高村薫「空海」を読んで

お肉売ります Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 推理小説の大家高村薫さんが、宗教には無縁だったのに、神戸淡路大震災を体験し、 「空海」(新潮社)に挑戦されたということで、読んでみました。これは、地方新聞に連載されていたものを2015年9月に書籍化したもので、もう少し推理小説家らしい大胆な分析と推理と空想があってもよかったような気がしましたが(偉そうですね)、大変教えられるところが多かったです。

 空海(774~835、享年60or61)の私生活はほとんど分かっていないそうですが、1200年もの大昔の話だからと言って人間の本質は変わることはないので、研究から逃げるわけにはいかないでしょう。

 私自身は、真言宗の信者ではないのですが、空海という偉大な高僧については大変興味があります。とはいっても、空海の難解な著作を読んだこともなく、司馬遼さんの「空海の風景」ぐらいしか読んでいませんが…。

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 空海は、讃岐の国の善通寺に誕生したというのが通説です。父親は地元の豪族佐伯直田公(さえき あたい たぎみ)で、佐伯善通(さえき・よしみち)ではないかという伝承もあります。空海さんの本名が、佐伯善長(よしなが)だったりしたら、凡俗の私のような人間にとって、空海さんだけは神格化があまり相応しい人物に見えないのではないかと、勝手に思っているので親しみが湧きます。

空海が、歴史上にはっきりと現れるは、803年頃に留学僧になるために慌ただしく得度して官度僧になったときです。もう30歳を過ぎていました。それまで、大学に通って、修行していましたが、詳しいことは分かっていないそうです。804年の藤原葛野麻呂大使率いる遣唐使船に乗り込み、漂流の苦難の末、唐の都長安にまで辿りつきます。

 そこで、空海は、インド密教の継承者である青龍寺の恵果から、「胎蔵界」と「金剛界」の両部密教の灌頂を受けた上、「阿闍梨」位の灌頂まで受けます。つまり、数多の世界各国から来た留学僧と地元の優秀な唐の弟子僧の中から選ばれて、密教の唯一正統の継承者としての地位を獲得します。恵果にとって、空海は初対面の異国の僧にも関わらず、「あなたが来ることを知り、長い間待っていた。お会いできて大変うれしい」と語ったそうです。

 高村さんは、「運命」と書かれていますが、最新科学が発達した21世紀の現代でも証明できない奇跡なのでしょうね。

 とにかく、空海はあまりにも天才過ぎて、彼以外、真言密教の神髄を会得できず、弟子にまで継承できなかったことが、その後のこの宗教展開に影響受けていく様が、この本には分かりやすく書かれています。

 538年(という説が最有力ですが)、日本に仏教が取り入れられて、「鎮護国家」の思想の根っ子となりましたが、あくまでも律令制度の頂点に君臨する皇族、貴族、豪族のための宗教であって、一般衆生までには行き届きませんでした。

 仏教も、念仏口称さえすれば、阿弥陀様のいらっしゃる浄土世界に行ける、と庶民にも分かりやすく説いたのが法然房源空であり、このほか、親鸞、栄西、道元、日蓮、一遍らいわゆる鎌倉新仏教の開祖と呼ばれる高僧はすべて、空海真言宗の高野山ではなく、最澄天台宗の比叡山で修行して、自己の宗教を確立しています。

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 私は不勉強で知らなかったのですが、916年、高野山の座主無空が、空海が唐で書写した経文などを集めた「三十帖冊子」を京都の東寺(教王護国寺)長者の観賢(かんげん)から返還を再三再四、求められたにも関わらず、この冊子と宝物を持ち出して弟子たちと奔放してしまいます。つまり、高野山は、空海入滅後、わずか80年で無人になって荒廃してしまうのです。

 真言宗がその後、日本全土に普及するのは、難解な真言密教を通してではなく、空海を「弘法大師」としていわゆる偶像化して平易な現世利益を広めた多くの無名の「高野聖」なしには語れない、という説には大いに納得してしまいました。

 天台宗の開祖最澄と、真言宗の開祖空海はともに唐留学僧のライバルで、最澄は途中で、密教を修得することなく帰国したため、密教を空海に教えを請いますが、空海は拒んだようですね。

 最澄も空海も、朝廷に取り入れられるように奔走し、最澄は延暦寺を、空海は東寺(教王護国寺)を朝廷から下賜され、両者は「鎮護国家」のために、加持祈祷や邪気払いや病気平癒など超人的霊能力で神秘的な宗教行事を皇族、貴族らに、下賜を受けた見返りで授けたことでしょう。

 当時、数多いた無名の留学僧に過ぎなかった最澄も空海も、朝廷に対して手紙攻勢などで何とか取り入れられようと工作した、と書けば、陰謀臭いので、工夫をしたのではないか?-このように書けば、あまりにも無智な推論で冒涜だ、と宗教者からの反論があるかもしれませんね…。

 空海は、本当に謎に満ちた人で、1000年経とうが、2000年経とうが、1万年経とうが、理解することは難しいでしょう。空前絶後の大、大、天才で、誰にもできない霊的体験を言語化したことは確かです。

 大衆には「弘法大師」として親しみを持って愛され、日本中至る所に大師の足跡伝説がありますが、これらはあくまでも伝説で、空海本人が訪れた所は限られているというのが、著者の説ですが、私もそう思います。

 ただ、弘法大師の諡号(しごう)がおくられたのは、最澄や円仁らと比べてもかなり遅く、実に死後87年目のことで、著者の高村さんは「意外なことに、空海の名声は比較的早い時期に一時下火になってしまったと考える」とまで書いております。

 この大師号というのも不思議で、大師といえば、日本人なら誰でも知っているのがこの「弘法大師」ですが、空海はこの弘法大師、一つしかおくられていません。以前にも書きましたが法然房源空は、円光大師をはじめ、今上天皇による法爾大師に至るまで8回もおくられてるのです。

 その一方で、臨済宗開祖の栄西は、開祖者として唯一と言っていいぐらい、大師号をおくられていないようです。(国師はおくられております)道元、日蓮、一遍らは言わずもがなで、黄檗宗の隠元も1972年に華光大師の号がおくられています。

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