コムソモリスク郊外で Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
8日にジョージ・マーティンさんが亡くなりました。享年90。一応、長命を得たとはいえ、ビートルズのフリークの私としてはショックでした。
彼は「5人目のビートルズ」と言われていますね。なぜ、「5人目」が、ジョン・レノンの親友で初期のベーシストだったスチュアート・サトクリフでもなく、リンゴ・スターの前のドラマーだったピート・ベストでもなく、「レット・イット・ビー」でバックミュージシャンとして活躍したビリー・プレストンでもなく、ジョージ・マーティンなのでしょうか。
答えは、皆さんご存じの通り、それだけ、ビートルズの音楽づくりに「メンバー」として貢献したからです。
有名な逸話は、「イン・マイ・ライフ」のバロック調のピアノ演奏は彼でした。「イエスタデイ」のストリングスのアレンジをしたのも彼でした。クラッシックの素養があったジョージ・マーティンでしたから、「エリナー・リグビー」も、「愛こそはすべて」も、「ピギーズ」も「グッド・ナイト」もオーケストレーションは、ほとんどすべて彼だったんでしょうね。
何故なら、ビートルズの4人とも五線譜が読めなかったからです。
そもそも、ビートルズが、大手レコード会社「デッカ」のオーディションに落ち、格下の「パーロフォン」レーベルのオーディションで彼らの才能を見抜いたのはジョージ・マーティンでした。
勿論、お会いしたことはありませんが、典型的な英国のジェントルマン風で、品格のある人物に見えました。彼も亡くなって、歴史上の人物になってしまい、何となく寂しいです。
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話は変わって、映画スター、レオナルド・ディカプリオは、「タイタニック」でブレイクする前の、ヴェルレーヌとランボーを描いた「太陽と月に背いて」(1995年)から注目して、大体彼の主演作は見ているのですが、最近は、「華麗なるギャツビー」にせよ、「ウルフ・オブ・ウオール・ストリート」にせよ、人相が悪くなり、何か灰汁の強さばかり目立ち、あまり好きではなくなっていました。
それが、今年のアカデミー賞で、5度目のノミネートでやっと主演男優賞(「レヴェナント」=4月22日公開)を獲ったということで、「観に行こうか、どうしようか」と迷っていたのですが、断然、観ることにしました!
その理由は、彼の逸話に感激したからです。
それは、「アビエイター」(2004年)で、大富豪ハワード・ヒューズ役を撮影した時です。ヒューズは「強迫性障害」にかかり、晩年は、誰とも会うことはなく、引き籠りになってしまったことは有名ですが、ディカプリオは、演技のために、この病気を研究し、実際に精神病院に行ったりして、役に没頭しました。まさに、迫真の演技で、マーティン・スコセッシ監督も大絶賛したのですが、撮影が終わると、ディカプリオは、本当に自分自身が強迫性障害に罹ってしまったことが分かったのです。
とてつもない役作りです。ボクサー役で想像を超える減量したり、役作りに没頭することで有名なロバート・デニーロも真っ青です。
その後、ディカプリオは、「患者」として精神科に通い、今までとは逆、つまり、強迫性障害にならないように脱却を努めて、治したそうです。
この話で、渓流斎もディカプリオには感心してしまったのです。
詳細はこちら →「フォックス教授の白熱教室」
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さて、今日も、昼休みに「銀ブラ」をしました。
いつぞや、博多のどんたく先生がこんなことを話していました。
「スティーブ・ジョブズがプレゼンなどで着ていた黒いタートルネックシャツをご存知ですか?ご存じない?ジョン・スメドレーという1784年に英国で創業された老舗ブランドです。日本の格安量販着とはえらい違いです。恐らく、1着5万円ぐらいはするでしょう。ジョブズは、いつも同じ服を着ているようにみえましたが、この同じスメドレーを何着も買って、毎日のように着替えていたそうですよ。この同じブランドを愛用していたのが、アンディ・ウォホールですよ」
へー、ジョン・スメドレーとは初めて聞きました。ゾルゲ事件関係のアグネス・スメドレーは知っていましたけどね(苦笑)。
それが、今日、銀ブラしていたら、偶然、この「ジョン・スメドレー」店が、銀座のみゆき通りの、まさに私の通勤路にあったのです。さすが、銀座!
とは言っても、怖くて入れませんでしたけど…(苦笑)。
銀座「ジョン・スメドレー」(証拠写真)