学生時代の畏友小島先生(職場でそう呼ばれているようです)からFBを通して、以下のようなコメントを頂きました。(一部改竄)
三島由紀夫の話題の続編をブログで期待しています。我々は彼の死の年齢を既に超えているので、美化する必要はないと思います。何故、まだ振るのか?と思われるかもしれませんが、11月2日(月)から5週間に渡ってNHKラジオ第2で放送された「カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス▽声でつづる昭和人物史~三島由紀夫1~5」を聴きましたか?もし、聴き逃していれば、”らじる⭐︎らじる”の「聴き逃し」サービスで、今月中まで聴くことができます。特に第5回がお勧めです。
正直、「急にそう言われても…」という感想でした。三島由紀夫に関しては、「没後50年」でもう当分、取り上げないつもりでした。あれだけ騒いだメディアも11月25日の命日を過ぎると、潮を引いたように話題として取り上げられなくなりましたし。
でも、年末年始休暇に入り、少しだけ時間的余裕も出てきたので聴いてみました。この番組が聴けるのも、12月いっぱいまでらしいので急いだこともあります。
そしたら、驚くほど面白かったので、小島先生の指令に従って、ブログに取り上げることに致しました。番組はNHKが保存している音声資料を再現し、政財界人から文化人に至るまで昭和を生きた人々を取り上げ、その人物像と歴史的意味を探るものです。解説は、昭和史に詳しい作家の保阪正康さんで、進行役は宇田川清江アナウンサー。
長くなるので、小島先生お薦めの第5回だけを取り上げます。三島が市ヶ谷の自衛隊駐屯地で自決する1週間前の1970年11月18日に三島の東京都大田区南馬込の自宅での「最後のインタビュー」です。聞き手は、文芸評論家の古林尚(ふるばやし・たかし=1927~98)さん。これは、皆さんにも聴いてもらいたいのですが(番組にリンクを貼っておきました)、天才三島の驚愕すべき予見能力を発揮した将来像が語られるのです。
◇将来を予言
話し言葉を分かりやすく少し書き言葉に直すと、三島はこんなことを言っているのです。
自分は日本文化を知っている最後のジェネレーション(世代)である。古典の言葉が身体に入った人間というのはこれから(の日本には)出てこないだろう。これからは国際主義の時代で安部公房の書くような抽象主義の時代になり、世界中で同じような問題を抱え、言葉こそ違っていても、同じ精神世界でやっていくことになる。もう草臥れ果てた。(だから、俺はそんな世界になるまでは生きていたくない)
天才にしか備わっていない鋭い予知能力であり、同時に、三島は「有言実行」の人だったと改めて思った次第です。
なぜなら、この第5回の番組の前半で、早稲田大学の学生との討論会(1968年10月3日)を録音(新潮社)したものがあり、この中で、ある学生さんが「三島先生は、作品の中で『夭折の美学』を盛んに説き、美しく死にたいと仰っていますが、御自身はまだ生きていらっしゃるじゃありませんか」と半ば揶揄したような質問をしているのです。それに対して、三島は、戦後になってなかなかそのチャンスがなかっただけで、太宰治が心中死したようにチャンスがあれば自分もやりますよ、と示唆していたのです。これは、自決する2年前の討論会ですから、その頃からか、ずっと以前から「自死」に取り付かれていたように見えます。
そして、何よりも、世界は三島が50年前に予言した通りになっているので慄然としてしまいました。当時はその言葉さえなかったグローバリズムであり、新自由市場主義であり、言語こそ違っても、世界が同時に同じ問題を抱えているではありませんか!特に貧富の格差拡大や経済問題だけでなく、新型コロナウイルスが問題に加わりましたからね。
◇その場しのぎと偽善に陥った日本人
三島は自決する前に自衛隊員らに「檄文」を配りました。その中で「われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。」といった箇所は、今でも通底している日本の現状だと言っても良いでしょう。
何しろ、国権の最高機関である国会で118回も虚偽発言しても、前総理大臣なら起訴されず、秘書だけのせいにしてお終いにするような日本という国家です。国民はスマホゲームばかりにうつつを抜かして、批判精神すら持ち合わせていません。確かに三島由紀夫のあの行動を美化するつもりはありませんが、50年経って、三島の予言に驚嘆し、少しは彼の心情と信条が分かるようになりました
NHKラジオ第2は良い番組を放送し、しかも「聴き逃し」サービスまでやってくれます。それなのに、前田晃伸会長は、「ラジオの1本化」と称して、ラジオ第2を廃止しようと目論んでおられます。それは暴挙であり、やめてほしいです。