Copyright Par Kiandoukei Daizensi
桜の季節には、ちょっと早いのですが、京都にお住まいの京洛先生が、「京都の河津桜」との異名を持つかどうか分かりませんが、早咲きの「一条戻橋」の満開写真を送ってくださいました。
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…この場所は、京都市上京区の「一条戻橋」(堀川通一条)で、このように咲き誇っています。本場、本家の伊豆・河津町の「河津桜」は、1月末から咲き始め、おそらく今頃は花見客でごった返していることでしょう。京都も、この「一条戻橋」だけでなく、伏見の淀川沿いにも河津桜が植わっていて、ここも満開ということです。…
へえ、やはり、京都にも早咲きの「河津桜」があったんですね。
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…「一条戻橋」の立札に、言い伝えが書いてありますが、今から1000年以上昔の918年(延喜18年)に、当時、文章博士だった三善清行が亡くなり、その息子の浄蔵が熊野から駆け付けたところ、葬儀の列がこの一条橋の付近にまで来ていたそうです。…
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…息子は必死に棺に縋って「お父さん、生き返って欲しい」と祈念したら、不思議にも清行が一時的に蘇生したということから「戻橋」と言われるようになったということです。…
へー、そんな逸話があったのですかあ。
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…また、「太平記」では、源頼光の”四天王”の一人、渡邊綱が此処で鬼女に遭ったと、記されています。…
ほう、さすがに博学ですね。
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…さらに、戦争中は、出征の兵隊さんが、軍隊に入る前に、この橋を渡って、生きて帰れるように願ったそうです。
恐らく、「生きて帰るな!」の時代でもあり、大手を振って戻橋を渡ることはなかったでしょうがね。○○○○○さんに見つかったら「あなた何よ!御国に命を捧げる気持ちもないのね、非国民です!」と言って、自分は講演料をがっぽり稼ぐでしょうね(大笑)。現代の鬼女です。「外面如菩薩、内面如夜叉」とはこういうことを言うのです。…
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なるほど。御本人は絶対に前線に行くことはありませんからね。