広島原爆忌に

五大連池 魚はわが店で Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 まさに盛夏。

 昨日は8月6日の土曜日。広島原爆忌。

  不謹慎にも都内の演芸劇場にまで、生の落語を聴きに行こうかと思いまして、開演30分前に並んだのですが、係の人から「もう、ここから、立ち見です」と言われてしまいました。

 まさか、5時間も立って見ているわけにはいきませんから、諦めましたよ。天罰だったのかもしれません。

 係の人に聞いたら、切符を求めて、何と朝の9時から並んでいる人もいたとかで、今の現代人は、つくづく、現実生活が面白くないから、笑いを求めているんだなあ、と思い知らされました。

五大連池 野菜も豊富です Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 このまま、すごすごと帰ってしまうのも、何ですから、何年かぶりに、観音様にお参りしまして、仲見世通りは、あんまりにも、外国人観光客でごった返しているもんですから、比較的空いている北側にある「長寿庵」で、天もりとレモンハイで真昼間から一杯(だけ)きゅーとやって、憂さを晴らして帰りましたよ。

 田舎から遠路はるばる蒸気機関車に乗ってわざわざ、都心に出てきたので、汽車賃を取り戻さなければいけませんからね(笑)。そこの演芸場は、前売りも予約受付もなく、「満員御礼」では、誰も責められず、運がなかったと諦めるしかありません。(もしかしたら、代理店と手を組んで団体客優先だったのかもしれません。定員の320人も並んでいませんでしたからね!)

 まあ、都心に出たおかげで、やっと、ピカチュウを捕まえることができましたので、無駄骨を折らなかったということにしますよ(笑)。

 序ながら、江戸の老舗蕎麦屋のランキングを見てみたら、嘘か誠か、(1)まつや(2)砂場系(3)藪系(4)更級系(5)能登治(6)松竹庵(7)長浦(8)蓮玉庵(9)あさだ(10)吉田屋…あたりで、長寿庵系は圏外でしたね。

でも、そこの長寿庵は、値段もそれなりでしたから、美味かったでしたよ。

五大連池 ロバは良き友 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 広島原爆忌ということで、夜、TBS系の「報道特集」を見ていたら、広島駅の旧国鉄職員の人たちが、被災者の援護、救護のために、鉄道復旧に全力を尽くされていたことを証言を交えて報道していました。

 何か、国鉄の社史にも載っていなかったらしい秘話で、元国鉄職員の方は「原爆の被災者の中には、衣服が燃えて、全身裸で、皮膚もすべて赤むけてしまい、両手を挙げて歩いていました。肘が脇腹や腰に当たると痛いからです」などと証言しておりました。

 そう言えば、私は、子供の頃から、これまで多くの原爆絵や写真を見てきていたというのに、被爆者が何故、両手を身体から離していたのか、疑問も想像も、及びもつかなかったことを反省してしまいました。

 広島県郊外から、被爆者を看護するために動員された女子高校生らが、周囲も自身も何の知識もなかったため、そのまま原爆投下地広島市を訪れ、二次感染で放射能を浴びてしまい、それから何年か経って、ガンに侵されて多くの友人を亡くしたという80歳代の女性も出演しておりました。自身も何度もガンの手術をして、死線を乗り越えてきた方でした。

全身、原爆で焼かれて衣服がなければ、身分証明書や本人が分かる何もかもが、焼失してしまったということでしょう。本人も口がきける状態ではないまま、亡くなった方も多かったらしく、となると、何処の誰方かも分からず亡くなり、「無縁仏」のまま、多くの方が亡くなった墓所として「慰霊塔」がありました。

思わず、涙が出てきて止まりませんでした。

こうして多くの非戦闘員である無辜の市民を虐殺した原爆です。「何百万人ものアメリカ人の若者の生命を救うため」と、原爆投下にサインした米国軍最高司令官のトルーマン大統領(民主党)の弁明は、この世に本当に神様がいらっしゃるのなら、正当化できるのでしょうか?

 戦後71年。体験者の高齢化で、今後ますます、直接の証言者の皆様が亡くなられてしまうと思いますが、こうして、語り続けられ、記録に残していかなければならないという強い思いに駆られました。

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