路上禁煙地帯
映画「64 ロクヨン」後編を見てきました。
前編があまりにも良かったので、その続きとして、見たのですが、前編と後編のタッチがあまりにも違い過ぎて、ほんの少し違和感を覚えてしまいました。
前編は、上下関係が歴然としている警察官僚という大組織の中で、怒号が飛び交い、厚い壁の中で必死に抵抗する男の悲哀が色濃く描かれておりまして、深い同情の念を抱いてしまいました。
しかし、後編は、一転して、謎解き推理を重視した三文オペラのようで、犯人にしても、犯人を追う警察にしても、周りで茶々を入れているブンヤにしても、何か皆んな薄っぺらく、「おいおい、こんなこと、現実ではありえないんでなえかえ?」と、こちらが突っ込みたくなるほどでした(笑)。
前編が面白かったのは、椎名桔平扮する県警本部長を始め、エリート・キャリアが、常に、中央本庁ばかりに目が向いていて、現場の仕事に全く関心なく、ただただ、組織の安泰と治安維持と情報操作と、そして何と言っても、己れの出世のことしか考えていない姿を俳優が見事に演じ、監督も見事に描き切ったことです。
原作とは結末が少し違うようですが、犯人のやむにやまれぬ動機と環境にもっと説得力があれば、満点だったんですけどね。ちょっと残念。
フィクションとはいえ、この作品は、公衆電話がほとんど消えて、スマホの時代になった現代では、もうあり得ない話になってしまいましたね。
最後のタイトルロールを見ていると、オールスターキャストの出演とはいえ、主演の佐藤浩市をはじめ、結構、二世俳優が多いので、映画界も親の七光を利用した二世時代か、という感想を持たざるを得ませんでしたね。あ、御案内の通り、生前の三國連太郎との不仲が伝えられた佐藤浩市は違いますけどね(苦笑)。