネット通販でもこの本は手に入らなくなりました。中には、古本でも定価の3倍から5倍も付けて販売しているサイトもあり、馬鹿らしくて買う気がしなかったのですが、例によって会社の同僚の矢元君が「こんな面白い本はないぞなもし」と貸してくれました。図書館が閉鎖されている中、もう、自宅に本を飾ったり、収集癖がなくなったので有難いことです。(立花氏は、本は買うべきもので、図書館などで借りるのはけしからん、と主張していて、私もその影響で必ず買っていましたが、彼の魔術がとけ、可処分所得が激減してからは、本はどんどん図書館で借りるようになりました=笑)

 いつもながら前書きが長い!(笑)

 久しぶりに立花氏のの著作を読んでみると、「クセが強い!」と初めて感じました。若い頃は気が付かなかったのですが、ちょっと上から目線が鼻につくようになりました。

 例えば、「今の若い人は、例外なしに『国体』のことは国民体育大会のことだと思っている。国体にそれ以外の意味があるとは夢にも思っていないのである」…といった書き方。私はもう若くはありませんが、国体を知っている若い人は「ムっ」とくることでしょう。というか、近現代史関係の本を少しでも齧った人なら、国体とは自明の理であるはずです。

 それが、冗談でも誇張でもなかったんですね。立花氏にはこの本の関連本として「東大生はバカになったか」があるように、今の東大生でさえ、ほとんどの学生が国体とは何たるかを知らないようです。ジョン・レノンと同じ1940年生まれで戦後民主主義教育を受けた立花氏も、30歳半ば過ぎまで正確な意味は知らなかったと告白しています。

 あ、また、話が飛んだようです(笑)。

 とにかく、この本は、日本人とは何か、明治維新を起こして、「文明開化」「富国強兵」をスローガンに近代国家を建設した元勲らとその官僚が、どのような思想信条を持って実践したのか、事細かく描かれ、「なるほど、そういうことだったのか」と何度も膝を打ちたくなります。

 彼らが、古代律令制を復古するような天皇中心の「大日本帝国」を建設するに当たり、最初に、そして最も力を注いだのが「教育」でした。帝国大学(東京帝国大学と、頭に東京さえ付かない唯一無二の大学)を頂点にして、全国津々浦々、隅々まで小中高等学校を張り巡らし、国家の有能な人材を養成していくのです(帝大法学部は、一時期、無試験で官吏になれる官僚養成機関になっていました)。同書では、帝大(東京大学)ができるまで、江戸時代の寺子屋や昌平黌や天文方や蘭学塾などの歴史まで遡り、欧米列強に追い付くために、最初は、江戸の種痘所の流れを汲む医学部とエンジニア養成の工学部に注力した話など逸話がいっぱいです。何よりも、東大を創ったのは、あの勝海舟だったというのは意外でした。勝海舟は、ペリー来航の混乱の中、幕府に対して、西洋風に兵制を改革して、天文学から地理学、物理学等を教える学校を江戸近郊に作るよう意見書を提出し、それが川路聖謨(としあきら)や岩瀬忠震(ただなり)ら幕閣に採用され、洋学所改め蕃書調書の設立の大役に任命されたのでした。

 まだ、第1巻の前半しか読んでいませんが、明治10年に東京大学(まだ帝国大学になる前)の初代総長を務め、福沢諭吉と並ぶ明治の代表的な啓蒙思想家である加藤弘之が、最初は、立憲君主制を標榜する「国体新論」などを発表しながら、明治14年になって、絶版を宣言する新聞広告を出します。しかも、その後は、この立憲君主制や天賦人権説まで自ら否定してしまい、学者としての生命は終わってしまいます。その代わり、政府に阿ったお蔭で、勲二等や宮中顧問官など多くの栄誉を国家から授与され、胸には勲章だらけの姿で生涯を終えます。

 なぜ、加藤弘之が急に変節したかについては、元老院(明治8年から国会が開設される明治23年まで過渡的に設けられた立法機関)議官の海江田信義によって、「刺殺しかねまじき勢いで談判」されたからだといいます。この人物は、元薩摩藩士で幕末の生麦事件の際に英国人商人を一刀両断で斬殺した人で、海江田の実弟は桜田門外の変に薩摩藩から加わり、井伊直弼大老の首級をあげたといいます。立花氏は「加藤ならずとも、ビビっても不思議ではない」と半ば同情的に書いています。

緊急事態宣言下の東京・有楽町の金曜日の夜

 まだまだ書きたいのですが、今日はもう一つだけ。

 私は皆さんご案内の通り、城好きで、昨年4月に、千葉県野田市にある関宿城を訪れたことをこのブログにも書きました。その際、関宿藩が生んだ偉人で、終戦最後の首相を務めた鈴木貫太郎の記念館にも立ち寄ったことを書きました。でも、2・26事件で、侍従長だった鈴木貫太郎がなぜ襲撃されたのか知りませんでした。それは、昭和5年(1930年)のロンドン海軍軍縮条約を締結する問題で、帷幄上奏よって、条約反対を訴えようとした加藤寛治軍令部長に対して、日程の都合で鈴木侍従長が翌日に回したおかげで、浜口雄幸首相による条約調印を可とすることが裁可され、鈴木侍従長による統帥権干犯問題に発展したからでした。2・26事件はその6年後の昭和11年ですから、軍部の間では、鈴木侍従長は「国賊」としてずっとブラックリストに載っていたのでしょう。この本では、明治の近代国家がどうして昭和になってこんなファナティックな軍部独裁国家になってしまったのか、分析してくれるようです。

 東大に行った人も、東大に行けなかった人も、色んな意味で日本の近代国家の成り立ちや仕組みがこの本でよく分かります。この本を読んだか読んでいないかで、世の中を見る視点や考え方が激変すると思います。これから4巻まで、本当に読むのが楽しみです。

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