おつな復活? 略奪愛か後妻業か?南京虐殺 汚れちまった悲しみに

哈爾賓駅前の人と車 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
◇おつなの会復活?

昨晩は、都心のど真ん中にある高級料理屋「門」で、京都から下洛された京洛先生を囲む会が開催され、何と、20人ぐらい集まりました。

今さらながら、「鶴の一声」には驚きました(笑)。先日、横浜で開催された近江屋さんの「次官昇任祝賀会」に集まったのはわずか7人でしたからね。(もっとも、かなりセーブされていたようですけど=笑)

まるで「おつなの会」が復活したような感じでした。

 哈爾賓駅前ホテル Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

本当に久しぶりにお会いする人ばかりでしたが、年甲斐もなく、悪びれた様子もなく、皆さん、精一杯、若作りされていて、ほとんど変わっておられないのにも驚かされました。

皆さん、本を出版されるような有名な一家言の持ち主ですから、私がこの渓流斎ブログで何か書こうものなら、「夜道の一人歩きは、さぞかし、気いつけなあかんなあ…」なぞと口笛を吹きながら他人事のようにすっとぼけながら聞こえよがしに言ってきますから、そりゃあ、気を付けなければいけない、と身を引き締めてこうして書いているわけです。はい。

 駅前食堂開店 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

◇20歳も若い美女を略奪、それとも後妻業か?

昨晩のハイライトは、やはり、何と言っても、東都紙刷業界大手「保永堂」大幹部の鶴屋利左衛門さんが、20歳も年下の若い美女を娶ったという話題でした。本人は黙して語らず、真相は不明でしたが、京洛先生がわざわざ京土産を持ってきて手渡しておられましたから、物的証拠、状況証拠で間違いないでしょう。

ただ、利左衛門は渓流斎ブログに対して、かなりの警戒心を持っており、話によっては南町奉行所に駆け込むつもりらしいので、残念ながら、これ以上真相追及するわけにはいきませんでした。

とはいえ、利発紳士副島孝臣氏は、口髭をピクつかせながら、「何、何、あれは、先が長くない利左衛門を見越した後妻業じゃよ」と穿った意見を開陳されていましたから、満更唐変木な話ではないので、利左衛門さんに忠告しておきました。

「どうぞ、お幸せに」。事前にお知らせ頂ければ、京都とはいきませんが、異国の藩からの凄ーい贈り物をしていたであろうはずなのに、残念でしたねえ(笑)。えっ?まだ間に合う?

 熊胆用の熊農場でした Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

◇過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)
日付        閲覧数   訪問者数   ランキング
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2016.08.27(土) 180PV   102IP    10084位 / 2586319ブログ

◇南京虐殺はあった
もう一つ、凄い衝撃的な昭和初期の歴史的証言も聴いてしまいました。

消えてしまったかつての渓流斎ブログにも登場したことがあります麹町区番町にお住まいの龍野小路子爵夫人のお話です。

龍野小路夫人の御尊父は、戦前、中華民国の首都南京市の日本大使館で外務省書記官として勤務されていたそうです。

歴史に残る昭和12年の大日本帝国陸軍による「南京陥落」の日も南京で勤務されていたそうです。

今、ネットで検索すると、いわゆる若いネトウの方々が、正々堂々と「南京虐殺はなかった」「嘘八百」「幻」と断定されていて、その「南京虐殺はなかった」説の数が、全てを見たわけではないのですが、圧倒的のようです。しかし、龍野小路夫人が、当時南京の在中日本大使館で書記官だったご尊父から聞いた話によりますと、「あった」ということでした。
極東国際軍事裁判(東京裁判)で、突然出てきた「30万人」という数字はともかく、事実としてあったということです。

たとえ、市民殺戮が100人だったとしても、やむにやまれぬ巻き込み戦闘であったとしても、やはり、虐殺と言えるでしょう。帝国陸軍は、当時、市民に紛れ込んだ便衣隊に相当苦しめられて、多くの犠牲者を出していたことから、便衣隊掃討を敢行したことは間違いないようです。

同じように、広島長崎原爆投下や本土無差別爆撃などで80万人の無辜の日本の市民を殺害した特にカーティス・ルメイ将軍率いる米軍も虐殺なのに、戦勝国特権と思い込んでいるのか、虐殺と呼ばれませんし、米国はそう呼ぼうともしません。ちなみに、米国の市民の犠牲者はゼロです。(下記参照)

◇第2次世界大戦(1939年9月~1945年9月)の死者

枢軸国側    死者数   市民の死者数  計
日本      230万人  80万人   310万人
ドイツ     422万人  267万人  689万人
オーストリア   25万人  93万人  118 万人
イタリア     30万人  13万人   43万人
その他      163万人       163万人
小計  約1205万人
連合国側
ソ連      1360万人  700万人 2060万人
中国       350万人  971万人  1321万人
ポーランド    12万人  591万人  603万人
ユーゴスラビア  50万人  121万人  171万人
フランス     20万人  40万人   60万人
イギリス    14万人  24万人    38万人
アメリカ     29万人   0人   29万人
その他                78万人
小計 約4360万人
合計 約5565万人

アジア・太平洋各国
朝鮮                 20万人
台湾                 3万人
フィリピン             111万人
ベトナム              200 万人
(ホーチミンの主張では1944年末から1945 年にかけてベトナム北部で200万人が餓死)
ビルマ                15万人
マレーシア・シンガポール      10万人
インドネシア            400万人
インド               150万人
オーストラリア          2万3000人
ニュージーランド         1万2000人
合計 912万5000人

※日本310万人、ドイツ689万人に対して、ソ連の犠牲者は、何と2060万人です!日ソ中立条約を一方的に破棄して、満洲や樺太、千島列島に侵攻したソ連が、戦後70年経っても北方四島を返還しない理由の一つが、この2060万人の犠牲の上で勝ち取ったものという論理です。国際条約違反の卑怯者、ならず者国家のする暴虐と非難されても怯まない理由の一つとなっているわけです。

インドネシアの犠牲者400万人という数字はあまりにも大きく、かなり甚大な被害を受けたと言われるフィリピンの110万人と比べてもかなり多いです。日本では、殆ど知られていない史実なので、向学の使徒には再研究が必要です。

◇汚れちまった悲しみに

ところで、龍野小路夫人のご母堂である外務省書記官夫人は、南京滞在中にあの蒋介石の妻宋美齢から、護身用のピストル(デリンジャー)を贈られたそうです。如何なる史書にも書かれたことがない秘話ですね!

ご母堂様は、また、愛新覚羅溥儀皇帝の実弟溥傑の奥方である嵯峨(愛新覚羅)浩さんから狐の毛皮をプレゼントされたそうです。この話も誰にも知られていない昭和史の秘話です。

この狐の毛皮は、金茶色の地に、直径15センチぐらいの丸い模様が白で細かく描かれた物で、この白い模様が狐の耳の内側の毛だそうです。つまり、希少価値が非常に高い上に、目の玉が飛び出るほど高価なものなんだそうです。

狐の毛皮といいますと、中原中也の「汚れちまった悲しみに」の中で、「狐の皮衣」が登場しますね。

汚れちまった悲しみに

たとえば狐の皮衣

汚れちまった悲しみは

小雪のかかってちぢこまる

この狐の皮衣を、中也は何を比喩して用いたのか?ネット上では、それこそ嘘八百の言いたい放題の憶測が氾濫しておりますが、実は、この希少価値の高い狐の皮衣は、真っ白の純白で、そういった狐の皮衣と同じ色をした純白な心が悲しみで汚れた、ということを言いたかったのです。

この説は、亡くなった京洛先生夫人の教養高い御学友阿藤さんが披露されて、私も、「なるほどなあ」と納得致しました。

兎に角、京洛先生とはほとんど話はできませんでしたが、とても刺激に満ちた会合でした。

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