旧新京ヤマトホテル(甘粕正彦らが長期滞在していた)
最近、以前と比べてあまり音沙汰がなくなった松岡総裁は、どうしておられるのかなあ、久しぶりにこちらから連絡でもしてみようかなあ、と思っていたところ、昨日、総裁直々からメールを頂きました。
事情があって、某所で住み込んでおられて、情報は受信できても、発信しにくい状況だったようです。
でも、メールの後半は、朗報でした。
松岡総裁が、一昨年夏から筆を進めていた著書がほぼ完成し、某出版社から5月の連休明けにも発行される予定だというのです。
松岡総裁とは、勿論、あの浩瀚な大著「松岡二十世とその時代」(日本経済評論社)を上梓された松岡將氏のことです。
同氏は「とにかく、諦めずに前に進むことですね。この出版不況の際に、一応まともな本を、二冊上梓できるとはね。そして、二冊目の『罪と罰』が、いささかでも一冊目の『松岡二十世とその時代』のPRになればと思っています」と心の内を明かしておられました。
一応、ご参考に送って頂いた目次だけでも掲載させて頂きます。本文もありますが、それはちょっと長すぎて…(笑)
ま、本邦初公開のスクープとしてざっとご覧になって頂ければと思います。ただし、著者ご本人は、タイトルの変更を思案中で、今のところ、「本題:王道楽土の罪と罰 副題:満洲国衰退崩壊実録」が最有力候補のようです。
ちなみに、小生と松岡氏とは2012年9月に「合作社・満鉄調査部事件」研究会(東京・目黒)で、面識を得ました。
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興農合作社・満鉄調査部事件の罪と罰
――第二次世界大戦下、王道楽土満洲国での焚書坑儒劇――
序 章 なぜ興農合作社・満鉄調査部事件か
(一) わがふるさと満洲国の呼ぶ声
(二) 戦時体制期の満洲国を物語るものとしての興農合作社・満鉄調査部事件
(三) 興農合作社・満鉄調査部事件の理解のために
(四) 興農合作社・満鉄調査部事件の「罪と罰」序論
第二章 興農合作社・満鉄調査部事件をめぐる時代背景
Ⅰ はじめに
Ⅱ 満洲国の形成過程とその当初の国造り課題
Ⅲ 昭和十四(一九三九)年の夏――第二次世界大戦始まる
Ⅳ 満洲国協和会活動の活発化――『協和運動』の発刊など
Ⅴ 協和会中央本部実践部での「嘱託室」の設置――戦時化していく時代の流れの中で
Ⅵ 建国神廟の創建と祭祀府の設置――日満一体の具現化
第三章 興農合作社事件、一斉検挙に至る路
Ⅰ 昭和十五年夏、協和会「嘱託室」にて(一)――鈴木小兵衛の協和会入り
Ⅱ 昭和十五年夏、協和会「嘱託室」にて(二)――平賀貞夫の東京警視庁による検挙
Ⅲ 昭和十一~十五年、賓江(北安)省綏化県にて――佐藤大四郎と大塚譲三郎
Ⅳ 昭和十六年初頭、協和会の組織改革・人員大整理――二位一体制と政府等への大量転出
Ⅴ 同じく昭和十六年初頭の日本では――急速に進む社会経済の統制化、戦時化
Ⅵ 昭和十六年四月、日ソ中立條約の締結――そして四年後のヤルタ対日秘密協定によって
Ⅶ 満洲の暑い夏――バルバロッサ作戦、北進論と南進論、そして関東軍特種演習
Ⅷ 急速に進むゾルゲ事件関係者の摘発――久津見、山名、田口なども
第四章 関東憲兵隊の「興農合作社事件(一・二八工作事件)」
Ⅰ 関東憲兵隊自身が記述する「一斉検挙に至る路」
Ⅱ 関東憲兵隊に好機到来か
Ⅲ 關憲作令第二九四號檢擧命令下る――関東憲兵隊のポイント・オブ・ノーリターン
第五章 興農合作社事件、始まる
Ⅰ 昭和十六年十一月四日朝、満洲国協和会中央本部にて
Ⅱ 翌十一月五日夕刻、満洲国協和会中央本部にて
Ⅲ 興農合作社事件関係者の一斉検挙の概要
第六章 五十余名を一斉検挙してはみたけれど
Ⅰ 留置と取調べの状況
Ⅱ 関東憲兵隊に本当に欠けていたところのもの
Ⅲ 暫行懲治叛徒法問題
Ⅳ 満洲国最高検察庁次長人事の問題
Ⅴ とは言いつつもここ満洲国にあっては
第七章 一斉検挙者の事件送致のために――やっと整ってきた道筋
Ⅰ 総合法衙内の最高検察庁次長室にて
Ⅱ そして十二月八日午前七時の臨時ニュースで、大本営発表が
――帝国陸海軍は今八日未明 西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり
Ⅲ 昭和十六年十二月二十七日、治安維持法の公布・施行
Ⅳ 昭和十六年十二月三十日、鈴木小兵衛の熱海での検挙
Ⅴ 昭和十七年の年始、協和会中央本部総務部長室にて
第八章 盟邦日本の相次ぐ戦勝報道のなかで
Ⅰ 遅々として進まぬ事件送致
Ⅱ 秘密結社無名中核体五名の事件送致とその後
Ⅲ 治安維持法第五條に定める宣傳罪
第九章 昭和十七年春の新京で
Ⅰ 新京高等検察庁による中核体五名の起訴
Ⅱ 鈴木小兵衛の告発が満鉄調査部事件へと繋がっていった
第十章 昭和十七年夏の新京で
Ⅰ 満鉄調査部事件捜査の進捗――関東憲兵隊警務部に思想班の新設
Ⅱ 八月一日、憲兵司令部本部長加藤泊治郎陸軍憲兵少将、任関東憲兵隊司令官
Ⅲ 新京での昭和十七年夏の終わり――新京高等法院での中核体五名への無期徒刑判決
第十一章 昭和十七年の秋から冬に向かう新京で
Ⅰ 満洲国建国十週年記念行事
Ⅱ 九月十七日、関東憲兵隊命令下る
Ⅲ 九月二十一日、満鉄調査部事件第一次検挙
Ⅳ 第一次検挙のその後
第十二章 満洲国の終わりが始まっていった
――満鉄調査部事件に明け暮れた昭和十八年
Ⅰ 終わりの始まりの年の始め
Ⅱ 特急あじあ号の運行停止
Ⅲ 満鉄、九・二一事件第一次検挙者を解職――満鉄の自粛処置の第一歩
第十三章 終わりの始まりの年の春、首都新京で
Ⅰ 治安維持法第五條第一項「宣傳罪」判決
Ⅱ 「宣傳罪」違反処罰の法理構成
Ⅲ 現代版「焚書坑儒」としての治安維持法第五條第一項「宣傳罪」
Ⅳ 満鉄調査部事件第一次検挙者の事件送致開始
Ⅴ 同時期の太平洋戦争での相次ぐ悲報
第十四章 からっとした夏が到来した新京で
Ⅰ 関東憲兵隊の新司令官、大野廣一陸軍少将としては
Ⅱ 七月十三日、九・二一事件第二次検挙命令下る
Ⅲ 満鉄による広範な自粛処置の実施
Ⅳ 憲兵司令官と関東憲兵隊司令官の更迭人事
Ⅴ 協和会中央本部総務部長、菅原達郎としては
Ⅵ その頃ユーラシア大陸の西の彼方では
第十五章 終わりの始まりの年はかくして暮れていく
Ⅰ 昭和十八年の秋の到来
Ⅱ 昭和十八年の秋から冬にかけての関東憲兵隊
第十六章 昭和十九年前半期
Ⅰ 昭和十九年の年明け
Ⅱ 早春の悲劇
Ⅲ 昭和十九年四月の新京
Ⅳ 師団単位となった関東軍の南方転用
第十七章 第二次世界大戦の帰趨を決定づけた昭和十九年六月
Ⅰ 昭和十九年六月、遂に連合国軍の反攻のための戦機が熟した
Ⅱ ノルマンディー上陸作戦とバグラチオン作戦――ヨーロッパの西と東で
Ⅲ 対日B29戦略爆撃の開始
Ⅳ 対日反転攻勢のとどめ――北マリアナ諸島制圧とB29発着基地化
Ⅴ 昭和十九年七月十八日、東條内閣総辞職
Ⅵ 参謀総長の交替
第十八章 満鉄調査部事件よ、何処へ行く――満洲国司法機関での法的処理
Ⅰ 満鉄調査部事件の送致及び起訴にあっての適用法條の問題
Ⅱ 満鉄調査部事件をめぐる情勢変化
Ⅲ 関東憲兵隊までもが事件への関心を喪失していく
Ⅳ 事件送致者三十六名中、二十名が個人犯罪としての刑事事件の被告となった
第十九章 昭和十九年の後半期――急坂を転げ落ちて行くが如くに
Ⅰ 昭和十九年夏、戦火はついに満洲国へも及んできた
Ⅱ 梅津参謀総長、「帝国陸軍対ソ作戦計画要領」を下達
Ⅲ 昭和十九年秋の新京
Ⅳ デジャブーとしての台湾沖航空戦
Ⅴ レイテ沖海戦と神風特別攻撃隊の悲劇、そしてレイテ島攻防戦
Ⅵ 日本本土へのマリアナ諸島からB29戦略爆撃の開始
第二十章 知らずして破局へと至る道を歩みつつ
Ⅰ 昭和二十年新春の新京
Ⅱ 満鉄調査部事件被告二十名たちと首都新京
Ⅲ 戦局の悪化がすすむ昭和二十年の正月
Ⅳ 昭和二十年二月――ヤルタ対日秘密協定の締結と硫黄島攻略戦の開始
Ⅴ 昭和二十年三月――満洲国における「新作戦計画大綱」の実施をめぐって
第二十一章 終末時計は刻々と時を刻む
――ベルリン陥落と満鉄調査部事件判決の同時進行
Ⅰ 昭和二十年四月――第二次世界大戦の東と西で
Ⅱ 満鉄調査部事件判決――治安維持法第五條第一項「宣傳罪」該当
Ⅲ 現代版「焚書坑儒」を生み出した治安維持法の「宣傳罪」
Ⅳ 満洲根こそぎ動員の開始
終 章 満洲国の崩壊と王道楽土幻想の終焉