年賀状をやっと書き終わりました。12月5日から書き始めたので、結構掛かりました。
今年はかなり「喪中はがき」が多かったり、「70歳を機に年賀の御挨拶を今年限りに致します。長い間の交際有難うございました」という方も少なからずいらっしゃって、買い求めた年賀状がかなり余ってしまいました(苦笑)。そこで、出してはいけない人に出したりしてしまいました。…告白しておきまする。
出す相手を探すために、古い住所録を引っ張り出して見たところ、かなりの方が故人になっておりました。半数近いかもしれません。会社の今の職場ではいつの間にか自分が最年長になってしまいましたからね。亡くなった方は、会社の上司に当たった人、仕事で知り合った人たちが主ですが、仕事柄、有名作家さんや評論家、芸能関係の方もいらっしゃいます。時の流れは速いものです。人生、こうしてバトンタッチしていくものだとしみじみと感じています。
さて、一昨日のこのブログで、学生時代の畏友小島先生からの指令で、NNKラジオ「らじる☆らじる」の聴き逃しサービスの三島由紀夫の話を書きましたが、他にも沢山の聴き逃した番組があったことを発見して、はまってしまいました。(小島先生には感謝申し上げます。有難う御座いました)
特に興味深く拝聴したのは、NHKラジオ第2で放送されている「宗教の時間」で、田上太秀駒澤大学名誉教授による「釈尊にとってのあの世とは」(11月15日放送)と静岡市の宝泰寺住職藤原東演氏による「百喩経(ひゃくゆきょう)の教え~自分を見つめる」(11月29日放送)でした。「こんな良質な番組を聴き逃していたとは!」と自分の不明を恥じたほどです。
田上氏によると、仏教思想の根幹の一つである極楽とかあの世とかは、釈尊は説いていないといいます。それは、紀元後に成立した「無量寿経」などの極楽浄土思想によって広まったというのです。確かに、お経は釈尊一人が説いたものだけを指すのではなく何百年、何千年に渡って高僧が受け継いで説いてきたものですから、特に異論はなく、むしろ、仏教思想の深さを思い知らされました。田上氏の語り口からは、何も、仏教だけが絶対的な真理だといった押し付けがましさが全くなく、難しいことをかみ砕いて分かりやすく解説し、視聴者と一緒に考えていきましょう、といった好印象を受けました。
藤原東演氏の講話も実に面白かったです。静岡駅に近い宝泰寺という臨済宗妙心寺派のかなり大きな禅寺の住職の子として生まれながら、家業を継ぐ気は全くなく、外交官にでもなろうと、京都大学法学部に進学しますが、学生時代は遊んでしまい、司法試験にも落ちたりして、結局、家業を継ぐことになったという飾らない正直な話には、身近に感じてしまいました。ひねくれているかもしれませんが、成功譚なんかより、失敗譚の方が遥かに面白いですからね。
「百喩経」とは、目先の利益や快楽を求める者や物事の本質が分かっていない者たちの失敗や過ちを題材にユーモアと皮肉にあふれた小咄によって仏法を説いたもので、私もこんなお経があったとは知りませんでした。皆さんもこの番組を「聴き逃しサービス」でお聴きになるといいでしょう。あと1カ月ぐらい聴くことができそうです。
あ、もう一つありました。今、聴いている真っ最中ですが、「カルチャーラジオ 日曜カルチャー『語り継がれる“幸田家”のことば』」(1)~(5)(11月8日~29日放送)です。お話は文筆家・エッセイストの青木奈緒さん。文豪幸田露伴の曾孫で、随筆家の幸田文の孫に当たる人で、露伴とは会ったことはありませんが、文には一緒に育ててもらったらしく、彼女との思い出を中心に作品を朗読しながら語っています。
これまた、実に面白い。残念ながら、第1回放送の聴き逃しサービスは今日12月28日午後3時で終わってしまいますが、第2回以降ならまだ少し間に合います。第1回では、幸田文の書いた「木」を朗読しながら、それに関する逸話などを話しています。エゾマツやトドマツなどは「倒木更新」といって、種からしか次世代が生まれないといいます。接ぎ木として生まれず、種子から育つので、成長して大木になるまでに50年から60年掛かる。そのため、林業に従事している人たちは50年とか60年とか長いスパンで物事を考えている、といった話には非常に感銘を受けました。青木さんは、北海道の富良野までそのエゾマツを見に行く話をされていました。幸田文が50年前に書いたエッセイが御縁で、東京大学が管理している普段は入れない場所に行くことを誘われて感動したといった話もされていました。