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久しぶりに都心に出かけました。あまりにも久しぶりなので少し疲れました(笑)。
さて、渓流斎は、ここ10年、近現代史ばかり研究してきましたが、日本の古代史もなかなか面白いことが分かりました。
何しろ、矛盾した言い方ですが(笑)、分からないことだらけで、謎やミステリーがいっぱいだからです。
例えば、いまだに、邪馬台国は畿内説、九州説は決着していませんよね?
大和民族は、半島からの騎馬民族説なんかもありましたが、あれで証明されているのでしょうか?
「天照大御神=卑弥呼」説があるなんて、知らなかったので、本当に吃驚してしまいました。
ほんの少しずつではありますが、「古事記」を読み始めています。成立以来さまざまな研究者がさまざまな研究成果を挙げられているので、私なんか出る幕は本当はありませんが、やはり、大和朝廷といいますか、天皇家の正統性、つまり、オーセンティシティを末代まで伝えようという目論みは否定できないと思います。
天皇家以外は異端者として、「国譲り」の対象であったり、「征伐」の対象だったりします。
古事記の中には、出雲風土記にみられる記述が多く散見されますが、私の大胆な推測では、出雲の豪族の方が先に有力な覇権で君臨していたのを、大和の豪族が後から来て、彼らを征服したのではないかと思えます。天照大御神の弟である須佐之男命や、須佐之男命の6代目大国主神の国譲りの物語はまさにそうです。出雲を滅ぼした大和の将軍は、常陸一宮(ひたち いちのみや)の鹿嶋神宮(建御雷神=タケミカズチノカミ)と下総一宮(しもふさ いちのみや)の香取神宮(経津主大神=フツヌシノオオカミ)にそれぞれ祀られます。
その後、大和朝廷が統一されて、その間に、大伴氏、物部氏、蘇我氏…と次々と天皇家のライバルが失脚して中臣家だけが藤原家として生き残ります。そのため、この二家の正統性だけが強調され、蘇我氏などは端から悪者扱いです。本当は権力闘争に負けた豪族だったということでしょう。もっと、深く知りたくなりました。
神話だからと言って、全くのフィクションから誕生したわけではなく、何らかの史実をデフォルメした感があります。だから、紀元前660年に即位し、127歳で崩御されたと言われる初代神武天皇も、年号や年齢はデフォルメされてはいますが、神武天皇に近い有力者が実在したのではないか、と思われます。古代天皇家の権威は、仁徳天皇陵を見ただけでも歴然としています。
それに、伊耶那岐神は、黄泉国へ行った妻の伊耶那美神を探しに行きますが、伊耶那美神の「私を見てはいけません」という約束を伊耶那岐神が破って見てしまうという件(くだり)は、ギリシャ神話のオルフェウス物語とそっくりです。こんな偶然の一致はありえません。
最近、神道に被れている渓流斎は、別に国粋主義者になったわけではありませんが、これは色々と好奇心と野次馬根性が復活した証であり、何と言っても、本人が一番喜んでいます(笑)。
お祝い
渓流斎さん、とうとう復活の狼煙を上げられましたね。おめでとうございます。
久しぶりの都心で疲れているとはいえ、これだけブログに書かれたので安心しました。
陰ながら応援してきた者として、2番目に喜んでおります(笑)。
今後は、日本の古代史についての記述も増えそうですね。楽しみにしています。