満洲問題、語学不得意、アナログ人間

旧・満鉄新京支社 Copyright par Duc Matsuohca

 この「渓流斎ブログ」は、古代から現代まで、アカデミズムに拘らず、市井の方でも、歴史研究家の皆様方に門戸を開放しております。

 先日は、満洲研究の泰斗、松岡総裁からメールが届きまして、「最近の渓流斎ブログが物足りないと思ったら、以前と比べて、写真が少ないからなんでしょうね。今から、写真をお送りしますからお使いください」と仰るではありませんか。お馬さんが食べるほど、たくさん送ってくださいました(笑)。

 写真が少なくなったのは、以前にも書きましたが、写真アップの操作が簡単にできた「gooブログライター」が廃止されたためでした。写真は面倒くさい手続きをして、一枚一枚アップしなければならなくなったので、時間の無駄と思っていたのです。

 しかも、小生は、写真については、あまり拘りがないのです(笑)。ということで、松岡総裁からの写真をお借りしながら、本文の内容とは全く一致しない、チグハグな文章を書き連ねていきますので、覚悟してください(笑)。

 往時の満洲国協和会中央本部 Copyright par Duc Matsuohca

 さて、今日本で一番売れている月刊総合誌の今月号は、面白いですね。博多のどんたく先生のお勧めもあり、読んでみました。ただ、日本で一番有名な文学賞を受賞した作品は、途中まで読めましたが、ギブアップしてしまいました(苦笑)。

 最初の方に掲載されていた「2・26事件 娘の80年」は読まされました。今からちょうど80年前の1936年2月26日の青年将校によるクーデター事件で斬殺された渡辺錠太郎教育総監の娘で、「置かれた場所で咲きなさい」などがベストセラーになったノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんの対談です。

 一番興味深かった彼女の発言は「2.26事件は、私にとっては許しの対象から外れています。父を殺した憎しみではなく、事件のきっかけの一つである陸軍第一師団の満洲派遣への憤りです。事件の首謀者となった将校は『満洲に行って死ぬくらいなら国家革新運動をやるべきだと思った』と証言しています」という箇所でした。

 思わず、唸ってしまいました。

 協和会中央本部現況 Copyright par Duc Matsuohca

 昭和史研究の第一人者と、元外務省分析官で作家の対談も、やはり、読まされました。

 一番驚いたのは、外務省出身の作家が「陸軍士官学校出身者は語学ができる、というのは神話に過ぎない」といった発言でした。ちなみに、陸軍幼年学校~士官学校での外国語は、ドイツ語、フランス語、ロシア語で、英語はなかったそうですね。普通の中学出身者の方が英語ができたそうです。

 それでも、「三国同盟」締結に暗躍し、ドイツ大使も務めた大島浩陸軍中将(戦後A級戦犯)は、ドイツ語ができなかったという逸話には吃驚しました。これは、作家が外務省時代に、戦時下のベルリン大使館で勤務していた(あの有名な)吉野文六(昨年死去)から直接聞いたそうです。

 旧・満洲国司法部 Copyright par Duc Matsuohca

 フランスの人口学歴史学者のエマニュエル・トッドの「世界の敵はイスラム恐怖症だ」というインタビュー記事も面白かったですね。

 今、難民問題が中東欧州を中心に大きな問題になっていますが、極東の日本ではまだまだ肌感覚で沸騰点に達していないというのが現状です。トッド氏は、そもそも日本人は、異質なモノ、コト、ヒト、文化に対して敏感であることを指摘しています。

 「日本の社会はお互いのことを慮り、迷惑をかけないようにする。そういう意味では完成されたパーフェクトな世界だからです。フランスの場合は、そもそも国内が無秩序で、フランス人同士でも互いにいざこざが絶えません。つまり、外国から異質な人が入ってきたところで、そもそも失う『パーフェクトな状態』がないタフな社会です。同じことはアメリカにも言えるでしょう」

 さすが、作家ポール・ニザンの孫で、ソ連邦崩壊を予測した泰斗だけあって、鋭いですね。

 旧・関東軍総司令部 Copyright par Duc Matsuohca

 日本一の月刊誌には、ちょうど10年前の2006年にインサイダー取引法違反か何かで逮捕された超有名なMファンドのMさんが、10年ぶりにメディアに登場していました。

 何と言っても一番面白かったのは、あのジョージ・ソロスと並び称されるほどの「モノ言う」投資家がアナログ人間だったということです。株の取引きは、何と電話でやっていたというのです。今では、娘と一緒に日本で投資会社を運営していますが、デイトレーダーばりばりのコンピューター・ギークの娘さんは、取引は一刻一秒を争うだけに、優秀な娘さんから「もうお父さんは株の売買はやらないで」と止められているそうです。

 「事件」後、しばらく、シンガポールに隠遁し、株取引はやらず、ほとんど不動産投資をやっていたそうです。何千ものビルに投資したようです。そして、リーマン・ショックで世界の株が大幅に下落するのを目の当たりにして、有望株の大量買いに走り、資産を10倍ぐらい増やしたそうですよ。

 今でも、ポリエモンさんと仲良しで、二人で100億円ぐらいを元手に日本の株を買っているそうです。

 本当に読み応えがありました。

 さて、来週からちょっと忙しくなりそうで、これまでのように、毎日更新できるかどうか心もとないですが、そこんにきば、宜しゅう頼みまする。

 渓流斎朋之介

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